ドンブルーアーカイブ   作:鰻の蒲焼

47 / 49
そのさん

 

 

 

 

 

 

「先生」

「うん?」

「少し、時間をもらってもいいか」

 

 配達がてら事務作業を手伝ってくれていた桃井タロウから、不意にそんな言葉を投げかけられたので、先生は書類を作成している手を止めた。

 先生は眼鏡を外して、少し眉根を揉む。タロウが配達に来るまでの間に長時間パソコンと向き合っていたからか、眼球がストライキを起こしている。だから休憩に入るためのきっかけとして、タロウの言葉はちょうどよかった。

 疲れた頭と身体には、甘いものがよく効く。

 そう。

 これは今後も労働という過酷な戦場を生き抜くために必要な、いわば戦略的な休息なのだ。

 決して、サボりなんかではないのだ。

 

(棚に来客用のお菓子はまだ残ってたかな)

 

 そんな緩いことを考えている先生とは逆に、タロウはどこか真剣な表情で続けた。

 

「アンタに聞きたいことがあってな。構わないか?」

「もちろん構わないよ。あ、紅茶でも淹れようか」

「いや、いい。それほど長い話では──」

「まあまあまあそう言わずに。実は最近練習しててさ、生徒のみんなにも結構評判が良かったりするんだよね。

 だから……この前よりは、確実に良い点数を出せると思うんだけど」

「ほう?」

 

 先生の自信のこもった言葉に、タロウは片眉をあげる。そしてどっかりと腕を組み、試すような視線を送り付けた。

 

「良いだろう。そこまで言うならアンタの紅茶、貰ってやる」

「──絶対にタロウを唸らせてみせるさ、わたしの名に懸けてね」

「ふ、やってみろ」

 

 タロウを真似たかのような笑みを零して、先生は給湯室に軽やかな足取りで引っ込んでいった。

 途端に静まり返ったシャーレのオフィスで、タロウが自分の作業──何百という書類が積み重なった末にできた紙の山──を片付け終えた瞬間だった。

 

「──先生! ちょっとお時間いただきますっ!」

 

 オフィスと廊下をつなぐ扉が開かれ、幼い少女の声がファンファーレのごとく甲高く鳴り渡った。

 声がした方向を見やれば、そこに立っていたのは、滑らかな黒髪を背丈を遥かに超えるほどに伸ばしている、空を閉じ込めたように澄んだ青い目が特徴的な少女──天童アリスだった。

 

「先生先生っ! 聞いてください! 

 アリスは最近野球ゲームを始めたのですが、なぜか主人公がサイボーグ対策室に勤務していましてっ。

 それから色々ありまして、野球選手と違法サイボーグの捜査員という二足の草鞋を送ることになってしまったのですが──……って、あれ。先生……?」

 

 部屋に入るやいなやゲームの話題を振りかぶったアリスだったが、先生の姿が見えないことに気付くと、口を閉じてきょろきょろと辺りを見まわし始めた。

 そしてぱちり、と目が合う。

 

「────!」

 

 アリスの顔面が、まるでスポットライトを浴びたようにばあっと輝いた。

 そして、はためくスカートも、引き摺られた髪も気にせず駆け出した。そんな無邪気な姿は、ユウカ辺りが見れば確実に、両頬をスライムよりも緩ませて携帯のカメラを連射していたこと間違いなしの破壊力があった。

 脇目も振らず一直線に自分の元へ走ってくるそんなアリスを見て、タロウはただ、五指を広げた掌をそっとかざす。

 そして。

 

「室内で走るな」

「!」

 

 声量はさしたるものではなかったが、それでもアリスにとってタロウの言葉は、絶対に無視できないコマンドだった。

 踵を使って急制動。ぎゅぎゅぎゅぎゅ、と靴底と床が激しく擦れ合う音が響く。

 そうしてアリスは煙を立てつつも、どうにかタロウの掌にぶつかる直前で止まってみせた。それから、突き飛ばされたかのように曲がった上半身を勢いよく持ち上げ、改めてタロウと向かい合う。

