シンエヴァンゲリオン劇場版:|| like STAR WARS ep.4 シンジの帰還   作:サルオ

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後編

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

「まさかシンジ君が初号機に乗り込むなんて・・・」

 

 ヴンダーの艦内を足早に進むミサトの後を、生き残ったWILLE(ヴィレ)のクルー達が追う。

 

「冗談やめてよ!艦長、早くあの疫病神を追いかけましょうよ!早くアイツの息の根を止めないと・・・」

 

「や、やめてください!碇さんはエヴァに乗って、みんなを不幸にして、自分も不幸になったんや。だからもうこれ以上、辛い目に遭わへんように・・・あぁ、もう。なんやのぉ、これ・・・」

 

「何泣いてんのよサクラ!艦長!この状況なら無条件発砲許可でしたよね!?殺してもいいってことですよね!?」

 

 WILLE(ヴィレ)クルーの北上ミドリと鈴原サクラが、ミサトの背後でやかましく騒ぐ。

 

「残念だけど、ガフの扉の向こうはヴンダーが手出しできないマイナス宇宙。悔しいけれど、WILLE(ヴィレ)に補完計画を止める術は無いわ」

 

 その後ろから二人を追い抜き、ミサトに追いついたリツコが状況を説明する。しかしミサトはその声に応えず、ブリッジへの道を急ぐ。

 

(シンジ君・・・私はまたアナタに重い選択を与えてしまったのね・・・)

 

 14年前に目の当たりにしたニアサードインパクトの予兆。無責任な言葉でその状況にシンジを追い込んでしまった後悔が、ミサトの中に燻っていた。

 できれば、あの時の事を謝り、自分たちを救ってくれたことの感謝を伝えたかった。だがシンジは碇ゲンドウとマイナス宇宙に飛び込み、戻ってこれる保障もない。

 

「今はシンジ君に頼るしかないわ。碇ゲンドウの補完計画を挫く事ができるのは、もうシンジ君しかいないもの。それよりリツコ。碇ゲンドウはあの2本の槍をどう使うと思う?」

 

「最終的には使い捨てる可能性が高いわね。マギコピーの予想にもそう出てるわ」

 

「槍を全て失うと、シンジ君が発動を止める術も失ってしまう、か・・・」

 

「ウソでしょ!?じゃあどうすんのよ!?」

 

 ミドリの指摘に、ミサトが立ち止まってクルー達に向き直った。

 

「私たちで新たな槍を創り、彼の元へ届けます」

 

 ミサトの無茶苦茶な作戦が、いつもの通り、その口から飛び出した。

 

「できっこないっしょ!?それこそどうすんのよ!」

 

「本艦がヴーセとして乗っ取られていた時、艦隊は黒き月をマテリアルとして、見知らぬ槍を生成していた。ならば、この艦を使って新たな槍を私たちで作り出せるはず。ヴンダーに人の意志が宿れば、更なる奇跡もありえるわ。リツコの知恵とWILLE(ヴィレ)とヴンダーの言霊を、私は信じる」

 

「無茶言うわね。サンプルは、さっきの発動データしかないのよ」

 

「リツコならできるでしょ?」

 

 親友を心の底から信じている言葉。まさしくいつも通りだ。リツコは目の前の親友に対して、いつも通りのため息を吐く。

 

「そうね、やってみるわ。(かなめ)は脊椎結合システムにありそうよ。マヤ、悪いわね。ぶっつけ本番でいくわよ」

 

 それを受けて、同行していたマヤも朗らかに笑って答えた。

 

「ノープロブレムです。副長先輩。いつものことですから」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 槍が、拳が、蹴りが、マイナス宇宙で交差する。

 

 まるで鏡合わせのように二体のエヴァンゲリオンが、全く同じ動作でぶつかり合う。

 第三新東京市で、映画の撮影現場で、ミサトの家で、学校で。サイズも何もかもを無視して親子は矛を交え続ける。

 

「なんだ!?僕と同じ動きだ、やりづらい・・・!」

 

『第十三のエヴァ。希望の初号機と対を成す、絶望の機体だ。互いに同調し、調律をしている。これも私に必要な儀式だ・・・!』

 

 同じ動きをしていたハズの13号機が突然その動きを変え、初号機の胸に蹴りを見舞った。

 

「ぐはっ!?」

 

『シンジ。ゼーレに何を言われた?』

 

「!?」

 

 ロンギヌスの槍が突き出される。その二股に分かれた槍の先端にカシウスの槍を滑り込ませ、シンジはロンギヌスの槍を絡め取るように力任せに回した。その動きをいなすように13号機が槍と共に回転して跳躍。互いの距離が再び離れる。

 

『補完計画の完遂。私を止めるために、ゼーレの口車に乗ったか』

 

 体勢を整えた13号機が再び槍を突き出してくる。それをカシウスの槍の穂先で弾いた初号機は13号機の懐に飛び込むと、お返しとばかりに拳を13号機の胸に叩きつけた。

 

『ぐ・・・』

 

「そうだよ・・・!父さんを止める為に僕は・・・!」

 

『愚かだな、シンジ。ゼーレがいる限り、私もお前も、自らの願いを叶える事などできはしない』

 

「・・・!?どういうこと!?」

 

 殴られた13号機は初号機から距離を置き、ゲンドウが槍の矛先を下げる。殴られた胸部をさする様に、または自分という存在の意味を提示するように、13号機が自らの胸に手を置いた。

 

『この補完計画の鍵を待つのは確かに私だ。だがこのマイナス宇宙には、すでにお前と私の二人の意思が存在している。そして、恐らくゼーレも介入してくるだろう。一つの補完計画に三者三様の願い。それを叶えるために最も必要な事はなんだ?』

 

 それを見たシンジも槍の矛を下げる。ゲンドウの語る言葉に、ゲンドウなりの真実が含まれているような気がしたからだ。

 

『それは強い意志の力。他者を踏み躙ってでも叶えたいという、欲望の強さだ』

 

「待ってよ父さん!ここにゼーレはいないよ!?アイツは生身でここまでやってくるって言うの!?」

 

『人の身で、ガフの扉を潜り抜ける事はできない。それはゼーレであっても例外ではない。このマイナス宇宙に来るためには、それ相応の手段が必要だ』

 

「なら・・・!」

 

『あの老人どもがその手段を用意していないとでも思ったか?既にエヴァ・オップファータイプは動き出している。奴がここに来るのも時間の問題だろう』

 

「そんな・・・」

 

 自分の願いを叶えるため、ゲンドウとゼーレを殺す。発端はシンジの怒りに身を任せたが故の行為だったが、結果としてゼーレはガフの扉の向こう側に取り残された。

 であるならば、シンジがやるべき事はゲンドウを止めることのみ。できる事ならシンジも実の父を殺したくはない。何者の邪魔も入らないこのマイナス宇宙で、気の済むまでゲンドウと戦い、話し合い、魂の決着を付けるつもりだった。

