ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのに

 

 

 

 

 

 

「まずは落ち着いて、それから私の話を聞いてくださいませんか?」

 

 椅子に固く縛り付けられた黒舘ハルナは、落ち着き払った表情でそう言った。

 凪いだ湖面を連想させる、静かに透き通った表情である。だからこそ、自分の行いの非道っぷりを本当に理解しているのだろうかと、愛清フウカは疑問に思わざるを得なかった。

 いきなり食堂に発煙弾をぶち込んできて、どこでそんなものを用意したのかは知らないが、特注品らしきネットランチャーをフウカ達に向けて撃ってきた。

 初手で視界を奪い、次に動きを封じ込めることで、その後に自分の要求を飲ませるつもりだったかもしれない。いっそ惚れ惚れするぐらいの、堂に入ったテロリストっぷりだった。美食研究会ではなく、テロリズム研究会としても充分にやっていけるだろう。

 そんな呆れをこめて、フウカはハルナに皮肉を投げつけた。

 

「──よくも、まあ、この状況でそんな顔できるわね。ハルナ」

「あら。フウカさんが褒めてくれるなんて、ここは有り難く受け取るといたしましょう」

「欠片も褒めてないんだけど……」

「ふふっ、私と貴女の仲なのですから、照れなくてもいいというのに」

 

 まるで反省の色が見られない。

 ニコニコと笑うハルナの姿はいつものことだったが、それゆえにフウカは果てしない徒労を感じて、重いため息を吐きつけた。まるで、壁に向かって話しているような気分である。

 タロウがいなければどうなっていたことやらと、フウカは隣で腕を組んでハルナを見下ろしている男に視線をやった。

 食堂に踏み込んできたハルナをものの数秒で拘束してみせたタロウは、いつものように腕を組みながら、いつものように仏頂面を貫いていた。

 その姿があまりにもいつも通りの様子だったから、大して気にしていないのかな──とフウカは思っていたのだが、

 

「──それで、用事はなんだ」

 

 タロウの口から飛び出た言葉は、とても硬く、鋭い。一発で機嫌が悪いとわかるようなものだった。

 タロウの横顔に、おそるおそるフウカは声をかけた。

 

「……あの、タロウ」

「なんだ」

「もしかして怒ってる?」

 

 タロウはハルナから目を離さずに頷いた。

 

「当然だ。食事時を邪魔されて、いい気分になれる筈がない。だが……こいつは、訳もなく食堂で破壊活動を行うような輩ではない」

「まさしくその通りです、タロウさん。私のことをよく理解してくれていて……それに、褒めてくださるだなんて。嬉しいです、とっても」

「褒めていない」

「私と貴方の仲なのですから、嘘などつかなくてもいいのですよっ」

 

 デジャヴを感じるようなやり取りをタロウとかわしながら、ハルナはどこまでもにこやかに笑っている。フウカがその大根のごとき神経の図太さに感心していると、横合いからふと視線を感じた。

 タロウだ。

 どうにかならないのかと言わんばかりの、疲労がかいま見える視線だった。

 

「……」

 

 フウカは本当に心苦しかったが、ふるふると首を横にふって答えた。ついつい肩まで叩きそうになったのは、タロウが自分と同じように、黒舘ハルナという少女に振り回されて、苦労させられていることを察知したからだった。

 ここは、キヴォトスの住人として先輩である自分がなんとかなければ。フウカはタロウを庇うような位置に移動しながらハルナに問いかけた。

 

「で、なにしに来たの? いつも通り拉致しに来ただけなら、風紀委員会を呼びに行ってくれてるジュリに連絡して、そのまま引き渡すけど」

「安心してください。私がここを訪れた理由はただ一つ。美食研究会から、給食部の方々と──いるのは予想外でしたが、タロウさんに依頼を申し込みに来たのです」

「……うち、便利屋じゃなくて給食部なんだけど」

「おれは宅配人だ」

「依頼を、しに来たのです」

 

 ハルナは反論のことごとくを封殺してみせると、もぞもぞとなにやら身動ぎし出した。

 まさか自爆するつもり──とフウカは咄嗟に身構えたが、どうやら違うらしい。ポケットに入れてある端末を取り出そうと苦心している様子だった。

 しばらく格闘した末に、ハルナは懇願するような目つきで、タロウを見た。

 

