ようこそアイドル至上主義の教室へ   作:黒岩

8 / 96
アイドルとは無縁な一般高校生の中間試験

「10000ポイントか……仕方ない。いいだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 テスト範囲の変更が知らされていなかったという衝撃の事実を知らされ、オレはお昼休みが始まるのと同時に席を立って食堂へと向かった。

 声を掛けられた櫛田に他言しないという約束を取り付けて、該当する人物を見つけて交渉する。目的は──中間試験の過去問を手に入れるためだ。

 3年Dクラスだというその先輩に警告を告げておまけの小テストの解答もお願いし、喜ばしいことにその交渉は上手くまとまった。

 そそくさと、逃げるようにして去っていく先輩を見送り、櫛田と共に送られてきた小テストの解答に目を通せば、その内容は一言一句違わない同じもの。

 これで保険については問題ない。櫛田に目立ちたくない旨と試験の1日前にクラス全員で共有するようにお願いすれば、オレのやるべきことは終わりだ。

 ……だが櫛田と別れた後。オレはなぜか、先程交渉した先輩の去り際の台詞と表情が気になっていた。お礼を言ったその後のことだ。

 

『…………』

 

『……? まだ何か?』

 

『お前……いや……何でもない。過去問はすぐに送る。頑張れよ』

 

 先輩のその言葉と表情の変化を思い出し、疑問する。特別気に留めることではないかもしれないが、あれは一体何を言いかけたのだろうか? そして何故あんな同情するような表情を浮かべたのだろうか? 

 オレはしばらく、そのことが喉に刺さった小骨のように心に引っかかってしょうがなかった。

 

 ──そして違和感は次の日も続いた。

 

「…………」

 

「どうしたの須藤くん。手が止まってるわよ」

 

 次の日の勉強会。何やら須藤が何かを言いたそうにそわそわとしていたため、見かねた堀北が声をかけると、須藤は意を決したように口を開いた。

 

「……あのよ。言おうかどうか迷ってたんだが……」

 

「? 何だよ須藤」

 

「今は勉強中だぞ。変なカミングアウトとかならいらねぇからなー」

 

 山内と池に茶化されながらも、皆が須藤の声に耳を傾けた。オレも掘北も櫛田も。その須藤のカミングアウトを待つ。

 そうして放たれた言葉は……オレの耳を疑うものだった。

 

「何でもよ……今回の中間試験、一昨年に3年の先輩が受けたものと同じか、似た問題が出てくるらしい」

 

「え……?」

 

 須藤の口から明かされた衝撃の事実に、オレと櫛田はつい顔を見合わせてしまう。あの須藤が、過去問の存在に辿り着いた? 

 オレ達とは別の意味で池や山内も驚いている。堀北も同様に。だがオレと、おそらく櫛田は別の意味で驚きその会話の流れを見守る。須藤がどうやってそこに辿り着いたのか、それが気になった。

 

「それって……つまりどういうことだよ?」

 

「わかんねぇのかよ! つまり過去問があればそれを覚えて挑めば赤点回避なんか余裕だって話だ……!」

 

「ええっ!? おいおい、それってマジかよ? じゃあ勉強しなくてもいいじゃん!」

 

 その意味を理解した池と山内が、こそこそと小さい声で喋る須藤に合わせて顔を近づけた。声も小さくなる。

 どうやら須藤はしっかりと過去問の有用さを理解しているようだ。それに驚いた堀北が須藤に問いかける。

 

「驚いたわ……私でも過去問の有効さには気づかなかった。その考えは私の中にはなかったわ」

 

「へへ……どうだ? すげぇだろ?」

 

 堀北でも思いつかなかった、という事実と褒められた事実に須藤は嬉しそうだ。しかし、堀北は須藤がその考えに至った理由をオレ達と同じように疑問に思う。

 

「でもどうやって思いついたの?」

 

「ああ。実はよ……バスケ部の先輩から教えられたんだ。偶然会って話した時に俺が勉強に困ってるって聞いたらその話を教えてくれてよ。後で過去問を送ってくれるらしい」

 

