ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのに

 

 

 

 

 

 正義実現委員会に所属する下級生のご多分に漏れず、下江コハルは羽川ハスミにたいそう憧れていた。

 

 むしろ正義実現委員会の一員であれば、羽川ハスミに憧れるのは絶対に通る道なのだと、コハルは心からそう思う。確かな実力、気品のある立ち振る舞い、副委員長という立場に驕ることなく日々研鑽を続ける謙虚さ──正義の二文字を掲げる者として、これ以上にふさわしい人物がいるだろうか? コハルは胸を張って断言できる。トリニティ中を探してもいないと。

 だからこそ、ハスミから呼び出しを受けた時、コハルは嬉しさよりもまず先に戸惑いを──あるいは、恐れを覚えてしまった。呼び出される理由が皆目見当もつかなかったからである。

 

 ──何かしちゃったかな、私。

 

 待ち合わせ場所である公園へと向かう途中、ふと目に入った往来の窓に映る自分の表情は、濃い不安の色に塗れていた。

 だが、とコハルは怖気づく自分を追い払うべく頬を叩く。まだ叱責を受けると決まったわけではない。もしかすれば、知らぬうちに光るものを見出されていて、それについて言及されるのかもしれない。

 いや、そうだ。そうに決まっている。最近はいつものように押収品の管理しかやっていないが、絶対に間違いない。

 根拠の欠片もない自信に支えられ、精神の復調を果たした彼女の足取りは軽快さを増した。ぱたぱた、と頭の羽を動かしながら、階段をリズムよく降りてゆき、遮るものがなにもないせいで日差しが燦々と降り注いでくる石畳の道を進む。

 やがて、目的地である公園が遠目に見えてきた。羽川ハスミは設置されている長いベンチのひとつに座りながら、待ち人が現れるのを待っていた。

 墨を流したような黒髪が陽に照らされて、さらには風に揺れ動き、艶やかな光を辺りに散らしていた。肌は透き通るように白い。髪だけではなく、身に纏った正義実現委員会の制服が、その白さをより一層際立たせているのだろう。わずかに伏せた睫毛の下では、紅色の瞳が冷えた理知の輝きを宿して佇んでいる。

 そういった諸々の要素が重なり、彼女の相貌に侵しがたい静謐さを与えていた。

 

「──……」

 

 追い払ったはずの弱気の虫が土の下からうぞうぞと湧き出す。だが、ここまで来ておいて、引き返すわけにはいかない。踏み潰すかのような力強い足取りで一歩を踏み出して、少女は憧れの人の元へ辿り着いた。

 

「──あ、あの、ハスミ先輩! お疲れ様ですっ」

「……? あぁ、コハルですか」

 

 時間を潰すために持ってきた本から顔を上げて、羽川ハスミは下江コハルの姿を認めた。ぱたり、と閉じた本を白く眩しい腿の上に置くと、少女が自らの隣に来るように促す。

 

「立ったままでは辛いでしょう。スペースも充分ありますので、どうぞ座ってください」

「は、はい。失礼します」

「ふふ、そうかしこまらなくても大丈夫ですよ」

 

 コハルは油をさし忘れられたかのようなぎこちない動きで、ハスミの横に座った。スペースがあるとは言われていたけれども、なんだか圧迫されている感が──精神的にも物理的にも──凄いと彼女は一瞬思ったが、なにも言わず黙っておくことにした。憧れの人が容易に触れられるほど、すぐ傍に座っているというシチュエーションは、そのような些事など一撃で吹き飛ばしてしまうのだ。

 緊張に身を縮こまらせるコハルを案じたのか、ハスミは柔らかく笑った。

 

「正義実現委員会には慣れてきましたか? 辛かったりはしませんか?」

「えっと、はい。なんとか、おかげ様で。辛いことも……今は、特にありません。マシロとか、ツルギ先輩とか、それからハスミ先輩みたいに、前線で活躍できてるわけじゃないですから。私」

