昼下がりの公民館は子供の声が響いていた。彼女達はドタドタと屋内を走り回る。しかし、その彼女達の表情は全くわからない、なぜならばその顔には「仮面」を付けているからだ。
「とうっ!」
一人の少女が叫んで、飛ぶ。着地した時に靴下としっかりとワックスの塗られた廊下がこすれて、すべりそうになるが、なんとか体勢を維持して。ポーズをとる。少女は仮面ライダー「ガイム」の仮面を被っているが、その青い髪は印象的で大きなリボンをつけている。
「ついに追いつめたわ! 怪人ケロリン! 今日が年貢のさけだめよっ」
最後のほうがてきとうな口上を述べて、少女はびしっと指を「怪人」に指す。そう、青髪の少女の指の先にはまた一人、仮面をかぶった少女がいた。その少女も仮面ライダー「アマゾン」の仮面をかぶっている。しかし役自体は怪人役なのだろう、腰に手を当てて笑う。
「ケーロケロケロ。それはどうかしら、むしろ罠にかかったのはバカなお前の方かもね。さあ、大魔王サーナエの供物にしてくれるわっ」
ケロリンは片手をあげた。彼女は金色の髪をおさげにして、頭には目玉のついた市女笠を被っている。しかし、その正体は全くわからない。ちなみに遊んでいる子供というよりは、保護者的な位置にある。要するに一緒に遊んであげているのだ。
金髪の少女が片手をあげると彼女達のいる廊下の両側のドアが開いた。そこから珍妙なお面を付けた者たちが現れてそれぞれ「サニ~」「スタ~」「「ルナ~」と変なイントネーションで言う。言わずもがな悪の戦闘員である。
三人が顔に付けているのは「希望の面」と言われる古代の皇族が自らをモデルに作ったお面である。それは河童が大量に生産した贋物に過ぎないが、その美しいデザインから子供達は満場一致に「悪の戦闘員用のお面」と決定した。
「くっ卑怯よ!」
青髪の少女が言う。しかし、ケロリンはふははと笑って、戦闘員達に合図を送る。それだでワラワラ動きながら「希望の面」をつけた三人が青髪の少女を囲んだ。絶対絶命の危機だといっていいだろう。
「そこまでだ……」
とてもテンションの低い声が響く。公民館の中は狭いので、それなりの声を出せば反響するのだ。戦闘員を加えた四人は声の方向を見た
そこにはノースリーブで緑のチェックの上着を着て、何に目覚めたのか赤いミニスカートを着た「キツネの仮面」の少女がいた。長い桃色の髪は彼女が動くと、緩やかに動く。背丈は他の少女よりは頭一つは大きい。
「この私が来たからにゃあ、もう安心だっ。てめぇらみなごろしにしてやる」
テンションは低いがとても流暢に台詞を言うキツネのお面。ただし、その台詞を即興でつくったのだろうから、青髪の少女を助けにきたのではなく第三勢力になってしまっている。しかし、ばばっとポーズをとる姿は、幻想郷で「能」をやっていたからか流れるようだった。
しかし、このことが怪人ケロリンと青髪の手を結ばせることになってしまった。互いの敵は、共通の敵。ゆえに手を組む理由はこれ以上ない。ケロリン達と青髪は一斉に「キツネのお面」にとびかかった。キツネのお面は悲鳴を上げる。
「ひ、卑怯だぞ」
青髪の少女が言ったことと同じ、キツネのお面の断末魔が廊下に響く。全員に取り押さえられて、くすぐられる彼女は哀れですらあった。キツネのお面をがずれて、無表情の彼女の口から涎が出ている。
「元気だねえ……」
公民館の畳敷きの部屋で伊吹萃香は寝そべっていた。肩の出たキャミソールに男の子用のハーフパンツを着た鬼のその近くにお盆に載った、麦茶とコップがある。そもそも今廊下で遊んでいる彼女達はこの公民館に麦茶をもらいに来たのだ。
萃香はさらさらとした長い髪を鬱陶しげにかき上げる。鬼としての立派な両角は隠すこともない。見た者の眼を引く角だが、現代ではおもちゃかなにかくらいにしか思われないと、彼女は経験から学習していた。ゆえに隠すことはしない。
