春には咲き誇る梅の下で、風に舞う桃色の葉と共に歌う。
夏は涼しい川辺で見上げた遠い入道雲に聞こえるよう歌う。
秋は紅葉の絨毯に座って静かに歌い続ける。
冬は寒くて家の中から白い雪を見ながら歌う。
過ぎていく季節に、繰り返される季節に、また会えると思いながら歌っていたかった。
結局叶いはしなかったけれど。
商店街とは基本的に自己完結することができる。現代では全国のそれは大型チェーンのスーパーなど押されているが、昔ながらの「商店街」には肉屋や魚屋の食料品店から本屋などの趣向品、それに服屋などもあるものである。純粋に「生活」の為の店は揃っている物だ。
問題は品揃えであろう。現代の人々のニーズを満たすには多くの商品を並べておかなければならない。それこそ誰も買わないであろう物も「在庫」としておく程度でなければやっていけないのだ。
ある意味、それが世に言う「シャッター街」の原因にもなっている。
幸いにも幻想郷の少女達が住まざるを得なくなった街の商店街はまだまだ、多くの店が軒を連ねている。少女達という新たな労働者を得ることで活気が出てきたといってもよいだろう。
その商店街の中にポツンと小さな呉服屋があった。
古ぼけた看板とささやかなショーウインドの向こうに掛けられた淡い桃色の着物。入り口を入ると右手には一段高くなった座敷がある。そこには敷布が敷かれていて、上にはくるっと巻かれた色とりどりの反物や綺麗に畳まれた着物が並べてある。それに着物に似合いそうな女性用の下駄が並び、これだけでも花緒が鮮やかに並んでいるように見える。
傍らには紫の着物を着たマネキンが一体だけいた。そう、この店にはこれ以上飾っている物はない。
ここはもうこの商店街でも忘れかけられている店でしかない。申し訳程度の商品を並べ、いつかは終わる時を待っている、そんな店である。淘汰されているのではない。只々静かに終わっていく、そんな場所であった。
だからあまり客はこない。店番をしている少女が一人いるだけで、彼女も最近たまたま雇われた臨時のアルバイトであった。元々この店を経営している老夫婦がいるが、ある日やってきた河童に説得されて短期のアルバイトで雇ったのだ。
その少女は少しくすんだ藤色の髪をしている。背はさほど高くないがやせ形で可愛らしい容姿をしていた。最初は悩んだ老夫婦も数日で彼女をすっかりと気に入ってしまった。なんといっても笑顔が可愛らしかった。
ただ、すこぶる物覚えが悪かった。一度言われたことでもたいてい忘れてしまう。それでもその少女は一生懸命に仕事を覚えた。分からないことはメモをして、何度も何度も繰り返し声にだして記憶する姿は不思議と応援したくなるような、奇妙な魅力を持っている。
どちらにせよ客など殆ど来ないのである。老夫婦は少女の物覚えがどうであろうともどうでもよいことであったかもしれない。ただ、建前上は従業員であるからには店番程度は任せることにした。
その少女は今日も呉服屋の隅っこにパイプ椅子を出して座っている。
手に持っているのは「現代語訳 万葉集」という現代的な本である。ぱらぱらと彼女はそれを大きな瞳で文字を追いながら読んでいる。時折「うん?」と顔を上げて、こんこんと自分の頭を叩く。何かの癖であろう。
少女の肌は白い。上に着ているゆったりとした黒のシャツから伸びる腕も細い、あまり外には出ないのかもしれない。下にはハーフパンツを穿いている。女の子らしく少し内またで座っていた。
静かな時間が過ぎていく。少女はただ黙々とゆっくりとした読書を続けている。たまに「万葉集」の一節を口ずさんでみたりもするが、それを聞いている者はいない。ただ、今日は珍しく先ほど客が来た。とある赤毛のメイドとその妹のような金髪の少女だった。
