──坂柳有栖にとって、今までの日常は退屈なものだった。
高度育成高等学校は父が理事長を務める学校である。現在は不正疑惑で一時的に理事長代理として月城が務めているが、それ以前の話をすれば彼女の祖父が理事長を務めていた。
そんな家族で関わっていた学園ではあるが、入学しても退屈さは変わらない。
この学園には中々優秀な、あるいは光るところがある生徒が全国から集まってきているが、それも坂柳にとっては精々が秀才の集まり。
本物の天才である自分とは一線を画すものだと自負していた。
Cクラスの龍園翔。Bクラスの南雲麗。両名は多少の遊び相手は務まるとは入学当初から考えていたが、それでも退屈凌ぎ程度にしかならないと坂柳は評価していた。
ただそれも学校生活を過ごす中で、特に南雲麗の方は評価を少し上げていたが──それでも坂柳にとって真に渇望するのはただ1人。
綾小路清隆。
幼少期に見たあの特殊な環境。ホワイトルーム。
その最高傑作と言われる人工的に作られた天才。
彼を壊すことが私の使命。
そう決定し、これまで動いてきた。
……だが運命の悪戯と彼女自身の失策によってそれが少し遠のいていることは坂柳自身もまた自覚していた。
年度末に行われたクラス内投票。そして学年末試験の対戦相手を決めるくじ分けによって坂柳は綾小路と戦う機会を損失した。
無論、2年生に上がってもその機会は作れる。
月城が理事長代理になり、綾小路を狙っているという事情を知っているため、どうにか月城を排除できないか。
あるいはその影響を受けずに綾小路と邪魔が入らない状態で戦えないか。
坂柳が第一に考えるのがそれであり、クラス同士の闘争に関しては次点。
綾小路との戦いにも影響するためクラスの統率や競争を完全に考えないわけにもいかないが、その先に見据えているのはやはり綾小路だ。
そして今回の無人島での特別試験。坂柳は凋落したCクラスにポイントを与えるために自分と他に神室真澄をグループに入れ、そして裏切り者の橋本正義を除いた中で比較的優秀な真田康生との3人グループを組んだ。
その上で試験が始まってからグループ人数の最大化の課題を3位で取り、単独で予め動かしていた鬼頭隼を加えた4人グループを結成。
7日目を終えた現在の得点は135点で5位。
首位である南雲麗とは得点に差があるが、まだ十分に上位を狙える順位につけていた。
「今のところは及第点、といったところでしょうか」
坂柳はスタート地点であるD8。そこのテントの中で雨風を防ぎながらトランシーバーで同じグループの手駒に連絡を入れる。
半リタイアという形でこの試験に参加している坂柳はスタート地点から同じグループの仲間に指示を出し、課題があればそこから参加することが認められている。
もっとも受けることが出来るのは学力系かクイズのようなスタート地点からリモートで参加するものに限られるが、それでもここまで得点を稼ぐにあたって坂柳の力は確かなものだった。
「でも大丈夫なの? 1位の南雲のグループはもう200点を超えてるし。追いつけるの?」
「どうでしょう。正攻法だけなら確かに難しいかもしれませんが……南雲さんのお兄さん。生徒会長が行うように邪道を以ってすれば対抗は可能です」
坂柳はCクラスの生徒を用いた情報収集やGPSサーチで南雲雅が3年生がフリーグループを使って妨害行動を行っていることを把握している。
その他にも1年生や橋本正義が不穏な動きを行っていることもある程度は掴んでいるが、そちらについてはまだ捨て置いても構わない。
「それは……南雲さんのグループに対して、こちらからも妨害行動を行うということですか?」
トランシーバーから聞こえる声に穏やかな男性のものが交じる。それは同グループの真田康生のもの。Cクラスの生徒の中で学力が高く思慮深い生徒として今回、側近として動かすことを決めた生徒だ。
