東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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第三部
1話


 ここは丘の上にある、野球グランド。両翼80mはある市営としては大きなものだ。

 

 内野にひし形の形に並んだベースは、俗にダイヤモンドと言われる。地肌を見せた「内野」はしっかりとトンボが掛けられており、穴どころかピッチャーマウンド意外には起伏すらもない。

 外野は天然芝とでもいえばいいのか、どちらかと言うと雑草がそれっぽく生えている。しかし、それでも背がきっちりと並ぶように刈られていることも、このグランドを整備している者、正確にはその指揮をしている者が几帳面な性格をしていると理解できた。

 

「さあ、ばっちこーい」

 

 そのグランドで今日も少年たちが元気よく掛け声を響かせる。それぞれの守備位置に散らばった少年達は白いユニフォームと黒い帽子をかぶっているが、膝や胸が砂で汚れている。いや、汚れているというよりは努力の後とでも言えばいいのかもしれない。

 

 少年達は試合をしているのではない。バッターボックスに立っているコーチがそのノック用のバットで内野に外野にと打ち分けている。つまり、守備練習をしているのだ。

 

 カーンと快音が響いて、ショートとセカンドの間を絶妙な角度でボールが抜けていく。二遊間の二人の少年は追いつくことができずに、ボールを見送るしかなかった。だが、今の打球は取れないことはない。だからこそ、コーチが声を出した。

 

「セカンドはもう少し初動を早く。今の打球はショートはカバーに回りなさい」

「はいっ」

「はい!」

 

 コーチは的確なアドバイスをしつつ。またバットを構える。現在の守備練習で想定されている状況は走者なしのノーアウトである。だからこそ、どこに打球が飛んでもおかしくはないという「想定」である。

 

 コーチが目の前にボールを軽く放り、バットを鋭く振る。しかし、ボールは前に飛ばずに真上へ上がった。鮮やかと言うほかはない「キャッチャーフライ」である。ノックで最も上げることが難しい打球をこともなげに彼女は行った。

 あわててキャッチャーの少年がマスクを取り、天を見上げる。ボールが日光に隠れて見えない。眼を細めて必死に探す姿はいじらしい。

 

「最後まで探しなさい」

 

 コーチが少しだけ離れて、優しく声をかける。緑色の片方だけ長いおさげが風に揺れている。あれだけ見事なスイングをしていたというのにその黒いアンダーシャツを着て、厚手の野球ズボンを穿いた体は細く、しなやかであった。背は中学生くらいだろう。

 

「はいっ」

 

 コーチの声を聞いたキャッターの子供は見上げた姿勢のまま返事をする。その数秒後、その眼に一点の白球が落ちてくるのが見えた。彼は落ち着いてその落下地点に行き、腕にはめたキャッチャーミットを構える。

 

 パシイ。と小気味よい音が響いて、ミットにボールが収まった。それを見てコーチは薄く笑みを浮かべたが、すぐに仏頂面を作って嬉しそうにしているキャッチャーに言う。

 

「少し、直立気味になっていました。それでは膝がうまくクッションになりません」

 

 顔は無表情だが、声音は優しい。そもそもじっとまっすぐ少年を見る瞳には只々少年を思う気持ちしか感じることができない。少年もそれに答えるかのようにきらきらとした目でと頬の赤くなった顔で彼女を見返す。

 

「そう、あなたはボールを捕るときに腰を高くしている」

 

 それからコーチ兼地獄の閻魔王たる四季映姫は長いアドバイスを始めた。少年達は流石にこれさえなければなと心中に思う。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 四季映姫も現代に突如として放り込まれた。

 

 気が付いた時にはもう遅かった。四季映姫は鉄筋コンクリートで作られたビル街の真っただ中で空を見上げながら、そう感じた。

 なぜ自分が外の世界に来ているのかの理由はわかっている。いや、正確にいえば「来ていない」がそれでもこの状況を打開することはできないと、映姫には理解できた。少なくともここにいる限り幻想郷に入ることはできない。

 端的にいえば油断していたとしか言いようがない。彼女は自らの両の掌を見て、一度握る。そこには力をほとんど感じることができない。それは今現在の自分が人間と同じ程度の力しか持っていないということであると、彼女は冷静に理解した。

 慌てることはない。物事に取り乱すようなことがあれば閻魔王として不見識極まる。もう、この異変に巻き込まれている時点で資格を疑われても仕方ないが、裁判自体は「問題なく行われるだろう」と結論付けた。彼女には何もかもが分かっているが、逆にそれは、

 

 外の世界でしばらく暮さざるを得ない。

 

 と言う見解に帰結してしまう。聡明だからこそ、今は帰る方法がないのだとわかってしまうのだ。

 

 とりあえずは住居・仕事・その他生活用品の確保が最優先である。最短で三日くらいで餓死する可能性のある体になっているのであれば、急ぐ必要性がある。

 まず、映姫は質屋に行って。持っていた「錫」を売り払った。装飾もそれなりにされていたので、中々の値段で売れたが一か月も持たないだろう。ちなみに閻魔としての重要なアイテムを簡単に売り払った彼女には「これが重要ではない」ということもわかっていた。