 第一声はもちろん決まっていた。

 

「──タロウ!」

「どうした、アリス」

「タロウタロウタロウタロウタロウっ!」

 

 精一杯の親愛を込めて。

 目一杯の信頼を込めて。

 いつものように、アリスはタロウの名を呼んだ。何度も何度も口にしてきたその名前に、アリスはまるで飽きたことがない。むしろ、呼べば呼ぶほどに新しい一面を発揮することができた。まるでオープンワールドゲームみたいだと、アリスはいつも思っている。

 歓喜のプロンプトを内側で乱舞させているアリスとは反対に、タロウはひどく落ち着いた様子だった。

 

「名前は何度も呼ぶもんじゃない。おれは一人しかいないんだからな」

「そうはいきません! タロウの名前は、アリスにとってとびっきりのバフなんですから!」

「バフ……?」

「はいっ! そしてバフは重ねがけするのが当たり前なので、アリスはあと十三回はタロウの名前を呼びたいと思いますっ」

「……そうか」

 

 タロウはゲームのことなどサッパリなので、そう言われればそうなのかと納得するしかなかった。

 ここが元いた世界──東京都の王苦市であったならば、タロウはいつものように「ゲームと現実は違う。区別を付けろ」という正論を叩きつけていたかもしれない。

 しかしここは、銃を持ち歩き、動物やロボットが服を着て街を闊歩し、少女はみな頭上に天使の輪にも似たなにかを浮かべているのが当然の常識とされているキヴォトスである。

 そしてタロウは、キヴォトスで暮らし始めてまだ数ヶ月しか経っていないいわゆる新参者で、すべてを知り尽くしているわけではなかった。

 だから、そういうこともあるのかもしれないと思って、アリスが言うところのバフ十三連発を大人しく聞いているうちに、紅茶を淹れたカップとお菓子が乗ったお椀が置かれたトレーを携えて、先生が姿を現した。

 

「あれ? アリス?」

「──ロウタロウ、タロウ! これで十三回達成です! アリスのパラメータは限界値までアップしました! ぱんぱかぱーん! って、先生?」

「どうかしたの? 確か、今日の当番は──」

「先生っ!」

 

 先生の言葉を遮るように、勢いのままに駆け飛ぼうとしたところで、アリスははっ、と目を見開いた。室内を走って移動してはならないという、タロウからのコマンドを思い出したのだ。

 それによく見れば、先生はなにかを持ち運んでいる最中で、いわゆるアジリティが著しく低下している状態にある。勇者は仲間に起きた異常を決して見逃さない。

 暗殺者のように慎重に、賢者のように状況を確認しながら先生に近寄ったアリスは、笑顔で両手をぐっと伸ばした。

 首を傾げる先生に、アリスは明るく言ってみせた。

 

「先生、アリスに任せてください! 今のアリスはタロウバフがかかったスーパーアリスなので、そんなお盆なんてちょちょいのちょいですっ」

「──はは、ありがとう。アリス。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな?」

「はい! これでアリスはクエストを受注できました!

 先生はおそらくHPゲージが赤になるまで消耗していると思うので、後ろに下がって休んでいてくださいね!」

「……私、そんなに体力無いように見えるかなぁ……」

「それが嫌なら、まずは食事をきちんと摂ることから始めろ。玩具などいつでも買えるだろう」

「発売当日に買うことでしか得られない栄養素があるんだよ……!!」

「……早瀬ユウカの苦労が偲ばれるな」

 

 なにかを話しているタロウと先生の声を背に受け止めつつ、アリスは湯気を放っている褐色の水面を眺めながら、一ミリのブレもない足取りで運んだトレーを机の上にそっと置いた。

 それからアリスは二人がいる方向に振り返り、腰に手を当て胸を張りながら、高らかに宣言を果たす。

 

