ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのや

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

「ご、ごちそうさま……でし、た」

 

 野菜がたっぷり入ったコンソメスープを飲み終えた後、桃井タロウの丁寧なそれをなぞるようにして、錠前サオリは手を覚束なく合わせた。

 例によって、器のなかは空である。

 

「また完食か」

「……すまない」

「なぜ謝る。言っただろう。アンタの食いっぷりは見ていて気持ちがいいと」

「…………すまない」

 

 年頃の女子に対しておおよそ向けるべきではない褒め言葉を受け止めて、サオリは頬を赤らませる。

『おまえはものすごく食い意地が張っている』と言外に告げられて、なんとも思わない思春期の女子はなかなかいない。これまでのサオリは、そのなかなかいない女子の一人であったが、一日三食と寝床がつき、なおかつ外敵がいないという安全をきわめたような環境下が、彼女に少しばかりの羞恥心を取り戻させていた。

 視線は自然と下がり、この数日ですっかり見慣れた光景が、視界に映る。サオリは気を取り直すように喉を鳴らしながら、これまで密かに気になっていたことを問いかけることにした。

 

「……桃井タロウ。お前の職業は」

「?」

「料理人、なのか?」

「違う。おれは宅配人だ」

 

 自らの職業を淡々と答えるタロウに、サオリはそうかと頷きながら、脳内の情報を更新した。

 宅配人とは即ち──美味い料理を作れる人間がなる職業である、と。

 

「なにか勘違いしているようだが、宅配人は特別な資格がいる仕事じゃない。審査をきちんと通り抜けられれば、アンタだって明日にでもなれる。おれにとっての料理とは、日常動作の一つに過ぎない」

「つまり──あくまでも特技の範疇と周囲に意思表示することで、無用な依頼を避け、技術の漏洩を防いでいるわけか。なるほど、手抜かりが無い」

「……何故、そうなる?」

 

 珍しく本気で困惑しているタロウをよそに、壮大に誤解を深める一途をたどるサオリは、枕元のキャビネット上に置かれた市販のものらしき錠剤を躊躇なく飲み干していた。

 飲食物や薬に毒を盛られないという確証を、とうとう抱けたわけではない。

 ただ、桃井タロウにそのつもりがあるのなら、自分は既に何十回と死んでいる。だが、今も生きている。その客観的な事実に基づいただけの簡単な話だった。

 それに──

 いつからかはわからない。わからないが、この男は嘘をつかないだろうという確信が、朧げながらも頭に根付いていたせいもあった。

 本来であれば唾棄すべき、実に愚かな考えだった。

 よりにもよって自分が、他者の善性を信用するなど。

 

「……」

 

 サオリは気付かれないように、机の上にある書類を整理している男の横顔に、そっと視線をやった。

 色鮮やかな雑誌を拾い集めてくるのが趣味なヒヨリならともかく、サオリには他者の美醜の境目がどこにあるのかよくわからない。

 それでも、桃井タロウという男の容姿に対して、他とは隔絶した位置にあるという感想を抱くことができた。

 しかし、それは──すっきりと通った鼻梁や、強い意志を感じさせる瞳、形の整った眉といった単純なパーツだけにとどまるものではない。

 桃井タロウの存在そのものに対して、錠前サオリはこう思うのだ。

 

 ──この男は、この世界にとっての異物であると。

 

 それは、サオリの主たる『彼女』に対して時折感じるものよりも、さらに大きく深かった。もはや断絶と言い換えてもいいだろう。

 魚が陸を歩けないように。

 ヒトが水では呼吸できないように。

 桃井タロウはきっと──このキヴォトスにいるべき存在ではない。

 だからなのかもしれない、とサオリは思う。

 常に心のなかを埋め尽くしているヘドロのような憎悪と虚無が、男と話している時だけはほんの少しだけ剥がれ落ちるのは。

 毒されている。どうしようもなく。

 

「……」

 

 スープに入っていたショウガのお陰か、身体は温まっていた。その熱は、サオリが今ではすっかり慣れてしまったこの部屋で目を覚ました時に感じた、不愉快きわまりないものとは違う。柔らかで、いつまでも浸っていたくなるような温かさだった。