 

 コハルの唇から零れたのは、先ほどまでの自信過剰っぷりが嘘のような自嘲だった。表情にわずかな翳りが差し込む。隠す気にはならなかった。憧れの人の前だからこそ、情けない自分よりも、それを押し隠そうとする自分を見せたくなかったのかもしれない。

 

「……コハル」

 

 コハルの変化を察したハスミは、膝の上で固く握られている少女の手にそっと触れた。

 

「──確かに、今のあなたが担当している仕事は、私達に比べると地味かもしれません。ですが、職業には貴賎も、ましてや大小もありません。押収品の管理もまた、正義実現委員会の活動を支える、立派な仕事の一つなのですよ」

「ハスミ先輩……」

「あなたがそれを認められなくとも、私達はそれを認めているということを……どうか記憶の片隅に留めておいてはくれませんか?」

「──」

 

 包み込んでくるように柔らかな言葉と声だった。撥ね付けることなど、できるわけがなかった。伝わる仄かな暖かさを噛み締めるように、コハルは無言でハスミの手をか細く握り返してみせる。それが、今の彼女ができる精一杯の返答だった。

 ハスミは少し考えてから、さらに言葉をつけ足した。

 

「それに、日々の職務を決して怠らないあなたの姿勢は、正義実現委員会のみならず、トリニティに所属するすべての生徒が見習うべき在り方だと思いますよ」

「え、えへへ。ありがとうございます」

「あれほど熱心に取り組んでいるのです。私には想像もつかないような、立派な志を秘めているのでしょう。

 それだけで十分なのです。健全なる精神は健全なる身体に宿るのならば、その逆もまた然り。ですから、あまり自分を卑下してはなりませんよ」

「………………………………ありがとうございます!」

 

 意味ありげな沈黙を経て、コハルは笑顔で礼を言った。まさか押収品のなかに混じっているあはーんでうふーんな本を材料にして脳味噌にぴんく色の嵐を吹き荒れさせながら日々励んでいます──などという内心を相手に微塵も感じさせない、実に堂の入った見事な笑みだった。

 

「そ、それよりも。どうして私を呼んだんですか?」

 

 誤魔化すことに耐え切れなくなったのか、それともこれ以上はボロが出ると判断したのか。コハルは慌てた様子でハスミに尋ねた。会話こそ幾らかは交わしたが、なぜ自分が呼ばれたのかを察することはとうとうできなかったので、直球勝負しかないと思ったこともある。

 コハルに問われたハスミは背筋を伸ばして佇まいを正した。ひりつくような厳かな空気が立ち込め始め、コハルは喉を小さく鳴らす。どうやら──只事ではなさそうだ。

 ハスミは静かな口調で言った。

 

「コハル。あなたはまだ、正義実現委員会に入ったばかりの新人です。ですが、いつかは上級生となり、後輩達を導いて、正義を成さなければなりません。そして、この──」

 

 ハスミの視線が周囲の景色を捉える。遊具を使って賑やかに遊び回る子供、携帯を片手になにやら話している生徒。公園を跳び越えた先。鞄を片手に歩道を足早に急ぐ会社員。その先にある歩道を挟んで見えるのは、店のなかで張り切って商売に励んでいる店員──

 

「……尊い営みを守り通す覚悟を持たなくてはなりません。 

 それはあなたが正義実現委員会の一員として在る以上は、決して止めようのない、自然の摂理のようなものです」

「……」

「だからこそ」

 

 ハスミは言葉を切り、舌で唇を湿らせた。今から放とうとしている声こそ、もっとも下江コハルという少女に届けたいものであった。

 

「──経験というものは、今のあなただけでなく、いつかのあなたにとっても、何物にも代え難い存在となる筈です」

「……えっと、つまり、どういう……?」

 

