ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのな

 

 

 

 

 

 

 ほんの二、三歩踏み出せば、互いに触れられるような至近距離に敵手がいる場合の近接戦闘において、拳銃よりもナイフの方が遥かに適した武装であることは、疑いようも無い。

 だから錠前サオリは、チンピラから奪い取った防弾ジャケットの裏側にあるホルスターから拳銃を抜き取ると、ろくな狙いもつけずに引鉄を引いた。

 手首が震えるたびに、銃口からマグネシウム色の閃光が迸り、音速の弾が空気の壁を深く切り裂く。

 複数にわたる火線の先で待ち構えているのは──蛇に睨まれた蛙のように動かない、尻餅をついた快盗鬼。

 そして。

 

「──そぉら!」

 

 どこからともなく取り出した奇妙な形の片手剣──ザングラソードを閃かせ、全ての銃弾を切り落としたドンモモタロウだった。

 眩い火花が一瞬だけ弾けて、炸裂音が花を咲いたように宙に散った。それを視覚と聴覚で受け入れるよりも先に、役目を終えて重石と化した銃を投げ棄てたサオリは、ナイフを逆手に握り締めながら踏み込んでいた。

 呼気は短く、されど鋭く。

 一閃。

 

「──ッ!」

 

 右下方から掬い上げられた、流麗な弧を描く刃は、ドンモモタロウの得物を持った側の手首を切り裂き、そのまま腋の下を断ち切る線を乱れなく辿った。

 

「よっとォ!」

 

 だが、ドンモモタロウは初撃を刀身で受け止めると、剣そのものを回転させることで、サオリの斬撃を受け流した。

 同時に、横への薙ぎ払い。

 充分な威力がつく前に、サオリは手を掴んで食い止めると、ナイフの切っ先を鎖骨に向けての垂直の打ち下ろし。ドンモモタロウは、既に勢いのついているそれを、親指と人差し指で刃を挟んで止めてみせた。

 

「──!」

 

 サオリの錐のような眼差しが、一瞬で拡大し、

 

「ここだァ!」

 

 そしてドンモモタロウは、硬直したサオリの側頭部に向かって、肘打ちの如く柄頭を放った。

 確実に意識を消失させるその一撃を、横合いから伸ばした掌底が弾き飛ばす。サオリは掌底を振り切った勢いにあらがわず、その場で独楽のように旋転。回転によって得たエネルギーをそのまま足へと注ぎ込むと、殺意を持たされた金槌を連想させる重たげな後ろ回し蹴りを、ドンモモタロウの首に目がけて撃った。

 ドンモモタロウは大仰にのけぞりながら、嵐よりも暴力的であるその蹴撃を回避。支柱かわりに突き立てていたザングラソードを即席のばねに仕立てあげ、一気に姿勢を回復させる。

 ほとんど同時のタイミングで、サオリもまた姿勢を正し、次なる一撃を繰り出そうとしていた。

 二人は互いに、相手の正体を知らぬまま、互いの視線をつよく交錯させる。

 一秒後。

 踏み込んできた錠前サオリの右腕が、霞んだ。

 

(──右かッ!)

 

 ザングラソードを腕に沿えて、盾のように構えた瞬間、凄絶な衝撃がドンモモタロウの両腕を貫いた。

 

「──なかなか、やるッ!」

 

 肩が軋むようなすさまじい負荷を感じながらも、タロウはその一撃を受け止め切った。そして、サングラスの下で目を大きく見開く。あまりの威力の強さに、驚いたのではない。ザングラソードへと叩きつけられた手のなかに、ナイフが見えなかったからだった。

 ナイフは──自由にしてあった左手に、上向きにされてしっかり握り締められている。

 

「──死ね」

 

 サオリは電撃の速度で持ち替えていたそれを、なんの躊躇もなく、ドンモモタロウの鳩尾へ向かって突きこんだ。鈍く光る切っ先には、明らかな殺意が宿っている。至近距離で、相手に得物は無く、狙いは胴体。それは、回避や防御など決して望めない、確かな致死の一撃だった。

