ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのし

 

 

 

 

 足に選んだのは、鼠色のミニバンだった。

 

 

 利点は幾つかあるが、もっとも重要なのは、景色に紛れ込みやすいということだった。

 運び屋とは、運ぶものがなんであれ、捕まったらそこで終わりの職業である。それゆえに、地味で目立ちにくく、その辺りに掃いて捨てるほどありそうな車体は、密かに行動するにあたってお誂え向きだった。

 黒いパーカーを着込んだ白髪の少女──鬼方カヨコは、値踏みするような目つきを作りながら、車の窓に色素の薄い五指を、そっと這わせる。じんわりと指の腹に浸透してきたのは、今もなお呼吸しているかのような、生きた熱だった。

 今日の天気は快晴だ。だから、青空や周囲の景色が存分に反射していて、運転席や助手席の姿は見えづらくなっている。これなら、カーフィルムを貼る必要も無いだろう。

 ガラスに映る、輪郭の歪んだ自分と見つめ合いながら、車の具合を検分しているカヨコの隣に、彼女の上司である陸八魔アルが、ファー付きのコートをたなびかせながらやってきた。

 

「──それで、どうかしら? カヨコ」

 

 アルの短い問いかけに、カヨコは求められているだろう解答を差し出す。

 

「──悪くはない、かな。この時間帯だと、風紀委員会の定期検問も少ないだろうし、ルート次第じゃ止められることは無さそう。不安な要素は何点かあるけど……まあ、その時は社長に任せるよ」

「ふふん。任せるといいわ」

 

 ふんっ、と胸を張っているアルから離れたカヨコは、最後の確認をする為に、便利屋の事務所へと向かうことにした。

 今回の事務所は、ゲヘナ自治区にある8階建ての高層マンションにあった。ただし社長の見栄っ張りによって、賃料は例によって嫌になるほど高い。

 今回の依頼が失敗したら、そろそろここも追い出されるかな──と、他愛のないことを考えながら階段を登っている最中に、いびつな形に膨らんだ荷物を運んでいる、便利屋68の平社員たる伊草ハルカの姿が、カヨコの視界に入った。

 

「……はあ」

 

 カヨコはそのまま、少女を右へ左へと翻弄している荷物のうちの一つを、スリでも行うように流麗に取り上げる。

 

「……?」

 

 なにが起きたのか理解できないという風に、ぼんやりと見つめてくるハルカに向かって、荷物を持ち上げた。

 

「持つよ」

「──あ! え、あっ……ぁりがとう、ござぃます……でも、いっ、良いんですか?」

「当たり前でしょ。ほら、行くよ」

「はっ、はい!」

 

 たんたんたん、がちゃがちゃがちゃ。

 靴が階段を踏みしめる小気味のいい音と、バッグのなかに詰め込まれた銃器がすれ合う物騒な音が響き続ける。

 そうしてミニバンまでたどり着き、一緒に荷物を載せてから、何度も下げられる頭に見送られて、カヨコはふたたび階段を登り始めた。

 今度は一度も止まることなく、階段を登り切る。そのまま便利屋68の事務所に繋がる扉を開くと、机を囲んで話している浅黄ムツキと──今回の依頼人である、スーツを着た黒柴の姿が目に入ってきた。

 黒柴はカヨコに気付くと、小さな会釈を繰り出す。カヨコは同じように会釈を返しながら、ムツキの隣に腰を下ろした。

 

「首尾は?」

「じょーじょー。ま、下見ができればもーっと良かったかもだけど、そこまでは求め過ぎだよね」

 

 二人の間に挟まれたテーブルには、地図が広げられている。その上には、複雑に折れ曲がった赤い線が、道を潰すようにいくつも奔っていた。

 そのうちの何本かには、可愛らしい×の字が刻まれている。

 指先でとんとん、とリズムを刻みながら、ムツキは話し出した。

 

「道の取捨選択はオッケー。後は、状況に任せて、臨機応変にってカンジ──要するに、アルちゃんの得意なヤツだ! くふふっ、楽しみだなー。今回はどんな顔を見せてくれるんだろー」

「……程々にしときなよ」

「はーい。それじゃ、また後でねっ。カヨコちゃんも依頼人さんもっ」

 

