ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのさん

 

 

 

 

 初めに、小さな光があった。

 

 

 火種にも似たそれは、暗闇のなかでゆっくりとその身体を膨張させていき、しまいには拡散する。

 火花のごとく飛び散った欠片は、ぱちぱちと瞬きながら、次第に視界の輪郭を形作っていく。誘われるようにして、脳の奥深くに沈みこんでいた意識が、のっそりと浮上する。

 そして目覚めた錠前サオリが、一番最初に取り戻したのは──全身を隈なく覆う鈍い痛みだった。

 

「──ぐ──ぅ」

 

 身体の節々に点在しているそれは、サオリの意識の覚醒を目敏く嗅ぎ取るや否や、その勢いをいや増していく。振り払おうとするが、四肢はタールのなかにでも浸かっているかのように重く、かろうじて指先を動かすのが精一杯といったところ。

 それでも、痛みを堪えることだけは、昔から得意だった。

 

「ふッ、ふ──ぅ」

 

 サオリは浅い呼吸を何度か繰り返しながら、上体を上げた。凝り固まった背骨が、嫌な音を立てて軋む。飛び出かけた苦痛の喘ぎをどうにか飲み下し、サオリは朧げに歪む眼差しを周囲に向けた。

 そこには見知らぬ部屋があった。

 だというのに、まず最初に親近感のようなものを覚えたのは、その部屋が人間味と呼べるものが、およそ欠けていたからだろう。

 机に椅子、クローゼットに引き出しのついたタンス、枕元に置かれたキャビネットに自分が今まで使っていたらしいベッド──

 生活していくにあたって、必要な最低限の家具を揃えたところで時間を止められたかのようなこの風景は、サオリにとって親しみ深いものだった。

 だが、親しみを感じることと、この部屋がサオリにとって未知のものであることは、まったくの別問題である。

 あらゆる箇所に視線を走らせて、罠の類が仕掛けられていないことを確かめると、サオリはゆっくりとベッドから足を下ろした。

 年季の入ったフローリングに、裸足がぺた、と音を立てながら腰を据える。肌を直接刺してくるかすかな冷気が心地よい。そのおかげで、自分の身体が尋常ではない熱を宿していることに気が付いた。

 

「──は、あ」

 

 それを自覚した瞬間、火で炙られているかのごとく鮮烈な灼熱が、痛みを感じ続ける身体に遠慮なく覆い被さってきた。

 ぐら、と視界が大きくブレたのは、決して気のせいではない。実際にバランスを崩して、倒れかけようとしていた。

 咄嗟に足を開き、全身に力を込めて堪える。強張った筋肉が悲鳴を上げ、ただでさえ酷かった痛みが、臨界点寸前まで達しかけようとしていた。

 それでも頑なに倒れようとしなかったのは、自分が起きたことを知られてしまってはならないという、未知の環境への対処を続ける為だった。

 やがて苦痛と高熱のピークが過ぎ去り、ある程度は誤魔化せると判断してから、サオリはふたたび歩き出した。

 目指すのは他でもない、部屋の出口だ。

 記憶はまだガス欠気味だが、自分がこんなところで休んでいられるような身分ではないことだけは、よくわかっている。

 ワイヤーがかけられていないことを確かめて、ノブをひねろうとした瞬間。

 回った。

 サオリが、手をかけるよりも早く。

 

「──ッ!!」

 

 脳内で警鐘が鳴り響く寸前には、扉から飛び退いていた。距離を離した刹那、ゆっくりと扉は開かれていく。その隙間から、無防備に出てきた人影の喉に向けて、

 

「シィ──!」

 

