ヘンカツ部   作:神無月彩歌

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悩める性欲の子羊たち

 人生最高潮のゴールデンウィークを過ごしてから、二週間が経過した玉鋼高校。

 この頃にはクラスの殆どが玉鋼高校に馴染み、立派な生徒として学びに励んでいた。

 相変わらず一人でいる事が多い空だったが、特に気にする事もなく、学生生活を送っていた。

「この学校に入学してから、もう少しで三か月が経ちますね~」

「どうしたの? 急におじいちゃんみたいなことを言い出して」

「高校生活が楽しすぎて、時間が経つのが早いんですよ~」

 部室に差し込む夕日を浴びながら、空は死期を悟った老人のごとく黄昏ていた。

「それだけ日々が充実している証拠さ」

「ハマってるアニメほど、過ぎる時間が早いんだよね~」

「おっぱいの事を考えてれば、一日なんてすぐ」

「私はここ最近になって、早く感じるようになったな……」

 ヘンカツ部全員が、充実した日々を過ごしているようだった。

 クラスに友達は(姫乃しか)いないが、カースト無所属は気が楽で気に入っている空。

 稀に教材や文房具をねだってくる者はいるが、それ以上の会話をする人は今のところいない。

 ヘンカツ部のすることは何かについて語り合ったり、変なルールを設けた遊びをしたりと、慣れてくれば楽しい物ばかりだった。

「それで、今日は何をするんですか?」

「あぁ、それなんだがな。これを見てくれないか」

 桜は部室備え付けのパソコンから離れ、三人にその画面に表示されているものを見せる。

 それはヘンカツ部に充てられた、匿名の電子メールだった。

「何ですかこれ?」

「部活動の一つだ。お悩み相談みたいなものだよ」

「久しぶりだね~。相談用アドレスを見つけたのもすごいわ。前はどこに隠してたっけ?」

「使われてない、下駄箱の上部分(うえぶぶん)」

 三人で盛り上がっているが、状況を把握していない空は何が何だか分からないでいた。

「なんで相談用アドレスを隠す必要があるんですか?」

「この相談事っていうのはね、主に性的なものを対象としているんだよね」

「そうだ。保健体育の教科書で、『子供はどうやって作るのか』というページがあったんだ」

「は、はぁ~……」

「ちなみにこれが当時の教科書」

 姫乃が見せてくれた保健体育の教科書をのぞき込む。

 そこには子供が作られるメカニズムが解説してあり、至って普通の保健体育の教科書だった。

 しかし桜は……

「内容が薄すぎる! こんなのは科学の延長戦でしかない! 子供を作るというのは、具体的にどういうことなのか、その意味は何なのか、経済事情はどう絡むのか、母体にどのような影響を与えるのか、様々な事を教えなければいけないだろ⁉」

