ドンブルーアーカイブ 作:鰻の蒲焼
どうしてもあなた様の笑顔が欲しいと、思ったのです。
どうしようもなく、思ってしまったのです。
〇
それからユウカ達は部室前から移動して、キャンパス内にある広場のひとつに来ていた。
はるか彼方で静かに佇むサンクトゥムタワーの巨体が、陽に照らされて淡い光を灯している。頭上に広がる空は濃い青で彩られており、ときおり通り過ぎる雲でさえも一瞬真っ青に染まって見えるぐらいだった。
お昼を過ぎて授業がひと段落したからだろうか。和やかに談笑していたり、何かの設計図を広げてああでもないこうでもないと議論する生徒達の姿が広場にはそれなりにあった。
そんなお手本のような昼下がりの光景を、ユウカは誇らしく思う。きっと、生粋のお嬢様校と名高いトリニティにだって負けやしない。気品よりも知性が勝っているのは絶対不変の真理なのだから。
だが、今はあまりいて欲しくなかったというのが正直な話だった。
四方八方から突き刺さる視線、視線、視線。
重圧さえ感じてしまいそうな膨大な眼球の矢印の先にあるのは、隅のベンチに並んで座っている自分──早瀬ユウカと、天童アリス。
そして、
桃井タロウ。
見逃すことのできない、明らかな異物達がそこにはいた。
大変不本意ながらセミナーの『冷酷な算術使い』として名を馳せている自分や、変わり者のゲーム開発部員として知られているアリスが注目されるのは、わかりたくないがわかる。それならまだため息は吐くが納得はしてやる。
だがしかし、辺りを行き交う少女達の視線は、どちらかといえばタロウへ集中しているように感じた。
それは決してユウカの気のせいではなく、「あれが例の……」だとか「実在したんだ……」だとか、視線だけに留まらず何やらひそひそと言葉まで交わしあっているのが聞こえてきた。まるで妖怪を見てしまったみたいな反応だった。確かに妖怪みたいな存在ではあるが、何もそこまで注目しなくたっていいんじゃないかと思わないでもない。それは決して思いやりではなく、そばにいる自分とアリスにまで被害が及んでいることを厭っての感想であった。
しかしタロウは一切動じず、石像のように腕を組んで、ひたすら正面を見据え続けている。
なるほどこれは確かに──とユウカは密かに感心する。連邦生徒会の激しい追求にもビクともしなかったという噂話に違わぬ精神力だった。
「何をジロジロ見ている」
「大したことじゃありません。ただ、あなたの神経の図太さを改めて実感していただけで」
ユウカのじとついた目線と言葉を受けて、タロウはただ静かに笑った。
「当然だ。おれは決して揺らがない。なぜなら、おれはこの世で唯一無二の存在だからな」
「唯一、無二……」
ユウカはそんなことを言われたから、タロウが二人に増えた絵面をふと想像してみた。
二重になった喧しい高笑い、二重になった諸々の問題、二重になった各所からの苦情、二重どころか十重二十重にも重なった始末書──
瞬間、胃と頭に雷鳴のごとき鋭い痛みが走った。これは、よくない。非常によくない。今すぐにでもゴム弾をこめかみに叩き込んで記憶を失った方がいくらかマシな妄想だった。
「──要するに、二人は探索クエストの最中というわけですね! とても楽しそうで、アリスは羨ましいです!」
ユウカが頭を振って心身に危険を及ぼす妄想をどうにか払い除けようと努力する一方で、シャーレからいなくなってしまった先生を二人で探していることをタロウから言葉少なに教えられたアリスは、好奇心にきらきらと目を光らせながらそう纏めた。
「た、楽しそう……?」
「はい!」
別にやっていることは間違っていない。いないのだが、楽しそうだと言われると心の底から否定したくなった。雨のように銃弾を撃ち込まれたり、無理やりハンドルを任されたりする事態がとっても楽しい訳が無い。
しかしユウカが大人しく黙ることを選んだのは、続いたアリスの言葉が落ち込んだものだったからだ。
「けど、すみません……アリスはユウカ達が探し求めているNPCではないのです……」
「その、別に謝らなくてもいいのよ? 先生がミレニアムに寄ったって確証があった訳でも無いんだから」