「……なるほどね」

 

 その話を聞いて堀北や池達も納得した。やはり須藤が自分でその考えに辿り着くとは信じられなかったのだろう。櫛田も「あー」と納得した様子を見せている。

 

「須藤の考えじゃないのかよ」

 

「まあそりゃそうだよな。須藤が思いつくんなら俺達でも思いつきそうなもんだし」

 

「てめっ、うっせぇぞ!」

 

 オレも池や山内達と同意見だ。だが、もっと言うなら須藤に親切に声を掛けてくれる先輩がいることにも驚いた。

 しかも試験に関わる重要なことを、自ら襟を露わにして教えてくれるほどに目を掛けてもらっている。

 オレは部活に入ったことがないから分からないが、そんなのがありえるのだろうか。分からない。その先輩が特別優しいだけかもしれないし、気まぐれかもしれない。

 オレが自腹を切って手に入れた過去問をタダで貰っていると聞いて少し徒労のようなものも感じるが、それよりも気になる。オレは一応、須藤に尋ねてみることにした。

 

「須藤。その先輩は3年の先輩か? それとも2年か?」

 

「あ? いや3年の先輩だよ。3年のDクラスつってたぜ。それがどうかしたか?」

 

「いや……優しい先輩がいてよかったと思っただけだ。それより、その過去問はいつ送って貰えるんだ?」

 

「ああ。それがよ……その先輩は持ってないらしくて今持ってる先輩に交渉して譲って貰おうとしてるらしい。テスト前日に送ってくれるって話だ」

 

 須藤のその言葉に池達が文句を垂れる。

 

「はぁ? それじゃあ前日まで分からねぇじゃねぇか」

 

「もっと早く手に入ったりしないのかよ」

 

「仕方ねぇだろ! 前日の方がいいって先輩も言ってたし、早く手に入っても渡すつもりはないって言ってたぜ」

 

「その先輩が正しいわ。過去問を早期に手に入れてしまったらそれに頼ってしまって勉強が疎かになる。……出来ればその報告も前日にしてほしかったところね」

 

「っ! それは……でもよ、過去問があればクラスの連中だって助かるだろ? 一応伝えといたほうがいいと思ってよ」

 

 それは須藤なりの思いやりだったのだろう。ここまでクラスから浮き気味だった須藤の、この勉強会を通じて見えたちょっとした成長。

 それを堀北も分かっているのだろう。ひとつ、ため息をついた上ですぐに意識を切り替えた。

 

「……いいわ。今はとにかく勉強に集中して。過去問があるからと勉強を疎かにしたらこの先、きっと苦労する。今後の試験でも同じやり方が通用するとは限らないのだし、基礎学力を上げることに越したことはないわ」

 

「え~マジかよ~」

 

「そりゃそうだけどさ……」

 

 堀北は池達の気持ちを引き締めさせようと言葉を選んで勉強を続けるように言うが、少なからず池と山内のモチベーションは低下したようだ。オレはすかさず口を開く。

 

「過去問が貰えるのはテスト前日なんだろ? なら全部暗記出来るとは限らないし、オレは頑張らせてもらうよ。櫛田と絶対にデートしたいしな」

 

「そうだった! おい待てよ! 櫛田ちゃんとは俺がデートするんだからな! 俺もやるに決まってんだろ!」

 

「いや俺だ! 俺も頑張って良い点取るからな! 俺の頑張りを見ててくれよ櫛田ちゃん!」

 

「そ、そうだね……1番点数高かった人とデートするって約束しちゃったし、が、頑張ってね!」

 

 櫛田桔梗とデートする権利を争奪していることを思い出し、モチベーションを上げる池達。これでテストまでの残り数日は保てばいいが。

 再び勉強する流れへ戻ったところで、堀北が須藤とこの場の面子に言い含める。

 

「それと、このことはクラスの皆には内緒にしておくように。須藤くん、もし過去問が早めに送られてきても逸って口にしたら駄目よ。必ず私に相談して」

 

「お、おう。わかった」

 

