ドンブルーアーカイブ 作:鰻の蒲焼
グーを出すべきだった。
シバイヌ宅配便で働いている石川マユミが、もし過去の自分になにか伝えることができたとしたら、伝えたいひと言はそれだった。
ネットでちらっと目にした『最初はグーの後に同じ手であるグーが出る確率は、心理的負担が大きくなるので低い。そのためジャンケンにおいてもっとも勝てる確率の高い初手は、チョキである』という情報なんかを鵜呑みにせず、さらに言うならその情報の裏の裏を掻こうだなんて浅知恵を働かせず、素直にグーを出していれば自分は間違いなく勝っていた。勝てていたのだ。
いや──
もしかすれば、なにも考えずにいた方が勝てたかもしれない。しかしジャンケンは一回勝負で、数時間前のことで、三番勝負に変更しやがれとごねても連中は断ってきた。
まったく冷たい奴らだとマユミは思う。けれど、自分が勝者の立場にいたとすれば、間違いなく彼女達と同じようにさっさと自分の担当区域へとトンズラこいていただろう。それを棚に上げて竹中サユ、桐山ミナトの両名を責める彼女は、なるほどなかなか図太い根性の持ち主だった。
「………はあ」
マユミは溜め息を吐きながら、ミレニアム生であるサユが改造を施し、ほとんどの無線を拾えるようになったスピーカーの電源を入れる。合わせた周波数は、ゲヘナの風紀委員会が使用しているものだった。
『────繰り返す、繰り返すッ! 第84-65区域に応援を! 至急、応援を要請す──ヤバい、みんな退』
どうやら捕物の真っ最中らしい。
聞こえてくる雑音まじりの声は、かなり逼迫していた。背景に鳴り響いているのは、爆音と銃声と──なにかの唸り声、だろうか?
マユミはハンドルを握りながら、深く肩を落とした。勿論、安堵ではなく落胆によって。
キヴォトスという学園都市において、銃撃戦まじりの諍いというのは、大して珍しくもなんともない出来事だ。というのにマユミが怯んでしまうのは、その諍いが起きている場所が場所だからだ。
──ゲヘナ。
数百数千の学園が寄り集まり、形を成したこのキヴォトスで、最も凶悪的であり、最も凶暴的であり、最も狂気的であると目下のところ噂されている学園。
そんな学園のなかで起きる揉め事のレベルなど、あらゆる意味で他の学園とは比べ物にならないワケで───
物思いにふけりかけたその時、マユミのバンが走っている道路のすぐ隣を、バカみたいなスピードを出した一台の車が突き抜けていった。
バカなのはスピードだけではない。さながら寿司のように、ボンネットの上にもう一台の車を重ねた車だった。ここまでバカを貫いていると、いっそ感心すらしてしまうのはなぜだろうか。
上下あわせて十人のスケバンを乗せた寿司車は、そのまま赤信号をブッチ切ると、左の角に車体を斜め四十五度に傾けたまま消えていった。
そのわずか数秒後に轟いた破砕音と悲鳴を聞かなかったことにして、マユミはカーナビに指定されたルート──寿司車どもが飲み込まれた左角とはまったく別の道を走り始める。
次の目的地にたどり着くのは少しばかり遅くなるが、どうってことはない。いちばん大事なのは自分の安全だ。しかし、いつからか頭のなかに勝手に居座った桃井タロウが、喧しく小言を撒き散らし始めた。石川。お前の職業はなんだ? 宅配人だろう。それなら、宅配人としての役割を果たせ。お客様の大事な荷物を運んでいるという責任を持て。
「恨むぞ。タロウ……」
たまらずマユミの口から溢れたのは、桃井タロウへの恨み節だった。
あの男が今日という日に休みなんて取らなければ、自分がジャンケンに負けることも、ゲヘナに配達しにいくことも無かっただろう。そう考えると、悪いのはタロウな気がしてきた。
いや、きっとそうだ。そうに違いない。
これは後日パフェでも奢ってもらうしかないな──と、捕らぬ狸の皮算用よろしくな考えを張り巡らせているマユミの視界に、ふと奇妙なものが映り込んだ。
「……?」
それは、上の部分だけが妙に明るく光っている自身の車のフロントガラスだった。もっと詳しく言うならば、赤と紫の光が交互に激しく乱反射していた。