メイドの方はたまたま少女がお昼ご飯に立ち寄った店で知り合った相手であるから、話はしやすかった。要件としては浴衣をレンタルしたいとのことだった。厳密に言えば買いに来たのだが、あまりにも高いのでレンタルに落ち着いただけである。
少女はくすくすと一人で笑う。赤毛のメイドが金髪の少女の浴衣姿に喜んでいたことを思い出した。もう、少女にはぼんやりした記憶ではあるが楽しそうで覚えているのだ。覚えていたかった。
しかし、今日はまた楽しいことがあるとは少女にはまだ、わからない。
☆☆☆
「きりきりあるけ」
哀れな鴉天狗が一羽、この炎天下の下連行されていた。腰には紐が付いていて、それを後ろで桃色の髪の少女、秦 こころが片手で握っている。彼女は先ほどとある竜宮の使いに逃亡を許してしまった経験から、じっと無表情で鴉天狗を監視している。
この鴉天狗の名は射命丸 文である。友人の働くコンビニエンスストアに出向いたのだが、そこで赤毛の拳法家に拘束されて、現在の醜態をさらしている。文は少々猫背で何もいわない。ただ眼だけは鈍く光っているから逃亡を考えているのだろう。
文の前にはわいわいと話しながら歩く少女が三人。ルーミアとチルノ、それに浴衣姿のフランが居た。それぞれ手にコンビニアイスを持っている。歩きながらルーミアは「月見大福」を小さなほっぺたを膨らませるように頬張る。その甘味からか、無意識に笑顔になっている。
チルノは両手にアイスクリームを持っている。その右手にはチョコ、左手にはバニラ。彼女はそれを交互に食べている。口の中で合成すればチョコバニラになる合理的な考えだろう。
「うめぇ!」
チルノは感動した。うまい。甘い、冷たい。文句のつけようがない。チョコバニラとかどうでもいい。
その横でフランが「スイカ棒」というスイカをモデルにしたアイスを食べている。「これ種まで食べられる」などとフランは言うが、種の形をしたチョコである。彼女はそれを食べながら、こっちこっちとたまに後ろを歩く文とこころを案内する。目的を知っているのは一行で彼女だけだからだ。
アイス自体は結局のところ今ここにいない赤毛の女性がお金を出して買った。文はその件についてはなけなしの資金を出してはいない。
赤毛も赤毛でこれから数日間はお昼ご飯なしではあろうが、フラン達が喜んでくれるのならばとそうしたのだ。そして彼女は自分の買い物をマンションに置いてくるべく、帰宅した。
そこで哀れな鴉天狗の出番である。赤毛の代わりに彼女達の保護者兼財布という重要な任務に連行されることになった。向かうはフランが浴衣をレンタルした呉服屋である。無論アイスなどとは比べようもない出費が待ち構えているだろう。
つまり、赤毛はアイス代を持つ代わりに、レンタル料を文が持つという役割分担がされているのだ。ちなみに赤毛はレンタル料の返済自体の約束はしている。
立て替えてくれという話だが、返済自体は来月という話である。文はその間に干からびてはどうしようもないので、こう思った。
(絶対逃げてやりますよ……)
ちらっとこころを見る文。こころも手に大量のアイスを入れたビニール袋を掛けている。一人分ではなく全員分である。買った物をまとめているのだろう。彼女自身はミルク・アイスキャンディーを無表情で頬張っている。それでも文への警戒を怠らないのは、竜宮の使いが全て悪い。
「えっと、こころさん?」
「なに?」
「私の友人に椛という者が居るんですが……彼女を身代りにたててもいいですか?」
「駄目」
ふるふると首を横に振るこころ。しかし、文も今のは軽いジャブのつもりである。本当に言い分が通るとは思っていない。ただし、文にジャブで売られる「椛」も友人といっていいのかは怪しい。ちなみに文は宗教戦争の関係でこころを取材しているので名前を知っていた。
