ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのや

 

 

 

 

 

 

『緊急速報です。本日未明、ブラックマーケット六番地第七地区で、大規模な爆発が確認されました。

 極めて広範囲であることと、現在も被害が広がり続けていることから、企業間の抗争が勃発したのではないかという見解が出ており、現在も取材を進めて───』

 

 緊張と高揚をはらんだ声を伴って、その光景は映し出されていた。

 禍々しい赤色に染め上げられたビルの群れ。貪欲に酸素を吸い込んで揺れ動く紅蓮の津波。次々と湧いては消える悲鳴と怒号。

 地獄の釜の中身をそのまま、元ある場所へとぶち撒けたかのような、銃撃と爆発が日常的に飛び交うキヴォトスに住む者であっても目を背けたくなる景色。それは同時に、夜という時間そのものを拒絶しているかのような、混沌とした景色でもあった。

 そう感じる理由は、光源となっているものが照明やネオンライトではなく、区画全体を押し包む炎だからかもしれない。火は絶対的な恐怖の象徴として、原始の記憶に深く刻み込まれている。そんなものが当然のように溢れている現状は、確かに目を背けたくもなるだろう。

 しかし、下江コハルがこのとき抱いた感想は違っていた。

 少女の脳裏によぎっていたのは、一匹の怪物の姿。ヘイローを浮かべて、その下に大きな海賊帽を被り、顔面を桃色と黒色の二色のみで構成した異常の権化。

 

「……桃井、これって、もしかして──」

「──」

 

 コハルが半端に途切れた言葉を投げかけると、画面を真剣な表情で見つめていた男──桃井タロウはこくりと頷いた。

 

「間違いなく、ヒトツ鬼の仕業だろう」

「……!」

 

 自身の予想が的中していたことに、コハルは大きく喉を鳴らす。

 ヒトツ鬼──宿主の願望に誰よりも忠実に従い続ける、暴走した欲望の化身。その圧倒的ともいえる暴威を、コハルは間近で体験した。だから、この地獄めいた景色を作り出したのがたった一人のヒトツ鬼なのだと明言されても、大して驚きはしなかった。

 

「……」

 

 コハルは別にブラックマーケットが好きなワケではない。むしろ嫌いな方だった。人が人を当然のように騙し、傷付け、陥れている場所を、正義実現委員会の一員である下江コハルが許容できるはずもないからだ。

 けれど。

 

「……止めなきゃ」

 

 それが、わざわざヒトツ鬼を放っておく理由にはならない。

 そうしてコハルは、強い決意とともに立ち上がろうとして、自分たちの現状がかなり悲惨なことに気が付いた。なにせ、ヒトツ鬼に唯一対抗できる──らしい──ドンモモタロウに変身できる桃井タロウが、変身できないという有様になっていたからだ。

 だが、コハルはもう嫌というほど知っている。知らされている。

 

「ああ──止めにいくぞ、下江コハル」

 

 桃井タロウが、それぐらいで立ち止まるような性格をしていないことを。

 コハルの逡巡をよそにして、先に立ち上がったタロウは、ポケットから取り出した赤いサングラスをかけてきょろきょろと辺りを探っている。おそらく、あの不思議な世界を覗き見ているに違いない。一刻も早くブラックマーケットに辿り着いて、ヒトツ鬼を止めるために。

 いまさら引き留めるつもりはなかった。だからコハルは、立ち上がり、小指だけを立てた右手をタロウの目の前にぐいっと差し出した。

 

「指きりげんまん」

「……なんだ、それは?」

「だから、指きりげんまんっ! 小指と小指を引っ掛け合って、破っちゃダメなことと、破った時の……約束に嘘をついた時のバツを唱えるのよ」

「……」

「もう絶対、絶対に死なないって……私と約束してっ」

 

 コハルが勢いづけて言っても、タロウはぱちぱちと瞬きを繰り返すだけだった。

 そんな男の表情を見て、コハルはようやく、自分がバカみたいに恥ずかしい真似をしでかしていることに気が付いた。嘘をつくと死ぬ相手に、なぜ指きりげんまんを仕掛けているのだろうか。二十五メートルプールの中身をポンプではなくバケツを使って埋め尽くそうとするぐらい無意味な行為に違いない。

 後悔を抱きながら、コハルが手を引っ込めようとした瞬間だった。

 細長く角張ったなにかが伸びてきて、コハルの指を柔らかく絡めとった。

 桃井タロウの、指だった。

 

「──アンタのこれは、まったくの無駄だ。そもそもおれは、嘘がつけないからな。

 だが、約束しよう。

 おれは死なない。必ず──勝つ」

「…………うん」

 

