お金は降って湧いてくることはない。それは幻想郷からきた少女達も身に染みてわかっている摂理だということができるだろう。しかし、現実にお金が必要な時というのは絶対的に存在するのだ。
数か月前の紅 美鈴はまさにそんな状況にあった。
彼女はとある大切な「約束」の為にどうしてもお金が必要ではあったが、毎日の生活費を切り詰めても約束の履行は不可能だと分かった。
必要なのは数万円である。世の中のサラリーマンが一か月働いてから「奥さん」というフィルターを通って渡されるお小遣いに匹敵する大金である。到底美鈴のようなものに掴めるお金ではないのだ。
それでも美鈴は約束したのだ、とある少女と「一か月後にゲームを買ってくる」と。
だからこそ、できませんでしたとは口が裂けても美鈴には言えなかった。仕事を増やせば収入は増えるが、約束は一か月後である。間に合うとは普段楽観的な美鈴にも考えることはできなかった。
追い詰められた美鈴はとある決断を行った。
河童を頼ったのである。幻想郷の者たちからとある理由で恐れられている彼女に、美鈴は縋ってしまった。しかし、金を貸してなどという図々しいことをしたのではない。唯、今すぐにできる仕事の斡旋を頼んだのだ。
「わかったっ! ピッタリな仕事を持ってきてあげるよっ。でもマージンは後でもらうよ」
青い髪を二つ結びにした河童に美鈴は仕方なく頷いた。この目の前の少女を怒らせればいろいろとまずいことになるのだ。河童自身には悪意は少ないのだが、その力は強力に過ぎた。
それはともかく、美鈴はとある職業についた。元々やっていた警備員も続けているからダブルワークである。それでも約束の為と、体力に自身のある美鈴はやりきる決意をした。
ただし河童の持ってきた仕事には、体力などいらなかった。
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「さあ、フランさんここの上の階にありますよ」
文は雑居ビルの前でフランを振り返って言う。フランはパーカーを深くかぶっているから、その紅い眼が鈍く光っている。しかし、ぐぎゅるとお腹が鳴ったから頬が少しだけ赤くなる。もう、お昼時には遅いくらいであるから仕方ないことだろう。
文はくすりとして、雑居ビルの中に入っていく。エレベーターが入り口のすぐ横にあったから、二人は乗り込んだ。狭いその中でフランはパーカーを取る、あくまで日光を避けるためにかぶっていただけでファッションなどという物ではない。
露わになる金色の髪と火照った頬、フランは首を何度か振って肌についた髪を振り払う。
「そういえば、今から行く場所って何が食べられるの? アヤ」
「そうですねー。あっ、さっき言っていたパフェとかなら、食べることができるんじゃないですかね。あとは、オムライスとか……すみません。私も実は私用で行ったことはないので、よくわからないんですよ」
「ふーん」
そんな会話をしていると、エレベーターのドアが閉まって上にあがっていく。会話しながら文がパネルを操作していたのだった。フランはそんな文の背中を見て、なんとなく抱き付くいたずらを想いついたが、お腹が減っているのでやらなかった。
夕暮れをおんぶしてもらって、帰ったことはフランも覚えているから、そんなことを想うのかもしれない。
「そうだ、フランさん」
くるっと文が振り返ると、びくっフランが肩を震えわせる。なぜそうなるのかは文にはわからずに首をかしげるが、まさか自分がいたずらの標的にされていたとは思わないだろう。フランが万全だったら、すでに文の背中に乗っている。
「……どうしたんですか? ま、いいですけど。……今から行く店にはですね、フランさんも知っている人がいると思うのですが、できるだけ甘えてくださると助かりますね……そこを脅し……交渉次第で何とでもなりそうではありますから」
「? わたし、甘えるようなことをしたことないけど」
いけしゃあしゃあと言うフランに苦笑いしつつ、文は「頼みますね」と小さく言う。どうせ、フランが店に行けば甘えるに決まっているのだから、あまり強く頼む必要性などないのだ。
そうこうしているうちに、指定した階に到着したらしく。エレベーターが止まりドアが開いた。その先には目的の店が、ある。
