プログレッシブのノリで攻略するアインクラッド第十層 (旧題:2023-01 アインクラッド第十層にて) 作:ki-sou777
四日前、九層のエルフクエスト最終局面にて、三層から共に在り続けたダークエルフの騎士キズメルは、アスナの目の前で青白いポリゴンに還っていった、らしい。俺は、その最期を見ていない。
エルフクエストの最終局面は、九層にあるダークエルフの聖堂を開こうとするフォールンエルフと、守ろうとする黒エルフ・森エルフ連合軍との戦いとなった。聖堂には黒と白、二本の聖大樹の力の源が封印されており、その力こそが、アインクラッドを浮遊させている動力そのものだったそうだ。
フォールンエルフの目的は、聖堂の封印を解き、聖大樹の力を解放して浮遊城を落とすことだった。自らも滅ぶことを覚悟して、自分達を迫害した黒エルフと森エルフに復讐を成さんとしていた。無論、本当にアインクラッドが落ちてしまうとは考えにくかったが、クエストに失敗すれば俺とアスナだけ落下して死亡判定、という事態は考えられたため、死力を尽くして戦うことになった。
秘鍵は黒エルフの聖堂を開けるためのもので、八層の最後で、全ての秘鍵をフォールンエルフに奪われてしまった。これを聖堂の中枢部で解放されると、聖大樹の封印が解け、浮遊城が落下してしまうらしい。
一方、同じく八層で、森エルフの王がフォールンエルフの毒により操られていることが分かり、この解毒薬の素材をキズメルと俺たちが集めたことで、森エルフと黒エルフの一時的な休戦が行われ、対フォールンエルフへの協力態勢が引かれた。また、森エルフの秘宝の中に、吸血鬼化を解除する特大のレアアイテムがあり、これの使用許可を得ることができた。この時点で、七層から続いた俺の『夜の民』状態は解除された。
対フォールンエルフ戦線では、アスナの指揮能力の高さが遺憾なく発揮され、黒・森エルフ連合軍がフォールンエルフを押していた。だが、敵は<剥伐のカイサラ>を先頭とした騎馬集団による突撃攻撃を敢行。聖堂の中枢部に到達されてしまうと、浮遊城を浮遊城たらしめている聖大樹の力が解放されてしまうため、これをなんとしても防ぐためにこちらも奮戦。最終的に、<剥伐のカイサラ>と、キズメル・アスナ・俺の三人で戦闘になり、ボロボロになりながらも何とか打倒。しかし、カイサラが息絶えるその半歩手前のところで、秘鍵を解放され聖大樹の封印が解かれてしまった。
状況の整理を行うために、クエストログを確認したが、進行状況は変わっていなかった。内容は「聖堂に侵入する敵を撃退せよ」。この場合の敵とは何を指しているのだろうか・・・。と稲妻のような閃きの瞬間に、ギリギリで発動した索敵スキルで不意の一撃を感知した。
「まさか《隠蔽》を見抜かれるとは思わなかったぜぇ!ブラッキーさんよお!!」
「お前は・・・!!」
俺に殺意ある一撃を放ったのは、五層で一度俺たちの前に姿を見せた、黒ポンチョの男だった。
だが、状況は予断を許さなかった。キズメルが「再び秘鍵を作らねば、今すぐこの浮遊城は落下する。人手がどうしても必要だ」と言った。その言葉に対し、俺は即座にその場に残り、黒ポンチョ相手に時間稼ぎをすることを申し出た。
「絶対に、死なないで」
「キリト。生きろ。生き残るのだ」
アスナとキズメルからありったけのバフをもらい、走り去る二人を尻目に、黒ポンチョと俺は向かい合った。そこから先は、あまりに必死だったため、俺自身はぼんやりとしか記憶がない。ただ、何とかして黒ポンチョの男を撃退した時には、キズメルはもう、浮遊城にはいなかった。
ここから先は、生気のない目で、アスナがぽつりぽつりと話してくれたことだ。
完全に封印が解かれる前に、もう一度秘鍵を作り、聖大樹の封印を行えば、アインクラッドの崩壊は防げる、とキズメルは言った。そしてその手段は、聖大樹最奥にある装置を操作することだとも。私が装置の中央に立ち、より詳細な操作をするから、アスナはそこで開始ボタンを押して欲しい、と。
そうして、装置へと到達したアスナは
「処理を開始しますか?」
とだけ記載されたウィンドウの、OKボタンを押した。
アスナが全てを理解した時には、もう取り返しはつかなかった。
秘鍵は、プレイヤー、あるいはNPCの記憶・魂と引き換えに作られるものだった。
聖大樹最奥で、あまりに機械的な処理と引き換えに、キズメルは新たな秘鍵へと『成った』。
その最期は、笑顔だった、という。
その後、クエストの報酬として手に入った膨大な経験値にも、アイテムにも、アスナは毛ほどの関心も持たなかった。だが、俺たちには休息を取ることは許されなかった。九層ボスが<原初のフォールン>と呼ばれるフォールンエルフの成れの果てだと分かったため、即座にALSとDKBに合流し、フロアボス討伐戦に参加。エルフ連合軍も参戦し、これを打倒。
その後も、アスナの様子を見て休息を取ろうと思っていたが、
「先に、進まないと」
という何かに取り憑かれたようなアスナの意志により、俺たちはこの三日間ひたすらレベル上げとフロアマッピングに勤しんだ。おそらく、このアインクラッドでアスナと過ごした中で、一番会話がなかった三日間だっただろう。
◆
偽物の盈月から放たれる、青白い月光が、しとやかに室内を照らし出している。
ふと目が覚めた俺は、そうか、畳の上でそのまま寝てしまったのだなと、どこか茫洋とした頭で思い出した。視線を横に傾ける。寝るときは確かに隣にいたはずの相棒の姿はない。
(・・・アスナ?)
