異世界行ったら最強の魔術師だった。でも本当は……。 作:nyaooooooon
――パチリと。
宵闇の中、ユリヤンは目を覚ました。
「あれ? まだ朝じゃないよな?」
手を伸ばしてカーテンを開けても、目に映るのは暗がりだけ。
ユリヤンは手探りでランプをつけ、時刻を確認する。
時計は、予定した起床時間よりもかなり早い時刻を示していた。
「なんだ、無駄に早起きしちまったな」
愚痴るように呟きながら、両手を上げて伸びを一つ。
隣で寝てる女を起こさないように、そっとベッドから降りた。
寝室を出て、顔を洗う。
「……ふぅ」
顔を水にひたすと、頭がすっきりした。
昨日までの出来事。
今日の予定。
短期的な目標。
長期的な目標。
脳内に、様々な情報が巡る。
「……そうか、今日はダルケル伯爵との会談だ」
ユリヤンは、戦線の軍備増強をあきらめてはいなかった。
先日の会議で、意見を一笑に付されてから。
すぐに、根回しを開始していた。
四大国家の一角、アルバーナ。
その王子ともなれば、交渉材料は多く持っている。
ユリヤンは持てるカードを駆使して、味方を増やそうとしていた。
まずは、ユリヤンの意見に否定的でない者。
次点で、否定的であっても取引に応じそうな者。
それらを標的に、懐柔していく方針だ。
「今のままじゃまずい。
魔族はいずれ、攻めてくる」
ユリヤンはこの考えを確信していた。
具体的な証拠はない。
魔族の行動原理など、自分が知る由もない。
自分の意見を否定する者達を、理解さえできる。
――しかし、確信していた。
剣士の勘。
そう言うしかない。
先日の魔族の動きは、絶対に策謀を持つものの動きだった。
「……まぁ、今日明日に攻めてくるわけでもないだろうが」
顔を布で拭きながら、ふっと息を吐く。
計画は、年単位だ。
少しずつ、地道に会議の意見を掌握していくしかない。
1000年も攻めてこなかったのだ。
あと数年くらい、もつだろう。
「よし」
朝日が昇るのを眺めながら、自分を鼓舞するように呟いた。
寝坊がちなユリヤンは、朝日を見るとすっきりと一日を始められる。
いつもと同じく美しい、茜色の空。
しかしなぜか。
その日は、妙な胸騒ぎがした。
―――――
午後。
ユリヤンはダルケル伯爵との会談を終え、一息ついた。
交渉の感触は良好だ。
伯爵の出身国であるラーガ王国は、アルバーナの南に位置する。
ラーガ王国は病害で穀物が不作だという話を、以前に寝た女から仕入れた。
そこを材料に交渉し、ほぼ狙い通りに話は着地した。
優先的に穀物の取引を行うと約束すると、伯爵は軍備について前向きな姿勢を見せてくれた。
「……はぁ。
過半数まで、あと何十人だ?」
紅茶を飲みながら、ため息をつく。
まだまだ先は長い。
ラーガなど、小国もいいところだ。
意見を牛耳っている派閥に、入れてもいない。
これから先。
今日の交渉などより、遥かに困難な説得をしていくことになるだろう。
場合によっては、武力による脅しも必要になる。
相手は各国の貴族階級。
腹芸はお手の物の、海千山千の権力の亡者達だ。
それでも駆け引きの経験は、自分より遥かに豊富だろう。
だが、やるしかない。
じっくりと、時間をかけて、相手の弱みを探っていく。
見つけた弱みに付け込んで、派閥に取り込む。
まだるっこしいが、これを続けていくしかない。
ユリヤンは紅茶に口をつけて、さらに思考を巡らせ。
カップをソーサーに置いた時。
その耳に、聞きなれない音が響いた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
3回1組の鐘の音。
それが何度も何度も、街中に鳴り響く。
ここにいる誰一人として、これまで聞いたことがなかった音。
この500年間、響いたことがなかった音。
響くはずがない音。
――緊急戦闘配備の、合図だった。
―――――
「――何があった!?」
「――状況は!?」
「――馬鹿な! そんな訳があるか!
