破滅した悪役令嬢がいたので殺人マシーンにしてみた件 作:らくべえ09
ちょっと昔の、軽めのエピソードです。
忘れられない思い出。
忘れられない光景というのは、誰でもある。
……らしい。
僕にとってもそれはある。
今となっては、ひどく不思議な気分になる。
夢だったような気もするが、夢ではない。
あれは――
10歳の春。
何月何日だったかもよくおぼえている。
まだ少し寒さの残る春だった。
季節の節目ごとに開かれる、ごく一般的な社交界の場である。
主に、春の花をめでると言うのが趣旨だ。
これには。
開催時間は昼間であったために、子どもも多く参加する。
とはいえ、貴族同士の集まりだ。
子ども同士でワイワイ遊ぶというよりも……。
「社交界での立ち回りを学ぶための場」
そういうものだった。
下級貴族である我が家も、それは例外ではない。
正直、魔法や領地経営の勉強よりもしんどかった。
笑うにも適切なタイミングというのがある。
突き詰めると、礼をする角度まで正解があるそうだ。
このへんは未だによく、わからない。
最重要部分は――
誰に先に挨拶をするか、誰を優先するのか。
そのためには、事前に相手の顔や情報を知らなければならない。
ものすごく面倒で、窮屈だ。
十歳の子供には正直苦行だった。
いや、苦行なのは、やっぱり今も変わらないか。
しかし、
「継嗣として、家を継ぐ以上は避けて通れないことだぞ。誰でも、どこの家でも、みな一生懸命にやっていることだ」
父には、何度もそう言われた。
そのたびに、父は亡くなった祖父のことを話していたか。
だが。
それでも。
やっぱり、子どもは子どもである。
できる限り、我慢していた。
必死で笑顔を作り、マナーを守っていた。
でも。
ついには耐えきれなくなり、こっそりと中庭の隅に避難してしまった。
父に見つかれば、必ず叱られるだろう。
それは、子ども心にも理解はしていた。
食事を抜かれるかもしれない。
厳しい勉強や訓練を与えられるかもしれない。
わかってはいたけれど。
そういったことを考慮しても、とにかく息をつきたかった。
ほんの少しだけでもいいから。
中庭はとてもきれいだった。
上級貴族の屋敷だけあって、季節の花も咲き乱れて風に揺れる。
――まるで、妖精の国だ。
妙に感傷的なことを思った。
大人たちの喧騒を遠く聞きながら、ほうっと息を吐いた。
何度か深呼吸をしてようやく落ち着き――
少しだけ、リラックス出来た。
『出会い』は、そんな時だった。
庭の奥。
いや、隅っこの目立たない場所だったと思う。
大きな花壇近くの、木陰だ。
小さな人影――
一人の少女がうつむいて立っているのを見つけた。
その背中が、ひどく頼りなくって儚げだった。
年齢は、ほぼ同年代だ。
服装だけでも、上流の令嬢だとすぐわかった。
小さく震える肩にも、気品があった。
泣いている。
それに気づいたのは、けっこう時間が経ってからだったような。
思えば、ずいぶんと鈍感だったものだ。
こんなことだから、未だに父に叱られる。
気づいた僕は、足を止めて考えた。
どうするべきなのだろう?
こんな時、スマートに対応できれば大したものだったのだが。
僕は正解がわからずに、ただただオロオロと見守るだけだった。
ふと見えた。
少女の横顔。
きれいだった。
まるで、絵画の妖精や天使がそのまま抜け出したような。
「天使のような――」
ありきたりな誉め言葉だけど、この場合はまさにピッタリと言い当てた言葉。
僕がグズグズと迷っているうちに――
少女はいきなり、こちらへ顔を向けた。
その時、やっとわかった。
遠目に何度も何度も見て、
「あのかたをよく、おぼえておきなさい」
と、父に言われていた相手だ。
チーフウォール公爵家の令嬢。
あの家に関しては、どうもゴタゴタがあったらしいと、子どもの耳にも聞こえていた。
わりと最近、当主が変わったという。
後になって、簒奪騒ぎ……と、噂される揉め事だったと知る。
その影響は、後年になって大きく表面化するわけだが。
目が合った途端、私は動けなくなった。
その美貌と、家柄にふさわしい強いプレッシャー。
「し、失礼いたしました……」
つっかえながら、そういうのが精いっぱいだった。
ひどくマヌケな光景だったろうと思う。
「あの、その。も、申し訳ありません。迷ってしまって、その、間違ってここへ来ただけでして……」
実際は嫌になって、逃げてきたようなものなのだったが。
「ああ、そう」
令嬢の返事は短く、冷たかった。
軽く涙をぬぐって、ジッと僕を見ている。
怖い眼だった。
逃げることもできない。
何も言えない。
まるで、人喰いドラゴンでも相手にしてるみたいだった。
あんなに美しく、愛らしい美貌のお嬢様なのに。
「あの、少し、疲れてしまって。こういう立派な場所は、初めてで……」
その後も言い訳を並べる。
別に何も聞かれていなかったのにだ。
だが足が動かなかった。
「どうせ」
「え?」