 いまいち話の流れを理解できず、コハルはこてんと首を傾げる。ハスミは気まずげに顔をしかめた。

 

「……少し、遠回りしてしまいましたね。先生のように話すことができればと思ったのですが──いえ、何でもありません。

 つまり、私が言いたいことはですね──」

 

 その、次の瞬間。

 打ち鳴らされた銅鑼めいた爆発音が轟き、ハスミが紡ごうとした言葉を塵も残さず焼き尽くした。

 

「ギャーッ!!」

 

 広がる黒煙。漂う硝煙。その中から弾け飛んできた甲高い悲鳴が、軽やかに宙を舞う。ついで、ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり、と空間そのものを削り取っているように耳障りなドリフト音。

 それらすべてを引き連れて、逃げるように道路に現れたのは一台の戦車。

 そして、それを追ってとび出てきたのは。

 

「───ハーッハッハッハッハァーーーーッ!!」

 

 黒いサングラスで顔面の上半分を覆った、真っ赤な不審者だった。

 

 

 ◯

 

 

「な──」

 

 ───なに、あれ!?

 

 呆気に取られて口を開けるコハルとは真逆に、銃を掴んで立ち上がりかけていたハスミは気が抜けたように肩を落とした。知らない相手ではなかったし、今のところは正義実現委員会と対立する立場には立っていないように思えたからだ。

 その証拠として不審者──ドンモモタロウの後ろでは、正義実現委員会のメンバーの一人である仲正イチカが、ドンモモタロウに続くように走る後輩たちへあれこれと指示を飛ばしながら歩いていた。

 

「……おっ」

 

 戦況を把握するために視線を張り巡らせていたからだろう。ハスミ達の存在に気付いたらしく、イチカは糸のように細い目をわずかに開いた。そして朗らかな笑顔を浮かべながら、ひらひらと手を振る。そのまま、近くにいた下級生のひとりを手招きして呼び寄せた。

 

「──それじゃ、後は……終わったら拘束して──第五……に連絡を……」

 

 騒音にまみれて聞こえない伝言を幾つか託すと、イチカは小走りでハスミとコハルが座るベンチに向かってきた。二人の前に辿り着くと、制服についた埃を払いのけ、軽い敬礼を繰り出す。

 

「お疲れ様っす! 仲正イチカ、ただいま現着しましたっす!」

「はい。お疲れ様です、イチカ」

「お、お疲れ様です……」

 

 ハスミは穏やかに、コハルはおっかなびっくりに、挨拶を返した。イチカは敬礼を解くと、背後で繰り広げられている修羅場に横目を向けた。

 

「──ッざけんなよ、この、グラサンタイツ野郎ッ! アタシらの計画をメチャクチャにしやがって!」

「グラサンタイツ野郎ではない! おれはドンモモタロウッ! おれと縁ができたことに──さァ、笑えッ!」

「笑えるかボケ! 撃て撃て撃ちまくれえ───!」

 

 ティーパーティーの面々が愛用しているとの噂があるハイブランドの紅茶専門店を占領し、茶葉という茶葉を独占することによって、独自の交易路を開拓しようと目論んでいたチャカポコヘルメット団との闘いは、どうやらこちら側の勝利に終わりそうだった。

 さすがに戦車まで持ち出されるとは思ってもいなかったが、しかしこちらに与しているは、戦車よりなお恐ろしいドンモモタロウである。

 

「そぉらあーッ!!」

 

 刀一本。

 半裸で往来を練り歩くことよりも、銃器を携帯していないことが非常識とされるこのキヴォトスにおいては、真っ先に不信感を抱かれて然るべき武装。

 そんな即刻通報ものの輩が、砲弾という砲弾を誰にも被害の及ばない空中へ弾き上げ、銃弾という銃弾をついてくる正義実現委員会の面々に届かぬよう地面へ切り落としていく姿は、敵対者からすればまさしく悪夢めいているだろう。逆に言うなら、味方についていてこれほど頼もしい存在は他にない。

