東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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第3話

 

 霊夢は初めて持った野球のバットに握りしめて、いつか見たプロ野球の選手のように構えた。見様見真似の為か、初めての経験だが、負けず嫌いの霊夢は打ってやろうという気持ちが勝っているのか、足を開いて、バットを斜に構える。構えだけならばなかなか様になっているといっていいだろう。彼女の頭をヘルメットが覆い、黒く光る。

 その彼女の前を、空気を裂いてボールが通過した。ボールは後方のネットに取らえられ、シュルルと回転をしてから、力を失った。霊夢はそのすべてが終わってから呆然とする。何が起こったの? とその顔に書いてあるかのようだった。

「霊夢! 駄目じゃない。バットを振らないと!」

 ゲージの外で天子が言う。彼女は頭に黒の中折れ帽、少しオシャレにいうならフェルトハットをかぶっている。その帽子には「桃」のワンポイントがついている。それに天子は赤い伊達メガネを何故か掛け、そしてその腰にはウエストポーチを付けている。

 天子はその場でバッティングのフォームをマネして、霊夢へのアドバイスを行う。だが霊夢は目の前を通ったはずのボールの影すらも捉えられなかったのだから、打つどころではない。天子をじとっとした眼で見た霊夢は、言った。

「バッティングセンターなんて、初めてなんだからしょうがないじゃない!」

 霊夢は初めてでも打つ気満々だったのだが、打てなかった今となっては、そう言うしかなかった。端的に言うならば、負け惜しみである。

 

 

 霊夢と天子は近場のバッティングセンターへやってきた。別段計画があったわけでは全くない。天子がそれを見つけた、その十秒後には彼女達もその中にいたのである。すべては青い髪をした天人の気まぐれである。

 施設内にはあまり客は少ないが霊夢達の他には、ちらほらと子供たちの姿が見える。彼らは肌を小麦色に焼いて、半そでのシャツにバッティンググローブを付けている。彼らは、交代交代にゲージの中に入り、打てば喜び。仲間が打てなかったら笑う。夏休みの一コマを愉しんでいるのが、霊夢にも見えた。

 バッティングセンターはいくつかのゲージがあり、それらはネットで区画されている。その一つ一つにバッターボックスと球速の違うピッチングマシーンが用意されているのは、詳しく説明するまでもないだろう。室内はバットがボールを打つ、金属音と笑い声が響く。

 だが、霊夢の入ったボックスは次元が違った。

「ひい」

 霊夢は小さく悲鳴を上げて、目の前をかすめたボールを数秒遅れてよける。ピッチングマシーンは機械だからとコントロールがいいとは、限らない。それは一日に長い時間稼働したことによる設備の消耗もあるが、霊夢達の場合別の理由があった。

 天子はゲージの外で、霊夢を応援している。彼女の横には「200km/hに挑戦しよう!」などという不穏な看板が立っていた。その看板の端には緑の髪で牙を剥き出しにした「閻魔」と書かれたイラストが描かれている。それは地獄を表しているのだろうが、子供達もこのゲージには「近寄らない」のだから、その恐ろしさが分かるだろう。ちなみにこのゲージを選んだのは天子である。

 シュッ、バシィイ。霊夢の耳にはそんな音しか聞こえない。正確にいえば、霊夢の15m程度前にあるピッチングマシーンにボールが入っていく時には、その白球が見える。それは霊夢の前を通過して、後方のネットに捕まるまでは二度と見ることはできない。たまに見える時があるにはあるのだが、それはつまるところ、コントロールが狂って霊夢の目の前を通過していくときである。ピッチングマシーンの特性として、速いほどコントロールが乱れやすい。

「れいむぅ」

 不満げな天子の顔に霊夢は殺意を覚える。そんなことに頓着しない天子は口をタコのようにして、打つどころかバットを振りもしない彼女への不満を露わにする。だが、霊夢とて好きで見送っているのではない。初野球で大リーガーのトップクラスの選手を1.5倍くらいしたような剛速球を打てと言われて打てるわけがない。

「弾幕のほうが速いじゃない~」

 天子は言うが、幻想郷からこの世界に来てから、霊夢だけでなく大体の妖怪、妖精、天人の力は減退している。要するに弾幕より速かろうが、遅かろうが関係がない。だが霊夢はこのままでは悔しいので、バットを握りこんで次こそはと気合を入れているところに、最後の一球が目の前を通過した。普通に見逃したのだ。