今日の天気は絶好の晴れ模様だ。だから、どこかの車のボディが太陽の光を反射して、それがガラスに映り込んだのではないかと思った。
だが、弾け合う光が大きさを増していっている様子から、すぐに違うと確信する。
じゃあ一体なんなんだと、マユミが言いようがない不安を感じた次の瞬間、
「─────わーはっはっはっはっ! わァ──はっはっはっはっは!!」
人がいる筈のない虚空から、ゲヘナどころかキヴォトス中に響き渡らんとするほどの、大音声の高笑いが木霊した。
何事かと思い、窓を数センチだけ開けて、恐る恐るのぞき込む。
そこに広がっていた光景を、マユミは向こう一週間忘れることができなかった。
空中で、二つの影が銃を撃ち合っていた。
一つの影は、大きな翼を広げながら、自らの背丈を超えるほどの長銃を軽々と取り扱う少女だった。
身に纏っているのは、ゲヘナ風紀委員会御用達の制服、頭の横から生えた仰々しい形のツノ、紫の燐光をはなつヘイロー──ゲヘナにおける最強の象徴、空崎ヒナその人であることは、もはや疑う余地のない。
問題は、もう一つの影だった。
不審者だった。
全身を真っ赤に染め上げて、顔の半分を鋭い形のサングラスで覆い隠し、腹の底から高笑い続ける百点満点の不審者だった。
最初に頭に浮かんできた単語は、キヴォトス全土に出没しては、目的を達成するまで周囲が焦土と化しても止まらない有名な犯罪者集団───『無限回転寿司戦隊・カイテンジャー』だった。
しかし、不審者の頭に寿司は乗っかっていない。皿を顔面にくっつけてもいない。世にも奇妙な寿司を握るポーズもしていない。
つまりアレは、カイテンジャーとはまったく無関係の不審者か、カイテンジャーに憧れている不審者ということだ。どちらにせよ、関わりたくない手合いなことに変わりはない。
いや、そんなことはどうでもよかった。
マユミがもっともその不審者を恐れたのは、そんなふざけた格好をしているくせにあの空崎ヒナと──ゲヘナ最強の生徒と対等に渡り合っていたからだった。
「弾幕が、甘ァい! ゲヘナ最強とはそんなものかッ!?」
「ほんっとうに、面倒くさい───!」
「…………」
二つの影は叫び合いながら、赤と紫の爆発を撒き散らしつつ、マユミがバンを走らせている道路目がけて落ちてくる。
数秒後に訪れるであろうカタストロフを想像し、マユミはそっと窓と目を閉じた。
思う。
──パフェ、追加だな。タロウ。
〇
「そらそらそらそらそらそらそらぁっ!!」
そんなふざけた掛け声と共に、ドンモモタロウが握る黄色の片手銃から、大量の光弾が発射された。
耳をつんざく爆音と火線は、標的である空崎ヒナを薙ぎ払わんとして、高速で迫る。しかし、ヒナは空中と重力によって組み立てられた自然の牢獄に囚われながら、なんの感慨も抱くことなく冷静に事を運んだ。
「──」
足で蹴り付けることによってリロードを手短に済ませ、翼で姿勢を制御。一瞥しただけで弾丸の群れのなかにある安全地帯を瞬時に把握し、銃撃の反動によってすかさず移動。すぐさま、迎撃と反撃を同時に兼ねた数十発を一気にバラ撒いた。
日光を受けて禍々しく光る弾丸は、正確な射線に乗っていたキビ弾丸を貫き消すと、勢いを殺すことなくドンモモタロウへと襲いかかる。
状況は一転し、清く正しく絶体絶命。
だが、ドンモモタロウは何処までも不敵に笑う。
「面白ぇ──それなら、コイツだ!」
ドンモモタロウは取り出した水色のギア──アバタロウギアアルターをドンブラスターにセットすると、ディスクを強く回転させながら、高らかに叫んだ。
「アルターチェンジッ!」
巨大化したギアがドンモモタロウの身体を包み込んだと思った次の瞬間、ドンモモタロウの身体が車に跳ね飛ばされたかのように空中を滑空した。
あまりにも物理現象を無視している光景に、ヒナは思わず目を見開く。縦に伸びた少女の瞳孔の先に残されていたのは、金色に輝く小さな桃のエンブレムだった。
そのエンブレムが、瞬きをした直後に──小さなドンモモタロウになっていた。
──『ドンモモタロウォ~ッ!