「どうせ逃げてきただけでしょ?」
彼女は、冷たく言った。
「あの、その」
僕は何も言い返せなかった。
言えるわけがない。
実際にその通り。
図星だったし、相手は迫力があったし。
それに、自分よりもずっと上の身分だ。
「負け犬」
彼女はそう言って僕を嘲笑った。
でも、水色の瞳は全く笑っていない。
僕はもうどうしていいかわからず、完全に混乱していた。
だからだろう。
「……あの、さっき」
泣いておられたのでは――
そんなことを言いかけた。
瞬間。
彼女は表情を変えた。
まるで石になったみたいに硬直していたが、
「あ……」
しまった。
地雷を踏んでしまった、と気づいた時にはもう遅かった。
いきなり――
彼女は、つかつかと僕のほうへ歩いてきた。
そんな動作にさえ気品があった。
思い返せば、血統と教育の凄まじさを見た気がする。
怖かった。
身分が上とか以前に、人間として怖かったのだ。
彼女は誰よりもきれいだったから、なおさらに。
嫌われてしまった。
美しい少女に嫌われた、そんな悲しさもあったかもしれない。
そうしていると、
「あうっ」
思わず、悲鳴が漏れた。
いきなり肩を、強くつかまれたのだ。
「い、痛いっ……」
細く、白い指。
それが、驚くほど強い力で、グイグイとつかんでくる。
爪が服越しに食い込んだ。
毒虫にでも刺されたみたいに、鋭い痛みが走った。
「忘れるのです」
彼女は、断固とした口調で命令してきた。
僕は従順にうなずくしか、できなかった。
すると、
彼女はさらに強く力を込めてくる。
痛い。
でも、声はぜんぜん出せなかった。
全身がしびれたように動けない。
そのくせ、痛みはしっかりと伝わってきた。
「返事は?」
彼女はそう促してきた。
「は、はい。しょ、承知いたしました……」
ようやくそう答えると、静かに彼女の手が離れた。
肩は、まだ痛かった。
出会いは、それだけだ。
彼女は二度と僕に振り返らなかった。
僕を置き去りにして、会場へと戻っていく。
優雅な足取りだった。
その後ろ姿は、今でもずっと忘れられない。
きっと、死ぬまで忘れられないのだろう。
・ ・ ・
あれから。
もう数年が過ぎた――
大人はたった数年前というけれど、僕にとってはひどい大昔のように感じる。
今は家督を継ぐため、日々勉強に追われる毎日だ。
覚えること、学ぶことはいくらでもあった。
数年間もやっていて、まだあるのかとウンザリすることもある。
チーフウォール家で異変が起こったのは、1年前だ。
家督を簒奪したと陰口を叩かれていた当主――
彼女の父にあたる公爵は、不正が露見して捕らえられた。
話によれば……。乗り込んだ王太子と正当な後継者である、今の王太子妃殿下。
ふたりの前で自裁したらしい。
彼女は、公爵令嬢は身分を剥奪され、辺境へ送られた。
魔法すら封じられて。
新聞でも、社交界でも、平民の子どもでも知っている大事件だった。
その話を聞いた瞬間。
僕は思い出した。
中庭で泣いていたあの少女を。
いや、きっと。
ずっと忘れられなかったのだ。
もしかすると、初恋だったのかも?
彼女は――
あの時、なぜ、どうして泣いていたのだろう。
何があったのか。
僕は、何一つ知らない、わからない。
わかっているのは、
「忘れろ」
そう、命じられたこと、ただそれだけ。
でも。
その命令には背いていることになる。
だって、ずっと忘れていない、忘れられなかったのだし。
そして、現在。
今はまったく違う理由で、彼女の名前と存在は国中へ広まっている。
ヤオアムトどころか、諸外国にも広がっているはずだ。
ドラゴンを何度も討伐した、ドラゴンスレイヤー。
まさに、英雄だ。
その圧倒的な強さから、
「
なんて呼ぶ声もある。
僕は何度も肩に手を置く。
彼女のことを見たり、聞いたりするたびに、だ。
もう、痛みも跡も残ってはいない。
だけど。
あの痛みと熱はまだ残って、消えない。
爪が食い込むほどの力。
真っ直ぐな視線。
そして、命じるような声。
「忘れなさい」
もう一度、直接彼女の声を聴きたい。
そんなことを、何度も思う。
昨日も、今日も。
たぶん……明日も、明後日も。
・ ・ ・
「***か――」
「え?」
いきなりつぶやいたカーシャに、バッキーは振り返る。
午後三時のお茶をしている途中だった。
「何か?」
「いえ。少し昔会った子どものことをね。たぶん***の人間だったと思うけど」
「はあ。大きな家なんですか?」
「吹けば飛ぶような木っ端貴族よ」
「それなのに、おぼえてるんですか?」
「ええ」
カーシャはかすかに息を吐き、
「少し恥をかいたことがあったから。まあ、今となっては取るに足らないことだけどね」
https://syosetu.org/novel/414732/
ちょろっと書いた新作です。
色々考えたり、アイデアを練ったりしてた作品ですが
逆にゆで卵みたくなってしまったので、未発表にならぬように出しておく次第。
これでも続きは書きたいと思ってます。