 ひょい、と軽やかに立ち上がったムツキは、笑顔を浮かべたまま、浮かれているような足取りで事務所を出て行った。その後ろ姿に悪魔の羽と尻尾が生えたように見えたのは、気のせいだと思いたい。

 とはいえ、仕事はキッチリこなしているようで、×が刻印されている道は、どれもこれもが風紀委員会が特に睨みをきかせている道だった。

 なかには、カヨコなら安全だと判断するような道もいくつかあったのだが──おそらく、行動隊長兼特攻隊長としての勘が、働いたのかもしれない。

 ムツキを信用することにして、カヨコは地図から目を上げた。向かい側に座っている黒柴に、最終確認をする為だった。

 

「……たぶん、ムツキから言われていると思うけど、念の為。このルートのどれかを通るってことで良い?」

「はい、問題ありません。複数のルートを用意しておいた方が、発見される可能性はより低まるでしょう。ベストな選択だと思います」

 

 黒柴は顎を揉みながら、理知的な光を丸い瞳に宿して、そう答えた。

 一見、普通の依頼人──いや、むしろ並よりも落ち着いた理性のある、いわゆる当たりの部類の依頼人に見える。

 しかし、時折目の奥に、なにかに追い立てられているかのような焦燥感と恐怖感がちかちかと瞬くのを、カヨコは見逃していなかった。

 

「……」

 

 アルに語った幾つかの不安要素──そのうちの一つが、この依頼人である。

 なんでもない風を装って会話を交わしながら、カヨコは依頼人がこの事務所に訪れた時のことを、ゆっくりと思い出す──

 

 

 〇

 

 

「──ようこそ、便利屋68へ。待っていたわ」

 

 大慌てでカップラーメンの残骸を片付けて、室内に籠っていた空気を窓を全開にすることで追い出し、ひと通り見目が整ったところで依頼人を応接室に案内する。

 一連の流れを経た後、ソファに座った陸八魔アルは実に大仰に足を組んでみせた。

 たぶん、どこかの映画から真似てきたに違いない。絶妙にハマっていない姿を横目に捉えながら、カヨコは用意した来客用のコーヒーを差し出した。

 黒柴は、礼を言いながら頭を下げると、味わうようにゆっくりと飲み始める。そして、ほう、と重たげな吐息を零しながらカップを置くと、つぶらな目でアルを見据えた。

 

「では、依頼の方なんですが」

「勿論、承らせて貰うわ。金を貰えばなんでもする──それがウチのモットーだもの」

「ええ。お噂はかねがね伺っております。聞けば、あの風紀委員会相手にも、引けを取らない活躍ぶりだとか」

「────当然じゃない。風紀委員会なんて、私達の敵じゃないわっ」

 

 ただし、そこには『空崎ヒナのいない』という文言が入るのだが。

 とはいえ一々口出しするのもどうかと思うので、カヨコは入り口横の壁にもたれかかったまま、黙っていた。

 その間にも目の前で、依頼に関係する話は、とんとん拍子で進んでいく。騙されていないか心配でついてきたのだが、聞いている限りだと報酬も契約条件も真っ当で、とくに問題は見られない。

 

(杞憂だったかな……)

 

 取りあえずの安堵を覚えていたところで、依頼の話も佳境に入った。

 すなわち──運ぶ物品と、目的地についてだ。

 アルは髪をかき上げると、ぴっ、と立てた人差し指を下唇に当ててみせる。なんの意味のない仕草だから、たぶんこれも、真似をしたのだろう。見ているだけで恥ずかしくなってくるから辞めて欲しいというのが、カヨコの正直な気持ちだった。

 自分の行動が恥だと捉えられていることなど露知らず、アルは挑発的な形に眼差しを曲げながら、依頼人に問いかける。

 

「それで──私達は、なにを、どこまで運べば良いの?」

「……」

 

 そう聞かれた瞬間、それまで饒舌に動いていた黒柴の舌が、動きを止めた。そのまま、急激に重力を加えられたかのように、俯いて動かなくなる。

 

「あの……ちょっと? も、もしもーし? 私の質問、聞いてた?」

「……」

 

 アルの呼びかけにも答えないその姿に、どこか怪訝なものを感じて、カヨコは密かに壁から身体を起こした。なにかあれば、すぐに対処できるように。

 だが、沈黙は長く続かなかった。黒柴がいきなり、ばっ、と顔を上げて勢いよく身を乗り出したからだ。

 当然、おそるおそる手を伸ばそうとしていた対面のアルは、芯までビビりあがる羽目になった。

 

「陸八魔さんっ!」

「ハイッ! 

