東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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第2話

 

 やってやった。そう思いながら、霊夢は走っていた。仕事場の最寄りにあるバス停で降りて、行くべき場所とは逆方向に走ってやったのだ。慧音にはちゃんと「連絡」もしてから、着信拒否にした。

 作業服の上から、からったリュックサックから、水筒が鳴っているのか水音が聞こえる。走りながら見上げると、青い空が広がっている。心は爽快。解放感は極上。毎日の仕事から背を向けて逃げ出すこの瞬間に、霊夢は笑いたくなった。

 でも熱い。笑おうと開けた口に、むわっとした空気がはいってくる。霊夢はだんだんと走るスピードを落として、無意識に日陰を探した。少し先に公園が見えて、彼女はそこに入っていく。公園の入り口に差し掛かったときには、もうふらふらしていた。

 

 

「ぜはあ、ぜはあ」

 霊夢は駆け込んだ公園の木によりかかって、息を整える。体が熱いのは、単に作業服のような保温性に優れた服を着ているからではない。霊夢が眼線を動かして、公園の奥にある砂場を見ると、陽炎が立ち上っている。

 玉の汗が肌に浮かび、霊夢は息が穏やかになっていくことに反比例して、体の奥から熱が湧き上がっていくのを感じざるをえなかった。彼女は地面に腰を下ろして、リュックを下ろす。作業服の胸元を開けて、汗にまみれたシャツがわずかに見えた。胸がわずかに上気する。

「あ、は、も、もうタンポポを見なくて済むわ」

 刺身の上のタンポポ。それは俗説であり、実際には菊なのだが、霊夢にはそんなことはどうでもいい。あの空間にいて、長い時間拘束されなければ、何一つ問題がないのだ。

 霊夢は顔を流れる汗に不快感を覚えて、袖で拭く。拭いてもすぐに汗がわきあがってくるから、無駄だと思ってすぐにやめた。

 霊夢は地面に手をついて、膝を曲げて横座りをする。恰好は作業服という、男のような形だが彼女も女の子なのだ。ただし、座り方が恰好にあっていないのは別の問題である。それでも彼女は座ったまま、首を上げて空を見る。

 

 青い髪をした「にやけ顔」がそこにあった。「彼女」は座っている霊夢の真後ろにいつの間にか回り込んで、霊夢が顔を上げた瞬間に中腰で見下ろしたのだ。霊夢は驚いて、体勢を崩してしまう。

「う、ずあわあ、て、天子!」

「あはははは。霊夢、あ、あははは」

 比那名居天子はいたずらに成功して、お腹を押さえながら笑う。彼女は長い青の髪を両側で結んで、ツインテールにしている。恰好はなぜか、白のラインが入った青のジャージ姿で頭にはアディイダスの白いスポーツキャップをかぶっている。

 霊夢は慌てて立ちあがって聞く。その顔が多少紅潮しているのは、驚いたことと奇矯な声をだしてしまった無様さからだった。

「な、なんであんたが」

「ひ、ひひひ、あははは、あははは」

「ねえ、ちょっと」

「あ、あはは、ごめん、なさ、つぼに、はは、く、ぐるじい」

 しまいには咳き込み始める天子。膝をついて、お腹を押さえながら笑うから、まだ息が苦しいのかヒューヒューと息をし始める。霊夢は流石に心配になって。その背をさすってやる。だが天子は彼女の顔を見ると、吹き出し。唾が少しだけ霊夢にかかり、彼女のこめかみに青筋をたてる。

 霊夢は立ち上がって、冷たく天子を見下ろしながら言う。多少日頃のストレスから言葉も辛辣になってしまった。

「もう、そこで笑いながら死ね」

「あ、は、はは。ご、ごめん。み、みずでないで」

 涙を目元にためて、勝手に苦しむ天界の住人。霊夢はそこから踵を返して、立ち去ろうとするがその足首を天子に掴まれる。霊夢は足を引いて振り払おうとする。

「は、はなしなさいっ」

「は、薄情ものぉ」

 天子と霊夢の意味のない言い争いはしばらく続いた。

 

