ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのご

 

 

 

 

 

 

 焼けた小麦の香ばしいにおいが、車内に満ちていた。

 その出所は、助手席に座っている黒舘ハルナに抱かれた、茶色の紙袋に入っている大量のパンからだった。

 焼きたてを購入することができて、ハルナは満足そうに微笑んでいる。暖かな慈愛のこもった視線の先には、都合四つのパンが、ビニール袋に包まれて反射光を放っていた。

 

「パンが焼き上がる時間を、事前に計算しておいた甲斐がありましたわ」

 

 ハルナは王冠を掲げるかのような調子で、パンが入った紙袋を両手で持ち上げる。

 

「この、ビニール越しから見るだけでも伝わってくる、ふっくらとした生地! 体温に馴染むかのような適切な温度! 

 パンという料理はやはり、焼き立ての瞬間にこそ、至高の味わいを見せるもの──皆さんもそう思いませんか?」

「そんなこと言ってる場合──────っ!!!!!?????」

 

 その叫びは、爆発音で遮られた。

 爆炎と轟音と煙によって五感という五感を遮られたなかで、さらなる砲弾の気配を機敏に察知してみせた桃井タロウは、僅かな影を映したサイドミラーをサングラス越しに確認。ハンドルを回しながら、ギアを入れ替えて、車体を小刻みに動かしていく。

 大胆かつ繊細な軌道を描く赤の軽は、完全な死角から降り注いだ砲弾を紙一重の差で避けると、そのまま速度を上げて爆風の射程圏内から一気に抜け出した。

 しかし、砲弾の雨は未だ止まず。

 ひっきりなしに炸裂し続ける爆音の波濤に、愛清フウカの正気の糸がとうとうぷつん、と切れた。縛られたまま、涙目で渾身の叫びをあげて、芋虫のごとく身をよじり出す。

 

「───もう、やだっ!! だして、だしてぇぇえええええええっ!!」

「ふ、フウカ先輩っ! お気を確かにっ」

 

 自らの先輩が、閉め切った窓へと額をぶつけかねないほど狂乱しきっている姿を見て、牛巻ジュリは慌てたようにフウカを抱き寄せた。

 体格差もあり、すっぽり埋められたようになっているフウカをバックミラー越しに一瞥すると、ハルナは困った風に頬に手を添えた。

 

「そう仰られても、フウカさん。今出れば大怪我をしてしまいますよ?」

「どうでもいいからっ!! 全治何週間だろうが何カ月だろうが今の状況よりはよっっっっっぽどマシだからっ!!!!」

「そうはいきません。フウカさんがいてこそ、ゲヘナの学生食堂は成り立つのですから。

 決して、投げやりになってはいけません。どのような困難も、どのような障害も、力を合わせれば乗り越えられる筈です──私達、ネオ・美食研究会の力を合わせればっ」

 

 縛られていなければ、後頭部を思い切りぶん殴っていたかもしれない。

 実際、全身に激しい怒りと力が籠ったせいで、縄がみちみちと嫌な音を立てていた。拘束も、最初と比べると緩くなったような気がしないでもない。

 フウカはジュリに助けて貰おうと、二人にバレないようひっそり声をかけようとして──

 突然、車内に激しいGがかかった。

 それが、爆発の余波によって車両が地面から十数センチほど浮き上がったせいだと知ったのは、後日のことである。そのときのフウカはただ、暴力的なまでの力の渦巻きに流されることしかできなかった。

 

「────ッ!」

 

 フウカは勢いよく突っ込んだジュリの豊かな胸から顔を上げる。若干涙が滲んだ三白眼で見据えたのは、もはや話の成り立たない怪物と化したハルナではなく、いつもと変わらない調子で運転を続けるタロウだった。

 

「タロウ!!」

「どうした」

「車を止めてっ!! 今! すぐにッ!!」

「それは、できない相談だな」

「なんでっ!!!」

「する暇が──無い」

 