 だからサオリは、自らの体調が完全に回復したことに気付いた。

 それどころか、倒れる直前よりもさらに良くなっていた。頭頂部から爪先にいたるまで、ありとあらゆる箇所に活力が満ち満ちている感覚。

 それでもなお、胸の空虚は埋まらない。

 きっとそれは、罪悪感という見えない手が、穴の縁を掴んでいるからだ。

 自分の家族──アリウススクワッドは未だにあの薄暗く、肌寒い、一切の光が届かない場所にいるというのに。

 自分だけがこうして、陽のあたる場所で安息を享受している。

 人に優しくされている。

 ひどく────惨めな気分だった。

 

「…………」

 

 サオリは俯きながら、いつかのようにゆっくりとベッドから降り立った。

 ぺた、と床に裸足が吸いつく音が、どこか遠く聞こえた。そのまま静かに、一切の音という音を撃ち殺しながら、桃井タロウの背後に忍び寄る。

 手に握っているのは、枕の裏側にずっと忍ばせてあったハンドガン。

 その冷たく光る銃口をそっと、桃井タロウの頭の後ろに突き付けた。

 先程までの感傷は消え去り、照準は一ミリの揺らぎも無かった。

 当然だ。錠前サオリは、そのように育てられてきたのだから。

 無感情に、無機質に、無感動に──なんの躊躇いもなく、人を殺せるように。

 

「──」

 

 桃井タロウは殺すべきだと、頭のなかの声が合理的な判断を下した。

 それらしい理由なら幾らでも思いつけたし、取り繕えた。けれども結局のところ、サオリは単純に桃井タロウのことが恐ろしいだけなのだ。

 ほんの僅かな間ではあるけれど、自分をいまの自分でなくしてしまう男のことが。

 ただ接しているだけだというのに、誰かと繋がることへの価値を見出してしまいかねないその存在が──錠前サオリのすべてを、恐怖させていた。

 桃井タロウは殺さなければ、と頭のなかの声が根源的な叫びを漏らした。

 従う以外の術など、見える気がしなかった。

 そして、引鉄にかけた指を、引──

 

「そういえば」

 

 まるで見計らっていたかのようなタイミングに、サオリの指が動きを止めた。

 万全な状態ではなかったとはいえ、咄嗟の襲撃を軽くいなしてしまうような男が、すぐそばにある銃口の存在に気付いていないはずがない。

 飛び出すのは説得か、それとも──命乞いか。

 極限まで高まった緊張のせいで掌に滲みだした手汗を感じながら、サオリは無言で言葉の続きを待つ。そしてタロウは机に向かったまま、いつもの竹を割ったような調子で言った。

 

「今晩のリクエストを、聞いていなかったな」

「──何?」

「今日は休みだが、外に少し用事がある。ついでに材料を揃えるのに丁度いい機会だ。だから聞いている」

「…………は」

 

 たまらず、笑ってしまった。

 油断しているわけでも、こちらを見縊っているのでもなく、男は本当に心の底からサオリに対して問いかけていた。

 

「──」

 

 一度緩んだたがを戻すのは至難の業だった。籠っていた力はほどけ、銃はゆっくりと頭を下げる。もはや攻撃の意志は無いことは、誰が見ても一目瞭然だった。

 しばらく黙った後に、サオリはぽつりと呟いた。

 

「…………粥を、食べたい」

「わかった」

 

 そこで会話は途切れ、タロウはふたたび書類の整頓に没頭し、サオリは静かにベッドに戻った。寝転びながら、窓の外に溢れている光を見据える。

 眩しくて、とても触れられそうにない輝きだった。

 それでも、と思う。

 今この瞬間だけは、どうか眺めることを許して欲しい──そう、自分も知らない、顔の見えない誰かに願った。

 

 

 〇

 

 

 約束の時間までにはまだ猶予がある。

 

 

 そういうわけでゲヘナに来ていたタロウは、目についた喫茶店で時間を潰すことにした。

 扉を押し開けると、備え付けられたベルがちりんちりん、と涼やかな音を響かせる。店内は電灯の強さを極力しぼられており、昼間にもかかわらず仄暗い。しかし、それがアンティーク調に揃えられた壁や床に品格を生み出していた。

 良い店だ、とタロウは思った。

 やってきた猫の店員に、二人掛けのテーブル席へと案内される。座った直後に腕を組みだしたタロウに対して、猫の店員は尋ねた。

 

「ご注文は?」

「きびだんご」

「ありません」

「……アイスコーヒー」

「かしこまりました。少々お待ちを」

 