「──クエスト達成ですっ!」

「ありがとう。アリス」

 

 朗らかな笑顔を浮かべる先生と、腕を組んでこちらを見ているタロウの元に戻ろうとアリスが足を踏み出した瞬間である。

 先生が思いついたように拳で掌を叩いて、悪戯っ子のように目を細めながら、こんなことを言ってきた。

 

「それじゃあ、クエストを達成した勇者アリスには、その報酬として……私達の秘密のお茶会に招待しようかな?」

「──」

 

 それまで強引に抑え込んでいた歓喜が、今度こそ爆発した。してしまった。溢れ出る衝動に身を任せることに抵抗などありはしなかった。ロケット弾のような勢いで、アリスは先生の懐に突っ込んでいく。

 

「秘密と呼ぶのなら、あちこちに仕込まれている盗聴器を回収してからにしろ」

「…………うん、それはまあ、ほら! 私は生徒の自主性を尊重していきたいかぐえ──────────────ッ!!」

 

 人は、翼が無くても空を飛べる───。

 こうしてタロウはまた一つ、キヴォトスの常識を知った。

 

 

 ◯

 

 

「それで、アンタに聞きたいことなんだが」

 

 出し抜けにタロウがそう言ってきたものだから、先生は慌てて口の中にあったクッキーの破片を紅茶で流し込まざるを得なかった。

 甘味と紅茶の風味が、喉で玉突き事故を起こす。それをどうにか処理して、先生は制止するように手をかざした。

 

「どうした」

「……んっ、ぐ──ふぅ。いや、ほら、今話しても大丈夫かなって……すこし気になって」

 

 若干声を潜めて、先生はアリスを見る。

 ミルクと砂糖がたっぷり入った紅茶を飲んで満面の笑みを浮かべていたアリスは、二人の視線に気付いてこくり、と不思議そうに首を横に傾けている。

 それは決して、アリスの口が軽いと思っているからでた意見ではない。ただ、タロウが今からするのはあまり周りに知られたくない話なのではないかという、先生なりの配慮だった。

 しかしタロウは「そんなことか」と拍子抜けしたように肩を落として、

 

「別に構わん。いや……むしろ聞いておけるならそうしたい」

「? お二人とも、どうかしましたか?」

「タロウがそう言うのなら良いか──えっとね、タロウが私に聞きたいことがあるんだってさ。

 それで、アリスにも聞けるならそうしたい……らしいよ」

「タロウが、先生とアリスに……?」

 

 言葉を咀嚼し終えたアリスは、決意を秘めた表情を保って立ち上がった。

 

「──任せてください! アリスは勇者ですが、同時にタロウのおともでもあるんですから!

 そしてアリスのたびのなかまである先生もまた、実質タロウのおともです!」

「そうなのかな?」

「そうらしい。おれとしても、おともが増えるのは喜ばしいことだ」

 

 先生にそう返すと、タロウは紅茶の入ったカップを机に戻して、改まるように居住まいを直した。

 

「それで、アンタたちに聞きたいことなんだが──」

 

 いつになく真剣で深刻そうなタロウに、先生とアリスもつられて姿勢を正す。にわかに空気が重苦しくなったなかで、タロウは静かに話を続けた。

 

「実は、ヒトツ鬼と野球をすることになってな」

「ヒトツ鬼と」

「野球を」

「だが、おれは野球の存在は知っていても、どうやればいいのかをまるで知らない」

「まるで」

「知らない」

「だからアンタたちに聞きたい。野球とは、どういう競技だ?」

 

 予想していた領域からまったく関係ない場所から放たれた質問に、先生は思考を停止せざるを得なかった。

 なぜ、ヒトツ鬼と野球を?

 なぜ、野球のやり方を?

 後者は掘り下げると悲しみしか感じられなさそうだったので一旦スルーするが、問題は前者である。いったいなにがどうなれば、ヒトツ鬼と野球をすることになるのだろうか? 

