ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

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そのく

 

 

 

 

 

 

 

「──来てくれるって、信じてました」

 

 その声が誰から発されたものなのか、下江コハルは最初わからなかった。

 発生源は明らかだ。桃井タロウがヘンテコなバイクをぶつけたことで、交通事故もかくやといった風に吹き飛ばされていったヒトツ鬼がいる方向。

 かつては壁だった瓦礫があちこちに散らばったその場所には、未だ健在のヒトツ鬼しかいないはずである。事実そこには、いびつな色合いのヒトツ鬼が、鉄球を引きずっているように重心を揺らしながら立っていた。

 だから、コハルはわからなかったのだ。

 だって聞こえてきたのは、嬉しそうな少女の声だったのだから。

 

「私、待ってたんです。あなたなら、きっと必ず──またドンモモタロウになってくれるって」

 

 ヒトツ鬼は笑いながらそう言うと、身体を光らせた。突如起きた変化に、誰もが身構えるなかで、化けた文字列によって作られた輪っかがヒトツ鬼の体内から弾き出される。

 すると、そこに立っているのは怪物ではなく、長い前髪で目を隠した、赤と黒を基調にした制服を着た少女となっていた。

 どこにでもいそうな、普通の少女だった。

 強いて特徴をあげるのならば、正義実現委員会の生徒だった。

 

「あんた──!」

 

 コハルは思わず声を上げる。

 ヒトツ鬼が人の欲望に宿ることは、すでに桃井タロウから聞いている。この驚きは、宿主がよりによって正義実現委員会の生徒から来るものだった。

 自分だけではない。紙袋を被った少女──阿慈谷ヒフミもまた動揺しているらしい。ぽっかり空いた二つの穴から覗く目が、月よりも丸くなっているのが見えた。

 動じていないのは、ドンモモタロウと、ガスマスクをつけた少女だけだ。

 いや──

 ドンモモタロウは、どことなく怪訝そうにしている。表情はうかがえないが、コハルはなんとなく、桃井タロウがマスクの下でその太い眉を顰めていることがわかった。

 

「おれを待っていた、だと?」

「はい!」

 

 剣を肩に担いだドンモモタロウが問うと、少女は廃墟じみた場にそぐわない明るさを保ちながら答えた。そして、顔の前で両手の指を合わせて、気恥ずかしそうに笑ってみせる。

 

「私、あなたにずっと憧れていて……あの、覚えてますか? 茶葉店占領事件。あの時に、私、タロウさんと……」

「あの時の──?」

 

 一拍、置いて。

 タロウの脳は、少女の顔の照合を完了した。

 このブラックマーケットを駆け回ることになった、そもそもの発端。

 羽川ハスミからの依頼を請け負った日。

 チャカポコヘルメット団なる集団が乗り込んだ戦車を、鎮圧し終えた後に話しかけた──

 

 ──後はアンタ達に任せる。ご苦労だったな。

 

 ──は、はい! ありがとうございましたっ。

 

「──そうか、アンタか! 縁があるなっ」

「お、覚えていてくださったんですね……っ! 嬉しいです……!」

 

 そう言われて、少女は弾んだように喜んだ。前髪の隙間から見える眼差しは、綺麗な三日月の形に曲げられている。込められている歓喜と好意と尊敬は、混じりっ気のない本物だ。心より敬愛する先輩がいるコハルには、それがよくわかる。

 よくわかるからこそ。

 

(……なんで、そんな顔してられるの? こんな状況で)

 

 少女とヒトツ鬼。

 純粋な憧れと殺意しか感じられない戦いぶり。

 愛と平和を重んじる象徴の制服と炎と混沌が溢れかえった街並み。

 なにもかもがチグハグで、ズレてしまっているように見えた。そのことに本人は、果たして気づいているのだろうか。

 違和感に苛まれるコハルをよそに、ヒトツ鬼だった少女は頬を上気させて、熱心な様子で話し続けていく。

 