 ──じゃ、なくて……っ!! な、何かしらっ?」 

 

 一瞬だけ垣間見えた少女の本性などまるで気にならない様子で、黒柴は肉球を卓上に強く押しつけながら、鼻にしわを寄せ付けつつ言った。

 

「あなた達に運んで欲しいのは荷物ではありません──私なんです」

「……ええ、と?」

 

 言葉を咀嚼しきれていないアルの脳みそに向かって、言い聞かせるような柔らかな口調で、黒柴はもう一度、自分の発言を繰り返した。

 

「私自身を、D.Uのとある場所まで、運んで欲しいのです──これはきっと、あなた達にしか出来ない依頼だと思います。私はそう信じて、この便利屋68に来ました」

 

 

 〇

 

 

 人を運ぶ。

 それ自体は、たいして珍しいことじゃない。素性が漏れてはマズイ人物、あるいは行動していることが──生きていることが周囲にバレてはいけない人物が、移動したいのであれば、なるほど運び屋ほど頼りたい職業は他に無いだろう。

 それでも不安が拭えないのは──何故だろうか。

 カヨコはそんなことを考えながら、白線のちょうど手前に来るようにブレーキをかけた。

 赤信号だ。

 ここはゲヘナだ。交通ルールなんて守ったところで、得するどころか損するばかりである。だから、別に無視したって構いやしないのだが、今はあまり目立ちたくない。それに、できるだけ品行方正に運転していた方が、逆に他の悪目立ちしている車が際立つ。

 久方振りに安全運転を心がけているカヨコは、指でハンドルを叩きながら、なにかに魅入られたかのようにサイドミラーをじっと眺めている助手席のハルカに話しかけた。

 

「様子はどう?」

「問題は特に──でも、怪しい挙動をしてる車が、その、何台かありますので……ば、爆破しますか?」

「いや、いいよ。こっちに干渉してきそうだったら、その時はお願い」

「は、はい! 任せてくださいっ。例え自爆して、肢体が弾け飛んででも、必ず仕留めてみせますので……!」

「……うん。まあ、程々に頼りにしてる」

 

 危うい熱を目の奥に注ぎこみ始めたハルカから目を逸らし、続いてカヨコが話しかけたのは、後部座席でアルとの間に挟んだ黒柴に、あれこれと話しかけているムツキだった。

 

「ムツキ」

「でね。その時にアルちゃんとハルカちゃんが──って、なーに?」

「追手はいそう?」

 

 カヨコの質問に、ムツキは露骨に不満そうな表情を作る。

 

「全っ、然っ! 怪しいヤツの影も形もありませーんっ」

「そう。良かった」

「良くなーいっ。つまんなーいっ」

 

 ぶーぶー、と頬を膨らませて異議を唱えるムツキを無視して、カヨコは青信号に沿って、再び車を発進させた。

 今日のゲヘナの道路は、意外なほど穏やかだった。『いつもよりかは』という間に入ってくるが、普段あふれている騒がしさや剣呑な雰囲気が、まるで嘘のように消えてしまっている。

 その原因は、やはり──

 

「『謎の怪物、ヒトツ鬼! 今度は三体同時にゲヘナに出没す!』……ねぇ……」 

 

 後部座席で、携帯の画面を覗き込んでいたアルが、そんな言葉を漏らした。

 画面に表示されているのは、クロノススクールが発行しているネット記事だ。そこには太文字に装飾されたゴシック体の文字と、四角い枠で切り取られた写真があげられている。

 写真に映っているのは──おそらく、遠距離から撮影したせいでぼやけてしまっている、異形の姿。

 三体の怪物が突然、しかも同時に出現し、次々と車両を消し去った事件がこのゲヘナで起きてから、二日が経とうとしている。

 三体ということもあってか、被害は車両数百台と甚大を極めたが、なにが原因なのかは知らないが交戦中だった空崎ヒナとドンモモタロウによって、どうにか事態は収拾できたらしい。

 この混沌を煮詰めたような釜のごときゲヘナにおいて、そんな暴挙を引き起こした異形達の姿は───便利屋も既に何度か遭遇を果たしている怪物と、よく似通っているように見えた。

 

「一部の学園にだけならともかく、あちこちに出没してるっていうんだから、傍迷惑な存在よね──まあ、仕事の邪魔さえしなければ、取るに足らない存在だけれど」

「アルちゃんってば、そんなコト言っちゃっていいのお? 