「過去問は前日にクラスに共有しましょう。それでいいわね?」

 

 堀北が最後にまとめるように問いかけ、須藤はそれに頷く。テストを数日後に控えて思わぬ拾い物をした形だ。それが吉と出るか凶と出るかは結果が出てみるまで分からないが、大きな懸念はないだろう。後はこのまま、何事もなく当日を迎えてくれることを祈るのみだ。

 

 

 

 

 

 テスト前日。

 その日の須藤は朝からそわそわしていた。

 

「……須藤くん。少しは落ち着いたら?」

 

「分かってるけどよ……クソ。どうにも焦っちまうぜ」

 

 昼休みの勉強会でも集中力が途切れ気味だった。過去問を早く暗記したいのだろう。来ると分かっているからこそそれに期待して焦っている。堀北の鞭と櫛田の飴でモチベーションの維持に努力したが、ここまでか。むしろよく保った方だと言える。これなら大丈夫か。

 

 ──そしてその日の5限目と6限目の休み時間。

 

「──! 来た!」

 

 遂に須藤が待ち望んでいたものがやって来た。須藤は携帯の画面を確認し、それが望んだものであると分かったのだろう。表情を露骨に変化させた。そして自ら立ち上がって堀北の元へ。

 オレや櫛田もそれを見て近寄っていく。

 

「来たぞ!」

 

「遅かったわね。それで、現物は?」

 

 その言い方だとなんか危ない取引みたいだぞ、とは言わなかった。堀北の催促に、須藤は喜びを隠さず答える。

 

「ああ。俺の寮の部屋に届けてくれたらしい」

 

「寮の部屋? それはなぜかしら。その先輩、登校していないの?」

 

「いや、なんか午前中に体調が悪くなったらしくて早退したみたいでよ。だから焦ってたんだが……部屋に帰る前に俺の部屋に寄って送ってくれるってよ。それに一応写真でも来てるぜ。ほら」

 

 オレ達は並んで須藤が差し出してきた携帯の画面を確認する。確かにそこには、過去問の写真が写されていた。オレは念のため、それを目で追って確認していく。確かに、オレ達が手に入れたものと同じ過去問だ。

 やはりオレが感じた僅かな違和感は杞憂に過ぎなかったのだろう。ここまでおかしなことは起こっていない。須藤の言うその先輩もただの親切な先輩にしか見えない。

 堀北もその過去問を見て頷くが、だがそこで冷静に告げる。

 

「でもこれじゃコピーしてすぐに配るには間に合わないわね。放課後にコピーするにしても遅い時間になるわ。クラスメイト1人1人に配りに行くことになる」

 

「! それは……」

 

「えっ!?」

 

「それじゃあ見れないのかよ過去問!」

 

 いつの間にか話に加わっていた池と山内がその言葉に絶望する。須藤も悔しそうにしていた。

 その様子を見てオレは櫛田にアイコンタクトを送る。櫛田も既に察していたようで、そこでタイミングよく声を上げた。

 

「その……実は私も貰ってきたの。過去問。昨日の夜に先輩から。それで今朝のうちにコピーしてきたんだ」

 

「え?」

 

「ま、マジかよ櫛田ちゃん!」

 

「うん! だから放課後に皆に配るね!」

 

 池や山内には櫛田が天使に見えていることだろう。いや、元からか。本性は悪魔だけどな。

 

「須藤くん、ごめんね。せっかく過去問手に入れてきてくれたのに。あ、そうだ。私が手に入れてきた過去問も須藤くんが手に入れてきたことにしよっか? それならいいかも!」

 

 そして櫛田は須藤へのフォローも欠かさず行う。結果的に手柄を横取りしたような形だからな。もしかしたら須藤も不満かもしれない。

 だが意外にも須藤は怒らなかった。

 

「……いや、仕方ねぇ。別に構わねぇよ。それよりも俺は今のうちに暗記に集中するぜ」

 

「須藤くん……ありがとねっ。……でも──」

 

 須藤の意外な頑張りと健気さに、櫛田はお礼を言う。だがそこで櫛田がやんわりと注意しようとしたことを、堀北が被せるように口にした。

 