 暴虐の限りをつくしているドンモモタロウからそっと視線を外して、イチカはハスミに問いかけた。

 

「──まあ、色々あって、こうなったんすけど。聞きます?」

「……大体わかるので結構です。詳細な事情は報告書に纏めておいてください」

 

 疲れたようなハスミの返答を聞くと、イチカは窮地を脱したように大きな吐息をついた。普段は上級生としての威厳を纏っている先輩達が見せている、もの珍しい表情は、道路で戦車相手に大立ち回りを演じている不審者──確か、ドンモモタロウ──が引きずり出したものなのか。

 コハルがその存在に多大な警戒心とわずかな好奇心を抱こうとしている傍らで、ドンモモタロウは虹色に光る刃を宙で閃かせた。波打つような光は残像を描きつつ、ドンモモタロウの身体に纏わりつく。

 

「──トドメだ!」

 

 そしてドンモモタロウは、自分自身を一筋の閃光と化しながら、戦場を駆けた。誰にも視認できない、極彩色の突風が吹きつける。その次の瞬間、戦車のすべてのタイヤの下半分が、綺麗に斬り捨てられていた。

 

「どわーっ!?」

 

 激しい衝撃が瞬間的に走り抜けたと思ったと同時に、戦車はその動きを止めた。慣性の法則に従って我武者羅に揺さぶられる車内では、搭乗員たちが壁に叩きつけられては跳ね返り、また叩きつけられるというループに陥っていた。

 

「痛い痛い痛い痛いっ! 押し込んでくるなっ!」「せ、狭いぃ……」「あ、あたしの眼鏡落ちちゃった」「誰かなんか落としたー!? なんか固いもの踏んじゃったんだけどー!?」「は、吐きそう……吐く……」「わああああああきたないきたないきたないいいいいい!!」

 

 たちまち阿鼻叫喚の坩堝と化した戦車からは、既に戦闘続行の意志が消えていた。それを見届けたドンモモタロウは変身を解除して元の姿──桃井タロウへ戻ると、援護射撃をしていた正義実現委員会のメンバーのひとりに話しかけた。

 

「後はアンタ達に任せる。ご苦労だったな」

「は、はい! ありがとうございましたっ」

 

 下げられた頭と、礼と、前髪に隠れた尊敬の眼差しを当然のように受け止めて、タロウはその場から離脱した。向かった先は、ハスミとイチカとコハルが待ち受けているベンチだ。

 

「やー、流石っすね」

「当然だ」

 

 にこやかに手を振っていたイチカの隣に辿り着くと、ポケットに突っ込んでいた手を抜き取り、腕を組み直してからハスミを見下ろした。

 

「──おれを呼んだ理由とはなんだ? 羽川ハスミ」

「……早速本題とは。貴方らしいですね。タロウさん」

 

 ともすれば威圧的ですらあるタロウの態度に、ハスミは少しも動揺を見せずに笑った。

 

「ひとまずは、御礼を言わせてください。突然の呼びかけにもかかわらず応じて頂き、ありがとうございます」

「礼はいい。おれとアンタには縁がある。応えるのは当然のことだ」

「ふふ、縁ですか? ……ふふっ」

 

 タロウの言い草を聞いて、おかしそうにハスミは笑う。タロウは心外そうに眉をひそめてから、隣で黙りこくっているコハルを何げなく見た。ハスミはぽん、と手を叩き、二人が初対面だったことを思い出した。

 

「二人とも顔を合わせるのはこれが初めてでしたね。彼女は下江コハル。正義実現委員会のメンバーです」

「ほう」

「コハル。こちらは桃井タロウさん。非常に……その、個性的な方ですが。決して悪人ではありませんので、安心してください」

「……」

 

 ──こ、こわい。

 