 サオリは躊躇なく右の貫手を放った。

 初手で喉を潰そうと考えたのは、確実に行動不能な状態へ追い込むことができ、増援を呼ばれるという危険の芽を摘めるからだ。

 いくら高熱で不調とはいえども、彼女もまたキヴォトス人である。確実に喉を貫く軌道に乗せられた手は、暴力的な威力を存分に発揮することに、なんの異論も持たなかった。

 しかし、貫手は横から飛び込んできた片手にあっけなく掴まれた。

 固く筋張った指の感触に、相手が少女──どこかの学園に所属している生徒ではなく、キヴォトスのどこにでもいるあり触れた一般人だと気付く。だが一般人が、偶然とはいえ自分の貫手を止められるとは到底考えられない。

 となれば、おそらくオートマタか。

 どちらにせよ、容赦をする必要は無くなった。

 

 ──壊す。

 

 身体を捻りながら、弓歩立ちで一気に下へ沈み込むことで、掴まれていた右手を自らの元に引き戻した。おそらく相手には、唐突に姿を消したように見えている筈だ。その判断の遅れに容赦なくつけ込むことを決意する。

 捩じった腰を急激に戻し、遠心力をたっぷり貪った右の掌を、アッパー気味に打ち放つ。

 狙いは鳩尾──即ち、動力源。

 万が一避けられたとしても、顔面の液晶は確実に砕ける筈だった。

 だが、それすらも、受け止められた。

 籠めた勢いも威力も、完全に殺されて。

 今度は偶然だと考えなかった。

 

「その身体で、よく動く。だが、損をするのはアンタだぞ」

「──な」

 

 なにを、言っている?

 そう問い掛けようとした直後、アドレナリンに頭を抑えつけられ、思考の風呂のなかに顔面を突っ込まれていた熱と痛みが猛然と暴れ出した。

 節々の痛みが、点と点となって繋がっていく。

 

「ぐッ、ゔっづ……──!」

 

 はじめに感じたときよりも、何十倍となって襲い来たそれに、サオリの精神はともかく、身体は耐え切れなかった。

 込み上げる溶岩のごとき吐き気に喉を震わせながら、糸が切れた人形のように床に向かって倒れ込んでいくサオリを、影が腕で受け止めた。

 肉付きはお世辞にも良いとは言えない。けれど何故か、途方もない安心感を覚えられる腕だった。

 意識が陽炎のように霞んでいくなか、顔だけでも見なければと、最後の力を振り絞って顎を上げる。

 サオリのぼやけた眼差しに映し出されたのは、頭上にヘイローの無い、自分に負けず劣らず無愛想な表情を張り付けた、見たこともない男の姿。

 それを確認したと同時に、とうとう臨界点を迎えた喉が、血の混じった吐瀉物を唇から叩き出した。

 体内にへばりついていた澱みが削げ落ちていく爽快感と、一気に熱が抜け落ちたことによる虚脱感を同時に覚え──そこで、サオリの記憶は一度途切れている。

 

 

 暴力と、敵意と、吐瀉物。

 そんなものに塗れながら、錠前サオリと桃井タロウは出会いを果たしたのだった。

 

 

 〇

 

 

「……」

「……」

 

 かちゃかちゃ、と蓮華が皿に当たる音と、はふはふと粥をかき込む音だけが、桃井タロウの自室には響いていた。

 目の前で黙々と粥を食べ進める少女の姿は、別に初めて見るものではない。栄養をつければ自然と風邪は治る──というわけで粥を作って持ち込んだ一週間前の夜から、今ではすっかりタロウの日常の一部となっている。

 ちなみに、タロウが風邪をひいていないのに一緒に粥を食べている理由は、少女が毒味役を命じたからである。

 曰く、他人が作ったものなど信用できない。

 曰く、見えない場所で作った料理など得体が知れない。

 曰く、何が入っているか、わかったものではない──。

 だがタロウは、料理に食べられないものを──ましてや、身体の害になるものを入れるという真似など、何十回と死ぬ羽目になっても行う気はなかった。

 料理とは、人を幸せにするためにあるのだから。

 タロウは、幸せがわからない。

 けれど、握ってきた者が持つ重みならば──世界の誰よりも知っていた。

 しかし、自分が正直に話したところで、それを真実だと受け取ってもらえるかどうかは、相手によって違ってくる。それをよく思い知らされてきたから、タロウは少女の指示に大人しく従うことにしたのだった。