 しかし、ドンモモタロウには通用しない。

 

 ──『ドンブラスター!』

 

 高らかな宣言とともに、虚空から持ち出されたドンモモタロウの片手銃──ドンブラスターが、刃の進行を阻んだ。

 ぎゃりぎゃり、と力と力が拮抗する音が空間に蓄積し、やがてドンモモタロウが刃を跳ね除けたことで、飽和を迎える。ドンブラスターに弾き飛ばされたナイフは、高々と宙を舞い──サオリから遠く離れた場所にあるコンクリートに突き刺さった。

 しかしサオリの思考と身体は止まることなく、鋭い前蹴りが、ドンモモタロウの腹へと叩き込まれる。踵で地面を削りながらも、どうにか倒れることだけは阻止したドンモモタロウを尻目に、蹴り付けた反動でごろごろと後ろに転がり、ふたたび身を起こしたサオリの手には──

 まるで魔法を唱えたみたいに、装弾数三十二発のサブマシンガンがあった。

 銃口を向け合ったのは、ほぼ同時。

 そして引鉄を引いたのも、また。

 

「──!」

「そらそらそらそらぁっ!!」

 

 ドンブラスターの銃口から放たれたキビ弾丸と、サブマシンガンの銃口から放たれた9mmパラベラム弾は、互いに一片のズレもなくぶつかり合った。

 凄まじい速度を持った有形の鉄と無形のエネルギーが虚空で弾け合い、空気が激しく小刻みに振動した。生じた白煙は舞い飛び、大気中の酸素を貪り尽くしながら、その身を膨れ上がらせていく。対照的な色の流線はぶれることなく衝突を続けて、辺り一面を深い霧に包み込んだ。

 

「──」

 

 それまでひっきりなしに響いていた戦闘音が途切れ、嘘のような静寂が訪れる。

 追撃が来ないことを察知したサオリは、銃口を下げて、ゆったりと立ち上がってみせた。そして、濃霧の先で立ちすくむ敵の影──より正確に言えば、その背後を見据える。異形の姿は既に無い。おそらく、突如として勃発した戦闘に避難した群衆に紛れて、逃げたのだろう。

 であれば、ここに留まる意味はもはやない。

 早々に路地裏へと立ち去りかけたサオリの背に、低い声が投げ掛けられた。

 

「待て」

「──」

「ヤツを狙う理由は──なんだ?」

 

 ドンモモタロウの問いに、サオリは足を止める。微かに首だけを振り向かせて、シールドのなかに隠された蒼い瞳を細めながら、ぞっとするほど冷たい声色で告げた。

 

「次は無い。また、邪魔をすれば──お前から殺す」

「──面白い! やってみろ。できるものならな」

 

 最後までドンモモタロウの質問に答えることはなく、錠前サオリは背を向けて、路地裏へと消えていった。濁った煙のなかでそれを見届けると、ドンモモタロウもドンブラスターにセットされたギアを取り外し、元いた場所へと戻っていく。

 そうしてD.U.の街並みは、若干の不穏さを漂わせながらも、元の姿を取り戻した。

 

 

 〇

 

 

 サオリが路地裏を足早に移動していると、不意にポケットに入れていた、仕事用の端末がぶるぶる、と震え出した。

 なんとはなしに取り出してみると、画面には『桃井タロウ』という、この一週間と少しという短い間で、錠前サオリに深い影響を与えた男の名前が表示されていた。そうでなければ、名前を見ただけで頬を緩めることなどあり得ないからだ。

 受話器を取り外す記号の方を押すと、サオリは端末を耳にそっと当てた。

 

「……もしもし」

『アンタか。良かった』

 