 何度も何度も目を背けてきた、嫌気が差すほどに真っ直ぐで力強い男の眼差しを、コハルは今度こそ真っ正面から受け止める。決して逸らさないと誓った心に呼応するかのように、少女の瞳の奥には、固い信念の光がきらめいた。

 そして唱えごとが交わされる。

 それが終わった後に、タロウは解いた自分の小指をしばらく矯めつ眇めつしていたが、なにかに思い当たったかのように目を細めた。

 

「いま気付いたが……誰かと、指きりをしたのはこれが初めてだな」

「えぇ……」

 

 団地の住民から出て行かれたりと、指切りしたことが無かったりと、桃井タロウがどのような幼少期を送ってきたのかがなんとなく垣間見えて、コハルはちょっとだけ引く。

 その直後、信じられないような言葉が滑り込んできた。

 

「いわば、アンタがおれにとっての初めての相手になるわけか」

「…………………」

 

 初めての相手。

 はじめてのあいて。

 ハジメテノアイテ。

 HAJIMETENOAITE。

 

 瞬間、下江コハルの脳裏に湧き上がる。

 存在しない記憶──

 

 

 ■

 

 

『ねえ、桃井。きょ、今日の放課後って……空いてたり、する?』

 

『い、言っとくけどっ! 別に変な意味で聞いてるワケじゃないからっ! え? 変な意味ってどういう意味? それは、ほら……』

 

『〜〜〜っ! そ、そんなのどうだっていいでしょっ! いちいちめんどくさいこと聞かないでよバカっ!!』

 

『……それで、どうなのよ。空いてるの? 空いてないの?』

 

『……ふーん。空いてるんだ。そっか……』

 

『まっ! 逆にあんたに予定ある方がビックリするけどね! そんな物好きいるわけないしっ』

 

『……でも、じゃあ、ヒマなんだ。ヒマなのよね?』

 

『そ、それじゃあさ。私の家……来ない?』

 

『──ち、違うから! ほら、明日小テストがあるでしょ? その範囲でよくわかんないところがあって、あんた性格は気に食わないし人付き合いはヘタクソだし嘘はつけないけどそれ以外はなんでもできるヘンテコなやつで、ツルギ先輩もハスミ先輩もイチカ先輩もマシロもあんたのことはヘンに買ってるけど、それでも友達って呼べるような存在なんてこれっぽっちももいなさそうだから、しょうがなく誘ってあげてるだけでっ!』

 

『──だから』

 

『………だから、その、あの、私に勉強教えてほしくて』

 

『……ダメ?』

 

『──桃井? なんで、近づいてきてるの?』

 

『最初から、こうされたかった──? や、ば、違う! 別に期待なんか……!』

 

『期待、なんか……』

 

『ぁっ……』

 

『桃井──』

 

 

 ■

 

 

「や、やっぱりそういうつもりだったんだっ! 油断したところを騙して、誰の目にも届かない場所に連れ込んで、や、や、やらしいコトするつもりなんでしょっ!? 

 ばーかっ! 信じて損したっ! 針千本呑んでご愁傷様っ!!」

「……よく分からないが、やはり愉快なヤツだな。アンタは」

 

 きゃんきゃんきゃんとチワワのように、意気軒高に噛みついてくるコハルをタロウが面白そうに見下ろしていると、不意に甲高い着信音が鳴り響いた。

 発信源はコハルのものではなく、タロウが持っているものだった。先生から追加で連絡があったのかと予想しつつ、タロウはコハルをあしらいながら携帯の画面をのぞき込む。

 そこに表示されていたのは、先生ではなかった。

 

「……阿慈谷ヒフミ?」

 

 ブラックマーケットの専門家としての意見を伺いにいったとき以来、顔どころか言葉さえ交わさなかった少女からの唐突な連絡に、タロウは首を傾げた。こっそりと覗いていたコハルも不思議に思っているらしく、ちらちらと物といたげな視線を送ってきた。

 

「……なんの連絡だろ?」

「さあな。だが──」

 

 ブラックマーケットに異常事態が発生しているこのタイミングで、その場所の専門家と呼べる少女からの連絡に、出ないという選択肢はないように思えた。

 タロウは通話ボタンをタッチすると、端末を耳に押し当てた。

 

「もしもし」

『もしもしタロウさん! ちょっとお時間大丈夫ですかっ!!』

「大丈夫だ」

『ありがとうございますっ! じ、実はっ! ちょっとお願いがあって……!』

「お願い?」

 

 タロウが聞き返すと、ヒフミは衝動に急き立てられたかのような勢いで言い放った。

 

『私を───トリニティから連れ去ってくれませんかっ!?』

「なに?」

「はあ!?」

 

 

 〇

 

 