きらんと文の眼が光る。
「あやや、それは残念。でも実は私……財布を家に忘れてしまっていまして……」
「嘘……なにがあってもにがさない」
「いや、あの、とりあえず話だけを聞いてください……」
今のこころには生半可な嘘は通用しない。文はそれがわかり、ごくりと唾をのむ。しかし、彼女とて長く生きてきた天狗である。交渉の術は「詐術」のみではない。彼女は「買収」へと頭を切り替えた。
こほんと文はわざとらしく咳払いする。それから不敵な笑みを浮かべる。彼女はふっと立ち止まってこころに近づく。文はこころの耳に口を近づけて、こそっと話す。
「もし、私を逃がしてくれればこころさん……とあるアイドルさんのサイン色紙を上げますよ。いや……なんだったらアイドルさんの写真でもいいです」
三分で知り合いの二人目を保身の為に売る。こころはそんな腹黒い天狗をじっと無表情で見つめた。大きくてきらきらした瞳に天狗の顔が映る。
「ふっ……」
鼻で笑うこころ。表情は変わらないが明らかに「そんな手にはのらない」という態度が分かる。彼女はアイスキャンディーを口に咥えて、嘗める。文はちょっと落胆した顔で思う。
「駄目ですか……今をときめく魂魄さんの写真なのですが……」
「こんぱく? もしかして……妖夢……?」
「そう、そうですよ。こころさん。欲しいと思いませんか?」
「別に……」
「そうですか……」
かくっと肩を落とした文。少し離れたところではフランが彼女達を呼んでいる。早く来いということだろう。仕方なく、文は歩き出す。しかし、こころが否定した理由は「魂魄 妖夢」に興味がないからではなかった。
「色紙はいらないけど。妖夢ならコンビニで立ち読みする週刊誌でよくみるわ。水着で写真が載っている……」
こころの言う「週刊誌」というものは漫画のことである。彼女の読んでいるそれには妖精の尻尾の話やらボクシングの話やら学園生活のはなしやら、と多岐に渡るジャンルが連載されている。余談だがコンビニで立ち読みしている他の客も、横にいるのは付喪神だとは思わないだろう。こころは黙っていれば雰囲気の独特な美少女でしかないのだ。
そして週刊誌の漫画にアイドルが出る余地などない。つまり、こころの見ている「魂魄 妖夢」とは巻頭のグラビア写真のことであろう。ある意味では現代のアイドルの宿命と言えるかもしれない。
「へぇ。そうなんですか」
文は今度会ったらからかおうと心に決めてから、こころに言う。少し思いついた。
「じゃあ、こうしませんかこころさん。今度本人に会わせてあげま……あ」
ここまで言って文はこの「買収」の重大な欠点に気が付いた。よくよく考えれば「魂魄 妖夢」は幻想郷になじみの深い人物である。つまり、アイドルという付加価値をこの現代で付けられても、幻想郷から来た少女達にはあまり意味をなさない。そもそも面識がある可能性が高いのだ。知り合いに会わせる、という言葉にはあまり魅力はない。
「ああ、魂魄さんは幻想郷の関係者ですからね……こころさんとしても会うは起こらないかもしれませんね」
「……? ……」
こころはきょとんとした雰囲気で文を見る。歩いているから文からは見えない。この桃色の髪の少女は文が「何を言っているのか」わからない。現代のアイドルが幻想郷に関係あるわけがないではないか、と彼女は思う。
「…………??」
文は勘違いしていた。こころが「妖夢」と口に出しているのは、テレビで「魂魄 妖夢」と紹介されていたのをそのまま言っているだけなのだ。
だからこころは頭に「?」を浮かべて考えた。
同じ場所から来たからと言って、全員が顔見知りというわけではない。それにこころは妖夢とは喋ったことはない。見たことはあるかもしれないが記憶に残っていない。ちなみに滑稽なことに妖夢は「秦 こころ」という能楽師を知っている。神社の興行を見たことがある。