ヨッ! 天下一ィッ!!』
「……──は?」
「わっはっはっはーぁっ!! ドンモモタロウアルターだッ!」
自分の常識から大きく外れた存在に呆気に取られるしかないヒナの前で、世にも喧しい名乗りを上げた小さなドンモモタロウ──ドンモモタロウアルターは、同じように小型化した得物を縦横無尽に振り回す。
ミニザングラソードの刃は、標的のサイズが瞬時に変わってしまったことで次々と外れていった弾丸のうち──意地で最後に残った一発を、サイズが変わる前とまったく変わらぬ威力をもって叩き落とした。
「……!」
その光景を目撃したヒナは、冷徹に戦力の分析を下す。すなわち、あの小さく珍妙な物体は、ドンモモタロウと同程度の存在であると。むしろ攻撃力や防御力が据え置きならば、元より厄介かもしれないとさえ思う。
だが、その戦力を考慮する必要はすぐに無くなった。
弾き飛ばされたはずのドンモモタロウが、力を取り戻し、こちらに向けて銃を構えていたからだ。
響き渡るは、喝采音。
──『パァーリィータァーイム!
ドン! モモタロウォ~ッ!!』
「狂瀾怒桃ォ……!」
──『ヘイッ! カモォーン!』
「ブラストパーティー──ッ!」
──『イヨォーッ! ドンブラコォーッ!』
そして。
ドンモモタロウが両手で構えた銃から、超巨大な虹色の光弾が撃ち出された。
落下中に放たれたのにもかかわらず、その勢いは凄まじい。万有引力という言葉に真っ向から反抗するように、真っ直ぐこちらに向かって来る。
先程までの撃ち合いで繰り出されていたものとは比較にすらならない威力を備えていることは、火を見るよりも明らかだった。
だからこそ。
空崎ヒナは、いま再び切り札を解き放つことを決断した。
「こいつの、出番……」
構えた巨大な機関銃──終幕:デストロイヤーを、ヒナはドンモモタロウではなく、
光弾の中心部へ、据えた。
諸共吹き飛ばすのではなく、一点を抉るイメージを頭に思い浮かべながら引鉄を引く。
尋常ならざる強度を持った少女の意志と思考は、デストロイヤーの銃口から生まれ落ちようとしている弾丸に指向性を与えた。本来であれば扇状へ放たれる筈だった攻撃は、方向を固定されたことにより、その過半数が光弾へと集中する。
結果。
「どれくらい耐えられるか。見物ね──……」
極大の光と光がぶつかる。
轟音が大気を揺るがし、光の波が虚空をかき乱した。
陽の光さえも凌駕する眩しさが咲き誇り、ドンモモタロウの視界を白く焼き尽くす。
その、刹那。
紫紺の猟犬が標的へ噛みつく為の隙がついに生み出された。
「──!」
驚愕に打ち据えられるドンモモタロウの胴体に、弾丸は容赦なく突き込まれた。
明らかに人体から出てはいけない異音を甲高く響かせながら、ドンモモタロウは道路を走る車の屋根にむかって落ちていく。
並の感性を持った生徒であれば、百人中百人が仕留めたと確信するような姿を見て、それでもヒナは警戒を解くことはできなかった。
何故か。
(──直撃。いや、直前で、防がれた……!)
決して、見間違いなどではない。
弾丸が当たる直前、ドンモモタロウは弾丸と自身の身体の隙間に剣を挟んでいた。その衝撃こそ受け取ったらしいが──弾丸そのものを喰らったわけではない。
そして、たかが痛みや衝撃だけではドンモモタロウは止まらないことを、空崎ヒナは知っている。
「───はっはっはっはァ! 面白いぞッ!!」
それを証明するように、ドンモモタロウは落下の最中で全身に力を取り戻すと、曲芸めいた動きで車の屋根に着地してみせた。
「……クソ」
どこまでも出鱈目な男だと、ヒナは苦い舌打ちを漏らす。そうして翼をはためかせながら、自身もまた、ドンモモタロウから距離の離れた場所を走っている車の屋根に降り立った。
自分達が運転している車に、あのゲヘナ風紀委員長が降り立ったと判明した瞬間にぎゃあぎゃあと騒ぎ出した足元へ、ヒナは無言でデストロイヤーの銃底を勢いよく叩きつける。
あっという間に静かになったと同時に、向かいに立っているドンモモタロウが、溌剌とした調子で言葉を投げかけてきた。
「中々やるな、アンタ! やはり只者ではない」
「それ、褒めているつもり? だったら逆効果よ。貴方に認められても苛立たしさしか湧かない」
「そうか。それは損な性格をしているな」