 

 次には住居である。この「時点」では住民票も何もない彼女は、そこをとある方法で解決した。

 

 不動産屋はそれぞれ一軒二軒の「問題物件」を抱えている。流石の映姫も現状では暴力団絡みの物件は避けたが、霊的な問題物件を比較的すんなり借りることに成功した。幽霊など怖くとも何ともない。横で「恨めしや」などと言われれば、冷たく一瞥するか、説教するだけである。

 

 最後に仕事である。これには流石の映姫も気を抜けなかった。先に書いた通りに住民票などないのである。もっと言えば履歴書に書ける事柄もない。過去の職歴に「地蔵」「閻魔」などと書こうものなら一撃で落ちる。

 

 バイトの面接が心理戦の場になるのは必然と言えよう。映姫には突っ込まれたら困ることは山ほどある。終始しゃべり続けるか、はぐらかし続けるしかない。学歴には何を書けばいいのか全然わからない。小卒ですらもないのだ。

 

 やっとの思いで手に入れたアルバイトはバッティングセンターの従業員であった。しかし、苦難はまだまだ続く。幻想郷から来たものは全員が直面した問題であるが、最初の給料までは本当に金がないのである。あるものは映姫と同じように売れる物は売り払い、スーパーの試食コーナーをうろつくなどと悲惨な日常を過ごすことになる。

 

 映姫はそのような惨めなことはできるだけ避ける策を考え出した。その策は簡単である。もやしを育てるのだ。もやしは優秀である。なんといっても土も水も比較的にしろ少量で育ち、しかも腹にたまる。味付けは最低醤油があればよい。

 

 一か月もやし生活という、どこかのテレビ番組に出れそうなことをして映姫は糊口を凌ぐことができた。毎日毎日しゃりしゃりと食卓に響く悲惨さを彼女は耐えきったのだ。給料が入った日は危うく泣きそうになったのは秘密でもある。

 

 

 

 このあたりから映姫はアルバイトの時間を暇な夜に移した。従業員として雇われたといってもやることと言えば、客が危ないことをやっていないかという見張りと時折にしろ調子の悪くなる機械の整備である。それに夜のほうが時給が高い。

 

「…………」

 

 

 ブックオンで買った本を人もまばらなバッティングセンターの受付で読む、それが映姫の日課になっていた。やるべきことは全てやり終わっているところが、彼女の部下とは違う。 

 あの世に行けば、有名な哲学者などはすでに転生しているか、それとも管轄が違うから会うことも少ない。だからこそ、岩浪文庫はありがたかった。

 彼女は毎日別の本を読んでいる。一日で読み終っているのだ。

 

 ――戦争と平和

 ――君主論

 ――自省録

 ――ツァラトゥストラはこう語った

 ――葉隠

 ――Kill me baby

 ――野球のイロハ!

 ――ホームランの打てるバッティング

 ――バッティング理論について

 

 だんだんと読む書物が野球関連の物に近づいてくことは映姫も自覚していた。毎日のようにバッターボックスで一喜一憂している人間達を見ていると、なんとなくそこに興味が向かってきたとも自己分析できた。

 

 だからこそ、非番の日に彼女はバッターボックスに立ってみた。球速は120キロである。標準的と言っていいだろう。

 理論は完璧である。最初の数球は眼を鳴らすために見送って、バットを短く持って構える。映姫はじいとピッチングマシーンのボールの発射口を見て、タイミングを計る。一瞬白い影が発射口に見えると、映姫は腕に力を入れて、バットを振る。

 

 きれいに空ぶる。

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 映姫は無言で顔をしかめる。予想は完璧にしていた。自分の今の筋力では、理論などなんの役にも立たないということは。だが、それが悔しくないかというと別である。

 

 

 その日から四季映姫の日課に「素振り」が追加された。帰り路にある「デッポ」で金属バットを一本購入すると、彼女は近くの丘の上にあるグランドで納得がいくまで打撃練習を行った。

 毎日グランドに行ってから素振り、バイトの少し前に銭湯に行く。そして労働の後は、今朝仕込んでおいた炊立ての白飯を食べて寝る。健康的としか言いようのない生活を彼女はつづけた。

 

 そのうち、丘の上のグランドを拠点に活動している少年野球チームのメンバーに「素振りねーちゃん」として認識され、なし崩し的にその活動に参加していくことにまでなったが。

 夕日をバックに練習する。少年達とプラス一人。映姫の出自を知っている者にはこれ以上はないほどにおかしな光景に見えるが、姿かたちはまごうことなき少女である、彼女をおかしいと思う者は一人もいなかった。

 それどころか、保護者との交流で信頼され始め。少年たちの監督からも平日の練習を委託されるほどに中枢に入り込んだ。少年野球の監督とは保護者の代表であり、普通に社会人であるために平日は忙しいのだ。反面映姫は平日の昼間から夕方は暇である。

 