そして選ばれたからには全力でクラスのために動くつもりなのだろう。積極的な発言を受け、坂柳は微笑む。
「そうですね。南雲さんのグループはDクラスの堀北さん、須藤くんも含めた7人グループ。一之瀬さんに神崎くんもいますし、総合的な戦力は高い。強引な手を使うことも出来ないことはありませんが……こちらも相応に駒を動かす必要がありますね」
「鬼頭や他の生徒も使うつもり?」
神室からの質問に坂柳は僅かに思考する。確かに同じグループに加えた鬼頭は身体能力も高く、相応の強さを誇るが……坂柳は南雲麗もある程度腕は立つと見ている。
昨年からトレーニングを行い、身体能力をかなり上げている神崎や学年トップクラスの身体能力を持つ須藤や柴田。堀北も同様に女子としてかなりの腕前を持つだろう。
鬼頭1人じゃさすがに戦いにはならない。他の生徒を動かしても……強引な手を使うには少し具合が悪いだろう。
それでも南雲雅のように学年全体を動かすようなことができればそういう手も取れるが、坂柳が動かせるのは精々5グループほど。
下位グループ5位までに入らないように保険をかけるには5グループが限界。南雲雅もフリーで使っているのは同数の5グループだ。ただ妹に対抗するために他の3年生ですら使っているようだが……優先順位が違うのだからそういうこともあるだろうと坂柳は多少の理解を示す。
坂柳にとって綾小路が特別であるように、南雲雅にとって実の妹で自身を超える実力を持つであろう南雲麗は特別だろうから。
そして坂柳にとってもクラス同士の競争において南雲麗は無視できない相手だが……やはりつい考えてしまうのは綾小路のことだ。
「どうせなら綾小路くんを使ってみる、というのも面白そうですが……」
「はぁ? 綾小路? なんであいつの名前が出てくんのよ」
「綾小路……というのは確かDクラスの生徒でしたか。一学期の試験で数学で満点を取ってみせた」
綾小路の名前を出してみても神室も真田もピンとはこない。真田からすれば綾小路は数学で満点を取った話題の生徒だがそれでも印象は薄い。神室は一応、坂柳が目にかけていることは知ってはいるがここで綾小路を出すことの意味が理解できない。話を聞いている鬼頭は無言を貫いているため何を考えているか窺い知れないが神室と似たような思いだろうと坂柳は推測する。
その評価の乖離が面白く、同時に好ましく坂柳は思う。そして綾小路の名前を出した理由を口にした。
「単独のグループかつ麗さんに3年生や1年生も注目している生徒である綾小路くんを使えば妨害もより効果的になるかと思いまして」
「……南雲は何となく分かるけど3年生に1年生も? どういうこと?」
「1年生は分かりませんが3年生の方は南雲生徒会長が目を付けているようですね」
南雲雅が綾小路を気にしていることは坂柳も早い段階から知っている。だが1年生が妙に綾小路の周りで妙な動きをしていること。それは坂柳も薄々察知しながらもその理由を測りかねていた。入学したばかりの1年生が何故綾小路を気にしているのか。綾小路の方が何かを行ったのか。2年や3年の誰かの指示か。それとも……。
坂柳は一瞬で幾つもの可能性を思考する。そして答えまでは分からずとも利用できることは理解する。これだけ注目されている綾小路を使えば、この試験に混沌を巻き起こすことができると。
ただそれに際し、綾小路からのアクションが起こることも考えられるが……それもまた坂柳にとっては楽しみだ。綾小路との勝負がお預けになったことで焦れったさを感じている。
この試験が始まってからも少なからずアクションを起こしているが今のところ反応はない。彼の反応を確かめるためにも綾小路を関わらせるのは面白いと坂柳は考えていた。
「綾小路くんなら良い撒き餌になってくれるやもしれません」