「あの……この縄、ほどいていただけませんか? 結び目が固くて、私一人ではとても……」

「断る。アンタを野放しにするつもりはない」

「では、せめて携帯を取っていただけると……」

「わかった」

 

 タロウは簡潔に答えると、ハルナに近づいて、携帯を探し始めた。

 

「──!?」

 

 衣服越しとはいえ、異性の身体に触れているというのにまったく躊躇のない手つきに、さしものハルナも驚いたらしい。先程までの余裕を放り出し、だらだらと汗を掻きながら、頬に鮮やかな紅を灯している。

 そんななかで、僅かに潤んだ目が、ちら、とフウカに突きつけられた。

 

 ──ふうかさん。

 

 フウカは、ハルナの助けを求めるアイコンタクトと口パクを、綺麗に無視した。そして柔らかな微笑をたたえて、傍観に徹する。理由は単純。面白いからだ。

 なのでハルナは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の給食部部長を拉致しなければならぬと決意した。

 しかしその怒りは、ときおり制服を透かして肌に伝わってくる、男の筋張った手の感触にたちまち拭われてしまう。

 一方でタロウは、ハルナの動揺もフウカの嘲笑も知らずに、眉を顰めていた。どうやら携帯が見つからなかったらしい。

 

「……どこにある?」

「ぁ、あの──コートの三、いえ、二……番目のポケットに……」

「これか」

 

 どもっていてよく聞こえなかった言葉を正確に聞き取り、タロウはコートのなかからハルナの端末を取り出した。それを手渡されたハルナは気を取り直すように軽い咳払いをすると、縄で縛りつけられた手で器用に操作しはじめ、SNSと思しき画面を表示してみせた。

『@EATorDIEOfficial』という物騒なユーザー名が特徴的なそれは、美食研究会がSNSで情報を発信するために使用されているアカウントだった。それなりに人気があるのか、星やRTの数は四桁を超えることがザラであり、聞けば先生──シャーレも発言を時々拾っているのだという。

 だが、SNSのアカウントと、こちらに持ちかけたい依頼とやらに一体なんの関係があるのか。フウカが疑問に思った直後だった。

 ハルナはふたたび画面を操作し、今度はメッセージでやり取りをしている画面を開く。そこに表示された相手を見て、フウカは微かに目を見開いた。

 

「……クロノスジャーナリズムスクール?」

 

 

 〇

 

 

「───要するに、クロノススクールの連中が、記事に取り上げるための店の紹介を、アンタ達に依頼してきたというわけか」

「ええ、その通りです」

 

 縄をほどかれたハルナは、タロウの要約を聞くと、しっかと縦に頷いてみせた。

 その澄ました横顔を半目で見ながら、フウカは電気ポットのなかに入ったお湯を、お茶の粉末が入った湯呑みに注いでいく。喋り続けていたせいで喉が渇いたハルナに、それはちょうどいいタイミングであった。礼をしてから、湯呑みを両手で丁寧に包み込み、一滴も残さず飲み干す。

 そしてハルナは満足げに、熱が籠った吐息をひとつ吐き出してみせた。

 

「ふふ、結構なお点前で」

「ただのインスタントなんだけど? ……それで、私達とその依頼にどういう関係があるのよ。第一、キヴォトスにある美味しいお店なら、ハルナ達の方がよっぽど詳しいでしょうに」

「勿論です。美食の追求──その過程で、星の数ほどある料理店に立ち寄ることは、切っても切れない間柄にありますので」

 

 ハルナはですが、と言葉を区切り、

 

「私にとっての美食が、記事を読む方々に受け入れられるかどうかは、まったく別の問題でしょう? そもそも、私達美食研究会が日々追い求めている美食は、文字通り千差万別。一人一人の辿る人生が違っているように、己が信ずる道を歩いているのですから」

「つまるところ、なにを言いたい? アンタの説明は要領を得ない」

「だからこそ、貴方達を見込んだのです」

 

 タロウの問いかけを受けたそこで湯呑みを置き、ハルナはジュリに視線を向けた。

 

「確かな目利きの腕を持つジュリさん」

 

 次にフウカ。

 

「普段は無残にも隠れてしまっていますが、味においても栄養面においても、優れた料理をお作りになるフウカさん。そして──」

 

