二話更新のはずが家におらず申し訳ない。20話Bは上下にしたので、賢将の活躍を描いていきます。
白い浜辺に少女が一人、青い海原を眺めていた。
大きな麦わら帽子をかぶっている。その帽子には小さなお花の飾りがある。彼女は潮風でゆれるそれを片手で押さえる。腕は細く、肌が白い。小柄な少女である。
白い砂浜に彼女はリボンのついたビーチサンダルで立っている。細い脚とフリルの付いた花柄のアンダー。それに背中の中心で留めている水着の紐。
足元によせては引いていく白い波。それに磨かれた砂がさらさらと海と踊る。少女は足に冷たさを覚えつつ、心地よい潮風を体中で受ける。
彼女はそれでも何も言わずに海を見ている。麦わら帽子が彼女の顔を見せてはくれない。ちょっとだけ見える、風にそよぐ肩まで伸びた黄緑の髪。彼女はふと、後ろを振り返る。誰かが来るのを待っているのだろう。
彼女はさらっと髪を揺らして振り返った。その口元に淡い笑みを湛えて。ただ、深く麦わら帽子が彼女の目元を隠している。だから顔の全体が分からない。それでもそれは彼女からも同じだろう、このままでは前が見えない。
指で帽子の縁を摘まむ少女、そのままつっと上にあげる。グリーンの瞳、その片方だけがきらりと見えた。にやっと白い歯を見せて、不敵に微笑む。
古明地 こいしはここで姉を待っている。彼女は初めてだったか久しぶりだったか分からないが海で遊ぶことができる、そのことにわくわくしている。しかし、彼女の待ち人である姉が遅い。まだ着替えているのであろうか。
「あっ!」
こいしは振り返る。彼女の後ろには澄み切った空。彼女の表情は屈託のない笑顔。胸元の淡い緑色のフリルが揺れる。彼女の水着はとある尼とは違い、見た目相応の可愛らしいものであった。
「おねーちゃーん。こっち!」
両手を挙げて振る。こいしの目線の先にはゆっくりと歩いてくる桃色の髪の少女が一人。
その少女はこいしとそっくりな背格好、で水着も色違い。ピンク色のそれを着ている。ただ、片目をつぶっていて天真爛漫なこいしをやれやれといった表情で見ている。実の妹であるからこそ可愛いこともあるが、心配なこともあるのであろう。
「こいし。そんなに叫ばなくても大丈夫よ」
桃色の髪の少女、さとりは言う。水着を着るなど殆ど経験のない彼女も表情には出さないが剥き出しのおへそを隠すようにお腹をだいている。内心どう思っているのか分からない。
「お姉ちゃん。かわいい!」
「そ、そう」
「小さいほうのまじんぶうみたい!」
「そ、そう……? よくわからないけど、ありがとうこいし」
はにかむさとり。こいしが褒めてくれるだけで嬉しいらしい。「まじんぶう」という者がなんなのか知らないからよかったのだろう。可愛いという基準は人によっても妖怪によっても違う。こいしの場合少し特殊である。
「お姉ちゃん。ほら、ほら。私もー」
こいしはニコッとさとりに微笑んでから、その場でくるくると回る。水着のフリルがゆれて、両手を広げて回る姿にさとりは思わず微笑む。ようするにこいしは水着を「どうだ」といっているのだろう。麦わら帽子の花飾りが揺れている。
「わかったわ。こいし。危ないから止まりなさい」
「あ、ははは」
こいしはそのままくるくる回りながら、海の中へ入っていく。飛沫をあげながら、彼女は海の中で回る。もちろん浅瀬であるのだが、心配性の姉としては「心配」である。
「こいし。止まりなさい!」
「お、およっ」
こいしはさとりの声にびっくりしてぴたりと止まった。しかし、回っていたからだろう体はとまってくれても視界が止まらない。くらくらこいしはして、ふらふらする。足から力がふっと抜ける。倒れそうだ。
がしっと倒れようとしているこいしの手をさとりが掴んだ。間一髪であるが、別に倒れてもけがするような場所ではない。それでもさとりはかわいい妹の手をしっかりとつかむ。
「お、ねえちゃん」
「しっかり立ちなさい。まったく、もう」