「……よく分からないけど……あんた、前々から思ってたけど綾小路にこだわりすぎじゃない?」
と、綾小路のことを考えていたからだろうか。神室からそう指摘されたことで坂柳は珍しさを覚える。
神室がある程度反抗したり、意見を口にしたり、疑問を呈することは珍しいことじゃない。
だが妙に気になってしまった。考えた末に、坂柳はそれを肯定することにした。
「否定は出来ませんね。綾小路くんは私にとって特別な存在ですから」
「別に綾小路のことをどう思ってようがどうだっていい。ただ敢えて綾小路を使う意味って何かあるわけ?」
坂柳はそこまで聞いて、神室の言いたいことを汲み取る。そして微笑み、代わりにはっきりと言語化することにした。
「私が綾小路くんのことにかまけて、クラスをないがしろにしているのではないか……と。真澄さんはつまりそう言いたいのですね?」
「そこまでは言ってない」
あえて言いにくいことを口にすれば、間髪入れずに神室から反応がくる。トランシーバー越しなので表情の変化は窺えないが……少なくとも質問したように素直な疑念を感じているだろうと坂柳は見た。
だがそれも無理もないと判断する。去年から自分は綾小路のことを優先し、彼との裏取引を行ったり協力したりと綾小路に関係する行動を多く取ってきた。現在、クラスがCクラスまで凋落したことを思えば判断に私情が混じっていると考えても致し方ない。
それに私情が混じっているというのも正解だ。坂柳は綾小路と戦うためにクラスを使っている。それは間違いないし坂柳自身も自覚している。
ただ今回の試験に関して言えば綾小路が使えるというのは間違いではなかった。事実、説明したように多くの生徒が注目している。
坂柳はくすりと微笑んだ。
「先程も言いましたが綾小路くんは撒き餌です。彼が動くだけでこの無人島にいる多くの生徒が反応する。これを利用しない手はありません」
「そう。ならいいけど……じゃあ橋本のことは?」
「橋本くんがどうかしましたか?」
「はぁ? どうかしましたかって……あんた、あいつに何もしないの? 試験の前はあんなにグループを組むのを妨害させてたのに」
綾小路を使う理由に納得したところで神室は橋本の話題を出す。
だが坂柳はそれを聞いて思い返す。確かに橋本は学年末試験でクラスを裏切った不届き者。ただで済ます気はないし、今回の無人島特別試験では噂を流したり、グループを組ませないようにして彼を単独に追い込んだ。
ただ少なくともまだ橋本のことは泳がせる気でいた。それを坂柳はある程度説明する。
「単独である彼をリタイアに追い込み退学させる。そういった手をご所望ですか?」
「ご所望ってかあいつもまだ何か企んでるみたいだし。放置したらまたクラスの邪魔もするしAクラスに移動しちゃうんじゃないの」
「移動したらそれはそれで利用できることもありますし問題ありませんよ」
もちろん、坂柳は裏切った橋本に対して何かしらの制裁を加えるつもりではある。そこには退学も当然含まれていた。
だが、口にはしなかったが2000万を使って橋本という不良品を引き取ってくれると考えれば橋本を少し生かすのも悪い手じゃない。
自クラスにそのまま置くよりは相手のクラスに爆弾を送り込むことができる。橋本の性根を理解していれば彼を使ってAクラスの足を引っ張らせることもできるだろう。
つまり退学か。生存させて自覚のないトロイの木馬とするか。坂柳が現在、橋本に対して考える手はその2つだ。
──ただ彼も1年生と組んで何かをしようとしているようですが。
坂柳は橋本の動きを察知して目をすっと細める。山村からの報告からそのことは掴んでいた。
ゆえにまずは綾小路の動きを観察する。向こうがこちらを避けていることも含めて綾小路が何をするのか──坂柳はそれを思い、期待感で胸を膨らませた。