 とはいえ、一週間も経てば、それなりに変わった部分はある。最初の頃は、自分の椀に入った粥をひと口食べてみせてから少女のそれと交換していたのだが、今は器を受け取ると、そのまま食べるようになったことが、一番の変化だろう。

 考え事をしていると、少女はいつの間にか椀で顔を隠しながら、へばりついた粥を口のなかに追い詰めていた。蓮華がかっかっかっ、と音を立てて、鞭を持った鬼教官のごとき気迫を漂わせている。

 

「食事は逃げない。落ち着いて食え」

「──」

 

 少女は無視を貫いて、米粒一つどころか出汁の一滴まで残さず掬い取った最後の一杯を、口のなかに放り込んだ。

 そのまま目をつぶり、噛み締めるように口を動かす。

 タロウは手を止めて、少女を見守っていた。やがて、口内のすべてを飲み込んだ少女は、閉じていた目を開き、青白く光る冷やかな双眸を露わにした。

 

「──馳走になった。すまない、何度も」

「謝る必要はない。今のアンタに必要なのは、栄養をつけることだからな──それにしても相変わらず、いい食いっぷりだ。見ていて気持ちがいい」

「……それは、良かった、のか?」

「あぁ。料理人冥利に尽きるというものだ」

 

 タロウが告げると、少女は「そうか」とひと言だけ呟くと、手元に鎮座する空っぽの椀を見下ろした。

 物問いたげな雰囲気は、最終的に問い掛けという形となって、タロウに向けられた。

 

「……何故」

「なに?」

「何故、ここまでする?」

「どういう意味だ」

「私とお前の間には、なんの関係性も無い筈だ。なのに……お前は私を拾い、寝床と食料を提供し、あまつさえ病床の面倒まで見ている。何故だ? 私には、お前がまるで理解できない」

 

 少女の翳った瞳の奥に見えるのは、疑問だけではなかった。

 猜疑心と敵意──そして、僅かな恐れ。

 そのすべてを見透かしながら、それでもタロウが出す答えは、いつもと同じものだった。

 

「簡単な話だ。おれとアンタに、縁ができたからだ」

「──縁?」

「視線が合ったとき、肩が当たったとき、荷物を渡したとき──この世には、無数の縁が散らばっている。

 雨のなかでおれがアンタを見つけたのも、きっとなにかの縁なんだろう。だからこうしている。それが理由だ」

 

 淡々と語るタロウを、少女は唖然とした目で見ていたが、一応は矛を収めることにしたらしい。

 

「……やはり、理解できない」

「それで良い。ただの一度で理解されるほど、おれは容易いものではない」

「どうやら、そのようだ」

 

 少女はそうして会話を断ち切ると、椀をタロウに手渡した。そして、枕元のキャビネットの上に用意されてある錠剤を水で飲み込み、ふたたびベッドに身を任せる。

 いくらかマシになったとはいえ、まだまだ本調子ではない。しかし、朝昼晩欠かさず栄養を取っているお陰なのか、信じられない速さで治癒は進んでいた。

 このままいけば、明後日辺りには……少なくとも戦闘を行える程度には、動けるようになるだろう。

 そうなれば、この部屋にいる必要が無くなる──目の前の桃井タロウと名乗る男とも、縁が切れる。

 それは、ずっと望んでいたことだ。

 自分には、必ず為さなければならない目的がある。そして、それを達成する為には、こんなところで暢気に熱に苦しんでいる暇など無い筈なのだ。

 血反吐を吐き散らし、のたうち回ってでも──

 錠前サオリが手に取るべきなのは、柔らかな安息ではなく、無骨な銃であるべきだった。

 

「……」

 