文とフランの降りた先はすぐに「カフェ」であった。シックなデザインの店内にはテーブルが並び、紅茶のよい香りが、漂っている。客自体はお昼を少し過ぎたこともあり、ほどほどと言っていいだろう。
奥の方には同じような髪のした二人の少女がケーキを食べながら談笑しているのが、文には見えたがすぐに目線を他に移した。彼女の探しているのはそのような一般人ではないのだ。その二人は金髪で片方が紅葉の形の髪飾り、片方が傍らに葡萄の飾りのついた帽子を置いている。
「あっ咲夜だ」
フランがぴっと指さして言う。その指の先には、エプロンドレスを着ている女性がいた。彼女はくるりと振り返ったが、その顔をフランは知らない。フランはちょっと困惑したような顔をした。
フランの反応したのは女性自身ではない。その姿恰好にとある人物を結び付けただけである。
「フランさん。ここはメイドカフェという場所で十六夜さんと同じメイドさんがたくさんいる場所ですよ」
「えっ? 咲夜がたくさんいるの?」
「そういうと、なんだか違う気がしますが……職業的には同じ人がたくさんいますね」
そんな会話をしているとたったったとメイドの一人がお盆を片手に走り寄ってきた。赤く長い髪をリボンで縛ってポニーテールにしている。それでもおさげは三つ編みのままだった。フリルのついたカチューシャもしている。
「すみませーん、いらっしゃいませ。ご主人様」
とその女性は文とフランの前にきて、ぺこりと頭を下げる。長身ではあるが、ゆったりとした黒く丈の長いワンピースの上からエプロンドレスを着ている。まさに「メイド」と言った格好をしている。
フランは眼をぱちくりさせて、その女性を見る。
「あれれ?」
いつか使った、誰かの口癖を思わず口にしてフランは考える。その様子に文は笑いを堪えているが、頭を下げているメイドは「頭をあげない」。彼女もやっと相手が「誰か」わかったのだろう。
「いもう……さまぁ」
小声でうめくメイド。その声を聞いたわけではないが、フランはすっと膝を折ってメイドの顔を覗き込もうとする。だが、逆にその赤毛のメイドは顔を背ける。
フランはそれでもあきらめずに、メイドの顔の見えるほうへ回り込もうとする。しかし、メイドもさるものでお盆で顔を隠しつつ「に、にめいざまでがすか」とできるだけ声を低くして聞いてくる。
「おやおや。そのような態度でお客様を迎えようなんていいんですかねー」
面白がって文は煽る。メイドは肩を震わせてお盆ごしに文を見るが、フランをここに連れてきたのは誰なのかを理解したらしく顔を隠したまま文に近づいてきた。そのまま文の右手を掴んで締め付けてくる。
「だ、だめです。折れます。だめ、ブン屋の右手は」
何か言いながら抵抗する文だが、掴んだメイドの手はびくともしない。しかしそんなことをしていたからかフランがまた回り込んできたことに気が付けなかった。
フランはハッとしてすぐににぱあと笑顔になる。そしてメイドを指さしてから叫んだ。
「めーりん!」
「いもうとさま」
涙目になっている赤毛の女性、紅 美鈴こそこのメイドの正体であった。フランに見つかったショックか何かで文を掴んでいる手にさらに力が入るが、無意識であった。「いたいたい」言っている鴉天狗の声など聞こえてもいない。
その上フランは美鈴の涙目にも痛がっている文にも頓着せずに勢いのまま、美鈴の腰に抱き付いた。ばふっとエプロンの中に入っていた空気が音を出して、フランがすりすりとほおを白い布に擦り付ける。
「……ふう」
その無邪気なフランの態度に、美鈴は流石に隠す気も恥ずかしがる気持ちも薄れてしまった。だからこそ、彼女はにこっと笑ってた。鴉天狗の手首は離していない。
「おお、いたいいたい」
文は己の手をさする。彼女はすでに席についており、フランもその前でメニューを開いている。椅子が少々高いらしくフランの足はつま先だけ床についている。そこにメイド服姿の美鈴がやってきた。
スカートの裾がゆらして近づく、少し赤い頬に薄く付けた口紅は彼女の趣味というよりは店の方針だろう。彼女はフランだけに笑顔を向けて、水を二つ持ってきた。天狗の分は塩でも入れてやろうかと思ったが、客商売なのでやめた。
「妹様。ご注文は決まりましたか?」
「うー。この『どきどきメイドさんのオムライス』ってなに?」
「ろ、朗読されると、きついです」
