異世界行ったら最強の魔術師だった。でも本当は……。   作:nyaooooooon

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森の中の冒険④

 魔族は、クリスに向かって駆けた。

 

 10メートルの間合いが数歩で失われ、その勢いのままに爪が振るわれる。

 その先端はもはや、俺の眼には見えない速度に達していた。

 

 ゴォン! と鈍い音がして、クリスが吹っ飛ぶ。

 なんとか盾で防いでいたが、受け身を取るのがやっとの状態。

 対する魔族は態勢を崩しておらず、追撃のために膝を曲げる。

 

「エアスラッシュ!」

「ファイアランス!」

 

 俺とエミリーが、同時に叫んだ。

 風の刃と炎の槍が、魔族に向かって飛んでいく。

 

「ハッ! 下ラヌ!」

 

 魔族の両腕の鱗が籠手のような形に変化した。

 右腕でエアスラッシュを、左腕でファイアランスを弾く。

 弾かれた魔術は、魔族の後ろの木々を切り倒し、炎を上げた。

 

「そんなことできんの?」

「次っ! 撃つわよ!」

 

 エミリーに急かされ、再度魔術を放つ。

 しかしいずれも弾かれ、魔族はノーダメージだ。

 

 しかしその間にクリスが態勢を立て直し、魔族に向かって切りかかる。

 申し分ない速度と威力。

 これまで幾度も魔物を屠ってきた、クリスの剣技。

 しかし。

 

 大上段から放たれたその一撃を、魔族は両腕を交差して防いだ。

 ギィン! と鋭い音がして、剣が中空で動きを止める。

 まずい――剣を折られる!

 

 俺が懸念した通りに、交差した腕がさらに閉じ、剣の横腹に力が加わった刹那。

 クリスの蹴りが、魔族の顔面を捉えた。

 魔族は1歩後退し、反動を利用してクリスは剣を引き抜く。

 そのままバク宙をきめて、間合いをあけ。

 クリスは再度、構えの態勢をとった。

 

 蹴りを食らった魔族は、コキリと首を鳴らし、笑った。

 

「フハハハハハ!

 ヒトノ分際デ、ナカナカヤルデハナイカ!

 ドウヤラコレマデノヤツラトハ、一味違ウヨウダナ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような、邪悪な笑い声。

 森全体が、ザワザワと身震いしているような気さえする。

 だが、それよりも。

 

「……これまでのやつらって、どういうことだ?」

 

 まさか、冒険者が誰も帰ってこなかったのは……。

 

「ハッ!

 貴様ラノヨウナ、森ニ入ル愚カ者ドモヲ、俺ハ残ラズ食イ尽クシテキタ。

 ソレダケノコトダ。

 貴様ラデ何人目カ、モハヤ分カリハセンガナ」

 

 腑に落ちた自分が嫌だった。

 誰も帰ってこなかったのは、こいつが原因だった。

 数々の冒険者達が、目の前のこいつに殺されたのだ。

 俺達と同じように、森の中を探索していたパーティーが。

 

 こいつにとっては、何度も繰り返してきた、お馴染みの出来事なのだろう。

 俺達がその列に加わることを、信じて疑っていない。

 

 そうなったら、どうなる?

 反射的に頭に浮かんだのは、クリスとエミリーの無残な亡骸。

 それらを弄び、四肢を切断して食す魔族。

 2人の温かさ、美しさ、人間性、その他全てが失われ。

 倒れ伏す2人の虚ろな瞳が、俺に無念を訴えてくる。

 

 ――想像するだけで、吐き気がする。

 

「あああぁぁ!」

 

 激情に任せて、無詠唱魔術を連射した。

 炎、氷、風、岩。

 幾つもの弾丸が、魔族へと向かって飛んでいく。

 しかしその全てが、避けられるか弾かれるかのどちらかに終わった。

 

「終ワリカ? 下ラヌ」

 

 奴は息ひとつ乱していない。

 それどころか余裕のつもりか、その場から一歩も動いていない。

 クソッ!

 ……って、あれ?