 威圧的な目つき、偉そうな態度、圧迫される雰囲気──元来人見知りであるコハルにとって、桃井タロウという男はその存在そのものが危険物のように見えた。蛇に睨まれた蛙のように動けない。だから誰かの背中に無性に隠れたくなったが、隠れる場所が見当たらない。

 そうやってもじもじと身動ぎしているうちに、男は興味が失せたように素っ気なく視線を外してくれた。コハルは思わず安堵の吐息を吐きかけて口を噤む。先輩たちに人見知りなのだと見られたくなかった。

 そんな小動物めいたコハルの姿を認めて、ハスミはタロウを咎めるようにむっと眉根を寄せた。

 

「……あまりコハルを怖がらせないでくれますか?」「怖がらせてなどいない」

「プライベートのタロウさんは無駄に威圧感あるっすからねー。いつも仕事のときみたいにニコニコ笑ってればいいんじゃないっすか?」

「公私は分けてこそだ。混同しては意味がない」

「いや、そういうことじゃなくて。言ってることは正しいんすけど正しくないというか……。

 ああもぉ、なんなんすかね? このチャンネルの合わなさ」

「慣れですよ、イチカ。慣れです」

 

 参ったふうに頭を掻くイチカを案じたアドバイスをしてから、ハスミは咳払いをした。そして場の空気を改めるように背筋を伸ばすと、高みにある男の真っすぐな目と視線を合わせた。

 

「それでは本題に入りましょう。 タロウさん、それから──コハル」

「なんだ」

「は、はいっ」

 

 名前を呼ばれた二人は対照的な反応を見せつつも、揃ってハスミが紡ごうとしている言葉を待った。ハスミは下唇を軽く噛んでから、勢い任せに告げた。

 

「───貴方達ふたりには、ブラックマーケットの調査をしてきて欲しいのです。

 

 

 ◯

 

 

「────え、っと」

 

 コハルはぱちくり、と目を瞬かせる。敬愛している先輩の言葉の意味が、まるで理解できなかったからだ。反対にタロウは一瞬だけ怪訝そうに片眉を吊り上げたが、すぐに平静さを取り戻してみせた。

 

「理由を訊きたい」

「──近頃、ブラックマーケットで、正義実現委員会の銃を使用した襲撃事件が勃発したことは知っていますか?」

「初耳だな」

「そ、そうなんですかっ!?」

 

 驚いたコハルは思わずベンチから飛び上がった。しかし視線の集中砲火を受けたことにより、すぐさま恥ずかしそうに腰を下ろす。だが、その目にはまだもの問いたげな色が残されている。タロウはコハルの疑問を引き継いで、ハスミに尋ねた。

 

「だが、下江コハルはともかく、おれには一体何の関係がある? おれは正義実現委員会でも、トリニティ総合学園の出身でもない」

「……この襲撃事件には、奇妙な点が二つあります」

 

 そう言って、ハスミは人差し指と中指を立てた。

 

「まず、ひとつ。この事件が起き始めたのは一週間前からですが、その間に部活動統括本部に紛失届が出された記録はありません」

「聞き込みと、一応抜き打ちの検査をしてみたりもしたんすけど……収穫はゼロっすね」

 

 イチカは肩を竦めている。それは落胆の仕草のようにも見えるが、実際は安堵を表すものだった。

 

「ま、ゼロで良いんすけど。そうすると次の問題が出てきちゃうんすよね。つまり、その襲撃事件で使われた正義実現委員会の銃は、どこから持ってきたものなのかっていう」

「あの、勘違い……っていうことは、無いんですか?」

 

 コハルは手を上げておずおずと問いかけた。ハスミはゆっくりと首を横に振って、意見をやんわりと否定した。

 

「事件が起きた際に現場にいた民間人からも、証拠が取れています。物証ではなく、あくまでも目撃情報としてですが……」

「それでも、こっちとは無関係の複数人が口を揃えてそう言ってるんすから、無関心を貫くって選択肢は無いってことで落ち着いたっす」

「だから、私達はより詳細な調査をすることに決定しました。その人員として、コハル──あなたを推薦しようと考えているのです。先程の経験の話は、そこに繋げようと思っていて」