橋本正義はただ1人、無人島で行動を起こしていた。
いや、正確に言えば試験前から──彼は行動を起こさざるを得なかった。
学年末試験でクラスを裏切り、今のクラスをCクラスに落とした戦犯とも言える橋本は自らの罪を理解しながらも自身が生き残るために最適な判断をしたと正当化を行う。
だが当然だがそれは橋本の都合であり、裏切られた坂柳や他のクラスメイトが許すはずはない。
ゆえに2年生に進級してから彼はクラス内で針の筵になった。露骨な嫌がらせやいじめのようなことが行われるわけではないが、クラスメイトの視線は彼を責めていたし、クラス外においても噂を流され、結果橋本に近づこうとする生徒はいない。
無人島特別試験が学校側から通達されてグループを組むことを推奨されても、彼はグループを組むことはできなかった。クラスメイトはグループを組んではくれない。龍園率いるBクラスも同じ。橋本の状況を知ってか取り付く島もなかった。
頼みの綱のDクラスはAクラスと組んだことでやはり組んでくれる人はいなかったし綾小路からもすげなく断られた。
そして単独で試験に挑むことになった橋本だが──橋本を裏切らせた張本人である南雲からこの試験直前に正式に『無人島試験を単独で生き残り、二学期まで学校に居続けること』というAクラスに引き抜くための条件を出されていた。
つまり後から他のグループと合流することなく、リタイアもせず、ボーダーの下位5名に入らない。南雲から与えられた新たな報酬と制限を橋本は科せられた。
ただその報酬は橋本にとって一見して美味しい話だ。他のクラスと比べてポイントで圧倒的にリードするAクラスに引き抜かれる。A以外の多くの生徒が望む最高の待遇だ。
だが橋本は南雲の異常性をその身で味わっている。あの南雲がそんな条件をあえて出す理由。こちらの内面を見透かした上で告げたその条件を、橋本はあまり信用していない。クラスに引き抜いた上で使い潰される可能性も考えた。そもそも裏切らせた時点でAクラスを約束されなかった時点でそう考えてしまうのも仕方ないだろう。
ただそれでもAクラスに引き抜かれるしかない。坂柳のクラスに居続ければどちらにせよ破滅。もはや橋本に道は残されていない。
そして何よりも橋本は坂柳の報復や南雲の与える試練を恐れていた。
坂柳は橋本を退学させるために何らかの策略を裏で動かしているかもしれない。
南雲は橋本に試練を与えるために何らかの謀略を仕掛けているかもしれない。
いや、そうに違いない。
橋本は自らが生き残るために慎重な立ち回りを求められた。万が一にも下位5グループに入るわけにはいかないし、リタイアしてしまうわけにもいかない。
それを防ぐには他のグループと途中で合流するのが手っ取り早いがそれは望めない。そうなると地道に得点を稼ぐしかないが、単独でグループの合流ができないとなると下位5グループを避けられるとは限らない。確実に生き残るためにはもう少し積極的に動く必要がある。
「よう。どうだ? そっちの調子は?」
橋本は単独で使える少ないポイントでトランシーバーを最初から購入し、それを使ってある人物に連絡を入れた。2年の誰とも協調できない橋本が連絡を入れたその相手は必然的に限られてくる。
『……橋本先輩。あまりこっちの様子を探るな……探らないでもらいたい。先輩はあくまでこちらに雇われている外様です』
その声の持ち主は1年Cクラスの宇都宮だった。トランシーバーの向こう。橋本が近づいたのは1年生だった。
「分かってるが一応は協力者なんだ。少しくらい仲良くお喋りしたっていいだろ? 円滑にコミュニケーションを取ってこそ協調も上手くいくってもんだ」
『……協力してくれるのはありがたいですが先輩は2年生です。こちらの情報を漏らしたり、土壇場で裏切る可能性も十分にある。だから必要な報告だけお願いします』