 霊夢は一瞬なにが起こったのかわからない。がっかりした天子の声と、少年達が

「あれ?今日エーキねえちゃんは? カウンターにいないけど」

「なんかあそこの姉ちゃんたち見て、どっかいっちゃったよ……なんか、すごい慌ててたけど、なんだろ?」

 などと言う声が聞こえた。

 

 

「……」

 霊夢は悔しさを感じつつ、ゲージを出る。逆に天子は霊夢へ帽子を預けると代わりにヘルメットを受け取り、中へ入っていく。彼女は機械にお金を投入すると、ゲージの外にいる霊夢を振り返った。

 天子は赤い伊達メガネをくいっと動かして。にやりと笑う。青髪が揺れて、自信に溢れた顔のまま彼女は言う。そんな気取ったようなポーズも、彼女がやれば様になってしまうのだから、不思議ではあるだろう。

「まかせておきなさい!」

「……はいはい」

 霊夢にとっては天子のポーズはうざいアピールでしかないのでてきとうに流して、ぱんぱんと手を叩く。天子はそれで満足したのか、ヘルメットをかぶりバットを上段に構える。まかり間違っても野球の構えではない。

「ふふふ、見切ったわ」

 と言いつつ、天子の横を剛速球が通過する。シュウウウと後ろのネットでボールが回転する。そこで霊夢は気が付いた、天子は一から十までノリでやっていることを。そこで一切の期待を彼女は捨てた。

 それでも天子はギギギと霊夢を振り返ってこういった。その顔には汗が浮かんでおり、何か信じられないものを見たかのようだった。彼女はさっきまで霊夢とは違う視点でボールを見ていたから、実際にバッターボックスに立った時との差異に驚愕しているのだ。

 だが、天子は言う。強がりながら。

「ま、まあまあね」

 霊夢も数十分前に同じようなことを言った記憶があったが、そのようなことはおくびにもださずににやと口元を動かす。天子はそれにムカッとしたらしく、バットを構え直す。今度は霊夢のマネをしてなのか、野球の構えらしくなっていた。ただし、バットを握る両手が「離れて」いる。

 ピッチングマシーンが動く。天子が来ると思う。すでにボールは後ろのネットにある。

 何かを吹っ飛ばしたような、すさまじい剛速球に天子は驚いた。バッターボックスに入ってから、一度たりともバットを振っていない。それでも彼女は一度、バットを素振りした。よろっと腰の引けたそのスイングには、普通に考えるのであれば希望を持ちようがない。

 そんな状況でも天子はバットを片手で持ち、ピッチングマシーンの上を指す。つまりホームラン予告である。彼女はふふと何か秘策のありそうな笑いをしながら、微妙に間違った構えを取る。やはり手は離れているのだ。霊夢はそのポーズ自体の意味が分からないが、たまたま天子を見ていた少年達がおおとざわめく。このバッティングセンターで最速のマシンに挑戦する、女の子達は嫌でも目立つのだろう。

 ピッチングマシーンが動く、ごとごとと音がする。その瞬間であった。

 天子がバットを振る。そう、彼女は見えないボールを眼で追うのではなく、バットで迎えようとしたのだ。つまり、ボールが発射されてから反応しては間に合わないのだから、その前にバットを振り、その軌道上にボールが来れば当たるという寸法である。ボールがどこに来るのかわからないという些細な問題を除けば、完璧な作戦であった。

 ピッチングマシーンからボールが発射される。すでに天子のバットは振られている。一瞬の交錯。天子のバットにカツッという小さな音を残して、ボールがネットに突き刺さった。

 結果から言えば空振りである。よく言えばファールチップだ。だが、天子はぶるぶると肩を震わせて、霊夢を振り返った。その眼はきらきらと輝いている。

「か、かすったあ! かすった! 今! 絶対、かすった!」

 霊夢はうぐとなにか、敗北感のようなものを感じて、一歩下がる。天子はホームラン予告をしていたのだが、そんなことは嬉しさからか天子は忘れ、霊夢はホームラン予告自体を知らず、見ていた少年たちはこの少女が200km/hに当てたことに感嘆の声を上げている。

「ねえねえねえ、霊夢見てた。今の! 当たったでしょ!?」

「そ、そうね」

「霊夢は当たらなかったのに!」

「ぐ、ぐぐ」

「当たった、当たった!」

 無邪気に喜ぶ、天子。飛び上がって、花のような笑顔で知らずに毒を吐く。だが、彼女は気が付いていなかった。あまりにはしゃぎすぎて、わからなかったといっていいだろう。彼女は今「ホームベースを踏んでいる」のだ。その位置で天子は霊夢に向き合っている。つまり向くべき方向の逆を見ているのだ。