 熱く、それでいて憤慨しながら桜はまくし立てる。

「まぁ、要するにね、桜が言いたいのは、授業じゃ詳しく教えない事を教えるって言いたいの。これはその相談用メールなんだよ」

「隠してたのは、教師と風紀委員が邪魔するから」

「まぁ、うちらのやってる事って、ほとんど表に出せないからね。噂を流して、それに引っかかった人に手を差し伸べる。そういうスタンスで、この性相談をやってるから」

「そもそもの話、この部ってよく設立出来ましたね」

「それも桜が頑張ったおかげなんだよ」

 しみじみと話す柚子。

 当の本人は未だ怒りの熱が引いていないみたいで、貧乏ゆすりをしながら椅子に座っていた。

「玉高って恋愛はOKなんだけど、不純異性交友には少しうるさい所があるんだよね」

「そのくせ、性に関しての教えは、薄っぺらい」

「薄っぺらいのは全国共通さ。世界から見ても、日本の性教育は低いと言われているからな」

 落ち着きを取り戻した桜が、話しに介入してくる。

「話をメール相談に戻すとしよう。相談主は彼氏の中出しを止めさせたいそうだ」

「本当に嫌になるね。これだから男の子は。女の子の事、何も考えてないんだもん!」

「同感だな」

「俺の事じゃないんですから、睨まないでくださいよ」

 柚子と桜の二人は、男子代表として空に怒気を含んだ鋭い視線を向ける。

「中出しってなに?」

 そこに無垢なる姫乃の質問が一石投じられた。

「どう言ったものか……」

「そう、だね。ダイレクトに言った方がいいのか、はぐらかした方がいいのか……」

「だから、俺の方を見ないでください」

 今度の眼差しは、母性が大量に込められているものだった。

 それに加え、後は任せたという、さじを投げたものも幾分か含まれてもいた。

「ねぇ、中出しってなに?」

「そうだね、中出しって言うのはね……」

 少しだけ深呼吸をしてから、空は意を決する。口角を上げ、満面の笑みをして――

「赤ちゃんを作るために必要な行為だよ」

「赤ちゃんを作る?」

「そうそう。これをしないと赤ちゃんが出来ないんだ。あとの成り行きは、人体の不思議とかで書いてるはずだよ」

「……なるほど。中出しっていうのは、膣内に精子を放出する、という解釈で?」

「まぁ……そうだな。百点満点です」

 理論的に解釈してくれた姫乃を空は褒めた。いかに自分が穢れているかを実感してしまった。

「でも、何でこの人は子供を作りたくないんだろ?」

「そこは私が解説してやろう」

 こほんと、桜は一つ咳払いをする。

「単純に邪魔なのさ。今はまだ学生で、遊びたい盛りなのだろう。子供を孕めば、世間体の目も痛くなるし、学校にも居られなくなる」

 桜の言葉はひどく暴力的だが、とても理解がしやすかった。

 太古の時代と比べ、今なお発展し続ける現代の人達は、子供を作る行為を神聖なものから娯楽へと格下げしてしまっている。

 全てがそうではないといえ、近代では子供に虐待する、施設に預けるといった事が年々増加傾向にある。

 そのことを、空は最近のニュースで知っていた。

「相談主の真意は分からない。しかし、子供を産むというのは、覚悟がいる事だと私は思うんだ。当然、女性だけでなく、相手の男性の方にもな」

「むぅ~。難しい問題」

「そりゃそうだよ。姫乃ちゃんより、年上の人達ですら答えを出せていないんだから」

「エッチが許されるのは二十歳から、なんて法律が出来たら、暴動が起きそうですもんね」

「ほんとにね。たださえさえ、無駄な規制でイライラするのに、エッチまで規制が入ったら、それは個人の自由だろ、って言いたくなっちゃうもん」

「……それで、結局質問の答え、どうするの?」

 子供を作るデメリットを知った所で、姫乃は本題に話を戻した。

「避妊の話は出てないから、まずはそれを進める。今はネット通販でも簡単に買えるからな」

「でもこの彼氏がそれを嫌がったらどうするの?」

「そうなった場合は、お互いの心情と今後について話すしかない。本気なのか、遊びなのか。デキた場合はどう責任を負うのか、色々とな」

「ねぇ、体の仕組みについても解説してあげたら? 危険日とかについて詳しく書いたのとか」

「そうだな……よし。姫乃、生理について詳しく書いてくれ。バカな男にでも分かりやすくな」

「あーい」

「柚子は姫乃の書いた文に、イラストを描いてくれ」

「お、決まりましたか。オッケーですよ。自由にやっちゃってもいいよね?」

「あぁ、いいぞ。出来ればオタク絵で頼む。その方が男受けしやすいからな」

「りょうかーい!」

 返信の内容が決まってから、桜達の動きが一気にスピードを増した。

 姫乃は生理などについての文章を、柚子はそのイラストを、桜は避妊具の情報を集め始めた。

 あとに残されたのは、指示を出されていない空一人。

「で、俺はどうすればいいんですか?」

「少年には出来上がった物を配達してもらう」

「配達、ですか?」

「あぁ。見つからないようにな」

 不穏な空気を感じつつ、空はみんなの作業が終わるのを待つことにした。

       □

「あ~~~~~……」

 桜が指定した場所から帰って来た空。

 十枚にも及ぶ手紙を届ける事が出来たが、空の表情はげっそりとしたものになっていた。

「お、空君お疲れ~」

「少年、ちゃんと隠してきたか?」