 タロウは淡々と答えながら、強引に幅寄せに来た軽装甲車の群れを巧みに捌きつつ、窓から飛び出した銃の射線から逃れた。

 キヴォトスにおける車の頑丈さは、王苦市のそれを遥かに上回るものであったが、さすがに銃弾を何十発と撃ち込まれてはひとたまりもない。

 結果として、タロウの運転は激しさを増していく。ハルナは涼しい顔つきで、フウカは白目を剥き、牛牧ジュリはぐるぐると目を回しながら、それを受け入れた。

 そんな風に、ゲヘナの道路を縦横無尽に駆ける赤の軽を追いかけるのは、言わずと知れた風紀委員会の装甲車である。

 大胆にも屋根の上に乗って、全体の指揮を取り続けている、全身で風を受け止めている銀髪褐色の少女──銀鏡イオリは、苦い表情のまま舌打ちを漏らした。

 

「クソ! あちこちチョコマカと──……! 桃井めッ!!」

「隊長! 次弾装填完了しました!」

「よし────今だ、撃てっ!!」

 

 おおよその回避位置を予測したイオリの口から指示が飛び出した瞬間、風紀委員の一人が角度を微調整した迫撃砲を、斜め上空に向けて撃ち放った。

 同時に、イオリも両手でしっかりと構えたクラックショットの引き金を振り絞る。

 放たれた鋭く尖った銃弾は、軽の右後輪を貫く弾道に乗りながら、音の壁を突き破っていく。

 だが、視認できる筈の無いそれを、軽はまるで予知していたかのごとく移動して避けてみせた。

 それこそが、イオリの狙いであった。

 移動を果たした直後の車の屋根に、先程放った砲弾の影が映る────

 イオリはにやりと、唇を得意げに歪めた。

 

(──殺った!)

 

 度重なる騒動の果てに、桃井タロウがキヴォトスの外から来た住人であることを──自分達にとってはなんでもない銃弾一発が、致命傷に至るかもしれない存在であることを、イオリはすっかり頭から忘却している。

 だからこそ、だろう。その砲弾はどこまでも正確さを極めており、間違いなく避けられる筈のない、見事な一発であった。

 しかし。

 

「──甘いな」

 

 目前に、カーブが迫る。

 瞬間、タロウはブレーキを適度に利かせながら、勢いよくステアリングを右に切った。そしてアクセルペダルから足を離し、車の制御の一切を慣性に託す。

 流れ出した後輪がぎゃりぎゃりぎゃり、と悲鳴のような音を立て、底から白煙が撒き散らされた。車体は瞬く間に斜めを向き、カーブに沿った体勢に整おうとしていた。だが、それまでに加速が最大まで達していたためか、車は体勢を変えることはできても、その速度を緩めることは敵わなかった。横方向からの抵抗も、雀の涙でしかない。

 そのままいけば、無残にもガードレールに激突して終わるだろうと──誰もが思った。

 そうはならないと信じていたのは、黒舘ハルナだけだった。

 

「───でしょう? タロウさん」

「当然だ」

 

 交わす言葉は、それだけで事足りた。

 激突する、寸前。

 タロウが運転する軽のタイヤは、高次元の世界──脳人レイヤーにしか存在しないマンホールを正確に踏んでいた。

 よって次の瞬間に、重力を無視したかのように、車体は跳ね上がり──

 

「な───!!」

 

 唖然と空を見つめるイオリの瞳には、重力を失ったように空を駆けながら、高架道路に飛び移ろうとしている軽の姿が大写しになっていた。それが橋の向こう側に消えるまでイオリはずっと、間抜けに口を開いたまま、空を見上げ続けていた。

 

 

 〇

 

 

 言葉にならない怒りの雄叫びが遠ざかっていくのをきっかけに、ハルナはパンを袋から取り出した。

 メロンパンである。

 鮮やかな黄金色に焼けたビスケット型の生地を断ち割る。ざく、っと固い音がした後に、熱さを内包した湯気を緩やかにたちのぼらせる、白い生地が剥き出しになった。バターと砂糖の焼けたにおいが鼻腔をくすぐる。

