ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのし

 

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ、はぁ──ひっ、ひぃ───ぃ」

「あはは。アルちゃんマジで疲れちゃってるじゃん。ウケる」

「つか、つかれてなんかなゔぅえっ! ウケてなんかごほっ、ごぇっほっ!!!!!!」

「……そんなザマじゃ説得力全然無いよ。ほら、水」

「すみませんすみませんわたしが途中で転んだせいでアル様にここまで背負ってもらってしまってすみませんすみませんすみません──」

 

 今にも過呼吸で死にそうになっていたり、呆れながらペットボトルを差し出したり、面白そうに笑ったり、申し訳なさそうに自害しようとしている愉快な便利屋一行と別れ、タロウ達は一足先に会場へと踏み込んだ。

 そこは、オークションを開催するに相応しい装いを施されている一室であった。

 イヤでも最初に目につくのは、舞台上に設置されてある巨大なスクリーンである。メイド部部室に据え付けられてあるものより、数倍大きなそれは、おそらく今夜の競りにかけられる品々を映し出すためのものに違いない。

 足元に敷かれたカーペットは、沈み込んでいきそうなほど柔らかい。あちこちに点在する参加者用の丸いテーブルは、椅子ともども落ち着いたアンティーク調で整えられており、高い天井から吊り下げられたシャンデリアから注がれる淡い光を反射して、高級感ある灯りをあたりに漂わせていた。

 総じて、ネルの趣味には合わない部屋だった。

 

「……」

 

 不意にポケットに突っ込んだ五指が、むずむず、とそれぞれ意志を持ったかのように蠢き出した。いつもの破壊衝動が、鎌首をもたげようとしている証拠だった。

 ネルは黙らせるために、ぐっと拳を力強く握り締める。指はしばらくむずがっていたが、やがて諦めたように静かになった。

 任務はまだ始まったばかりだ。というのに、なぜかすっかり精魂が尽き果てている。

 気晴らしのために、ごちゃついた人混みから目を逸らして、ネルは窓の外を見た。

 焼きつくような夕陽の代わりに、冷やかな夜がミレニアムの空にいつの間にか腰を下ろしている。

 磨き抜かれたガラスの外に立ち並んだビルの群れは、夜を厭うかのように強い輝きを放ちながら佇んでいる。室内はシャンデリアで明るさを保っているが、たぶん、窓の外から差し込む光だけでも充分に賄えるだろう。

 ミレニアムの夜景が伊達ではないことをよく知っているネルは、鏡面に反射している死ぬほど退屈そうな自分と目を合わせながら、そんなことを考えた。

 

「──で、あたしらの席はどこなんだよ」

「番号順に並んでると説明されましたから、かなり前の方ですね」

「行くぞ。一之瀬達はとっくに席についている」

 

 配布された場内マップを手にしたアカネを先頭に、三人は高級そうなスーツを着込んだ犬や猫、ロボの隙間をすり抜けていく。

 律儀に正装してきたタロウはともかく、メイド部がオークションに来たと周知させるのが任務の必須条件となっているネル達は、格好の注目の的だ。

 だが、ネルの隣をしずしずと歩くアカネは、そんな状況に置かれても恥ずかしがることなく、むしろ誇るように胸を張って歩いている。

 そんなアカネの姿は頼もしくもあったが、それ以上にここまでいったらおしまいだな──という、ある種の恐れの気持ちを抱いたことは否定できなかった。

 視線に気付いたアカネが、こてんと首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「……おまえが羨ましいんだよ。色々と」

 

 ネルが様々な感情を込めた言葉をため息交じりに零す。

 するとアカネは自分の豊かな胸元を見下ろしてから、ネルの胸部を確認し、とても可愛らしいものを見るような目を作った。

 

「ネル先輩、安心してください」

「なにがだよ」

「タロウさんはああ言っていましたけど、成長期は人生で二度あると、どこかで聞いた覚えがありますから」

「……なんの話かよくわかんねーけど、とりあえずナメてるってのはわかった」

「舐めてません。愛でてるんです」

 

