異世界行ったら最強の魔術師だった。でも本当は……。 作:nyaooooooon
クリスと俺を乗せた馬車は、アバロンを出発した。
彼女は言葉少なに、ゆっくりと流れる景色を見ている。
俺も特に話すべきことはなく、彼女の横顔をぼんやりと見ていた。
少しずつアバロンの街が遠ざかり、村の畑や果樹園が目に入る。
多くの村人が、農作業に勤しんでいた。
さらに馬車は進み、辺りは森に囲まれる。
長く続く森の景色は、その中にいる魔物の姿を覆い隠して広がっている。
しかしクリスには、その気配が鋭敏に伝わっているのだろう。
やがて。
空が暗くなり、ポツリ、ポツリと、雨が降り始めた。
……雨か。
クリスと組んだクエストで、雨は一度もなかった。
雨は、どうだろうか。
クリスの動きに影響しないか。
「クリス、この雨は大丈夫なのか?」
彼女は景色から視線を外し、俺の方を見て言った。
「問題ない。むしろ好都合だ。
雨だと匂いが薄れる。
やつがどうやってこちらを認識しているか分からないが、情報は少ないに越したことはないだろう」
クリスと目が合う。
相変わらず、綺麗な瞳の色だ。
とても澄んだ、カナリヤ色の瞳。
初めて出会った時に、この瞳を俺は信じた。
その判断は、間違ってなかった。
クリスは良くも悪くも、真っ直ぐなやつだった。
雨の中、馬車はつつがなく走り、目的の村へと到着した。
―――――
「さて、ここからは徒歩だ。少し険しい道も通る。
ここで一度休ませてもらおう」
村の門の下で雨宿りしつつ、持ってきた食事を取った。
クリスは弁当を用意していた。
俺はいつものパンとカシーだ。
食べた後しばらく休んでから、歩き始める。
2時間ほどの道のりだ。
ちょうど、サンドラ村からクレタの街くらいの距離か。
鎧を着ている分、少しばかり体力の消耗は激しいが。
黙々と歩く。
最初は道の上を歩き、途中で逸れた。
進んでいくと森にぶつかり、その中へ入っていく。
しばらく森を歩くと、湖があった。
「……この湖のそばに出るという、ポイズンリザードを狩りに来ていたんだ。あの時は」
湖畔を歩きながら、クリスが独り言のように言った。
6年前か。
「こんな道を、よく生きて帰ってこられたな。
キマイラが追ってこなかったにしても、子ども1人で通るにしては険しすぎるだろう」
「私には、魔物の気配が分かったからな。
恐らく、魔物との遭遇を避けながら歩くことができたんだろう」
「恐らく?」
「ああ。あの時のことは覚えてないんだ。
走り出して、気づけば、アバロンの家にいた」
「……そうか」
そこで、会話は途切れた。
しばらく2人で、黙々と歩いた。
しかしふと見ると、クリスの顔に暗い影が宿っていた。
一歩踏み出すごとに、影が深みを増していく。
そして彼女はついに、これまでに見せたことがないほど暗鬱な表情になった。
……どうしたというのだろうか?
不意に、クリスが話の続きを始めた。
「帰り道のことは、覚えていない。
だが……それなのに。
両親を見捨てて逃げた時のことは、鮮明に覚えている。
両親と共に戦うことなど考えず。
恐怖に駆られて逃げ出した、あの瞬間のことは」
――ピタリと。
クリスが立ち止まる。
「……そうか。
そうだったんだ。
確かに、母は逃げろと言っていた。
私は今まで、その言葉に従ったつもりでいた。
……だが、本当は違ったんだ。
もしも、逃げるなと言われていても、私は逃げていた。
やつに立ち向かうことなど、まるで考えていなかった。
生き残りたい。
それだけだった」
押し殺したような声だった。
「私は……そんな自分が、許せなかったんだ」
そう言って、クリスは天を仰いだ。
雨粒が、クリスの顔に落ちては弾けていく。
……ほう。
彼女が逃げたのは、母親の言葉に従ったからではなかったらしい。
彼女は自分が助かりたいがために、逃げ出したのだという。
なるほど、恐らくその事実こそが、彼女をこれまで苦しめた原因なのだろう。
もしかしたら俺を助けてくれたのも、どこまでも真っ直ぐな性格も。
無意識にその過去を覆い隠そうとしていたからなのかもしれない。
もしくは、その贖罪のためか。
……つまり、この復讐は、動機が違った。
キマイラに両親を殺されたことで、キマイラを恨んでいるんじゃない。
キマイラから逃げた自分を克服するために、キマイラを殺そうとしているのだ。
クリスが、振り返って言った。
「すまない。ハジメ。
直前になって、こんなことを。
今になって気づいた。
私は、やつを許せないんじゃない。
私が許せなかったのは、自分自身だった。
君を助けたのも、ただ自分の後ろめたさから目を背けるためだったんだ。
だから、君は恩なんて感じる必要はなかった。
それなのに、ハジメの優しさにつけ込んで。
その命を危険に晒して。
自己満足の復讐に付き合わせるなんて」
見ると、クリスの目には涙が溜まっていた。
「心底、自分が嫌になった。
……ごめんなさい。ハジメ。
今更、気づいたの。
ごめんなさい。
もう、あなたは大丈夫。
ここからは、私ひとりで行くから。
ごめんなさい」
最後には消え入りそうな声になってそれだけ言うと。
クリスは前を向き、歩き始めた。
――何? え?