「ツルギ先輩や、ハスミ先輩。イチカ先輩と、マシロちゃん……他にも尊敬している人はいるんですけど、やっぱり一番はあなたなんです」

「当然だな! 誰が相手であっても、このおれこそが最強──それはこのキヴォトスでも変わらない」

「はい! 流石です、ドンモモタロウさんっ」

「わーっはっはっはっ! なかなか見る目があるようだなッ!」

「素敵ですっ。カッコいいですっ。最高ですっ」

「わーっはっはっはっは! わァ───っはっはっはっはっ!!」

 

 少女の賞賛を受けて、ドンモモタロウは気持ち良さげに、桃のマークが印刷された扇子をぱたぱた煽いでいた。

 

「…………」

 

 バカが二人いる。

 さっきまでの修羅場感はなんだったのかと、コハルは思わず肩を落とす。落胆のため息を吐かなかった自分を誰かに褒めてもらいたかった。

 特に片方の赤タイツバカはよく周りを見て欲しい。「本当に何をしにきたんだろうこの人?」みたいな目を向けられていることに頼むから気づいてくれと思う。

 そうやってコハルが気を抜いた瞬間に、少女はテストで満点を取れたことを親に報告するかのような口調で、言った。

 

「だから、私──いっぱい頑張っているんですっ! 悪の巣窟になっているこのブラックマーケットを、叩き潰す為にっ」

 

 少女の声に、嘘はない。

 この惨状をもたらした相手は、例えどうしようもない浮かれポンチに見えたとしても、やっぱり彼女以外にいないのだ。

 けど、そんなこと、できるわけがない。コハルはこの任務を通じて、ブラックマーケットの広大さとその深さを知っている。

 絶句するコハルの代わりに、ガスマスクの少女が無慈悲な言葉を叩きつけた。

 

「……不可能だ。あなたは一人きりで、ブラックマーケットはもはや、ひとつの学園とも呼べる存在。彼我の戦力差なんて、ノミと象を比較するようなもの……子供でもわかる」

「私も、そう思っていました。こんな力を手に入れられても、ひとりじゃいきなりブラックマーケット全部を相手にすることはできないって」

 

 ガスマスクの言葉を、少女は意外にも冷静に受け止めた。しかし言動のなかには、歪んだ熱情が流木めいて、途切れ途切れに浮かんでいるのがわかる。コハルは静かに、鳥肌の立った自分の腕をさすった。

 

「だから、初めは小さいところから始めようと考えました。例えば銃とか爆弾とか……いわゆる武器を扱う取引を、片っ端から潰していったんです。

 だって銃は、キヴォトスで生きていくにあたって、絶対に必要になってくるものでしょう?

 それを手に入れられなくなったら、危機から身を守る術がなくなるわけじゃないですか。そして、ここはブラックマーケット──そんな場所で銃器を持たない人は、きっと絶好の的ですよね?」

 

 桃井タロウとブラックマーケットに潜入した初日、こちらの素性を見抜いてきて、一方的に取引を終わらせようとしていたブルドッグ顔の商人をコハルは思い出す。

 銃を持っていても、ああだったのだ。銃を持たない住民が増えたブラックマーケットで描き起こされる絵図など──考えただけでゾッとする。

 しかしコハルの抱いた感想とはう荒原に、少女はでも、悲しげに眉を歪めて、顔を俯かせた。

 

「ダメだったんです。いくら取引を台無しにしても、また別の地区で発生しちゃうんです。道端に生えている雑草みたいに」

「それは……」

 

 そうですよ、とブラックマーケットに人一倍詳しいヒフミが肯定を示す言葉を繋げようとした瞬間、場に満ちている狂気が、その密度を一瞬で限界点まで引き上げた。

 あまりの濃度に息が苦しくなる。質量など持つはずのない空気が、不可視の麻縄と化して首を絞めてくるのを感じる。

 

「う──」

 

 誰が引き上げたのかといえば、言わずもがな。

 俯けていた顔をぱっと上げたときには既に、少女の瞳からは完全に、正気と呼べるものが失われていた。

 

「だから、私、決めたんですっ! 