 一緒だろ。

 と突っ込まなかったのは、色々面倒になったからである。うんざりした顔つきのまま、ネルは指定されたテーブルについた。

 それを見計らったかのようなタイミングで、シャンデリアの光が弱まり、会場内が薄暗くなる。そして舞台上にオークショニアらしきロボットが立ち、手に持ったハンマーを振り下ろして甲高い音を鳴らした。

 ロボットはざわつきが収まったことを確認すると、緩んだ紺色のネクタイを締め直しながら、顔面の電光板を笑顔の表情に変化させた。

 

「皆様、本日はようこそおいで下さいました。

 私どもが揃えていますのは、商品だけではありません。このオークションに携わったすべての方々に、絶対の幸福が齎されることを約束いたしましょう。

 それではこれより、オークションを開催いたします!」

 

 高らかな宣言と同時に、会場内から大量の拍手が巻き起こった。

 よほど開催を待ち望まれていたのか、いっそ不自然ささえ感じる盛り上がり方である。だが、ネルは普通のオークションがどんなものなのかをまったく知らなかった。そもそも一箇所に何時間も留まる行為自体が性に合わない。

 だから、こんなものなのかもしれないと考えて、抱いた違和感を思考の底に沈める。

 そういえば、とそこで気付く。

 桃井タロウは、どうなのだろうか。

 周囲の拍手に逆らうようにして腕をしっかりと組んでいる対面のタロウに、ネルは尋ねかけようとして──やめた。コイツがオークションを体験したのかどうかなんて知ったって、なんの意味もない。

 しかし、気になることは気になる。

 そんなネルの微妙な揺れ動きを見て取ったアカネは、なにげない風を装ってタロウに質問した。

 

「タロウさんは、オークションに参加された経験がおありなんです?」

「無い。だが、知り合いからオークションとはどういうものかを教わっている」

「知り合い……ですか?」

「ああ」

「それは、元の世界の?」

 

 タロウはいや、と首を横に振り、

 

「キヴォトスに来てからの知り合いだ」

 

 桃井タロウが、配達業がてら縁結びという名の雑事を行っていることは、キヴォトスの住人ならばもはや誰でも知っている常識として浸透しつつある。

 だから先生程ではないにせよ、広い範囲に顔が利くことは容易に察せたが──

 

「お前な、どういう流れでオークションを教えてもらう羽目になったんだよ」

「おれはオークションを知らない。しかし粗相は犯せない。

 ならば、その道に精通した者に教えを乞うのは、当然の道理だろう」

「……ひとつ聞いてもいいでしょうか。その方にオークションを教えてもらう際、どういう風に説明を?」

 

 アカネの質問に、簡単な話だ、とタロウはワンクッションを置いてから、

 

「秘密の任務があるから、オークションとは何なのかを教えて欲しい──そう言った」

「……てめぇ、これが極秘の任務だってわかってんのか……?」

「安心しろ。おれは子どもの頃からなんでもできた──体験していないものは流石にできないが、教えてもらった以上、おれに死角はない」

「そういう問題じゃねえ!!」

「……ちなみに、どう教えてもらったんです?」

 

 アカネの問いかけに、タロウは素っ気なく答えた。

 

「素晴らしい材料を少しでも良い値段で売ろうとする商人と、それをなんとか安く買おうと交渉するシェフや店主──その両者の間で繰り広げられる真剣勝負。

 それがオークション、だそうだ」

「……」

「……」

 

 最後まで聞き終えたネルとアカネは、互いに目を合わせてまったく同じことを考えた。

 オークションはオークションでも、それはいわゆる卸売市場で行われる競りなのではないか、と。

 しかしオーパーツや美術を取り扱うオークションも、市場で行われる食材をかけた競りも、目当ての品を相手より高い金額を提示して競り落とす──という大まかな流れは変わらない。

 というわけで二人の少女は、さして気にすることなく、目の前で繰り広げられているオークションを眺める作業に戻った。

 もう少し深く突っ込んでおけば、タロウにオークションの何たるかを叩き込んだ張本人の素性を知ることができていたのだが、一つ目の商品がサングラスを装着した柴犬によって高額で競り落とされたことによる拍手とどよめきが、その機会を押し流した。永遠に。

 

 

 〇

 

 

 ──すべては順調に進んでいる。

 