萃香はふああと大きく欠伸をする。ヒーローごっこに付き合ってもいいのだが、今は多少眠たい。実は部屋の隅で、お面が足りないという理由でふてくされて寝ているルーミアがいるが、萃香は気にしない。
そこに一人の老人が近づいてきた。禿げた頭にユーニクロで買ったポロシャツを着た彼は、萃香の前にソーダアイスを差し出す。町内の老人なのだろう。
「萃香や……今度の子供会のけんじゃけどな」
「ああ、じいちゃん。たしか運動会だっけ……?」
萃香はアイスを老人から受け取って、かじる。がりっと小気味よい音を立てて、シャクシャクと萃香は食べた。冷たくておいしい。これでお酒があればいいのだけれど、と彼女は残念がった。流石に見た目からは成年には見えないのだ。
もちろんだが、萃香はこの老人よりはるかに長い時を生きている。だから彼女が「じいちゃん」と呼ぶのは多少なりとも皮肉というか奇妙だが、萃香自身は中々に気に入っていた。幻想郷では人と交わることなどそうそうないのだから、新鮮ではある。だが、別段老人へ敬意を持っているというわけではない。あくまで遊びである。
萃香は考える。この夏の過ぎ去った秋に町対抗で「運動会」なるものをやるというのだ。そしてそれは子供会のリーダーに自分でもなぜだがわからないが、収まってしまった萃香の仕事でもあった。見た目は少女だが、その中身は正反対であることを自覚している、萃香は苦笑する。
「運動会か……何をやるのか知らないけど。まあ、楽しそうかな」
萃香はもう一度、アイスをかじる。遠くからは反撃にでた、キツネのお面の声が聞こえる。鬼の少女はそちらをちらりと見て、言う。
「どうせやるなら、大勢集めたいわね……楽しそうで暇なやつらは全員参加ね」
萃香はまた寝そべって、頭の中で集める者を考える。
そんなこんなで一部は違うが「子供達」が遊んでいる時に、フランドール・スカーレットは首を絞められている鴉天狗を指をくわえてみていた。
「どうしたのかしら? お客様?」
「ぐ、ぐええ、い、いきなり話も聞かずに……」
にっこりと笑う幽香の手は文の首をがっしりと掴んでいる。場所はあの雑貨コーナーである。幽香は意気揚々と店内に入ってきた鴉天狗が何か言う前に、その腕を掴んでこの場所まで連れてきたのだ。そしてあの日のように首を絞めた。ただ、文は自らのデジカメだけは両手で守っている。
「……話? なぜ、私がひじきの話を聞かなければならないのかしら?」
「ひ、ひじき!? な、なんの話ですか」
「あら、まだ自覚していなかったかしら。だめよ。あなたは海藻の一種なんだから」
「????」
幽香はニコニコと首を絞める。とても楽しい時間であるから、今までの疲れが洗われていくかのようだった。逆に文はじたばたと抵抗するのだが、幻想郷からこの現代に来て、彼女だけでなくほとんどの者が弱体化しているがゆえに「容赦のなさ」が力の尺度になっている。だからこそ幽香は河童と肩を並べるほどに「強者」であるのだ。単体では文に勝ち目などない。
だからこそフランを文は連れてきたのだが、そのフ金髪の少女は今文の後ろにいて固まっている。
フランはその鴉天狗の恥ずかしい状況を比喩ではなく、指をくわえてみている。いきなりの状況にどうしようもなく、頭が追い付いてこないのだ。しかし文を掴んでいる、幽香の髪が緑色なのでやっと彼女が容疑者の一人だと理解した。
「あ、あなた。アヤを離しなさい! 弱い奴をいじめるのはいけないわ! めーりんが言ってた!」
「!……」
文の心にぐさぐさと来る「救済の言葉」をフランは言う。幽香はこの金髪の少女の存在に気が付いてはいたが、ほとんど無視していた。しかし、フランが言った言葉に胸を打たれて、鴉天狗の首から手をはなす。文はげほげほと首を抑えて、咳き込む。
幽香はそれを無視して、フランに言う。
「そうね。弱い者をいじめるのはよくないわ……弱い者は弱いなりに頑張って生きているのですものね」