もう一度確認しろ!」
ユリヤンが会議室に移動すると、中は騒然としていた。
軍を指揮する立場の貴族たちが皆、真っ赤な顔をして、大声で叫んでいる。
緊急戦闘配備が発令した場合。
兵は直ちに防衛線を敷き、各国の代表はこの場に集まり戦略を論議する。
1000年前から、そのように定められていた。
この場は、この広い要塞都市で最高の意思決定機関。
戦線の命運は全て、この会議にかかっている。
その至高の議事堂に。
怒号、叫声が飛び交っていた。
「皆様、静粛に!」
たまらず、議長が声を上げる。
議長は、四大国家の一つ、シャンパーニ王国の王族である。
この男は、議長という地位を利用して、議決を巧みに誘導し続けてきた。
しかしその男も、ついさっきまで慌てふためいて叫んでいたのだ。
むしろ、その議長の態度が混乱を助長したとすら言える。
言葉の重みは、ゼロに等しかった。
変わらぬ喧噪で、各国の代表は騒ぎ続ける。
代表たちは皆、お抱えの偵察員に怒号を飛ばしていた。
偵察部隊は軍属の機関であり、本来なら代表個人に情報を伝えるものではない。
しかし1000年の間に、軍としての機能は腐敗していた。
自国から派遣した偵察員に、各自が自分を優先して情報を回すよう命じた結果が、この騒ぎだ。
「皆様、静粛に!
静粛に!」
二度目の議長の檄。
あまり効果はない。
しかし大半の者が情報を受け取ったことで、少しずつ場は静まり始めた。
「皆様、お気持ちはわかります!
しかし、我々には時間がありません!
目の前の危機を、いかにして乗り越えるか!
建設的な話をしましょう!」
お抱えの偵察員達が少しずつ退室していき、徐々に、混乱が収束していく。
喧噪は去り。
今度は、通夜のような沈黙がやってきた。
各国の代表たちは、一様に絶望した顔をしている。
警報が鳴った時から、ユリヤンは何が起こったのか、うっすらと勘づいていた。
そして今、彼らの表情を見て、その考えは確信に変わる。
「……改めて、状況をお話します。
魔族が、攻めてきました。
数は、50万。
もう間もなく、この砦へと到来します」
やはりか、とユリヤンはため息を吐く。
誰もが苦悶の表情を浮かべて、押し黙っている。
「対するわが軍は、30万です。
魔術師が10万、戦士が20万。
各々、部隊を指揮していただくことになります。
総指揮は、バルロワ卿が適任かと……」
「う、うむ……」
齢50のロロ=バルロワは、この場で最も身分が高く、戦線の滞在期間も最も長い。
魔族の偵察部隊の相手も、この10年以上バルロワが指揮している。
戦線の代表と言って差し支えない。
総指揮に任命されるのは、彼以外ないだろう。
しかし、本人は自身なさげに、口ごもって頷くだけだ。
かつてない規模の、魔族の侵攻。
そんなものに対処できる自信がある者など、この場にいるはずがない。
そして、対処できなかった場合。
それはすなわち、自分達の死を意味する。
「すでに、兵の配備は完了しています。
普段と同様の布陣に、この都市の全ての戦力を配置しています。
それでは、何か策のある方は挙手をお願いします」
議長は場を見渡すが、誰一人として手を挙げる者はいなかった。
ひたすらに沈黙が続く。
ユリヤンも考えをしぼってみるが、何一つ妙案は出てきはしない。
(……ま、そりゃそうだ)
ユリヤンは心の中でため息を吐く。
兵数何十万という規模の戦だ。
そこで有効な策など、それこそ何年という単位で準備をしておかなければ、機能するはずもない。
魔族との戦争など、絵空事であるかのように。
目をそらし続けていた報いが今、やってきたのだ。
「こんなことなら……」
誰かがぼそりとつぶやいた。
こんなことなら。
こんなことなら、もっと国の予算を戦線に回すべきだった。
もっと、兵の練度を底上げするべきだった。
もっと、備えを講じておくべきっだった。
そんな心中の後悔が、皆の顔に浮かぶ。
しかし、今更何を思っても、過去は変えられない。
すでに賽は投げられてしまった。
迫りくる恐怖に、皆が押し黙っている中で。
スッと。
一人の男が手を挙げた。
ユリヤンだ。
「……お、おお。
アルバーナではないか。
貴殿は軍備の必要性を説いておったな!