 男が出ていき、一人だけになった部屋で、すべてから逃げ隠れるようにサオリは布団をかぶってから、固く、硬く、目を閉じた。

 今はまだ、なにも考えたくなかった。

 そう思ってしまうほど、脳が疲れ切っていた。

 きっと、熱のせいなのだと思う。

 

 

 〇

 

 

「──あ、タロウさーん! こっちですこっちーっ!」

 

 人の姿が少なく、砂埃が目立つアビドスの住宅街を幾つか抜けた先に、柴関ラーメンは居を構えていた。

 店というよりは、屋台である。

 形はリヤカーを土台にしたものと非常にオーソドックスだったが、やはり目につくのは、ボロボロに破けた暖簾だろう。

 よく見てみれば、骨組みとなってある木材のあちこちに、傷が入っているのがわかった。それは、年季が入ったことでできた古傷というよりも、激しい爆撃と銃弾の嵐のなかを駆け抜けた末に出来上がったかのような、ひどく物騒な空気を漂わせていた。

 それでも列が並んでいるのを見ると、見た目が傷だらけな程度では揺らがない人気があるのだろう。

 列の最後尾で、楽し気に手を振っている牛牧ジュリのそばには、黒舘ハルナと愛清フウカが立っている。要するに、昨日とそっくりそのまま同じ面々が揃っていた。

 タロウが合流を果たすと、私物らしい金色の懐中時計の蓋をぱちん、と閉めて、ハルナが切り出した。

 

「これで全員揃いましたわね。それでは、各々方。美食研究会の名に恥じぬよう、気を引き締めてまいりましょう」

「ちょっと待って」

 

 待ったをかけたのは、フウカである。

 聞き捨てならないことを聞いたと言わんばかりの形相に、ハルナは冷静に応えた。

 

「なんでしょうか」

「なんでしょうか、じゃないっ! いつ私達が美食研究会になったのよっ」

「私と行動すると決めた瞬間から、ですわ──いえ。そもそも、私達はゲヘナにおいて、その名に『食』の一文字を冠する者同士。つまり元々から、志を共にし、日々切磋琢磨する仲間でしたわね」

 

 い、イヤすぎる。

 フウカは自分の眉の間に、大量の皺が寄り集まる気配をつよく感じた。勝手に美食研究会のくくりに放り込まれていたことは勿論だったが、なによりも目的を達成する為なら手段を選ばない危険集団から直々に「あなた達と私達は同じです」と断言されたことが一番堪えた。

 ジュリは仲間という輝かしい言葉に目を眩まされて、すっかり惑わされてしまっている。だから、頼りになるのはタロウしかいない。

 救いを求めるように、フウカはタロウを見やった。

 

「──」

 

 視線に気づいたタロウは目を細めると、ニヤリと不敵に笑ってみせた。嫌な予感が猛烈にする。やっぱり止めさせようとしたが、なにもかもが手遅れだった。

 

「──面白い。アンタの好きにするといい」

「流石、タロウさん。快い返事をありがとうございます。さて、これで三対一ですわね、フウカさん?」

「……………もう、好きにして」

 

 やりましたわ! とジュリとタロウの手を取って飛び跳ねているハルナの姿は、実に年頃の少女らしいものだったが、フウカからすれば極刑を確定できて万歳三唱と喜んでいるようにしか見えなかった。

 そんなやり取りをかわしたり、前に並んだ客から回されてきたメニュー表を眺めたりしているうちに、いつの間にか自分達の番が回ってきたらしい。暖簾の奥から、

 

「──四名でお待ちの、黒舘様ー。お待たせしましたっ」

 

 と、高い声がハルナの苗字を呼びつけた。

 それを聞いたハルナは颯爽と立ち上がると、自分を胡乱げな目で見上げているフウカを見下ろして、爽やかな笑顔で告げた。

 

「──さあ! 優雅に参りましょうか!」

「いちいち大袈裟なのよアンタは……」

 