 そんなに調子に乗ってたら、どこからともなくあの鬼さんが出てきて……

 わッ!! ──って感じで、アルちゃんを襲っちゃうかも」

 

 ムツキは、威嚇する野生動物のように両手を振り上げながら、大声を出してみせる。

 突然のことに驚いたのは、アルだけではない。助手席のハルカや、挟まれるようにして座っている黒柴も同じく驚いている様子だった。

 奇妙な静けさが訪れるなか、いの一番に体裁を取り繕い直したアルは、

 

「───そんなもの、十秒、五秒、いえ、一秒で返り討ちにしてあげるわ。あまり私を舐めないで頂戴」

 

 と目をつぶりながら、不敵に笑ってみせた。

 それを聞いたムツキは楽し気に唇を歪ませ、ハルカは尊敬と崇拝の色に目を輝かせる。

 傍から見ればその様子は、部下からのささやかな挑発を、見事に威厳をもって跳ね除けてみせた、カリスマ性の溢れるボスに見えたことだろう。真っ白な額からだらだら、と流れ落ちている冷や汗らしきなにかは──まあ、見ないふりをしてやるのが、情けというものだ。

 カヨコはバックミラーから視線を外し、車の運転に集中する。

 だから、気付かなかった。

 だから、一番遅くに気付いた。

 黒柴を囲む、『諤ェ逶玲姶髫』という文字列を刻んだ円環と──

 

「ヒトツ鬼……と呼ぶんですか……」

 

 黒柴が電子的なエフェクトに包まれたと同時に出現した、シルクハットのような頭部の異形たる──快盗鬼に。

 その時、ハルカはサイドミラーを相も変わらず見つめていた。

 その時、ムツキは窓の外の景色に目をやっていた。

 その時、アルは剝がれかけていたメッキをなんとか新しく取り繕おうとして、黒柴に話しかけようとしていた。

 だから、一番初めに気付いた。

 自身を熱心に見つめてくるアルに気付いたのか、黒柴あらため快盗鬼は、怪訝そうな表情を──見えないが──つくる。

 

「あの、陸八魔さん? どうされまし……た…………」

 

 肩に手を伸ばそうとして、自分に起きた異常に気付いたのだろう。気遣いの声は尻すぼみに溶けていき──

 その、結果。

 

「…………」

「…………」

 

 後はもう。

 爆発するだけだった。

 

「ギャ────────────────────────────────────────────────────ッ!!!!!!!!」

「ワ────────────────────────────────────────────────────ッ!!!!!!!!」  

 

 端的に言う。

 えらいことになった。

 

 

 〇

 

 

「────それでっ! どういうわけか説明してくれるかしらっ!!」

 

 だんっ、と机を叩いて、真っ当な怒りを示すアルだったが、すぐに申し訳なさそうな表情で縮こまり、店員が置いて行ったオレンジジュースをストローでちゅーちゅー飲み始めた。なぜか。

 ファミレスであった。

 あの後。

 車内で黒柴がシルクハットを被ったヒトツ鬼と化し、叫んだアルと笑い転げるムツキと狼狽するハルカの手によって危うく事故りかけ、休憩もかねた事情聴取と開けた空間の方が万が一の時に暴れやすいというムツキの提案によって、近くにあった適当なファミレスに腰を落ち着かせて、今に至る。

 それにしても、とカヨコは話を繋ぐ。

 

「まさか、なにか隠してるとは思ったけど──怪物になるとはね」

「そりゃ、誰にだって隠したい事情は一つや二つぐらいあるでしょうけど……それならそうと、先に契約条件で言っておいてくれないっ!?」

「アルちゃん、そーいう問題?」

「そういう問題よっ!!」

 

 そういう問題ではないと思う。

 カヨコは注文したアメリカンで喉を潤しながら、黒柴をじっと見つめた。

 尋常ならざる鋭さを持った眼光は、不可視の刃となって、黒柴の全身を刻み付ける。

 

「そっちが、どういう理由で怪物──ヒトツ鬼になるのかは、この際どうでもいい。問題は、それを私達に隠してたってこと」

「────申し訳ありません」

「……」

 

