異世界行ったら最強の魔術師だった。でも本当は……。 作:nyaooooooon
馬車は北方のノーデンス領を越え。
ついに、アルバーナの国を出た。
国境には関所があったが、概ねすんなりと抜けられた。
冒険者ギルドのバッジが、パスポート代わりとして役立ってくれた。
それからも馬車は順調に北上しているが、約1名のみ、問題が発生している。
「……ハ、ハジメ、助けてくれ。
寒くてたまらない。
何だこれは。
これが本当に同じ世界なのか。
寒いというか、もはや痛い。
震えが止まらなくて、剣も握れない。
た、頼む、その首に巻いてる暖かそうな布を私に恵んでくれはしないだろうか?」
馬車が進むにつれて。
予想通り、気温は下がっていった。
旅が始まって20日ほど。
進んだ距離は如何ほどだろうか。
ずっとやせ我慢していたクリスだったが、徐々に増していく寒さに、ついに根をあげた。
「あれ? 家のタンスから持ってきたから、大丈夫なんじゃなかったっけ?」
薄手のコート1枚のクリスに対して、俺の装備は万端だ。
ローブの上から、魔物の羽毛をふんだんに使用したダウンコートに身を包み、首元、手元もマフラーと手袋でガードしている。
驚いたことに、これらは以前の世界の服よりも暖かい。
技術的には、こちらの世界の方が明らかに劣るはずなのに、なぜなのか。
その理由は、魔物の素材を使用していることにある。
魔物の毛皮は、動物のそれに比べて品質が非常に優れている。
だからこの世界の服飾品は、そのほとんどが魔物の素材でできているのだ。
魔力を宿しており、それによる恩恵が大きいのだという。
確かに着ていると、魔力によって守られている感覚がある。
Cランクの魔物の素材ですらこれだ。
強力な魔物になれば、もっとすごいのだろう。
ギルドに、魔物の討伐依頼が絶えないわけだ。
そんな俺の考察をよそに、クリスは訴える。
「そんな意地悪を言うのはやめてくれ。
ああ、ほら見ろ。
吐く息が白いぞ。
こんなのは見たことがない。
これはもしかしたら、死の徴候なのかもしれない。
例えこの旅で命を失ったとしても悔いはないが、それでもこんな死に方はあんまりだと思わないか?
頼むハジメ。
助けてくれ」
もはや涙声になっていた。
哀れだ。
「……バカね。クリス。
事前の準備が足りないからそんなことになるのよ。
寒さなんて、容易く予測できた事柄でしょう」
エミリーが言う。
彼女は普段のゴスロリの上から、何やら暖かそうなふわふわした白いコートを身に纏っている。
同じ素材の耳当てと手袋をつけて、気づけば優雅に紅茶を飲んでいた。
「エ、エミリー。
それは紅茶ではないか。
いったいどこから出したんだ。
……いや、そんなことはどうでもいい。
頼む!
その紅茶を、私にも分けてくれ!」
クリスは一縷の希望を見つけたとばかりに、かのカンダダもかくやという顔でエミリーに縋り付く。
その顔を睥睨し、一息吐いた後。
エミリーは、ニヤリと微笑んだ。
「1杯、金貨1枚よ」
「なっ!
それは高すぎるぞエミリー!」
「私も貴族じゃなくなっちゃったし、これからはお金を稼がないといけないものねぇ。
価格とは、需要と供給の均衡で決まるもの。
今この場での紅茶1杯は、金貨1枚に相当する価値があると私は思うのだけれど……あら?
納得いかないなら飲まなくても結構よ?」
エミリーはクリスを見つめたまま。
カップにフーフーと息を吹きかけて、再度紅茶に口をつける。
「あちっ」
小声で、しかし確実にクリスに聞こえる音量で呟いた。
その瞬間。
亡者の群れに落とされたかのような絶望が、クリスの全身からほとばしるのが見えた気がした。
「あんまりだ!
うぅぅ!
なんでこんなことに!
家族の皆は、このコートさえあればどんな寒さだってへっちゃらだと言っていたのに!
どんな夜だって、このコートがあれば外に出ても寒くないって言ってたのに!
行きつけの服屋でも、太鼓判を押されたのに!」
馬車内に、クリスの絶叫がこだました。
「……それは、その人達が皆、アルバーナから出たことがないからでしょう?
相談するなら、相手の背景も考慮しないとダメよ。
善意で発せられた言葉だからといって、正しい保証なんてどこにもないんだから」
エミリーが冷酷に言い放つ。
それを聞いたクリスの顔が歪んだ。
「あああああ!
もうダメだ!
寒い! 寒い! 寒いぃ!