 

「ヌ?」

 

 気付けば、クリスがすぐ傍にいた。

 

「走れ! ハジメ!」

 

 クリスに手を引かれ、訳も分からぬまま走り出す。

 奴とは反対方向へ。

 そして視線の先で、エミリーが杖を構えていた。

 

「求むるは力。

 古より続く盟約を今果たせ。

 ――インフェルノ!」

 

 森の中に、その声は凛と響いた。

 同時に、エミリーの杖から紅く光る火球が飛ぶ。

 それは着弾と同時に周囲の雪を蒸発させ。

 木々を炭に変え、地面を溶解した。

 そして瞬く間に、その範囲を広げ。

 ありとあらゆるものを焼き尽くしていく。

 

 クリスに引っ張られながら、俺は炎に巻かれるギリギリのところを走り抜けた。

 激しい熱風が背中に浴びせられる。

 蒸発した雪で景色が霞む中。

 エミリーと合流し、その場から離れた。

 

 

 ―――――

 

 

「……はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 息が乱れる。

 なんとか炎の効果範囲から離脱し、立ち止まった。

 

「ナイス、エミリー」

 

 隣で同じく息を切らしているエミリーに声をかける。

 

「あれだけの規模だ。避けられたとは思えない……よな?」

「そう、願いたいけど。

 ……どうなの、クリス?」

 

 その言葉を受けてクリスを見ると。

 眉間に皺を寄せ、苦々しい顔をしていた。

 

 ――ああ。

 その顔が結果を如実に表してしまっている。

 

「……残念ながら、ダメだったようだ。

 やつの気配は消えていない。

 炎を迂回して、こちらに向かってきている」

「そう……」

 

 エミリーが、明らかに落胆した声を出した。

 ここまで分かりやすい感情表現は、彼女には珍しい。

 とはいえ俺も、かつてないほど落胆した。

 

 ――恐ろしい。

 死が、目前に迫っているのを感じる。

 自分の命だけならまだいい。

 何より恐ろしいのは、彼女達を失ってしまうことだ。

 

 俺が望んだこの旅で。

 こんな訳の分からない場所で。

 無残にも、彼女達の命を奪ってしまう。

 それだけは、何を犠牲にしても、避けたい。

 

 行きがけに、危険は共有すると決めた。

 しかし俺には、どうしても無理なようだ。

 彼女達の命と、俺の命。

 天秤にかけたらどちらに傾くかなんて、決まりきっている。

 

「どうする?

 時間はあまりない。

 やつは着実に近づいてきている」

 

 クリスが、焦りをはらんだ声で言った。

 

「俺に考えがある。

 クリス、やつの位置を教えてくれ」

「……どうする気だ?」

 

 不安げな顔のクリス。

 

「俺達はやつの場所を把握できて。

 そして恐らく俺達だけが、遠距離攻撃の手段を持ってる。

 なら、やることは1つだろ?

 ……やつが近づく前に、魔術をしこたまぶち込んでやる」

「……なるほど。

 その案でいこう。

 やつは向こうの方向からまっすぐやってきている。

 ここまで来るのに、1分はかかるだろう」

「了解。ちょうどいい位置に来たら合図を頼む。

 2人は巻き添え喰らわないように、ちょっと後ろで待機しててくれ」

 

 エミリーとクリスが、俺の後方に移動する。

 

「ハジメ、あと30秒ほどだ」

「方向は?」

「変わりない」

「よし」

 

 クリスが指さす方向へ、杖を構える。

 

「あと10秒」

 

 意識を集中し、術式を作り上げる。

 クリスが不気味な存在だと言った時点で、最初からこうすべきだった。

 

「3、2、1、今だ!」

「フレイムピラー」

 

 かつて、学院の演習場で起こした火の柱。

 俺の魔術はエミリーのものと比べれば威力は劣るだろうが、効果範囲に関してはこちらが上だ。

 そして――。

 

「フレイムピラー

 フレイムピラー

 フレイムピラー

 フレイムピラー

 フレイムピラー

 ……」

 

