異世界行ったら最強の魔術師だった。でも本当は……。 作:nyaooooooon
<語り部視点>
「ハジメッ!!」
ハジメが真っ二つになったその光景を見て、エミリーはパニックに陥った。
ハジメに突き飛ばされて尻もちをついた態勢のまま。
錯乱した思考に突き動かされて、その名を叫ぶ。
ハジメの魔術によって魔族が息絶えたことすら、エミリーはもはや認識していなかった。
目に入るのは、ハジメの無惨な姿だけ。
泣き別れになったハジメの上半身と下半身が。
おびただしい量の血液を流しながら、雪の上に横たわっている姿だけだった。
「嘘! 嘘よ!
お願い! ハジメ!
――ハジメ!」
ガクガクと震える脚を、なんとか立たせ。
治癒魔術をかけるべく、ハジメに縋りつく。
まずは両腕を拾い集め、それぞれ治癒した。
さらにハジメの上半身を持ち上げようとするが、鎧の重量も加わったそれは全く動かせなかった。
「誰か……!
……クリス!
クリス、お願い! こっちに来てっ!」
泣きじゃくりながら、助けを呼ぶ。
そうしている間にも、ハジメの身体から血が失われ、温もりが消えていく。
「エミリー! 大丈夫か!」
クリスは即座にかけつけた。
彼女は、エミリーの声から尋常じゃないものを感じ取り、血を吐きながらも全速力で走っていた。
たどり着いた先で目にしたものは。
2つに分かれたハジメと、全身を血に染めながら泣きじゃくるエミリー。
「お願い、クリス!
分か、分かれてるところを、繋げて!」
あまりの光景に、クリスの思考は一瞬空白になる。
しかし、直ちに彼女は行動した。
惑う時間がないことは、状況を見ればありありと分かった。
無言で、最速の動きでハジメの上半身を持ち上げ、下半身と位置を合わせる。
「ううっ。
ハジメ、ハジメ……」
エミリーは泣きながら、治癒魔術を唱えた。
中級治癒魔術。
彼女に扱える最高の魔術。
瞬く間に、切断面は修復された。
しかし。
「ハジメ! 起きて!
お願い! お願い!」
ハジメは目を覚まさない。
流した血液が多すぎた。
虚血により、中枢神経の命令系統は破綻。
すでに心臓は停止し、呼吸も失われていた。
エミリーはハジメの心臓に耳を当てる。
そこには何の響きもない、空洞のような無音があるだけだった。
「ハジメ……。
嘘。嘘……」
エミリーに取れる手段は、もはや何もなかった。
ぺたりと座り込み。
感情の導くままに、ハジメの胸の上で泣き崩れそうになった、その時。
「まだだ! エミリー! あきらめるな!」
クリスが叫んだ。
エミリーは激昂しそうになった。
エミリーも、あきらめたいなんて、かけらも思っていない。
ただ、取れる手段が他にないのだ。
「――どいてくれ!」
そんなエミリーへの配慮などなく、クリスはエミリーの場所を奪う。
しかしその強引な姿勢を見て、エミリーの感情は期待に置き換わった。
まさか、あるというのだろうか?
この状況で、ハジメが戻ってくる可能性が。
もしほんの少しでもそんな可能性があるというのなら、自分の全てを賭けてもいいと思った。
クリスはハジメの鎧を脱がせると、おもむろにその胸の上に手を置いた。
続いて体重をかけ、ハジメの胸を何度も押し始める。
「……何をしているの?」
理解不能の動きだ。
何かの意味があるようには見えない。
ましてや、ハジメが息を吹き返すことなど、あり得るわけがないように思えた。
「エミリーも手伝ってくれ!
私の動きをよく見て、同じようにするんだ!
押す時はためらわず、体重をかけて、しっかりと押してくれ!
最悪、骨が折れても構わない!」
しかしクリスの剣幕には、有無を言わさぬ迫力があった。
言われるがまま、動作を覚え、クリスと交代する。
「そう!