 考えれば考えるほどドツボにハマっていきそうだったが、最終的に先生は「まあタロウだからか」で納得した。

 末期である。

 その一方で、一度も躓くことなくタロウの話を聞き終えたアリスは、勢いよく手を上げた。

 

「アリス、知ってます! 野球とは、一歩間違えたらバッドエンド直行の過酷なバラエティーです!」

「バッドエンド、とは?」

「たとえば、正義のヒーローを名乗る敵チームが、実は悪の組織と繋がっていて、それを知った状況で敵チームとの対決に負けてしまうと──野球のこと以外考えられなくされてしまうんです!」

「ちょっと状況が限定的すぎないかな!?」

 

 勢いで突っ込んだが、しかしあながち間違いではないのかもと先生は思う。

 なにせ相手はヒトツ鬼──キヴォトスという、いろいろな意味で規格外な学園都市でさえ翻弄してしまう存在なのだから。

 

「……けど、アリスの言っているとおり、勝ち負けが重要になってくる競技なのは本当だよ。

 キヴォトスにも野球はあるんだけど、やっぱりランキングに入るためには、勝ち星を重ねなきゃいけない。ましてや一位を目指しているなら尚更だね」

「……なるほど」

 

 神妙そうに頷くタロウに、先生はふと尋ねた。

 

「さっき、野球の存在は知ってるって言ってたけど……ルールは知ってる?」

「いや、知らないな」

 

 そっか、と先生は呟き、しばらく考え込んでから、

 

「それじゃあ、ちょっとだけ授業を開こうか。

 触りぐらいしか教えられないけれど、きっとタロウの役に立つはずだよ」

「はい、はいはいっ。その授業、アリスも参加します!」

「本当? それじゃあ、今から私とアリスでダブルティーチャーだね」

「共同クエストですね。盛り上がってきましたっ」

 

 タロウの目の前で、先生とアリスはいそいそと準備を始めた。やけに楽しそうにしているな、とどこか他人事のように考えながら、タロウは菓子椀に積まれたクッキーを食べる。

 ちなみにこれは、ヒトツ鬼攻略のために必要な作戦会議であって、決して書類の山から目を背けるための現実逃避ではないことを明記しておく。

 

 

 

 

 

 その後、先生とアリスはタロウに野球のルールを簡単に説明した。

 九対九で行われるチーム戦であること。

 攻撃と守備を交互に行って点を取り合うこと。

 攻撃側は点を取り、守備側はアウトを取るのが目的であること。

 ポジションは投手、捕手、一塁手、二塁手、三塁手、遊撃手、左翼手、中堅手、右翼手のポジションにわけられること。

 そのなかで、アリスがふとこんな言葉を告げた。

 

「パーティは、メンバー内のレベルを合わせて組むのが常識です!

 そうした方がクエストの攻略がずっと楽になるので!

 なので、もしタロウがパーティを作ることになったとしたら──……タロウと同じぐらいに強くて、同じぐらいなんでもできる人と組むことをおすすめしますっ」

 

 その言葉が、まさかファミレスの一角にキヴォトス最強格が集合する切っ掛けになったとは、この時まだ誰も知らない。

 

 

 ◯

 

 

 そして、今に至る。

 

「そういうわけで、アンタ達には集まってもらった次第だ」

「へーぇ。ヒトツ鬼が野球チームをねえ……。

 うへ~、なんか、いろいろ面倒くさそうだなぁ~」

「つーことは、あのチビのせいかよ? この状況……」

「……」

「───ぎ、ぎぎぎ」

 