「───私、に、ですか?」

 

 面映ゆそうなハスミの言葉を受け止めるのに、コハルの脳味噌はかなりの時間を要した。そして末端まで咀嚼しおえたと同時に、燃え上がる炎のような歓喜が一瞬で胸を満たした。

 手を伸ばしても届かないような位置にいる憧れの先輩に認めてもらえた、頼ってもらえたという事実が、少女の情緒を滅茶苦茶にしかけた。だから、次に聞こえてきた声は、まさしく冷や水をぶっかけられたようなものだった。

 

「──一つ目は分かった。それで? 二つ目の理由とはなんだ?」

 

 たちまち不機嫌になったコハルの様子を知ってか知らずか。いつもの様子でタロウが問うと、ハスミは逡巡するような目つきをしてから、何かを探るような調子で言った。

 

「二つ目の理由。それは──襲撃事件とほぼ同一のタイミングで、ヒトツ鬼がブラックマーケット内で活動し始めたことが、明らかになったからです」

「──」

「両者の間に繋がりがあるかどうかは、まだ分かりません。ですが、同時期に発生したとなれば……なにかがあると考えてしまってもおかしくはないと、思いませんか?」

 

 ヒトツ鬼という言葉に明確な反応を示したのはタロウだけだった。コハルは訳がわからずに、頭の上に疑問符を浮かべている。タロウはしばらく考え込んでから、ハスミを見返した。

 

「面白い。ブラックマーケットの調査とやら、請け負ってやる」

「──ありがとうございます」

 

 快諾を受けて、ハスミは肩を撫で下ろした。一件落着の雰囲気が自然と漂い始める。そこに至ってようやく、コハルは桃井タロウと名乗る男も、この任務の参加者のひとりなのかもしれないと気が付いた。

 

「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!」

 

 声を荒げて、意気軒昂として立ち上がる。今度は視線など気にならなかった。それよりもっと大事なことが目の前にあったためだ。コハルはハスミと向かい合うと、人差し指を男の顔面に鋭く突きつけた。

 

「その、ヒトツ鬼っていうのがなんなのかは、分かりません。でも、ハスミ先輩が言ってることは、わかります。すごくわかるんですけどっ、こんな怪しい不審者を、どうして正義実現委員会の任務に加えるんですかっ!?」

「初対面で人を不審者呼ばわりか。礼儀がなってないな」

「あんたは黙っててっ! 年上で、男で、ちょっと背が高くて、怖…………偉そうだからって、あんたなんか絶対認めないんだからっ!!」

 

 タロウの指摘を受けても怯まず、コハルは声高にそう吠えた。

 正義実現委員会こそがトリニティの治安を守っているという自負を持っている彼女にとって、素性の知れない桃井タロウ──あるいはドンモモタロウ──の存在はまさしく、得体の知れない侵略者も同然だった。

 それに何よりも、先輩達が揃いも揃って絆されているのが気に入らなかった。

 

 ──きっと、先輩達は騙されてるっ。

 

 もしくは──絶対に人にはバレたくないような弱みを、握られてしまったのかもしれない。だとすれば男はそれをネタにして、こんなことを裏で二人に言っているに違いないだろう。これをバラまかれたくなければ、おれの言うことに従ってもらおうか。二人は従うしかない。誰だって、弱みをバラまかれたくなんてないのだから。だから、そこから先に起こることは容易に想像できた。まず最初に服を脱がそうとするのだ。それも自分の手ではなく、相手自身の手を使って。二人は羞恥心に顔を真っ赤にしながら、それでも命令に従わざるを得ず、躊躇いを指先に宿しながら服を脱いでいく。そして残るは下着だけ。男は舐めるような目つきをして腕を組みながら、きっと次にこう言う。では、次に互いに互いの下着を───── 

 

 エッチ。

 エッチだ。

 エッチすぎる───!