苦笑しつつさとりはこいしを引っ張り上げる。こいしはそんな姉にもう一回白い歯を見せて、ニコッと笑みを見せる。それが感謝の表現なのだろう。さとりはくすりとする。笑顔は伝染するのであろう。
ただし、こいしは良い子なだけではなかった。彼女はにやりとすると腰を落とす。両の掌を組んで水を掬う。そのまま笑顔のまま、さとりに水をかけた。
「ちょっ、こいし」
身体をかばいつつ、それでも楽しそうな妹の姿にさとりは嬉しくなってしまう。眼に水が入るまでは。地底にいるときに眼を塩水で洗ったことはあるまい。
☆☆
「なんで、さとりは浜辺で倒れているんだ……?」
砂浜で倒れていたさとりを覗き込む、その女性は言った。さとりは両目とサードアイを手と腕で押さえて、仰向けに倒れている。傍にはその妹がいたが、女性は何があったのかわからない。
「眼に……塩水がはいったのよ」
「ああ、それは痛そうだな」
合点がいったようにうなずく女性は上白沢 慧音である。
慧音はその長い髪を後ろで結んでいる。それに黒のキャップをかぶっている。凛々しい顔立ちの彼女がキャップをかぶると、涼しい目元が強調される。ただ、彼女を知らない者には冷たい印象を受けさせるかもしれない。知ってしまえばなんてことはない。
「しかし……この姿は恥ずかしいよ」
慧音は倒れているさとりの水着姿を見る。それで今の自分の姿を嫌でも認識させられるからだ。恥ずかしいと言ったのはさとりに対してだけではない。自分も含まれている。
つまり、慧音もさとりと同じく「着替えて」いるのである。ちなみにこいしは面白そうなことを見つけてどこかに行っている。
慧音は小さな白のパーカーを着ている。その前のファスナーは締めていない。白い首筋から、赤いトップスを付けた胸元。それに意外に細い腰つき、と上に合わせた赤いパンツ(この場合水着)。ビキニ型の水着であった。
本来であれば彼女にはパレオという腰に付ける布を支給される予定であったが、河童からそれを渡された彼女は、
『なんだマントも付けるのか』
と肩から羽織ってしまったので、没収されている。パレオという物が幻想郷になかったからの悲劇であろう。そのかわりにキャップとパーカーが支給された、それを見てとある尼もパーカーを所望したが、無駄だった。
「ほら、さとり」
「……ありがとう」
慧音が差し伸べた手をさとりが掴んで立ち上がる。白い肌に付いた砂をぱっぱとさとりが手で払う。慧音はそれを見て、ふと思った。
「そういえば霊夢は何をしているんだろうな。帰ってきたら多分また、面倒だと文句を言いそうな気がするが……」
「そうね」
二人は顔を見合わせてくすりとする。頭の中には霊夢の「苦虫を噛み潰したような顔」が浮かぶ。おそらく何を言うのかも大体想像がつく。それは巫女がいない間に決まった「とあること」に起因している。慧音とさとりが働きもせずに水着に着替えている理由もそこにある。
だが、そんなことよりも慧音とさとりにはもっとおかしいことがある。だから笑ってしまうのだ。彼女達は、霊夢がいないのに彼女が何を言うのか、どんな反応をするのか想像ができる。それが出来る関係は、どんなものだろう。
その答えを言葉にせず、慧音はさとりに言う。
「それじゃあ練習しよう。勝たないとね。ビーチバレー」
☆☆☆
慧音とさとりが海に入るときより、少し時間が戻る。とある船長と巫女が海で漂流している間のことであった。
近くにある旅館から河童の集団を先頭にして、ぞろぞろと労働者達がにとりのいる海の家に戻ってきたのだ。にとりはのうのうと戻ってきた彼女達に言い知れぬ怒りを覚えたが、なんとか頭の中できゅうり畑を浮かべて耐え抜いた。むしろ幸せな気分になれた。
海水浴客もちらほらと現れ始めている時間である。無駄なことに時間を割くわけにはいかない。にとりは彼女達を「やあやあ、やっと戻ってきたね」と満面の笑みで迎えつつ、いずれは給料とかから天引きして帳尻を合わせようと考えていた。