「そこのパツキンのお嬢さんよォ──────ッ! 今のブラックマーケットにひとりで踏み込んでくるなんざカモがネギ背負って来たようなモンだぎゃぶうっ!?」

「ギャハハハハハハッ!! 逃げろ逃げろ! そうすりゃこの地域は今からアタシらの縄張りになるぎゃわんっ!!」

「ええい! そこをどけ道を空けろボンクラどもォッ! 貴様らのような存在価値のないチンピラどもよりもこの私こそが優先されるべきひゃわあああ!!」

 

 そんな風に。

 混沌が豪雨のように降り注ぎ、嵐のように吹きすさんでいるブラックマーケットの大道路を、鰐渕アカリは満面の笑みで闊歩していた。

 

「──今日は、とっても良い天気ですね~」

 

 ストックにゲヘナの校章が刻印されている、様々な改造が施されたアサルトライフル──ボトムレスを片手にぶら下げ、揺蕩う波のような金髪を火で照らしながら、誰に憚ることもなく悠々と歩いている姿は、まるで屋台を見物しに来たかのでもような風情である。

 事実、アカリにとって今の状況は、散歩しているも同然だった。何故ならば、少女が所属する学園は──キヴォトスのなかでもっとも混沌と混乱を愛している学園なれば。

 

「さっきのバケモンみたいな暴れっぷり、見事だったぜえッ! 今日から姐御と呼ばせて貰ってもわあああああッ!!」

「ん~? なにか言いましたか?」

 

 ほとんどスクラップ同然の車の陰から飛び出してきたスケバンの眉間に、銃弾をブチ込んで気絶させる。そのまま足を止めることなく、何事もなかったかのように歩を進めていくアカリの耳に、ざりざりと短いノイズが走った。

 次いで聞こえてきたのは、静かな男の声。

 

『──アカリ? どうかな、聞こえてるかい?』

「先生ですか? ちゃーんと聞こえていますよ」

 

 耳に装着したインカムを、指でリズムよく叩きながら、アカリは楽し気に返答する。

 先生は安堵が滲んだため息を吐くと、それから申し訳なさが端々に見えるような声色で話し出した。

 

『ごめんね。今日は皆でご飯を食べる約束をしてたのに、仕事に協力してもらって……他のメンバーにも、謝っておかなくちゃね』

「気にしないでくださいな。私たちも最初から、先生をブラックマーケットにお誘いするつもりだったんですから。

 まぁ、でも、先生とのお食事が流れてしまったのは、非常に遺憾ではありますね~」

『あ、あはは……』

 

 わざとらしく不満を示すと、先生は困ったように笑ってみせた。アカリはその次の語句を予想してみる。埋め合わせはするよ。当たるだろうか、と思い、当たるだろうな、と思う。

 果たして。

 

『勿論、埋め合わせはちゃんとするよ』

「──あらま、本当ですか? 

 うふふ。私と先生の仲なんですし、お気遣いなさらなくても結構なんですが……せっかくの好意、ありがたーく受け取ることにしましょう★

 実はですね、シャーレの近くにいい定食屋を見つけ──』

 

 自分の予想が見事に的中したことに歓喜しつつ、楽し気に言葉を紡ごうとした次の瞬間。

 落雷めいた音とともに、アカリの視界とブラックマーケットの道路が、一瞬で眩い閃光に包まれた。

 やがて、爆発。

 

「──っしゃあっ! クリーンヒットォ!」

 

 暢気に何かを話していた少女が、爆音と爆炎と黒煙のなかへ一気に飲み込まれたことを確認して、建物の陰に隠れていたヘルメットは大喜びしながら飛び出した。支え持った得物はグレネードランチャー。しかし、その威力の高さにかまけてすぐに襲わず、ちょっかいをかけられる姿をひたすら密かに見守っていた甲斐があった。最後に生き残るのは、いつだって冷静に戦況を見極めたものなのだ。

 ヘルメットは小走りを保ったまま思考する。一見したところ、かなり裕福そうな見た目をしていた。今のブラックマーケットに蔓延る混沌を歯牙にもかけない様子から、不意打ちを喰らわせた後は身ぐるみを剥ぐぐらいで留めておこうと考えていたのだが、人質にとって身代金をふんだくるのもアリかもしれない。

 捕らぬ狸の皮算用をしつつ、ヘルメットが迂闊に着弾点へ踏み込んだ刹那。

 濁った煙のなかから、凄まじい勢いで右手が飛び出してきた。

 

「うオ、オッ!?」

 

 避ける暇などありはしなかった。

 稲妻めいた速度で飛んできたその右手は、そのまま首を掴み上げてくると、一切の躊躇も容赦もなく握り締めてきた。五指それぞれに、信じられないくらいの力が籠っている。まるで、微かな酸素さえ肺に取り込ませないとばかりに。