 それを堪能しきってから、ハルナはゆっくりとメロンパンをひと口齧った。唇の端についた欠片は、指で拭ってそのまま含む。

 もぐもぐ、と静かに咀嚼を繰り返すハルナに、タロウは前を向いたまま尋ねた。

 

「それで、味はどうだ」

「───悪くはありません。いえ、むしろ非常に美味なのですが……予想の範囲内に収まっていると言うべきでしょうか」

「そうか」

「やはり、襲撃を喰らっている最中に食してみるべきでしたわね──タロウさん、先程のような手段を使って、今からでも下に降りることはできませんか?」

 

 タロウは無言のまま、サングラスのなかで視線を四方に散らした。

 

「──無理だな。しばらくは、道路に沿って進むしかない」

「ふむ。残念ですが、タロウさんがそう言うのであれば、仕方ありませんわね。まぁ、そのうち追ってくるでしょう。というわけで皆さん! もうひと踏ん張りですわ!」

「──!」

 

 ついに、フウカの頭のなかで甲高いゴングが鳴った。

 道路に飛び移った衝撃で緩みに緩みきった縄から抜け出し、後部座席からハルナに襲い掛かろうとしたところで、横から飛び込んできたジュリに引き留められた。

 

「だめ、だめですっ。フウカ先輩っ!! どーどーっ!!」

「止めないでジュリっ! 一発っ! 一発は入れてやらなきゃ気が済まなぃいいっ!!」

 

 猛獣のように暴れ回るフウカを、ジュリは羽交い締めして必死に抑えている。しかし、溜めに溜め込まれた怒りは尋常のものではない。徐々に大きくなっていく振動を感じて、タロウは鬱陶しそうに後部座席に目をやった。

 

「アンタが暴れることで黒舘ハルナが止まると思っているなら、見当違いも甚だしい」

「そうですわ、フウカさん。貴女と私の考える『美食』が違っているなら、衝突は確かに避けられないでしょう。ですが、そのような状況下でこそ、力を合わせて困難を乗り越えるべきであると、私は思うのです」

「どっ! どどどっ、あん、く、どの、あんたがあっ!!」

「ええっと……どの口であんたが言うか? ですか」

「その通りだ」

 

 呂律のまわっていない言葉をジュリがなんとか翻訳すると、なぜかタロウが頷いた。どうやら正解らしい。ほうっと安堵のため息を吐くジュリだったが、フウカにすれば、どうして予想の正否をタロウに預けているのか、甚だしく疑問である。

 だが、そんなことはどうでもいい。確かに協力するとは言ったが、風紀委員会に追われてまでするとは言っていない。

 そもそも、ここまで美食研究会の会長たるハルナが、しつこく追われている理由──先週あった冷凍車襲撃事件には、給食部は一切関わっていないというのに。

 それなのに、どうして自分はこんな遠くまできてしまったのだろうか──と、フウカが本気で泣きかけた、その時であった。

 唐突に、タロウが車を止めた。

 いきなりブレーキを踏みこまれた車は、悲鳴をあげながら、前かがみになって動きを止める。そのため、内部では揺り戻しの重力が波のように押し寄せてきた。

 自らを羽交い締めにしていたジュリごと座席に押し付けられたフウカは、ブレーキを踏んだ張本人であるタロウを見た。どうやら、ハルナも想定していなかったらしい。怪訝そうな目で、前を向いて微動だにしないタロウの横顔を捉えている。

 ハルナが、困惑を隠すことなく尋ねた。

 

「──あの、タロウさん? なぜ車を?」

「────」

「……タロウさん?」

 

 タロウは、黙して語らなかった。ただ、ある一点を見据えたまま、ぴくりとも動かなかった。まるで、そこから目を逸らせば全てが終わると言わんばかりに。

 一体なにを見ているのかと、タロウを除いた全員が、男の視線をゆっくりと辿っていく。

 そこでようやく、自分達以外の車が高架道路からいなくなっていることに気が付いた。

 抜けるような青空の下、周囲に背丈の高いビルが立ち並んだ、幅広い鼠色の道路。

 その中央線が、先細った末に消えるか消えないかの微妙な位置に、誰かが立っていた。

 