 ぐちぐちと呟きながらも、慣れた調子でフウカは立ち上がる。ジュリは慌ててそれに続こうとしたが、やや躊躇してから、後ろのタロウに話しかけた。

 

「あの、タロウさんは、なにを頼むかもう決めました?」

「ああ。そういうアンタは?」

「私は、醤油か味噌かで迷ってて……もしかしたら、ここがハルナさんのレビューの元になるかもしれないので、一応いろんな味を食べておいた方が良いのかなって」

 

 悩みは唇を食むという形となって、ジュリの相貌に現れた。一年生らしからぬ大人びた顔立ちと、どこか幼さを感じるその仕草が相まって、奇妙な色気が醸し出されている。だがタロウはさして気にも留めず、いつもの素っ気なさをもって答えた。

 

「真面目だな」

「えへへ、それだけが取り柄なので……」

「そんなことはない。アンタの作る料理は、確かに酷いもんだが──その向上心には目を見張るものがある。それを持ち続けていれば、いつか必ず、美味い料理を作れる。精進することだ」

「タロウさん……」

 

 タロウの言葉は相も変わらず、上も上からの目線で放たれたものだったが、その高度ゆえにジュリの心へとまっすぐに突き刺さった。

 ジュリは、胸にそっと手を当てて、頬を莞爾と緩ませる。花が綻んだときのような、暖かで華やかな空気をあたりに撒き散らす少女に、給食部の先輩として行く末を心配していたフウカは、自分の考えが杞憂だったことに安堵し、それから頼むからやるなら余所でやって欲しいと心の底から思った。切に。

 

 

 〇

 

 

 暖簾をくぐって、長椅子に右からハルナ、タロウ、フウカ、ジュリという順番で腰掛ける。皿や調味料、箸立てにクリアケースと、雑多な道具が所狭しと立ち並んだ机の向こうには、白頭巾から猫耳をぴょこっと飛び出させた少女が、実に見事な笑顔を浮かべていた。

 

「いらっしゃいませ! 柴関ラーメンです! ご注文はお決まりで桃井ッ!?」

 

 しかしその笑顔は、タロウの存在に気付いた瞬間、粉々に砕け散った。

 かわりに浮かび上がったのは驚愕と、厄介事が向こうからアクセル全開で突っ込んでくるのを目撃してしまったかのような面倒臭さだった。

 対するタロウは、気軽な調子で少女に話しかけた。

 

「そうか。アンタのバイト先は、ここだったか──黒見セリカ」

「くっ……!! あんたにだけは、バレたくなかったのに……! いったい誰から教えて貰ったのよっ」

「先生からだ。アンタがここで働いているとは聞いていないが」

「先生のバカっ……! せめて別のバイト入ってる時に案内しなさいよ……!」

 

 どうやら、少女──黒見セリカとタロウは知り合いらしい。親しいかどうかはわからないが、良くも悪くも気安いやり取りを交わし合う二人を見て、ジュリが控えめに問いかけた。

 

「タロウさん。こちらの店員さんと、お知り合いなんですか?」

「ああ。以前、縁があってな」

「アレを縁って呼ぶのなら、あんたとは一度徹底的に話し合う必要がありそうね……っ!」

 

 セリカはきっ、とタロウを睨みつけると、語気も鋭く言い放った。

 どうやら、自分の預かり知らぬ所でタロウと一悶着があったらしい。おそらくかなりの面倒事だったのだろうと予想できたのは、少女の形相の険しさもあるが、桃井タロウがゲヘナで引き起こしてきた数々の事件──連邦生徒会への叛乱を企んでいたとある学習塾の壊滅、不良間で起きた大規模抗争の単独制圧、風紀委員会との幾度にも及ぶ衝突──を顧みれば、容易だった。

 それでも、気になることは気になる。

 

「……あの、タロウとは一体どういう──」

「そんなことより仕事をしろ。おれ達は話をしに来たわけではない」

「ンなことあんたに言われなくてもわかってるわよっ! 