 

「かっ、は……げァ」

 

 たちまち手足が痺れだし、グレネードランチャーを取り落としてしまう。一瞬で意識が明滅を繰り返しはじめ、自分のヘイローが何度も点いては消えていくのを感じる。

 間も置かず朦朧としてきたヘルメットのシールドに、底冷えするような光を宿した紅紫色の眼差しが、音もなく映し出された。

 

「──今、私は、お話ししていたんですよ? 楽しく、愉快に。わかりませんか? わかりますよね? なのにどうしてそれを、わざわざ邪魔してくるんです?」

「お、ぐ……ぃぁ……ゃ」

「う~ん、よく聞こえませんねえ。もっと、ゆっくり、はっきり、喋っていただけますか?」

 

 ──喋れねえんだよ! オメーが首絞めてくるせいでよォ!

 

 心のなかでそう叫んでから、チンピラは自分の意識を闇のなかに落とした。

 チンピラの全身から力が抜けたことと、ヘイローが消えたことを確認すると、アカリは片手に持ったチンピラをまるでゴミ袋でも捨てるかのように地面に落とした。そして、咄嗟にもう片方の手で守ったインカムを、改めて自分の耳に付け直す。

 

『──カリ! アカリ!?』

「はーい。どうかしましたか?」

『だ、大丈夫だった?』

「ええ。ちょっと躓いて汚れてしまったぐらいで、後はなーんにも問題ありませんよ★」

 

 アカリは制服についた煤や埃を払いながら、笑ってそう答えた。先生はさっき聞こえた爆発音や、首を絞められていると思しき呻き声はなんだったのか──と聞きたかったのだが、なんとなく藪蛇になりそうな気がしたので、追及しないことを選んだ。

 一方のアカリは、先生との会話を再開しながら、ふたたび歩を進めていく。もちろん、自分の仕事である暴徒の鎮圧および避難経路の確保はきっちりとこなしつつ。

 そうして歩いているなかで、先生がふと思いついたように問いかけてきた。

 

『そういえば、アカリ』

「はい?」

『さっき……元々ブラックマーケットに誘うつもりだったって言ってたけど、それは?』

「ああ。ご存知ないんですか? いまSNSで話題になってる、ブラックマーケットの有名なたい焼き屋さんのこと。そこに先生を誘うつもりだったんですよ。確か、美食研究会のアカウントの方でもつぶやいた筈なんですが……」

『仕事が忙しくてね──それにしても、たい焼き屋かあ。なんて名前のたい焼き屋?』

「名前ですか? 『たいやき処 あばたろう』です」

『……』

 

 聞いたことがないはずなのに、なぜか物凄く聞き覚えがあるように感じる名前だった。先生は眉間に寄ったシワを揉みながら、尋ねたくないが尋ねなければならないことを尋ねた。

 

『……もしかして、タロウが店長だったりする?』

「はい! タロウさんが店長です!」

『そっかあ…………』

 

 彼女との間で通じる「タロウ」は、ただの一人しか存在しない。先生は、いずれ七神リンから突き付けられるであろう小言の暴風雨を想像して、そっと自分の胃を抑えた。

 そんな先生の様子を知ってか知らずか、アカリは鼻歌でも歌いだしそうなぐらいご機嫌な様子で話し出した。内容はもちろん、桃井タロウがまったくの予告もなくブラックマーケット内に開いたたい焼き屋についてだ。

 

「味はこしあん、つぶあん、カスタードの三種類のみと、非常にオーソドックスなんですが、やはり流石はタロウさんと言うべきでしょうか? 開店してわずか三日目だというのに、お昼前には完売してしまうぐらいの人気っぷりだそうですよ。

 あくまでも又聞きではありますが、表皮はさっくり、生地はふわふわ、中身は甘くて熱々だとか! あぁ、もお、想像しただけでたまりません……」

『確かに……本当に、タロウの作るお菓子は美味しいよね。私もたまにスコーンとかクッキーとか作って貰うんだけどさ──』

「へえ。お菓子、ですか。私は作って貰ったことありませんが……」

『あ……えっと、その……ほら! タロウも別に、悪気があって作らないわけじゃなくて──』

 

 不穏な空気が混ざり出したことを察知したのか、先生は慌てた様子で弁解を口にしている。それがどうにもおかしくて、アカリはくすくすと笑いながら、「冗談ですよ」とおどけてみせる。

 

(──そういえば)

 

 そこでアカリは、美食研究会のメンバーのなかで桃井タロウという存在にもっともご執心であろう黒館ハルナがどうしているかが、なんとなく気になった。先生に断って、インカムのチャンネルを切り替えると、ハルナが持つそれに通信を送ってみる。