「……誰のせいで……」
皮肉ではなく、本気でそう思っていそうな口調である。
自然とヒナのこめかみに、堪え難い痛みが走る。そんな少女の、年齢に似つかわしくないストレスのレッドフラッグを察知したかのように、信号が赤へと切り替わった。
二人を乗せた車は、その間に夥しい数の車体を挟みつつ、白線の手前で止まる。
駆動音や喧噪がやけに遠くに響く空間の中で、先に口を開いたのは、ヒナだった。
「──そういえば聞いていなかったわね、貴方が美食研究会に協力している詳しい理由。
必要ないと思っていたけれど……調書の作成はなるべく早く済ませたいから、一応聞かせてもらうわ」
ヒナの問いかけに、ドンモモタロウはいいだろうと一拍置いて、何処からともなく取り出した扇子をパッと開いた。
「黒舘ハルナの美食家としての腕を見込んだ、クロノススクールからの依頼だ」
「依頼、ね。内容は?」
「記事に取り上げるに相応しい店を……今は、ゲヘナで探している。銀鏡イオリにも言ったが、おれはただの協力者でしかない。それ以上の事情については、なにも答えられない」
「それは心底どうでもいい。
貴方の所属はD.Uでしょう。それに、職業はただの宅配人。
先生……シャーレのように、各学園で超法規的措置を取ることを、連邦生徒会から認可されているワケじゃない。
信頼されるに足る実績を作るために、生徒達の活動を積極的に手伝う必要は無い。
──困ったわ。ますます、貴方の意図が読めなくなってきた」
すうっと細められたヒナの瞳には、猜疑心と敵意がたっぷりと塗り込まれている。
桃井タロウが配達業の為に、ゲヘナだけでなくトリニティやアビドス、その他にも様々な学校の自治区に踏み込んでいることは既に把握している。
それは、アンノウンの結晶とも言えるドンモモタロウの詳細な動向を探っておきたい連邦生徒会からの依頼であったが、ヒナ自身としても大いに望むところだった。初対面の時からずっと、元情報部としての自分の直感が、こう叫んでいたから。
──この奇怪きわまりない男は、いつかキヴォトスという世界に、途轍もない何かを齎すと。
過去を連想したことにより敵意はますます濃度を増し、少女の視線は更に鋭くなる。しかしドンモモタロウは、研ぎ澄まされた刃のごとき眼差しを受けてもビクともせず、折り畳んだ扇子の先端をヒナへと向けた。
「おれが奴らに協力する理由など、一つしかないに決まっている」
「……」
どんな答えが出てくるのかと身構えたヒナの耳に、ドンモモタロウは大音声で言葉を叩きつけた。
「────縁だッ!」
「…………なに?」
「縁だッ!!」
聞こえなかったわけじゃない。
だが、おかげと言っていいのか、聞き間違いではない戯言であることを知れた。
これ以上の追及は時間の無駄だと判断し、ヒナは溜め息をはきながらリロードする。ついでに通信端末に口を近づけ、おそらく後方指揮を取っているであろうアコに連絡を入れた。
「──アコ。主要道路は封鎖してる? イオリと合流できた? ……そう、よかった。
なら、最後に美食研究会が目撃された逃走地点を中心に、以前に爆破事件が起きているゲヘナ自治区内の飲食店と料理店をリストアップ。それを除外してから、予測移動経路を複数割り出して。
……他学園に逃げ込まれたわけじゃない。人海戦術でカタをつける。後で私も合流するから……ええ。少し、遅くなる」
ヒナが大まかな指示を出し終え、端末の電源を落とすまで、ドンモモタロウはザングラソードを担いだままひたすらに見守っていた。ヒナにとって、それは侮りも同然だった。自然と、険がある言葉が吐きだされる。
「……邪魔しないの? 格好のチャンスだったかもしれないのに、それともマスクが邪魔になってた?」
「心配は無用だ。それに、下手なウソをつくな。アンタは欠片も油断していなかっただろう。邪魔したところで、意味は無い。それに……必要もない」
そこで、初めてドンモモタロウは静かに笑ってみせた。
「奴らが征く美食の道は──誰にも予測できるもんじゃないからな」
「────」
その、誰か/生徒を無条件に信じる姿が。
何処か先生と似ているようにヒナには見えた。
見えて、しまった。
それは、決しておまえでは乗り越えられない壁の向こう側に、桃井タロウは先生と共に立っているぞと、突き付けられているようで。