 ハンマーを手で弄びながら、オークショニアを務めるロボットは不敵な笑みを浮かべた。勿論、電光板に表示されないように頭のなかでだけだ。

 オークションの進行はつつがなく進み、カタログに載ってある半分以上の品が既に落札されていた。

『裏』──つまりブラックマーケットで行われる取引のように、表面上では怪しいところはなにもないオークションであるため、決済はすべて電子決済で行うことができる。

 一つの競りが終わるたびに、稲妻の速度で更新されていく数字列の様子は、電子でできた脳髄に、麻薬のごとき快感を味わわせてくれた。

 

(しかし、並のそれよりも数倍、いや数十倍の値段で落札とは──相変わらず凄まじい。流石、ブラックマーケットで取り扱われていた物品といったところか)

 

 初めは単なる小遣い稼ぎ程度でしかなかったオークションは、今ではロボットの生活を支える立派な大黒柱となっていた。

 長続きのコツは、節度をわきまえ、欲を抑えて耐え忍ぶことだ。

 マネーロンダリングのように、いくつかの拠点を点々と経由させることで、オークションに出す商品にある程度の潔白を身につけさせることはできる。

 だが、どこまで洗ってもこそぎ落とせない汚れというものは確実に存在する。しかもそれは大抵、見えない部分にしっかりと残されているのだ。

 だからこそ、ロボットは一挙に動いても怪しまれず、かつ自分が得をするレベルに到達した時点で早期終了の判断をくだすことで、今日この日まで安心安全に儲けることができていた。

 勿論、どれだけ手練手管を尽くしたところで、顧客──つまり、オークションの参加者がほんの少しの瑕に気付き、不信感を覚えてしまえば、あっという間に瓦解する可能性も孕んでいる。

 しかし、ロボットがこれまで開いたオークションでは、そこで扱われてきた美術品やオーパーツの出所について、一度も口外されたことも、ましてや追求されたことも無かった。

 その理由はひどく単純だ。

 欲望が、道徳心や自制心を上回った──ただそれだけのこと。

 記憶にも新しい、シャーレの先生の身柄などという連邦生徒会を敵に回すようなデタラメを出品した末に爆破され、最終的には逮捕された馬鹿げたオークショニアを思い出す。

 いらぬ欲をかいて、破滅の一途を辿るような愚か者と自分は違う。

 一発で大きく派手に稼ぐのではなく、長く地道に、されど確実に稼いでいく。

 臆病だと罵られたことがある。賢しらだと嘲笑われたこともある。しかしそれでここまで生き残り、稼いでこれたのが、自身のやり方が間違っていないなによりの証拠だった。

 

(私はこれからも稼ぎ続ける──誰にも邪魔はさせない)

 

 そんなことを考えているうちに、また一つオークションが終わった。落札額は──1500万クレジット。本日の最高額。更新されていく口座の数字を確認したロボットは、満足げに頷きながら、スーツケースに入れた商品を落札者に渡した。

 そうして、残る品数もあと十数点となった。カタログをめくったロボットは、次に出品される予定の商品を見て、眼差しを細くする。仕入れたときから、これはあまり値段を釣り上げられないだろうなと考えていた絵画だった。

 ロボットは、芸術品やオーパーツについて詳しいわけではない。だが、この商売を始めたことで、目利きはそれなりにできるようになったつもりだ。

 だからこそ、断言できる。

 この、椅子に座ったこちらを見つめる女を描いた絵画は、違法武装サークルと化したとある部活がなぜか後生大事に所持していた芸術品──それ以外の付加価値などカケラも無い、と。

 まあ、見目だけはそれなりに整っているから、僅かながらでも足しになれば御の字だ。そんな風に考えて、ロボットはスクリーンに絵画の写真を表示させた。

 思った通り、客達の反応は乏しい。

 もしかすれば、これは競り落とされないかもしれないな──という諦めを抱きつつも、それを表に出さず、これまでのオークションで培ってきた自分でもどうかと思うハイテンションで口上を吐き出し、そして価格を宣言した。

 

「それでは、100万クレジットからスタートで──」

「1000万」

 

 その、次の瞬間。

 なにがあっても揺らがないと、聞く者に徹底的に思い知らせてくるような、硬質な声が不意に響いた。

 

 

 〇 

 

 