河童達も自分たちのボスが何も言ってこないことにアイコンタクトで頷き合う。だいたいにとりの考えていることなどわかる。しかし、河童達もさるもので笑顔で今日の労働も頑張ろうとにとりに言った。冷戦といっていい。今この場では「何も起こっていない」という暗黙の了解がある。
傍から見れば仲の良い河童達である。それを見ていた毘沙門天は「仲の良いことですね」と節穴っぷりを披露しつつ、横のネズミに呆れられたりもしたものである。しかし、ネズミは何も言わなかった。口の中で飴玉をころころさせている。
にとりも気をとりなして河童達に指示をする。とはいっても海の家はここ数日経営してきたから何も言わなくてもいいほど持ち場は決まっている。だから言葉は簡略だった。
「まあ、いいや。それじゃあ、みんな持ち場についてくれ。あ、どれ……河童以外は話があるから集まって」
ぱんぱんと手を叩きながらにとりは言った。毒は飲み込んでいる。
☆☆☆
海の家の座敷にぎゅうぎゅう詰めになりつつ、にとりを中心に円陣を組んだのは、一輪、寅丸、ネズミ、お空、慧音、さとり、こいしそれに天子だった。聖 白蓮はどこに行ったのかまだ顔を見せていない。
にとりは特に聖のことを気にする様子もなく、とある重大なことを口走った。それを黙って聞いていた一同だったが、ぽつりと一輪がこぼす。ちなみにこの時点で彼女は己の不幸には気が付いていない。
「気が、狂ったのか?」
にとりはぎょっとしつつ返す。
「ひ、ひどいなぁ。私は昨日の労働をねぎらう為に、みんなにはお昼まで自由時間をあげようと思ったのに好きに遊んでいいよ」
「熱があるのですか?」と心配する寅丸。
「うん。わかったよ。あんたらが私の事をどう思っているのか」
にとりは腕を組んでうんうんとうなずく。微妙に苦い顔をしている。彼女とて鬼ではないのである。それをここまであからさまに疑われると河童心にも響いてくる。にとりは悲しさを二秒くらいで振り払う。河童心は強い。
「ま、どう思われてもいいよ。あんた等には午後から大切な仕事があるからね。そう昨日から言っている、例の件をやってもらうんだ」
にとりはダンっと床を鳴らして立ち上がる。
「全員水着でビーチバレー大会をねっ!」
きらんと眼を光らせて、ぐっと片手でガッツポーズ。そんなにとりを呆然と見ている、目の前の少女達は苦笑するか黙って赤面するしかない。ただ一人こいしのみがパチパチと小さな手のひらを打ち鳴らしている。意味は分かっていないだろう。
「そうだね。うん。だいたいこんな反応だとは思っていたよ」
拍手してくれるこいしに手を挙げて答えつつ、にとりは普通に座る。えらく熱の差がある。それも仕方がないだろう、他の少女達からすれば利益はないのだ。しかし、そこはにとりも重々承知しているから説明を続ける。
「この数時間の自由時間で好きな相手とペアを作って欲しいんだ。二人一組だね。組み合わせには特に制限は付けないけど、この浜辺からいなくなるのは禁止だよ。隠れるのもダメだ――」
「ねえ、霊夢はどこにいったの?」
にとりの言葉を遮るように喋るのは天子である。にとりはやれやれと首を振る。
「ふぅーまとまりがないなあ。これもだいたいわかってたけどね。今霊夢さんはミツミツと……あれ違ったっけ? あの黒い髪のアレとボールを探すたびに出掛けているよ」
「ドラゴンボールっ!? お姉ちゃんこうしちゃいられないわ!」
「こいしっ。絶対違うわ!」
河童の言葉が琴線に触れらたらしいこいしが立ち上がり、そのまま駆け去ろうとするのをさとりが引き止める。さとりはこいしの腰に組み付く。こいしは頑張ってさとりを引きずったままどこかに行こうとする。さとりも必死である。横の慧音は苦笑するしかない。
にとりはとりあえずその姉妹を無視して続ける。全員に反応していたら終わらない。