 しずしずとカウンターに引き下がっていく猫から、タロウは視線を窓へと逃がす。

 昼という時刻もあってか、外を出歩く生徒の姿は非常に多い。午後への活力を養うために飲食店に立ち寄るもの、サボりを決意したのかゲームセンターに意気揚々と踏み込むもの──と、要素だけ抜き取ればそれは、日常の教科書に載っていそうな景色だったが、やはりゲヘナというべきか。どこかで発した些細なきっかけがあっという間に火花へと変わり、たちまち銃撃戦があふれ出した。

 タロウが混乱と喧噪に満ちていく景色をなんの感慨も抱かず眺めていると、鈴が揺れる音がした。続いて、かつかつかつ、と迷いのない足音。新しい客が入ってきたのかと、意識の片隅で思っていると、

 

「──相席、よろしくて?」

 

 と、傍らに立った何者かが声をかけてきた。

 窓から外し、移した視線の先に立っていたのは──

 

「……アンタは」

「久しぶり──というほどでもありませんわね。まぁ、細かいことは良いでしょう。それで、お返事はいかが?」

「ああ、構わない」

「ありがとうございます」

 

 銀髪赤目の少女──黒舘ハルナは莞爾と頬を緩ませると、タロウの対面に腰を下ろした。来客に気付いたもう一人の店員──黒柴がやってきて注文を伺う。メニュー表を見下ろすハルナは数秒ほど考えてから、レモンティーとサンドイッチを注文した。

 注文を終えたハルナはメニュー表をぱたん、と閉じて、タロウを真っ直ぐに見つめる。第一声は決まっていた。

 

「タロウさん」

「なんだ」

「まずは、御礼を──……ありがとうございます。ヒナさんの相手をしてくださって」

「礼など不要だ。ヤツの相手をできるのは、おれしかいなかった。だから相手をした。それだけのことだろう」

「……ふふ、なんとも、タロウさんらしい言い草ですわね」

 

 ゲヘナ──いや、キヴォトスでも無類の強さを誇る空崎ヒナの相手をすることを、さも当然の義務のように語ってみせられるのは、きっと桃井タロウぐらいだろうとハルナは思う。そして、実際にやってのけてみせるのも。

 勿論、キヴォトスの土地は広大であり、そこに所属する生徒達も比例するように多種多様である。だから探せばきっと、空崎ヒナを単独で食い止められる生徒はいるのだろう。

 けれどハルナは、なによりも誰よりも──桃井タロウの強さを信じていた。

 信じることを、選んでいた。

 奇妙な沈黙が訪れるなか、タロウはそれよりも、と会話を続ける。

 

「アンタ達はどうだったんだ。目的の店は見つけられたのか?」

「まあ、今週のクロノススクールの記事をご覧になっていないのですか?」

「同居人が風邪を引いていてな。それどころではなかった」

「む……そうですか」

 

 ハルナは嘆息すると、自らの端末を取り出して操作し始めた。画面に表示したのは、クロノススクールが週刊で出しているデジタルの新聞だ。

 その5ページ目に、ハルナ達が見出した店がでかでかと掲載されている。

 それを見せようとしたハルナを、タロウが止めた。

 

「後で確認する。わざわざ見せてもらう必要はない」

「私としては、今すぐにでも確認してもらいたいのですが……」

「愛清フウカ、牛牧ジュリ──そしてアンタが見込んだ店であれば、間違いなく美味い。だから、いま確認する必要はないと言ったんだ」

「──」

 

 タロウの言葉を受け止めたハルナは不満げに細めていた目を見開くと、ゆっくりと立ち上がり、そしてタロウの隣に座った。

 向けてこられる弓なりに曲がった赤色の眼差しからは、疑いようのない好意と親愛の光が零れ落ちている。

 そのまま話しかけてくるのならまだしも、ハルナは黙って、ずっと見つめるのみである。流石に不審に思ったタロウは、若干身体を横に傾けながら問いかけた。

 

「……なんだ、急に」

「急に、こうしたくなっただけですわ。気にしないでください」

 

 無理を言うな。

 と、タロウは思った。言いさえもした。けれど黒舘ハルナはずっと隣に座って、褒められた子供のようにニコニコ笑いながら見つめてきた。それは、二人が頼んだメニューが運ばれてきても続いた。多分、店が爆破されても続いたはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでアンタ、収監されていた筈じゃなかったか」

「脱獄しましたわ。ザルでしたので」

「…………」

 