「授業はちゃんと聞いておきなさい須藤くん。それと、授業中の携帯の操作は禁止だと忘れたの?」

 

「ぐ……そうだった。しゃーねぇ。帰ってからにするか」

 

 堀北の注意も受け止めた。やはり成長が見られるのは間違いないな。

 須藤がそう口にしたところで、教師の入室によって授業が始まる──その後のことは、事前に打ち合わせした通り、櫛田が過去問を手に入れたことをクラスに説明してそのコピーを皆に配った。須藤も既に過去問を持っているが、皆の手前一応受け取っていた。受け取ると、すぐに鞄を持って教室を出ていく。

 そこで俺は慌てて声をかけた。さっきの休み時間では時間がなかったため言いそびれたことを言うために。

 

「もう帰るのか、須藤」

 

「ああ。さっさと暗記してぇからな」

 

「そうか……一応、櫛田から貰った過去問と先輩から貰った過去問を見比べておけよ。手違いで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「は? なんでだよ。意味わかんねぇし。さっき確認しただろうが」

 

「いや……だがもしかすることもある。一応確認しておいた方がいい。間違っていたら取り返しがつかないからな」

 

 俺はそこで言葉に迷う。懸念を口にすることは簡単だが、ここは教室の場で相手は須藤。出来れば目立ちたくない俺にとっては行動が制限されるフィールドだ。出来ればあまり迂闊なことは口にしたくないし、今注意したことだって自分の中ではアウトに近いものだ。

 それに俺にとってもこれは()()()()()()()()()()。答えが()()だとしたら、どうやったらそれを可能に出来るかの答えがまだ見つかっていない。検討がつかない。だからこそ俺は気づくのに遅れたし、これを極小の可能性だと思っている。杞憂の可能性の方が遥かに高い。

 だがそれでもだ。起こった時の莫大なリスクを思えば無視も出来ない。だから須藤に声をかけて注意を促そうとしている。

 

「あーもう、うるせぇな! わかったからもういいだろ! またな綾小路!」

 

「あ、須藤!」

 

 オレのしつこい注意が鬱陶しかったのだろう。俺から逃走するように帰る須藤。

 それをオレは大きめの声で呼びかけたが、須藤は走り去っていってしまう。全速力で追いかければ追いつくことは出来るだろうが、そこまでのリスクを背負ったところで須藤がオレの注意を聞き入れる可能性は低い。

 

「どうしたの? 綾小路くん」

 

「櫛田か……いや、そうだな。ちょっと待ってくれ」

 

 話しかけてきた櫛田に待つように頼みながらも、オレは須藤にチャットを送っておく。後で連絡もしてみるか。しつこい連絡は逆効果になる可能性もあるが致し方ない。

 あるいはこのチャットを須藤が見て確認してくれればいいが、どうなるかは分からない。あるいは杞憂であればいいと思う。オレは懸念を払拭するため、櫛田に向き直った。

 

「櫛田。頼みがある。ついてきてくれ」

 

「? 別にいいけど……何かな?」

 

「ここではちょっとな……それと悪いが早急に頼む」

 

「え、ええっ? えっと……うん、わかった。ちょっと待っててね」

 

 クラスメイトに別れの挨拶を告げ、鞄を取りにいった櫛田の背中を眺めながら思考を続ける。もしオレの懸念が当たっているとしたら──敵はかなりの力を持っていることになる。

 

 そうして急いで動き始めたが、その日須藤へ送ったチャットの既読がつくことはなかった。

 

 

 

 

 

 ──そして次の日。

 このDクラスの運命が決まる中間試験の日。

 オレは昨日確認したこともあり、疑念が強まっていた。未だ式は解明出来ていないし確証な何もない。櫛田に予め連絡し、須藤が来たら確認してほしいことがあると告げたが、もしもオレの懸念が当たっていてこの時点で須藤が気づいていないならほぼ手遅れに近い。

 が、待てども待てども須藤は来ない。

 櫛田がちらちらと教室の扉を確認する。そして、始業開始直前になってようやく須藤は登校してきた。

 