 聞こえてきたのは、いつもと何ひとつとして変わらない朗々とした声だった。

 足を止めたサオリは壁にもたれかかると、視界に目いっぱい広がるくすんだ鼠色の外壁を見つめながら、気を抜いた瞬間に上擦りそうな声を制御しつつ、問いかけた。

 

「……何の用だ?」

『──D.U.の街中で、騒ぎがあった。だからアンタの声を聞いておきたかった……様子も、どうもおかしかったみたいだからな』

「──……まさか、私の安否を確認する為の連絡なのか? これは」

『ああ』

「──は」

 

 竹を割ったような返答に、サオリは思わず笑った。笑いながら、いまにも崩れようとしている膝を堪えさせるのに、必死になっていた。たぶん、桃井タロウの仕業だと思う。そう考えると腹が立って仕方なくなるが、それは煮えたぎるようなものではなく、むず痒い苛立ちだった。

 サオリは落ち着くために、浅い呼吸を繰り返すと、何事もなかったような平たい口調を作る。

 

「問題ない……戻るのは、少し遅くなるかもしれないが」

『そうか、なら良い──おれも野暮用ができた。だから、落ち合う場所を変えよう』

「……どこに帰ればいい?」

 

 タロウはそうだな、と一拍置いてから、

 

『シバイヌ宅配便の会社が良いだろう。道は覚えているな?』

「……ああ」

 

 覚えているとも。

 サオリはぎゅっと目をつぶり、声には出さずにそう言った。二度と戻らないと誓っていたくせに、しっかりと帰り道の経路を焼き尽けていた未練がましい自分の脳味噌を、いまだけは褒めたくなった。

 端末を握りながら、サオリはこくり、と頷く。それを感じ取ったように、タロウは話を纏めようと言葉を紡ぎ出した。

 だから、サオリは今しかないと決断した。

 

『アンタなら社長も顔を知っている。きっと、おれがまだ帰っていなくても、会社に入れて貰えるだろう──そろそろ切るが、いいか?』

「アンタ、じゃない」

『?』

 

 馬鹿げた真似はやめろと、頭のなかにいる冷静な自分が叫んでいる。

 しかし、サオリはまるで構うことなく、舌で湿らせた唇を開いた。

 

「───サオリ。錠前、サオリ。それが私の……名前だ」

『……──錠前サオリか。なるほど、良い名前だ』

 

 唐突な名乗りにもかかわらず、桃井タロウは明るい声でそう言った。その混じりっ気のない本音は、ゆえにサオリの耳朶に心地よく馴染んだ。

 そこでついに、サオリの精神は限界を迎えた。震えを吐き出すような、弱々しい口調で言う。

 

「……切るぞ」

『ああ。また、会社で会おう。錠前サオリ』

 

 通話を切る。そしてサオリは端末をポケットに戻すと、壁に後頭部を打ち付けてずるずる、と地面に腰を下ろした。

 自分は、その場から一歩も動いていない。ただ、大きくも小さくもない声を出して二分か三分ほど喋っただけだというのに、サオリの身体には重たい疲労感がべったりと張り付いていた。

 汗の滲んだ両掌で、顔を覆う。

 

「……私は一体、どうなってしまった?」 

 

 誰もいない暗闇に、そんな言葉を投げつけた。

 答えは返ってくるはずもない。それどころか、嘲笑われているような気がするのはきっと、自分が一番わかっているくせに、未だに知らないフリを続けているからなのだと思う。

 ゴン、とひと際つよく打ち付けてから、サオリは痛みとともに立ち上がった。まだ敵は、この街のどこかに潜んでいる。平穏が戻ってきたわけではない。自分はまだ、戦わなくてはならない。

 路地裏に蔓延る闇を纏いながら、サオリはふたたび歩き出した。足取りは強く、迷いや躊躇いは見られない。

 ふと、サオリは空を見上げた。

 そこにあるのは、建物に挟まれて長細い形に切り取られてある、透き通るような青を湛えた、手を伸ばせば吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ空だった。

 

 ──なんで、こんな意味のない苦痛の中で生き続けなきゃいけないの?