こころはぽんと手を鳴らした。やっと文が何を言っているのか理解できたのだ。
彼女は先を歩く、文の背中を指さして言う。
「こいきなあめりんかんじょーく」
とりあえずそう結論付けた。暇な日は一日中テレビをみているからか、妙な単語をこころは良く知っている。
☆☆☆
その呉服屋で少女が一人、立ち上がって体を伸ばしている。よく柔軟をしないと体が固まってしまうとなんでか思うのだ。事実体は固い、運動もあまり得意ではない。彼女は座っていたパイプ椅子に読んでいた本を置く。
「また、お客さんこないかしら」
ふと言ってみる。暇であることはそう喜ばしいことではない。
「あれ? きょうってお客さんきたっけ」
ふと思う。首を傾げて考えてみるがどうにも記憶があいまいになっている。彼女はポケットに入れておいたメモを取り出して見る。
――お客来た! 二人 赤い人と黄色い子
「そうだ、そうだ」
誰か来たのだった。確かに背の高い赤毛の三つ編みがきたと思う。あとは金髪の可愛らしい少女が来た。それに今朝は屠――
「ここよ!!」
店内に響く声に少女はびくっと体を震わせる。眼を一瞬だけ瞑って、直ぐに振り向いた。
そこにいたのは先頭に浴衣を着たフラン。それに後ろにはルーミアとチルノが居た。暗い店内からいり口に立つ三人を見ると、眩しいくらい可愛らしい。
後ろからは少し背の高い黒髪の女性と桃色の髪の少女がやってきた。何故かはわからないが黒髪の女性はリールのようなものが腰に巻き付いている。
「いらっしゃいませ」
店番の少女はほんのり顔を赤らめて、それでもまたお客がきた喜びからか笑顔で接客する。彼女はとてもゆっくりと笑顔をつくる、眼を細めて口元を緩めることが相手にわかるくらい。
それでも少女は素敵な笑顔をフラン達に向けた。
「あ、さっきの店員」
フランは少女を見てから言う。フランは覚えていたのだろう。
金髪の吸血鬼、その浴衣の裾がちょっとだけ揺れる。彼女は帯に差していたポケモンの団扇をすっと抜くと、軍配のようにそれで店番の少女を指す。
「こいつらの浴衣を借りたいの」
フランの自信に満ちた「どうだ」という表情。知り合いに浴衣を借りる場所を紹介することが得意気であった。フランの頬を汗が伝うのは、外が暑かったからだろう。なんとなく店番の少女はくすくすと笑ってしまう。なんで笑っているのかはわからない。可愛かったからかもしれない。
少女はふと思った。目の前の三人の少女のことは知らないが、これだけ暑い中を歩いてきたのだから、喉が渇いているだろう。だから聞いてみた。
「麦茶飲む?」
「え!?」
急に少女言ったから、フランは素っ頓狂な声を出して驚いた。先に書いたとおり少女としては「暑そうだな」と思ったから反射的に言っただけである。本当の意味で他意はない。麦茶を飲むかどうかを聞いているのだ。しかし、聞かれたフランとルーミアは困惑した。
「飲む!」
だから答えたのはチルノであった。彼女も「飲むか?」と聞かれたから反射的に「飲む」と答えただけである。臨機応変とは案外単純なものなのかもしれない。
外からは蝉の声が聞こえてくる。
☆☆☆
呉服屋の奥には居間がある。畳敷きの部屋で、扇風機が回っている。
角に置かれていたブラウン管のテレビは映っていない。部屋の隅にはそれ以外にくすんだ色の箪笥が置かれている。部屋のまんなかにあるのは小さな円卓。昔ながらのそんな居間。
を、我が物顔でくつろぐ少女達が居た。
まず扇風機の前に陣取っているのは青い髪の少女、チルノである。
「ああぁぁぁああああああああああぁああ」