「いいえ! アリスは自分が不甲斐ないですっ。せっかくタロウに良いところを見せるチャンスでしたのに……」
アリスはそう呟くと、唇をきゅっと噛み締めながら俯いた。透き通った眼差しがうつむき加減になったことで、曇ったような翳りを宿している。
なぜアリスという少女がここまでタロウに懐いているのかは理解できない。だが、取り敢えずフォローするようにという意志を込めて、ユウカは傍らのタロウを見上げた。
タロウは切実なその視線をしっかり受け取ると、横目でアリスのヘイローを見下ろしながら告げた。
「問題ない。あまり気にするな」
「タロウ……!」
「最初からそうだろうと予想していた」
「タロウ……」
頼った私がバカだった。
心無い言葉を受けてアリスの周囲がさらに澱む。タロウの脇腹に肘鉄を喰らわせながら──当たり前のように受け止められた──ユウカは、どうにかしてこの重苦しい空気を打破しようとした。その時だった。
「──あれ? なになに、タロウじゃーんっ!」
「わ、ユウカまでいる……」
どこからともなく歩いてきたのは、アリスと同じゲーム開発部の部員である才羽モモイとミドリの姉妹だった。どうやら買い出しに出かけていたらしい。二人の片手にはお菓子やジュースやエナドリが詰め込まれたレジ袋が握られていた。
リボンや髪の分け目や服の色合いなど細かい部分以外はそっくり似通っている少女達は、どんよりと落ち込んでいるアリスと、落ち込むアリスの背中をさすっているユウカと、腕を組んで身動き一つしないタロウを順繰りに辿った後でお互いの顔を見た。
そして、揃って頷き合う。ユウカは嫌な予感がした。
「……事案かな?」
「……事案かも」
「断じて違うっ!!」
肩を怒らせて立ち上がったユウカに、モモイは頭の後ろで手を組んでけらけらと笑いながら答えた。
「冗談冗談。ほら、一度はネタっぽい選択肢も選んでおかないとさ。そっちでしか回収できないスチルがあったりするんだよね」
「そうそう。全部のルートをクリアして全回収できたと思ってギャラリーを覗いたら、実はまだ二、三枚回収できてなかったりして、前後のスチルから予想したシーンまで泣く泣くフローチャートを見返す羽目になる……」
「あれはキッツイよねえ」
二人はユウカにはまったく理解できない話題で頷き合っていたが、やがてモモイが気を取り直したかのように咳払いを一つして、
「それで、どうしたの?」
「何がだ?」
「何がだって、タロウが用もなくミレニアムに来るワケないじゃん。そりゃ、来てくれると遊べるから嬉しいんだけどさ……だからここに用事でもあったのかなぁ……って、あーーーっ!!」
「うるさっ……なに? どうしたの?」
唐突に叫び出した姉を迷惑そうに見やるミドリを放ってモモイはタロウにぐいぐい詰め寄った。
「頼んだ荷物届くのが今日なこと忘れてたっ!! ──ねえタロウ! いま車の中にある!? 私の愛しの新作ゲームっ!!」
「いや、無い。アリスが代わりに受け取った」
「ほんと? 良かったあ……」
ほっと胸を撫で下ろすモモイにタロウは断固たる口調で告げた。
「だが、もし持っていたとしても、再配達依頼が無ければ渡せない」
「相変わらず堅っ苦しいな〜。いいじゃん受け取りたい本人がいるんだから、そんなにキチッとしなくたって」
「規則は守るためにある。社長の信頼を無碍にはできない」
「ふーん」
タロウはどこまでも頑なだ。モモイも最初からそれはわかっているようで、ぶー垂れながらも大人しく引き下がる。そしておもむろにタロウとアリスの間に腰を下ろすと、懐から取り出した携帯用ゲーム機──ゲームガールズアドバンスSPを片手にあれこれと話し始めた。
ユウカは眉をひそめて思う。この二人、なんだか随分──
「距離が近い、でしょ?」
「み、ミドリ……」
滑るように近くに来たミドリが、ひそひそ声でそう囁いた。
「お姉ちゃんとタロウさん、よく一緒にゲームしてるから。そのせいかもね」
「……いつの間に?」
「最初に配達してくれた時からずっと」