 タロウから大まかな事情を聴き終えた四人の反応は、それぞれ異なるものだった。

 小鳥遊ホシノは、ヒトツ鬼がチームを組んでいることに対して、疲れたようにため息を吐いている。

 美甘ネルは、今の自分達が置かれている現状の原因が生意気だが見所はある後輩にあると知って脱力している。

 空崎ヒナは、経緯はどうであれ、それでも目に映るすべてが気に入らないとばかりに睨みを利かせている。

 剣先ツルギは、机に置かれていたメニュー表に、まるで生まれて初めて火を目にした原始人のごとき手つきで触れている。

 総じて纏まりにかけた一同を、タロウは尊大に腕を組みながら見守っていた。たっぷりと余裕を含んだその姿は、とてもこの混沌とした現場を生み出した張本人とは思えないほどである。

 

「……意見、いいかしら」

 

 それぞれがタロウの話を受け止めているなかで、真っ先に手を上げたのは、空崎ヒナだった。

 タロウは無言でうなずき、発言の許可を示す。相変わらずの微妙に上から目線にイラつきつつも、ヒナは口を開いた。

 

「まず、ひとつ。

 相手の──ヒトツ鬼の要求に従ってやる理由なんてない。だから、さっさと武力行使するべき。

 次に、ふたつ。

 アビドスとミレニアムはまだわかる。けれど、ゲヘナとトリニティの生徒を、しかも両学園にとって主要な戦力を、同日同所に顔合わせさせるのはどうかしてる。

 そして、みっつ。

 私は忙しい。貴方の──心底バカげた、くだらない戯言に関わってる暇はない。

 以上。それじゃ、失礼させてもらうわ」

 

 それは一切の反論を許さない、地獄の審判者めいた硬質的な口調だった。誰からの意見も受け付けようとしない姿勢を保ちながら、ヒナは立ち上がろうとして、

 

「──待てよ」

 

 美甘ネルに、引き留められた。

 誓って言う。ヒナは、誰になにを言われても立ち止まる気はなかった。

 なのに立ち止まってしまったのは、突き刺さってくる気配が身体を条件反射で臨戦態勢に入らせてしまうほど──濃厚な敵意だったからだ。

 自然と刺々しくなった態度と口調で、ヒナはネルに応える。

 

「……何?」

「待て、っつったんだよ。なぁ、おい。

 テメェ、空崎ヒナ……だったか。なんだった?

 桃井の話がバカげた、くだらねえ戯言? 

 ハッ、随分な言い草じゃねーか。それとも、そうでもしなきゃゲヘナでテッペン取れねぇのか」

「……何が言いたいの?」

「くだらねぇのはどっちだ──って言いたいんだよ」

 

 ネルの身体から、野生の獣めいた生臭い戦意が放たれていることに気が付いたのは、タロウとタロウに引き合わされた四人のみ。その他のファミレスの客は、得体の知れない寒気を感じただけだった。

 

「……あなた、本当にミレニアムの生徒?」

「生憎、頭からつま先までミレニアムの一生徒だよ。信じられねえみたいなら、生徒手帳でも見せてやろうか? お望みなら学生証だっていいんだぜ」

「遠慮しておくわ。なにを見せられたところで……一度あなたに抱いた認識が覆りそうにはないし」

「へえ、どんな認識だよ」

「──聞いてみる?」

「ああ──是非、聞いてみてえな」

 

 なにかがひび割れようとしている悲惨な音が、誰の耳にも聞こえていた。

 その音の源は机の上に置かれたコップであり、外とファミレスを隔てている窓ガラスであったり、空間そのものでもあった。

 いずれにせよ、砕け散ればただでは済まないものであることは確かだった。コップや窓ガラスが砕ければ店側は修繕工事をしなければならないし、空間そのものが砕ければ──キヴォトスでも屈指の実力を持つ生徒がぶつかり合うことになる。

 だから、というわけでもあるまいが。

 

「──もぉ、しょうがないなぁ」

 

 ホシノはあえて、場の空気を打ち壊すべく店員を呼びつけるためのインターホンを鳴らした。

 ピンポーン、というチャイムが鳴り響いた瞬間、極限まで集中していたネルとヒナの鼓膜に、世界が奏でる雑音が戻ってくる。ざわざわと騒ぐ人の声。店員の忙し気な足音。かちゃかちゃと鳴る食器。