 最後に、タロウ。

 

「文字通り、すべてを極めたタロウさん──……貴方達三人が、口を揃えて評価する料理であれば、それは万人に通用する美食になると思いませんか?」

 

 そんなハルナの言葉は、ある意味では給食部を高く評価しているようなものだった。

 普段、周囲からはぞんざいに扱われがちだからだろう。例え相手が頭を悩ませる原因の一つだとわかっていても、悪い気はしなかった。

 だが、それとこれとは話が別である。美食研究会とつるんで、ロクなことになった試しは無い。

 

「……ハルナ。信頼してくれるのは、その、嬉しいんだけど。私達は──」

 

 そうして、毅然とした態度をもってハルナの提案を断ろうとしたフウカを──

 

「──面白い! 良いだろう。アンタの話に乗ってやる」

「はあ!?」

 

 という、タロウの宣言が容赦なく遮った。慌てたのは、フウカだけだった。タロウに続くようにして、ジュリが勢いよく手をあげる。

 

「私も賛成です! 是非、協力させてください!」

「ちょ、ちょっと待ってってば! 二人ともわかってる? あの、美食研究会よ? 黒舘ハルナよ!?」

「フウカさん、それはどういう意味でしょうか」

「アンタは黙っててっ! ……ねえ、タロウもジュリも、落ち着いてよく考えて? 部費を全部賭けてもいい、絶ッ対にロクでもないことしか起きないわよ!? タロウも苦労させられてるんでしょっ?」

「ああ。だが、これはアンタの為にもなる。いい勉強の機会だ」

「……勉強?」

 

 フウカの懇願にも等しい叫びをギロチンのように斬って捨てたタロウは、冷徹な口調を維持し続けた。

 

「例えば、アンタが作ったさっきのオムレツ──食感が少し水っぽかったが、これは火の通し方が浅いせいだ。それに、卵独特の味わいよりも、マヨネーズの酸味が少しだけ勝っていた。

 点数をつけるなら、八十五点のオムレツだ」

「…………」

 

 上げて落とすとはこのことか。

 ついさっきまで、フウカの脳内メモリに保存されていたタロウの褒める姿が、がらがらと音を立てて崩れた末に、いまの遠慮会釈もない言葉に上書き保存されていく。

 初めて顔を合わせた時からずっと、フウカはタロウに合格点を貰ったことがない。

 もし仮に桃井タロウが、料理のりの字も知らない素人であれば、どんな評価を下されたところで、あくまでもアドバイスの一つとして余裕をもって受け流すことができただろう。

 だが、タロウが作る料理の味を知ってしまった今となっては──割と精神に、キく。

 

「……はちじゅう、ご」

「安心しろ。成長が止まった訳ではない。アンタの料理は、きっといつか、多くの人を幸せにする──だからこそ、いい機会だと言ったんだ」

「タロウさんの仰りたいことが分かりましたわ。要するに、アウトプットだけでなく、インプットをしろと──そう言いたいのですね?」

「その通りだ。だが、人の結論を勝手に横取るな。失礼だ」

「あら合ってましたのねっ。ふふっ、これはもう、一心同体と言っても過言ではないのでは」

「過言でしかないな。おれについてこれるのは、おれだけしかいない」

 

 バカみたいなやり取りをしている二人を見ているうちに、フウカは悩みがひどくどうでもよくなってきた。

 それに、外出といえばスーパーへの買い出しぐらいしか無い最近の自分にとって、ハルナの誘いに乗って様々な店の料理を食べていくというのは、確かにいい機会に思える。美食研究会とクロノススクールが関係しているというのが、ネックというだけで。

 けれど、毒を食らわば皿まで──とも言うし。

 

「──わかった、わかったわよ」

 

 はあ、と深いため息を吐き、フウカは耳にかかった髪を乱暴に掻き上げながら、答えを出した。

 

「……私も付き合う。ジュリもタロウも、ほっとけないしね。うちの部員なんだし」

「まぁ。タロウさん、いつの間に給食部に?」

「今日限りだ。臨時部員として雇われた」

「とっても頼りになるんですよ! タロウさんが良ければなんですけど、ずっと一緒に給食部で活動しませんか? タロウさんがいれば百人力、千人力、いえ、万人力ですっ」

「おれはあくまでもお手伝いとして来た。それより深く踏み込むつもりはない」

 