 エミリーと違って、俺は1発だけじゃない。

 闇雲に。

 めくら滅法に。

 やつの想定位置の前後左右にずらしながら、とにかく連射する。

 

 目の前はすでに、炎しか見えない。

 だが、とにかく撃ち続ける。

 クリスの感覚が確かなら、これに被弾しないはずがない。

 

「――ダメだ! 来る!」

 

 クリスの叫び声。

 聞こえたと同時に、炎の中から現れた存在を認識した。

 炎に照らされた黒い影が、すさまじい速度で迫ってくる。

 

「「ハジメ!」」

 

 エミリーとクリスが同時に叫んだ。

 影はエミリーが放った風魔術を躱し、俺に肉薄する。

 

 ゴォン! と、衝撃音が響いた。

 間一髪で、クリスが盾で受け止めてくれていた。

 影は動きを止め、その姿が露わになる。

 

 翼は焼け落ち、骨が露出していた。

 全身の鱗は至る所が溶け落ちて、皮膚はただれ、その奥の組織を晒している。

 ――変わり果てた魔族の姿が、そこにはあった。

 

 それを成したのは俺の魔術か、エミリーの魔術か。

 少なくともどちらかは、功を奏したようだ。

 

「許サン」

 

 クリスが俺を突き飛ばし、魔族と対峙する。

 

「許サンゾ! 貴様ラ!

 一匹ズツ、八ツ裂キニシテクレル!」

 

 その咆哮には、すさまじい憎しみが宿っていた。

 鼓膜がおかしくなりそうな声。

 満身創痍の姿だというのに、先ほどよりも遥かに威圧感が増している。

 

 しかし敵のそんな姿に、一切の動揺を見せることなく。

 クリスは魔族と斬り結ぶ。

 洗練された舞のような、美しい剣筋、立ち回り。

 魔族の絶大な膂力を、巧みに躱し、逸らし、攻撃に転じる。

 

 その姿は、かつてキマイラと戦った時と重なって見えた。

 いつだってクリスは、強大な敵に怯まず、まっすぐに立ち向かっていく。

 

 だが、魔族の攻撃は、先ほどよりも遥かに鋭くなっていた。

 さっきまでは余裕を残していたのか。

 それとも火事場の馬鹿力というものなのか。

 即死級の一撃が次々と繰り出され、クリスを襲う。

 状況は、クリスがやや押されているように見える。

 俺とエミリーも魔術で援護するが、劣勢を五分にするのがせいぜいだ。

 

 ――このままではまずい。

 状況を打開する策を頭に巡らせ始めた時。

 

 状況が転じた。

 悪い方に。

 

 魔族の蹴りを、クリスが避けた後だった。

 かがんだ態勢のクリスは、伸び上がる力を利用して反撃に転じる途中。

 本来であれば、何でもない動作。

 鍛え上げた下半身は、クリスの命令を忠実に実行するはずだった。

 

 しかし、1ヶ月を森の中で過ごし、魔物と戦い、俺とエミリーを引っ張って全力で走った末の、魔族との立ち合い。

 その両脚には、確実に疲労が蓄積していた。

 無意識にそれを補おうとした結果、クリスは地面の摩擦を過信してしまい。

 炎で雪が融け、ぬかるんだ地面は、その跳躍を支えきれず。

 

 ――クリスの脚は、滑った。

 

 逆袈裟に放たれるはずだった太刀筋は、方向が大きく逸れ。

 魔族はわずかに身体を傾けるだけで、それを躱すことが可能になり。

 態勢を崩したクリスは、次の一撃を避ける事はできなかった。

 

「――クリス!!」

 

 クリスはそれでもなんとか、ギリギリで盾を滑り込ませた。

 しかしこれまでは必ず、斜めに逸らすように防いでいたその攻撃。

 初めて、真正面から打撃を受けた。

 盾はその衝撃に耐えきれず砕け、クリスは後方に吹き飛ばされる。

 

「がふっ!」

 

 クリスの口から、血しぶきが飛んだ。

 まずい。

 食道か肺か、とにかく内臓が損傷している。

 治癒をかけなければ。

 