一瞬、彼女がどこかに、それこそ一人で圏外に狩りをしに行ったのではないかと焦る。だが、視線の左上に目を遣れば、彼女の体力は特に減ってはいない。時刻は午前四時。思わず立ち上がって、どこにいるのだろうと室内に目を向けるも、彼女の姿は見当たらない。
だが、心当たりが一つあった。もしかしてと思い、庭に目を向ける。
俺は、思わず目を見開いた。
そこには、霧のような湯気の中に、白く研ぎ澄まされた、艶やかな体が存在していた。
鶴のようだ、と思った。
栗色の髪は、月光に濡れ、金砂のようにも見える。
後ろ姿は、馬酔木のようにたおやかで。
その麗容に、俺は自分が言葉を呑む音を聞いた。
何より、憂いを含んだ彼女の顔から、目を離すことを本能が拒否していた。
しかし、感に堪えている場合ではない。今、彼女は檜風呂に入り、その柔肌を曝け出しているわけで。今まで、彼女の素肌を見たことは何度かあるが、今回は、これまで以上に見てはいけないものを見てしまったような罪悪感が芽生えてくる。思わず俺が後ろを向いて再び毛布に包まろうとしたその時。
「ーーーキリト君?」
彼女の声が、俺を呼び止めた。
「あっ、ご、ごめん!隣にいなかったからどこに行ったのかなって思ってただけで!何も見てない!マジで何も見てないから!すまん!」
アインクラッドに来てから、最も上ずった声を出したであろう俺に、彼女はくすりと笑って一刺しした。
「新手の自白かしら」
もはや返す言葉も無く、俺が心の中で南無三していると、驚愕の提案がアスナから降ってきた。
「ーーーよかったら、キリト君も入る?」
このアインクラッドにおいて、誰かと一緒に風呂に入る、と言う機会はそうはないだろう。この仮想空間においては、体を洗う必要性は皆無に等しいというのもある。また、このデスゲームにおいては、防御力がなくなるという点で、素肌を晒すということに危機感を覚える人も多い。おそらく、同性同士ですらそのような認識の人が多いはずだ。にも関わらず、俺と攻略の暫定パートナーである目の前の細剣使いは、ヨフェル城、ガレ城×2と、何故か、本当に何故か都合三回も一緒に入浴をしている。もちろん、水着着用の上で、ではあるが。その度に役得と身の置き所に困るという二つの感情に板挟みにされてきた俺だが、今回は最大にして最高の試練が訪れていた。
理由はただ一つ。
(せ、狭い・・・!)