 ブラックマーケットをこのキヴォトスから無くしてしまおうって! 

 強い武器をたくさん集めて、ここに住んでいる人をみんなみんな殺してしまって! 

 最終的に、ブラックマーケットを焼き払うんですよ! 建物も、土地も、なにもかもを!

 そうすれば──……!」

「そうすれば、なんだ?」

 

 哄笑の混じった少女の主張を断ち切るように発せられたのは、ドンモモタロウの声だった。

 憧れの相手からの質問に、少女は笑みを止め、口をつぐむ。

 そうすれば……どうだというのだろう。

 どうして自分は、ブラックマーケットを潰そうと考えたのだろう。

 通常の手段では入手できない、強大な威力を秘めた武器を手に入れたいから?

 汚濁しきった川のように、絶えず悪意が循環し続けているその有様を許せないから?

 色々と考えてみたが、どれもしっくり来なかった。でも自分は、きっと何かを叶えるために、ここまで走ってきたと思う。思うというのは、それを思い出そうとすると頭が激しく痛むからだ。まるで、脳そのものが拒んでいるかのように。

 思い出せば──なにかが終わってしまうと叫んでいるように。

 

「そうすれば……」

 

 答えを出せないまま、少女は唇を開いた。しかし、先程までの精彩を欠いてしまったかのように、その動きは鈍い。

 

「──」

「そう、すれば……?」

 

 目の前の少女は、そこから先の句をこれ以上継げないと見てとると、ドンモモタロウは肩に担いだザングラソードを地面に突き刺し、ゆっくりと腕を組んだ。

 

「力とは、成すべきことを成すために振るわれるものだ。決して、自らの欲望のために振るうものでも、ましてや振り回されるものでもない」

「──私は、そうしています! 成すべきことを成すためにこの力を……!」

「違うな!」

 

 少女の答えを、ドンモモタロウはただのひと言をもって、快活に断ち切る。

 立ち込める狂気をたちまちに払い除けたそれは、まるで谷底に溜まって澱みに澱んだ霧を一気に晴らしていく、清々しい青嵐を全員に連想させた。

 ドンモモタロウはどこまでも滑らかに、流れるように言葉を続ける。

 

「アンタはただ、踊らされているだけだ! 他の誰でもない、アンタ自身の心に!」

「……!」

「それでもまだ認められないというのなら。抗うのならば、良いだろう!

 おれはただ───その悪縁を断ち切るだけだッ!」

 

 そうして突き付けられたのは、揺るぎなき言葉と剣の切っ先。

 そこに籠められているのが敵意ならまだ良かった、と少女は思う。敵意ならば、どこまでも彼と自分は他人同士で、所詮は分かり合うことなど叶わないのだと、まだ諦めがつくから。

 しかし、ドンモモタロウの剣に籠っているのは、何もかもを受け入れて、あらゆることを受け止めて──その上でなお断ち切らんとする、強く眩しい覚悟だった。

 

(──どうして……!)

 

 少女の心に、粘着質な泥がしみ込んでゆく。

 いっそのこと、払い除けてくれればよかったのに。

 認められないと言ってくれればよかったのに。

 排除してくれればよかったのに。

 そう。

 今の自分のように───!

 

「どうして、あなたはァアッ……!!」

 

 暴力的な衝動が裡で膨れ上がる。抑えることなど初めから頭にない。そうして少女はふたたび、欲望の化身たるヒトツ鬼──海賊鬼と化した。

 ごう、と音を立てて、室内の空気が荒れ狂いだす。異形の身から放たれた圧力が部屋を覆うガラスを震わせる。

 そのなかにあってなお、ドンモモタロウは不敵に笑いながら、ザングラソードを宙に放り投げた。

 敵を前にしておきながら、唯一といってもいい得物を放り投げるという愚行。

 

「──?」

 