 しかし俺のその思考は、すぐに断ち切られた。

 魔族は踵を返し、凄まじい速度でこちらへと向かってきた。

 

「エアスラッシュ!」

「ファイアボール!」

 

 すかさずエミリーと魔術で迎撃する。

 しかし。

 魔族は速度を落とすことなく、それらを躱し。

 瞬く間に、俺達に肉薄した。

 

「死ネ」

 

 ささやくような音量だった。

 

 魔族が、エミリーに向かって爪を振り下ろす。

 エミリーは顔をこわばらせ、手を突き出すことしかできない。

 そのはかない防衛は、簡単に破壊されてしまうだろう。

 一瞬ののちに訪れるであろう光景を想像し、絶望が心に忍び寄る。

 

 ――絶対に。

 絶対に守ると決めたんだ。

 旅立つ前に。

 こいつらが一緒に来てくれると言ってくれた日に。

 

 タナカ ハジメ。

 お前は口だけヤローの大噓吐きか。

 守ると決めた存在を誰一人守れずに、ここで見殺しにするのか。

 

 今しかないんだ。

 まだ失われていない、今動くしかないんだ。

 エミリーを守れ。

 やつを倒せ。

 

「――っおおおぉぉ!」

 

 必死で手を伸ばす。

 その願いが通じたのか。

 魔族の爪が、エミリーに届くその刹那。

 俺の手は、エミリーの肩に触れた。

 その死をもたらす軌道から、彼女の身体をずらすことに成功した。

 

 ……しかし。

 当然ながら、その代償に。

 

 ――俺の両腕は、宙を舞う。

 

「ハッ。貴様カラ死ニタイナラ、望ミ通リニシテヤロウ」

 

 酷薄な声が聞こえ。

 そして、爪が振るわれた。

 横なぎの一閃。

 どうあがいても、それよりも速く身体は動かせず――。

 

 一瞬で。

 俺の上半身と下半身は、切り離された。

 

 血しぶきが舞うのが見える。

 赤い水滴の一粒一粒が、鮮明に目に焼き付く。

 

 エミリーの茫然とした顔。

 勝利を確信したであろう魔族の嗤笑。

 倒れていく下半身。

 

 それらがゆっくりと、回転しながら視界に映る。

 回転してるのは、俺の上半身が空中で回ってるせいだろう。

 

 不思議と痛みは感じない。

 そしてまだ、意識がある。

 

 ――孤児院。

 ――学校。

 ――サッカーボール。

 ――ニーナ、シータ。

 ――ユリヤン。

 ――キマイラ退治。

 ――魔術学院。

 

 過去の記憶の断片が、フラッシュバックする。

 それらはとても、ゆっくりと思い出された。

 不思議だ。

 こんな時間などないはずなのに。

 まだ、意識がある。

 

 しかし循環血液量はあっという間に足りなくなって、すぐに俺は死ぬのだろう。

 だが、不思議なことに、まだ。

 まだ、生きている。

 ――それならまだ、できることがあるはずだ。

 

 こんなタイミングで気付いた。

 いや。

 こんなタイミングだから、気づけた。

 魔術の発動というものは、とどのつまり、思考するということなのだ。

 

 術式を思い描き。

 魔力を集め。

 思い描いた術式に魔力を通せば、魔術は発動する。

 

 そこに、時間は必要ない。

 詠唱さえしなければ、思考と同じスピードで、魔術は発動できる。

 

 意識を失うまで、1秒もないだろう。

 しかし、それだけあれば、十分。

 

 効果範囲を狭めて。

 威力をできるだけ上げて。

 やつの勝ち誇った顔をめがけて。

 

 ――フレイムピラー。

 思考の中で、そう唱えると。

 

 術式通りに魔術が発動し。

 やつの全身を、焼き尽くした。

 

 よかった。

 これで、クリスとエミリーは――。

 

 徐々に暗くなっていく景色を見ながら。

 俺は満足して、微笑んだ。

 

 

 

 

 


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