 耳障りなノイズが流れ出す。近寄ってきたチンピラを二、三人鎮圧した頃になって、ぷつん、と繋がる音が聞こえてきた。

 

「あ、ハルナさん? そちらの様子は──」

 

 どうですか? と聞こうとしたアカリの耳を、

 

『もぉやだぁ───────────────────────────────────────────────────っ!!!!!』

 

 という、地獄の底でかき鳴らされたギターのような激しい絶叫が刺し貫いた。

 鼓膜をつんざくような激しい耳鳴りに眉を顰めながら、アカリはたった今聞こえてきた叫び声が、黒館ハルナのそれではないことに気付く。美食研究会の会長たる彼女は、いついかなる状況下であろうとも、自ら平静を崩すような愚かな真似はしない。

 ということはつまり、だ。

 

「───拉致りましたか」

『あら、アカリさんですか? ご機嫌よう。先生は、そちらに?』

 

 先程聞こえてきた叫び声が嘘のような涼やかさで、黒館ハルナは話しかけてきた。背後からは規則的に銃声音が響き、継続的に怒号が冴え渡り、断続的に火の粉が弾けている。どうやら自分と似たような進捗らしい。

 アカリは髪の毛を指でくるくると巻きながら、

 

「先生はいませんよ。多分、ジュンコさんかイズミさんのところじゃないですかねぇ。かわいいかわいい後輩たちなのは認めますが、どうにも妬けちゃいます」

『ふふ。では、今度の食事会の先生は、それはもう大変な目に遭ってしまいそうですわね』

「あら、それはどういう意味ですか~~~?」

『ハルナさーん! こっちの人たちはもうすぐ終わりそうでーすっ!!』

『うらあ───────────っ!! 来んなぁ───────────っ!!』

『その調子ですわ! ジュリさん、フウカさん! タロウさんがこのバンに帰られるまで、かすり傷ひとつ負わせず守り抜いてみせましょうっ! 他の誰でもない、この私たちの手で! 一晩中かかったとしてもッ!』

『タロウのばかぁ─────────っ!! でも早く帰ってきてぇ─────────っ!!』

『フウカ先輩! 手榴弾はピンを抜かないと爆発しませんよ!』

『そういうことですので、こちらの区画はご安心してお任せを。できれば先生にもそうお伝え──……アカリさん?』

 

 黙ったままのアカリを訝しんだらしく、ハルナが案ずるように声を投げかけてくる。しかしアカリは応えず、導かれるように空を──詳しく言うなら、周囲に建ち並んだビルの、ある一棟の頂点を見つめていた。

 

「────」

 

 確証はない。証拠もない。

 だが、なにかが───ここに来ようとしている。

 美食研究会として、数々の修羅場をくぐり抜けてきた果てに研ぎ澄まされた勘というものが、大きく反応を示していた。鰐渕アカリが美食を求め続けるのであれば、これから先の光景を、一瞬たりとも見逃してはならないと。

 果たして、その勘は正しかった。

 ハルナの声も、周囲の騒音も、立ち込める混沌も。

 なにもかもを無視して、ひたすらその場に立ち尽くしてから、六秒後。

 それは、紅く光る尾を引きながら現れた。

 

「──!」

 

 それは、キヴォトス人の視力ですら追いつけない速度で、ビルの屋上から屋上へと駆け跳んでいく。獲物を狙って急降下していく鷹のように。推力を得た戦闘機のように。空から落ちてきた流星のように。

 アカリでさえも例外ではなく、注視していなければ、何が起きたのかまるで理解できなかったに違いない。

 けれど、アカリはずっと見ていた。

 あるいは、待ち望んでいた。

 だから、目を合わせることができた。

 だから──合図を送ることができた。

 

「……ふふ、うふふふ──」

 

 腹の底から歓喜がこみ上げる。身体が熱くて堪らない。彼に、ウィンクは届いただろうか。きっと届いただろう。何故なら、自分と彼の間には縁がある。ならば、届かない道理はあるまい。

 アカリがふるふると自分の身体を震わせていると、心配を通り越してこっちの正気を疑っているかのような調子で、ハルナが声をかけてきた。

 

『──アカリさん? その、本当に大丈夫です?』

「ええ、大丈夫ですよ。まったく問題ありません。うふふ。ああ、ハルナさん? こちらの仕事が終われば、先生を連れてそちらに向かいますね」

『? ええ。それは構いませんが……どうしてですか?』

「どうして、ですか」

 

 不思議そうに尋ねてきたハルナに、アカリは舌なめずりをしてから、ゆったりと答えた。すでに確定した未来を語るかのような、強い確信を持った口調で。

 