 ジュリの提案を、タロウは冷静に切って捨てる。断るにしたって、もう少し言い方があるだろうに。明らかに落ち込んでいる後輩を見て、フウカの先輩心に火が点いた。

 

「ねえ、タロウ。せっかくジュリがこう言ってくれてるんだから、もうちょっと、こう……」

「それでは、思い立ったが吉日といきましょう」

「え?」

「たった今から、給食部はやむを得ない事情の為、長い休暇に入ります──」

 

 遮るように、ハルナが明るい声を上げた。見てみると、笑顔で片手になにかを握り締めている。目を凝らすまでもなくそれが起爆スイッチであると理解できる自分が、どうしようもなく嫌でしょうがない。

 結局爆発オチか──! と、フウカが諦観とともに目を瞑りかけた瞬間だった。

 

「その必要はないッ!!」

 

 と、タロウが痺れるような大音声を唱えたことで、ハルナの行動を止めた。

 起爆装置の赤いボタンから親指をわずかに離し、ハルナはタロウに目をやった。

 

「と、言うと?」

「わざわざここを爆破せずとも、公式に休みを取る方法があるからだ」

 

 タロウはそう言うと、自分の携帯を取り出して、とある番号に連絡を入れた。

 画面に表示された連絡先は、キヴォトスで生活する生徒なら、誰でも知っている人物だった。

 

 

 〇

 

 

 そして、フウカ達はシャーレの執務室にいた。

 

「──それで、学区外での正式な活動許可を貰う為に、私のところに来たわけだ。うん、良いよ。協力する。シャーレがバックについていれば、クロノススクールの子達も、そうそう下手な記事は書けない……と信じたいなぁ」

 

 ずり落ちた眼鏡をかけなおしながら、先生はそう言った。一体、何徹目なのだろう。髪はあちこちが跳ねており、目の下に刻まれた隈は濃く、重たげに見える。フウカは心配になって、先生に尋ねた。

 

「あの……先生、大丈夫ですか?」

「ん? ああ、ごめんね。顔色悪くて。要らない心配させちゃったかな」

「そんなこと、言わないでください。先生の健康は給食部にとっても大事なんですから。

 ──というか、またインスタントばっかり食べてるんじゃないでしょうね」

「はは。そんな、まさか……ははは」

 

 曖昧にぼかす先生の姿に怪しさを嗅ぎ取ったフウカは、隣で腕を組んでいるタロウに素早く問いかけた。

 

「タロウ。本当は?」

「昨日はカップラーメン。一昨日はコンビニのパンをニ、三個。一昨昨日は栄養補助ゼリー」

「タロウっ! それは言っちゃダメだって……!」

「おれは聞かれたことに答えただけだ」

 

 腕を組むタロウは難攻不落の城のようで、とてもよじ登れそうにない。先生は諦めると、鬼と化したフウカに向き合うことにした。

 

「先生……? 私、言いましたよね? きちんと栄養のあるものを食べなきゃいけないって……」

「あの、でもほら、最近仕事が忙しくなってきてるしさ……あともうちょっとで良いから、この生活続けちゃダメ? うんダメっぽいね」

 

 炎のような気迫を纏わせるフウカに、先生は一秒で降伏した。

 しょんぼり、と肩を落とした先生は、いい歳をした大人だというのに、本当に叱られた子供のように見える。その姿にはどうにも弱い。

 フウカはふう、とため息を吐くと、垂れ下がった髪を指にくるくると絡ませながら、視線を逸らして話しかけた。

 

「そ、その。先生さえ良ければ、なんですけどっ。わ、私が毎日お弁当つくってきましょうか……?」

 

 答えたのは、何故かハルナだった。

 

「では、手始めに魚料理の入ったお弁当をいただきましょうか。最近、よい鮮度の鯖が手に入りまして。みりん焼きなど良いかもしれませんわね」

「ねぇ私の話聞いてた? 話聞いてた?」

「冗談です──そういえば、先生? つかぬことをお伺いしますが、先生がキヴォトスに来て、最も印象に残っている料理はあるでしょうか?」

 