 

 ベンチに腰掛けて天子はアーク・エリアースをぐびぐびと飲んだ。彼女はペットボトルを傾けて、中のドリンクをすさまじい勢いで干していく。彼女が飲み終って、口からペットボトルを外すとぽんと音がした。桃色の唇が、少しだけ水をはじく。

「ぶはあ、やっ、やっと落ち着いた」

「……そりゃあ、よかったわね」

 天子の横で霊夢が手に持った、お茶のペットボトルを両手で持っている。多少減っているのは彼女が飲んだのだろう。霊夢は水筒を持っているのだが、なんとなく飲む気がしなかった。その水筒入りのリュックは彼女の傍らにある。

 天子はとりあえず空になったペットボトルを腰にさした。ジャージを引っ張ってそこにさすという、すさまじいほどに大雑把なやり方である。しかし、彼女は気にするそぶりも見せずに立ち上がって霊夢に言う。

「じゃあ、どこに遊びに行く?」

 わくわくした顔で天子は言う。霊夢はいきなり言われて、はあと口を開けた。一瞬だけ何を言われたのか本当にわからなかった。彼女はかろうじて、声を出す。

「あそび?」

「そうそうそう。せっかく会ったんだから! 遊ばなきゃ損じゃない!!」

 ぐっと霊夢の肩をもって、きらきらと輝く眼で彼女を見る。霊夢は困惑と呆れた気持ちで彼女を見返すが、天子にそんなことはなんら関係がない。それどころか、霊夢の返答など聞かずに天子は霊夢の手をとって引っ張る。

「さ、さ! いこう」

「い、いやちょっと待ちなさ」

 霊夢はあわててリュックを取り、天子に腕を引かれるまま、走り出した。彼女は流石に、これから三㎞ほど走らされるとは気が付かなかった。

 

 

 

 生まれたての子牛のように足をがくがくとさせながら、霊夢はぼけえと目の前の建物を見ていた。彼女の前には、めいっぱい見上げないと「頂辺」が見えないほどの高層マンションがあった。しかもその中に、天子は入っていくのだ。

「れいむー?」

「はっはい」

 何故か天子から呼ばれて敬語で返事をしてしまう。霊夢は大理石を敷き詰めたエントランスに入った。このエントランスだけで霊夢の家より大きい。彼女のアパートにはそもそもエントランスなどという洒落たものが存在しない。ドアを開ければ即、外出できる。皮肉を言えば、合理的であろう。

 そんな中で、天子は、奥の自動ドアの前にあるモニターをタッチパネルで操作して、最後に指を数秒置く。それだけで、ドアが開いた。

「し、指紋認証」

 伝説で聞いたことがある、という風に霊夢は驚いた。本当にこの世にあったのかと彼女は驚きを隠せない。というか、どこからどうみても遊びまわっていそうな天子がそれを開けたことが信じられない。

 霊夢は夢心地のまま、天子の後ろをおっかなびっくり進み。驚くほど音のしないエレベーターに乗って、上の階へ昇った。エレベーターはガラス張りで外の景色が急速に動いていく光景に霊夢は口を開けて驚く。

 驚きはそれだけではない。エレベーターが停まり、霊夢と天子の降りた階の床は絨毯張りの廊下である。霊夢は「廊下が柔らかい」という未知の感覚になぜだかわからないが戦慄を覚えた。ここで寝転がれば、畳の上で寝るより気もちいいのではないだろうかと、彼女は思う。

「霊夢? ここ、ここ」

 とある部屋の前で天子は止まる。霊夢は天子に驚いているところは見せたくないので、できるだけ神妙な顔をして、こくりと頷く。腕を組んで、じっとりとしたその目つきは虚勢の現れである。

 天子は「?」と頭に浮かべながら、ドアを開けた。鍵で開けた様子はないが、何かしらの機能が作動して「ピーガチャ」という音がしたが、霊夢は聞かなかったことにした。きっと空耳であろうと勝手に納得する。