 

 〇

 

 

 空崎ヒナは桃井タロウが嫌いだった。

 

 

 無駄に強いところが嫌いだった。バカみたいに正直なところが嫌いだった。先生と仲が良いところが嫌いだった。

 要するに、なにもかもが嫌いだった。

 だが、その仕事ぶりは評価に値するものだと思っていた。時間に正確で、なおかつ荷物も丁寧に届けてくれるというのは、無法地帯という言葉が完全武装で暴れ回っているこのゲヘナにおいてあまりにも有り難い。だから、なにか荷物を届けてもらう際には、桃井タロウが籍を置いているシバイヌ宅配便を利用するのが常であった。

 机の上に置かれた時計を見て、心のなかでカウントする。

 扉が開くまであと五秒、四秒、三秒、二秒、一秒──

 とん、とん、とん。

 軽いノックの音が響いた。

 

「入って」

「失礼する」

 

 がちゃ、と開いた扉の先には──やはりと言うべきか。桃井タロウが立っていた。

 ヒナは頬杖を解くと、椅子から立ち上がり、設えてある来客用のスペースにタロウを案内する。後ろをついてきたタロウはソファに座ると、脇に抱えている何枚かのファイルを机に置いた。

 

「先生からの届け物だ。これは射撃訓練の報告書、こっちは──」

「……」

 

 差し出されるファイルのなかに挟まれてある書類をとりだして確認するという作業を、数度くり返す。全てを確認し終えたヒナは、目頭を揉みながら溜め息を吐いた。

 

「……確認した。特に漏れも無いみたいだし、このまま受け取るわ」

「そうか。なら良い」

 

 中身を抜き取られたファイルを回収しているタロウを見て、ヒナは気の無い様子を装って尋ねた。

 

「そういえば制服じゃないのね、今日は」

「ああ。今日は休みだ」

「……それじゃあ、なんでゲヘナに?」

「先生から頼まれたからだ。外出が面倒くさいからという理由であればともかく、他の学園に用事があって行けないというのであれば、断る理由は無い」

「……そう」

 

 謝るべきか、とヒナは一瞬考えて、首を振った。背負うことを決めたのは、桃井タロウの本人の意志だ。

 だが、それでも、たまの休日が急に入った仕事で潰れた時に感じる矛先の無い虚しさを、空崎ヒナは知っている。

 お茶ぐらいは出そうかな──と立ち上がりかけたヒナを、続くタロウの言葉が引き留めた。

 

「それに、おれもアンタに会って話しておきたいことがあったからな──ヒトツ鬼について」

「──」

 

 瞬間、ヒナの脳裏に甦ったのは三体の異形の姿だった。

 今でも鮮明に像を結ぶことができる。ゲヘナに突如として現れた怪物──その正体がキヴォトスのどこにでもいそうな生徒であり、また本人達に暴れていた際の記憶が抜け落ちているところから、ありとあらゆる意味で正体不明の怪物だとヒナは認識していた。

 そして正体は不明だが、ふたたび発生するのであれば、確実にゲヘナの風紀を乱す側の存在だとも。

 気持ち姿勢を正しながら、ヒナはタロウに鋭く尖らせた目を向けた。 

 

「そのヒトツ鬼について、なにを話したいの?」

「根拠があるわけじゃないが、あのヒトツ鬼達は、おれが知っているものと何処か違っていた」

 

 そう続けたタロウの顔には、ある種の深刻さが滲んでいた。ヒナは物珍しさを感じつつも、それを抑えて会話を続ける。

 

「貴方から聞いた、ヒトツ鬼の概要──欲望の過剰な暴走によって生まれる怪物だってことを、全面的に信じたわけじゃない。でも、仮にそれがヒトツ鬼の主な発生方法だったとして、それ以外にもあったりするの? ヒトツ鬼になる方法」

「ある。だが──」

 

 タロウが思い出していたのは、脳人の手によって欲望を解放させられ、あえなくヒトツ鬼と化してしまった学生の姿だった。

 けれど、脳人の目的は自分達が暮らす世界である脳人レイヤー──イデオンの秩序を保つことのはずだ。そしてヒトツ鬼は、イデオンのバランスをかき乱す存在である。

 だから脳人達は、ヒトツ鬼を宿主ごと消去することを至上の使命にしていた。三体同時発生のヒトツ鬼など、決して捨て置くわけが無い。

 しかし、脳人達は最後まで姿を現すことはなかった。

 このキヴォトスに脳人達の気配は無い。けれど、仮に人工的にヒトツ鬼を作れる存在がいるとすれば、それは脳人達を置いて他にあり得ない。

 あり得ない、筈だというのに──

 