 だが、ゼーレはこのマイナス宇宙に来るための手段を用意しており、遠からずここに現れるという。ゼーレの実力は未知数だが、あの怪老が自分一人だけでどうにかなる相手ではないだろう事を、シンジは既に実感している。

 

『ゼーレは人類補完計画完遂のため、幾つもの世界を犠牲にしてきた怪物だ。その執念は、たかだか数十年の生しか得ていない我々を遥かにしのぐ』

 

 その実感をより強固に補強する、父の言葉。シンジの槍を持つ手が無意識のうちに震え始める。

 

『だが、シンジ。今のお前と私なら、ゼーレを退ける事も可能だ』

 

 一筋の希望と共に、ゲンドウがシンジに向けて、手を伸ばした。

 

『これが最後のチャンスだ。希望と絶望のエヴァンゲリオン。そして2本の槍を持ち、このマイナス宇宙に来れた我々が手を結べば、ゼーレを倒し、我々の願いを叶える事ができる。さあ、私の手を取れ!シンジ!!』

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 時は僅かに遡る。

 

 ガフの扉の外側。現世にて人類補完計画の儀式の始まりを待つ2番艦エアーレーズングのブリッジでは、冬月が眼下に広がるガフの扉を険しい目で見つめていた。

 

「ゼーレが生きていた時点で、我々の計画は大きく崩れた。あとは碇がどれだけ挽回できるかだが、難しいだろうな・・・」

 

 誰に言うでもなく、冬月は自分の考えを言葉にする。

 

「もしくは、第三の少年。彼が全てを変える鍵となるか・・・」

 

 そう呟くと、冬月は天井を見上げて目を瞑った。瞼の裏に、懐かしい顔を思い出しながら。

 

 その背後で、カツッと足音が響いた。

 

「君か」

 

 浸っていた思い出から意識を現世に戻し、背後の人物、真希波・マリ・イラストリアスに声をかける。

 

「お久しぶりです。冬月先生。しっかしこの船の中、L結界密度が高すぎません?」

 

 まるで猫のようにエアーレーズングに忍び込んだマリを、冬月は咎めない。彼女のそういった性格は昔からよく知っている。

 

(変わらないな・・・)

 

 そんな感想が胸をよぎったが、教え子からの質問には答えを返すのが教師の務めだ。

 

「ああ、元来、有人仕様ではないからな。無理は承知だ。人には常に希望という光が与えられている。だが希望という病にすがり、溺れるのも人の常だ。私も碇も希望という病にしがみつき過ぎているな・・・」

 

 背後のマリの表情は伺えない。伺う必要もない。彼女が今の自分の答えについてどの様な表情をするか、冬月にはわかりきっていた。

 

「ゲンドウ君は、自らが補完の中心になることで願いを叶えようとしている。それを助けたい──いいえ、願いを重ねる冬月先生の気持ちも分かりますが、人類全てを巻き添えにするのは、御免被りたいにゃ」

 

 案の定、彼女は特に感慨深くもなく、大して迷惑を被ったわけでもなく、いっそ場に似つかわしくないほど朗らかにそう言った。

 

 その態度に、冬月は思わず苦笑した。

 

「だろうな。私の役目は終わりだ。君が欲しいものは集めてある。あとは、よしなにしたまえ。イスカリオテのマリア君」

 

「ふふっ!超久しぶりに聞いたなぁ、その名前。では、おさらばです」

 

 そう言い残すと、真希波・マリ・イラストリアスの気配は背後から消えた。性格は自由奔放、しかし、その芯は決して曲げる事のない元教え子を、冬月は感慨深く送り出した。

 

 彼女が自分の贈り物を、有効に使ってくることを願いながら。

 

「この盤面、もはや誰が玉を手にするのかはわからない。それでも・・・」

 

 冬月は懐から昔の写真を取り出す。そこに写っていたのは、かつての教え子たち。その中心に、我が子を抱いた碇ユイの姿。

 

「ユイ君、これでいいんだな・・・」

 

 その言葉を残して、冬月コウゾウはこの世から姿を消した。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「アダムスの器たるエヴァ・オップファータイプが勢揃い。さすが冬月先生、手際がいい、にゃ!」

 

 エヴァンゲリオン改8号機が口元を拭う。冬月が用意したエヴァ・オップファータイプを全て喰らい、オーバーラップを果たしたマリはヴンダーへと視線を移した。

 

「ヴンダーが動き出した。合流を急ぐかにゃ」

 

 

 

『第4脱出カプセルまでのハッチを閉鎖。艦内残留者は速やかに5番カプセルに急いでください』

 

 ヴンダーの主ブリッジでは、ミサトがたった一人で静かにその時を待っていた。仮想パネルやコンソールのインターフェイスが復旧し始めると同時に、副長であるリツコからの連絡が入った。

 

『艦長、組み換え作業を完了。これでいけると思うわ』

 

「了解。全ての操艦システムを艦長席へ。その後、速やかに退艦して」

 

『ミサト?』

 

 通信の向こう、ミサトの声音に違和感を感じたリツコの声が下がる。

 

「これは誰かが確実に、発動させなければならない。そして本艦の責任者は、私です」

 

 ミサトはサングラスを外して前を見据えた。

 

「生き残った命を、子供たちを頼むわ。リツコ」

 

 リツコは上を向いて目を閉じた。予感はあった。ミサトが自分の命を燃やして、この戦いに幕を下ろそうとするだろう事を。

 

(貴方達、似たもの夫婦すぎるわよ。リョーちゃん。ミサト・・・)

 

 リツコはそんな親友たちを少しだけ恨み、しかし親友の最後の頼みをしっかりと胸に刻み込む。

 

『・・・分かってる、ミサト。ベストを尽くすわ』

 

「ありがとう」

 

 ミサトの感謝を聞き遂げて、脱出カプセルがヴンダーから長い尾を引いて飛び立っていった。

 それを見送ったミサトは、最期の戦いに向けて身支度を整えていく。

 

「予備電磁力は残り僅か。やっぱり最後に頼るのは昔からの、反動推進型エンジンね」

 

 ミサトは帽子を脱ぎ去り、長い髪を解いて後ろに流した。加持を失い、息子と離れ離れになってから一度も取ることのなかった久々のスタイルに、ミサトも気合が入る。

 

『めんご!』

 

 ズンという衝撃がヴンダーに走る。通信の相手は間違いなくマリだ。

 

『準備に手間取っちゃった。さあ、葛城艦長!行こう!』

 

「ドレスアップは終わった?マリ」

 

