セカイイチノ ピアニスト   作:ブナとカシの合体木

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カイ・イチノセ

 とあるバンドが結成される二年前。

 ポーランドのワルシャワで行われたショパン国際ピアノ・コンクールには17歳の少年が参加していた。

 無名のまま遠いワルシャワの地に向かい、ショパンの解釈者を発掘する音楽コンクール最高峰に挑む。当時の事情を知っていれば、誰もが無謀だと歯牙にもかけなかっただろう。

 けれど、彼は予備予選を超え、一次、二次予選と徐々に注目を集めていく。

 ファイナルではワルシャワ・フィルのオケと共に演奏を行い、最高の演奏を締めくくった。

 熱く、温かく、人を巻き込むピアノ。

 会場で聴いていた人も、配信で聴いていた人も関係ない。

 彼のピアノは誰もを魅了し、力の限り拍手を送る程だった。

 だからだろうか?

 ピアノの素晴らしさを、協奏曲の醍醐味を多くの人々に与えた。もちろん、審査員も例外ではなかった。

 最年少の”優勝”など前例がない。

 なにより、彼だけがピアニストとして立っているステージが違う。純粋に演奏だけで決めるなら、誰が彼の上を行くのかというほどに、そのピアノは”特別”だった。

 けれどポーランドには縁もゆかりもなく、世界的にまったくの無名。

 どれだけコンクールが成功しようと、スターを生み出せなければ意味がない。それが優勝者ともなれば、かかる期待や注目は別格だ。

 中には、その重圧に耐えかねて消えてしまう者もいる。

 すべての要因が、17歳の少年の挑戦を阻もうとしていた。

 そう、していた。

『これより、最終審査の結果発表を行います。発表は一度しか――』

 審査員により、発表が行われていく。

 ある理由で会場中が湧き上がる。高まっていく期待とは裏腹に、誰もが呼ばれたくない入選には至らなかったファイナリストの発表が終わり、入賞者の発表へと移っていく。

 この時点で少年の名は呼ばれていない。

 現地にいる人が、発表を日本から見守る人たちの注目が集まる。

 やがて4位の該当者がなく、3位入賞が二人いると発表されたとき、誰もが「ここか!」と思った。

『3位。アレグラ・グラナドス』

 アルゼンチン出身の女性ピアニストの名が呼ばれる。

 次か、次なのか。

 ここに入ったか!?

『レフ・シマノフスキ』

 やれど、予想に反して呼ばれた名前は違った。

 現実か? こんなことがあるのか!?

 期待は更に高まっていく。いいや、期待ではない。この光景が本物なのか実感が失われていく。

『2位――ウェイ・パン』

 名を呼ばれた青年が一度俯くと、晴れ晴れとした笑顔を浮かべて手を挙げ、周りの歓声に応えた。

 まるで、これが望んでいた結果だと言わんばかりに。これまでの荒々しさや怖さが抜け落ち、演奏家である意味を見出したウェイ・パンにとって、この結果は些細な物だ。

 だから、そこにあるのは一人の演奏家としての純粋な賛辞だった。

 温かく、穏やかに、このコンクールの勝者を見つめていた。

『ウィナー……カイ・イチノセ』

 会場で、一際大きな歓声が響く。

 逆境を跳ね除け、音楽の力のみでコンクールに挑んだ少年の名が最後に呼ばれた。

 結果発表を聞き届けていた会場のすべての人たちが、彼に向けてスト・ラットの大合唱を送る。それはポーランドの祝歌。

 素晴らしい光景。

 色んな思惑をすっ飛ばして、純粋にピアノだけで順位をつけた。

 もちろん、本来はそうあるべきだ。けど、特別な才能は同じ基準で比較などできない。だから”特別枠”で済ませるのではなかったのか。

 多くのピアニストが。

 コンクールの裏側を知る人たちが、この結果に驚きを隠せなかった。

 だって、なぜ、どうして。

 反対に、ショパンコンクールの審査員たちは憑き物が落ちたように清々しい顔で会場の光景に笑みを浮かべる。

 最年少優勝者が出たことに。

 結果に大変満足していると、自分たちの審査に誇りを持って語るのだ。

 