「だが、なに?」

「どこから説明すればいいのか、わからない」

 

 タロウの解答を聞いたヒナはなにそれ、と肩を落とす。そして、ソファの背にもたれかかり、おもたげな吐息を零した。

 

「──まあ、頭には入れておくわ。一番詳しい貴方にも分からない以上、こっちには考察のしようもないし。ヒトツ鬼が出たときは、連絡した方がいいかしら」

「いや、必要ない。ヒトツ鬼が出れば、おれは自動的に現場へ転送される」

「…………なんだか、より危険度が増したように思えてきた」

 

 どこからともなく湧き出てくるドンモモタロウの絵面は、想像以上にヒナの胃を刺激した。

 拳でこめかみをとんとんと叩きながら、ヒトツ鬼への対策をどうすべきかという考え事をしていると、用が終わった筈のタロウが未だにソファに座っているのが見えて、ヒナは首を傾げる。

 

「まだ何かあるの?」

「いや、これ以上は無い」

「じゃあ、なに? 用が済んだならさっさと帰れば? 今日は休みなんでしょう?」

「ああ。できることならそうしたいが──」

 

 タロウはこく、と頷いた後、確信を籠めて言った。 

 

「──アンタ、いつから食事を抜いている?」

「………………」

 

 誤魔化すことなどできそうにない。ヒナは顔を背けて、指を三本立てた。するとタロウはふん、と鼻を鳴らし、愚か者を見るような目を作る。ヒナの神経が、ぶちぶちと音を立ててキレた。

 

「その、目、やめて」

「健康維持に必要なのは食事、睡眠、運動──どれか一つを疎かにするとロクなことにならない。氷室セナも言っていただろう」

「セナならともかく、貴方から言われると死ぬほどムカつく……!」

 

 ヒナは外敵を威嚇する野良猫のように、野性味あふれる敵意をむき出しにした。

 そんな風に激昂しているヒナを置いて、タロウはポケットから取り出したサングラスをかけると、ソファから立ち上がる。

 

「すこし、待っていろ」

「なにをするつもり?」

 

 返答することなく、タロウは部屋から出て行った。扉からではなく、床から。

 明らかにヘンだと指摘する気は湧かなかった。無駄だからだ。なので言われた通りに大人しく待っていると、桃井タロウは数分後に帰って来た。

 今度は足場の無い窓ガラスの外から、連れ合いを作ってきて。

 

「──ちょ、タロウ、タロウってば……! 急にやってきて、なに? 料理を作って欲しいって頼んだと思ったら、いきなり外に連れ出して、挙句の果てに壁に向かって突き進むとか──色々あり過ぎてわけわかんないっ」

「アンタの料理が必要だ。だから連れてきた」

「え、えぇ……? いや、頼ってくれるのは、そりゃ嬉しいけど……もうちょっと順序踏ん」

「貴女……フウカ?」

「へ? ……──って、ふ、ふ、風紀委員長!? あのあの、なんでっ、どうしてっ!?」

 

 それはこっちの台詞、と言いかけて、ヒナは慌てる頭巾とエプロンをまとった給食部の部長──愛清フウカの隣で、泰然自若と腕を組んでいるタロウを怪訝な目つきで捉える。

 タロウはヒナを見たまま、フウカに言葉を投げかけた。

 

「そろそろ出来た頃合いだろう。取ってこい。扉は開けてある」

「は? え、いやでも、窓……」

「早くしろ」

「──~~~ッ! ああもおっ! ほんっっっとに、そういうとこだからっ! そろそろ直してよねいい加減っ!!」

 

 うがーっ、と吠えたてながら、フウカは窓の外に消えていった。戻って来たのは数十秒後で、手に赤いミトンをはめて、白い湯気を放つ器を携えていた。その器は、そのままヒナの前に差し出される。

 ヒナは今日何度目になるかもわからない疑問の声を出した。

 

「……これ、なに?」

「説明してやれ」

「はああ!? え、タロウが作れって言ったんじゃ…………いや、もう……いいか……」

 

 フウカは壮絶な溜め息を吐き終えると、ミトンを外しながら、端々に躊躇いが見えるおぼつかない口調で説明し始めた。

 