1年Cクラスのリーダー格として目立っている宇都宮だが、今回の試験で1年生は全クラスで組んで動いている。それに加えて宇都宮はブレーンではないと橋本は見ていた。何度かのやり取りでそれは何となく察している。
だけどそれでも他の1年生の中心人物と中々やり取りができないのは宇都宮が言うようにそれだけ信用がないということだろう。
これから陥れようとしている2年生。しかも噂は1年の耳にも届いている。クラスを裏切ったという噂を持ち、実際にこうして1年生に協力しようとしてくる橋本をそう簡単に信用できはしない。
事情を分かっていてもそれが作り話の可能性もある。だから利用するだけさせてもらうため、1年生から橋本は2年生の主立ったグループに単独グループの動向。上位10グループ以外の得点状況。GPSサーチだけでは分からない部分や逆にGPSサーチを頻繁に使わなければならない場合にその役目を買って出たり、連絡役だったりと使いっ走りのようなことばかり押し付けられていた。
だが橋本はそれでも構わなかった。駒として使われるのは慣れている。大事なのは使いっぱしりだとしても利用価値を示して繋がりを保っておくこと。
それに1年生が生き残ろうと戦略を成功させれば、それだけで橋本もほぼ確実に生き残ることはできる。
そのためならパシリでも何でもやる。下級生に顎で使われても傷つくようなプライドはないし、あっても自分のためなら我慢できる。
それが橋本正義の生き方だった。ゆえに橋本は作戦に重要な情報を少しでも宇都宮に伝える。
「まず1つ朗報だ。2年Dクラスの池、篠原。2年Aクラス姫野のグループの内、池と姫野がリタイアした。事故か何かで怪我をしたらしい。だから今、篠原は単独。合流さえ防げば下位に沈む可能性は高いぜ」
橋本はまずここ数日で起きた変化。調べることができた情報を幾つか提供する。
6日目からGPSサーチができるようになったとはいえ、生徒全ての位置や情報を調べるのは難しい。誰か1人がリタイアしたところですぐには分からないだろう。だからまず橋本はそれを伝えた。
『それはこちらも知っている』
「なんだ、そっちも知ってたか。じゃあ2年Dクラスの本堂、宮本、外村のグループのことはどうだ? 現時点で下位10グループに名を連ねちゃいないがそのギリギリにはいるぜ。少しでもペースを落とせば危険域だ」
『それは知りませんでしたがどうやってその情報を? それは確かですか』
「普通に喋って偶然タブレットを見ただけだ。得点も確認してる。まず間違いないぜ」
橋本は今回の無人島の試験で細かに得点を稼ぎながら、下位に沈む可能性のあるグループを事前にリサーチしていた。橋本は1年間、坂柳の下で戦いながら各クラスの生徒の情報を仕入れてきた。その積み重ねがあり、2年生の生徒のことはそれなりに詳しい。その上でOAAを見ればある程度の推測はできた。たとえば今あげたDクラスの本堂、宮本、外村はOAA上での能力も低い、オタク趣味が共通点の3人組。須藤や池、退学した山内らと仲が良かったが須藤や池が別グループで組んでしまい、女子ウケもあまり良くない3人で組んだあぶれ者のグループだろう。
もっとも後で他のグループとの合流を戦略として堀北が考えていてもおかしくはないしむしろ当然だが、それでも現時点では順位は下の方。午後5時を過ぎてキャンプを張ろうとしていたところに偶然を装って話しかけ、オタク談義に付き合ってから多少心を開かせた。それから隙を見てタブレットを盗み見ている。
『……よくそこまで出来ましたね』
「毎回こう上手くいくもんじゃないけどな。他にも下位10グループじゃないが怪しいグループを幾つか教えとくぜ」