 タロウにパドルを上げさせようと決めたのは室笠アカネだった。

 何故そうしようと考えたのか? そんなことを聞かれれば、彼女はいつものように朗らかに笑ってこう答えただろう。

 

 ──あの人は、誰が相手でも勝ちますよ。桃井タロウなんですから。

 

 要するに、桃井タロウならば例えどんな金額が掲示されても上回り続けてくれるという、セミナーの財政と会計を務めている早瀬ユウカの胃の状態をガン無視した動機によるものである。

 だが、オークションとは、どれだけ相手よりも高い金額を叩き出せるかで勝負が決まる。

 落札する気満々であらかじめ予算を組んでおいても、思わぬ伏兵の登場によって予期していない上がり方をされてしまい、悔し涙を飲むなんて事態はザラにある。また、出品される品が一つ限りではないことも、大いに影響していると言えるだろう。

 つまり、いついかなる時であっても自分こそがナンバーワンかつオンリーワンであることを疑いもしない桃井タロウは、他者とひたすら金額を吊り上げ合うオークションにおいて、最強の切り札となり得る存在なのだった。

 そう。

 自分の想像は確かに間違ってはいなかった、とアカネは思う。けれど、いきなり1000万と提示するのは──まったく予想していなかった。

 退屈そうに頬杖をついて事の成り行きを見守っていたネルも、流石に異常事態だと気付いたのか、慌ててタロウの腕を引っ張った。

 

「おま、いきな、1000万はねぇだろ……!」

「おれが勝つ。黙って見ていろ」

「こいつ……! おい、アカネ! お前からもなんとか言えっ」

「心配無用です」

 

 ならば目を逸らすなと叫びたい。

 味方がまるで頼りにならないと思い知ったネルは、自分達とは別のテーブルに座っている別動隊──カリンとアスナのチームに視線を送った。

 呆気に取られているカリンの隣で楽しそうに手をぱちぱちと叩いていたアスナが、ネルの熱視線に気付く。そして任せろとでも言うようにウィンクを一つ寄越すと、タロウを真似るようにしてパドルを手にした片腕を高々と掲げた。

 うろたえていたオークショニアが、あわてて指名する。 

 

「よ、455番の方」

「1100万!!」

 

 てめぇも乗っかっていってどうする――!!

 拳を叩きつけた音は、無情にも周囲のどよめきに押し流された。

 血管ははち切れそうだったが、考えようによっては簡単に手出しできない状況に持ち込めたとも言える。他の参加者も、いきなり1000万という大台が飛び出したせいなのか、怖気づいている風に見えた。

 頭は非常に痛いが、とりあえず任務そのものは達成できそうだ──とネルが安堵した、直後のことであった。

 

「──5000万よ」

 

 誰かが、そんなバカげた金額を提案した。

 言わずと知れた、便利屋68だった。

 

「い、いまなんと……」

「あら、聞こえなかったかしら? その絵画に、5000万よ」

 

 なぜか席から立ち上がっていた代表者である陸八魔アルは、弓なりに曲げた黄金色の瞳をタロウとアスナに向けた後に、パドルを顔の横で左右に振ってみせる。

 それがある種の挑発行為だと気付いた二人は、さらに笑みを深めた。

 タロウは面白い、と不敵に。

 アスナは楽しくなってきた、と愉快そうに。

 一瞬の沈黙が訪れ、そして血を血で洗い、金を金で押し潰そうとする、熾烈なデッドヒートが幕を開けた。三人が口を開くたびに、金額はどんどん跳ね上がっていく。

 5500万。

 6000万。

 6500万。

 7000万。

 7500万。

 8000万──。

 そうしてたった数十秒で、絵画の値段はいよいよ億の大台にまで到達しようとしていた。

 オークショニアは焦った。このオークションは、オンラインでも参加できるようにしている。

 ただし、狙いは新規参入者ではなく、このオークションはブラックマーケットから横流した品物を取り扱っていると画面越しでもわかってくれる、いわゆるマニアの類に入る者だ。そうした輩は大抵の場合、暇を持て余して刺激を求める金持ちであることが多い。

 ただ、そうやってオンラインに繋がっているということはつまり、この惨状がありのままでネットに流されているということでもある。 

 

(──これ以上目立つと、ミレニアムサイエンススクールに目を付けられかねない……! ここで打ち止めに……ハンマープライスにしておかなければ……!!)