そのまま30回押したら教えてくれ!」
その言葉のままに、1、2、3、と数をかぞえる。
「……28、29、30。――30回!」
「止めてくれ!」
手をハジメの胸から離して見上げると、気づけばクリスは頭の方に移動していた。
彼女は素早くハジメの頭を押さえ、顎を上げさせ。
――そして、ハジメに口づけをした。
「なっ!」
エミリーはもはや、感情が錯綜して頭が真っ白になった。
いったいこの非常事態に、何をしているのかという怒り。
ハジメを救うことは諦めてしまったのかという悲しみ。
クリスは最後にせめてもの思い出を作ろうしているのかという疑心。
それならば自分にもその権利があるのではないかという、さもしい期待。
その他様々な感情が、エミリーの胸の内を駆け巡る。
クリスは一度顔を離し、大きく息を吸って、再度唇を合わせる。
「――な、何をしているの!?」
たまらず聞くが、クリスは何も答えない。
数秒間そのままの姿勢でいた後、顔を離したクリスは言った。
「エミリー! またさっきのように押してくれ!」
クリスは理由も言わず、ただ命令するだけだ。
さっきからずっと、やっていることは訳が分からない。
しかしクリスの表情は真剣そのものだ。
クリスがこんな状況で、ハジメを救おうとしないわけがない。
この旅で生まれたクリスへの信頼が、エミリーを彼女の言葉に従わせた。
「……28、29、30。――30回よ!」
エミリーが動きを止めると、クリスはまた同じように2度、口づけをした。
しかしよく見ると、口づけの度にハジメの胸が上下している。
呼吸……させている?
「押してくれ!」
エミリーは同じ動作を繰り返す。
しかし徐々に腕が疲れて、押す力が弱くなってきた。
「エミリー、私の動作をよく見ておいてくれ!
次は役割を交代しよう!」
役割を交代?
ということはつまり――。
2人で同じ行動を繰り返した後、場所を交代した。
今度はクリスが、ハジメの胸を押し始める。
「いいかエミリー、顎を上げさせて、鼻をつまむんだ!
そして大きく息を吸って、口から空気を送り込め!」
やはりこれは、ハジメに呼吸をさせるための所作らしい。
もしかして人は、死ぬと息をしなくなるのではなく、息をしないから死んでしまう……ということ?
「30だ! エミリー、頼む!」
頭に浮かんだ疑問を精査する余裕などなく、やるべきことを突き付けられる。
目の前にはハジメの顔。
言われた通り、顎を上げさせ、鼻をつまむ。
こんな状況でも、鼓動が早まる。
人生で初めての体験だ。
それを最愛の人と行えることは。
自分の素直じゃない性格を考えれば、降って湧いた幸福といっても過言ではない。
その最愛の人が、死の淵にいるという事実を除けば。
心に生じた些細な喜びは、目の前の現実によって瞬時に消えた。
純粋に、祈りを込めて、エミリーは唇を合わせる。
――お願い、ハジメ。帰ってきて。
―――――
その後、二人はずっと同じ動作を繰り返した。
森を焼く炎は徐々にその勢いを弱め。
氷点下の寒さはハジメの体温を奪っていった。
もはや人の温度とは思えないほど冷たくなったハジメの胸を。
それでも何も言わずに、二人は押し続けた。
少しでも言葉を発したら。
それが幕引きの合図になってしまう気がして、何も言えなかった。
炎によって上空に生まれた雲が、雹を降らせる。
それらは炎の熱で雨となり、服に染み入り、2人の体温が奪われていった。
歯はガチガチと鳴り。
手足の先は、ひどい凍傷を負った。
しかし二人は、ただひたすらに、同じ行動を繰り返す。
そんな時。
「……ねぇ君たち、大丈夫?」
――突如。
声がした。
透き通るような、澄んだ声。
二人とも、反射的にそちらを見る。
……そこには。
緑色の長い髪。
尖った耳。
美しい顔だち。
一人のエルフが立っていた。