「ふわぁ……」

 

「あ、須藤くん! あのね──」

 

「──席につけ。須藤、ギリギリだぞ」

 

「うっせーな……ギリギリまで部屋で予習してたんだよ」

 

 ──が、無情にもそこで茶柱先生が、須藤の後ろからついてくるように入室してくる。櫛田の声はもう届かない。須藤は小声で注意してきた茶柱先生に悪態をついていたが眠そうだった。

 

「さて。欠席者は無し、ちゃんと全員揃っているようだな」

 

 茶柱先生が話始める。間に合わなかったか。

 だがオレの懸念が杞憂である可能性の方が高い。だからオレは不安を感じながらもその時を待った。

 そして遂にテストが開始される。

 問題を解くのを後回しにし、全ての問題を確認した。そこでようやく1つ安堵する。どうやら全てオレが手に入れた過去問と同じだ。

 やはり杞憂だったかもしれない。そこまで大掛かりなことが出来るかどうか疑問だったからだ。

 

 ──だがしかし……異変は最初のテストが終わった後に起こった。

 

「やべぇ! マジで過去問と同じだった!」

 

「これ楽勝じゃね?」

 

 池と山内がテストの結果に喜び肩を叩き合う。他のクラスメイトも殆どが同じ反応だ。

 だが……須藤は違った。

 

「おい須藤、どうだった? なーんて、余裕だったに決まってるよな!」

 

「……うそだろ……?」

 

「ん? どうしたんだ?」

 

 須藤が机で頭を抱えている。顔面蒼白。完全に血の気が引いている様子だった。

 

「……何かあったの?」

 

 見かねた堀北が声をかける。櫛田も声をかけようと思っていたのだろう。近寄ってきた。

 そして……そこでオレ達は、衝撃の事実を耳にした。

 

「過去問が……()()()()()()……」

 

「は?」

 

「──なんですって?」

 

 そこで掘北はようやく異変を察知する。視線が須藤の持つ過去問の問題集に向けられた。一言断ってから堀北はそれを開き、問題を流し見る。オレも横から覗くが──やはりか。

 

「何これ……問題の内容が全然違うじゃない……!?」

 

「嘘……!」

 

「お、おいおい……マジか?」

 

 まさか本当に、そこまで大掛かりなことを実行するとは。オレは驚愕する。可能性には気づけたが、どう実行するかという視点において見通しがつかなかったからこそ、オレはこの策が取られる可能性は低いと見ていた──まさか過去問を丸々別のものへすり替えるとは。

 

「っ……さっき受けたテストはどうしたの?」

 

「一応、分かるところは解いたし埋めた……けど正直自信ねぇ……つーか……クソ……! ふざけんな……! なんだってこんな……!」

 

「落ち着いて、須藤くん。今は嘆いている時間も怒っている時間もないわ。私の過去問を貸すからそれを見て。配点の高い問題を少しでも覚えて点数を稼ぐのよ」

 

「わかってんよ……クソっ、クソっ……! あの先輩……!」

 

 堀北が早急に対策を立てる。だが須藤の怒りと焦りは収まらない。

 何とか掘北から渡された正しい過去問を頭に入れようとするが、おそらく殆ど頭に入らないだろう。通常でも10分で問題を暗記するのは難しいのに今の須藤は冷静になれていない。あれでは精々数問が限度だろう。

 そしてそうやって焦っている間に次のテストが始まる──2つ目の教科、国語もまた過去問と同じ内容だった。

 だが須藤にとっては違う。先程須藤が必死に正しい過去問を暗記している間に確認したが、その内容は正しい過去問とは全て問題の内容が違っていた。

 強いて救いがあるとすれば答えは間違ったものじゃないし、テスト範囲も似たもの。少し外れているものもあるが、勉強していれば解けないレベルじゃない。テストの難易度自体は正しい過去問と同じくらいだ。今受けているテストの問題も、決して解けないレベルのものはない。