 ──寒くて、空腹で、辛くて。ただ苦痛が繰り返される日々なのに。

 ──どうして姉さんはこの無意味な苦痛を私たちに強要するの?

 ──それに一体何の意味があるの?

 

 不意に頭をよぎったのは、いつかの家族から投げられた問い掛け。

 かつての自分は、答えることができなかった。

 何でも知っているフリをしていたくせに、みっともなく声を詰まらせて、情けなく狼狽えることしかできなかった。

 けれど、今の自分ならば。

 桃井タロウに連れられて、数多の幸福と縁に触れられた、自分ならば。

 きっと───

 

「生きているだけでいい。

 生きてさえいれば、いつか必ず。

 私たちの生にも、意味が生まれるんだ───ミサキ」

 

 胸を張って、答えられる気がした。

 

「……だから、」

 

 その前に、とサオリは強く決断する。

 正体が誰であれ、なんであれ。

 あの怪物は────必ず、殺す。

 

 

 〇

 

 

 その瓦礫の山は、かつて立体駐車場と呼ばれていた。

 

 

 三層四段、駐車台数六九八台を誇り、D.U.区民の約八割の駐車経験を受け止めたそこは、今や大小様々な瓦礫の群れと化して、車の一台すら止められない有様になっている。一体なにがあってそうなったのかは、その場に漂う濃厚な火薬と硝煙の匂いから、それとなく察することはできるだろう。

 そんな激しい戦闘の残り香が舞う瓦礫の山のなかに、便利屋68の面々はいた。

 

「──これでようやく、落ち着いて話ができそうね。お互いに」

 

 肩にかけたコートについている煤をはたき落としながら、薄紅色の長髪を靡かせて、陸八魔アルはそう言った。金色の目は細く引き絞られており、睨んでいる相手の心臓を貫かんとするばかりの威圧感で満ちている。

 視線の先にいるのは、縄で縛り付けられた三人の少女だ。

 駐車場の崩落に巻き込まれたせいで薄く汚れた白の制服に、あちこちに擦り傷が付着した防弾チョッキ、そして顔面を覆い尽くした無骨なガスマスク。個性という個性を、あらかたすり潰されたように画一化された見目は、見るものに無機質な不気味さを与えてくる。

 もっとも、浅黄ムツキにとっては、そんな要素など歯牙にかける価値も感じられないらしい。笑みには、獲物を甚振ろうとしている野良猫めいた嗜虐性が満ちていた。

 

「ねーねー。なんで髪型までお揃いにしてるのー? 姉妹?」

「──」

「どこの学園のヒト?」

「──」

「好きな食べ物は?」

「──」

「どうして私たちを襲ってきたの?」

「──」

「今日の下着の色はあ?」

 

 ムツキの如何なる質問にも、少女たちは誰一人として答えなかった。

 はあーあ、と心底つまらなそうに溜め息をついて、ムツキは立ち上がる。スカートについた砂埃を払いながら、凝りをほぐすために背を伸ばした。

 

「ぜんっぜんっ、面白く、なーいっ!! こんなんじゃ、おにーさんがもう一回来てくれた方がよっぽど良かったよ」

「──嫌なこと言わないで、ムツキ」

 

 眉を顰めながらそう吐き捨てたのは、鬼方カヨコだった。どうやら少量の砂が喉に絡みついてしまったらしく、こほこほ、と軽い咳払いを何度か繰り返している。そこへさらに全身に満遍なく巻き付いた汚れが相まったことにより、ただでさえ鋭い少女の目つきは、もはや地獄の鬼も裸足で逃げ出さんばかりの鋭利さを手にしていた。

 そんなカヨコの様子を気遣ったのか。おそるおそる手を上げた、便利屋68最後の一人──伊草ハルカは、気弱そうな口調で言った。

 