「それはですね──祝勝会も兼ねた食事会を、今日! 開いちゃうからです★」

 

 

 〇

 

 

「──どうやら、今日は帰れそうにないらしい」

「なんか言ったっ!?」

「帰れそうにないと言ったッ!」

 

 背後から響いてきたコハルの大声に同じく大声で返しながら、タロウはハンドルを大きく回す。その握りに応じるように、大型バイク──エンヤライドンは大きな雄叫びをあげると、ビルの屋上を疾駆しては飛び移っていく。

 決して、道路ではない。

 そして、正気でもないだろう。

 だが、ビルの屋上を道路として使おうと考える者は、さすがのブラックマーケットにも存在しないらしい。その甲斐もあってか、エンヤライドンは三人を乗せているにもかかわらず、疾風のような速さで走り続けていた。

 

「タロウさんっ! 次は三時の方向に見える商業ビルへ飛び移ってくださいっ! それからは直進して──銀行が見えたら、右へ旋回を!」

 

 運転役のタロウに指示を飛ばすのは、タロウの腰へ必死の形相でしがみついたコハルを後ろから挟む形で、最後部に座っている阿慈谷ヒフミである。

 たぶん、ブラックマーケットの各地区の構造を完全に理解しているのだろう。おさげを荒々しく靡かせながら、一瞬も怯む様子もなく、次々と指示を投げていく姿は、頼もしいことこの上ない。

 とはいえ、発案者ならそれぐらいはやってのけて当たり前だともコハルは思う。ノープランかつ思い付きで「普通の道路だと渋滞は免れないので、建物伝いに移動します!」などとほざいてきたのなら、その時点でコハルは即座にヒフミを正義実現委員会に突き出していただろうから。

 

「良いだろう───!」

 

 ヒフミの指示を受け取ったタロウは、コハルの思考が追いつかないほど巧みな車体操作によって、速度を落とさず見事に指示を達成していく。三時の方向。商業ビル。直進。右へ旋回。

 エンヤライドンの前輪がアスファルトを鋭く噛み、時には砕く。そのたびに加重される衝撃が、乗り手たるタロウ、その腰にしがみついたコハル、司令塔をつとめるヒフミの身体を跳ね上げようとする。しかしタロウは、元より進む以外に道は無いと言わんばかりに、構わず前を見据える。

 やがて、真っ正面に巨大な壁が立ち塞がった。

 コハルは目を瞑っていたからすぐには気付かなかったが、それは今いる区画のなかで最も巨大なビルだった。

 地上25階、地下2階、高さ101メートルを誇るそのビルを前にして、タロウはブレーキをかけることも、迂回することもせず、ひたすら真っ直ぐ突き進んでいく。

 ひと際高い唸り声をあげたエンヤライドンが、その速度を一気に上昇させたことを訝しんだコハルが、恐る恐る目を開き、

 

「────────」

 

 一秒と経たずに絶句して、一瞬で目をつぶり直した。それからタロウの腰をより一層つよく抱き締める。タロウはそれを感じると、コハルとヒフミを鼓舞するかのように力強く叫んだ。

 

「──行くぞっ!」

「はいっ!」

「ゔぅ〜っ!」

 

 ヒフミが頷き、コハルが呻く。

 すべてを背中で受け止めて、タロウはエンヤライドンのエンジンの回転数を急激に上昇させた。後輪に伝わる駆動を感じた瞬間、ハンドルを手前に上げつつ、半ば倒れ込むような形で体重を背後に移動する。

 

「ぐぇ!」

「だ、大丈夫ですかっ!?」

「大丈夫じゃないわよっ!!」

「そうですよねごめんなさいっ!!」

「喋るなッ! 舌を噛むぞッ!」

 

 潰れたカエルのような声を出すコハルと心配を露わにするヒフミを制し、タロウは前輪が高々と上がった状態──いわゆるウィリー走行を保ったまま、ビルの壁面目がけて突き進む。

 そして、衝突寸前となる直後。

 

「そぉらァ────ッ!」

 

 タロウはエンヤライドンを両腕の膂力のみで強引に浮き上がらせると、地面に触れていた後輪で、不可視の世界──脳人レイヤーにしか存在しないマンホールを踏み付けた。

 瞬間。

 

「─────────────ッ!!!!!!!」

 

 世界に働きかけている、ありとあらゆる力を無視して、エンヤライドンは虚空を自由自在に駆け飛んだ。

 そうして、瞬く間にビルを追い越し、屋上から数十メートルは離れているだろう位置でようやく止まる。

 足元に一気に広がったのは、炎に包まれたブラックマーケットの遠景。

 立ち上る黒煙すら届かないような高所のなかで、ヒフミはバイクから身を乗り出して、出発前にタロウから教えられたヒトツ鬼の目的とそれまでの行動、そして現在のブラックマーケットに流れている取引の情報を頭に浮かべながら、ブラックマーケット全域を見渡す。

 

 

 ──たぶん、次に狙われるところは……。

 

 ──でも、聞いてた話とちょっと違う。

 

 ──無差別?