 彼はいったい何を考えている? とアズサは息を呑んだ。

 

「──!」

 

 タロウさんまた何かやらかそうとしてる! とヒフミは身構えた。

 

「ドン、モモタロウォ──ッ!!」

 

 海賊鬼は何かをやる前に叩き潰してやると、取り出したガトリングを向けた。

 

「桃井──っ!!」

 

 コハルは桃井タロウの邪魔は絶対にさせないと、慣れないながらも必死に銃を構えた。

 そのすべてを。

 

「──アバターチェンジッ!」

 

 ドンモモタロウは超越してゆく。

 

 

 ──『イヨォーッ! 

 

    ドン! 

 

    ドン! 

 

    ドン! 

 

    ドンブラコォーッ! 

 

    ロボタロウ!』

 

 

「────ロボタロウッ!」

 

 剣を手放したドンモモタロウの手に握られていたサングラス型の片手銃──ドンブラスター。

 そのギアテーブルにセットされたドンロボタロウギアが、金色の輝きを散らしながら回転する。

 たちまち召喚される、内包されていたアバターデータ。

 単なる光の塊でしかなかったそれは、やがて赤く煌めく外装と化して、海賊鬼より撃ち放たれた無数の銃弾を衛星めいた動きによって弾き飛ばす。

 

「───!」

 

 銃弾と鎧が高速でぶつかり合ったことによる衝突音が、アスファルトを叩く雨音のごとく響き渡り、飛沫のように飛び散る火花が辺りをまばゆく照らす。

 そのなかで、ドンモモタロウは宙に浮かんだザングラソードの柄を掴み取り、

 

「さァ──勝負だッ!!」

 

 砕かんばかりの勢いでアスファルトを踏み締めて、疾走を開始した。

 

 

 〇

 

 

 砲弾のような速度で迫り来るドンモモタロウを迎撃せんと、コハルの銃撃によって姿勢を崩した海賊鬼は、構え直したガトリングを乱射する。

 しかし、ドンモモタロウに追従する幾つもの外装が、傷つくことを許さない。

 銃弾などまるで最初から存在しないかのように突き進んでくるドンモモタロウへ、海賊鬼はとうとう面による制圧を行うことを決意した。

 すなわち、大量の手榴弾の投擲──

 海賊鬼が浮かべた思考に、コンマの遅れを取ることもなく取り出された手榴弾の軍勢は、意思を持たされたかのような動きで、ドンモモタロウと彼を包む衛星へと迫る。

 だが、ドンモモタロウは立ち止まらず。

 その距離は必然、みるみるうちに零へと近づいていき──

 着弾。

 爆炎と衝撃波が爛漫と咲き誇る。たとえキヴォトスの生徒であろうとも意識の消失は免れないであろう破壊の花は、瞬く間に成長を遂げると、周囲に災害の花弁を躊躇なく撒き散らした。

 禍々しい炎と光に、誰もが目を覆うなかで。

 海賊鬼は、確かに目撃した。

 曙光に染まった炎を突き破り、黒く濁った噴煙を纏って駆けてくる──

 

 ──『ヨッ!

    世界一ぃっ!!』

 

 真紅の鎧武者を───!

 

(反、撃を───!)

 

 海賊鬼が銃を構えるよりも早く、鎧武者──ドンロボタロウの背中に取り付けられたバーニアが、強く雄々しく火を噴いた。

 残像が空間に刻まれるほどのスピードで移動したドンロボタロウは、そのまま海賊鬼の懐に潜り込む。

 そして。

 

「遅ぇッ!!」

 

 息をつく暇も与えんとばかりに、バーニアの噴射による勢いを活かした強烈な左の掌底が、海賊鬼の胸部に叩き込まれた。

 心臓が爆発したかのような衝撃が異形の全身を駆け巡る。そうして比喩抜きに宙に浮かんだ海賊鬼へ、ドンロボタロウは容赦なく追撃を加える。

 掌底を伸ばし切ったまま、その場で片足の跳躍。海賊鬼よりわずかに高い位置まで昇ると、バーニアを小刻みにふかすことで、自らの天地を逆転させた。

 機体と水平になる地面。

 頂点に達すると同時に下げる逆足。

 急転直下の、オーバーヘッドキック。

 