「……はい。でも、精神的に疲れました」

「これ、甘い物」

「ありがと、姫乃」

 姫乃から飴を受け取り、それを口に放り込んでコロコロと転がす。

「どうだった? 未知の世界だったろ?」

「確かに未知の世界でしたけど、女子トイレに入るのは精神的にキツイというか……」

「仕方ないだろ。今回は女子からの相談だったからな」

「前に来たときは男の子からの相談でね。その時はあたし達が男子トイレに入ってたんだから」

「トイレの中に生理用品があるの、初めて知りましたよ」

「女子じゃないと分からないでしょ。でもあれって意外と利用してる人が多いんだよ」

「タンポンもあるから、意外にラインナップが充実してるんだぞ」

「そこまでの情報は求めてませんよ!」

 玉鋼高校二階。二年C組近くの女子トイレ。

 そこは職員室だけでなく、風紀委員の本部である『風紀委員特別会議室』からも、十分に距離が取れている場所に位置している。

 トイレの戸棚には生理用品が入っている箱があり、それを忘れてしまった女子達の助け舟となっている。

 その箱を死角にして、ヘンカツ部は返信用のメールボックスを設置していた。

 なぜトイレに隠すのかと言うと――

「人がたくさん利用する場所を、じっくり見る人はいないだろうからな」

「木を隠すなら森」

「そうそう。それに意外と奥行きがあるから、覗くなら何かに上がらないといけないしね」

 生理用品の入っていた箱の周りには、替えのバケツやブラシなどが置かれているだけ。

 清掃する人ならまだしも、それ以外の人が棚の中をマジマジと探索する事はまず無いに等しい。

 仮に棚の中を探る人がいるのであれば、それはヘンカツ部に相談を乗りに来た者である。

「あとは返信が来るのを待つだけだ」

「参考にしてくれればいいんだけどね」

「疲れた」

「俺も疲れたよ。特に精神的に……」

 ぐったりと、空と姫乃はソファーにもたれかかる。

「空君、姫乃ちゃん。そのままでいいから聞いて」

「ん」

「はい。何でしょうか」

「三日後の金曜日に、ヘンカツ部主催の暴露密会を行う」

「密会の名前は『personne meeting(ペルソーナミーティング)』」 

 ネイティブな発音をしながら、柚子は何処からか取り出した仮面を目元に装着する。

 そしてもう一度、「ペルソナ」と皆に聞こえない声で呟いた。

「柚子さん、楽しそうですね」 

「当日には柚子の作った、この仮面を忘れずにな」

 そう言って渡されたのは、舞踏会で使われるような、顔の上半分を隠す仮面。

 柚子のとは違い、空の物は赤みを帯びた黒色の仮面で、鼻のあたりが長いくちばしのようになっていた。

「どう? カッコいいでしょ? 最近アニメ化したゲームのキャラのやつなんだけどさ」

「再現度高いですね」

 そのキャラクターのセリフを言いたくなるほど、その仮面の再現度は高く、むしろお金を払っても良いのではと、思ってしまうほどだった。

「でしょ。姫乃ちゃんは、オオムラサキをイメージしたパピヨンマスクだよ」

「……女王様とお呼び」

「姫乃ちゃん。それはそういうやつじゃないから」

 やや気だるげに、鞭を振るう仕草をする姫乃。

「ところで、ペルソーナミーティングって何ですか?」

「直訳すると仮面の集会という意味だ。私達は日常的に仮面を付けているからな」

 そう言って、桜は柚子から貰った仮面を目元に充てる。

 黒い長髪、怪しい笑み、目元に充てた黒羽の仮面は桜に良く似合っていて、ミステリアスな雰囲気を纏わせる。

 不覚にも、その姿を美しいと空は感じてしまう。

「密会の中では外面を隠すが、自身の内面をさらけ出すという意味も込めている」

「……それで、その密会では何をするんですか?」

「入部テストの時に、活動内容について話しただろ?」

「はい。確か、マイノリティの人を受け入れる。偏見をなくす、でしたよね」

「あぁそうだ。この密会はその二つを行う事が出来る、部として最も大切な活動の一つなんだ」

「具体的には何をするんですか?」

「それは簡単だ。入部テストの時に、自分の性癖について話しただろ? あれを密会の時にすれば良いんだ」

「桜さん達以外に、ですか?」

「そうだ。当日は一対一でやるから、心の準備はしとけよ」

「ついに密会の日が来たんだよ」

「当日、楽しみ」

「ていうか、なんで密会って言うんですか?」

「風紀委員と先生には教えられない、絶対に秘密な会だからだよ」

 そのまんま過ぎて、空は首をかしげてしまう。

「密会のマナーは明日教えるとして、少年にはこれだけは理解してもらおうか」

 その話をするにあたって、桜の雰囲気が変わり、その場の空気が張り詰めたものになる。

「相手の性癖を侮辱しない事。これは、少年が一番理解している事だ。その他にも押し付け、否定も当然ダメだ。大事なのは、受け入れる事と聞く事だ。分かったな?」

「わ、分かりました」

「大事なことだからな。当日に同じことを説明する。では、今日はここまでにしようか」

 桜が手を鳴らして、本日のヘンカツ部の活動が終了した。

        □

 その日の夜。霜野家の空の部屋から、唸り声が上がっていた。

 唸り声をあげている空は、金曜日に行われる密会にて何を話せば良いのか悩んでいた。自分の性癖を話せば良い。