宇都宮は感心、ではなくよく2年生を躊躇なく売れるな。タブレットを盗み見るまでの行為を行えたな、という若干の嫌悪感を混じえた評価を行ったが、橋本にもそれは伝わっている。だがそれをあえて皮肉とは受け止めずに笑って話を進めた。
橋本は下位10グループに沈む可能性の高いグループを幾つか宇都宮に伝え、同時に単独で動いている生徒のことも宇都宮に伝えた。
GPSサーチだけでは分からない生きた情報。その中で最も重要な相手のことを橋本は思い出しながら伝える。
「それと綾小路だ。あいつが1年Dクラスの七瀬ちゃんと一緒に行動してたのはそっちも掴んでるだろうがとんでもないことが起きたぜ」
『とんでもないこと……ですか?』
「殴りかかったんだよ、七瀬ちゃんが綾小路に」
橋本は思い返し、高揚しそうになる気持ちを抑えながらそれを伝える。
そもそもどうしてそれを目撃したのか。それは単純で1年生側から綾小路に関する情報を求められたため、綾小路を尾行していたからだ。
6日目の午後に接近し、7日目から尾行を開始した。一応腕時計を壊してからGPSサーチで探られないようにした上での追跡だ。
ただすぐに成果が出るとは思っておらず、一先ずは綾小路の様子を確かめるついでの接近だったのだが……そうして追いかけている内に七瀬が綾小路に仕掛けた。
その動きは女子とは思えないほど洗練されており、橋本はその動きに純粋に驚いた。仮に自分があの場にいれば叩きのめされていたかもしれない。
だがそれ以上に驚いたのは綾小路の方だ。綾小路は七瀬の動きを完全に見切り、一切反撃することなく猛攻を凌いでいた。
やがて七瀬が諦め、何やら綾小路が七瀬に手を差し伸べていた。おそらく和解か懐柔か脅しか。さすがにどういうやり取りをしていたかは距離があったため分からないが、一先ず決着。その後に今度は1年Aクラスの天沢が現れてまた幾つかやり取りを、途中綾小路と天沢が2人で会話するようなこともあったが、特に殴り合いになったりするようなこともなく綾小路と七瀬はまた幾つかやり取りを行った後、強くなった雨を防ぐために急いでその場にテントを張る。
それが橋本の見た一部始終だ。それを見た時、橋本は驚きつつも興奮した。綾小路には何かあると睨んでいたし、坂柳からも評価されていた。その理由の一端を目撃したからだ。
そして今、8日目になって橋本はそのことを宇都宮に伝える。自身が生き残るためにこの情報は有用と考えたからだ。
『……なるほど。七瀬の強さはかなりのものでしかし綾小路はそれを難なく凌ぎ、それが終わった後は天沢と七瀬がひとしきり口で揉めた後、七瀬が離れて綾小路と天沢が2人で何かやり取りをしていた……か。確かにそれは……』
「良い情報だろ? 綾小路も七瀬もそこまで強いなんておまえ達も知らなかったんじゃないか?」
確かに、と宇都宮は言葉にせず頷く。綾小路に関しては2000万の試験の標的ともあって何かある。只者ではないと感じていたし、その可能性も考えていたが七瀬に関しては完全に寝耳に水だった。
実際に目撃したわけではなく橋本からの又聞きであるため正確な強さは推し量れないが……こうなってくるともう少し高く見積もった方がいいかもしれない。
ただそれでも宇都宮は綾小路に負けるとは考えてはいなかったが、それでも警戒は強める。やはり他の1年生には任せてはおけないだろうと……。
『ちょっといい? 宇都宮くん』
『……! いや、今は……』
『大丈夫だから。橋本先輩にかわって』
そこまで宇都宮が考え、橋本もその情報を宇都宮がどう捉えるのか反応を待っていた時、トランシーバーから別の声が聞こえてくる。女子の声だった。それを耳にして橋本は訝しみながらもすぐに察する。今の話を聞いていて、宇都宮の背後にいる相手が出てきたのだと。
やがてトランシーバーからしばらく音が消え、ややあって送信がオンになったのだろう。その女子の声が橋本のトランシーバーに届いてきた。