扇風機は首をゆっくり旋回させながら動いている。涼しい風を送ってくれる羽根、それにチルノは大きく口をあけて声を出している。別に意味はない。なんだか声が震えて帰って来るので面白いだけである。
ごろんと寝転がっているのはフランである。手には4DSを持っている。うつ伏せで立てた肘でゲームを支えている。足がぱたぱたと動いている。携帯ゲームの発達によってどこでもゲームができる「現代病」に見事なまでにフランはかかっている。
そんな中ルーミアはおとなしく座っている。彼女は片手に「ガリガリ様」を持って、がりがり食べている。ソーダ味のアイスである。
ただ、この居間の窓には障子があった。白く薄いそれが、外からの光、それを柔らかく部屋に「通して」来てくれる。そんな日本の伝統的なものだ。
その障子の前でルーミアはなにをうずうずしているのかは分からないが、指を伸ばして障子を触ってみようとして、直ぐに指を引っ込める。何かやりたいらしい。しかし、やってはいけないという自制心はある。
だから円卓の近くでおとなしく座っているのは文とこころだけだった。
こころは手に「ウルトラカップ」という名前のバニラのカップアイスを持ってプラスチックのスプーンで食べている。そろそろ溶け始めるものもあり、彼女はもくもくと処理しているのだ。後々お腹が痛くなってくるが、それは別の話。
一応文もアイスの処理に参加していた。彼女は「ピノォ」というチョコアイスを食べている。それは小さな箱のパッケージの中に摘まめる程度のチョコアイスが入っている。もちろん手で直接触るのではない。プラスチックのピック(爪楊枝) が付いている。
「ほらほら、フランさんアイスですよー」
文はそのピックにアイスを一つ付けて、フランの口元でぶらぶらさせる。
「んあ」
フランもゲームに夢中なのだが、口を開ける。八重歯が愛らしい。ただし眼は画面から動かさない。しかし、器用にピックに食らいついて。もぐもぐとアイスを食べる。
文は思わずふっと笑って、ピックにアイスをもう一つさす。自分で食べる気だった。しかし、いつの間にかルーミアが何かを期待した目で文の前に座っていた。正座である。
後ろには「小さな穴」が開いた障子があった。何があったかはわからない。
「欲しいですか?」
にやっと文は言う。ルーミアはニコッと笑う。くれという合図であろう。文はやれやれという風にアイスの刺さったピックを差し出す。ルーミアはあーと口を開けて、待つふりをする。
「あげませんよ!」
すっと文が自分の口にピックを持っていこうとする、予測していたルーミアが文の片手を「両手」でがしっと押さえる。笑顔は変わらない。文も笑顔になる。アイスを巡って不毛な戦いが始まった。
文はなんとか自分にアイスを引き寄せるがルーミアはさせまいと全力で彼女の手を抑える。ぐぐぐと押しつ引きつの攻防戦。ある意味ルーミアをただの子供と侮った天狗が悪いだろう。
文は片手に持っていた、アイスのパッケージを円卓に置く。中にはまだ入っているが、それよりもピックに刺さった一個を奪われたくない。
「んん」
不意にフランが起き上がって、円卓のパッケージを取り、チョコアイスを指でつまんで食べはじめる。ゲームをしながらもぐもぐと食べる。天狗は気付かない。こころは無表情で全体を見ている。
「あぁあああぁあぁあぁ」
チルノはまだやっている。
そんな中で文はルーミアにアイスを食べられまいと抵抗している。しょうもない戦いだが、意地の張り合いにもなっている。仕方なくルーミアは文の腕に噛みついた。
「あいた!?」
「いただきまーす!」
文がひるんだ一瞬、ルーミアはピックに刺さったアイスに食いついた。それから両手を左右のほっぺたにあてて幸せそうにもごもごアイスを食べる。
「く、食われるかと思いました」