 そう言われているが、正直何から、どう話せば良いか分からないでいた。

「おにぃ、面白いゲームある?」

 そんな悩める兄の部屋にやって来たのは、勉学を終え、暇を持て余した妹の海だった。

「そこの本棚に何本かあるだろ?」

「でもこれって、美少女ものじゃん。面白いの?」

「ラボシリーズだから外れはないぞ。その三つは時系列的に繋がってるから、そういうの込みでも楽しめると思う」

「ふ~ん。じゃあ、やってみる」

「ちょい待ち」

「……何よ?」

「聞きたい事があるんだけどさ。初対面の人と話す時って、どんな感じですればいいんだ?」

 性癖の話までとはいかないが、生徒会の仕事をしている海なら、多くの人と交流を持っている。

 それを見込んで、初対面の人との接し方について、空は教えて貰おうと思ったのである。

「初対面の? 学校関係の人で、ってこと?」

「まぁ、どっちでも」

「そうだね……うちは最初、雑談から入るかな。何が好きなのかとか、ハマっているものは何ですか、とか」

「時間押してる時とか、どうするんだ?」

「それでも雑談するの。手短にだけどね。大事なのは相手と話しやすくなることなの」

「話しやすく、か……」

「そうそう。最初はお互いガチガチに緊張してる事って多いと思うんだよ」

「……確かに。俺も緊張するし」

「そうでしょ? それを緩和するためにも、無駄話って大事なんじゃないか、ってうちは思う」

 空とは一つ年齢が違うだけなのだが、社会を渡るスキルを海はすでに習得していた。

 多くの人と交流しているからこそ、自然と身に付ける事が出来たのだろう。

 人と交流する事がなかった空にとって、海の話はとても貴重なものだった。

「サンキューな。それ、参考にさせてもらうわ」

「お礼なら態度で示してよね」

「ちっ、仕方なね~な。足を舐めればいいのか?」

「うち、Sの気ないし」

「え、犬になれば良いの?」

「じゃあ、ちんちんして」

「ぷーっ、俺が男だからそれを使うとか、海さんギャグセンスぱないッスよ~」

「ばかおにぃ! はぁ~、もういいよ。コンビニの限定スイーツで」

「ははぁ~。では今から買ってきます」

 海に呆れられた空は、財布を持ってコンビニへと向かった。

        □

 運命とまではいかないものの、空にとって緊張する金曜日がやって来た。

 放課後、ヘンカツ部メンバーは部室に集まって、最終ミーティングを開いていた。

「よし。みんな揃ったな。あと三十分ほどで密会が始まる。今回行う場所は三階の西奥にある視聴覚室だ。時間もあるから、今回の密会の趣旨を簡単に説明しておくぞ」

 ホワイトボードには、密会の趣旨と守るべきルールが書いていた。

「趣旨としては、マイノリティな性的嗜好の持ち主を受け入れる事。それと偏見をなくすことだ。密会に来る者の中に、少年のような変態がいるが、温かい目で見守るように」

「俺を例に挙げないでくださいよ! こら、俺を温かい目で見るんじゃない!」

「冗談はさておき、密会でするのは主に会話だ。TPOを弁える事なく、自由に話していいぞ」

 自由にと言われ、何から話そうか空は考え始める。

「それと来る人数によって、制限時間を決めてるから、タイマーセットは忘れずにね」

「去年は何人くらい来たんですか?」

「十人」

 姫乃が両手を開いて見せる。

 密会を訪れている人は意外にも多かった。

 六百人ほど在校している中で、十人もの生徒が他では話せない事を心に秘めている。

 噂を信じ、巧妙に隠されたヘンカツ部の告知を見つけ出してまで、秘めていた思いを誰かに打ち明けたかったのだろうか。

「意外と来る人が多いんですね」

「あぁ。その時は初めての試みだったからな。一人二十分程でやってみたんだが、うまい具合に丁度良かったんだ」

「今年は多くなりそうだよね~。あれから一年経ってるんだもん」

「そうだな。もしかしたら、一人十分くらいになるかもしれないな」

「時間と人の流れがそうさせる。だから仕方ない」

 一度起こした波は止まらない。

 ヘンカツ部が起こした、マイノリティ達に手を差し伸べる行いは、見えない部分で玉鋼高校の生徒に影響を与えている。

 その小さな波紋は、時間と共に大きくなるように、ヘンカツ部を求めるマイノリティの人達も増えていくのだ。

「参考までに聞きたいんですけど、桜さん達はどういう人と話をしたんですか?」

「私はケモナーの男子と、ペドの女子と話した事があるな」

「あたしは同志の男の子と音フェチの女の子かな」

「オカルトマニアとソムノちゃん」

「ソムノちゃん?」

「ソムノフィリアの子だろ。いわゆる睡眠姦が好きな子だ」

「そう。ちなみに女の子だった」

 変わり種のフェチシズムを持っている人を挙げる桜達。

 その他の四人も、聞いた事のあるフェチシズムを持っていたり、追求し過ぎている人だったりと様々だった。

「話を聞くうえで仕草も必要になって来るから、その辺も意識するといいぞ」

「仕草、ですか?」

「そうそう。ちゃんと話を聞いてますよって相手に教えるために、適度に相(あい)鎚(づち)をいれるの」

「過度にやれば流されてると思わせるから、そこは注意するように」

「りょ、了解です」

「そろそろ時間」

 姫乃が時計に指をさすと、密会まで残り二十分となっていた。