 黒柴は、弁解をひと言も口にせず、ただひたすら頭を下げるのみだった。その姿勢は頑なで、ちょっとやそっとの衝撃じゃ動きそうにない。いま必要とされているのは謝罪ではなく、事情の説明だというのに。

 埒が明かない。カヨコははあ、とため息を吐きながら、親指で額をかりかりとかく。それから、隣に座ってぶつぶつとなにやら呟いていた途中のアルを見た。

 

「で、社長」

「な、なに?」

「どうするの?」

「どうする、って……?」

「依頼だよ」

「あ……」

 

 そう言われて、黒柴が依頼人だったことを思い出したらしい。アルは目を見開きながら、綺麗な丸になった口の前に、目いっぱいの五指を広げた掌を置いた。この社長大丈夫かな、と思わず不安になる迂闊さだった。

 それでも、便利屋68の最終決定権は、浅黄ムツキでも伊草ハルカでも鬼方カヨコでもなく、陸八魔アルこそが持っているのだ。それはきっと、便利屋68という会社に所属する社員全員が、思っているはずだった。

 いつの間にか、ハルカも、ムツキも、カヨコと同様に、アルに向かって無言の問いを投げ掛けていた。

 三人の視線を受けて、アルはもごもご、と口を動かしながら、そっと俯く。

 

(──危険、よね)

 

 それは、バカでもわかることだ。

 危険を厭っているわけではなかった。だって陸八魔アルはゲヘナで最もハードボイルドで、アウトローで、危険な女なのだから。

 だから危機的状況はむしろ望むところだったし、何かしらワケがありそうな依頼人自身こそが運ぶ荷物──という今回の依頼には、ある種の期待のようなものさえ抱いていた。

 けれど、それでも。

 確かに自分達は、金さえ貰えば何でもするがモットーだ。しかし、仲間をむざむざ危機に晒すような真似だけは、例え目前にいくら金を積まれようとも、縦に頷くことなどあり得なかった。

 悪党らしくないと罵られようが構いはしない。だってそれは、陸八魔アルの絶対に譲れない信念のひとつなのだから。貫くべきだと定めた信念を、他人様からの意見で曲げてしまう方が、よっぽどみじめだとアルは思う。 

 

「──私は」

 

 躊躇いつつも、決断を口にしようとしたその時だった。

 不意に、依頼人の言葉が、頭をよぎった。

 

 ──これはきっと、あなた達にしか出来ない依頼だと思います。

 

「私は───」

 

 ──私はそう信じて、この便利屋68に来ました。

 

「私は───!」

 

 ばっ、と音を立てながら、アルはソファから立ち上がった。

 その表情に、先程まであって憂いや迷いはまるで無い。固い決意と、眩しい信念が介在している顔を見て、社員達の表情もつられて明るさを増す。

 黒柴のしょぼくれた耳を見下ろしながら、アルは尊大に告げた。

 

「私は──私達は、便利屋68。金さえ貰えばなんでもする、無法千万の便利屋よ?

 ヒトツ鬼になる依頼人ぐらい、ハッ! どうってことないわっ!」

「陸八魔、さん……」

 

 黒柴の呆然とした視線に対して、陸八魔アルは、どこまでも悪辣に笑ってみせた。

 

「あなたをD.Uまで運び届けることが、私達に課された依頼──報酬さえ払ってくれれば、怪物になろうがなんだって良いのよ。

 それに、言ったでしょう? 一秒で返り討ちにしてあげるって──だから、安心なさい」

 

 ──決まった。間違いなく決まったわっ!

 

 表面上はアウトローな態度を維持しつつ、アルは器用に、内心で大はしゃぎしていた。

 漫画であれば名コマ、映画であれば名シーン、活字であれば名文。それぐらいの自信が持てるほど、今の自分の姿は決まりに決まっていると、アルは思った。とんとん、と誰かに肩を叩かれたのは、きっとなにかの立派な賞を受け取れるからなのだと、本気で思い込んだ。

 振り向いた。

 店員がいた。

 

「あの、お客様。店内なのでもう少しお静かに」

「あ、すみません……」

 

 超恥ずかしかった。

 

 

 〇

 

 

「で、いつからそうなったの?」

 