 映姫は映姫でその生真面目かつ恐れる物を知らない性格から、元来部外者という立場でも少年達へ的確なアドバイスを行うようになった。このころになると、もはや彼女の読物は野球関連の物ばかりになっている。取るようになった新聞では「阪神」の文字も追うようになった。

 

 当初の目的も忘れてはいなかった。時間の空いた日にはバッティングセンターに行って。ピッチングマシーンに挑戦をし続けたのだ。すでに相当実力をあげていた四季映姫には機械ごときは歯が立たず。140キロ級のマシーンも、カーブを投げてくるマシーンも彼女の軍門に下った。

 映姫は呼んでいないが、少年達もこのバッティングセンターに参加するようになった。そこで華麗なバッティングを披露する少女への尊敬の念を深めていったのだ。少しだけバッティングセンターの売り上げも上がった、

 

 

 しかし、ある日事件が起こる。それはバッティングセンターのオーナーの気まぐれからであった。

 

 ――200キロの剛速球を投げるマシーン。

 

 この小さな町の小さなバッティングセンターには似つかわしくないハイパーマシーンが襲来したのである。最初は面白がって少年達も挑戦したが、目の前を通り過ぎる殺人が可能なレベルの速球にことごとく敗北してしまった。

 

 敗北した少年達はある希望を見出した。その名は四季映姫。

 

「エーキ姉ちゃん! あれやってみてよ」

「……いいでしょう」

 

 少年達の期待のまなざしで詰め寄られてはささしもの映姫も断るわけにはいかなかった。いや、元々挑戦する気だったのだから、その時期が多少早まっただけである。彼女は使い慣れたマイバットを手にして、200キロの為に用意されたヘルメットをかぶった。

 

 その小さな背中を大勢の少年達が見ている。

 

 映姫はバッターボックスに立って、静かに息を吐く。集中する術は、この数か月で理解している。彼女は200円を機械に入れて、スタートボタンを押した。それからバットを構える。

 構えた姿はどこにも力みのない優雅なフォーム。

 心はただ、目の前からくるボールにのみ集中している。その耳には少年達の応援の声すらもきこえはしない。

 

 ――その映姫をあざ笑うかのように、速球が通過する。

 

「っ!?」

 

 映姫は戦慄した。油断などしていない。それどころか最高のコンディションであるはずだった。しかし、そんなことは関係ないとでも言うかのように、一球目に反応できなかった。

 考えてみれば世界最高峰の野球リーグでも200キロ投手など存在しない。人間の限界を何段階も超えた超速球に当てるだけでも至難の業なのである。プロと言われる人種でもクリーンヒットは難しい。

 

 それでも映姫は構える。その顔は窮地に似つかわしくないほど、涼しげである。彼女の目の前には勝負を決めようとしているかのように、二球目を準備するマシーンだけがあった。閻魔王対ピッチングマシーンという前代未聞の勝負には、両者共に全力を尽くしているのだ。

 

 映姫はバットをだんだんと握る力を強くする。

 マシーンは音を出して、投球の準備をする。

 

 勝負は一瞬である。映姫のバットが動いた時と二球目の発射された時は、ほとんど同時であった――。

 

 

 

 快音が、響いて。少年達の歓声が上がる。映姫の口元がほころんだが、振り向くことはないので誰にも分らなかった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そんなこんなで四季映姫は少年野球団と関係を深めていった。はっきりと言えば彼女が意図したわけではなく、全ては運命のいたずらとでもいえばよいことばかりではあった。あれからバイト先に天人と巫女が来たりしたが、できるだけ接触は避けた。

 しかし、少年達が夏休みに入ってからという物、毎日のように映姫はグランドに出かけてはその練習に参加した。冒頭はその様子である。

 子供が夏休みだろうが、大人は平日である。グランドには専業主婦などといった事情で来ている保護者を除いて、映姫くらいしかいない。それでも彼女は一時間に10分の休憩を必ず取らせて、水と塩を絶対に少年達に摂取させていた。そのルールを破ったら30分は説教なので誰も勝手な行動はしなかった。

 

 少年達が休んでいる間、映姫のやることは保護者達との懇談やら、それからの練習のプランたてなどを行っている。最近めきめきと力をつけ始めたこの少年野球団の原動力になるのはそのようなところにあるのだろう。

 

 そして、この夏はもう一つ強化プランがあった。これについては映姫よりも他の保護者の意向が強くなっていた。だから今日の休みの時間に一人の保護者が映姫の下にやってきて、言った。

 

「ですから四季さんに引率してもらったらと皆さん思っているのですよ」

「はあ。強化合宿ですか。場所は海沿いの……2泊3日の。確かに皆さんは忙しいとは思いますが……私だけが引率でよろしいのですか?」

 

 夏の合宿こそが、このチームの強化のための重要な要素である。映姫に自分だけが引率でいいのかと聞かれた保護者は、大きく頷いて「四季さんなら安心よっ」と大げさに言う。そこでちょっと映姫もバイトの兼ね合いなどを考えて、返す。

 

「わかりました。少しの間皆さんのお子様をお預かりします」

 

 映姫の頭の中には遠くの海に行けば、知り合いとは出会わないだろうという打算があった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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