聞けば、ゲーム開発部との出会いもやはり例の言葉から始まったそうである。これでおれとアンタは縁ができた。何か困ったことがあれば相談しろ──強引にも程がある縁結びにも、流石、モモイはいつも通りだった。じゃあ一緒にゲームして? いまちょうどミドリもユズもアリスもいなくてさぁ。あっ、ミドリっていうのは私の妹で、ユズは部長で、アリスは新しく入った部員のことなんだけど、まあそれは置いといて。とにかく配達員さんを入れたら二人になるから、これで対戦ができるんだよね! だからお願い! 私とゲームして! そして、やはりタロウはこう答えた。良いだろう、やってやる。
ユウカにとって意外だったのは、その結果だった。
「──タロウが勝ったの!?」
「そう。しかも、今のところ全戦全勝。私が知る限りね」
「それはその……凄い、のよね?」
「まあ、そうかな。お姉ちゃんの腕前はお世辞にも上手いとは言えないけど……それでも、初心者相手にボロ負けするほど、落ちぶれては無いと思うよ」
ミドリはそう言うと、モモイとようやく回復したアリスに挟まれてゲームトークの渦巻きに翻弄されているタロウに視線をやった。
「私も、途中からプレイを見させてもらったんだけど──天才肌、っていうのかな。ああいうの。自分がいまどう動くべきなのか、どうすれば勝てるのか、頭から爪先まで全部わかってる感じ。
さすがにユズには負けてたけど、なんだかんだで食らいついてたし、たぶん回線側で問題があったのかなって感じのプレイだったし……凄いことは凄いけど、なんだか怖いよね」
「……ミドリ」
「良い人なのは、間違いないけどさ」
ぽつぽつと零されたミドリの言葉に、ユウカは何も言えない。
何故かはわからない。だが、すぐ近くにある筈の喧噪が、分厚いコンクリートの壁に阻まれているように感じた。
〇
「ええっ!? 先生が行方不明にっ!?」
「だからほんとうるさいってお姉ちゃん……」
自分とタロウが荷物を配達し終わった後でもまだミレニアムをうろついている事情を説明すると、ソファに座っているモモイは身を乗り出して叫んだ。隣のミドリは耳を抑えて疎まし気な視線を姉に押し付けている。
才羽姉妹と合流した後、ユウカとタロウとアリスはゲーム開発部にとんぼ返りしていた。外だと色々と都合が悪いからだ。ソファの前に置かれたテーブルの上に広げられているのは、パーティー開けされたスナック菓子と、ジュースがなみなみと注がれた数個のコップ。完全に友達が家に遊びに来た中学生の部屋だった。とてもじゃないが、先生の行方不明という重要事を話す気分にはなれない。
「それで先生は見つかったの? ……まあ、ここで管巻いてるんだから、無いか」
「そりゃあますます一大事じゃんか! ねえねえ、私もそのクエストに加わっていい?」
「モモイが なかまに なりたそうに こちらをみている! ユウカはどうしますか?」
「まあ、人手が増えるのは有り難いけど──……ゲーム開発部としての活動は? 大丈夫なの?」
床に散乱していたシナリオ原案の没用紙を拾い上げて、ユウカは尋ねる。するとモモイは目をつぶってふっふっふっと自信ありげに笑ってみせた。
「容易い、容易いことだ……俺にとっては……」
どうにもダメそうだった。
呆れと疲れを撹拌したため息を吐き、ミドリは話題を続けた。
「──お馬鹿なお姉ちゃんはほっといて……でも、そうだね。せっかくだし私も協力するよ。先生のこと、心配だし……ちょっとだけ」
「そんなこと言っちゃってえ~。ほんとは今すぐにでも探しに行きたいんでしょ? というか、電話すればいいじゃん、せっかく個人用の番号もらったんだから」
「ちょっとお姉ちゃん……!!」
「個人用の……番号……!?」
ユウカは死角から一発KO級の右ストレートを叩き込まれたような気分になっていた。焦ったミドリの紅潮した頬を見る限り、見栄を張っての嘘ではない。
いつ、どこで、どんな風に。
疑問がぐるぐると稼働中の洗濯機のように頭のなかで果てしなく回っている。じわじわと胸にしみ込む黒いモヤ。私でさえ、まだメールアドレスまでしか交換できてないのに──
極まりつつある混乱をどうにか乗り切ろうと藻掻くユウカを続けて襲ったのは、タロウの言葉だった。
「無駄だ」