「そうよ。よくわからないけれど、弱い奴をいじめるのは最低だってよくテレビでも言っているし……そういうのは苛めって言うのよ。だからアヤを苛めたらだめよっ」
「わるかったわ……私が間違っていた。そうね、おちびちゃんの言う通りだわ。ねえ、ごめんなさいね、鴉天狗さん?」
ぎぎぎと文は何とも言えぬ顔をしている。幽香に謝ってもらったというのに、唇を悔しげに噛んでその眼は幽香を睨み付けている。それでいて顔が赤いので、泣きそうでもある。幽香はその顔を満足そうにみている。
フランは文の服を引いて、聞く。
「アヤ。大丈夫?」
「……ええ、体は」
文は肩を震わせながら言う。体は文の自己申告の通り大丈夫だが、心は深刻なダメージを負っていた。しかし、文もここで負けて帰るわけにはいかないのだ。当初の目的を達成するために、文は今一度やる気を振り絞った。
「さあ、ここから反撃開始ですよ。フランドールさん! 聞き込み開始です」
「えっ……そ、そうね。あ、あなた。昨日は何をしていたのっ!」
幽香はいきなり、フランに聞かれてきょとんとした。文がUSBを失くして、その捜索にフランが協力していることも、彼女が探偵のようなことをしていることも知らないから、当然の反応と言えよう。しかし、幽香は澱みなく答えた。
「昨日は……近所に住んでいると思うのだけど、とても弱い奴がきてウインナーを全部買って行ってくれたわ。ねえ、そうだったわね。鴉天狗さん」
「…………ソウデスネ」
幽香はにっこりと笑って、フランに向き直る。反対に文は苦虫を噛み潰したような顔をしている。フランはふむふむと頷きながら聞いている。まさか話に出てきた「弱い奴」が傍にいるとは思わないだろう。
フランはさらに聞いた。
「じゃあ、このあたりでUSBなんて落ちてなかったかしら」
「ゆーえすびー? 何かしら、それは」
幽香は首をひねった。彼女の生活は必要最低限なものしかない上に、ICT関係の機材など一つもない。一応携帯は持っているが、それもほとんど使用しない「ガラケー」である。ゆえに本当にUSBを彼女は知らなかった。
文の眼がきらりと光る。フランの後ろから彼女は幽香に近づいた。間にフランがいれば、急に首を掴まれることなどないはずである。
「あやや。もしかして幽香さん。知らないんですか?」
「……いきなり何かしら?」
「いやあ。もしかして、こーんな子供でも知っていることをあなたが知らないなんてことはないと思いまして」
にやにやと文は言う。幽香は青筋を立てて、にっこり笑う。
文はチラチラと幽香を窺いつつ、横を向いて小さく笑う。それがあざけっているかのようで、幽香の怒りを誘った。しかし、フランが真ん中で何が起こっているかわからない顔をしているから、幽香も手を出せない。無論、汚い鴉天狗は理解している。
「意外に、物知らずなのですねえ。幽香さんは」
文はわざと呆れたように言う。幽香はその表情で唇を噛む。フランさえいなければ今ごろ、一羽の鴉天狗がゴミ箱に頭から入っていたかもしれない。だが、今は文と幽香の間にある意味無垢な少女が緩衝地帯になっている。
幽香はフランに言う。
「ねえ、あなた。あっちに漫画コーナーがあるから、ちょっと行って来たらどうかしら?」
「えっ。本当!?」
「ええ。そうね。数分で事は済むから。その間に行って来たらいいわ。私はこの鴉天狗とお話をしたいのよ」
「わかったわ。行って――」
フランが幽香の指した方向に行きそうになるのを文は飛びついて止めた。その顔は必死そのものである。この場で妖夢の時のように、フランにいなくなられては命に係わる。それでなくても幽香に精神的に再起不能にされるかもしれない。
「だ、だめですよっフランドールさん。探偵が途中で仕事を投げ出していいんですか?」
フランははっとした。文の引き止める言葉には熱がこもっている。今彼女に去られては本気で鴉天狗にもどうしようもないのだ。その間に花の妖怪に何をされるかわかったものではない。今現在、間違いなく幽香は文へいい感情など持ち合わせてはいない。