「あの、この人たちなんですが、ご、拷問しましょうか?」

「……なに?」

 

 カヨコが呟いた「なに?」は「なにを言っているのか?」の「なに」だったのだが、ハルカはそれを「なにをどういう風に拷問するのか?」と受け取ったらしい。

 足元に転がっている、一つの瓦礫を両手で大儀そうに持ち上げると、自身の目の高さまで掲げてみせた。まるで、聖なる盃のように。

 

「──ここには、こういうゴツゴツしてて、大きさが別れた瓦礫が沢山ありますので……好都合といえば、好都合かと」

「な、なにをするつもりなのよ……」

 

 瓦礫を弄ぶハルカの横顔に危険な色を見て、アルはぶるりと身体を震わせる。だが、すぐさまそれを外気の仕業に仕立てると、大袈裟に髪をかき上げて、

 

「──拷問は必要無いわ。こんな場所でやっても、スマートじゃないし。それに真のアウトローっていうのはね、コトは手短に済ませるものなのよ」

 

 アルの言葉を聞いたハルカは、雷鳴に打たれたように表情を固まらせて、

 

「そ──そうだったんですねっ! なのにわ、わたしは、一人で勝手にあ、焦って、アル様の名誉に傷をつけかけて──あぁ! もう、あアッ! わたしッ、自爆します自爆します自爆します自爆しますうっ!!」

「ギャッ! ちょっ、ストップストップストップ──────────ッ!!」

 

 懐から取り出したダイナマイトの導火線に火を点けかけたハルカを、アルは必死の形相でしがみつくことで止めた。

 先程までの不穏さが嘘のような喧噪が、たちまち辺りを覆う。くすくす、と肩を揺らしつつ、二人の愉快なやり取りを見ているムツキを眺めながら、カヨコが気が抜けたように肩を落としていると、不意に少女たちが縛られている方向から、笑い声が聞こえた。

 硝子同士を擦り合わせているような、ひどく、耳障りな笑い声だった。

 

「──お前達の行いは、無駄に終わる」

「……」

「この世のすべてに、意味などない。行き着く先には虚無しかない。何を成しても残らない」

 

 その言葉は、呪詛と呼ぶにはあまりにも芯が無かった。風が吹き抜ける音がそのまま聞こえてきそうなほど空っぽだった。

 だというのに、その内壁には怖気のするような粘着質な感情が、隈なくこびりついているのが感じ取れた。

 背筋に得体のしれない寒気を感じて、思わずカヨコは一歩退く。

 カヨコが抱いたそんな恐怖をかき消すように。

 陸八魔アルは、大きく踏み出してみせた。

 

「進んだ先には何も無いって、ハナから諦めるのは、誰にでも出来ることよね──だからっ! 私たちにはまるで縁が無いわっ!」

「──社長」

「私たちは、便利屋68。金さえ貰えればなんでもする、天衣無縫のアウトロー───行き先に何も無いですって? 上等。それなら、一から作ってみせようじゃない!」

「──」

 

 コートをはためかせながら、アルはどこまでも高らかに宣言する。それはどこまでも真っ直ぐで、おもわず笑ってしまうほどの自信に満ち溢れていた。だからこそ、カヨコの足にしがみついていた鎖をひとつ残らず焼き尽くした。

 カヨコは一息ついてから、ようやく、いつもの様子を取り戻した。

 

「……指名手配のリストには載ってない。けど、危険人物なことに変わりはない。D.U.だし、ヴァルキューレに突き出すにはちょうど良いね。賛成の人」 

「はーい!」

「ご、拷問が駄目なら……」

「ちょ、待ちなさいってばっ! そーいう大事な台詞は私が、こう、良い感じに……」

 

 カヨコの問いに、ムツキは元気よく返事をし、ハルカはひっそりと主張する。アルは置いてけぼりを喰らって、あわあわと三人の仲間達を見回していたが、お気に入りのコートの端が破けてしまっていたことに気付くと、憤慨を露わにして賛成の意を示した。