「えー、なんでタロウにそんなこと分かるのさ」
「おれも電話したが出なかったからだ。恐らく電源を切っているか、切られている」
どうしてお前も知っている───
色々と限界だった。ここまで我慢したことを褒めて欲しかった。火が点いた導火線をギリギリまで見守っていられたのは、ひとえに自分がセミナーの会計という重要な立場にあることを自覚していたからだ。爆発するのは楽だ。しかしその後処理は自分が走り回る羽目になる。だからこうして穏やかな眼差しを整えていられた。
だが、
もう。
「あのね────」
結局、ユウカの爆弾は不発に終わった。
なぜか。
それ以上の爆弾が、ゲーム開発部の扉をぶち破ってやってきたからだ。
「────桃井タロウは、いるか?」
その爆弾は、ダブルSMGを携えていた。
その爆弾は、メイド服の上から龍柄のスカジャンを羽織っていた。
その爆弾は、名前を美甘ネルといった。
「ね、ネル先輩!?」
「どうしてここに……」
「──ひ、ひかり」
「わーーーっ!! アリス、ストップストップっ!!」
突然の登場にモモイは仰天し、ミドリはおののき、そしてアリスはレールガンを放ちかけた。
ユウカは危うく顕現しかけたカオスを見てどうにか冷静さを取り戻すと、足跡がくっきりついた扉をまず視界に入れた。
「……メイド部はいつから足で扉を開けるようになったの?」
「てめぇの小言はどうでもいい。ゲーム開発部にも今のところ用は無え。あたしがここに来た理由は……たった一つだけだ」
そう吐き捨てると、ネルはずかずかと遠慮なく部室内に踏み込んできた。迷いのない足音は、やがて一人の人物の目の前にたどり着いて止まった。
桃井タロウの、目の前だった。
ネルの刃物のような視線と、タロウの超然とした視線が宙で火花を散らす。
口火を切ったのはネルだった。
「──よお、桃井」
「アンタは……いつかのメイドか。久しぶりだな」
「へぇ、覚えてくれてんのか? だったら嬉しいぜ。あの夜、とことん戦り合った甲斐があった」
「そうか。なら良かった」
獰猛な笑みを浮かべるネルとは対照的に、タロウはどこまでも静かだった。
まずい、とユウカは思う。
二人が知り合いらしきことに、もはや突っ込む気力は無い。けれど、桃井タロウと美甘ネルの相性が如何程のものか──計算するまでもなく理解できた。
間違いなく、最悪だ。
その証拠として二人が言葉を交わす度に、部室内の空気がどんどん重くなっていっているし、ミドリとモモイは密かに逃げる準備をしていたし、アリスの顔の輪郭は段々と溶けていっていた。一体どうなってるんだろう。
「ここに寄りついてんだ、どうせヒマなんだろ? だったらあたしに付き合えよ。最初に言っとくが、嫌だとは言わせねぇからな」
「生憎だが断らせてもらう。おれは仕事中だ。それに今は、ユウカ達に付き合っている」
「そう言うなって。あたしは続きをしたいだけだ。あの時は、最後の最後に邪魔が入っちまったからな……キッチリカタをつけとかねぇと、お互い気分が悪いだろ?」
「しつこい。お前に構ってる時間は無いと言っているんだ」
ぴき、と血管が浮き出る音がやけに大きく響いて聞こえた。
「……そうだ、その物言い。相ッ変わらず、面白い程気に食わねぇヤツだよ、てめぇは──……!」
ネルの小さな身体から迸っていた戦意が、ひと際大きな膨張を見せた。
ネルの導火線はユウカのそれとは比べ物にならないぐらい素早く着火する。部屋に入ってきてからたった一分かそこらで、雰囲気が悪化の一途を辿っているのがいい証拠だった。
ユズは何をやっているのか。ユウカは縋るような思いで部長を務める少女の定位置であるロッカーを見てみると、そこだけマグニチュード7以上の地震が起きているみたいに小刻みに振動を繰り返していた。もはやゲーム開発部は崩壊寸前であった。
それを食い止めたのは、つけっぱなしのテレビから放たれたニュースだった。
『速報です。D.U中央通り沿いのビルで立てこもり事件が発生しました。
容疑者はヘルメットを被った集団であり、『シャーレの先生を人質にしている』という宣言から、連邦生徒会を標的とした────』