「そらアッ!!」

 

 鮮やかな軌道で頭蓋めがけて振り下ろされた脚を、海賊鬼は咄嗟に交差した両腕で受け止めた。

 

「ぐゥ──ッ!」

 

 莫大な衝撃に骨身を震わせつつも、どうにか直撃だけは避けたことに安堵する。吹き飛ばされる勢いを利用して一時的な退避を目論んだところで気付いた。

 剣は?

 ドンロボタロウの剣は、何処に───?

 

「後ろだッ!」

 

 視線を向けずとも、ドンロボタロウの武器が背後から迫っていることが、気配で理解できた。

 おそらく手榴弾の爆発に飲み込まれた際に、溢れんばかりの炎と煙に紛らせて放ったのだろう。しかし気付いたところで既に遅い。

 前門の虎、後門の狼。

 前方のドンロボタロウと後方のザングラソード。

 どちらもきっと、容赦も呵責もしてくれないに違いない。だから、海賊鬼は今すぐに決意しなければならなかった。

 そして決意した。

 なにをしてくるかわからないドンロボタロウよりは、斬撃か殴打のどちらかに行動を限れるザングラソードを相手にした方がまだ回避できる確率は高いと。

 戦闘よりも回避を優先した。

 しかし、やはり、意識を外すべきではなかった。

 ──ドンロボタロウから。

 

「戦う相手を間違えたなァ───!」

 

 爆音。

 ドンロボタロウによる渾身の踏み抜きが、地面を打ち抜く。そこから流し込まれた凄絶な勁力により、頑強を謳うはずのアスファルトが内側から破裂したように砕け散った音だった。

 室内全体を揺るがしたその音に対して、続いたドンロボタロウの動作は、流れる水のように淀みなく、滴り落ちる一滴の雫よりも静かに行われた。

 バーニアの噴射を切った背中が、海賊鬼の身体のちょうど正中線を覆う位置に、ぴったりと寄り添う。

 呼吸に弛みはない。体重はよく晴れた夏の日の影めいて自然な移動。

 よってドンロボタロウの全質量は、一欠片も余すことなく背中へと集中することになり──

 繰り出されるは、鉄山靠。

 

「─────!?」

 

 空爆を受けたってここまで吹き飛ばない。

 それほどの勢いで、海賊鬼はその場から姿をかき消した。遅れて部屋の壁が砕け、ビルの内部と高さ百数十メートルはあるだろう外界を隔てる外壁が木っ端微塵にされる無惨な轟音が響いた。

 

「はっはっはっはっはぁ────っ!!」

 

 高笑いとともに、すれ違いざまにザングラソードを手に入れたドンロボタロウはバーニアを噴射させると、ビルの外に吹き飛んだ海賊鬼を追いかけるために飛んでいった。

 

「……はっ!」

 

 かろうじて原型を保っていた壁が、今度こそ修復不可能な形に変形したような音を聞いて、コハルはようやく正気を取り戻す。二人の攻防にまったくついていけなかったせいか、思考が明後日の方向に逃走をかましていた。

 慌てて海賊鬼とドンロボタロウが空けたいくつかの穴をくぐり抜け、終点である廊下へと向かう。風と熱気が遠慮なく吹きかかる穴からおそるおそる身を乗り出すと、遥か彼方の虚空──燃え盛るビル群の隙間で、激しくぶつかり合っている二条の光が見えた。

 なんというか、もう、ついていけない。

 そんな気がしなくもないが、それでもコハルはもう二度と、桃井タロウをひとりで戦わせるつもりはなかった。だって約束したのだ。もう二度と死なないでと。

 そしてタロウはこう言ったのだ──必ず、勝つと。

 