『ありゃ?艦長からそんな軽口聞くの、随分久しぶりだにゃ〜。もちコース!マイナス宇宙での航行は私に任せて!』

 

「頼りにしてるわよ、マリ・・・!」

 

『オゥケェ〜イッ!それじゃあパッパと行って、ワンコ君を助けに・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ご苦労】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぐぷ・・・・・・!?』

 

 

 

 聞き慣れない声が通信を流れた。

 次いで聞こえてきたのは、マリの苦悶の声。

 

 

「マリッ!?」

 

 

『ば、バカな・・・・・・なんで、ここにッ!?』

 

【我らを迎え入れ、我らの足を整えた事、礼を言うぞ。真希波・マリ・イラストリアス。いや、イスカリオテのマリア】

 

『まさか、オップファータイプの中に・・・・・・がはッ!』

 

 

「マリ!返事をして!マリッ!!」

 

 

 

『ゼーレッッ!!!』

 

 

 

 

 

 グシャッと、何かが潰れる音がした。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・マリ?」

 

 通信はつながったままだ。だというのに、不気味なほどに静かな時間が流れる。マリがいるハズの向こう側からは、息遣い一つ聞こえない。

 

 ミサトの血の気が一気に引いた。

 

「マリ!お願いマリ!返事をして!!」

 

 返事はない。

 

「マリ!マリッッ!!」

 

 不意に、ヴンダーにかかっていた荷重が消える。次いで主ブリッジの窓から、ガフの扉へと飛び込んでいくエヴァ改8号機の姿が見えた。

 

「マリ・・・・・・・・・?まさか!!」

 

 ミサトはブリッジを飛び出した。

 

(ウソ、ウソでしょ?マリ・・・!)

 

 物凄いスピードでミサトは艦内を駆け抜ける。甲板に出る扉を開き、そこでミサトが目にしたのは───

 

 

 

「マリぃぃいいい・・・ッ!!」

 

 

 

 胸を貫かれ、ゴミのように捨てられたマリの姿だった。

 

 

 

(マズい!この傷、明らかに致命傷・・・!)

 

「マリ、しっかりして!マリ!」

 

 必死の呼びかけにも、マリは目を覚まさない。傷を手で塞いでも、流れ出る血は全く止まらなかった。医療班もすでに脱出カプセルでこの場を離れてしまっている。

 

「くそッ、ちくしょおッ!!」

 

 ミサトは甲板に拳を振り下ろした。ここにきて、ミサトは己の失策を恨んだ。マリを救うこともできず、マイナス宇宙に行く手段も失われた今、ここには僅かな距離を進むことしかできない壊れかけの戦艦しか残っていない。

 

「か、んちょ、お・・・・・・?」

 

「マリ!?気が付いた!?」

 

「ごめ、ん・・・しくった・・・・・・」

 

「喋らないで!今、救急キットを・・・!」

 

「艦長ッ!」

 

 その場を離れようとしたミサトの肩を、マリが強く掴んで引き戻した。

 

「まだ、終わって、ないよ・・・?ここから、逆転ホームラン、でしょ・・・・・・!?」

 

「でもマリ!傷が・・・・・・」

 

「さすがに、無理、かにゃあ。それくらいわかる、よ・・・・・・」

 

 血の気のすっかり失った土気色の顔で、今にも崩れ落ちてしまいそうなハズのマリは、不敵に笑った。

 

「見せてよ、艦長・・・!人の輝き、奇跡ってやつをさ・・・・・・ブハッ!ガハッ!!」

 

「マリ!」

 

「役に立てなかった、から。約束、守れなかったか、ら・・・・・・私の最期のワガママ。一緒に、連れてってよ・・・ワンコくんのところへ」

 

 死を覚悟した、マリの最期の願い。

 

 約束。誰との約束なのか、ミサトにはわからない。思えば最初から最後まで、この少女は謎に包まれたままだった。

 

 それでも、一緒に戦ってきた戦友なのだ。

 

 ミサトはどんどん力を失っていくマリの手を取り、溢れそうになる涙を抑え込み、強い決意を込めて頷いた。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

『・・・・・・どうした、シンジ。なぜ私の手を取らない』

 

 マイナス宇宙で対峙する二体のエヴァ。13号機が差し伸べた手を、シンジは取らなかった。

 

「・・・・・・父さんは、何を望むの?」

 

 シンジがゲンドウの補完計画の核心を突く。この答えを知らなければ、とても父の手を取ることはできなかった。

 

『お前が選ばなかったATフィールドの存在しない、全てが等しく単一な人類の心の世界。他人との差異がなく、貧富も差別も争いも虐待も苦痛も悲しみもない、浄化された魂だけの世界。そして、ユイと私が再び会える安らぎの世界だ』

 

「母さん・・・?父さんは、母さんに会いたいの?初号機の中に眠る、母さんに」

 

『そうだ。私の望みは今も昔も変わらない。たった一つ、唯一の望みがそれだ』

 

「そう、だったのか・・・・・・」

 

 シンジの声が沈む。もはや顔を思い出すこともできない、母との再会。その望みは、もしかしたらシンジにとっても心から望むべきものだったのかもしれない。

 

 だが、とシンジは思う。

 

(そのために、僕を置いて行ったの?)

 

 その手を取るには、二人の間に築かれた壁はあまりに高く、厚い。

 

「父さん・・・・・・」

 

 初号機が、13号機に向けて手を伸ばした。

 

『いいぞ、シンジ。私の手を取れ。そしてユイに会いに行こう』

 

 

 

 

 

「違うよ、父さん。手を取るのは、父さんの方だ」

 

 

 

 

 

『なんだと?』

 

「父さんの望みはわかったし、理解できたと思う。父さんの願いは、僕の願いでもある、のかもしれない・・・」

 

『そうだ、シンジ。それこそが私の・・・』

 

「その世界に、僕は居ていいの?」

 

 13号機の伸びた手がピクリと震える。

 

「僕は信じたい。父さんの願いを。心の底から信じたい。みんなを助けたいという、僕の願いとも一致すると思う。だから、父さんが僕のことをその世界に入れてくれるっていうなら、どうか僕の手を取って欲しい」

 

『・・・私のことが信じられないのか』

 

「信じたい。初めて父さんが本音で話してくれた。僕にとって、それは本当に大きなことなんだ。だから、僕は父さんを信じてるよ。だけど、あと一歩でいいんだ。父さんがあと一歩だけ僕に歩みよってくれたら、僕は父さんを100%信じることができる。だから、僕に信じさせてほしい」

 

 シンジとゲンドウの視線が絡み合う。

 

「父さん・・・・・・」

 

 たった一歩だ。なんでもない一歩のはずだ。もしもゲンドウが母との再会を本気で、人生を賭けてでも望むなら、たとえ本心でシンジを嫌っていてもシンジの手を取るハズだ。

 

 それすら拒絶するなら、自分はゲンドウにとってのなんなのだ?