 この一大ニュースは日本でもすぐに大々的に取り上げられた。

 ショパンコンクール最年少優勝者――一ノ瀬海。

 その名は連日報道され、スタジオに呼ばれ有名になっていく。いつしか、彼を縛ろうとしていた暗がりが手を出せない程に、一ノ瀬海の名は世界に浸透していった。

 その姿はピアニストだけでなく、多くの奏者に勇気を与え、挫折した者たちさえ音楽の世界へと引き戻す程に、音楽を愛するすべての人を魅了した。

 そこに例外はなく。

 高校受験を控えたある幼馴染みたちを。

 愚直なまでにギター練習に励む少女を。

 まだ音楽に微塵の興味もなかった少女ですらも。

 酒に溺れる者や、てっぺんを目指す者など、多くの人に音楽の凄さが伝播する。

 ああ、音楽は……音楽はこんなにも……自由だと。

 誰もが、一層音楽へとのめり込むきっかけになったのは言うまでもない。

 

 

 

 二年後。

 一ノ瀬海というピアニストの新生が見事に世界デビューを果たしてから、多くの公演が行われた。

 日本だけに留まらず、世界中からのオファーに彼は応え、時折帰国しては、ふらっと思い出の地であり”一ノ瀬 海の聖地”とファンの間で呼ばれているcafe ピアノの森で自由気ままにピアノを弾いていく。

 今日も好き放題にピアノを弾いた一ノ瀬海は、美女と見間違う程の整った容姿を隠し移動していた。

 その隣には一ノ瀬よりも随分と年上の男性の姿もある。

「うひゃー、酷い雨。やっぱり台風の日に出るのが間違ってたかな?」

「まあ……今更かな。カイの破天荒っぷりにはとっくに慣れてるつもりだよ」

「阿字野までそんなこと言う? 流石に台風を呼んだ覚えはないって」

「誰も台風を呼んだなんて言ってないだろ。台風の日でも構わず外出することに対して言ってるんだ」

 阿字野と呼ばれた壮年の男性は呆れつつも優しい目をしていた。

 どうしようもないこどもを慈しむようであり、友人を揶揄うようだ。

「はいはい、どうせこどもだよ。そんな俺のお願いとして、今度の演奏会で共演を〜なんてどう?」

「ふふっ、考えておくよ。私が復帰したときの演奏会以来かな? 師匠と弟子の関係が変わって、ライバルになってから初めての共演か……それもいいかもしれないね」

 大雨の中。

 カッパを着て歩く二人の会話は雨音に隠され、僅かに外にいる人たちまでは届かない。

「しかし、一体どこまで来たんだろうね?」

「さっき降りた駅は下北沢だったよ。あ、ライブハウス発見! ねえ、阿字野。台風酷いし、ちょっと寄らせてもらおう」

「そうだね。ちょっと……いや、かなり毛色は違うけど、たまにはいいかもしれない。行こうか」

 とはいえ、この雨風だ。阿字野の内心では演奏者が居るかも微妙だったのだが。

 そんな心配はしてないとばかりに一ノ瀬は新しい音楽を求めてライブハウス「SHELTER」へと足を踏み入れる。

 直後。

 ライブハウス内でいくつもの叫び声が響き渡り、ピンク髪の少女はゴミ箱に籠城し、金髪の少女と青髪の少女が後ろに倒れこみ、赤毛の少女が目を輝かせることになるなんて、このときの二人は知る由もなかった。




音楽作品である限り、ピアノの森と絡められると思いませんか?
本編後のカイや雨宮くんの活躍、ピアノの良さをまた知りたいと考えていたら書いていました。
多分、廣井きくりさんとカイはいい友人になるし、いつかヨヨコちゃんと絡ませてみたい。
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