酷く、酷く、酷く────空崎ヒナの気分を害した。
「───貴方のそういう所が、心の底から」
その感情に、あえて名を付けるとすれば。
「嫌いで仕方ない────!」
そして、信号が青に切り替わる。
同時に二つの銃声が弾け、最強の称号を冠する者たちの戦いが再開した。
〇
その戦闘を見守る影がひとつ、高層ビルの屋上にあった。
影の正体は、無骨なガスマスクを身に付けた少女だった。白を基調とした制服の上には防弾チョッキが装着されてあり、胸部にあたる場所には、薔薇に浸食された髑髏の印がぽつんと刻まれている。
少女は、レンズの先で未だに繰り広げられている空崎ヒナとドンモモタロウの戦闘を確認しながら、イヤホンマイクに対して話しかける。
「──対象が戦闘を開始しました。指示を」
『───』
「了解しました」
ノイズ混じりの受信音と共に、二言、三言の短い指示が飛ばされた。
少女は無機質にそれを受け取ると、マイクの電源を落とす。そして、傍らに置かれていたバッグから、一丁のライフルを取り出した。
何度も姿勢を調整して、射座が完璧になる位置を探る。やがて姿勢を固定すると、厳重な施錠が施されたスーツケースから、一発の弾薬を取り出した。
弾頭が青く光り輝いている、奇妙な弾頭だった。
この弾薬がどうやって製造されたのか、少女はまるで知らない。だが、知ったところで何になるというのか。
自分達はただの機械──目的を達成する為に、壊れるまで動き続ける部品でしかないのだから。
少女は無感情に弾薬を装填すると、ボルトハンドルを前に進ませた。
スコープ越しに狙うのは──無差別に選んだ一台の配達用らしきバン。
引鉄に、細く白い指がかかる。
息を吐き、短くひと言。
「──状況を開始する」
〇
その異変に最初に気付いたのは、ヒナの方だった。
「──?」
交差点に入った直後、ドンモモタロウと撃ち合っている最中、悲鳴がやけに多く聞こえることに気付いた。
最初は、自分達が大通りという舞台を贅沢に使って、激しく戦っているせいだと思った。ゲヘナ風紀委員会のトップである自分が周囲から恐れられ、あるいは疎まれていることは重々承知している。そして、何度も何度もゲヘナで騒ぎを起こしてきたドンモモタロウも、また。だが、そういう恐怖や畏怖から来るものとはまた違った悲鳴だとすぐに気づいた。
「これは──」
ドンモモタロウも妙な空気を感じ取ったのか、ドンブラスターを下ろして、これまで飛び移ってきた屋根の海を眺めている。
悲鳴はまだ止まらない。それどころか、さらに勢いを増しているようにも思える。
一方から聞こえてくるのなら、まだ理解できる。だが、四方八方から聞こえてくるのは一体どういう訳なのか──
「……なんなの……?」
「──」
戦闘中にも関わらず、二人は動きを止めていた。仕留めるのなら今しかないと誰もが思うほど、互いに無防備だった。しかし、曇天の空のように薄暗く重苦しい気配が、そうすることを許さなかった。
沈黙が不愉快な感触の膜になって、辺りを満遍なく包み込む。呼吸を繰り返すたびに、肺が汚れるような錯覚。ヒナの思考はこう言っていた──悪意を持った何者かが、このゲヘナでなにかを企んでいる。
やがて、気配の密度が頂点に達し、
悲鳴の壁が、極限まで狭まり、
それは、来た。
「────交通ゥゥゥゥ、安全ンンンン!!!!!!!!!!!!!!」
向かって、右側。
次々と車を消し去りながら、車の部品を象ったプロテクターを身に付けた異形──激走鬼は、両手に鬼険棒を携えて、ドンモモタロウと空崎ヒナ目がけて凄まじい速度で走ってきた。
異形は、それだけではなかった。
「────もっと強く、もっと、もっとォォォォオオオ!!!!!!!」
激走鬼が来た道とは反対側から、将棋の駒とスーパーカーを融合させたかのような鎧を纏った異形──高速鬼が、地面を奔る見えない稲妻を辿るようにジグザグに突き進んできていた。
そして最後の一体は、まっ正面から来た。
「────マッハ全開ィィィィィィ!!!!!!!!!!!!!!!!」
青白く燃える車を模したスキンを上半身に巻きつかせた異形、炎神鬼。
計三体ものヒトツ鬼が、明らかな害意をもって──ドンモモタロウと空崎ヒナを取り囲もうとしていた。