文は微妙に歯型の付いた腕をさすりながらいう。妙な敗北感があるような気もするし、別にどうでもいい気もする。それから彼女はやっとフランにアイスを完全に奪われたことに気が付いたが、ふうとため息一つでゆるした。
「ほら、フランさん。口元にちょっこが付いていますよ」
「んー?」
文はハンカチを出してフランの口元を拭こうとする。この可愛らしい吸血鬼の口元はうっすら解けたチョコが付いている。ただしゲームに集中しているフランにはどうでもいい。
だから急に口元に来たハンカチが邪魔だったので、反射的にフランは噛みついた。文の指ごとである。
「ぎゃあ! 噛まれましたっ!?」
別に痛くないが、文はルーミアに続いて噛まれた。痛みよりも吸血鬼に噛まれたこともほうが驚きだった。文は指を見るとハンカチがカバーになって、フランの牙は届いていないようだった。
「うう。ひどいですね、みなさん……」
指をさすりながらちらっと文はこころを見る。こころは「ブラックモブンラン」という棒アイスを食べている。先ほどと違うアイスをもう食べているといいことだった。
「……どんまい」
こころは無表情で文を励ます。それからアイスをがりがり食べる。溶ける前に食べないともったいない。文は「はは」と乾いた笑いをして、それからとあることに気が付いた。
――からんからん
その音の正体を文はすぐにわかった。あの少女が戻ってきたのだ。
居間と台所を結ぶ、短い廊下を藤色の髪を揺らしながら少女が歩いているのだろう。少女の手にはお盆、お盆の上にはコップが六つ、コップの中には麦茶と氷。
少女が歩くたびにカランカランと氷が音を鳴らしている。それが音の正体。
このお店は同じ商店街にある「永江リサイクルショップ」や妬ましい系の店と同じように住居スペースが一緒になったお店だから、奥には台所がある。
少女は居間の入り口からひょこっと顔を出して、にこっと笑う。それから言った。
「おまたせ」
☆☆☆
「それで、なんできてくれたんだっけ」
麦茶を配り終えた藤色の髪の少女は聞いた。さっきフランが説明したはずだが、すっかり忘れてしまった。だが、居間の少女達は我が家のようにくつろいでいるから、細かいことに言及などしない。
文は手に持った麦茶をちょっと飲む。そしてちらりとフランを見たが、ゲームに夢中である。彼女は麦茶を持っていないが、後ろのチルノは両手に麦茶を持っている。どこから手に入れたのだろう。
しかし、そんなことよりも文は説明する天狗は自分しかないと思い、目の前に座っている少女に話す。
「ええー。そのですね。この三人……」
麦茶を飲んでいるこころ、飲み終わったチルノ、一人でアイスを食べているルーミアを指さした。
「に浴衣を借りたいのですけど……あ」
と文は自分が資金を出すことを思いだした。だが、明らかに期待しているルーミアや期待しているような気がするこころを見れば言い出しにくい。「私も甘いですね」と自嘲しつつ、少女に語る。食料ははたてに借りることになるだろう。
「浴衣のレンタルって可能なんでしょうか? 無理なら大丈夫ですよ。大丈夫ですよ」
「なんで二回言うの?……あれ、あなたは?」
「え?」
「どうせなら、みんなで浴衣を着たら楽しいわ。あなたも着てみない?」
少女は眼をきらっと光らせて、文に近づく。この天狗は眼を少し泳がせて、首を振る。金銭面的なこともある。
「い、いやー私は大丈夫ですよ。お金ないですし……というかいくらなんでしょうか?」
「えっ? うーん、あれ」
少女は頭をこんこんと叩く、それから首を傾げて文に聞く。きょとんとした顔が少し可愛らしい。
「いくらだっけ? わかる?」
少女はチルノに何故か聞く。
「あたいくらい……?」