 

 ──いや、違う。

 

 ──まるで誰かから……

 

 ──逃げてる?

 

 

 その時、どこからともなく大きな爆発音が聞こえてきた。思考を中断し、音がした方向に視線を送ると、新しい黒煙を体内から吐き出しているビルがまた一棟増えているのが見えた。

 だから、ヒフミは。

 

「タロウさん──!」

 

 そこから最も遠い位置にあるビルに、狙いを定めた。

 

 

 〇

 

 

 脳人レイヤーの扉をくぐり抜けた瞬間、待ち構えていたかのように、ライフルの腹の底まで響いてくるような銃声が、白洲アズサの鼓膜に木霊した。

 

「ふ、うッ──!」

 

 脳髄よりも早く反応した反射神経が、ほとんど崩れ落ちるような形で身体を強引に屈めさせる。同時に、先程まで顔面があった場所を一発の弾丸が貫いていくのがわかった。

 直後に聞こえてきたのは、ハンドルが引かれ、排莢された銃弾が地面で何度も跳ねる音。次に選ばれた得物はボルトアクション式のライフルと推測する。

 つまり、ほんの僅かな──指先に乗った雪片が溶けるまでほどの時間しかないけれど、確かな空白が存在するということだ。

 けれどその空白は、アリウス分校に脈々と受け継がれてきた文言が銃身に刻まれている、自らのアサルトライフル──Et Omnia Vanitasの銃口を、姿勢を崩したまま敵に定めるよりは短いだろう。

 ゆえにアズサは、レッグホルスターに装着してあったナイフを抜き払い、おおよその狙いを付けて投げ放った。

 勿論、ハナから当たるとは思っていない。結果を見ることなく、その場から即座に転がりながら退避する。視界が幾度となく回転するなかで、地面が弾ける音が聞こえたが、想定していた着弾点とズレた位置からだった。

 どうやら幸運にも、牽制ぐらいは果たしてくれたらしい──しかしアズサは一ミリも油断することなく、フルオートに切り替えたアサルトライフルの引鉄を引き続けながら、敵影を中心に円を描くような軌道に乗って、攻撃を続ける。

 

「……っ!」

 

 キヴォトス人にとって、銃弾の一発や二発ぐらいは、負傷の内にも入らない。ましてや相手は尋常ならざる存在──ヒトツ鬼である。だから、アサルトライフルを幾ら連射したところで、効き目が薄いだろうことは最初から覚悟していた。

 しかし。

 

「──化け物め……!」

 

 敵影──海賊鬼は、全身から弾着の火花を絶え間なく散らしておきながら、ひとつの傷も負うことなく、じっとアズサを見据えていた。まるで、狩られる獲物はそちらだと言わんばかりの寒気のするような眼光をもって。

 けれど、恐怖に竦んで足を止めるような愚挙は犯さない。アズサは冷静にマガジンを交換しながら、作戦を組み立て直していく。

 海賊鬼との戦闘は、今日の夕方頃に繰り広げたものを加えると、これで六度目になる。だから、敵の能力や脳人レイヤーを使用した逃走経路の選択の傾向など、ある程度の情報は揃いつつあった。

 今夜に限って、行動範囲をより無差別的に広げてきたのが引っ掛かるが──収集した武器を大量に消費してしまうような、いわゆる不測の事態が起きたのかもしれない。

 だが。

 例えそこにどんな事情があったとしても、今夜を逃せば仕留める機会は二度と訪れないことが、アズサはなんとなく理解できた。

 それは即ち、海賊鬼に強奪された何丁かのアリウス製アサルトライフルが、二度と手の届かない場所に逃げ去ってしまうことを意味している。

 それを回収することが、今回のアズサの任務だった。それ以外の理由など存在しないはずだった。

 はずだったというのに。

 

 ──私達は、その時が来るまで、陰に潜み続けていなければならない。誰にも、存在を知られてはならない。誰とも……触れ合ってはならない。

 

 任務に出発する直前に、自身の家族とも、師匠とも呼べる存在から掛けられた言葉を思い出す。

 わかっている。

 

(──わかっている)

 

 わかっていると嘯いて、自分はバカな真似をした。

 ブラックマーケットの殺伐とした雰囲気にまったく似つかわしくない、眩しいまでの善性を秘めた二人組──交わした会話は短く、共に過ごした時間は刹那だったけれど。

 あの瞬間だけ、アズサは「アリウス分校の白洲アズサ」ではない──アズサ自身でさえも知らない自分になれた気がした。

 きっと、愚かな考えを抱くなと、アリウスの誰からも罵倒されるに違いない。

 