 ──ごめんなさい。ちょっと取り乱しちゃった。メニューが決まったら、いつでも言ってくださいね」

 

 フウカとしてはもう少し踏み込みたかったのだが、タロウが催促したことで、あえなく話題は打ち切られた。そのタイミングを見計らっていたように、ハルナが口火を切る。

 

「では、私はチャーシュー麺を」と、ハルナ。

「あっ、醤油でお願いしますっ」と、ジュリ。

「……じゃあ、塩で」と、フウカ。

「もやし味噌。大盛り」と、タロウ。

「チャーシューに醤油に、塩……もやし味噌を大盛り、ですね。少々お待ちくださいっ」

 

 セリカは注文を復唱すると、準備を始めた。それを見たハルナは、怪訝そうな顔を作る。

 

「──リサーチでは、確か大将は柴の方でしたが……引退されたのですか?」

「へ? あー、違うわ。今も大将は一緒。ただ……最近ちょっと腰をやっちゃったらしくて。だから、私が代わりに作ってるの。前から何度か厨房を手伝ってたし、ちょうど良い機会だって、大将がね」

 

 ハルナの質問に答えながら、セリカは慣れた手つきで調理を進めている。

 小ぶりな柄杓ですくったタレを丼に投入。

 さらに調味料、ネギを付け足していく。

 その間に柴関ラーメンと書かれた箱から取り出した麺の塊を、揉むとほぐすの狭間にあるような動作で触る。それを大量の湯のなかに入れ、太い菜箸で右へ左へと掻きまわしていく──。

 

(……すごい手際の良さ)

 

 動きは淀みが無く、だからこそ、フウカは少女の言葉が嘘偽りないものだとわかった。

 それどころか、給食を手早く作る際の参考になるような部分も多々見受けられる。もしかしなくても、かなりの手練れなのではないだろうか──

 やがて、麵掬いと箸に連れられた麺が、四つの丼に一本も残らず均等にわけられていく。丼にはすでにスープが入れられており、鮮やかな黄色をした麺は、湯気を放つ混色の液体に遮られている。それでも輝いて見えるのは、鶏がらの油のおかげだろう。

 そして仕上げと言わんばかりに、メンマ、チャーシュー、海苔、もやしなどが置かれていき──

 

「──はい! チャーシュー、醤油、塩にもやし味噌お待ち!」

 

 台の上に置かれた丼を、フウカ達は両手で受け取っていく。手元まで持ってきた瞬間、混ざって見えなくなったタレを孕んだスープの、芳しい香りが鼻いっぱいに突き抜ける。

 

「──それでは、いただきましょう」

「いただきます……」

「いただきます!」

「いただきます」

 

 四人は同時に手を合わせ、同時に麺をすすった。

 気持ちのいい音が響き、それぞれが麺を咀嚼し、飲み込んでいく。それから蓮華でスープを飲み、タレのしみ込んだメンマや、薄切りだが数が多いチャーシュー、嫌がらせかと思うほど山盛りにされたもやしを切り崩す。

 最初にぽつりと感想を零したのは、油によって唇を艶やかに光らせたハルナだった。

 

「──荒削りですが、それゆえに、作り手の情熱が舌へダイレクトに伝わってきますね。非常に、美味しいですわ」

「そうね……ハルナに乗っかるみたいで癪だけど、本当に美味しい」

「麺がすっごく綺麗ですね……! スープもよく絡んでますし……」

「ふふん。まだまだ大将には及ばないけど、褒められると嬉しいもんね」

 

 口々に褒められて、セリカは赤くなった頬を掻きながら、照れくさそうに笑っている。その緩んだ視線は、淡々と麺を食べ続けるタロウに向けられる。調子に乗った彼女は、挑戦的な笑みを浮かべて、タロウに声をかけた。

 

「桃井は、どう?」

「どう、とは」

「私の作ったラーメン。美味しいでしょ?」

 