 霊夢はとりあえず、天子の後ろから部屋に入っていく。

 後ろの廊下をおかっぱ頭のかぐや姫のような女性がだらしない恰好で、お腹を掻きながら歩いているのは、さすがの霊夢も気が付けなかった。

 

 

 天子の部屋に入った霊夢はいろんなことを知ることになった。

 とりあえずフローリングの床に自分の顔が映ることを霊夢は知った。ダークな色のそれは、しっかりとワックスがかかっているのか、霊夢が足を動かすと、すべるような感触を覚える。この部屋には窓を多く作り、外の光を入れる構造になっており、フローリングに光が反射して、映える。

「ま、まあまあね」

 訳の分からない強がりを言いつつ、霊夢は奥へと眼を向ける。そこにはシステムキッチンが――特に奥には何もないようね、と霊夢は現実逃避しつつ、近くにあったソファーに腰掛けた。身が沈むような弾力のあるそれが、いいものであることくらいは霊夢にもわかった。

 ソファーに座ると、目の前にはワイドなテレビ台とその上に何インチあるのかわからない薄型のテレビが置いてあった。テレビ台にはものが置けるようになっており、そこにはテレビゲームのハードだとか、ソフトだとかが置いてある。

 テレビ台の左右に「棒」のようなものが立っていたが、それを霊夢は「スピーカー」だとは認識できなかった。これについては本当に知識として、頭にない。

「いっちに、いっちに」

 驚きで頭の中がパンクしそうな霊夢とは裏腹に、この部屋の主はのんきにストレッチを行っていた。霊夢が走りながら聞いた話では、天子は日課としてジョギングをしているらしい、ジョギングをしなければ天子は、

「ロードバイクで遠くに行くかな?」

 などと言う。

 

 しばらくして、霊夢は天子に部屋のことを聞く決心ができたのか、口を開いた。なぜこんな場所を借りることができたのか、彼女じゃなくても気になるだろう。

「ね、ねえ。天子」

「ん、どうしたのかしら?」

 天子は頭を縛っていたゴムを取り、ツインテールをほどく。それで青い髪が流れるように、ふわりと動く。留めていたのに天子の髪には癖がついてない。艶のあるそれは、太陽の光を反射してほのかに、光っているかのようだった。

 天子はキャップはすで取っていた。そのままジャージの上着を脱いで、霊夢の話を聞く。天子は中に黒のインナーを着ていた。それは体のラインが現れるぴっちりとしたものだが、汗が滲んでいる。

「この暑いのによくやるわね」

 見るだけで辟易した霊夢は言う。彼女の格好もかなり熱い部類にはいるのだが好んで厚着をして運動を行う天子とは、少々話が違う。方や健康のため、方や生活のためであるのだから。

「ん? んー」

 天子は何を言われているのかわからないといった顔で、ジャージのズボンを脱ごうとする。霊夢はぎょっとして、止めた。女の子同士でもいきなり、目の前で服を脱がれては困惑するだろう。

「な、なにしてんの」

 は? と天子も手を止めて、しばらく考えてから言う。

「お風呂入る、のだけれど?」

 天子はそのまんま、今からの行動を口にだした。簡潔かつ、必要十分な言葉に霊夢は返す言葉がない。だから天子は言った。

「入る?」

 

 

 

 檜風呂が自宅にあるというのは、霊夢の心をくすぐった。お風呂場に入るとすぐに木の香りがして、湯気で霞んだ木の壁に霊夢は思わず手をついた。霊夢はそこに手を置いたまま、絶句した。水シャワーだけしかないアパートなど、この世に存在していいのだろうか。

 霊夢は体にタオルを押し付けて、どこか恥ずかしげに腰を下ろした。床はタイルが敷き詰められている。それはまるで、高級旅館に来たかのような錯覚を覚える。霊夢は頬が引くつくのを感じる。どうしても戻らない。

「……」

 湯船には満々とお湯が張られており、湯気が立ち上っていく。それでもお風呂場が完全に白いそれが充満しないのは、換気が十分だからだろう。霊夢は手元にあった、おそらく檜でつくられているのだろう桶で湯を組んで、体にかける。タオルが体に透けながら張り付く。あっと彼女は思うが、ぼやっとしていて天子からもらったタオルを濡らしてしまった。