 

 やがて、ゲンドウが答えを出そうと口を開き──

 

 

 

 

 

 それよりも早く、二人の間にATフィールドが出現した。

 

 

 

 

 

「──────っ!!」

『ATフィールド?人を捨てた、この私に?』

 

「・・・・・・ちくしょう」

『まさか、シンジを恐れているのか?この私が』

 

「ちくしょぉぉおおおおおおおッ!!!」

 

 シンジが槍を振りかぶり、ゲンドウのATフィールドを叩き割る。勢いそのまま13号機に槍を突き出したシンジであったが、槍が13号機の顔を穿つかと思われた瞬間、カシウスの槍の矛先がガシッと掴み取られた。

 

『お前が私と共に進めないならば、仕方ない。補完は私だけの手で行う。だが、その前に・・・』

「うあッ!?」

 

 カシウスの槍を掴んだままのゲンドウが、カシウスの槍を初号機ごと振り回す。強力な遠心力が上乗せされた初号機がそれでも手を離さんと力を込めるが、手を先に離したのは13号機であった。放り出された初号機がマイナス宇宙を舞う。

 

 その様を嘲笑うかの様に、自分の力を誇示するように、13号機の4本の腕が大きく広げられた。

 

『使徒の贄をもって、私が人類のシン化と補完を完遂させる。式波タイプはこの時のために用意されたものだ。問題は無い』

 

 

 

 

 

「駄目だぁぁあああああああッッ!!」

 

 

 

 

 

 シンジの咆哮と共に、初号機の姿がかき消える。次の瞬間、13号機の目の前に現れた初号機が、カシウスの槍を無茶苦茶に振り回した。

 意表を突かれたゲンドウであったが、シンジの振り回す槍をロンギヌスの槍で冷静に受け止める。

 

『!!?』

 

 その槍のあまりの重さに、ロンギヌスの槍が弾き飛ばされた。

 

 マイナス宇宙においては、意志の強さこそが物を言う。であれば、この瞬間のシンジの絶望と怒りに勝るものはない。

 無意識レベルで父親に拒絶された事、目の前でアスカを失う事。その両方がいっぺんに訪れたシンジの心は乱れ切っていたが、その根本にある感情の爆発はゲンドウを圧倒していた。

 突き出され、振り回し、がむしゃらに向かってくる様はまさしく子供の駄々。たったそれだけの事なのに、一撃一撃があまりに重い。槍で受け止めるゲンドウの手に残る痺れが、徐々に蓄積されていく。

 

 

 

「うああああああああああああああッ!!」

 

 

 

 13号機が振り下ろした槍を力任せに弾き飛ばし、シンジは体制を崩した敵機の胸目掛けて、カシウスの槍を思い切り突き立てた。

 

 

 

『・・・・・・ッ!!?』

 

 

 

 カシウスの槍が、ゲンドウ諸共13号機を刺し貫く。

 

 

 

『シン、ジ・・・・・・』

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ!」

 

 

 

 カシウスの槍に両手をかけた初号機が、体重をかけて槍を捩じ込んでいく。それを防ごうと、13号機の四本の腕が初号機を掴み押し留める。

 

 

 

『があ、あ、あ・・・!』

 

「うぅ、ぐす、ううう・・・!」

 

 

 

 見方によっては親と子の抱擁にも見えるその様は、抱き止められた子が父の命を奪う、あまりにも悲しすぎる姿だった。

 

 やがて、13号機の体から力が抜け、四本の腕がずるりと落ちた。

 

 

 

「あ、ああ、ああああ・・・・・・」

 

 

 

 シンジがゲンドウから槍を引き抜く。引き抜かれた傷口からぶしゃあと血が吹き出し、初号機の顔を朱に染めた。

 

 その血に、震える指で触れた初号機。それを嘲笑う、怪老の呵呵大笑がマイナス宇宙に響いた。

 

【見事だ、ゲンドウの息子!よくぞ怒りと絶望を練り上げ、父を討ち取った!】

 

 血を撒き散らしながら力無く漂う13号機の背後に、マイナス宇宙を転移してきた改8号機が姿を現した。ゼーレの声は、その中から聞こえてくる。

 

「ゼーレ・・・・・・」

 

【お前は自分の願いを勝ち取った。その手を父の血で染めて、我らの願いを成就する資格を得たのだ。さあ・・・】

 

 ゼーレは漂っていた13号機を押し除けると、その手に握っていたロンギヌスの槍をもぎ取り、初号機に投げて寄越した。

 

【2本の槍を手にし、願いを描け。お前の描いた通りに世界は(ことわり)を変えて、お前の望んだ世界を描き出すだろう。母との別れも父との不和も全てを否定し、新しい歴史を作り出せ。お前こそが、神話になるに相応しい】

 

「・・・・・・」

 

 シンジは生気の無い目で2本の槍を見つめる。

 

 そして──

 

【なんの真似だ?】

 

 手にしていたカシウスの槍を放り捨てた。

 

「・・・無かったことになんて、しない。ミサトさんや加持さん、綾波やアスカ達、みんながやってきた事を、無かった事になんてさせない。補完計画はここで終わりだ。ゼーレ」

 

【・・・・・・願いを捨てるのか?そのつまらない義侠心で?】

 

「つまらなくなんてない。みんなが命を賭けてやってきた事だ。時間も世界も戻さない。今の世界をそのまま続けていく。ただ、それだけでいい」

 

 シンジの瞳が光を宿し、ゼーレを睨みつける。

 

「僕が起こしたニアサードインパクトも、今、父さんを貫いた僕も、全部が僕の罪で、弱い僕が全力でやった結果だ。後悔はある。でも、受け入れる。僕は僕だ。そして、父さんもそうだった」

 

【・・・・・・ふ、ふふふ、ふふははははははははははははははははははは!】

 

 ゼーレが、改8号機が、腹を抱えて笑い転げる。巨人が腹を抱える様は、何処か滑稽で。

 

【・・・この足はもういらんな】

 

 抱えていた腹を中心として、改8号機が内側から爆ぜた。

 

「・・・・・・え?」

 

 突然に起きた出来事を理解できぬまま、シンジの胸に衝撃が走った。

 

「が、あああ、ぎぃやああああああッ!!」

 

 初号機の胸を、ロンギヌスの槍が貫いていた。

 

 槍を握るのは、力尽きたはずの13号機。

 

「と、父さん!?」

 

【所詮、蛙の子は蛙。くだらない理想に溺れるとは、親子揃って愚かな事だ】

 

 13号機を駆るのは、ゼーレ。

 

【碇が用意したアナザーインパクトとやらのための3本目の槍。それもいま、我らの手に渡った。絶望と希望、そして、異望の槍をもって】

 