『もしもし橋本先輩?』
「えーと……どちらさんだ?」
『1年Cクラスの椿桜子。悪いけど今の話を聞かせてもらって幾つか確認したいことがあるから聞いてもいいですか?』
椿桜子、と聞いてすぐに名前と顔が一致しなかったのは仕方ないだろう。1年生とのやり取りは殆ど宇都宮を通じて行っていたし、椿桜子は目立った生徒じゃない。少なくとも多くの生徒にとっては単なる一般生徒とまだ認識されていたからだ。
だが相手のことを詳しく知らないことは橋本にとって問題じゃない。これから知っていけばいいことだし、重要なのはブレーンが出てきてくれたことだ。1年生の間で頼りにされる実力者であればそんな相手と繋がりを持つことは悪いことじゃない。この無人島試験だけでなく、橋本は先も見ていた。Aクラスに上がった後も自らの有能さを示すために情報は幾らあってもいい。
「椿ちゃんか。よろしくな。もう知ってるみたいだが2年Cクラスの橋本正義だ」
『ご丁寧にどうも。でも挨拶や世間話はいいので綾小路先輩や七瀬さんのことを教えてください。その場に他の生徒は見かけましたか?』
椿は橋本の友好的な挨拶を軽く流し、すぐに本題に移る。そのことからこういうおべっかは嫌いか、宇都宮と同じでそもそも信用してないから仲良くするつもりもないか。両方の可能性を思い浮かべる。
そしてすぐに後者、悪くてどちらもだなと判断した橋本は相手に合わせてすぐに答えることにした。相手の機嫌を損ねても良いことは何もない。情報を得るためならともかく、今の自分の立場からして指示には基本、従っておく方が得策だった。
「いや、多分だがいなかったぜ。GPSサーチも行ったしな」
『事が起こる事前に、ですか? それとも最中に、ですか?』
「事前と事後だな。午前9時半くらいだったか。事が起こる15分前に一度、綾小路を追跡するためにD3でGPSサーチを使った時は綾小路と七瀬がいたくらいで他に周囲に生徒はいなかったし、七瀬が殴り合ってから天沢が現れた辺りか……その時もGPSサーチをしたが……ああ、そうだ。天沢は俺と同じように腕時計を壊してから綾小路に会いに来たみたいだったな。最初にやった時もGPSサーチに反応はなかった」
失念していたが、天沢もまた橋本がやったように腕時計を壊してから2人の下にやってきた。七瀬と綾小路のやり取りが強烈すぎたこともあり、その最中はそれを見ることに夢中になってしまっていたが天沢がやって来た辺りで冷静になり、ふと気になってもう一度GPSサーチを行った。もしかしたら他にも見ている人物がいるかもしれないと思って。
だが他に生徒は、少なくともGPSでは確認できなかった。橋本はそれを椿に伝える。
『なら目撃者は橋本先輩と天沢さんだけ。それで間違いはない?』
「多分な。腕時計を壊していたとしても近くに人がいればさすがに気づく。天沢がいたことに驚いたくらいだ」
『なら橋本先輩は天沢さんに気づかなかったけど天沢さんの方は橋本先輩に気づいていたかもしれないってことだよね』
「それは……」
椿に指摘され、橋本は言われてみれば奇妙であることに気づく。天沢は腕時計を壊した上で綾小路に会いに来たが、その手には何も持っていなかった。タブレットも何もない。近くに荷物を置いただけかもしれないが、GPSサーチで追いかけてくるにしても少し引っかかる。
その上、同じ人物を追いかけていたのに橋本側は天沢に気づくことはなかった。もちろん、森の中だ。そういうこともないとは言い切れない。偶然どちらも綾小路に集中していて互いの存在に気づかなかったことはあり得る話。
だが椿が示すように、もし天沢が橋本に気づきながらも声をかけない。見られていることを知りながら綾小路に話しかけたとすれば……それにはどういった意味があるのか?