「よし。では行くか。待っていろよ。迷える子羊どもよ」

「あ、ちょっと待って。はい空君。視聴覚室に行く前に、これを着てね」

 柚子から全身を隠せるほどの、黒色のローブととんがり帽子を渡される。

「なんですか? これ」

「これは私たちの素性を隠すものだ。密会をやると言ったが、ヘンカツ部主催とは外の連中には言ってないからな」

「え⁉ 教えてないんですか?」

「風紀委員の監視から逃れるためだからな」

「風紀委員にどれだけ狙われてるんですか……」

 いつの間にか桜達は、黒のローブととんがり帽子、柚子が手渡していた仮面を装着していた。

 玉鋼高校にはないが、はたから見ればオカルト研究会のようにも見える。

 ため息を吐きながら、空は渡されたローブととんがり帽子を身に付ける。

「うん。サイズもぴったりだね。良かった~」

「もしかして、これも作ったんですか?」

「もちのろんだよ。コスプレ用品は、なるべく手作りしたいのです。吾輩は」

 謎キャラを演じる柚子に苦笑しつつ、空は着心地の良いローブの感触を確かめる。

「では行くか。道中、他の人に見つからないようにな」

 扉を開けて桜は前を歩いて行く。空、柚子、姫乃は左右後方を確認しつつ、桜の後を追った。

        □

「まさか宝探しのスキルがここで生きるとは……」

 視聴覚室までの道のりは遠かったが、宝探しの時に得た隠密術、索敵能力、俊敏性のおかげで、誰にも見つかることなく、たどり着くことが出来た。

 視聴覚室を開けると、そこには黒く横に長い箱が置かれていた。

「いつの間にこんなものが……」

「昨日、ようやく設置が終わったんだ」

「大変だったよね~。でも、防音性はばっちりだと思うよ」

「うぇ⁉ これ作ったんですか? しかも二人で?」

「うんそうだよ。簡易型相談室。結構お高いんだぞ~。先輩を敬いなさい」

 胸を張って見せる柚子。

 簡易型相談室の外見は巨大な黒い箱。

 横長の側面には銀色のドアノブが均等に四つ付いており、中を覗くと少し手狭な空間があった。

 しかし、一対一の相談をする分にはちょうど  良い広さで、真ん中のテーブルが上手い具合にパーソナルスペースを保っていた。

「説明書とドライバー、それに六角さえあれば、簡単に組み立てられるやつだ」

「なんだか、ロフトベッドの組み立てみたいですね」

「ペルソナが終わったら、二人にも解体作業を手伝って貰うからね」

「ん。分かった」

「というより、教えてくれたら俺も手伝いましたのに」

「少年は密会が初めてだろ? だから、そっちの方に頭を使わせた方が良いと思ったのさ」

 確かに、と空は納得する。

 初対面の人との話し方を海に教えてもらうほど、空の頭の中は密会の事で一杯になっていた。

「最終確認だ。話の前には必ず制限時間と秘密を守るように伝える事。そして、ヘンカツ部の名前は決して出さない事だ」

「あとは相手を侮辱しない事、否定しない事、押し付けない事だね。どんな性癖であっても、受け止めてあげるのが、あたしらの仕事なんだからね」

「あーい」

「わ、わかりました」

 本番が近づくにつれて、空の緊張が高まっていく。

 頭の中で整理していたはずの、最初の話題がぐちゃぐちゃと散らばっていく。

「準備室の方見てみたけど、今回は十五人くらいだったよ」

「そうか。なら前回と同様で、一人二十分くらいでも大丈夫そうだな」

「意外と短いんだよね~」

「あっという間」

 楽しみにしている柚子と姫乃に対し、空の頭は依然として会話の内容の事ばかり。

 本番に弱い事は知っていたが、入試の時と同じ位の緊張感が空を襲っていた。

 自分の言動しだいで、相手を傷付けるのではないかという不安。

 自分が原因で、相手を不登校にしてしまうのではという、負の未来予知。

 中学の時に経験した、あの孤独を他の人にも与えてしまうんじゃないか。

 空の頭は最初の会話ではなく、不安で塗りつぶされていく。

「少年?」

「…………」

「お~い、だい・じょう・ぶ・か~?」

「ふぁ、ふぁふらはん⁉ ふぁひひへふんへふは?(さ、桜さん⁉ なにしてるんですか?)」 

 不意に空の頬を横に引っ張る桜。

 急な出来事に、空は現実へと戻される。

「少年、気を楽に持て。これはただの会話だ。密会なんて言ってるが、同志と場所さえあれば、どこでも出来る事なんだ」

「でも俺の言動のせいで、その人が独りになるかもしれないんですよ。そう思うと……」

「空君は相変わらず優しいね」

「うん。そんな空、カッコいくて好き」

 三人のおかげで少しだけ気が楽になる空。

 未だ緊張は解けないが、最初の程のものではない。

「ありがとうございます。俺、頑張ってみます」

「その意気だよ」

「楽にいこーぜ」

「この密会に、失敗はないよ。もしそういう話をしなくても、君とその相手には何かしらのコミュニティが築かれるんだ。日本語で言うと『縁』ってやつが結ばれるんだ」

「でも、守秘義務でその人の事、知る事が出来ないじゃないですか」

「ふ、少年は母乳並みに甘いな」

「飲んだ事あるんですか? いや、あるか……」

「濃密な時間を相手と過ごすんだ。声と雰囲気で誰かは分かるさ。分からなくても、この学校の生徒だ。すれ違うくらいはする。もしそいつと会ったら、無言で通り過ぎればいいのさ」