 だから須藤の基礎学力に期待するしかない。更に保険をかけながらも、保険を実らせるには須藤が頑張るしかない。

 そして3限目、4限目とテストが続く。それらもまた須藤が苦労していた。他のクラスメイトは正直楽勝だが、須藤の焦りと周りの雰囲気で異変を察知している。聞こえてきた会話はもう周知のもので、どこか不穏な空気が教室に流れていた。

 そして最後の5限目。そこでオレ達は再び、衝撃に襲われることになる。

 

「!?」

 

「え……?」

 

 それは誰が発した音か。あるいは、誰もが息を呑んだのか。静かなざわめきが教室に響き渡る。

 問題文を進めるにつれて徐々に広がるその異変の正体を、オレはすぐに確認して察知していた。正しい方の過去問も、完全に正しくはない。英語の1教科だけ、別の過去問にすり替わっている。

 しかもこれは須藤が持っていた英語の過去問とも違う。それが意味するところは、最低でも3種類の過去問が出回っているということ。

 何がどうなっているのか。きっとDクラスの生徒は全く理解出来ていないだろう。ただ静かに困惑し、そして何とか持ち直してテストに望む。それでも殆どの生徒は問題ないだろうが、赤点組の顔からはおそらく余裕の色が消えている。

 そしてオレも最後まで保険をかけながら、テストを終えた。そして、教師が去れば教室内が一気に騒がしくなる。

 

「おいおい! どうなってんだマジで!」

 

「英語の問題だけ違ってたぞ!?」

 

「どうなってんのよ……はぁ、マジ最悪」

 

「櫛田さん、あれって……」

 

「わ、私にもなんだか分からないよ……英語のテストだけたまたま違ってたか……先輩が間違えたのかな……?」

 

 特に騒がしいのは池や山内といった勉強会のメンバーで、他の生徒達もまた期待が外れたことでざわついていた。櫛田もまたやんわりと保身の言葉を口にする。そうせざるを得ない。

 

「綾小路くん……これって何が起こっているの……?」

 

「……さあ、な。分かることがあるとすれば……」

 

 動揺する堀北に、オレは言ってやる。ここまで来たら後は──神に祈るだけだと。

 

 

 

 

 

 テストから数日経ったその日は、試験結果発表の日だ。

 Dクラス担任である茶柱先生は、教室に入るなり緊張した面持ちの生徒達を見渡してふっと苦笑した。

 

「随分と表情が暗いな。まるでお通夜だ」

 

「……先生。今日は試験の結果発表の日ですよね? 結果は……どうでした?」

 

 そんな茶柱先生の軽口に、クラスを代表して平田が真剣に質問する。ここ数日、クラス内の雰囲気はお世辞にも良いとは言えなかった。

 殆どの生徒は問題ない。殆どの教科も。ただ赤点組。そして英語の問題が違っていたことの影響を考えると、どこか安心出来なかった。

 そんな生徒達の心中を知ってか知らずか、茶柱先生は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「ふっ、お前たちが不安を感じているのは分かっている。だが……正直、思ったよりは上出来だったぞ。殆どの教科で100点が多数。平均点も悪くない。だからそう怯える必要はない」

 

 と、茶柱先生は手元の大きな紙を広げて黒板に貼り出す。それを見て、確かに100点が幾つも並んでいることに殆どの生徒達は歓喜した。そして、殆どの生徒が安堵した。自分の名前を見て、不安なその教科も赤点ではないことを確認して。

 だが問題はその英語での赤点組の点数。そして、須藤の点数だ。

 

「この3週間でのお前たちの頑張りを認めよう。英語での平均点の低さに救われたな。他の教科のように平均点が高ければ……退学していたのは片手の指じゃ足りなかった」

 

 茶柱先生の語りは止まらない。それは称賛にも詰りにも聞こえるだろう。ある生徒はその賞賛を素直に受け取り、ある生徒はその言葉が死刑宣告の前口上だと理解している。

 

「だがそれでもどうしようもない。救えない者はいるものだ。それも社会では珍しいことじゃない。むしろ犠牲をこれほど抑えたことを誇るべきだぞ。ギリギリではあったが……案外、祈りもバカには出来ないものだ」