 ハルナがそう問うと、先生は顎に手を当てて考え出した。

 

「印象に残ってる料理かぁ。そうだね……」

 

 生徒が青春をなんのてらいもなく過ごす為に、日々キヴォトスのなかを駆け回っている先生にとって、記憶に残る料理というのはあまりにも多い。

 そのなかでも、ひと際強い輝きを放っているものを、あえてあげるとするならば──

 

「──柴関ラーメン、かな。アビドスの近くにある」

「アビドス……ですか?」

「うん。大将がとても気前良くてね。価格も安くて、味も抜群で、量も多い。学生にとっては勿論、私にとっても有り難い店なんだ」

「価格、安い……味、良し……量も多い……」

 

 真面目にかりかりとペンを走らせているジュリから目をそらし、フウカはハルナに尋ねた。

 

「ここからアビドスって……結構かかるわよ。大丈夫なの?」

「問題ありません。美食の道とは、いついかなる時でも険しいものですから」

 

 答えているようで全然答えになっていない。

 不安になるフウカに、先生は頬を掻きながら、慰めるようなひと言をかけた。

 

「私もついていきたいところだけど、この間起きたオークション会場爆破の後処理がまだ終わってなくてね……近道のマップは送るから、みんなで楽しんできてね。お昼時だし、いいタイミングなんじゃないかな」

「何から何までありがとうございます、先生──それでは、皆さん。早速行きましょうか。タロウさん、車を回してくださる?」

 

 先生からデータを受け取ったハルナは、肩にかけたコートを颯爽とたなびかせながら立ち上がる。フウカとジュリも遅れて立ち上がるが、タロウは座ったままだった。

 フウカは怪訝に思い、タロウに声をかけた。

 

「……? どうしたの、タロウ。行かないの?」

「──いや、おれはここまでのようだ」

「え?」

 

 瞬間、ぴーぴーと、甲高い電子音が響いた。音の出所は、タロウの右手首に巻かれた腕時計からであった。

 

「これから、午後の配達が始まる──後はアンタ達に任せた」

「ちょっと待ってっ。ハルナの依頼はどうするのよ?」

「それはあくまでも給食部に持ち込まれたものだ。おれには配達業がある。仕事を優先せざるを得ない」

 

 そこでタロウは壁にかかっていたカレンダーに目をやり、

 

「一日付き合うとなれば、明日しかない。それでもいいなら、付き合おう」

「むう……それでは仕方ありませんわね。水を差されるようで残念ですが、タロウさんの協力は必要不可欠ですので」

「……フウカ先輩、見ましたか?」

「ええ……」

「見ちゃったね……」

 

 こそこそと耳に囁きかけてきたジュリに、フウカはそう返した。途中で割り込んできた先生も、声をじっとひそめている。

 たぶん、三人とも似通った感情が顔面に張り付いているに違いない。

 その名は、驚愕。

 まさか、あの黒舘ハルナとあろう者が、美食の道を追求している最中に相手の事情に合わせていくとは──

 淡々と遠ざかるタロウを爆破することなく、ひらひらと軽やかに手を振って見送っているハルナに、先生とフウカとジュリは冷や汗を垂らしながら頷き合った。

 

「明日は槍でも降るんじゃないかしら……」

「裏をかいて爆薬なんじゃないでしょうか……」

「ハルナもちゃんと青春してるんだねぇ……いいことだ」

 

 三人が後ろでぶつぶつ呟き合っていることをつゆ知らず、ハルナはタロウを、執務室から出ていくまで見守っていた。

 

 

 〇

 

 

 当たり前のことだが、桃井タロウの戸籍はキヴォトスにはじめ存在していなかった。

 

 

 その理由は、先生のように思う連邦生徒会長が呼び寄せたのではなく、どこからともなく現れたからである。

 ちょうど、サンクトゥムタワーの制御が失われていた時期にやって来たことも幸いしたのか、最初の頃はあまり問題視されなかったのだが──キヴォトスがある程度の秩序を取り戻してからは、そうもいかなくなった。

 そこで名乗りを上げたのが、先生である。

 幾つかの手続きを経て、ゲヘナでも、トリニティでも、ミレニアムでもない──どの学園の自治区下でもないD.Uの住人として、桃井タロウを正式に認めることにした。

 そうなった理由は、先生がタロウに対して、自分と同じキヴォトスの外から来た異邦人としての親近感のようなものを抱いたからでもあったが──

 