「……桜さんって、真面目なことも言えるんですね」

「褒めても聖水しか出ないぞ」

「俺そんな癖ねぇっす」

「コプロフィリア」

「はいはい姫乃ちゃん。あの二人を見ちゃいけませんよ。指はさしていいけど」

「こら、汚物みたいに扱うな」

「聖水は汚物だがな」

「うるさいよ!」

 いつの間にか、いつもの空に戻っていた。不安は吹き飛び、緊張感もどこかへと消えていた。

「そろそろやらないと……」

「ほんとだ。じゃあ、先に入ってるから。桜、案内よろしくね」

「あぁ。さぁ、少年も個室に行け。楽しんでな」

「はい! ぶちかまします!」

「かまさなくて良いからな」

 空と桜はお互いに下卑た笑みを浮かべた。

        □

 個室の天井に吊るされているランプに電気を入れる。

 手狭なおかげか、ランプの光だけで全体を照らすことが出来た。

 個室は意外と息詰まることなく、むしろ心地よい狭さだった。

「あぁ、トイレに似てるのか」

 折り畳み椅子を出して腰かける。 

 壁の近さと、椅子の高さが空の家のトイレの空間と酷似していた。

 そんな個人的な事を思える程、空の心情は穏やかなものだった。

 コンコン……

「……はい。どうそ」

 扉のノック音で我に返る。頭の中をトイレから、変人嗜好へと取り換える。

「失礼します」

 中に入って来たのは、キャップを被った女生徒。

 顔には舞踏仮面と口元を隠す黒色のマスクを装着しており、身バレ対策を徹底していた。

「も、もしかして、男の人ですか?」

「あ、はい。今年からですけど、僕も参加する事になりました」

 口調と一人称を変えて、空はにこやかに答えた。

「そうなんですか……私も今回の密会が初めてなんですけど、男の人がいるなんて、思っていませんでした……」

 話し相手が異性と言う事に、女生徒は戸惑いを見せる。

「す、すみません。あなたの事を悪く言うつもりはないんですけど、やっぱり、その~、男の人に自分の性癖を言うのって、ちょっと、ていうか、かなり抵抗があって……」

 女生徒は申し訳なさそうに話すが、彼女の言い分に空は深く共感していた。 

 同性同士ならともかく、異性が相手となると性癖や下の話は一気に話しづらくなる。

 女子は性癖や下ネタ話が苦手。

 そんな偏った認識と、女子に嫌われたくない一心で、多くの男子達はそれらを控えてしまう。

 彼女が抵抗を持つのは、変人という認識を『異性』に知られてしまうという、強烈な羞恥心からくるものだった。

「謝らなくて大丈夫ですよ。異性相手に、性癖の話しをするのはかなり勇気がいりますから。でも僕は、例えあなたが性癖や下ネタの話をしても、引かない事を誓いますよ」

 申し訳なさそうにしている女生徒を、空は優しく諭すようにする。

 そのおかげか、俯きがちに話していた女生徒は顔を上げ始める。

「さて、それじゃあ何を話しましょうか……」

 とは言うものの、普通の女生徒が好む話題を持っていない空は、冷や汗をかき始める。

「わ、私…………獣姦が、好きなんです‼」

 突然の事で空は驚いてしまう。

 女生徒は大声をあげて、自身の性癖を暴露したのだ。

 顔の殆どが隠れてはいるが、真っ直ぐに向けられた目は、決死の覚悟と羞恥の心であふれていた。

「も、元々動物が好きなんですけど、え、ええ、エッチなサイトで、女の子がワンちゃんと、その~、シちゃってるのを見て、なんていうか、すごく興奮したんです!」

 ダムが決壊したように、女生徒の身の上話は止まらない。

「馬姦も観たんですけど、あれってどうなってるのか不思議でならないんです。だって現実的に考えたら、あんなにお腹が膨れる事ってないじゃないですか?」「ワンちゃんには球  根って言うものがあって、精液を出すとそこが膨らんで、離れないようにロックしちゃんですよ」

 女生徒の語りは止まる事がなかった。

 獣が持つ性機能の特徴を捉えた話を、理解できる者はこの学校にはいない。

 今この場にいる、もう一人の変人を除いて。女生徒の言っていることが理解できる。だから……

「……知ってますよ。僕もそういうのは好きですから」

「ほ、本当、ですか?」

「はい、本当ですよ。同志の人と出会えて良かったです。女の子だったのは、驚きましたけど」

 同じ趣味の人と出会った瞬間。

 それも空にとって、大好物な二次元でしか実現しないもの。

 そのジャンルに好意を持っているのが、女の子だったのには驚いたが、それ以上に同志という存在に出会えた喜びが大きかった。

「最近の犬姦ものって、リアリティに欠けていると思いませんか?」

「分かる分かる! ワンちゃんが射精する時って、反対方向を向くんだよね」

「そうなんですよ。それに球根が膨らんでるから、抜け出そうにも抜け出せなくて、女の子がもがくんですよ」

「そうそう。あのシーンがね、私的にちょ~絶ポイントなのよ」

 規制なしでは聞けない内容が、その個室内で繰り広げられる。

 最初の不安はどこへやら。その空間には男女という性癖を超え、宗教を冒涜する友情が芽生えていた。

 しかし語っている本人たちの声音は、とても幸せなものになっている。

 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、セットしていたタイマーが狭い個室に響く。

「……もう時間なんですか?」

「そうですね。名残惜しいですけど、次の人も来ますから……」

 お互いに残念なため息を吐く。

「でも、話せてよかった。また話したいけど、今度はいつになるのかしらね」

「そうですね。こればかりは、上の人と相談しないとですから」

「この仮面を外したら、また会えるかしら?」

「それはダメっス! ……あ、い、いや、それは、規約違反と言いますか……」

「くすっ、冗談だよ。これは私の感だけど、君とは一年の教室で会えそうな気がするな」

「あっはは。もしそうだったら、よろしくかわいがってください、先輩」

「じゃあね後輩君。今日は楽しかったよ」

 女生徒は扉を開けて、個室から去って行った。彼女が上級生かどうかは分からない。

 しかし、夢から覚めた彼女の言動は、短いながらも大人のような雰囲気を醸し出していた。

 素性は分からないが、自分よりも年上だと感じた空は、後輩として彼女を送り出した。

「まさか、獣姦好きがこの学校にいるとは……」

 女生徒との会話の余韻に浸る空。

 桜、柚子、姫乃とは違い、自分と同じ趣味を持つ相手との会話は、かなり気持ちの良いものだった。

 中学の頃に否定され、晒され、孤独に追いやれた元凶の種が、ここで花を咲かせた。 

 残念なのはお互いを守るために、彼女と話せる機会はこの場だけに限られるという点だ。

「仕方ないか。相手を守るためだし」

 一人ため息を吐く。

 コンコン……

 そんな中、扉をノックする音が部屋に響く。

「よし、切り替えていくか。……はいどうぞ」

 頬を軽くはたいて、頭の中と気持ちをリセットする。

 ノックの後に入って来たのは、またしても女生徒だった。

 彼女の帽子は中世ヨーロッパで流行っていたと思われる、白を基調とした羽根つきの帽子。

 仮面は宝石のような物でデコレーションされており、帽子に負けず劣らずの派手さがあった。

「凄い帽子と仮面ですね。どこで売ってるんですか?」

「ネットで買ったんだ。それより君は男だろ? 去年は愛らしい女の子だったはずだが……」

(きっと姫乃の事なんだろうな……)