だからって、俺を置いていくつもりなのか?
ちょっと。
「待てよ」
思ったよりも、硬い声が出た。
俺の声に、ビクッと身体を震わせ、立ち止まるクリス。
その背中は、普段の頼もしさからは想像もつかないほど弱く、儚げに見えた。
全くコイツは、何も分かっていない。
このままでは、一生分からないのだろう。
誰かが言ってやらなければ。
……こんなことは柄じゃない。
柄じゃないが、どうやらそれを伝える役者は、俺しかいないようだ。
意を決して、俺は口を開いた。
「何突然語り出して、俺を放り出そうとしてるんだ。
こっちは何一つ納得できてないってのに。
我が身可愛さに逃げ出した?
それを忘れるための、自己満足のための復讐だった?
それに俺を付き合わせてしまった?
そのことに、今頃気づいた?
――そんなの全部な、知ったこっちゃないんだよ」
クリスは背中を向けたまま、うつむいている。
「……いいか?
俺が君に、君の復讐に協力しようと決めてるのは、君の行動の結果なんだ。
例えどんな理由だろうと、俺は初めて会ったあの時に、君を信じると決めた。
それはクリスを、君が許せないと言う君自身を、俺は信じられると思ったからだ。
でなけりゃ、命を救われたって、もう一度その命を賭けられなんかしないよ」
雨が一段と強く降り、木々の葉を揺らした。
その音に負けないように、できるだけはっきりと伝える。
「自己満足だろうと構わない。
それでクリスが救われるんなら。
そのために命を張ると、そう決めてここまでやってきたんだよ、俺は。
つまり俺にとってはクリスの動機の違いなんて、些細な問題なんだ。
……だから、なぁ、一緒に行かせてくれ。
ここまで一緒にやってきたのに。
勘違いしてた自分がちょっと恥ずかしいからって、突然放り出すなんて……あんまりだろ?」
クリスは背中を向けたまま、動こうとしない。
よく見ると、肩が震えている。
そのまま、少し沈黙が続いた。
雨は容赦なく降り続け、俺とクリスの体を濡らす。
このまま動かないと、冷えきってしまいそうだ。
やがて小さな声で、クリスが言った。
「……本当に?」
「ん?」
「本当に、手伝ってくれるの?」
「ああ」
「こんな、自分のことしか考えてない、その自分のことすら、見たくない所から目を背けてた、馬鹿な私を?」
「ああ。そんな馬鹿なクリスをだ」
「なんで……」
「なんでってそりゃ……そうだな。
君が、どうしようもなく、真っ直ぐだからかな。
本音の動機なんて言わなきゃ俺は分からないのに、気づいたら言わずにはいられない所とか。
目を背けてるくせに忘れられなくて、克服するために精一杯頑張って、他人の俺を助けてくれるところとか」
初めて会った時のことを、思い出しながら言う。
「例えきっかけがどうだって、それだけずっと正しくあれるなら、それはもうクリス自身だと思う。
もし俺にそんな過去があったら、きっとそれに囚われて何もできないままだったよ。
何もせずにボンヤリ一生を終えるか、非行にでも走ったろうと思う。
でもクリスは、そうじゃなかった。
……俺から見たクリスは、自分の過去としっかり向き合ってて、他人を想いやれる、どこまでも真っ直ぐな、優しい女の子だよ」
言ってから赤面してしまう。
……キザ過ぎた。
「だ、だからさ、さっさとキマイラをぶっ殺して、いつものバーで乾杯しようぜ。やつの肉でもツマミにしてさ」
あわてて付け足すが、なんか空回りした感じだ。
クリスの反応はどうだろうか。
置いていくのは思い直してくれただろうか。
様子を伺っていると、彼女はこちらを振り向いた。
その目には雨でもハッキリと分かるほどの、大粒の涙が流れていた。
「お、おい、大丈夫か?」
俺の言葉は無視して、クリスは俯きながらこちらに向かってくる。
な、なんだ?
俺が動けないでいると、クリスは両腕を広げ、俺に抱きついてきた。
「うおっ!
……え、えーっと……クリス?」
俺の言葉は全て無視し、そのままの体勢を維持するクリス。
手のやり場に困った俺は、とりあえず頭を撫でてみた。
濡れてるのに、指通りは滑らかだ。
これはきっといいシャンプーを使ってるに違いない。
しばらくそのままでいた後。
「ありがとう、ハジメ」
胸の中からポツリと、そう聞こえた。