 タロウは箸をぴたっと止めると、セリカの赤い瞳の奥底を覗き込みながら、世界そのものに叩きつけるかのような大声で告げた。

 

「───アンタのラーメン、点をつけるなら!! にじゅうご」

 

 

 〇

 

 

 それから。

 一同を乗せた車は、そろそろゲヘナ自治区に踏み込もうとしていた。わざわざレンタカーを借りてまでアビドスからゲヘナへと向かっている理由は、次の店がゲヘナ自治区で営業しているためである。

 昼下がりだというのに、いつもは多くの車両が車線狭しと混み合っている大通りはすいており、車は目的地に向かってスムーズに進んでいった。

 そのせいで、早回しにされた映像のようになっている外の景色を眺めながら、助手席に座ったフウカは、窓に映るタロウに向けて問いかけた。

 

「──タロウってさ。嘘も方便って言葉、知ってる?」

「何の話だ」

「さっきのセリカって人が作ったラーメンの話。タロウにしてみれば、大将の味と比べたらそうでもなかったのかもしれないけれど──」

 

 ごにょごにょ、と口を動かすフウカと対照的に、タロウはどこまでも乾いた口調で続ける。

 

「おれはヤツに評価を求められた。だから正直に言っただけだ。それに、頑張っているからと言って嘘をつくのは、逆に失礼にあたる。この世で価値があるのは真実のみ──ヤツもそれを望んでいたから、おれにああ言ってきたんだろう」

「だからって、あそこまで言わなくても……」

 

 いまのフウカの脳裏には、タロウに徹底的にダメ出しを喰らって、こめかみに青筋を立てながら、ぴくぴくと表情筋を引き攣らせている少女の姿が浮かんでいる。あれほど悲惨な集中砲火は見たことがない。自分に向けられることを考えただけでぞっとするぐらいだった。

 そのイメージが伝わった訳ではあるまいが、タロウは微かに眉を下げた。そして、

 

「……そうか。そういう、ものか」

 

 そんな、どこか落ち込んでいるようにも思える調子で、返事を寄越してきた。

 だから、フウカは驚いてしまった。タロウのことだから、てっきり頑なに意地を貫き通すものだとばかり思い込んでいたためである。

 しかし実際には、フウカの言葉を真摯に受け止めて、なにかしらを思い悩んでいる。本当に隣の男は桃井タロウかと、フウカは一瞬疑った。

 すぐ傍で自分の存在が本物かどうかを疑われているとは露知らず、タロウは運転しながら、小さな鼻息をついた。

 

「……嘘とはやはり、難しいものだな。おれにはまだまだ、理解できない」

「驚きましたわ。タロウさんにも、できないことがあったのですね」

 

 話を聞いていたのだろう。後部座席から、ハルナが興味深そうに割り込んできた。タロウはウィンカーを出して方向指示をしながら、不機嫌そうに答える。

 

「不似合いなことをしても意味はないように、おれにとって嘘が無意味なだけだ。できないことなど何も無い」

「あら、本当ですか? でしたら、試しに『私は女です』と言ってみてくださる?」

「──あ!! ヤバい辞めさせてジュリっ! なんか凄い嫌な予感がしてきたっ!」

「ええっ。私も気になりますっ」

「……女だと、言えばいいんだな」

「ダメ! ダメ!! タロウ絶対に言っちゃダメだからねっ!」

「わ、私は、女で────」

「ダメーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 フウカの制止に構わず、タロウが嘘を言い切って、自分の脈を滑らかに止めようとした。

 その、次の瞬間だった。

 矢のような形をした影が、空気を食い破りながら、音を超えて飛来した。

 

「──あれは」

 

 そう呟いたのは、誰だったか。

 それすらもわからなくなるほど、車内が眩むような白い光に包まれて──

 タロウ達が乗る車の、ほんの数メートル先のアスファルト上で、迫撃砲弾が爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

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