 シュッと音がして、ビュっと天子の耳元で音がする。コンマ数センチ、それくらい天子の近くを剛速球が通過した。天子は笑顔のまま、だんだんと青ざめてよろよろとバッターボックスへ戻る。そしてそこでへたり込んで、言った。眼には知らずに涙がたまる。

「し、死ぬかと思った……」

 幻想郷ではまず感じることのない、死への思いをこんな町のバッティングセンターで感じるとは、さすがに天人でも思わなかったようである。霊夢はその姿をあきれ顔で見るしかなかった。

 

 

 天子と霊夢はバッティングセンターを出て、ぶらぶらと歩いていた。彼女達は、やはり計画など持っていないから、その足の向く方向に何があるのかなど、本人達でもわからないのだ。

 天子は霊夢に預けていたフェルトハットをかぶって、両手で位置を調整しながら歩いている。どうすれば似合うかではなく、どうかぶればかぶり心地がいいのかを彼女は重視していた。反面、霊夢は帽子などという日差しを避けるものは一切付けていない。髪も黒髪で熱がこもる。

 その上、天からは燦々と太陽光が照り付け、彼女達の歩くアスファルトは霊夢がサンダルを履いていてもなんとなくわかる程度に、熱されている。外に出る前に、風呂に入って汗を流したが、霊夢はすでに汗だくである。それは天子も変わらないだろうが、天子はそんなそぶりを見せない。

 天子は帽子の位置が気に入ったのか、口元を緩めてぴんと縁を指ではじく。そして、霊夢をくるりと振り返った。それでスカートが揺れて、天子の頬はわずかに熱をもっているのか少し、赤い。

「……お腹減ったわ」

 天子は言う。霊夢は特に空腹を覚えてはいないのだが、それでもどこか屋内に入れるのであればと「そうね」と軽く返事をした。だが、彼女は完全に勘違いしていた、天子は「お腹が減った」とは言ったが、涼みにいくなどとは一言も言ってはいない。気まぐれの彼女の言葉をよく聞かず、注文もしないということはどういうことなのか、霊夢はまだ理解しきれていないのだ。

「じゃあ、ラーメンかたこ焼きか、それともお好み焼きね! イッチらーんが一番だけど」

「……はっ!?」

 霊夢は天子の言うラインナップに一瞬混乱した。この暑い中で、明らかに熱いものばかりをチョイスする天子の言葉は、自由奔放といっていいだろう。しかし今回ばかりは、霊夢も反論した。

「いや、あ、あついでしょ。さすがに今日は」

「そうかしら? でも食べたいものは食べたい時に食べないと美味しくないから……食べたいし」

 わずかな天子の言葉の中に「食」という漢字が何度使われただろうか、霊夢はこのまま天子に任せていると熱中症になってしまうとやっとのことで理解した。そもそも天子はこの炎天下の中、徒歩で移動している。そのあたりにはまるで無頓着なのか、それとも普段運動をしているから彼女だけは耐性があるのか。どちらにしても霊夢は暑い。

「できれば、涼しいところに行きたいんだけど」

 霊夢の言葉が終わって、天子はあっと声を出した。そして、霊夢の手を取って走り出す。いきなりのことで霊夢は驚いたが、さすがに今言ったことくらいは聞き入れてくれるだろうと彼女は思った。

 天子は街路樹の陰になっている場所に来て、ウエストポーチからスマートフォンを取り出す。それを少し操作してから霊夢の肩に手をまわして、引き寄せる。

「な、なに?」

「いや、せっかくだから記念にと思って」

「は、え? 何の話よ」

「まあまあ、はいちーず」

 天子はスマートフォンを掲げる。その画面は「カメラ機能」が起動されており、天子は霊夢を抱き寄せたまま、ウインクをする。霊夢はいきなりのことで仏頂面だ。それでも二人の少女は仲良く一枚の写真に収められた。いや、スマートフォンであるのなら一枚の画像と言ったほうがいいのかもしれない。

 

 

「で、なんだっけ?」

 天子は写真を撮って満足したのか、霊夢にさっき何を言ったのかを聞いた。彼女は霊夢の言葉を聞いてはいたが、右から左だったらしい。霊夢はその様子に、はあとため息をついた。

 


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