 

「反対無し──じゃあ、決まりだ。早速連れていこう」

 

 そう言って、カヨコはふたたび、三人のガスマスクに目をやった。

 ガスマスクは、地面のなかに沈み込もうとしていた。

 

「────!?」

 

 カヨコの思考の歯車が、たちまち末端まで凍り付く。

 目の前で繰り広げられているその光景は、決して比喩などではなかった。ガスマスク達は、地面の下に潜むなにかに引き摺りこまれているかのように、あるいは、カヨコ達には絶対に見えない扉を潜り抜けている最中のように──アスファルトの奥へと消えようとしている。

 

「──カヨコちゃんどいてッ!!」

 

 すかさず反応を見せたのはやはり、行動隊長と特攻隊長を兼ねているムツキだった。彼女は自身の得物──トリックオアトリックを構えると、カヨコが射程圏内から飛び退くギリギリのタイミングで、大量の銃弾をばら撒く。

 空間そのものが内側から弾けたかのような爆音が走り抜けた。

 新たな粉塵が濛々と立ち込めて、ぱらぱら、と辺りに飛礫の雨が降り注ぎ始める。視界を隠していた腕を下ろし、カヨコは自らもまた愛銃を握り締めながら、先程までガスマスク達が縛られて──沈んでいた位置へと突入する。

 銃口を向ける。

 しかし、その先にはもはや、誰の姿も無かった。

 文字通り、跡形も無く。

 

「……何だったの、アイツら」

「もしかして幽霊だったりしてねえ。そうだったらどうするぅ? アルちゃん。あーんな啖呵切っちゃったんだから、憑け狙われたりしちゃって♡」

「そ! そそっ、そそそそそそそんなこと! あああっ、あるわけないじゃないっ!!」

「あっ、アル様! アル様に近付く不届きものは必ず排除しますのでっ、どんな手段を使ってでもっ」

 

 カヨコは背後で繰り広げられている寸劇を無視して、辺りを探索する。

 例えば──どこかの陰に機材を設置しておいて、地面に沈んでいくというあり得ないホログラムを、自分達の前面に投影したというのはどうだろう。

 そうして自分達が間抜けに気を取られている隙に、ガスマスク達はその場から逃走。ついでに機材を回収して証拠を残すことなく、撤退──現実的に考えるなら、こんなところか。

 だが、あの戦闘の最中に、機材を設置する余裕があるとは思えなかったし、そもそもここの立体駐車場が半壊したのは、半ば自分達のせいなのだ。

 つまり、この案を採用するということは、ガスマスク達はこうなることを最初から想定していたというわけで──それはあまりにも、現実味に欠けている。地面に見えない扉があると考えるよりは、よっぽど。

 

「……」

 

 考えれば考えるほど深みにはまっていく予感がして、カヨコは思考を止めた。とにかく、いまはあり得ないことが目の前で起きたことだけを、認識しておけばいい。

 

「それで、どうするのー? あのコたち追っかける?」

「そんなわけないでしょ。運び屋の依頼はまだ終わってないわ──逃がした後に、依頼人がどこに行ったかは……ちょっとわからないけど」

「あ、あの人には、ヒトツ鬼になった時に発信機付きの爆弾を取り付けたので、それを追っていけば分かるかと思います……」

「…………今度から、許可を貰ってからやりましょうね。ハルカ」

 

 ひとまずは足を調達する必要があるなと、灰色の山を見回しながら、カヨコは考える。

 その最中、ガスマスク達がいた場所に、なにかが光を放ちながら落ちているのが見えた。

 

「……?」

 

 怪訝に思ったカヨコは近付いて、それをそっと拾い上げる。

 それは、八つの角を身に付けた赤いギアだった。大きさは掌に収まる程度で、中心には人物像らしきイラストが描かれている。

 ヴァルキューレの生徒が被っている制帽に似た仮面を、顔面に貼りつけたその人物を、カヨコはどこかで見たような気がした。

 