 見かねたような、宥めるような、小鳥遊ホシノの言葉。

 

「とりあえず、さ。ファミレスに来たんだし、なにか頼まない? おじさんお腹ぺっこぺこだよ~」

「……チッ」

「風紀委員長ちゃんも、ほら。せっかく時間空けてきたんならさ、一休みぐらいしたら~? 休むのも仕事のうちって言うでしょ?」

「……そうね」

 

 場が白けたことを察知した二人は、舌打ちを繰り出したり、溜め息を吐きながら、それぞれ席に戻った。

 やがてチャイムを聞きつけたロボットの店員がやってきて、端末を片手にメニューを尋ねてくる。

 

「じゃあ、このスペシャルパンケーキのBセットで~」と、ホシノ。

「──オムライス」と、ネル。

「……コーヒー。ブラック」と、ヒナ。

「カササギハンバーグ、Aセット」と、タロウ。

「………………」

 

 残るひとり──剣先ツルギは、顔面スレスレまでメニュー表を近づけたまま黙して動かない。地蔵である。

 

「あのー、お客様……?」

 

 不思議に思ったロボット店員が話しかけようとした瞬間だった。

 

「い──ぃぎいいいいいぃいぃいいいいいいいいっ!!」

 

 突然、剣先ツルギが発狂した。

 鮮血に塗れたような赤い目はひん剥かれ、大きく開いた口のなかには研がれた刃のごとき歯が見え、突っ張った表情筋が壮絶な面相を形作る。

 一見乱心した風にしか見えないそれが、極度の緊張によって弾き出されたものであることを、タロウだけは知っている。

 やがてツルギは、よく熱されたアスファルトの上に転がる芋虫のごとく悶えていた身体を止めると、打って変わった蚊の鳴くような声で注文を告げた。

 

「い」

「い……?」

「………………いちごパフェで、お願いします」

「は、はい。かしこまりました…………」

 

 明らかにマトモではないものを見る表情を貼り付けたまま、店員はすごすごと厨房に戻っていく。

 そこでようやく、店員に対して注文を繰り出した自分の姿が異物のなかの異物であったことに羞恥心を覚えたツルギは、恥ずかしそうに顔を俯けた。

 それを目にしたタロウが、ツルギへと何げなく話しかける。

 

「どうかしたか、剣先ツルギ」

「……うぐ、うぐげげ。ひぎぃ、わ、私ぃ! 緊張して、へ、へ、へんなこと、言っちゃったかも……」

「気にする必要はない。いつも通り、普段のアンタだった」

「そ、そ、そんなひどいこと、言わないでよう!! ……らら、来週、先生とデー……じゃァ、なくてェ!!

 オ゛っ! おでで、お出かけするっ、のに……こんなんじゃきっと、また先生に迷惑かけちゃう……」

 

 しょんぼり、とツルギは肩を落として落ち込んでいる。

 タロウは、少女の胸に巣食った不安を払拭してやるような、力強い口調で言った。

 

「ヤツが生徒を迷惑に思うことなどあり得ない。

 だから、胸を張ってデートに行ってくればいい」

「デッ!!!!!!!???????

 いや、そんな、でで、デェ!? デエエエエ………………もも、もぉ、桃ォ井ィィィィイイアアア………………!!」

「……アンタはまず、困ったらおれに戦意を向けてくる癖をやめろ。いつだっておれが相手をしてやれるとは限らないんだぞ」

 

 先ほどのネルのそれに匹敵する気配を、事もなげに受け流しているタロウの姿に、ネルとヒナは自分達の子供っぽさを直視せざるを得なくなって、どうにも居心地が悪い気分だった。

 ぱちり、と互いの視線が重なる。

 

「……」

「……」

 