 

 茶柱先生が赤いペンを持ったまま、生徒の名前の上をなぞる。それがライン。救われる者と救われない者の境界線。

 それが遂に引かれる。

 

「まさか退学者がたった1名とはな……池や山内は救われたな。後、1点でも点を取っていなければ。後1点でも平均点が上なら、お前たちもまたこの線の下側だった」

 

 茶柱先生が赤い線を引く。その下にある、その名前は──

 

「──だが須藤。お前は赤点だ」

 

「っ……」

 

 ──須藤健。全ての教科で、赤点を取ってしまった救われぬ者。

 

 その足りない点数は全教科合わせて15点。……これでもよく健闘したと言うべきだろうな。3週間前のあの点数。そして過去問が全て間違っていたことを鑑みれば須藤の成長は確かだと分かる。

 

「……クソ……チクショウ……!」

 

 だがそれも無意味だ。

 赤点を取ってしまったものは退学。これがこの学校の揺るぎないルール。

 採点ミスや平均点の算出方法などで突破口を探すことも出来ない。平田や櫛田も黙っている。堀北も、自分の力が及ばなかったと悔しそうに歯噛みしている。

 そしてそれをオレは冷静に眺めていた。この状況を打破する方法は、とてもじゃないが存在しない。

 少なくともこの学校に入学したばかりの底辺であるオレ達Dクラスには不可能なことだ。

 

「須藤、放課後職員室に来い。以上だ」

 

「クソ……クソクソクソ! 俺は騙されたんだ! じゃなきゃあんな……!」

 

「須藤。悪いがお前の事情は考慮に値しない。お前が騙されたこと。仮にそれが真実だとしてもそれを示す証拠もなければそれが試験における不正行為に抵触していることもない。仮にあったとしても当然その証拠も存在しない。……わかったか? 間違ってもその相手に報復しようなどと思うなよ? 話は以上だ」

 

「っ……ク、ソ……」

 

 どうやら茶柱先生は須藤の事情をある程度は理解しているらしい。そうでなければそんな言葉は出て来ない。須藤にとって納得がいかないことでも学校の定めたルールに則っているなら何も問題にはならない。それを、オレ自身も再度理解した。

 だからオレも教室を出ていく。教室で須藤を慰めようとする中、誰かに名前を呼ばれるもそれを無視して茶柱先生を追いかける。そうして辿り着いたのは屋上。そこに、茶柱先生はいた。

 

「何の用だ、綾小路」

 

「先生に聞きたいことがあって来ました」

 

「須藤のことなら無駄だ。あいつを救う術はもはや存在しない」

 

 先生はオレの機先を制するようにそう核心を突いてきた。オレは少なからず驚く。

 

「先生はオレの考えていることがわかるんですか?」

 

「ふん、何でもお見通しだ──と、言いたいところだがな。生憎と私も人間だ。相手が高校入りたての子供とはいえ考えていることを全て見抜ける訳ではない。お前のような生徒なら尚更な」

 

「先生にも見抜けないことがあったと?」

 

「……さて、な。見抜く見抜けないはともかく、私の想像の上を行く生徒なら今までに何名か見てきたぞ。お前もその1人だ。綾小路」

 

 つまりそれは同意しているのと同じことだ。

 茶柱先生はDクラスの生徒に対して協力的ではない。テストの範囲が変更されたことを生徒に意図的に伝え忘れるほどだ。自分の担当する生徒に協力してやろうという気は更々ないのだろう。そのことを指摘しようと思っていたが、先程の茶柱先生の言を聞く限りその線は見込みが薄そうだ。時間の無駄と切り捨て話を先に進める。

 

「先生は過去問のすり替えがあったことに気づいていたんですか?」

 

「気づいていようがいまいがそれは問題にならない。過去問の入手はこの試験の正解の1つだが唯一の正解という訳でもない。過去問がなくともあの程度のテストで赤点を取るような生徒は多くはないし、過去問が役に立たずとも試験をクリアすることは難しくない」

 