このままでは死んでしまう!」
再度、絶叫が響き渡る。
人生を忍耐に捧げて生きてきたような彼女だが。
その忍耐も、初めての寒さの前に、脆くも敗れ去ってしまったようだ。
……しょうがない。
俺のマフラーを貸してやろう。
そう思って首からマフラーを外そうとしたとき。
エミリーがため息をついた。
「……はぁ。
まぁ、寒さを知らないあなたが、不十分な装備で旅支度を終えてやってくることも、容易く予測できた事柄ではあったのだけどね」
そう言うと、エミリーは荷物入れから服を取り出した。
黒のコートだ。
厚手の生地でできており、フード付き。
しかしエミリーには、どう見てもサイズオーバーな代物だ。
「エミリー、まさかそれは……」
「あげるわ。
大切に使いなさいよ?」
エミリーはコートをクリスに押し付けると、再び紅茶を飲み始めた。
クリスは渡されたコートを持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。
「…………エミリー」
「何よ」
「お代は……?」
エミリーが吹き出す。
「いらないわよ!
もう、バカ。
ちょっとからかっただけじゃない。
凍死する前に早く着なさいよね!」
その言葉を聞いて、クリスはホッとした表情でいそいそとコートに袖を通し始めた。
「ありがとう、エミリー!」
「どういたしまして。
ほら、鼻水が出てるわよ」
エミリーがポケットからハンカチを取り出して、クリスの顔を拭った。
どっちが年上だかわかりゃしないな。
「よかったな、クリス。
ほら、俺のマフラーも貸してやるから」
ついでにマフラーをクリスの首にかけてやった。
「ありがとう、ハジメ
ああ、暖かい。
あったかいよぅ」
クリスはようやく人心地ついたようで、言葉から安堵が滲んでいる。
その様子を見ているエミリーは、心なしか少し頬が緩んで見える。
「それにしても、よく予備のコートなんて持ってきてたな」
「まぁ、なんとなくね。
本命はクリスだったけど、あなたも怪しかったから。
ついでに買っておいたの。サイズも似たようなものだし」
「もし2人とも凍えてたら、どっちに渡したんだ?」
「そんなの、クリスに決まってるじゃない」
「そうか。不満はないけど、理由は?」
「寒がるハジメを見て、私が笑うためよ」
「最悪な理由だった!」
エミリーは魔術で再度ポットを温めた後、中身をカップに注いでクリスに渡した。
「ごめんねクリス。
出発前に確かめることも考えたんだけど、私も寒さがどんなものなのか体験したことはなかったから、人に指図できるほどの確信は持てなかったのよ。
最悪、装備が足りなくてもトリアノンの街で買い足せばいいかな、とも思って」
クリスが紅茶をすすりながら答える。
「いや、これは完全に私の落ち度だ。
エミリーも国を出るのは初めてだろうに、本当に助けられた。
ありがとう。
この恩は、いつか必ず返す」
実直なクリスの言葉。
しかしエミリーは、不満そうな顔で答えた。
「……返さなくていいわ。
私は、クリスが困ったら手を貸すし、私が困ったら手を借りるつもりだもの。
そんなのいちいち数えてたら、バカみたいじゃない。
クリスは、少し驚いた顔でエミリーを見る。
エミリーは、頬をほんのり赤くして、顔を背けていた。
……
俺も、エミリーとクリスのことを、仲間だと思っている。
しかし相手もそう思ってくれていて、それを言葉にされると、思った以上に嬉しく感じる。
「仲間……そうだな、その通りだ。
すまない、エミリー。
何しろハジメと会うまで、ずっとひとりで生きてきたからな。
パーティーを組んだのなんて初めてなんだ。
何というか……心強いものだな。
改めて言う。ありがとうエミリー。
次は、私がエミリーを助けよう」
「……まぁ私も今まで、仲間なんていたことなかったんだけどね」
エミリーは、少しはにかみながら、そう答えた。
……よし。
いい機会かもしれない。
ここはひとつ、俺も決意表明といこう。
うほん。
「俺も、お前らに会うまで、仲間なんていなかった。
俺はずっと、その存在を欲していたんだ。
お前らが一緒に来てくれて、本当にうれしく思ってる。
俺は絶対に、この絆を手放さない。
お前らが危なくなったら、命を懸けて守るよ」
言い出しっぺの責任だ。
この誓いは必ず守ろう。
と思ったら目の前で、クリスが口を尖らせていた。
「足りないぞ。ハジメ」
「へ?」
何が?
「今、私がエミリーに言われたことではないか。
ハジメが守るだけでは足りない。
ハジメが危なくなったら、私達にもハジメを守らせてくれなければ。
私達は自分の意志で、ハジメに同行しているのだ。
ひとりで責任を負おうとするんじゃない」
「その通りよ、ハジメ。
カメムシの分際で私達を一方的に守ろうなんて、よくもまぁそんな発想に至るものだわ。
あなたの方が欠点だらけなんだから。
むしろ、欠点ばかりでマトモなところなんて探すのに苦労するくらいなんだから。
大人しく、私達にも守られていなさい」
クリスとエミリーから、総攻撃をくらった。
……そうか。
俺も
「そうだな。
じゃあ俺が危なくなったら助けてくれ。
必ず3人そろって、エルフの里にたどり着くぞ」
クリスとエミリーは、揃って頷いた。
馬車は変わらぬ速さで道を進み。
それから10日程で、俺達はエルフの里の最寄りの街、トリアノンへと辿り着いた。