 ゼーレが2本の槍を握る。そして、マイナス宇宙の外からこちらに向かって降り注ぐ、禍々しい光。それを後光として降りてくるのは、あり得ざる3本目の槍。

 

【我らの願いを始めよう】

 

 その全てを手にしたゼーレが、厳かに儀式の始まりを宣言した。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 ガフの扉から湧き上がった積乱雲のような渦が、L結界を超えて現世へと溢れ出した。

 まるで地獄を彷彿とさせる禍々しき煙は巨大な人の形をした何かの集合であり、黄泉から溢れ出した死者の群れが生者を襲う。

 

「これが人類。いえ、この星の古の生命のコモディティ化・・・」

 

「フォースインパクトの始まりってやつ、かにゃん・・・」

 

 AAAヴンダーのブリッジでその光景を目の当たりにしたミサトが息を飲む。瀕死のマリも軽口を叩くが、その顔には大きな脂汗が玉のように浮かび、決して予断を許さない。

 

「時間がない。艦長、すぐにでも・・・」

 

 息も絶え絶えに、マリがミサトを促す。その視線の先のミサトは、

 

「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ」

 

 笑っていた。

 

「ようやく会えたわね、ゼーレ。よくもやってくれたわね、ゼーレ!ちょうどいいわ。アンタらはもう死んだと思ってたけど、死に損ないの分際で目の前に立つっていうなら受けて立とうじゃないの・・・!!」

 

 ミサトは艦長席に備わっていたイグニッションボタンをカバーごと叩き割って押下した。

 ヴンダーの主翼後部の大火力ロケットが最後の力を振り絞って火を噴いた。

 

「人類を舐めるんじゃないわよ!全てのカオスに決着(ケリ)をつけてやる・・・。私たちが望むのは希望のコンテニュー!そして私が信じるのは、クソッタレの神様とやらの力を克服する、人間の知恵と意志よッ!」

 

 ミサトの裂帛の気合いに応えるように、ヴンダーが最期の咆哮を上げた。

 

「行くわよ、マリッ!シンジ君に、私たちの想いを届けにッ!!」

 

「・・・・・・らじゃー」

 

 血の気を失ったマリが微笑みを湛え、その目をゆっくりと閉じた。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

「ぎゃああああああああああああああ!!」

 

 シンジの悲鳴がマイナス宇宙に響き渡る。

 

「もうやめろォ!!殺せ!殺せぇぇええ!」

 

【馬鹿を言うな、ゲンドウの息子。お前にはまだまだ絶望を刻まねばならん。自分の愚かさを呪いながら、神へと捧げる贄としての役割を果たせ】

 

「ぐぎっ!?あああああがあああああ!?」

 

 13号機のゼーレが3本の槍を用いて行う拷問。それは次元を超えた絶望の追体験であった。

 すでに死んだ世界、ゼーレが失敗したと見捨てた世界のあらゆる最期を、初号機とシンジに刻み込む。それは過ぎ去った世界のシンジが体験した最期でもあれば、全く関係のない最期でもあった。

 文字通り世界を引き裂くほどのあらゆる負の感情、感覚、痛みが、シンジの魂をズタズタに千切り飛ばしていく。

 そして、世界の終わりと共に訪れるもの。それは新しい世界の誕生。

 つまり、リセットだった。

 

【いくつの世界の終わりを味わった?だが新しい世界の始まりとともに、お前の魂も新しく生まれ変わらせる。喜べ、ゲンドウの息子。我ら以外でそのような体験ができた(リリン)は、過去を振り返ってもお前が初めてだ】

 

「やめろ!嫌だ、もう嫌だァァ!父さん!」

 

【ふふはははははは!父に縋るか!自分が手にかけた父親がお前を救うと!?驚いた!お前の中の父親はどれほどの聖人君子なのだ!?お前を苦しみから救ってくれるほどの救世主だったのか!?そうでなかったから、お前は今まで苦しんできたというのにッ!】

 

「がアアアアアアアァァアああああ!?」

 

 誰でもよかった。この苦しみから救ってくれるなら、シンジは誰でもよかったのだ。ただ想像を絶する苦しみの中から浮かんだ顔が、直前まで死闘を繰り広げた父であっただけで。

 

【そうら。まだ23の世界しか味わっておらんだろう?我らの知っている世界はまだまだ続くぞ?我らの願いを成就する前の最後の余興として、もっと我らを楽しませてみよ】

 

「父さんッ!!助けて!とうさーーーんッ!!」

 

 なぜ、こんな意地を張ってしまったのだろう。こんな苦しみを味わうのだったなら、過去の自分を殴り飛ばしてやり直させてやりたい。

 なぜ、自分はここまで父に助けを求めるのだろう。かつて自分がどれだけ泣いても、振り向きもしてくれなかった父親なのに。

 

(あ、そっか・・・・・・・・・)

 

 唐突に、シンジは理解した。

 

(好きなんだ。僕はまだ、父さんの事が・・・)

 

 だからこそ、分かりあいたかった。

 だからこそ、振り向いて欲しかった。

 だからこそ、自分の手をとって欲しかった。

 

 いつか自分の事を、抱きしめてほしかったのだ。

 

 それが、決して叶わない夢幻だとしても。

 

 それがシンジの願った、たった一つの、本当の望み。

 

「ごぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ・・・・・・ッ!!!」

 

 決して叶う事のない、シンジの──

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

「まだまだああああッ!!!」

 

 ミサトが咆哮を上げながら、地獄の窯の蓋を目指して突き進む。

 沸き出したエヴァインフィニティの群れにぶつかり、ヴンダーの各所が破損し、その身を削られていく。

 それでも決して止まりはしない。たとえ首だけになっても想いを届ける覚悟を持って、その身を焼かれながらもミサトは進む。

 ダメ押しとばかりに追加の点火レバーを勢いよく回す。

 ヴンダーの艦内にあった獣の背骨を思わせる巨大な鎖。それが回転し、光を帯びて三重の螺旋を描いた。ヴンダーの動力となっていた初号機に代わって、新たな動力となった背骨が光と共にその姿を変えていく。

 

 その光を浴びて、閉じていた目をうっすらと開けるマリ。

 

「ああ・・・・・・・・・・・・」

 

 なんて、美しい。

 

「神が与えた希望の槍カシウスと絶望の槍ロンギヌス。それを失っても、世界をありのままに戻したいという意志の力で作り上げた槍───ガイウス。いえ、WILLE(ヴィレ)の槍」

 

 血まみれのマリの頬を、涙が伝う。

 

「知恵と意志を持つ人類は、神の手助けなしにここまで来てるよ・・・・・・ユイさんッ!」

 