先見の明があると認めざるをえまい。
して、何か策があるのか!?」
バルロワが、期待に満ちた声で聞く。
うつむいていたその他の面子も顔を上げ、ユリヤンを見る。
「いえ、ありません。バルロワ卿」
しかし、ユリヤンの返事は期待したものとは違った。
皆がその返事に落胆し。
それなら何故挙手などしたのかと、非難の視線を向ける。
「しかしですね皆さん。
なぜ、そんなに落ち込んでらっしゃるのか。
私には分かりかねます」
ユリヤンが、よく通るはっきりとした声で言った。
「所詮魔族など、取るに足りない下等な生き物だと。
普段から仰っていたではありませんか。
……いえ、私は本心から述べているのです。
数で負けている。
何故その程度のことで、こちらが劣勢だと決めつけているのですか」
聞く者は皆、怪訝そうな顔をユリヤンに向ける。
ユリヤンはなお、堂々と主張を続けた。
「私は今、過去の自分を恥じています。
軍備の増強など、必要なかった。
最近皆様とお話させていただいて、自分の考えの誤りに気付いたのです。
前回の会議で皆様が仰っていたことこそが、まさに正論だったと。
会議で私が言ったことは、的を得ない愚かな意見だったと、考えるようになったのです。」
そこで一拍おき、ゆっくりと周囲を見渡す。
そして、皆の意識が完全に自分に向くのを確認し、言った。
「皆様、たかが魔族です。
歴史上、ヒトの英知の結晶たる魔術に、奴らが抗えた試しはありません。
いつものことではありませんか。
やつらは魔術の威力に恐れをなし、なすすべもなく逃げていく。
……まぁ、今回は数が多い。
たしかに打ち漏れは出るでしょう。
しかしそこで奴らを待ち受けるのは、各国の粋を結集した屈強なる戦士達です。
あのような下等生物など、一刀のもとに叩き伏せることに疑いの余地はないでしょう」
ユリヤンの、毅然とした物言いに。
ほんのわずかに、皆の眼に光がともる。
「具体的なお話をしましょう。
50万の魔族のうち、30万は魔術の弾幕を躱せずに死ぬでしょう。
近づけるのは、20万。
例え数が同じでもこちらが勝つというのに、20万対30万の勝負です。
負ける要素がないではありませんか」
ユリヤンは両手の平を見せ、笑いながら言った。
そんなに、うまくいくわけがない。
多くの者がそう思った。
しかしその反面、気づいた。
そのようにならないという根拠もまた、ないことに。
この場の誰もが、魔族との戦争の経験などないのだ。
しかし普段の戦闘の様子を考えると、こちらが有利に思えなくもない。
皆の腰が引けている最も大きな理由は、「経験したことがない」ということなのだ。
「確かに、かつてない規模の戦闘が予想されます。
しかしそのことで皆様、浮き足立っておられるようだ。
長く戦線にいると、前例のないことがそれほど恐ろしく映るのでしょうか。
私のような新参者には、分かりかねますね。
これから始まるのは、いつもと何の変りもない、ただの狩りですよ。
それとも、まさか本当に、魔族に怯える臆病者しか、この場にはいないということですか?」
ユリヤンは、相変わらず笑みを浮かべたまま。
会議の場ではありえないような暴言を吐いた。
「ふざけるな!」
「若輩が! 調子に乗るな!」
「我らがどれだけの時間、奴らと相対してきたと思っている!」
押し黙っていた面々が、急に騒ぎ出す。
その目には、先程まではなかった闘争心が宿っていた。
「……いいだろう。
いや、貴卿の言う通りだ。
……皆の者。
我らの力、調子に乗った魔族に知らしめてやろうではないか!」
バルロワが叫ぶ。
その顔には、先程までの動揺はなく。
覚悟を決めた表情に変わっていた。
「――魔族を滅ぼすぞ!」
バルロワの雄たけびに。
その場の全員が、大音量の返事で応えた。