「……約束、破らせないんだから」

 

 そう呟き、コハルはその場から走り出す。桃井タロウを助けるために。

 それを見ていたヒフミは、慌てたようにコハルの腕を掴んだ。

 

「ま、待ってください! 一体どこへ!?」

「あいつを……桃井を助けに行くのよっ! なに!? 邪魔するつもりっ!?」

「落ち着け、彼女……彼女? は別にあなたを妨害しているわけじゃない。

 ……あなたと彼に勝算があるかどうか気になるから引き留めたんだ」

 

 近寄ってきたアズサが問うと、コハルは居丈高に吼えた。

 

「そんなの無いわよっ!」

「……」

「でも、行かなきゃ! 私はたぶん、きっと、何にも出来ないかもしれないけど……!」

 

 コハルは強く思う。

 少し態度を改めたからといって、これまでのダメだった自分がいきなり、デキる自分になるわけがない。世界はそんなに都合よくなんかない。きっと下江コハルは戦闘ではずっと桃井タロウに置いてかれっぱなしの、いいとこなしで終わってしまうのだろう。

 わかっている。

 わかっているけれど。

 それでも──

 

「それでも──桃井をひとりにさせたままなのは、絶対によくないっ!」

 

 自分はもう、知ってしまっている。

 桃井タロウが本当は、一人ぼっちを寂しがっていることを。

 ハッキリ言うと、下江コハルは桃井タロウのことが今でも嫌いだ。

 確かに実力は認めるけれど、常に上から目線で、意地っ張りで、傲慢で、俺様で、心の底から気に食わないヤツだからだ。

 だけど、コハルは知っている。

 一人でいることの寂しさと、虚しさと、苦しさを。

 だから、コハルは走ると決めた。

 桃井タロウを、一人きりにさせないために。

 

「───打算とか、損得とか、理屈なんかじゃなくて、私は良くないと思ったから! だから、私は行くのっ!!」

「──」

 

 取るに足らないはずの稚拙な言葉に、しかしアズサは雷に打たれたように動けなくなった。そんなことを考えて、その通りに動こうとする人間が本当に存在するとは、信じられなかったからだ。

 しかし、紙袋を被った少女はそうではないらしい。呆気に取られていたのは少しの間だけで、やがて二つの穴から覗く眼球を、決意の形に曲げていた。

 

「……」

 

 今の自分は、ヒトツ鬼よりアリウス製のライフルを取り戻すという任務を務めている。そのためには、ヒトツ鬼の討伐が必須条件。

 そして、ヒトツ鬼に真正面から対抗でき得る手段は──今のところ、あのたい焼き屋の店主しかいなさそうである。

 よって、彼女たちに協力するのが、任務達成に最も近い道だと判断した。

 

「……私も行こう。あの化け物──ヒトツ鬼とは、何度か交戦経験がある。何か使える情報があるかもしれない」

「あ、ありがとうございますっ」

 

 アズサがそう言うと、紙袋の少女がぺこりと頭を下げて、礼を言ってきた。それから首を傾げて、アズサを……より正確に言うなら、ガスマスクを不思議そうに見つめてくる。

 

「え、えっと……ちなみにあなたのお名前は?」

「──私の名前を知って、なんのメリットがある?」

「め、メリットですか? いえ、そこまで大層な話じゃなくて……ほら、今から一緒に行動するわけですから、せめてお互いの名前ぐらいは知っておいた方がいいかなーと思いまして」

「……ふむ。確かに、一理ある」

 

 アズサは顎に手を当てて、少し考え込んでから、咄嗟に頭に浮かんだコードネームを口にすることを決めた。

 

「──セキュリティの問題もあるから、私のことはペンギンと呼んで欲しい」

「は、はあ……ペンギン、さん?」

「さん、はいらない。それで、そちらのコードネームは?」

「私!? あ、ええっと…………ふぁ、ファウストでお願いします」

「わかった。短い間だけどよろしく、ファウスト」

「うぅ……よろしくお願いします……」

 