「あれっ、て……?」

 

 ごく、とフウカの喉が大きな音を鳴らす。

 影は遠目からでもわかるほど小柄であったが、そこから放たれる威圧感は、文字通り桁が違っていた。まるで、巨大な絶壁がすぐそばに立ち塞がっているかのような。

 太陽を遮っていた雲が過ぎ去り、影の全貌がじわじわと露わになっていく。

 吹き付ける風にたなびく、雪のような白い長髪。

 周囲に憚ることなく広げられた、二枚の禍々しい形の翼。

 重量を無視した風に軽々と肩に担がれている、長大なマシンガン。

 フウカ達をじっと見つめてびくとも動かない、獲物を前にした鷹のような紫紺の瞳。

 

「──」

 

 ゲヘナに籍を置く学生にとっての、圧倒的な強さの象徴──風紀委員会の長たる空崎ヒナが、腕を組んでそこに立っていた。

 

 

 〇

 

 

 タロウは、サイドブレーキを引くと、レバーをRに入れた。そしてエンジンはそのままにしておきながら、自らのシートベルトを外し、ドアを開こうと動く。途中までその動作を呆然と眺めていたフウカは、慌てて正気を取り戻した。座席から乗り出し、タロウの肩を強く掴む。

 

「──ちょ、ちょっとっ! タロウ! タロウってばっ!」

「どうした」

「どうしたもこうしたも無いわよっ! なんでわざわざ、外なんかに出ようとするのっ」

「決まっている。おれがヤツの相手をするからだ」

「はぁ!?」

 

 驚いたのは、フウカだけではなかった。ジュリも口元に両手を当てて、かっと目を大きく見開いている。助手席のハルナだけは、最初から予想していたと言わんばかりに目を細めて、タロウを見ている。

 さっきのカーチェイスで頭のネジがニ、三本ぶっ飛んだのかもしれない、とフウカは思った。

 空崎ヒナという少女が、ゲヘナだけにとどまらず、キヴォトスのなかにおいても最上位の実力を有していることは、あまりにも有名な話だ。でなければ、この治安悪化が極まるゲヘナの地で、恐怖の象徴として君臨し続けられないだろう。

 いくらタロウがキヴォトスの外から来た新参者だったとしても、今日までこの学園都市で生活してきて、それを知らずにいられる筈はない。

 つまり、今から桃井タロウが行おうとしているのは、遠回しな自殺だ。

 止めない訳がなかった。というかそもそも、敵対する意味がわからない。自分達は徹頭徹尾巻き込まれた側であることを懇切丁寧に伝えれば、すべて穏便に片付く。

 話を聞き入れない圧制者ならまた違ってくるが、予算会議が行われる度に会話をしているおかげで、空崎ヒナはそれなりに話が分かる人物であることをフウカは知っていた。

 だというのに、黒舘ハルナが邪魔をした。

 

「タロウさん」

「なんだ」

「勝ってくださいとも、負けないでくださいとも、言いませんわ。きっと無粋になってしまうでしょうから」

「……」

「ただ、ひと言だけ──ご武運を」

 

 ハルナが本心から放った言葉は、切実な響きを持っていた。それをタロウはただ受け止めるだけに留めた。それだけで充分だと思ったのかもしれない。そのまま車から出ようとして、動きを止める。首だけを振り返らせ、視線を向けた先は、後部座席のフウカだった。

 

「愛清フウカ」

「……え、私?」

「アンタ以外に誰がいる」

 

 自分が話しかけられているとは思っていなかったのか、間抜けな返事を寄越すフウカに、やはりタロウはいつもと変わらない滔々とした口調で告げた。

 

「以前に言ったな。アンタの料理は、八十五点だと」

「…………言ってたけど、それがなに?」

 

 苦い記憶が蘇って眉を顰めるフウカと反対に、タロウはどこかに微かな綻びが窺える鉄面皮を作り出していた。

 