「──」

 

 しばらく考え込んで、ようやくカヨコは思い当たった。

 思い出すのも嫌になるアレに、よく似ているのだ。

 

「──……ドン、モモタロウ?」 

 

 

 〇

 

 

 また、どこかで爆発が起きた。

 

 

 ヒトツ鬼特有の超聴覚でそれを聞き取った快盗鬼は、足を止めて、ふたたび方向転換をする。それからまた、周囲の人々の記憶を消しながら、落ち着ける場所を求めて走り続ける。

 時間にして、まだ数時間と経っていないだろう。しかしいまの快盗鬼には、数十日もこの状況が続いているような気がしていた。誰にも頼れず、なににも触れられず、逃げ回るしかないこのどん詰まりの状況が。

 

「はあ、はっ、は────!」

 

 望むべきではないことを、望んでしまった罰を受けているのかもしれない。

 走りながら、快盗鬼はそんなことを考えた。初めてヒトツ鬼になった時──『娘にはもう二度と会わない』と、彼は心に誓った。けれど、今年の誕生日だけは、どうしても祝ってやりたかった。二度と祝えないかもしれないから。だからヒトツ鬼化をどうにか制御できるように訓練を重ねて、万が一の事態に備えるために便利屋68に頼った。

 そのザマが、これだ。

 

「はっ、はは……」

 

 腹の奥からこみ上げてくる自嘲の笑いを、堪えることは困難だった。震える喉をそのままにしながら、人目につかない路地裏へと踏み込み、駆け飛ぶように走る。それは、自分の行こうとする先で度々巻き起こる爆発音から逃れるためでもあったが、傍から見ればまるで誰かに誘導されているような挙動となっていることに、彼はまだ気付いていない。

 やがて、快盗鬼の視線の先に、あちこちの塗装が剝げた廃ビルの姿が見えてきた。

 

「……」

 

 取り壊し前らしく、人気は絶えていた。周囲には危険を示す黄と黒が交互に連鎖した、警告色のロープが張り巡らされている。快盗鬼はロープをくぐり抜けながら、静かになかへと踏み込んで、ビルの構造を確認した。

 七階建てのマンションで、上から見るとカタカナのコの字をしているらしい。現在、快盗鬼がいる場所はコの下の線の右端で、そこは北棟の入り口であることが、壁に設置されているボロボロの見取り図からわかった。

 しばらく眺めて、階段や非常口の所在を頭に叩き込んでから、快盗鬼は潜伏場所である南棟五階の502号室へと出向こうとして、

 

「──動くな」

 

 背後から突きつけられた銃口に、動きを止めた。

 声がくぐもって聞こえたのは、ヘルメットを装着しているからなのだと、丸みを帯びた影を見て気付く。だというのに、背中に突き刺さる視線には、刺し貫いてくるような肌寒さが籠っているのがありありと分かった。

 逆らってはいけない。

 

「壁に両手をつけろ。そのまま動くな」

 

 声に従い、快盗鬼は両手を上げて壁につけることで、降参の意を従順に示す。直後、膝裏に激痛が走り、崩れ落ちるように膝をつく。

 蹴られたのか──と、頭のなかで吞気に手際の良さを称賛していると、頭に移動した銃口がこつ、と軽い音を立てた。

 

「──幾つか質問をする。必ず答えろ。でなければ撃つ」

「──分かりました」

「一つ、お前は何者だ」

「それは……私が、このキヴォトスのどこの誰か、という意味でしょうか」

「素性だけで良い。余計な口を叩くな」

 

 快盗鬼は少し考えてから、自らの名前と職業、さらに家の住所を答えた。ただし口に出したのは、今なお娘が暮らす場所ではなく、自分一人で住んでいる場所だった。

 