そう。狭いのだ。
今までの風呂は、全て大浴場形式であった。だから、多少なりとも体を離し、刺激物を視界に入らないようにどうにか調整できた。だが、今回はそれとは全く異なる。部屋についている備え付けのこの檜風呂は、その気になれば四人くらいなら入れるだろう。だが、どのように人を配置しても、体を寄せ合うか、向かい合って顔を合わせるしか選択肢がないのだ。過去最高に熟慮した結果、俺の脳は体を寄せ合うよりは向かい合った方がマシ、という結論を弾き出した。一応、湯はそれなりに濁っているので、顔以外はほぼ何も見えていない、というのもある。
「・・・何よ」
「いや、何でも・・・」
いやいやいや気まずいっすアスナさん。なんで俺なんかを誘ったんですか。と心の中でひたすらぼやくも意味は無い。無言で視線を合わせていた俺たちだったが、しばらく後、アスナは視線を外して天蓋に映る月を見つめ、ふぅと言う溜息をついた。
「キリト君」
それは、いつになく落ち着いた声だった。
「・・・」
少し虚を突かれてしまっただろうか。その落差に、図らずとも黙り込んでしまったが、視線だけは外さないように努力した。
「ありがとうね」
何を言われるのか全く予想がつかなかったが、彼女から出てきた言葉は感謝だった。
「・・・んーと」
「その、ここまでのこと。ずっと気にかけてくれてたでしょ」
それは、九層から今の今に至るまで、という認識で良いのだろうか。
「まあ、それはほら、コンビ組んでるんだし」
当たり前だろ、と言葉の端に意味を持たせてみる。恥ずかしくて直接は言えない。
しかし、アスナはかぶりを振った。
「そんなこと無いわ。この三日間、あなたにも無理をさせちゃった、と思う」
三日間、野宿暮らしでかなりハードな狩りをしていたことを指しているのだろう。鬼気迫る様子でひたすら敵を貫いていくアスナに戦慄を覚えないこともなかったが、おかげで俺はきちんと利益を享受できている。
「あー、そんなことないよ。ここの刀スキルは見極めるのが大変だからいい練習になったし。多分、あと二日くらいはMob狩りする必要があるだろうしな。それに、レベリングにもなったし。安全マージンを七、八も超えるレベルなんて中々到達しないよ」
多分、アインクラッドNo1と2のレベルだぜ?俺たち。と、おどけてみる。
「それは、あなたが適確にフォローしてくれるからだわ」
一方、それに対して謙遜するアスナ。うーむと、思わず、頭の裏を掻いてしまう。彼女がここまで自虐的だったことは、記憶の中では無い。おかげで、どうにも会話の調子が狂う。
だから、どう返答しようか俺の中で迷っていると、アスナが庭に枝垂れて咲いている馬酔木を見ながら、ぽつり呟いた。
「ねぇ。馬酔木の花言葉って知ってる?」
それは、唐突な問いだった。だが、生憎俺はアバターも中身もただの中学生男児。花言葉を覚える風情などまだ無い。なので、素直に返答する。
「・・・ごめん、知らない」
「花言葉は、三つあるの。その内二つは、犠牲と、献身」
少しだけ、目を見開いた。
その2つの単語は、否が応にも、彼女のことを思い出させた。
アスナは目を伏せて、続ける。
「あれからね。ずっと、ボタンを押した瞬間を、思い出すの」
はしばみ色の瞳は下を向いており、栗色の前髪が表情を隠している。吐き出す言葉は、途切れ途切れだ。
「夢にも出てくるのよ。二人で大聖堂を駆けて、装置にたどり着いて。体が勝手に動いて、ボタンを押す・・・」
彼女の声と吐息が、白い水面を僅かに揺らした。
「それで、いつも決まった終わり。キズメルが、目の前で消える・・・」
その苦しみを、俺はこの三日間、側で見ていた。
魘されて、起きて、寝付けたと思ったら、また悪夢を見る。
だから、彼女は夢を見ることを拒否して、寝ることを止めた。
見張りをするからいい、の一点張りで、寝袋に入ることすらしなかった。
「何が一番嫌かってね」
そうして、彼女は一拍入れてから、絞り出すような声で、言った。
「起きてから、いつもほっとするの」
それは、まるで懺悔の様だった。
能面のような顔で、なんでもなかったというフリをして。
「ああ、私じゃなくてよかったって。キリト君じゃなくてよかったって。」
自身の身の内から発した言葉が、彼女を傷つけていく。
「なんだか笑っちゃうわ。この先も一緒に冒険できたらいいなって。お姉さんがいたらこんな感じだったのかなって、思ってたのに」
それでも、声だけは震えていて。
「私の感情なんて、所詮その程度かってね」
そうして、彼女は吐き捨てるように、言った。
その言葉は、アスナの本心だったのだろうか。
だが俺には、アスナがそう「思い込もう」としている様にも、見えた。