「アンタの料理は百点ではない。だが、人を幸せにすることにかけては──よくやっている」

「……タロウ──」

「言っておくが、認めたわけではない。だから、この依頼を終えた後に、もう一度食べさせてもらおう。他の誰でもない──『給食部』の愛清フウカが作る料理を」

 

 言うだけ言ってから、タロウは扉を閉めた。止める暇も与えずに、色味がかったガラスの向こう側へと遠ざかる男の背中をじっと見つめていると、助手席から運転席に映ったハルナが、シートベルトを締めながら言った。

 

「あそこまで言われてしまっては──逃げるわけにはいかなくなりましたわね?」

「……うるさい、あんたはちょっと黙ってて」

 

 バックミラーに映る挑発的な眼差しから、フウカは顔を背ける。その先には、決意を固めたように唇を引き締めたジュリの表情があった。

 

「フウカ先輩、やりましょう。タロウさんを、あっと言わせてやるんです」

「ジュリ……」

「言われっ放しじゃ、とっても悔しいです。フウカ先輩は、そうじゃないんですか?」

「……」

 

 結局のところ、本題はそこにあった。

 確かに桃井タロウの料理の腕はずば抜けている。きっと、自分よりもずっと上の立ち位置にいる。それは認める。認められなければ、料理人を名乗る資格は無い。

 けれど、桃井タロウが優れた料理人であると認めることと、好き放題言われたままで終わることは、まったく別の話だ。

 

「──当然、悔しいに決まってるじゃない。だから、ジュリ。アイツの高い鼻、明かしてやるわよ。一緒にね」

「──はい! 一緒にっ」

「ふふ。それでこそ、ゲヘナが誇る給食部ですわ──さあ、行きましょう!」

 

 高らかな宣言と共に、ハルナは車を走らせ始めた。

 その途中、フウカはどうにも話が上手い具合にズラされて、後戻りできないところまで自分から踏み込まされてしまったような気がしたが、すべて忘れることにした。

 

 

 〇

 

 

「──今日は、風が強いわ」

 

 数メートルの距離を空けて立ち止まったタロウを見て、ヒナは開口一番そう言った。

 返答など、最初から期待していないらしい。その後に連なった言葉は、あらかじめ定められていたかのように、すらすらと澱みが無かった。

 

「陽射しは眩しいし、どうにも埃っぽい。季節に似合わず、空気が肌寒い。処理できていない仕事が、机の上に山のように残ってる。三日もまともに寝てない」

「アンタがなにを言いたいのか、まるで分からない」

「──こんなところで貴方なんかと、顔を合わせてる暇は無い、ってこと」

 

 刹那、ヒナの身体から漏れ出る戦意が、その濃度を限界まで濃くした。ぎちぎち、と空気が軋んでさえ聞こえるのは、決して気のせいではないだろう。

 並みの不良ならば、その時点で失神してヘイローを消していてもおかしくはない状況に、しかし桃井タロウはどこまでも、平然と腕を組んで立っていた。

 それが、空崎ヒナには気に食わない。

 初めて会った瞬間から──コイツとは気が合わないと、ヒナはずっと感じていた。

 その予感は、見事に当たった。こうして、幾度目かの相対を経ていることが、なによりの証拠であった。

 

「……けど、貴方の相手をできるのは、私しかいない。アコやチナツは論外として、イオリには少し荷が重い。彼女、貴方のことになると周りが見えなくなるから。ただでさえ頭に血が上りやすいのに」

「最初に攻撃を加えてきたのは、ヤツの方だ」

「それは分かっている。一方的に巻き込まれた形になったのは、謝罪するわ。

 けれど、攻撃される切っ掛けを作ったのは、美食研究会の方──ゲヘナの秩序を乱したのだから、それ相応の報いは受けて貰わないと、示しがつかない」

 

 なのに、とヒナは溜め息を吐いて、

 