「──えっと、これ、明日の献立にしようかなって考えてるポトフなの。

 具材はソーセージ、あとはジュリが畑で育ててくれた野菜で……キャベツにじゃがいも、玉ねぎに人参。それと、大豆。

 塩麹で味付けしてるから、疲労回復効果は折り紙付き。アイデアは……その、業腹なんですけど、この前のハルナに付き合わされた時に思いついて……」

「それはいい。これを私に見せて、なにをしたいの?」

 

 なにがしたいって、とフウカは不思議そうに、

 

「タロウが、三日間ロクな食事を摂っていない相手に料理を作るとしたらなにを作る? っていきなり言ってきたから、それで……」

 

 そこで、ヒナとフウカは揃ってタロウを見た。タロウは腕を組んだまま、首を振る。どうやら黙して語るつもりは無いらしい。

 ヒナは心底呆れながら、目の前に差し出されたポトフに視線を落とした。

 琥珀色の液体にざく切りされた野菜が浮かんでいる様は、改めて見ると色鮮やかだった。放たれ続けている温かそうな白い湯気が、より一層それを強調しているのだろう。漂うコンソメの匂いが、ヒナの鼻腔をくすぐる。

 そのせいか。腹がひどく久しぶりに、小さく細く喉を鳴らした。

 

「……っ」

 

 ギッ、と思わずタロウを睨み付けるが、大した効果は得られないことはわかっていた。ヒナは観念したかのように目を閉じると、ご丁寧に用意されてあった蓮華を使ってスープを掬い取る。

 

「──いただきます」

 

 スープを嚥下した後も、ヒナは舌に残った後味を確かめるように、口を小さく動かしていた。そこから先は早かった。ジャガイモや人参をほぐし、キャベツや玉ねぎをスープに浸し、大豆を一気に持ち運び──

 たちまちに減っていく器の中身を見たフウカがごくりと喉を鳴らし、タロウがぴく、と小さく眉を上げる。やがて食べ終えたヒナは、温まった吐息と一緒に感想をぽつ、と零した。

 

「……美味、しい」

「────よ、良かっ、たぁあああ…………」

 

 ただ料理を振る舞っただけだというのに、バカみたいな緊張感だった。

 へたりこみかねない自分の膝を必死に持ちこたえさせているフウカを置いて、タロウはヒナに向かって言った。

 

「その味は、黒舘ハルナのお陰で生まれた──とは、言わん。だが、少なくとも、ヤツの行動が切っ掛けになったのは事実だ」

「だから、無罪放免にしてやれと?」

「いいや。しかし、アンタは実感したんじゃないか。食事の重要性を」

「? それがなに──あぁ、いや。そういうことか」

 

 桃井タロウの伝えたいことがいまいち理解できなかったが、愛清フウカの存在がヒナに答えを教えてくれた。

 

 ──予算の折衝会議は、もうすぐだったわね。

 

 巻き込まれたせいだろう。困惑しっ放しのフウカとは違い、巻き込んだ張本人たるタロウは、ヒナが解答に辿り着いたことを察知したらしい。いつものバカみたいな呵々大笑ではなく、こちらを挑発するかのような、小さく薄い笑みを浮かべていた。

 

「……随分と、回りくどい真似をする。単なる宅配業者にしては、ちょっと踏み込み過ぎだと思うけど?」

「おれは一瞬だけでも給食部の部員だった。ならば、部の助けになるのは当たり前のことだ。

 それに! おれと給食部の間には──」

「縁がある」

「……」

「ふふ」

 

 決めセリフを先んじられてしかめっ面になったタロウを見ると、ヒナはようやく鼻を明かせた気分になれた。

 その爽快感のままに立ち上がり、勢いよく背を伸ばす。引き延ばされた凝りの群れが呻き声を上げながら消えていくのをひと通り感じ終えてから、ヒナはまたタロウを見やった。

 

「──やれることはやってみる。けど、期待はしない方がいい。万魔殿の腹黒さは貴方もよく知っているでしょう?」

「期待はしていない。アンタは、するべきことをするだけだろうからな」

 

 よく言う。

 最後に視線を交わし合い、そして桃井タロウは部屋から出て行った。今度は、ちゃんとした出入口から。きっと、二度とは戻るまい。

 困り果てたのは、会話にも状況にも置いて行かれたフウカである。桃井タロウが空崎ヒナに対してなんらかの交渉を仕掛けたことは、薄らと読み取れたが──どういう結果になったのかが、いまいちよく分からなかった。険悪な雰囲気は漂っていないから、上手くいったのだとは思うけれど。