「霊夢さんはその内戻ってくるよ。それよりもわたしばっかりやる気があってもダメだからね。この大会には豪華賞品を用意させてもらったよっ」
おおっと声が上がる。しかしまだ声は小さい。それもそうだろう欲があまりないのが集まっているのだ。毘沙門天に尼と教師、それに地底の主であるから多少の商品では揺るぐことはない。そこはにとりとてわかっている。
しかし、にとりには自信があった。彼女はにやりと笑い、指を鳴らす。するとわざとらしく足音を立てて、河童達が数人集まってきた。そもそも下が砂浜であることもあり。河童達の中には海の家の机を蹴って、健気に音を出している子もいる。
その河童達を労働者たる少女達が見る。なんだと怪訝な顔をしているのが殆どであり、こいしに至っては姉の膝を枕に寝そべっている。いつの間にかそうなっていた。その頭をさとりが優しくなでている。
河童達は両手でとあるものを抱えていた。両手で抱えないと落としてしまうくらい重い。それは「生きていく上」で重要な物である。それを見て何かわからない物はいないだろう。だからこそにとりは「それ」を選んだ。
ぱんぱんと手を叩きながらにとりは座敷を降りて、「豪華賞品」を見て呆然としている少女達の前に仁王立ちをする。顔には自信が現れていて、河童の集団を後ろに控えさせている姿は流石にリーダー的ではある。
「優勝したチームにはこれをあげるよ。そう、見てくれればわかる通り――」
河童達が抱えている透明な袋に入ったそれは、
「お米、20kgだよ!」
にとりは胸をはって言う。
労働者の一同は押し黙っている。えらく実用的な「豪華賞品」である。毘沙門天は苦笑し、尼は困惑する。それに教師はどういっていいのかわからない。天人は呆れている。しかし、それもにとりの予想通りではあった。
「まあ、最初はこのくらいの反応だよね」
何故かにとりも彼女達に理解を示す。ただ、彼女は多少の「説得」を込みでこの商品を選んだのだ。高いテレビやらを景品にすれば話題はあっても経費が掛かる。それで「きゅうりセット」を考えたがそれをやるくらいなら自分で食べる結論に達した。
それにもう落ちた者もいる。
お米と聞いても古明地 こいしは全く興味がなかった。彼女は姉の膝の上でごろごろしている、ただいつの間にかさとりの撫でてくれていた手が止まっている。
「おねえちゃん……?」
こいしがそういってさとりを見上げる。
そこには無言で押し黙りつつ、眼をぎらぎらさせているさとりがいた。彼女の聡明な頭脳は「お米」の重要性を強く認識している。あれが手に入れば家計が潤うことは疑いもない。そこはアパートの財布を握る者として、直ぐに直感できた。
「……ショクヒ、ウク」
さとりがなにか呪文のような言葉を口走る。こいしには意味が分からなかったが、どうにも怖い。それでも姉なので膝の上でごろごろすることを止めない。姉の膝の上ほど安心できる場所はないだろう。
しかし、そう。ここからの主役はさとりではない。彼女は確かに「商品」を欲しがっているのかもしれない。だが、欲が深いのではない。情が深いからそうなるのである。だが、勝負ごとに大切なものは、貪欲さであった。
人知れず、がりっと飴玉が割れた。それは小さな少女の口の中のことである。毘沙門天こと寅丸 星の後ろに隠れるように座っている灰色の髪をした少女、ナズーリンが眼を開いている。もちろん誰も気が付いていない。
彼女ががりがりがりと飴玉を砕いてごくんと飲む。そしてペロッと舌で唇を嘗めた。可愛らしい仕草だが、眼は座っている。それはそうだろう、彼女は只の少女ではないしそこらの妖怪でもない。彼の闘神、毘沙門天の使いなのである。
そんな彼女の気持ちの変化などつゆ知らず、にとりは説明を続けようとした。
「まあ、あんたらにこの商品を選んだ理由を説明しようか。まず――」
「君。ちょっといいかな」
ナズーリンが手をあげる。にとりは無視しようとしたが、まあいいかと片手をどうぞと動かす。それでネズミ、いや小さな賢将が立ち上がった。寅丸はきょとんと見ている。