「さっさと突き出せば、話は早く済んだのに。貴方は……桃井タロウは連中と一緒に逃げた──本当に、面倒臭い。どうしてそんなことをしたの?」

「おれは、黒舘ハルナから依頼を受けた。おれはそれを請け負った。だから、手伝う。それに──おれの気はまだ済んでいない」

「意地か、矜持か。いずれにせよ、理解なんてしたくないわ。するつもりもないけれど」

「同感だな。アンタと言葉を交わしたところで、辿り着くのはいつも平行線だ。意味が無い」

「珍しく意見が合ったわね──当たり前だけど、ちっとも嬉しくない」

 

 そして、ヒナは担いでいたマシンガン──終幕:デストロイヤーの銃底を、地面に勢いよく叩きつけた。わんわん、と硬質な音が反響する。それは、桃井タロウという外敵に対しての威嚇でもあり──同時に自身を奮い立たせるためのスイッチであることは、ヒナだけが知る秘密だった。

 タロウの右手には、いつの間にかドンブラスターが握られている。

 衝突の時は間もなく来ると、両者が予感していた。だから、次に交わす言葉が恐らく最後のやり取りになることも、二人ともがわかっていた。

 

「──これが最後通告。退けば、追わない。美食研究会だけ捕らえると約束する」

「くどい。退くのは、アンタだ」

「そう。なら、交渉決裂ね──潔く、果てなさい。ドンモモタロウ」

 

 それが、合図になった。

 タロウがドンブラスターの銃口からアバターデータの込められたギアを放ったのと、ヒナが踵で銃底を蹴って半回転させたデストロイヤーを構えるのは、ほぼ同時のタイミングに起きた。

 デストロイヤーから放たれた弾丸は、盾のように立ちはだかったギアにあっけなく防御される。それを待たず、タロウは疾走。滑り込むような勢いでギアに飛び込み──

 

「──さァ! 勝負だ、勝負ッ!!」

 

 天下無双のドンモモタロウへとアバターチェンジを果たすと、ザングラソードを上段に構えながら、ヒナの元へ一気呵成に飛び掛かった。

 ヒナは逡巡する。退くか、迎え撃つか。瞬時に、迎え撃つことを選んだ。地を蹴り、大きく飛び退りながら、虚空のドンモモタロウに向けて、腰だめに構えたデストロイヤーを連射する。

 本来ならば、空中に囚われた存在が、銃弾を回避することは──飛行機能を持って居ない限りは──不可能である。しかし、ヒナはドンモモタロウがどれだけ出鱈目な存在であるか、嫌というほど思い知らされてきた。

 それを改めて示すかのように、ドンモモタロウは空中で丸くなると、車輪のように縦に回りながらザングラソードを振り回した。銃弾の悉くが弾かれ、火花と耳障りな金属音が辺りに散らばっていく。

 着地したドンモモタロウは、すかさず強い一歩を踏み込んできた。彼我の距離は瞬く間に踏破され、ヒナのすぐ頭上に、振りかぶられたザングラソードの光刃が移動した。

 舌打ちを繰り出しながら、横向きに持った愛銃を両手で掲げた。

 瞬間、

 

「────づっ」

 

 絶大な衝撃がヒナの身体を貫き、道路の奥底に沈み込んだ。

 ばキ、とひび割れたのは骨ではなく、地面を固めるコンクリートだ。足元のひび割れを一瞥しつつ、ヒナはデストロイヤーを回転させて、鍔迫り合いに持ち込もうとしてきたザングラソードを受け流した。

 そのまま、がら空きになったドンモモタロウのあばら目掛けて、抉り抜くような横蹴りを入れる。割り込んできた左腕によって、それは敵わなくなったが、それでも一撃は喰らわすことができた。

 吹き飛ぶドンモモタロウは追わず、ヒナはその場に留まり、デストロイヤーを乱射。

 咄嗟に刃を地面に突き刺すことで、急制動と姿勢制御を同時にこなしたドンモモタロウに、数十発の弾丸が耳をつんざく爆音をともなって容赦なく襲いかかった。

 ドンモモタロウは退かず、その場で身を捻りながら跳躍。絶え間なく上下を交互するドンモモタロウの前面と背面を、銃弾は無残に通り抜けていった。

 その動きは、回避だけに留まらない。

 何度目かの回転を経ながら、確実に地面に落ちていくドンモモタロウの手には──ドンブラスターが握られていた。

 