 とにかく、自分もこれ以上ここにいる理由はない。

 

「そ、それじゃあ、私もこの辺りで……」

 

 そう断って、そろそろと忍び足で退室しようとしたフウカを、

 

「待って」

 

 と、空崎ヒナが引き留めた。

 びく、と身体を震わせたフウカの脳裏には、部屋に入ってきてからの記憶がリピートされていた。知らないうちに不作法を犯してしまったのではないか──と戦々恐々だったが、よく考えれば桃井タロウの方がよっぽど不作法であると気付き、安堵に胸を撫で下ろす。じゃあなぜ呼び止められたのかを考えようとすると、今度は桃井タロウの記憶が邪魔してきて、フウカはキレそうになった。

 そんな風に、顔色をひっきりなしに変えている忙しそうなフウカをよそに、ヒナは静かなものである。

 わずかに伏せた目の奥で考えているのは、いつか桃井タロウから投げ掛けられた、容赦のない言葉の刃だ。

 

 

 

 ──口があるのに、何故言わない?

 

 ──アンタは……少しばかり、窮屈そうだ。

 

 

 

 負けたくなかった。

 言ってしまえば、それだけなのだと思う。

 

「……貴女の、料理」

「う、うん」

「本当に、美味しかった。久しぶりに、温かい料理を食べられた気がする──……だから、その、ありがとう」

「────」

 

 フウカは少し驚き、それからどこか照れくさそうに笑いながら、誇らしげに胸を張ってみせた。

 

「当然のことをしたまでよ──だって私達は、ゲヘナの給食部なんだからっ」 

 

 

 〇

 

 

 桃井タロウは、一人で歩いていた。

 

 

 ゲヘナから出る為の帰り道である。なので当然その道中には、ヒマを持て余したチンピラやスケバン達がそこら辺をうろついているのだが、一人で、銃器を所持しておらず、しかもヘイローを持っていないというネギを背負ったカモも良いところなタロウを襲おうとする影は一つもない。

 その理由は明白で、桃井タロウはドンモモタロウであると認識する生徒が、日に日に増えているからだった。

 風紀委員会と幾度となく衝突しておきながら、一度も捕らえられることはなく。

 大規模な抗争に巻き込まれてしまっても、無傷で切り抜けいつの間にか神輿に担がれていて。

 あのキヴォトス最強の一角を担う風紀委員長とも、互角に渡り合うほどの実力を持つ──

 もちろん、そんな噂は眉唾物だと襲ってくる輩も、それなりにいる。しかし、ある学区の範囲内では、桃井タロウに手を出すべからず──という暗黙の了解が広まる程度には、その強さは知れ渡っていた。

 タロウはそんなこと欠片も気にしちゃいない。頭のなかに浮かんでいるのは、外出する前に同居人の少女から聞き出した──粥が食べたいというリクエストを叶える為の、材料あつめの流れだ。

 それでも、ふとした拍子に考えてしまった。

 最後にお供と一緒に料理を食べたのは、何時だったかと。

 次の、瞬間。

 

「……ひっく」

 

 なぜか、いきなりしゃっくりが飛び出た。

 

「……?」

 

 全く兆候の無かったそれを不思議に思い、タロウは訝し気になって、自分の喉を触る。

 しばらく待ってみたが、二度目は無かった。だからタロウは、風邪を移されてしまったのだろうかと思い、ついでに薬局にも寄っていこうと決めた。

 

 

 

 いつの間にか日は落ち始め、空は茜色に染まり、街に人々が溢れ始める。

 そんな光景のなかで、桃井タロウはひとりきりだった。

 きっとゲヘナを出る最後まで、背中を襲われる心配は無いだろう。

 なにせ桃井タロウは、誰よりも強いのだから。

 だからタロウは、いつまでもいつまでも。

 ひとりで道を、歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










じかーい、じかい。


桃井タロウ。
なぜ荷物を運ぶ。なぜ縁を結ぶ?
便利屋68。
なぜ依頼を受ける。なぜ達成しようとする?
いや……考えても仕方無い。
この世界は──全て等しく、虚しいのだから。


ドン4章「べんりや、はこびや」


という、お話。


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