 

「────エッチなのはダメ、絶ッ対、ダメなんだから!  

 だから死刑っ! アンタなんか死刑よっ!! 絶対実刑確定死刑っ!!」

「……意味が分からん。だが、なかなか面白いヤツだな」

「悪い子ではないのです。少々、勢いづきやすいところがあるだけで……」

「それはいい。勢いは、日々を生きていくなかで大切なものだ。特にキヴォトスにおいては尚更だろう」

「勢いがあり過ぎるっていうのも考え物だと思うんすけどねー」

 

 ヒートアップしていくコハルをよそに、タロウとハスミとイチカは和やかな雰囲気を醸し出しながら、トリニティの街並みを眺めていた。

 

 

 ◯

 

 

 そして。

 包囲網を切り抜け、ブル商人が持ち込んだ武器のなかに正義実現委員会の銃が無いことを確認したタロウとコハルは、休憩のためにブラックマーケット内にある歓楽街に出かけていた。

 

「おやじ。たい焼きを二つだ」

「あいよ。味は何だい?」

「こしあんと……つぶあんで」

「こしあんとつぶあんひとつずつだね。ちょっくら待っててくれや」

 

 昼時を迎えたブラックマーケットの歓楽街は騒がしさを一層増していた。道の端々で怪しげな商品を取り扱っている商人、銃を携えて店の入口を固めているガードマン、どこかの学園から抜け出してきたらしい生徒。

 そして。

 

「へい、こしあんつぶあんお待ち!」

「ほう、美味そうだ」

「……ふん」

 

 任務中にもかかわらず、のんきに屋台でたい焼きなんかを買ったりしているバカ。

 とはいえ、小休止を挟むことには、遺憾ではあるが文句はなかった。実際、状況はほとんど手詰まりに近かったからだ。

 ブラックマーケットには、武器の取引に使用される流通ルートが無数にある。それを虱潰しにあたっていては何十年かかるか分からない。だから、改造されたものや違法なものよりかは、他学園から流れてきたものを多く取り扱っている武器屋だけに絞って調べていく──とは、桃井タロウが立てた方針だ。ブラックマーケットとは縁があるらしく、慣れた仕草で調査を進める姿は、認めたくはないが頼りに見えた。

 しかし、それでもまだ、事件に使用されたと思しき正義実現委員会の銃は、影も形も見せずにいた。

 

「……」

 

 まるで幽霊を追いかけているみたいだとコハルは思う。だとすれば自分達はとんだ大馬鹿者だろう。見えず、触れられもしないものを、一体誰が捕まえようと思うのか?

 たい焼きを買い終えたタロウは、ガードレールに腰をおろして物思いに耽るコハルへ何のてらいもなく近づくと、買ったばかりのたい焼きをふたつ差し出した。気づいたコハルは胡乱な目つきで、タロウを見上げた。

 

「……何?」

「アンタはどっちを食う」

 

 持ち帰り用の白い包装紙からは、こんがり焼かれた鯛が顔をひょっこりのぞかせていた。白い湯気とともに、香ばしい匂いが立ち上っており、コハルの鼻腔を優しくくすぐる。

 瞬間、ぐうう、と腹の底で喉を鳴らしかけたなにかの首を抑えつけて、コハルは徹底抗戦を宣言するかのように、タロウを睨んだ。

 

「……どっちもいらないわよ」

「なら、おれはこしあんを頂こう」

「勝手にすればっ?」

 

 タロウはあっけなく引き下がると、ひとつを茶色の紙袋のなかへ戻した。そして残ったこしあんの包装紙を広げ、頭にかぶりつく。 

 生地のなかに隠されていたあんこが外気に晒され、食欲をそそる甘い香りを放つ。それを密かに横目で眺めていたコハルは、無意識のうちに喉を鳴らした。

 