美鈴はいつもは何気なく受けているメニュー内容を近しい者に言われて恥ずかしくなる。ここは男性をメインターゲットにしたメイド喫茶ではないのだが、それでもメイドを売りにしているためこんな摩訶不思議なメニューになるのだろう。
「あっ。私は」
そこに割り入るように文が手をあげると。美鈴がフランに対するよりもすがすがしい笑顔で振り返って言う。文は自分の注文がしたかったに違いないのだが、そんなことはさせまいと美鈴が先手を打つ。口調はお客様用ではある。
「鴉天狗さんはスペシャルミラクルパフェですね!(2980円)」
「い、やいやそんな甘ったるそうな物を食べる気はないのですけれど、というか何も言ってませんよまだ……」
「腕をおしぼりしましょうか?」
そこではたと文は気が付いた。何故か彼女の脳内に浮かぶのは刀を持った不審アイドルの姿である。美鈴からは彼女と同じ「気」のようなものが伝わってくるのだ。その笑顔はよくよく見ると目が笑っていない。蛇足だが美鈴の言う「おしぼり」とは濡れた布ではなく、物理的に搾ることである。
「じゃ、じゃあそれで」
文は身の危険から逃れるために承諾した。メニューはフランが独占しているのでパフェがいくらなのかなど知りはしないが、どうせパフェなどというスイーツが高いはずはないと高をくくっているのだ。咲夜からもらった二千円もあるから大丈夫だろうとも思っている。
そんな文と美鈴の暗闘には気が付かず。フランは顔をあげて美鈴に言う。
「ハンバーグ」
注文したのは子供らしいもので、そのかわいらしさに美鈴の口元も緩んだ。普段から甘やかしているから一層可愛いのだろう。うんと頷いて美鈴はメイドらしく、ぺこりと頭を下げてにこっとフランに笑いかける。
「さくやみたい」
きらきらした目でフランは美鈴を「褒めた」がそれが賞賛の言葉だとは分かりにくかった。逆に美鈴は「咲夜さんには秘密ですよ」とフランに言った。
文の目の前に置かれたパフェは異常だった。テーブルに置かれているはずだが、その頂点は文の目線よりも高い。アイスクリームが山のように積まれており、その「山頂」にはさくらんぼの山ができている。一人で食べられる量ではないということは明らかだった。
「それじゃあ、残さないようにね」
美鈴は持ってきた時にそう文に言って、肩をぽんと叩いた。静かな脅し方はどことなくメイド姿に影響されたのか咲夜と雰囲気が似てきたような気もする。しかし、フランに対しては終始にこやかに対応して、紙エプロンを首元に付けてあげる。
それを少し恨めし気に文は見てからスプーンでアイスを食べ始める。イチゴ味のクリームが付いていて、一口目は間違いなく美味しかった。百口くらいで食べ終わることができるだろう。
フランの前に置かれたハンバーグはただのハンバーグではない。ここはメイド喫茶なのである、いちいち通常メニューにもアクセントをつけることはもはや「あたりまえ」といってよい。
更に乗せられたハンバーグには「顔」があった。チーズやケチャップを使って「くまさん」型のハンバーグになっていた。まだつくられて間もないのか、じゅうじゅうと小さな音が鳴っている。
「妹様。くまですよー」
「ほんとだっ。クマみたい。いただきます」
しかしお腹の減っていたフランはフォークを持ってクマの眉間にぶっさす。愛らしいクマのハンバーグが猟奇的な場面に早変わりしてしまい、美鈴は笑顔のまま固まってしまった。フランはそんなことは気にせずてきとうにナイフとフォークでクマを『解体』すると、その一片を口に運んで、もぐもぐと食べる。
「んん~」
おいしそうに食べるフラン。色気より食い気、クマより肉。そんな食事の風景に美鈴は戸惑ったが可愛いのでよしとした。完全に魅力に取りつかれて「フラン馬鹿」になっている。眼に入れても平気そうでもある。
その前で甘ったるいアイスをもしゃもしゃ食べている鴉天狗。スプーン削り取ったアイスの中から出てくる練乳という伏兵がさらにお腹にたまっていく。まだ、食べていても美味しく感じることができる。
「あ、あのフランさん」
「何? アヤ」
「それを食べたら、このパフェをちょっと食べませんか? いや、ちょっとというか90%くらい食べてくれもいいのですけどね」
「いいの!?」
フランはわっと喜んで立ち上がろうとした。先ほどより文のパフェをちらちらと見ていたのは内心で狙っていたのだろう。文の方でもフランに与えるのであれば、紅魔館の赤毛メイドとはいえ文句は言えまいと思ったのだ。