 アズサは紙袋──ファウストと握手を交わしてから、なにやら怪しい儀式でも眺めているような目でこちらを見ていたコハルに視線を向けた。

 

「あなたのコードネームは?」

「そんな恥ずかしい真似するわけないでしょっ。あんたたちだけで勝手にやってなさいよねっ」

「それは困る。チームを組むとなった以上、私達は運命共同体だ。ひとりのミスがチーム全体の危機に繋がると言っても過言じゃない」

「チームを組みたいなんて言った覚え、全ッ然ないんだけどっ!」

「じゃあ、組んだ方が身のためだと助言しておく」

「この──……!」

「わーわーわーわー! ストップストップストップーーーっ!!」

 

 売り言葉に買い言葉──片方は無意識だろうが──でヒートアップしていた二人の間に、ヒフミは大声をあげて割り込んだ。

 

「喧嘩するのは後にしましょうっ! それよりも今はタロウさん──じゃなかった、ドンロボタロウに追いつくことを優先するべきですっ!!」

「うん。そうだな」

「ふんっ」

 

 素直に頷くガスマスクとそっぽを向いたコハルを見て、ヒフミはがっくりと肩を落とす。まとめ切れる気がまるでしない。自分勝手に飛び出していったタロウのことを、この時ばかりは真面目に恨んだ。

 タロウ。

 ドンモモタロウ。

 

「……!」

 

 そこで、ヒフミは気が付いた。

 徒歩ぐらいしか移動手段がない自分たちが、空を飛びながら戦闘を繰り広げているドンロボタロウに追いつくための、一番手っ取り早い方法を。

 

「下江さんっ! ペンギンさんっ!」

 

 二人の注目を集めて、ヒフミは高らかに宣言した。

 

「私に──良い考えがありますっ!」

 

 

 〇

 

 

 ここに、一枚の扉がある。

 

 

 そいつはビルの出入り口を務めている扉である。そいつは扉であるゆえに、見るからに怪しげな輩も、そうでないように見えて実は怪しげな輩も、怪しげに見えて実は怪しくない風に見せかけておいてやっぱり怪しげな輩も、一切差別することなく自分の体内に受け入れ、あるいは吐き出してきた。だからと言って安穏な毎日を過ごしてきたわけではあるまい。何故ならそいつが扉のビルは、物騒事が日常茶飯事となっているブラックマーケットに建っているビルだったからだ。目の前で激しい銃撃戦もあったかもしれない。オイルでオイルを洗う大規模な抗争もあったかもしれない。けれどそいつは一度も壊れることなく、自分の役割を果たし続けた。そうしているうちにいつの間にか、長い年月を経た物品には魂が宿るという伝説があるが、もしかすればその候補に上がることができるかもしれないと思わせるような貫禄がそいつにはあった。なかなかふてえ扉である。

 

 その扉が、粉々にブチ壊される。

 

 外側からではなく内側から来る衝撃によって、そいつは粉々に吹き飛んだ。断末魔めいた破砕音を掻き消すように響いたのは、鋭いエグゾーストノイズ。

 やがて、もはや入り口としての用途を成さなくなったその場所から、一筋の矢のごとく飛び出してきたのは──先程までビルの屋上を駆け跳んでいた大型バイク、エンヤライドンだった。

 しかし運転席に座り、しっかりとハンドルを握りしめているのはドンモモタロウではなく──阿慈谷ヒフミ改めファウスト。後部座席に団子のように連なって座っているのは、下江コハルとペンギン改め白洲アズサである。

 

「行きますよっ!!」

 

 ヒフミがアクセルを全開にすると同時に、エンヤライドンは咆哮しつつ加速。ビルからビルへという特殊な状況とは打って変わって地面に車輪を噛ませているからか、その速度は爆発するように上昇した。