「──私が、いま住んでいるのは……D.U.の芝タウン39番地二丁目にある、メゾンマメシバです。ポケットのなかの鍵が、その証拠になります。401号室の」

「……二つ、その姿は──なんだ」

 

 その質問が出された瞬間、場の空気が一気に重圧を増した。息苦しさを感じながら、快盗鬼はありのままを話そうと口を開く。元より、それ以外の道を知らなかった。

 

「気が付けば、こうなっていました。それ以外はなにも知ら────あ、づッ!」

 

 そう口にした瞬間、脇腹が突如として熱湯をぶち撒けられたように熱くなり、その直後に鮮烈な痛みが炸裂した。撃たれたのだと判断した時には、振り向かされ、片手に首を強く掴まれながら、壁に押し付けられた。

 ようやく見えたヘルメットの、茶褐色のガードの下から透けて見えるのは──激しい憤怒に青く燃えている、切れ長の眼差しだった。

 

「何も、知らないだと? ──この期に及んで、そんな姿をしておいて、まだそんな馬鹿げた言葉を吐くのか?」

「ほっ、本当、ですっ。わたしは……ぐう、何も知りません……っ!」

「──ふざけるな」

 

 ヘルメットの首を絞める手の力は、弁明を繰り出す度に、加速度的に増していっている。その原因が、かつて似た姿の怪物──ヒトツ鬼に家族を傷つけられた怒りによる視野の狭窄にあると、快盗鬼はまったく知らない。

 

「た、たす、誰かっ! 助けて……っ!!」

 

 それゆえに、もはや律儀に問答に付き合っている場合ではないと、ひたすらにもがき出した。なまじ、ヒトツ鬼という尋常ならざる存在と化していたこともあったのだろう。それがさらにヘルメットの怒りを買うと、普段であれば勘付いたところを、彼は気付かずに暴れた。

 

「────!」

 

 ゆえに、ヘルメットは──錠前サオリは、快盗鬼の首を片手で絞めながら、その土手っ腹に銃口を突きつけた。そして何度も何度も、引鉄を引いた。

 手のなかの快盗鬼の動きが、段々と弱まってくるのを感じても、構うことなく撃ち続けた。発砲の際に生じた光が視界を白く染め上げて、マンション内に反響している銃声が鼓膜を支配しても、全てを無視して撃ち続けた。

 だから、気付かなかった。

 背後に突如として現れた、銃を構えたガスマスク姿の少女と。

 一片のブレもなく据えられた銃口より放たれた、青い光を弾頭に蓄えた一発の銃弾に。

 その銃弾はサオリを通り過ぎると、快盗鬼の横腹に命中した。

 瞬間。

 

「な、に────!?」

 

 突然その場に生じた莫大なエネルギーに、サオリは吹き飛ばされた。

 至近距離で爆発を受けてしまったように、地面と平行になりながら、やがてサオリは成す術もなく入り口の扉に叩きつけられた。全身が、押し潰されたかのような苦痛につつまれる。

 吐き気を催したかのごとく、細やかな点滅を繰り返すサオリの視界の先で、快盗鬼は悶え苦しみながら、自身の身体を光り輝かせていた。

 そして。

 快盗鬼の周囲に、一つの輪っかが生れ落ちた。その輪っかに書かれてある文字は化けていて、誰にも読むことはできない。それでもサオリには、理解できる事実が一つあった。

 いま、この異形は──進化を果たそうとしている。

 

「────ぉ゛、お゛、るるる゛あ゛あ゛ああ゛あああ゛ああ゛ッ!!!」

 

 快盗鬼が巨大な遠吠えと放つと同時に、化けた文字列がひと際その大きさを増す。

 二つのクレストを引き連れたそれには、こう書かれていた。

 

 

 

 

 ────────≪蠢ォ逶玲姶髫革s隴ヲ蟇滓姶髫(快盗戦隊vs警察戦隊)≫と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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