「そ、そうね。今度にするわ」
文はフランの返答にほっとする。そしてにやりとして、幽香を見る。その顔はどうだと言わんばかりである。幽香はフランと文を引き離して、その間に鴉天狗を抹殺するつもりだったのだろうが、その計略は文によって破たんした。
現状戦況は文に有利。しかし、それは子供を盾にするという恥も外聞もないやり方に起因する。それでも幽香は面白くなさそうにしている。
文はここだと直感した。これ以上長いこと、戦いを長引かせてもなんら得はない。そう、このような精神的な闘争は有利な時に「勝ち逃げ」することが、正当な勝利なのである。だからこそ、文はフランに最後の言葉を耳打ちする。
フランは頭に「?」を浮かべながら、幽香に近づいた。幽香もなぜフランが近づいてきたのかわからずに、一瞬行動が固まる。それこそ文の望んでいた瞬間なのだ。
文は手にデジタルカメラを構える。幽香は気が付いたが反応が遅れた。その瞬間にフランは片手で幽香のエプロンを掴んで、もう一方の手の指を口に咥える。そしてその光景を文はデジタルカメラのシャッターに収めた。
「っ!」
幽香はフラッシュに一瞬目をくらませる。その隙に「幽香が子供に甘えられているかのような写真」を手に入れた文は、一目散に逃げ出した。フランもその後を追う。そう、文は先ほどフランに一連の行動と、その後の逃走を耳打ちしたのだ。
「あはは。完全勝利です。次の新聞を楽しみにしていてくださいね!」
幽香を挑発する文。フランは言われたままに行動したが、文と幽香が何をしているかさっぱりわからない。それでも文と一緒に逃げる。彼女が後ろを見ると、笑顔で幽香が追ってきているから本能的に逃げなければならないこともわかった。
文はパンの棚を華麗にカーブして入り口まで走る。従業員である幽香を振り切るには、店内から外へ出ればいいのだ。少なくともあまり遠くには追ってこられるはずがない。だからこそ、文は追ってくる幽香に脅威を覚えない。
しかし、人生はそんなに甘くはない。全ては因果応報であり、やったことは全て身に帰ってくる。
何者かに文の肩がガッと掴まれた。文ははっとそちらを見ると、白い髪を犬の耳のようにたてた少女がいた。作業着の胸元を開けて、中の黒のシャツが見えている。
「やっぱり。文じゃないか、なんで走り回っている」
「げえ、椛。こ、こんな時に」
「な、なんだその反応は」
犬走 椛。近くの芸能事務所に用務員として働いている彼女は昼さがりの今に、ちょうどお昼ご飯を買いに来たのだ。いつもは惣菜をてきとうに買って帰るだけだが、知った顔がいたので声をかけたのだろう。最悪のタイミングで。
椛は状況をよくわからないから、世間話を始める。彼女は頭髪の関係で目立つので、幽香から見られないように避けられていて、彼女の存在も知らない。
「そういえば、この前」
「い、良いですから、もじじ。離してください」
「もじじって誰だ。そもそも何をそんなに急いでいるんだ」
「ああああああああああああ、フランドールさん。これ、このデジカメをもってできるだけ遠くに逃げてください。もうそれしか」
追いついてきたフランに文はデジカメを渡す。フランはそれを掴むと、何かに怯えたような顔をしてくるりと身を翻して、入り口から出ていった。傘立てから日傘を持っていくことは忘れていない。
フランは見たのだ、椛の後ろから迫る、笑顔で殺気を放つ妖怪の姿を。
後ろからはこんな声が聞こえる。
「ち、違うんですよ。あ、あまりにいい写真がとれ、ぐええ」
「な、なんだこいつ、て、てんいんじゃないのぁああ」
天狗が二羽やられてしまった。一羽は完全に巻き添えである。
次は9月20日。
椛の口調が気に入り始めてきたこの頃。先々に出番などなかったですが、出るかもしれません。