 上から目線の女生徒は少しきつめの口調で、仮面から覗かせる瞳は空を刺すようであった。

「こ、今年から僕も入ったんですよ。でも男の僕に話せない事でしたら、別の話題で――」

「構わんさ。君からは変人の匂いがプンプンするからな」

 女生徒の目に鋭さが増す。桜と似た雰囲気を持ち、思わず彼女を『姉御』と呼びたくなる。

「まぁ、僕は実際に変人ですよ」

「ふふ。君みたいな正直者は割と好きだぞ」

「それが取り柄みたいなものですから」

「正直なのは良いが、社会は建前の世界だ。正直者はこの先苦労するから、気を付ける事だ」

「き、肝に銘じておきます」

「さて、君は睡眠姦はお好きか?」

 話の切り替えしが急カーブ過ぎていた。

 真面目な社会の話を投げ出し、女生徒は睡眠姦について聞いてきた。

「は、はぁ。好きですけど」

「そうか。私はこう見えて面倒くさがりでな。睡眠姦に憧れているんだ」

「そ、そうなんですか。でも、寝ている間に快楽って、感じるもの何ですか?」

「それは分からん。その相手がいないからな。それとも君が私の相手をシてくれるのかな?」

「いやいやいやいやいや⁉ 僕じゃあ、あなたのお相手にはならないですよ!」

「ふふ、冗談だよ。本気にしないでくれ。でも私は君を気に入ったから、OKしちゃうかもな」

 悪戯気味に笑う女生徒。どこまでが冗談なのか、空には測りかねる。

「夢精は知っているな?」

「それは、まぁ、知ってますけど……」

 思春期男子の多くが経験している夢精。

 そのメカニズムは保健体育の教科書にも載っており、当然空も知っているし、経験もしている。

「私はそれに憧れていてな」

「女性にも夢精ってあるんですか?」

「当然だ。呼び方は知らないが、それに似たものを私は経験しているからな」

 保健体育の教科書に書かれているのは、男性の性機能についてが多く、反対に女性の性機能については殆ど記載されていない。

 唯一書かれているのは、生理と子供が出来る仕組みを簡単に書いているだけである。

「一説によれば、睡眠姦は夢精に近い感覚らしいんだ」

「女性の夢精って、どれくらい気持ち良いんですか?」

「普通のエッチよりも気持ち良いとも聞く。夢精を自在に出来るようになれば良いのだが、正直言って私には出来ない」

「難しいんですか?」

「逆に聞くが、君は自分の意志で、夢精をすることが出来るのかい?」

 空は言葉を詰まらせ、無言で首を横に振る。連日で自慰を控えていると、高確率で夢精はする。だが、毎日のように発動させるとなると、それはその道の達人か病気の類である。

 つまりは意識的に夢精をするのは、非常に難しいという事である。

「そういう事だ。だから私は、もっとも実現可能な睡眠姦に憧れている」

「睡眠姦にすごい執着してますね」

「私は快楽に忠実な女だからな。ビッチ発言に聞こえると思うが、こう見えても純愛派だ。そこは勘違いするんじゃないぞ」

 あぁ、この感じは桜さんと似ている。そんな既視感をこの女生徒から感じた。

「自動ピストン機を使いたいんだが、処女は死守したいしな~。かといって手を使うとなると、指のケアを怠る訳にはいかんし。はぁ~、面倒くさい」

 女生徒は深いため息を吐いた。

「その点、男は楽でいいよな。ただナニをこすっていればいいんだから」

「心外ですね。あれは単純な行為に見えて、力加減とスピードに気を遣っているんですよ」

「それは失敬したな」

「あ、思いついたんですけど、夢精するために自慰を控えてみては?」

「私は毎日シたい派だ」

「そこは面倒くさがらないんですね」

 苦笑気味に空は笑う。話せば話す程、桜と話しているようで、素が出てしまいそうになる。

「興味本位で聞くが、君は睡眠姦をしてみたいか?」

「はい? う~ん、そうですね……興味はありますよ」

「なら、私と――」

「だからしませんって……」

「なんだ君はEDか?」

「いたって健康な男子ですから。ていうか、得体のしれない僕なんかが相手で良いんですか? 一応純愛派なんでしょ?」

「不思議なことに、君になら捧げても良い気がするんだ」

「その根拠は何なんですか……」

 半ば呆れてしまう空。この女生徒が、悪い男の人に引っかからないか心配になってしまう。

「この学校で、僕を探さないでくださいね」

「私は鼻が良いんだ。君の匂いは覚えたから、もし出会えたのなら、声をかけさせてもらうよ」

「あなたは犬ですか」

「確かにみんなから、犬みたいだと言われるな。これぞ雌犬だな!」

「やかましい! ……です」

 ついに素が出てしまう空。

 慌てて口調を戻すが、相手の女生徒はしめたと言わんばかりに、口元をにやけさせる。

「素が出たな~、君」

「こほん。とにかく、見つけたとしても、声をかけないでくださいね。お互いを守るためなんですから」

「忌々しい風紀委員からだろ? 私のクラスに二人いるんだが、あいつらのおかげで言論に不自由していてね」

「それでこの密会を利用していたんですね」

 ジリリリリ……

 セットしていたタイマーが鳴り響き、密会の終了を告げる。

「今日は楽しかったよ。君とはまた話したいものだ」

「ありがとうございます。もしも密会の機会がありましたら是非」

「ふふ、君は堅苦しいな。今度はもっと気楽に話し合おうではないか」

 そう言って、女生徒は個室を後にする。

「桜さんみたいな人だったな。思わず素が出てしまった」

 会話に熱が入ると、素が出てしまう。

 気持ちの良い会話には感情が先走ってしまい、自分では歯止めが利かなくなってしまう。

 気分が高揚すると建前が使えずに、思ったことをそのまま口にしてしまうのだ。

 その感覚は、気持ち良く泥酔してしまったような感覚に近かった。

 飲酒で酔った事はないが。

 コンコン……

 気持ちを落ち着けている最中、個室をノックする音が響く。

「はい。どうぞです」

「し、失礼します」

 控えめに入って来たのは、仮面ではなく、狐の面を付けて来た女生徒。

 肩を小さくしながら、どうすればよいのかきょろきょろと顔を泳がせる。

「どうぞ気楽にしてください」

「あ、ありがとうございます」

 空に促されて、女生徒は椅子に座った。そして、俯きがちに声を上げた。

「あの~、あなたは男の人、ですよね?」

「はい、そうですよ。話しづらいかもしれませんが、よろしくお願いします」

 ぺこりと、お辞儀をして相手の警戒心を解くために低姿勢になる。

 口調もなるべく丁寧を心がける。熱が入らないよう慎重に。

「よ、よろしくお願いします」

 女生徒も丁寧にお辞儀を返す。

「あ、あの、正直、男の人にこの事を話すのは初めてなんですけど……っていうより、友達にも話したことないんですけど……」

「そうですか。もし打ち明けにくい事でしたら、無理をしない程度で……」

「……お気遣いありがとうございます。お優しいんですね」

 警戒心が和らいだのか、女生徒の声音には明るいものが含まれていた。

「まぁ気楽に話しましょう。打ち明けたい事があれば、何でもぶつけてください。それ以外の話でもいいですし」

「はい。ありがとうございます。ここには打ち明けたいと言いますか、ちょっと私のお話しを聞いて欲しいというか……」

「分かりました。僕でよろしければ、あなたのお話しをお聞きしますよ」

「お、お願いします……」

 女生徒は深呼吸をして、意を決したように口を開いた。

「……実は私、コスプレにハマってまして。特に作るのが好きで、衣装とか小道具とか、色々なものを手作りしているんです」

「凄いじゃないですか。もしかして、そのお面もですか?」

「……はい。作り方とかは動画を見て勉強しました」

 褒められたのが嬉しいのか、女生徒の声が一段と跳ね上がる。

「よろしければ、少し触ってみても?」

「……良いですよ」

 女生徒から許可をもらい、空は狐の面に触れてみる。

 表面はつるつるとした滑らかな感触で、目や鼻などの細かい窪みの所もしっかりと作り込まれている。

 白、赤、青の三色をきちんと使い分けられており、狐の表情を良く見せている。

「これだけの代物なら、きっと高く売れますね」

「ふふ、お世辞でも嬉しいです」

「お世辞じゃないですよ。正直、僕も一つ欲しいくらいですし」

「それじゃぁ、今度作ってあげましょうか?」

「ぜひお願いします!」

「はい、分かりました。実は他の人に褒められたのは今日が初めてで、その、嬉しいです。誰かに見せる訳でもないので」

「親には見せてないのですか?」

「見せたことはあります。でも、そんな暇があるなら勉強しろ、と言われました」

 女生徒はため息交じりに苦笑する。

「……一つ、あなたに聞いても良いですか?」

「はい。いいですよ」

「どうして、コスプレをしようと思ったのですか?」

「どうして、ですか?」

「無理にとは言いません。僕自身が気になった事ですから」

 女生徒は考える素振りを見せ、しばらくした後に口を開いた。 

「初めて作った衣装の事を、今でも思い出せます。その当時は魔法少女のアニメが流行っていて、私もそれを着てみたかったのが始まりです」

(この人も柚子さんと同じなんだな……)