 この胸に去来する感情を、なんと言い表わせばいいのだろう。マリの眉間に皺がより、唇を震わせる。堪えようのない涙が、次から次へと溢れ出してくる。

 

 諸人こぞりて迎え待つるは、主の到来を告げる一番星。

 光の矢と化したヴンダーは、まさに救世主を迎えるための星そのものであった。

 

 「取り付いたッ!!」

 

 とうとうヴンダーがその身を焼きながら、ガフの扉、マイナス宇宙の境界面にぶつかった。

 ブリッジ周辺の機器が爆発し、炎が辺りを包み込む。

 だが、恐れなどない。

 

「マリ・・・、シンジ君は」

 

「大丈夫・・・」

 

 二人が顔を見合わせる。

 

「きっと、届くよ」

 

「・・・そうね」

 

 ミサトが最後のスイッチに拳を叩き込む。

 

 ガイウスの槍がヴンダーの後翼部から勢いよく飛び出した。

 

 全ての時間がスローになる。バリィンッとガラスが割れる音がして、爆炎がブリッジに流れ込む。

 

 最期の仕事をやり切ったミサトの脳裏に浮かぶのは、最愛の息子の姿。

 

(お母さん、これしかアナタにできなかった。でも・・・)

 

 そして、ずっと一緒に戦ってきた少年の姿。

 

「ありがとうッ!アナタたちに会えて、私は幸せだったわ!!」

 

 満開の花畑のような輝く笑顔と共に、ミサトとマリは炎に包まれて、逝った。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・なん、だ?」

 

 もはや力の入る事のない、この身体。

 シンジに貫かれ、失われたはずのゲンドウの意識が呼び起こされる。

 

「ひか、り・・・・・・?」

 

 遥か遠くで、輝く星を見た。その星はとても物悲しく、しかし誇り高い光を携えていて。

 

『ぎぃやあああああああああああああああ・・・・・・!!』

 

 ゲンドウの耳に、悲鳴が届けられた。

 

「シンジ・・・・・・?」

 

 光と共に目を開けば、眼前には3本の槍に磔にされた初号機の姿。

 

 そして、黒いフードの老人の背中があった。

 

【良き声で泣きおる。もっと、もっとだ!叫べ!喚け!生贄の断末魔は、高ければ高いほど良い!神に捧げる歌を奏でよ!!】

 

「アアアアア!とう、さんッ!父さん!」

 

 ゲンドウの失った瞼の裏に、苦しみ悶える息子の姿が浮かぶ。

 

「助、けて・・・・・・ッ」

 

 泣きじゃくり、必死に自分を呼び止めた息子の姿が浮かぶ。

 

 昔から理解ができなかった。

 なぜ、その声はこれほどまでに自分の心を揺さぶる?

 なぜ、自分と関わらない方が幸せだと判らない?

 

(私なんかと関わらない方が、お前も幸せだったろうに・・・)

 

 そんな想いと共に、ゲンドウの胸に一つの疑問が生まれた。それは、ゲンドウの本質を揺るがす疑問。

 

(なのに何故、私はシンジを呼んだのだ?)

 

 ユイを構成するためのマテリアルとして、シンジが必要か否か。それが最後までわからなかった。だからこそ少しでも可能性があるのならば、ユイとの再会のために、ゲンドウはシンジを呼ばなければならなかった。

 だが、シンジと再会したあの時、ゲンドウの胸に不思議な感覚が生まれていた。

 それは罪悪感とともに、ゲンドウの胸の一部でずっと、今も燻り続けている。

 

 シンジが生まれたとき、それに触れようと恐る恐る伸ばした手。

 その指を小さな手が、力強く握った時。

 そして、長い時を経て、自分の知らない成長を遂げていたシンジと再会したとき──

 

 

 

 生きろ。

 

 

 

 ゲンドウは確かに、そう感じたのだ。

 

「助けて・・・、父さん・・・・・・」

 

 シンジの呟きに応えるように、マイナス宇宙を光が照らした。

 それはゲンドウを呼び起こした、あの光。禍々しさとは程遠い、生命の力強さを謳い上げる光。

 

 

 

 その光を、ゲンドウは無意識のうちに掴んでいた。

 

 

 

【なに・・・?】

 

 

 

 13号機の手の一本。槍を掴んでいない最後の手が、光の中から新たな槍を引き出す。

 

 

 

【まさか・・・・・・!?】

 

 

 

 その槍を、ゲンドウは迷う事なく自分へと突き刺した。

 

 

 

【があああああああああああああああああああああああああああああ!!?】

 

 

 

 自らを槍で貫く13号機。それはゲンドウ諸共に、ゼーレをも貫いていた。

 

 

 

【おのれ、おのれぇッ!ゲンドウ!ゲンドーーーーーッ!!】

 

 

 

「父、さん・・・!?」

 

 

 

 ガイウスの槍に貫かれた13号機の随所から、生命の光が漏れだしていく。

 

 

 

「待って!父さんッ!!!」

 

 

 

 その光が限界に達し──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼーレの断末魔と共に、その身を爆ぜた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 マイナス宇宙を閃いた光が徐々に収束していき、辺りを静寂が満たした。

 

 シンジは初号機のエントリープラグから飛び出すと、父の姿を探した。

 

「父さん!父さんッ!!」

 

 涙で声が枯れる。それでもシンジは、必死に父の姿を探した。

 そして、ボロボロと身体が崩れていくゲンドウを見つけた。

 

「父さんッ!!!」

 

 マイナス宇宙の中を、必死にシンジは泳いだ。上手く進まないこの身体がもどかしい。

 やっとの想いで父の元に辿り着いたシンジは、ゲンドウの手を取って、力一杯に掻き寄せた。

 

「なん、で・・・!どうしてッ!!」

 

 腕の中のゲンドウに、生の気配が無い。それでもシンジはゲンドウに一生懸命に抱きついた。

 

「やっと、やっとこうする事ができたのにッ!なんでなんだよォッ!!」

 

 シンジの魂の慟哭が、マイナス宇宙に響いた。

 

 

 

 

「シン、ジ・・・・・・」

 

「父さん!?」

 

 シンジの腕の中で、ゲンドウが僅かに息を吹き返した。

 

「この、バイザーを外して、くれ・・・」

 

「黙っててよ、父さん!今すぐ助けるから、絶対死なせないから、だから・・・・・・!!」

 

「もう、私が死ぬのを止めることはできない」

 

 いつものように断定的なゲンドウのセリフに、シンジは怒りを覚えた。

 

「いっつもそうやって決めつけて!押し付けて!そんなんだから父さんは、父、さん、は・・・・・・」

 

 涙が溢れ出てくる。シンジの喉が嗚咽で締まる。それでもシンジは必死に言葉を紡ごうとしていて。

 