 とりあえずタオルを取って、ちゃぷと細い足から湯船にはいる。じっくりと入りながら、霊夢はあることに気が付き衝撃を受けた。

「あ、足が延ばせる!」

 檜の湯船は霊夢が腰を底に付けて、足を延ばしてもまだ余裕があった。チルノならば泳げるかもしれない。氷の妖精である彼女がそんなことをするのかは別としてもだ。ルーミアならば、喜んで泳ぐのかもしれない。

 木の香りとお湯の暖かさに包まれて、霊夢は汗を額に浮かべた。風呂に入る前にはこの暑い日に入ること自体はそう気分がいいものではないと思ったが、だんだんと霊夢は体中が溶けていくような快感を覚えた。汗をかくのも、何もかも気分がいい。ほふうと息を吐いて、霊夢は肩の力を抜いた。濡れた髪が肌に絡みつく。

 がらと天子が長い髪をバスタオルで巻いた姿で入ってくる。彼女は鼻歌を歌いながら、壁に掛けてあった、シャワーで体を濡らしていく。それからこれまた木でできたバスチェアーを取って座りシャワーを止める。

 天子は鼻歌を止めずにボディソープを手に取って、そのまま体をこすり始める。いちいちタオルやスポンジにかけないでも、手で洗うことのできるボディソープがどれだけのランクのものかは霊夢にはわからない。いや、放心している彼女にはどうでもいい。

 腕、肩、胸、お腹と体を手で洗いながら、天子はすさまじいほどにだらけた顔をしている霊夢をみて、思わずシャワーを手にとった。体に付いた泡を取るためではない。温度を最低にして、圧力を最大にし、霊夢に向けて発射する。

「ぶっぶあわ」

 水を顔に浴びて、変な声を上げて霊夢は立ち上がった。

「ぃくくくく」

 手で顔を覆い、笑いをこらえている天子が霊夢の目につく。だからこそ、この黒髪の巫女の顔が見る見るうちに怒りに染まっていくのだ。ちなみに天子が笑いを堪えているのは、先ほどのように笑い死にそうにならないためである。

 霊夢は木の桶を手に取った。天子はお湯をかける気だなと身構えた。もちろんその心は遊びに向かう子供用に、湧き立っている。霊夢と遊べるのが純粋に楽しいのである。だが、霊夢はそんなに甘くはない。

 

 カコーンとお風呂場にいい音が響いた。

 

 

「いてて」

 ソファーに腰掛けた天子は頭をさすりながら、アイスを頬張る。がりがりとソーダのアイスを彼女はかじりながら、ぱたぱたと片手で団扇を煽ぐ。その髪はしっとりと濡れているのは風呂から上がってすぐだからだ。

 エアコンはあるが、風呂上がりにそれでは体を冷やす。だからこそ天子は窓を開けて、団扇を煽ぎながらアイスを食べる。この「外」の世界に来てから、少々体が弱くなったらしく幻想郷で見せたような頑強さが今はないからこそ、彼女は自らの体にいいことを愉しんでいる。

 天子は薄い桃色のキャミソールを着て、その胸元には黒のリボン。スカートはチェックのフリルスカートを穿いている。彼女はできるだけ涼しい恰好で、これから出かけたいのだった。

「ねえ、天子」

「お、おお。いいじゃない!」

 風呂から上がった霊夢が、天子が用意した服に着替えてきた。デニムのショートパンツに黒のタンクトップの上から薄いブラウスを付けて、中の黒を「見せている」。それにいつもの赤いリボンを取って、黒髪を下ろしている彼女は風呂上りのためか、ほおが少し赤い。

 天子はそれに満足したようにうんうんと頷いて、アイスの残りを全て食べる。そしてアイスの棒を咥えたまま、霊夢に言う。

「さあ、どこに行こうか!」

 霊夢の返答など天子は待つ、という発想がないようだった。

 

 

 

 

 




あそびにいこう!

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