 ──ドンモモタロウ。

 

 その常軌を逸した強さがどこか一つの学園に所属するとなれば、辛うじて保たれているバランスを木っ端微塵に崩してしまうのではないかという、七神リンの密かな危惧によって成り立ったことは、先生以外には公然の秘密として広まっている。

 とにもかくにも、これで桃井タロウは正式にキヴォトスの住人となった。次に生まれた問題は、どこに住居を構えるかだった。

 これに対する先生の解答は簡潔を極めた──シャーレの居住区に住めばいいんじゃないかな。

 しかしこれは、とある共通点を持った生徒達が感情と理性を兼ね備えた意見をもって抗議したことにより、あえなく空論に終わった。

 なによりも、タロウが既に住む家を見つけていたこともあっただろう。

 その家こそ──タロウが現在働いているシバイヌ宅配便の会社である。

 

「──お疲れ様です」

「おお。お帰り、タロウ」

 

 午後の配達を終えて、バンを車庫に戻し、荷台を洗ってから部屋に上がって来たタロウを出迎えたのは、シバイヌ宅配便の社長を務める柴社長だった。

 作業服に身をつつみ、ボストン型の眼鏡をかけた社長は、机に座って伝票を整理している最中だった。机の半分を占めるように置かれたパソコンのフレームには何枚もの付箋が貼られており、明日の配達先が書かれているものもある。

 タロウは袖をまくって、社長に近づいた。

 

「手伝おう」

「あー、大丈夫大丈夫。それよりも疲れただろ? 上で休んでな。また明後日からばんばん走ってもらうんだからよ」

「だが……」

「こちとらこの道ウン十年のプロなんだ。まだまだ現役ぴっちぴちよ」

「──わかった。だが、無理はするな。アンタがいなければ、シバイヌ宅配便は回らない」

「おう。今日も一日ご苦労だったな」

 

 柴社長は力こぶを作ると、それを肉球のついた手でぽんぽんと叩いてみせる。タロウは素直に甘えることにして、ひとまず制服から私服に着替えた。

 時計を見てみると、時刻は既に夕方を過ぎて、夜の始まりに差し掛かろうとしている。ちょうどいいタイミングだと思い、タロウは台所に向かった。

 朝から炊いていたご飯を炊飯器から多めにすくい、水と一緒に鍋のなかに入れる。

 沸騰するのを待っている間に、買ってきた青ネギを5mm程度の感覚で刻んでいく。

 ぽこぽこと水面に小さな泡が浮き出てきたのを見て、火を弱火に調節。塩やだし、醤油などの調味料を適宜入れていきながら、さらに煮込んでいく。

 やがて水気が無くなり粘りが出てきたところで火を止め、溶いた卵を入れて一回ほど掻きまわしてから、フタを閉めて一分ほど蒸らす。そうすることで、卵や調味料が米粒に深くしみ込んでいく。

 

「……」

 

 きっかり一分経ったところでフタを開くと、湯気とともに卵の香りがふわっと広がった。

 そこに刻んだ青ネギをたっぷりと投入し、さっと混ぜる。

 そのまま椀によそおって、最後にかつお節を振りかけると、お粥が完成した。

 タロウは椀を二つトレーに乗せて、台所から離れた場所にある自分の部屋まで持っていく。

 二つを一人で食べるわけではない。

 二つを二人で食べるから、持っていったのである。

 扉をニ、三度叩くと、返事のかわりにごほごほと咳が返ってきた。

 

「──入るぞ」

 

 タロウがノブを回し、扉を開くと、そこにはすっかり見慣れた自分の部屋がある。

 ただし、ベッドの上にだけ──最近になって現れた、まだ見慣れない少女の姿があった。

 長く黒い髪と、青白く光るヘイロー。病的なほど白い肌は、熱を宿しているせいで、艶めかしい赤に染まっている。

 少女はお粥を持って部屋に入ってきたタロウを見ると、苦しそうに表情を歪ませながら、上体を起こした。

 そういえば、とタロウは思い返す。名前も素性もまるで知らない目の前の少女を、雨のなかから拾ってきて──今日で一週間になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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