「シンジ・・・。もう一度、一度だけでも、お前の顔を自分の目で見たい・・・・・・。頼む、シンジ・・・・・・」

 

 恐らく、父の最期の願い。魂を賭けた、ゲンドウのたった一つの願い事。

 

 それをシンジは、しっかりと受け止めた。

 

 シンジの手がゲンドウの顔に伸び、恐る恐る装着されたバイザーを取り外す。

 

 そこには人間だったころの、ゲンドウの厳しい眼差しが戻っていた。

 

「絶対、助ける・・・。だから、死なないで、父さん・・・・・・ッ」

 

「もう、救ってもらった」

 

 ゲンドウの瞳に、人を愛する心が戻っていた。初めて見るその表情に、シンジの涙腺がとうとう壊れた。

 

 まるで幼子のように泣きじゃくるシンジを、ゲンドウは優しく抱き寄せる。

 

「すまなかった、シンジ」

 

 初めての父の抱擁に、シンジも精一杯応えた。シンジの口から声にならない哀しみが溢れて来る。

 

「そこにいたのか。ユイ・・・・・・」

 

 父の呟きを聞いたシンジを、背後から誰かが抱きしめた。シンジが顔を向ければそこには、遠い記憶の彼方に去ったはずの笑顔があった。

 

「母さん・・・」

 

 優しい微笑みを湛え、溢れるほどの愛でもって息子を抱きしめる父と母。どこの家庭にもありふれたはずのその光景を、シンジは生まれて初めて、その身に受けたのだ。

 

 その抱擁が、ふっと消える。

 

「・・・父さん!?母さん!?」

 

 両親を探して、息子が辺りを見回す。その目が、初号機の前で佇んでいる両親を捉えた。

 

 

 

 ────ありがとう。

 

 

 

 二人の口がゆっくりと動き、愛ある言葉としてシンジの胸に収まった。

 

「そうか。この時のために、初号機の中にいたんだね。母さん」

 

 シンジの顔が、切なさに歪む。

 

「やっと分かった。父さんは、母さんを見送りたかったんだね。それが父さんの願った、本当の望み」

 

 シンジの目の前で二人の姿が初号機に溶けて消える。初号機はその手にガイウスの槍を取ると、自らの胸をその槍で貫いた。

 

 初号機の中から光が溢れ、マイナス宇宙を包み込む。

 

 きっと、この光は元の世界をも包み込んでいるだろう。

 

 全ての囚われていた魂が、その姿を取り戻していくだろう。

 

 世界がその色を、取り戻していっているに違いない。

 

 少しずつ、新しい生命も生まれてくるだろう。

 

 そして、この取り戻した世界に、エヴァンゲリオンはきっといない。

 

 自分の自慢の両親と共に、光の中へと還っていくのだから。

 

「さようなら。全てのエヴァンゲリオン」

 

 シンジの別れの言葉とともに、シンジの姿も消えていった。

 

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 

 人の身で、シンジはマイナス宇宙、いや、何もない空間を漂う。

 

 マイナス宇宙は崩壊した。シンジは全てをやり遂げた。

 

 そのはず、だった。

 

(なぜ、僕はここにいるんだろう)

 

 世界の崩壊とともに、シンジの中にあったはずのものが砂のように溢れ落ちていく。

 

 第三新東京市で初めて出会った■■■■■。

 

 ジオフロント、ネルフ本部で自分を出迎えた白衣の■■■■■。

 

 初号機の前にストレッチャーで運ばれてきた■■。

 

 妹が怪我をしたと殴りかかってきた■■■。

 

 その後ろにいた■■■■。

 

 ドイツから来たというエースパイロット──

 

 ずきり、とシンジの頭に痛みが走る。

 

 何か、大事な事を忘れている。

 

 何を、忘れているんだっけ?

 

 スイカ畑に連れていってくれた■■■■。

 

 一緒にピアノを弾いた■■■■。

 

 なんだか、虫食いだらけの思い出だ。

 

 何が大事なんだっけ?

 

 

 

 そもそも、『大事』って、なんだ?

 

 

 

 そこまで考えが追いついた事で、シンジの全身を恐怖が貫いた。

 

 

 

 ───なんで、何も思い出せないんだ?

 

 

 

 自分を形取っていたはずの大切な思い出。それが失われていくと共に、自分自身をも見失う感覚。

 

 マイナス宇宙の崩壊とともに、自分がどんどんと希薄になっていく。

 

 なんで、僕はまだこんなところにいるんだ?僕は帰らなきゃいけないはずなのに。

 

 

 

 帰るって、どこに・・・・・・・・・・・・?

 

 

 

「誰か、助けてよ。誰でもいいんだ・・・・・・誰かァッ!!」

 

 恐怖で体が震えて動けない。

 助けを求めても誰もいない。

 

 そうだ。帰らなきゃ。僕の住む■■■■■■に。

 

 帰ったら■■■■■にご飯作らなきゃ。それよりも■■■のつまみの方がいいのかな?

 

 ああ、大事な事を忘れてた!■■■■!餌に■■■って不健康すぎないかな?

 

 ああ、それに■■に■■。あと■■■■もしなきゃ。あとは学校の■■も。

 

 それと明日は■■■で訓練の日だった。■■■■■■■■に乗って■■■■■■■をして、それから■■■■■し過ぎない■■■する■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■だし■■■■■■■■■■■■■。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 

 

 

 

 

 ───なんで?

 

 なにも、思い出せない。

 

『最後だから聞いておく。私があんたを殴ろうとした訳、分かった?』

 

 !!

 

 ■■■!!

 

『最後だから言っておく。・・・いつか食べたあんたのお弁当、おいしかった。あの頃は、シンジのこと、好きだったんだと思う。でも、私が先に大人になっちゃった』

 

 なんで!?顔は思い出せるのに!

 

 ■■■が僕の唇を塞ぐ。■■■が部屋を出ていってしまう。

 

 こんなにもハッキリと覚えているのに、名前を思い出せないなんて・・・・・・!