「……」
文がちらりと美鈴をみると、ふうと息を吐いてしかたなさそうにしている。文の計略は当たったのである。しかし内心では「このパフェいくらなんでしょうか?」と疑惑が溶けない。2000円で足りるかもだんだん不安になってきていた。
「おなかいっぱい」
フランはハンバーグとパフェを食べてお腹をさすりながら言った。目の前では文が「お腹いっぱいです」と死んだような顔でうめいている。アイスに興味を示したフランではあったが、少女のお腹のキャパシティなど大したことはない。最終的にほとんどを文が食べることになってしまった。
「もう、にどと、パフェなんていりません……」
文の苦しげな声。お昼ご飯としてはヘビーすぎる物を食べて、一種のトラウマになってしまったようである。逆にフランは心地よい満腹感でいっぱいになっていた。
「食後のお紅茶ですよ。妹様」
そこにお盆にティーカップと丸いフォルムをしたティーポットを載せて美鈴がやってくる。文はその虚ろな目で彼女を見て、抗議する。
「紅茶なんて飲むお金ないんですけど」
「……これは私のおごりよ」
美鈴はフランに対する言葉遣いと文に対する言葉遣いが違い。それは彼女の中で主筋への敬意が関係しているのだろうが、文に対する口調が本来のものなのかもしれない。
並べたティーカップに紅茶を注いでいく美鈴。こぽこぽと音をたてて、静かに湯気が立ち上っていく。ハーブの香りがすることに文は気が付いた。そこで少し疑問に思ったことがあったので聞いてみた。
「これはあなたが煎れたのですか?」
美鈴は文を見て、少しにんまりとしてから「そうよ」と返す。どうやら多少なりとも自信があるらしい。働いて数か月の間にそれなりに練習したのだろう。
美鈴は嬉しそうに二人の前にティーカップを並べて少し期待した目で横に侍った。しかし、知り合いに飲まれるのが怖い部分もあるのかお盆で顔の半分を隠している。
「いいかおりですね」
文はカップを手にして、湯気ともに立ち上る香りを楽しむ。カップの中で揺れる琥珀色の紅茶を少し口に含む。砂糖は入れていないから程よい苦味が、文には心地よい。
「おいしいです」
天狗にしては素直な感想を漏らす文を美鈴は見て、お盆で手を隠してぐっと握る。見られると恥ずかしいので顔はポーカーフェイスを気取っている。口元がにやついているのは隠しきれてはいない。
フランも紅茶を口にして飲む。ハンバーグをフォークで刺したりする彼女だが、紅茶好きな姉のいる環境からか、その飲む仕草は優雅であった。しかし、砂糖を入れていないために顔をしかめそうになっている。
「お、おいしいわ」
強がりながら美鈴に言うフラン。赤毛のメイドはくすりとして、砂糖を入れてあげる。そこからはフランもおいしそうに飲むようになった。
文はそんな二人の様子を見ながら、ぽつりと言う。
「あなたのご主人様にも飲ませてあげたらいいんじゃないですか?」
「お、お嬢様に? それは……そうね。いつか飲んでもらいたい、かな。咲夜さんに負けないように練習してから……」
文は少し慌てながらも、わずかに挑戦的でもある美鈴を見ながら、紅茶を飲む。
帰りに財布からお金が無くなるが、今はただ食後のティータイムを楽しんでいた。
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夜にフランは咲夜のカフェでカウンターに座り4DSをしていた。
咲夜はそんなフランの傍らにホットミルクを置いて、一日にの締めに掃除をしている。この頃はコーヒーを淹れることが自分でもうまくなってきた気が、彼女はしていた。
「そういえば、さくやー」
「なんでしょうか? 妹様」
「めーりんって紅茶煎れるのがうまいんだよ」
ゲームをしながら世間話をするフラン。あまり意識して話題にしているのではなく、ミルクをみてなんとなく話している。美鈴のバイトについては秘密にしてほしいと言われたが、紅茶のことについてはなにも言われていない。
咲夜はきらりと眼を光らせて、手に持ったモップの動きをとめる。
「今度おねー様にも、飲ませたいって。咲夜に負けたくないからっ」
「へえ……」
くるりと振り返った咲夜の顔は、とてもいい笑顔だった。
「妹様。そのお話は興味深いですわね」
咲夜は、静かに言う。