 ────Vanitas vanitatum et omnia vanitas.(虚無の虚無、全ては虚無なり)

 

 それは、アリウスだけではなく、世界そのものに言えること。

 全ては虚しく、空っぽで、いつか無駄になる。

 しかし、あの二人がこのブラックマーケットで、信じられないほど美味しいたい焼きを作っていた光景を思い浮かべると、アズサの心の裡によくわからない衝動が湧き上がってくるのだ。

 その衝動は決して、不快なものではない。それどころか──

 

(……あの、花)

 

 風雨にさらされ薄汚れた、弾痕だらけのコンクリートの片隅で、陽に照らされながら咲いていた花。

 どれだけ丁寧に扱っても、きっとすぐに枯れ落ちてしまうだろう花。

 あれを見たときに感じたものと、似ているような気がするのは、たぶん気のせいなんかじゃなかった。

 だから。

 だから──

 

「……命を懸ける、意味はある」

 

 脳人レイヤーがあることから、ゲリラ戦の効果は見込めない。そもそも、今回の戦闘は奇襲から始めたのだ。ここまで追い詰められた以上、今よりもさらに警戒心を高めてくるだろうことは容易に予想できた。そして、通常の手段ではダメージを与えられない。となれば、神秘を込めた一撃を喰らわせるしかない。

 

「……」

 

 ガスマスク越しに、アズサは周囲を視線で探る。おそらくは高層ビルの一室。空間は広く取られており、入り口を起点として室内を囲い込むようにして、大きな窓ガラスが何枚も張られている。窓の外に扉は見えない。背後には一枚のマンホールが浮かんでいる。

 よって。

 

「────すべてを無に帰し」

 

 脳人レイヤーの力を借りることでガラスを突き破り、海賊鬼もろとも窓の外に飛び出ることで落下する以外の手段を無くし、避けることのできない超至近距離から神秘の銃弾を叩きこもうと覚悟を決めかけたところで──

 

「──いてどいてどいてどいてどいてぇえええええええッ!!」

 

 どこからともなく飛んできた、一大の赤い大型バイクに思いっきり出鼻を挫かれた。

 破砕音とともに、分厚いガラスが木っ端微塵に吹き飛ばされる。五感を揺るがす衝撃が、一瞬で部屋全体に行き渡る。

 

「なっ──!?」

 

 驚愕を露わにするアズサの前で、バイクは円の軌跡を描きつつ、コンクリートに深い轍を刻み込んだ。その最中、アズサと同じく呆気に取られた海賊鬼の身体を、後輪が激しい勢いで打ちつける。

 轟音が生じ、吹き飛んだ海賊鬼の髭のなかから、両手の指では数えきれないほどの銃器がバラ撒かれた。

 そのなかに、ひと際ちいさい赤い鍵が浮かんでいる。

 疑問を抱いたアズサが、その像を正確に捉えようとすると、ひとつの手が覆い隠すかのように鍵を掴み取ってしまった。

 その手の主と、バイクの後ろに乗っていた人物を見て、アズサはさらなる驚愕を覚えた。

 

「あなた、たちは──」

 

 不敵に笑って鍵を掲げているのは、たい焼き屋の店主。

 膝を震えさせつつもしっかり立っているのは、そのアルバイト。

 そして──「5」という数字を記した紙袋を被っている、謎の少女。

 

「? っ……!?」

 

 顔見知りとまったく知らない上になにからなにまで珍妙な格好をしている相手が、行動を共にしていることに混乱を深めるアズサの前で、赤い鍵──ドンモモタロウのレンジャーキーを取り戻した桃井タロウは、積もった瓦礫を蹴り飛ばしてきた海賊鬼に向けて、高らかに言い放った。

 

「さぁ──楽しもうぜっ!」

 

 一直線に突き出されたレンジャーキーが淡い光を灯して、タロウの身体へと吸い込まれる。やがて、輝きを纏って現れた一枚のギアを、タロウはどこからともなく取り出した片手銃に装着した。

 そして。

 

「アバターチェンジッ!」

 

 

 ──『イヨォーッ! 

 

    ドン! 

 

    ドン! 

 

    ドン! 

 

    ドンブラコォーッ! 

 

    アバタロウ!』

 

 

 引鉄が引かれ、銃口から巨大なギアが出現し──

 

 

  ──『ドン! モモタロウ~ッ! 

     ヨッ! 日本一ぃっ!!』

 

 

 天下無双のドンモモタロウが、ブラックマーケットに颯爽と降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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