水面が、僅かに揺れている。濡れた髪から、水滴が流れるまま滴り落ちる。
憂き身を窶すその姿に、比喩でなく胸が締め付けられる感覚を覚える。
だが、喉がつっかえたかのように、言葉が出てこない。頭の中で論理を組み立てられない。
何かを言わなければならない。だが、俺に何が言えるのだろう。俺は、他者の心の傷を、どうやって癒せばよいのか、その方法を知らない。それは、これまでの人生で、友人を、家族を、妹を、散々遠ざけて壁を築き、仮想世界に浸かってきたツケなのだろう。上部だけの言葉で、誰かを、アスナを傷つけて、嫌われるのが、怖い。
だが、怖いからという理由だけで、目の前の彼女の心と向き合おうとしないのは、違う。
絶対に、何かが違う気がした。
その時、ふと、五層のフロアボス攻略後のことを思い出した。少数精鋭でボスを倒したことを、キバオウ以外のALSメンバーは納得しなかった。それでも、攻略集団の崩壊を防ぐために譲れなかったギルドフラッグ。慣れない交渉の後、消耗し、疲れ果てていた俺の心に、彼女はどう接してくれたのか。あの広く冷たい石に囲われた大広間で、アスナは俺に何をしてくれたのか。
(キリト君がぼろぼろになるまで戦って、それなのに悪し様に言われるだけだなんて……間違ってる。ぜったいに、間違ってる。)
そう言って、彼女は俺の心に寄り添ってくれた。その手のひらの温かさを思い出す。
今、あの時の彼女と同じように、その心に寄り添うことができるだろうか。
(伝えたいことがあるのなら、伝えられるうちに伝えたほうがいい。そうできるのは、とても幸せなことなのだから。)
次いで、三層で俺の背中を押した、キズメルの言葉を思い出した。衝突を恐れず、アスナと正面から向き合う、そのきっかけをくれた言葉。
そうして、気づいた。俺はアインクラッドに来てから、こんなにも大切なものばかりを受け取ってきたのだ。それを、キズメルには返せなかった。だが、目の前のアスナになら、まだ返せるチャンスがある。
だから。
「俺は・・・」
声を吐き出す。勇気を出せ、キリト。
「俺は、見てきたよ。アスナとキズメルの、これまでを」
詰まっていたものを、ゆっくりと、言の葉に乗せるように、口を開いた。
下を向いていたヘーゼルの瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。
「・・・二人して、めちゃくちゃ強くて。俺が手出しする暇もないくらい、ばっさばっさモンスターを切り倒して。俺なんかよりも息があってるんじゃないかってくらい、コンビネーションも良くて」
そうして、一度動き始めた口は、自分でも何を言ってるのかよく分からないまま、思い出を紡いでいく。
「よく二人で一緒に風呂入ってたし。何話してんだろうなって思って、なんなら疎外感もちょっと感じてたくらいで・・・。三層で、二大ギルドに真っ向からハッタリかましてる時に来てくれたのは、ほんとにびっくりしたし、あの時は、二人ともめっちゃカッコよくて・・・」
それだけで、こめかみが熱くなるのを感じる。どうしても、支離滅裂な言葉になってしまう。
「誇り高くて、気品があって。カイサラ相手にも一歩も引かず渡り合って」
それでも、アスナに、今までの旅は、嘘なんかじゃないと言いたくて。大切なものもあったはずだと、伝えたくて。
「キズメルは、俺と二人になると、アスナのことばっかだったんだよ・・・」
そこで、俺は一度視線を切った。俺の視界がぼやけている。悲しいからではない。これはきっと、大事なものを受け取っていたことに、今更になって気づいたからだ。そして、俺と同じように、アスナの目からも、その細いおとがいを通って、涙の珠を溢している。
「なぁアスナ」
「・・・うん」
「キズメルは、笑ってたんだろ?」
「・・・うん」
「何か、言ってたか?」
「『其方らに会えてよかった。かけがえのない旅ができた。互いを守れ。』って・・・」
最後の方は、最早掠れ声だった。
それでも、俺の耳にはきちんと届いた。
ーーーだから。
「なら、その言葉は、守りたい、と思う」
言って、アスナの細く白い手を取る。
「俺は、君を守るよ。俺を必要としなくなるその日まで。可能であれば、その日を超えてでも。」
そう言うと、アスナは俺の胸元に、軽く頭を乗せた。
「私も、君を守りたい・・・。まだ追いついてないけれど・・・。いつか、必ず」
俺は、行き場の失った右手を、彼女の頭の上に乗せて、ゆっくりと動かした。
いつか、アスナが俺にしてくれたように。
天蓋に映る偽物の盈月の下で、仮初の心臓の鼓動が聞こえる距離で、俺たちは、お互いに、ただ無言で寄り添い続けていた。