 鏡を見ているような気分でどうにも胸糞が悪かったが、同時に同族意識のようなものも抱いた。しかし、それを認めるには、あまりにも互いの印象が悪かった。

 だからネルは鼻を鳴らして思いっきり視線を逸らし、ヒナはくだらないと言わんばかりに目を伏せた。

 そんな険悪な二人の間を取り持つように話し出したのは、意外にもツルギであった。突っつきまわしあっていた指の動きを止めて、落ち着いた声色で話し出す。

 

「……も、桃井の提案は、そう悪い話でもない」

「……?」

「ヒトツ鬼はその能力の特異さも、脅威の一つだが……どの学園に所属している誰が変化したものかも、もッ、桃井が倒すまでまるでわからないのが、一番の恐ろしさだ。

 下手を打てば──政治的な問題に成りかねないから」

「──」

 

 そう。

 ヒトツ鬼が各学園でじわじわとその脅威度を高めているのは、欲望の暴走という発生条件の容易さや脳人レイヤーを使用したフットワークの軽さもさることながら、その正体の不鮮明さもあった。

 自分の学園の生徒がヒトツ鬼と化して、自分の学園の自治区で暴れているならまだいい。被害こそあれど、学園内の問題として片づけられるからだ。

 だが、もし──余所の学園まで出向いて、破壊活動を行ったとすれば?

 あるいは、余所の学園の生徒が、自分の学園でそうした活動を行ったとすれば?

 もちろん、ヒトツ鬼にならずとも、そうしたイカレた所業を行う生徒もいるにはいる。しかし、ここで問題となってくるのが「欲望が暴走して怪物と化した」ということである。

 自分をまるで制御できていない、いつ怪物になるかもわからないような人物を内包した学園────。

 そんな危険物を、果たして世界は放置しておくべきだと判断してくれるだろうか? 放置しておくべきだと、判断することができるだろうか?

 答えは──否だ。

 トリニティ総合学園という、ゲヘナの一生徒として絶対に無視できない存在を持つヒナには、そのことがよく理解できた。

 

「……確かに、その通りね」

「万が一、自学園に所属する生徒がヒトツ鬼になっていたとして──そいつが他所の自治区で引き起こした際に、その学園の治安部隊が関わっていなかったとなれば……」

「……他学園に被害を与えるため、あえて静観を選んだのではという見解が湧いて出てくる」

「そ、そういうことだ」

 

 ヒナが続けた言葉に、ツルギは頷いて肯定を示す。

 人は理不尽な目に遭った時、まず最初に怒りや恐怖を覚え、次になぜそんな目に遭ったのかという原因を考える。

 大抵はきわめて些細なことだったり、あるいは自分のせいだったりするために、不服を覚えつつもどうにか納得して飲み込む。いつまでも引き摺っているより、リカバリーに力を注いだ方が、よっぽど為になると判断できるからだ。

 だが、そうはならなかった時。

 人は周囲に、世界に、原因であることを求めようとする。

 おまえが悪かったからこうなった。

 だから、自分はなにひとつ悪くない。

 それはある種の防衛機制で、ストレスにさらされた心が生み出す、自然的なメカニズムだ。誰の心にも秘められているもので、決して無くすことはできないものだ。抱いたとしても、責めるべきではないものだ。

 だからこそ。

 誰の心にもあるからこそ、最悪な噛み合い方をしてしまった時、それは誰にも───止めることはできない。

 

「……桃井の言によれば、今回のヒトツ鬼は複数で組んでいる。だから、それぞれの学園の生徒がいる確率もその分、高いだろう」

「……確執が深い学園に所属する私達を、わざわざこうして引き合わせた訳は、理解できる。

 でも、それなら尚更、相手の土俵に乗る意味がわからない」

「それは、アンタ達だけでヒトツ鬼を退治できる方法を探しているからだ」

 

 割り込むように、タロウが話し出す。

 