 

 そうして振り下ろされかけたハンマーを、タロウは見逃さなかった。

 机に置いてあるメモ用のペンを握ると、スナップを利かせて投げ放った。遠心力に負けて回転することなく、定規で測ったように真っ直ぐ飛んだペンの先っぽは、ハンマーを貫き引き連れてなお止まる気配を見せず。そのまま背後の壁に突き刺さった。

 なにやってんだ──と誰もが思うなかで、アスナとムツキだけは、心の底から楽しそうに笑っていた。

 

「──ッ」

「よく見ろ。おれも、ヤツらも、誰も勝負を下りていない。アンタの出番はまだ先だ」

「ば……バカなことを言うなッ! こんな絵画に、億だと!? あり得ないっ! そもそもお前らに払えるわけが無いだろうっ!!」

「なぜそう言い切れる? それに高い金額がついているのに、アンタはどうして喜ばない? 

 なにか、このオークションが開催していると知られてはいけない理由でもあるのか?」

「ぐ、う……っ!!」

 

 ここで早めにネタばらしをしておくと、桃井タロウにオークションのなんたるかを叩き込んだ張本人とは、様々な意味で悪名高い美食研究会会長こと黒舘ハルナである。

 そのこと自体はあまり問題ない。いや、問題ありまくりなのだが、焦点を当てるべき部分はそこではなかった。ミレニアムでオークションが開かれる前日に、ゲヘナの片隅にある市場で開催された競りにあった。

 なにがあったのかと言えば、ある商人が普通の品質の真鯛を、高級のものだと偽って競りに出したのである。

 おそらく、ほんの出来心だったのだろう。でなければ、わざわざ高級と偽ったくせに2万かそこらで手打ちにしようとする筈が無いからだ。

 ハルナは、それを許さなかった。

 商人が競りを終わりにしようとするたびに、自らの愛銃を空に向けてぶっ放しては、「まだ上げられますわよね?」と実にいい笑顔で続きを促した。

 最終的に恐ろしくなった商人が、半泣きになりながらなにもかもをバラした際の金額は、本物の高級真鯛であったとしても到底つけられないであろう、恐ろしい額だった。

 競りが終わった市場を後にしてから、近くの中華食堂で遅めの昼食を食べていたタロウは、対面に座っているハルナに尋ねた。

 

 ──アンタに一つ訊く。あれが、キヴォトスなりのやり方なのか。

 

 ハルナは醤油がしっかりと絡んだ肉と野菜を白飯と共に口に含み、きちんと咀嚼し終えてから、タロウの質問に答えた。

 

 ──ええ。あれが、キヴォトスなりのやり方です。

 

 とんだ大噓である。

 だが、ハルナは本気で言っていて、だからタロウはそういうものか、と納得できてしまった。 

 ツッコミ役で誰かが相席していれば、まだ取り返しはついただろう。しかし、ハルナがタロウと二人で市場に行くことを望んだせいで、今日に至るまで挽回することは叶わなかった。

 そして、今。

 

「15億」

「20億っ」

「なら30億」

「──40億だ」

「じゃ50億っ!」

「────60億よ」

「───なら70億だ!」

 

 跳ね上がり続けた金額は、オークショニアがこれまで稼いできた総資産に匹敵しようとしていた。それは同時に、ロボットがこれまでコツコツと積み重ねてきたすべてが、崩れ落ちることを意味していた。

 破滅の足音は、ロボットの背後まで聞こえてきている。

 そして、いよいよ100億にまで上り詰めようとしたその時だった。

 

「ここまで…………せっかくここまで…………」

 

 ぷつり、とロボットは自分の頭の回路のどこかが切れる音を聞き、

 

「────耐え忍んで、来たのにィィィィィィッッッッ!!!!!」

 

『謇玖」丞殴謌ヲ髫』というバグを起こした文字列が、紋章を伴った輪っかとなってロボットを囲む。

 それは吸い込まれた末に禍々しい輝きを放ち、やがて光が止んだそこに立っていたのは、欲望の化身たるヒトツ鬼──手裏剣を模した笠を深く被った、手裏剣鬼であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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