よくわからないから、適当に答えるチルノ。高いのか安いのか判別がつかない。少女は「そっかー」と何故か納得してしまう。文は謎の会話に疑問符を浮かべつつ、言う。
「まあ、私はいいですよ。お金なんてほとんどな」
「ふっふっふ」
言いかけたところで急に秦 こころが立ち上がった。無表情で口で「ふっふ」と笑っている。
驚いた文は「こころさん?」と問いかけるが、こころは反応しない。そのかわりにスカートのポケットに手を入れて、小さな財布を取り出した。
こころはその財布を両手で持って、他の少女達を見下しながら言う。表情は変わらない。
――ばりばり
どこかの巫女の財布と同じ音を立てながら、こころの財布が開く。彼女はその財布の中から一枚の紙幣を取り出した。
「はっ!? そ、それは」
天狗が真っ先に気が付いた。こころの持っている紙幣は「福沢諭吉」である。
おそらく現代の日本でもっとも有名かつ人気のある歴史的偉人であろう。老若男女とわず、だいたいの日本人が愛してやまない「彼」の描かれた紙幣を、こころは天高くかざした。
「ひれふせ」
金の王にひれ伏せ。自信満々に無表情で言うこころ。
チルノとルーミア、それにフランは意味も分からず「おおー」と感嘆の声を上げる。藤色の髪の少女はぱちぱちと謎の拍手をする。文はきょとんとした顔でこころを見ている。お金を出すのは自分ではなかったではないのか。
こころはそんな文を見る。手を下して、短く伝える。
「しんぱいするな。いける」
何がいけるか分からないが、文には別のことが分かった。こころはわかりにくいがこういっているのだ。
一緒に浴衣を着よう。ということだろう。
「こころ! かっけー」
こころのポーズに感じ入ったチルノがこころに飛びつく。お金のことは眼中にない。それでもこころはまだ無表情で「ふっふっふ」と笑っている。
少し誇らしげである。まさかこの「福沢諭吉」がリサイクルショップの店長から預かった。非常用のお金だとは、おくびにも出さない。出すべき時に出しただけである。
お金には使うべき時がある。つまり秦 こころは今、文の為に使うべきと思ったのだろう。
文の方にぽんと手が置かれる。彼女が振り向くと、藤色の髪の少女がにこっと笑っている。
「たぶん、足りるわ」
「ぜったい、うそですよね。それ」
「さ? ねだん、わすれちゃったから……」
「大丈夫なんですかね。この店」
「ふふっ。どうなんだろ? おじいさん、おばあさんは許してくれるとおもうわ。あ、いやどうなんだろ」
「だから、私にきかれても……ぷ、あはは」
思わず文は笑ってしまった。つられて藤色の髪の少女も笑う。
しばらくしてから少女は立ち上がった。ふーと息をはいて「浴衣、もってくるわ」といいつつ居間から出ていく。ぼそっと「どこにあるっけ」と聞こえてきたのが文には不安で、呼び止めてしまう。
「あ、ちょっと待ってください」
「なにかしら」
「えっ、いや。あなたのお名前を聞いてなかったと思いまして。私は射命丸 文と言います」
「シャメイマルン? 変な名前。スーパーみたい」
「ひ、ひどい! しかもまちがってます!」
「え、あれ。シャメーマルゥ? しょ、しょ、署名丸!」
「あや! あやでいいです! な、なんですか署名丸って!?」
だんだんと間違いがひどくなっていくので、文は仕方なく言った。だが藤色の髪の少女は眼を見開いて「あや……あや」と何度か言う。
「いい名前ね」
「それは、どうも」
少しはにかみながら文は言う。
「それで、あなたのお名前は?」
「私の名前……そうね。じゃあ、あや。みやこ……いや、芳香ってよんで」
「わかりました、いいお名前ですね」
うんうんと頷いた文だが、ふと思う。
すでに芳香はいなくなっている。浴衣を取りに行ったのだろう。
「あれ? なんだか聞いたことがあるような……ん?」
文は思い出せない。