「───!」

「隙を見せたなァッ!!」

 

 放たれたキビ弾丸の殆どをヒナは防御してみせたが、一発だけは捉えきれず、コートの端を掠めさせてしまった。焦げ臭い香りが漂う。

 

「大道芸じみた真似を──!」

 

 ヒナが舌打ちを鳴らしながら、体勢を整えている隙に、ドンモモタロウもまたザングラソードを構え直していた。

 身体は半身に、剣は右肩に引きつけ、切っ先をこちらに向けている。それが防御を抉じ開ける為の姿勢であると、ヒナは瞬時に看破した。

 その先に繰り出されるのが突きなのか、それとも裏を掻いての斬撃なのかは分からない。しかし、どちらにせよ攻めの姿勢であることには間違いないだろう。

 ゆえに、ヒナは躊躇なく切り札を切った。

 

「──実力行使で、行く」

 

 次の瞬間、デストロイヤーから吐き出されたのは、通常の弾丸ではなかった。

 異物のごとき紫煙と紫焔が、急激な膨れ上がりを見せた。扇状の火線が、アスファルトの表面を、まるで硝子細工のように木っ端微塵にして引き剥がし、濁った白色の粉塵を焚き上げた。

 人工の霧が立ち込めて、視界が遮られても、構えられた砲口は欠片も揺るがない。的確に対象物を仕留めんとして、絶大な威力を秘めた紫電の流線が、舐るような軌道でドンモモタロウを狙う。

 対するドンモモタロウもまた切り札を発動するべく、ザングラソードのディスクを数度回していた。

 

 ──『HEY! HEY! HEY!』

 

 ──『HEY! カモォーンッ!』

 

 ──『アーバタロ斬!

          アバタロ斬!』

 

 ──『アーバタロ斬!

          アバタロ斬!』

 

 軽快なリズムの音楽が鳴り出し、ザングラソードの刀身が虹色に輝いた。同時にトリガーを引きながら、ドンモモタロウは右足を踏み込みつつ、ザングラソードを上にあげる。

 

「ザングラソード────」

 

 ──『必殺奥義!』

 

「快桃乱麻ァッ!!」

 

 そして、下から垂直に切り上げた。上方に持っていかれたザングラソードは、最初の弾丸をかちあげると、そのままうねるような回転の軌道に乗せられて、右側から来た銃弾を弾く。

 

 ──『アバ!』

 

 それを果たした瞬間には、ドンモモタロウは斜め右に踏み込み、峰で頭部を狙った群れを打ち返していた。剣閃は止まることなど知らぬように、左下から右上に切り上がる。

 

 ──『タロ!』

 

 そのまま∞をなぞるように、次は右下から斜めに目掛けた切り上げ。

 最後は右足を後ろに引きながらの、左薙ぎ払い。

 

 ──『斬!!』 

 

 そうして中空に描かれた七色の残像は、空崎ヒナのデストロイヤーから放たれたすべての弾丸を叩き落としてみせた。

 鮮やかな光の波が広がるなかで、しかし空崎ヒナは怯むことなく、全弾落とされることなど最初から知っていたかのように、爆発的な踏み込みをもってドンモモタロウに接近していた。ザングラソードを振り切った後のドンモモタロウは、一手遅れる形になった。

 突如湧いて出た強大な衝撃に、ドンモモタロウは踏みとどまることができなかった。車に跳ね飛ばされたかのように、ヒナとドンモモタロウは高架道路のフェンスに向かっていく。

 すぐそばにいるヒナが、心底面倒臭そうに呟いた。

 

「──接近戦じゃ、貴方が有利。だから、場所を変えることにした」

「──良いだろう、面白ォいッ!」

 

 高速で突っ込んできたヒナとデストロイヤー諸共に、ドンモモタロウは高架道路の外に落ちていく。

 そのまま、ひたすら落ちた先にあるものは──何十台もの車の屋根が忙しげに行き交っている、ゲヘナ有数の大路である。

 

 

 

 

 

 

 

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