「おれがいなくても──元の世界に帰っても、ヒトツ鬼が発生した時に、アンタ達だけでも戦えるように」

「──いなくなるの?」

 

 タロウの言葉に、真っ先に反応したのはホシノだった。

 緩く頬杖をついて事の推移を見守っていた余裕の態度はどこへやったのか、直視したくない光景を目の当たりにしてしまったように、色違いの双眸を見開いている。

 タロウは首を振り、ホシノの問いかけに答えた。

 

「わからない。だが、おれはこのキヴォトスに突如として現れた。ならば、突如として消え去ってしまう可能性もあり得なくはないだろう。

 その日がいつ来るのか、それはおれにもわからない。明日か、明後日か、それとも……いまこの瞬間か」

「……」

「もちろん、この世界でおれが成さねばならないことを成すまでは、なにがあっても帰るつもりはない──しかし、準備だけはしておいた方がいい、という話だ」

 

 淡々と、無慈悲に、無機質に。

 タロウは自らが、いつかキヴォトスからいなくなる可能性を述べた。それは明確なイメージとなり、やがて尖った棘となって、少女達の心に深く食い込む。

 いつかを想像したネルは、友人が遠くに行ってしまうことへの微かな寂寥感を覚えた。

 いつかを想像したツルギは、それまでに決着を付けられなかった場合への僅かな無念を覚えた。

 いつかを想像したホシノは、二度と無いかもしれない出会いが失われてしまうことへの細やかな虚脱感を覚えた。

 そして。

 いつかを想像したヒナは────

 

(……──桃井タロウが、いなくなる?)

 

 なにを感じ、覚えたのか。

 自分でも、まるでわからなかった。

 ただ、胸の中心にぽっかりと穴が空いてしまったような──そんな気がした。

 

 

 ◯

 

 

 食事を終えた後、話を持ち帰って検討するという形に落ち着いたので、一度五人は解散することにした。

 もっとも、小鳥遊ホシノと美甘ネルは、すでに出場することを確約してくれている。剣先ツルギと空崎ヒナがどういった結論を出すかは予測できないが、おそらくツルギは参戦してくれるだろうという予想が、タロウの頭のなかにはあった。

 しかし──。

 

(……なぜ、あんな顔をしていた? 空崎ヒナ)

 

 どのタイミングからか、怒りや苛立ちがすっかり抜け落ちたような表情をしていた少女のことが、タロウは気になっていた。

 空崎ヒナという少女が、あれだけ無防備に隙をさらしている姿は──見たことがなかったからだ。

 

「……」

 

 もしかすれば、ヒトツ鬼の正体に関してなにか思い当たる節でもあったのだろうか。ならばたとえ不参加でも話を聞く必要があるなと、物思いに耽りながらシバイヌ宅配便への帰路を辿り始めたところで、ポケットに入れていた端末が震え出した。

 そういえば、と思い出す。

 ファミレスに入った際に、マナーモードにしていたのだった。ポケットに手を入れて解除すると、途端に小気味いい着信音が成り始める。

 取り出した端末の、画面に表示された文字列は──非通知設定。

 タロウは躊躇うことなく、通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

 

 耳に当てて返事を待つ。

 しばらく無言が続いた後で、薄暗く染まった画面の向こうから返ってきたのは──

 

『──どうやら、既に話は伝わっているようね』

 

 感情という感情を徹底的に削ぎ落としたかのような、鉄めいて冷やかな少女の声だった。

 タロウはその声に聞き覚えがあった。だから通行人の邪魔にならないような場所へ移動して、本格的に通話する姿勢に入る。

 

「アンタか」

『アンタ、という呼称は不適切ね。私のことはこう呼んでと、最初に言ったはずよ──ラショナルちゃん、と』

「……ラショナルちゃん」

『それでいいわ、桃井タロウ』

 

 タロウに名を呼ばれた少女──ラショナルちゃんは、冷え切った口調にほんの小さな緩みを浮かべて、頷くような気配を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。