「……天沢はお前ら1年の作戦とやらに協力してないのか?」
『関わってないし声も掛けてない。情報が共有されてる可能性はあるけど』
一応協力者にはAクラスの高橋修もいるし今のところDクラス以外に作戦のことは伝えているし、なんならこのすぐ後にでもDクラスにも声をかけるつもりの椿はそう答える。
だから天沢がAクラスのために綾小路を……ということもなくはないがピンとは来ない。天沢はクラスでも孤立している生徒。綾小路相手に単独で会いに行き、橋本も泳がせた。その理由は……。
『……見られたかった、のかもね』
「ん? 見られたかった? そりゃどういう意味だ?」
『意味までは分からない。だけどそうとしか思えないから』
椿はそう考える。腕時計を壊してる時点で秘密裏に行動したかったのは確実。状況からして綾小路と七瀬の戦いも目撃していたか、目撃していなかったとしてもそこで七瀬が仕掛けることも予め知っていただろう。七瀬と天沢は同じグループであるため示し合わせていてもおかしくはないが、聞く限りではそうは思えない。仕掛けたのは七瀬の独断か、あるいは宝泉の指示か。そのことはダメ元でこの後聞いてもいい。
ただ七瀬と天沢は互いに独断で動いている。しかし、天沢は知っていて動いた。そして一部始終を見ていた橋本を泳がせた上で綾小路との2人きりでのやり取りを行った。まるでその様子を目撃者に見せつけるように。
2人のやり取りでどんなものがあったのかは分からないが、作為的なものを感じる。
そしてもう1つ、七瀬が綾小路に向かって暴力を振るった理由と綾小路が一切やり返さなかった理由もまた椿は気付いた。
七瀬が綾小路に暴力を振るい、それを綾小路が何もせずに凌ぐ。この選択を選んだ可能性として1番高いのは、七瀬は綾小路にやり返され、そのことを理由に綾小路をリタイアさせるというもの。
幾ら相手から仕掛けてきたとはいえ七瀬は女子。上級生で男子である綾小路に殴られて怪我でも負えば審理において不利になることは避けられない。
ただこれだけでは弱い。もし椿がその作戦を指示するのなら、目撃者として他の誰かを使うことを考える。
タブレットを用いてその一部始終を撮影するだけでいいからだ。綾小路から殴ったシーンでも都合良く撮影できればなおいい。
そして綾小路はその可能性に思い至ったからこそやり返さなかった。あるいは誰か人の気配を感じていたのだろう。橋本か天沢か、あるいはそれ以外の誰かの気配を。
ただ橋本はその役割を担っていない。綾小路を目撃したのはこちらの指示によるものだし橋本の声色からも嘘の気配は感じなかった。
とすると残りは天沢に見えるが、天沢と七瀬は協力していない可能性が高い。
ならあの場には他にも誰かがいた……? 綾小路をリタイアさせる作戦に協力した誰かが。
しかもおそらくその人物は、天沢とも繋がっている可能性も高い。あるいはそっちが計画を主導した黒幕か。
ただ結果として綾小路をリタイアさせることは叶わず、その段階で天沢は姿を見せた……と、そこまで考えて椿は一度思考を打ち切る。天沢の行動には不可解な点が多く、現時点では天沢がどうして七瀬の計画のことを知っていたのか。その理由や繋がりが断定できないからだ。
もっともきな臭いものは感じるが……そこも椿は断定したりせず、怪しいに留めた。そして代わりに橋本に指示を与えた。
『……とりあえず今はそのことはいい。一先ず仕事をお願いしてもいい?』
「わかった。気にはなるが今は置いておく。それで、仕事ってのは?」
『ただの使いっぱしり。ちょっと宝泉くんに伝言を頼みたいの』
宝泉、と聞いて橋本の顔も僅かに引き攣る。笑みは崩さないが、さすがにどういう人物かは聞いていた。
「宝泉か……かなりヤバい奴って噂は聞いてるぜ。いやまあ良いけどよ。代わりにちゃんと上手くやってくれよ?」
『もちろん。これは1年生のため。先輩に言われずとも作戦は成功させるよ』
橋本はそれなら良いと笑い、トランシーバーを切るとGPSサーチで伝言を伝えに行く。
椿と宇都宮は今の話を聞いた上で作戦のため、また別の相手に連絡を取ることにした。
今回はここまで。次回も坂柳だったり色々あります。お楽しみに。
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