「他のクラスの妨害があったんですね?」

 

()()()。そしてそれを、学校側は問題としていない。試験毎に定められたルールやそもそもの社会常識、法律などの国民の守るべきルール。それらに抵触していなければ妨害も認められる。いや……仮に抵触していても証拠がなければ罰することはない」

 

 そこでようやく茶柱先生ははっきりと肯定した。そして、それがあったところで何も問題ないと告げる。

 

「いい加減ですね。問題行動があっても証拠がなければ罰しないなんて」

 

「だがそれが社会だ。証拠がなければ例え犯罪を犯していたとしても罪に問われることはない。犯罪にはならない。もっとも、今回の件はそこまで大げさなことではないがな」

 

「なるほど。確かにそうかもしれませんね」

 

 オレもこの件がそこまで大げさなものだとは思っていない。

 だが……それでもかなり規模が大きいことは確かだ。そのことも気になるが、オレの目的はここで社会談義をすることではない。オレはポケットから携帯を取り出す。

 

「……何のつもりだ?」

 

「須藤のテストの点数を売ってください」

 

「……くく、ははは……なるほど。点数を売ってくれ、か。面白いことを言うな、綾小路」

 

「この学校の中で買えないものはない。入学式の日に先生が言ったことです。まさかこれも嘘だったんですか?」

 

「嘘をついたつもりはないがな。なるほど。そういう考え方も出来るし可能か不可能かで言えば……確かに、不可能ではない。だが、お前は1つ失念しているぞ綾小路」

 

「何をです?」

 

 オレは答えを予想しながらも問い返す。先生は愉快そうにその答えを教えてくれた。

 

「1点の価値だ。私は今まで点数を売ったことは一度もないが、たったの数百、数千というポイントで代えられるものではないことは教師として理解している。それでは試験が成り立たなくなるからな」

 

「幾らなんですか?」

 

「お前にしては察しが悪いな綾小路。──お前では買えないと言っている。仮に……そうだな。1点の価値を10万ポイントとしようか。お前は幾ら持っている? 須藤の赤点を回避するためには15点分。つまり150万ポイントものポイントがいる。それほどのポイントをお前は持っているのか? あるいはDクラスの生徒全員のポイントを集めても届かない額をお前が払える道理はないだろう」

 

 先生は至極当然のことを言う。確かに、オレが入学時点から全くポイントを使っていないとしても払えるのは上限10万ポイント。5月にポイントを貰えていないから当然だ。

 そしてDクラスの生徒に協力を頼んでも難しい。4月で殆どの生徒はポイントを限りなく使い込んでしまっていて殆ど残っていないというのが現状だろう。かき集めても半分の75万にも届くかどうか。そもそもそんな大金を須藤1人のために払える訳がない。

 

「だから諦めろ、綾小路。お前のその非凡な発想は買っている。今回の試験では一杯食わされたようだがそれでも退学は須藤1人だけ。被害は最小限だった。お前達は運がいい。これならまだ挽回は可能かもしれないぞ?」

 

 だから無駄な足掻きだと茶柱先生は言う。

 その言葉は先生には珍しく、褒めているし慰めのようにも聞こえた。須藤を切り捨てて前へ進め──そんな裏の意味が聞こえてくるかのように。

 だが生憎と、まだ諦めるつもりはない。

 

「そうですか。確かに、150万ポイントは少し厳しいですね」

 

「そうだろう。ならさっさと諦めろ」

 

「でも()()()()()()()()()()()()()()……どうにか()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………何だと?」

 

 オレがなんてことのないようにそう言えば茶柱先生の口から笑みが消える。続けて携帯を操作して画面を映し出せば先生の予想を超えたのが手に取るように分かった。携帯の画面そこに書かれている数値は105万ポイント。

 

「お前……」

 

「どうでしょうか?」

 

 オレは再度その相談を口にしながらも、それでも拭いきれない分の悪さを感じ取っていた。

 




今回は綾小路視点でした。思ったより長くなったので分割して次話で1巻分を締めます。

感想、評価、よろしくお願いします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。