 ──たい焼きって、あんなに美味しそうだったっけ。

 

 先輩からの期待に応えなければという重圧、悪印象しかない相手と一緒に動かなければならないことへの消耗、ブラックマーケットの調査に手間取っていることへの焦燥。幾つかの要因が重なったことで、少女の精神的な疲労はピークに達しようとしていた。 

 それ故に、甘味への渇望もまた──

 

「──腹が減っては戦は出来ぬ、ということわざがある」

「……は?」

 

 コハルが理性と本能の板挟みに苛まれていると、不意に隣からそんな言葉が投げかけられた。

 

「空腹のままでは、人は満足に動くことができない。満足に動くことができなければ、勝てる戦にも勝つことができない。 

 要するに、何かに取り組む時は、何を置いてもまず腹ごしらえが重要ということだ」

「……何が言いたいのよ」

「今のアンタは腹を空かせているが、なにも食べようとしない。それでは、勝てる戦にも勝てない──羽川ハスミに、良い知らせを持って帰ることができないぞ」

「──」

 

 見透かすような声音に、コハルは思わず身体を震わせた。タロウは気に留めることもなく、黙々とたい焼きを食べ進める。それ以上口を開こうとしないのは、告げるべきことは告げたからだろうか。超然とした態度に、コハルはまた一段階、桃井タロウへの苦手意識を深めた。 

 けれど、言っていることは、ムカつくぐらいに正しい。 

 コハルは唇を強く噛み締めてから、手の平を上に向けて勢いよくタロウに差し出した。

 

「……ちょうだい」

 

 蚊が鳴くような少女の声をしっかり聞き取り、タロウは紙袋のなかに残っていたつぶあんのたい焼きをコハルの手の平に置いた。

 半ば奪い取るような仕草で受け取り、コハルはたい焼きの頭を齧り取った。ちょうどいい温度まで下がった生地と、ボリュームのある粒が紛れたあんが、甘味に飢えていた舌を殴りつける。

 コハルは見開いた目をきらきらと輝かせて、ぽつりと呟いた。

 

「……美味しい」

 

 一度タガが外れてしまえば後は落ちるのみだった。先程まであった躊躇はどこへやら、コハルは夢中になってたい焼きを食べ進めた。一方でタロウは手を止めて、空っぽになった紙袋を見下ろしていた。まるで、長い間埋もれていた財宝を探し当てたかのように。

 

「……どうか、した?」

 

 考え込んでいるタロウの顔を、コハルは恐る恐る覗き込む。

 

「下江コハル。一度、トリニティに戻るぞ」

「はあ? 何でいきなり」

 

 タロウは不満げに頬を膨らませるコハルと目を合わせると、不敵な笑みを浮かべた。

 

「……一人、トリニティにブラックマーケットの専門家がいることを思い出した」

 

 

 ◯

 

 

 阿慈谷ヒフミは、どこにでもいる普通の学生だ。

 

 

 

 登校して、授業を受けて、友達と喋って、放課後には遊んで、家に帰る。そしてまた登校する。その繰り返し。 

 平々凡々で、地味で、変わり映えのない。主観的に見ても、客観的に見ても、そういう日々を過ごし続けている。

 けれど、ヒフミは不満など抱いていなかった。むしろそういう平凡な毎日がいつまでも続いてくれればいいなとさえ思っていた。 

 だから。

 

「───阿慈谷ヒフミ」

 

 教室中から突き刺さる、同級生の好奇の視線も。 

 キヴォトスではまったく珍しい、犬やロボではない男の姿も。

 

「アンタが、欲しい」

 

 嘘の欠片もない、真っすぐな視線も。 

 偽り一つもない、純粋な言葉も。

 

「おれと来い」 

 

 全部、なにかの夢なのだ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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