 獰猛に喰い破られていく風が、耳障りな悲鳴をあげながら、次々とエンヤライドンの後方に過ぎ去っていく。景色はすでに流線形で、燃え移った炎と崩壊しかけの建物と投射される光を受け止める夜空が混然としており、夢でも見ているような心地にさせられた。

 しかし、肌と耳に叩きつけられる暴力的な感覚が、現実逃避を許さない。

 

「すみませーーーんっ!! 通りまーーーーーすっ!!」

「うわあ!?」

「なんだこのバイクっ!?」

「あぶねえ───!」

 

 大声とバイクのクラクションを聞きつけて飛び退いた人々の間を、ヒフミは猛スピードで突っ切っていく。

 そのまま直進していくと、噴水が備え付けてある広場が見えてきた。ビルの位置と噴水の特徴からおおよその現在位置を特定したヒフミは、自信たっぷりといった風に右に曲がり、

 

「──!」

 

 道を塞ぐように、道路のど真ん中に放置されている、潰れかけの大きな戦車を目撃した。

 

「ど、どうするのっ!?」

 

 後ろから見えたらしいコハルが叫んでくる。ヒフミは視線を巡らせて──

 

「このまま行きますっ!」

「はあ!? このままって───ぇえええっ!!」

 

 質問に答えず、ヒフミはハンドルを回した。そして速度はそのまま、エンヤライドンの車体をじわじわと右に傾けていく。

 鳥の頭部を模したバイクの先端が向かう先には、車間距離を空けずに路肩へ放置されている何台もの車があった。

 

「──そういうことか」

 

 アズサは、紙袋──ファウストが考えていることを瞬時に理解すると、不意に後ろを向いた。そして、バイクが爆発ではなく爆風を受け取れるような位置に目がけて、取り出した手榴弾を投げ放つ。

 覚悟を決めたように、ヒフミが車体を浮き上がらせる。

 デジャヴを感じてしまったのか、コハルが目をつぶる。

 爆音と光に備えてか、アズサが耳を塞いで身体を固まらせる。

 そして一秒後に、起爆。

 

「きゃあ──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!」

 

 バイクだけならまだ耐えられた。しかし爆発まで備わってくるのは聞いていない。

 よってコハルは、本日何度目になるかわからない悲鳴をあげる。

 ヒフミは背中でその悲鳴を感じながら、たちまち浮き上がったエンヤライドンの車輪を足元にある車の屋根へと叩きつけた。

 バランスが取れたと感じた瞬間、そのまま運転を続行。

 バイクの重量によってくぐもった破砕音を立てていく屋根を無視していき、無数の破片を撒き散らしながらも、ふたたび地面に降り立った。

 

「やったっ!」

 

 ヒフミは達成感に包まれて笑顔を浮かべる。

 しかし、たまったものではないのはコハルだ。

 屋上とは違った形での悪路に、胃が痙攣を引き起こしていた。うぷ、とみっともなく喉が震え、思わず手で口を抑える。

 それを見たアズサは、少女の背中にそっと手を置いた。

 

「──大丈夫か?」

「吐きそぅ…………」

「そういう時は我慢せず吐いた方がいい」

「そうするかも…………」

「えっ!? いや普通にダメですからねっ!!」

 

 未だ広がり続けている火事や、暴徒があちこちにばら撒く銃弾よりも身近な危険が迫っていることに、これ以上ないほど焦るヒフミの耳に、ふと電子音が鳴り響いた。

 

「っ?」

 

 携帯からだろうかと思ってポケットを触るが、ぴくりとも動いていない。ならきっとコハル達だろう。そう思って振り返ろうとして、電子音の源がエンヤライドンだということに気付いた。

 見れば、運転席に取り付けられたパネルの液晶の中央に、受話器のアイコンがぽつんと浮かんでいる。おそるおそる指を伸ばしてみる。

 そして触れた、次の瞬間。

 

『──タロウさん? こちらの通信が聞こえていますか? 

 私です。ハナコです』

 

 聞くものの耳朶に染み渡るような、落ち着き払った少女の声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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