 依頼続行を決意して、食うだけ食ってから──支払いは黒柴が持ってくれた──ファミレスを出て、鼠色のミニバンで相も変わらず安全運転を心がけているカヨコが、バックミラー越しに黒柴を捉えながら、そんなことを言った。

 問い掛けの意味を理解できなかったのか。黒柴は怪訝そうに言葉を返す。

 

「いつから──ですか?」

「まさか、初めからそんな体質だったってワケじゃないでしょ。あり得ないとは言わないけど……それにしては、反応が大袈裟過ぎたし」

 

 カヨコの指摘を受けて、黒柴は少し間を空けてから、話し始めた。

 

「──鬼方さんが仰られている通り、私があの怪物……ヒトツ鬼に変わるようになったのは、最初からではありません。つい最近──キヴォトスに、先生が着任した時期ぐらいから、でしょうか」

「……先生が来たとき、か」

 

 頭のなかの情報を整理しているカヨコを放って、黒柴は話を続ける。

 

「少し、自分語りになるのですが……私には、娘がいるんです。今年でもう5歳になります。目に入れても痛くないほどの、可愛い盛りです。

 そんな娘のことを考えているときに──初めてヒトツ鬼になりました」

「……あの、それとあなたがヒトツ鬼になることに、どんな関係あるんですか?」

 

 ハルカの躊躇いがちな問いに、黒柴は答えた。

 

「私がヒトツ鬼になるのは──決まって、娘のことを考えている時なんです」

 

 瞬間。

 黒柴は、ふたたび快盗鬼となった。

 

「……!」

 

 これで快盗鬼の姿を見るのは二度目で、ヒトツ鬼に遭遇するのは四度目だ。流石に慣れて、驚くことはしなかったが──それでも、明らかな異常が形を持って動いていることに対して、どうしても身体の緊張を抑えられない。いくら鉄火場が日常生活のひとつになっていても、彼女達はどうしようもなく思春期真っ盛りの少女であった。

 徐々に張り詰めていく空気の不穏さを悟ったのか、快盗鬼は慌てるように両手を振った。

 

「あ、安心してください! と言っても、安心できないでしょうけれども。皆さんに危害を加えるつもりは一切ありません。この姿でも、理性はちゃんと保てています……今のところは、なんですが」

「そうなの? じゃあ、そのままで良いんじゃない?」

「は!?」

 

 ムツキの提案に、白目を剥いて驚いたのはアルだった。それを見たムツキは、くふふ、といつもの小悪魔めいた笑みを浮かべる。

 

「だってさあ、いちいち変身されては警戒するのって面倒臭いでしょ? だったら、最初っから鬼さんの姿でいてくれた方が色々楽じゃない?」

 

 そ・れ・にぃ、と、目を三日月の形に曲げたムツキは、人差し指の先端をアルの鼻先に据える。

 アルは思う。嫌な予感がする。

 

「アルちゃんは、こーんな鬼さんぐらい、一秒ぽっちで倒せちゃうんでしょう?」

 

 それを言われちゃおしまいである。

 だから、アルは足と腕を組んで踏ん反りかえり、座席に勢いよくもたれかかった。

 

「──当然、じゃないっ!! 

 依頼人、別にそのままでも構わないわよ。いえ、むしろ元々の姿じゃなくなった分、運び屋としての依頼の難易度は下がるんじゃないかしらね! あ───はっはっはっはっ!!!!」

「あ、ヤケクソになった」

「あわわ、アル様……」

「……はあ」

 

 過去の自分に首を絞められた末に、ついにネジのぶっ壊れたアルがあまりにも哀れで、カヨコは視線を外してやることにした。

 だから。

 また、気付くのが一番遅くなった。

 アルと快盗鬼。

 後部座席に並んで座った二人の、僅かなスペースを埋めるようにして。

 どこからともなく現れた───

 

 

 ──『ドン! モモタロウ~ッ! 

    ヨッ! 日本一ぃっ!!』

 

 

 ドンモモタロウに。

 

「……」

「……」

 

 アルと快盗鬼は、虚空からどんぶらこと産まれた、ドンモモタロウを見やる。

 姿勢をかがめて、互いに目を合わせる。

 そして。

 

「ギャ────────────────────────────────────────────────────ッ!!!!!!!!」

「ワ────────────────────────────────────────────────────ッ!!!!!!!!」 

 

 

 言わずもがな。

 本日二度目のえらいことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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