 

 

 

 その顔が、グニャリと歪んだ。

 

 その顔に、モザイクがかかった。

 

 その顔に、真っ黒い穴が空いた。

 

 

 

「嫌だ!!忘れたくない!!■■■!!」

 

 消え行く記憶に必死に手を伸ばす。

 

 残された最後の記憶は、■■■の乗った■■■■■■■■が噛み砕かれる瞬間。

 

 

 

 

 

 それを最後に、シンジの記憶の全てが消えた。

 

 

 

 

 

──────

 

 

 

 

 

 雪が降っていた。

 

 

 

 遠い異国の地に初めて行った時の記憶。慣れない飛行機での長旅に、シンジは心底疲れ果てていた。

 

 黒い車に乗って両親に連れ回され、遊ぶところなど無さそうな無骨な施設の前で降ろされたとき、シンジの癇癪は爆発した。

 

 子供を抱くのに慣れていない父の顔を蹴り飛ばし、母に泣きつく。

 

 その母の肩越しに、一人の女の子が目に入った。

 

 こちらを睨んでくる、綺麗な蒼い瞳の女の子。

 

 どうしてか、その子の事が気になった。

 

 偉そうなスーツ姿の大人たちと一緒に施設の中を見学する両親。その目を盗んで、女の子のいたところまでシンジは戻ってきた。

 

 倒木の上に腰掛け、泣きじゃくっている女の子がいた。

 

 シンジは恐る恐る女の子に近付いて、その女の子の頭を撫でようと手を伸ばして──

 

 

 

 

 

     「アスカッ!!」

 

 

 

 

 

 赤い海辺。砂浜の上でアスカは目を覚ました。

 

「アタシ、寝てた?」

 

 視界いっぱいに、満点の星空が映っている。その視界の端に、アスカは見知った顔を見つけた。

 

「・・・・・・バカシンジ?」

 

「よかった。また会えて」

 

 シンジは膝を抱えて砂浜に座っている。その顔は、心の底から安堵したという様子で。

 

「・・・・・・アンタ、泣いてんの?」

 

「・・・はは。アスカに会えて、嬉しくてさ」

 

「な・・・ッ!!」

 

 恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく言ったシンジに、アスカの頬が熱くなる。

 思わず絶句したアスカをよそに、シンジは構わず続けた。

 

「伝えたい事があったんだ。どうしても、この場所で」

 

「・・・・・・なによ」

 

 恥ずかしさを紛らわすように、シンジをジト目で睨みつけるアスカ。そのアスカの目を真っ直ぐに見つめて、シンジは驚くべきセリフを口にした。

 

「ありがとう。僕を好きだと言ってくれて。僕も、アスカが好きだったよ」

 

「───」

 

 息ができない。

 胸が締め付けられる。

 顔から火が出そうだ。

 

 ずっと待ち望んでいたセリフを唐突に言われ、夢ではないかと疑いながらも目の前にシンジがいるという事実。

 

 あまりの恥ずかしさと、嬉しさで、思わずアスカは身を捩ってシンジに背を向けた。

 

 シンジの気配を背後に感じながら、早くなる鼓動と呼吸を必死で宥めていく。

 

 そこでようやく、アスカは自分の体の変化に気づいた。ところどころ破れたプラグスーツ。その下から覗く、大人へと成長した自分の身体。

 

(こんなカッコでシンジの前で寝そべってたの!?アタシ!?)

 

 火が出るどころの話ではない。顔で茶を沸かせそうだ。

 思わず顔を覆いそうになる衝動を必死で抑え、アスカの天才的頭脳がシンジにどう答えたものかとフルスロットルで回転し始める。

 

 そんなアスカの背後から、シンジの乙女のハートを打ち砕くトドメの爆弾が投下された。

 

「アスカを助けに来たんだ。ここはもうすぐ無くなっちゃうから、アスカも僕も消えちゃう前に、連れ戻さないとって思って・・・」

 

「──────」

 

 嬉しさで、涙が溢れ出てくる。

 シンジの言葉を鵜呑みにするならば、シンジはアスカを命懸けで助けに来たのだ。徐々に蘇る記憶の中に、13号機に取り込まれた記憶があった。それと同時に、自分は「死んだ」と感じた事も思い出し、その自分を救い出したのがシンジなのだと確信する。

 

 もはや言葉もない。涙ぐむアスカは嗚咽を聞かれないよう口元を抑え、右手を背後に伸ばした。その手をシンジが黙って取る。その行動がアスカの心臓をドキリと跳ねさせた。

 今まで味わったことのない幸せに、アスカが叫び出しそうになるその時だった。

 

「さあ、行こう。ケンスケのところに、アスカを連れて行かなきゃ」

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・はぁ?」

 

 アスカの返事には、殺意が込められていた。気付かれてもいい。むしろ気付けこのボケ!という想いを乗せたアスカの返事に、しかしシンジは気付かない。振り向いたアスカの目に飛び込んだのは、苦笑しながら頬を掻いているシンジだった。

 

「僕も好きだった。14年間ていう時間は僕には無かったけど、その間にアスカは大人になった。それをケンスケが支えてくれた。二人で、幸せになってほしいんだ・・・」

 

「・・・・・・あん?」

 

「・・・ホント、浦島太郎みたいな感覚だよ。僕の時間は、アスカが好きだった頃から止まっていた。だから、本当は、すごく悔しい」

 

「シンジ・・・」

 

「いいんだ!ケンスケはすごくいい奴だから、きっとアスカを幸せにしてくれるよ!僕はアスカを連れ戻したら、どこかに消えるからさ」

 

 取り繕うようなシンジの顔は、ほとんど泣き笑いでしかなかった。

 

 アスカは、目をパチクリとさせたあと、ため息をついて起き上がる。砂浜に手を繋いで座り込んだ二人。その手を引っ張り、アスカはシンジの額に頭突きをかました。

 

「痛ぁッ!!?」

 

 あまりの痛みに、シンジが顔を手で押さえてのたうち回る。しかしアスカは、繋いだ手を決して離さない。右手だけで顔を押さえて悶えるシンジの姿があまりにおかしくて、

 

 アスカは、心の底から笑った。

 

「なんだよ・・・?」

 

 アスカに目線で抗議するシンジ。その目を真っ直ぐに見つめ返し、笑いながらもその勘違いを正すように首を振った。

 

「バカね、シンジ。兄貴みたいなもんなのよ」

 

「へ・・・・・・」

 

 アスカは再度シンジを強く引き寄せると、今度こそ噛み付くようなキスをした。

 

 世界が、赤い海から失われたはずの青い海へと書き変わる。

 

 二人の眼前にどこまでも広がる大海原と青空。白い雲を背景に、バタタッと白い鳩たちが飛び去っていく。

 

 その水面に浮かぶように佇んでいる綾波レイが、渚カヲルが、葛城ミサトが、加持リョウジが、冬月コウゾウが、真希波・マリ・イラストリアスが、そして何よりもシンジの両親が、去っていってしまった者達全てが、そんな二人をともに笑顔で見守る。

 

 二人の唇が離れると同時、アスカは勢いよく立ち上がった。もちろん、繋いだ手は離さずに。

 

「さぁ、帰るわよ!バカシンジ!」

 

 満面の笑みを向けるアスカの手を引きながらシンジは立ち上がり、逆にアスカの手を引き寄せた。

 

「うん!行こう!」

 

 手を繋いだ二人が、砂浜を駆ける。

 

 彼らが取り戻した、新しい世界を目指して。

 

 

 

 

 

                    終劇

 


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