「最初のドレスはとても不格好でした。採寸もめちゃくちゃで、縫い付けも甘かったんです」

 当時の事を思い出して、女生徒はクスクスと笑う。

「けど作るのは楽しかったし、おじいちゃんとおばちゃんは可愛いね、って褒めてくれました」

 両親の存在が気になるが、家庭事情にまで踏み込むのはどうかと空は考えた。

 話しを聞かせて欲しいと言ってしまった手前、その事について口を挟みづらくもなってしまっていた。

「その二人が褒めてくれた事がきっかけですかね。コスプレをするのも、作るのも。最近は作ってばっかりですけども……」

「優しいおじい様とおばあ様ですね」

「でも、褒めてくれたおじいちゃんは亡くなって、おばあちゃんも高齢で施設に入りました」

 女生徒の声音が暗くなる。それほどまでに、祖父母が遠ざかっていくのが嫌だったのだろう。

「コスプレ衣装や道具を作っても、褒めてくれたおじいちゃんもおばあちゃんも、もういないんです。だからなんでしょうか。作ってても虚しいっていうか……」

「そう、なんですか」

 衣装や小道具を作っても、見せる相手はもういない。

 空はそういう類の寂しさを理解している。

 自分の趣味を打ち明けられる、仲の良い友人がいれば良いのだが……

「……あなたに聞きたい事があるんです」

「何でしょうか?」

「私、コスプレを辞めようと思ってるんです」

「……どうしてですか? コスプレをするのも、作るのも好きなんでしょ?」

「はい。大好きです。楽しいですし。でも、コスプレをしても見せる相手はいませんから。作ってる過程は好きですけど、必ず終わりがあります」

「ちなみに、どんなコスプレをしているのか、聞いても良いですか?」

「え? あ、あの~……」

「言いづらいなら大丈夫ですよ」

「あ、いえ。そういう訳じゃないんです。聞いてくる人もあなたが初めてでしたから」

 俯きがちに話す女生徒の声音には、少しだけ嬉しさのような物が含まれていた。

「昔は魔法少女の衣服を作っていたんですけど、なんていうか、刺激が……」

 徐々に声が小さくなっていく女生徒。言葉が聞き取れず、空は女生徒に聞き返してみる。

「刺激が、なんですか?」

「刺激が足りない気がして、最近は退魔人(たいまにん)の衣装を着ました……」

『退魔人』という単語を聞いて唖然とする空。

 それはエロゲー界隈では有名で、特徴的な単語を数多く生み出した作品である。

 多数のシリーズを出しており、抜きゲーに特化した『退魔人』は、購入した男性たちのティッシュの消費を多くしたという噂もあるほど。

 そして、ゲームキャラクターの衣装は、公序良俗にギリギリ違反しない際どさをしており、これもまた男たちのティッシュの消費量を多くしているとのこと。

「他にも艦メスの島風とか、ドニャクエの女戦士とか、シュタファイのモリガンとか……」

 その他にも、女生徒は次々にコスプレをしたキャラターを挙げていく。

 そのどれもが、肌の露出が多く、男性を魅了するものばかりであった。

「……肌色が多いですね」

「はい。見せる相手はいないんですけど、もし見られたらって思うとその~、嬉しいって言うか、なんというか……」

 女生徒はまたも、徐々に声を小さくしていく。

「ふむ……」

 その様子を見て、空は少し考えてみる。

 コスプレの話をしている女生徒は、どこか楽しそうにしていた。

 ここで辞めてしまうのは惜しいのでは? と思ってしまうほどに。

 しかし、それを言うのもまた違う気がして、その考えを自身の胸の奥に仕舞い込む。

「コスプレを辞めた後の事は考えていますか?」

「とりあえず、勉学に力を入れたいと思います。その方が両親に喜ばれると思うので……」

 勉学に励むのは悪い事ではない。

 教養は社会に必要なものであるし、それに励む姿勢は他者に好印象を与えやすい。

「アニメとかは好きなので、普通に嗜む程度にしておきます。それだけでも、友達と話を合わせる事は出来ますから」

「……確かに、話しを合わせるだけなら、見るだけでいいと思いますよ」

「そう、ですよね」

 女生徒は暫くの間、下を向いたままの状態になる。横から口を挿まず、空は結論が出るまで女生徒を黙って見守る。相談してきた女生徒に対し、空に出来る事は彼女の話しを聞く事だけ。

 自分の人生は、自分で決めなければいけない。

 この相談は、女生徒にとって人生を左右するもの。

 そんな気がした空は、女生徒の選択に口を出さない事に決めた。

「……よし。私、今日限りでコスプレを辞めます!」

 意を決したようで、女生徒は顔を上げて空に向き直る。

「あ、お面はきちんと作りますから、楽しみにしてて下さい」

「……はい。楽しみにしていますね」

 空はにこやかにそう言った。

「将来に向けて、勉強も頑張らなきゃですし。それに、れ、恋愛とかもしてみたいし……」

「やる事があるようで何よりです。一度コスプレから、離れてみるのも悪くないと思いますよ」

「はい。なんだか楽になりました。お話を聞いてくれて、ありがとうございます」

「いえいえ、お礼を言われるほどでは。あなたの言う通り、僕はお話を聞いてただけなので」

「誰かに話しを聞いてもらえる。それだけでも、気が楽になれるんです。内に溜まっていたものを吐き出せた。そんな感じなんです」

 女生徒は腕を上に伸ばして、伸びをする。 

「密会に来れて良かったです。こんなにスッキリするとは思いませんでしたから」

「良かったらまた来てください。その時は、普通にアニメの話しをしましょう」

 ジリリリリ……

 タイミング良くタイマーの音が鳴り響く。

「時間ですね。今日はありがとうございました」

 女生徒は椅子から立ち上がり、扉のノブに手をかけようとする。

「あの、これだけは言わせてください」

「はい?」

 女生徒を引き留めて、空は最後に言えなかったことを口にする。

「僕はあなたの味方です。もしまた、コスプレをしたくなって、小道具とかを作り始めても、あなたを心の弱い人だとは思いません。むしろ、自分のやりたい事に真っ直ぐに突き進む、純粋で心の綺麗な人だと思います」

 お面によって女生徒の表情は分からないが、無言のまま暫く俯いていた。そして――

「ありがとうございます。出来れば、またあなたとお話がしたいです」

「はい。お待ちしています」

 女生徒は小さく手を振りながら、個室を後にした。

        □

 暫くしてから個室を出ると、他の三人はまだ密会中らしく、隣りから微弱の音が漏れていた。

 準備室の方を覗くが誰もおらず、先ほどまで人がいたとは思えない静けさだった。

「んーっ……はぁ~」

 座りっぱなしで固まった体を、伸びをしてほぐす。

 窓から外を覗けば、オレンジ色の空は夜の帳を下ろし始めていた。

 黄昏時の景色を見ながら、空は先ほどまで行っていた密会を振り返る。

「獣姦好きに睡眠姦に憧れる人。コスプレをする人、か……変態の国に生まれて良かったな~」

 感情の熱が冷め、センチメンタル気味に恥ずかしい事を口にする空。

「世の中見えてないだけで、俺と同じ人ってすぐ近くにいるんだな」

 桜、柚子、姫乃以外に特殊な性癖を持つ者、またはそれに憧れている者がいる事を知った空。

 一般常識から少し離れた彼女らは、表と裏に仮面をして、上手く学校生活を送っている。

 この密会はそんな偏屈者たちの仮面を外し、精神的に楽にさせる事ができる場所であると言う事を、空はこの密会を通して改めて知る事が出来たのだ。

「あの~、すいません」

 突如として、視聴覚室の扉が開く。

 慌てて振り返ると、小柄な女生徒が中を窺うように扉から半身を出しており、顔には夜店で売っているような、安っぽいお面を付けている。

「は、はい。何でしょうか?」

「飛び入りなんですけど、大丈夫でしょうか?」

 この場合はどうなるのだろうか。三人はまだ密会中で、終わる気配はまだない。

 個室に入って桜達に聞いた方が良いと思うのだが、密会の流れを断ち切るのはいけないような気がする。

 かといって追い出してしまうのは、偏屈者かもしれない彼女を見放してしまうようで、なんとも忍びない。悩みに悩んだ末。

「……いいですよ。ちょうど僕の所が空いていますので、こちらへどうぞ」

「は、はい。ありがとうございます」

 空は女生徒を連れて、個室へと入って行く。

 このお人好しの選択が正しかったのか、ヘンカツ部員新人の空には知る由もなかった。

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