「いくらなんでも、それはどうだろう? 一日動き回って米だけというのは割に合わないと思うのだけど」
にとりはむっとする。
「そういうと思ったよ。だから今から」
「待ってくれ。まだ私の話を聞いてほしい河童君。私は米には不賛成ではないよ。つまり少ないと言っているのさ」
「追加しろってことかい?」
「ああ、そうだよ。でも、なに。難しいことじゃない。君たちは欲に駆られているようだけど、その『欲』を少しだけもらおうってだけさ。誰も損しないよ」
ナズーリンの言動は婉曲的である。なんとなく馬鹿にされているような気がするにとりだが、黙っていた。最後まで聞いてから水着に着替える命令を出そうと思っている。しかし、この賢将は利害が分かる。
「こうしようと言っているんだ。優勝したチームのメンバーの労働は免除、それでどうだい? 君たちには軽いものだろう? しかも私たちには――」
ちらりとナズーリンが雲居 一輪を見る。その青い髪の少女は何故か両手でガッツポーズを作っている。要するにやる気になっているのだろう。
「重いものだよ」
にやりとナズーリンが笑う。労働を免除というのは詰まるところ、水着を着なくてもよいということであろう。この一言で賢将は一輪をやる気にさせた。にとりもナズーリンの意見に「いいね」と言う。
河童の財布は痛まない。労働者は二人しか減らない。残りの労働者を酷使すれば穴埋めはできる。とカシャカシャとにとりの脳が答えを導き出したのだ。それに参加者もやる気をだすだろう。すてに一人の尼が手のひらで踊っている。
「賛成だ! やろう」
一輪がそういうのをナズーリンがちらりと見る。
(よし。あいつはちょろいね。それにあのピンク頭はやる気の様だし、その連れの大きいのも大丈夫だろう。こいしは、まあ。うん。それよりもあの青髪)
賢将の脳も回転する。彼女の視線は既に、天人に移っている。だが、直ぐににとりを見た。ターゲットをロックオンしただけである。
「しかし、河童君。二人一組というのは考えたね。我々は寺から来たから固まっているが、それ以外はバラバラだったからね。数の上では公平性が保たれているよ。単に」
ナズーリンの口がにやりと開く。
「仲のいい二人が居ればいいわけだからね」
天子がぴくりと動く。ただし何も言わない。顎に手を持って行って何かを思案している。
ナズーリンの術中である。天子の言動から、とある人物に彼女が執着していることを見破った賢将は「にとりに言うふり」をして「天人に聞こえる声で」言ったのだ。
ナズーリンはペロリと唇を嘗める。癖だろう。
(あと一息だね)
ナズーリンがそう思う。聖 白蓮は昨日のうちに河童と話を付けていた様子なので、反対はしないだろう。村紗と霊夢は帰ってきて状況の流れを変えられるとは思わない。隅っこの方で体操座りをしているお空とかいう地獄鴉はナズーリンの眼に入らない。
つまり、残りは一人。ご主人様こと寅丸 星だけが賛否のほどがわからない。彼女はさっきから黙って腕を組んでいる。ナズーリンが急にやる気になったことが解せない様子だった。彼女を落とさなければ、ナズーリンの計画は成就しない。
「ということでどうでしょう、ご主人様」
「え? はい」
急にナズーリンが寅丸に話しかける。本当に唐突だったので寅丸の声が少し上ずる。しかし、ナズーリンは構わない。奇襲とは相手を驚かせてから平静になる隙を狙う物だ。今、毘沙門天はなぜ自分が話しかけられたのかわからない。
ナズーリンはさらに追い打ちをかける様に、寅丸の前に膝をついた。従者が主人に恭しく言上するには、こうするのが良い。
「ご主人様。このように河童の企画した遊びとはいえ『戦い』。それに勝てば『兵糧』の手にはいる戦いということです。三十六計逃げるに如かずとは申しますが……ここで『逃げれば』我らの名折れではないでしょうか」
「…………そうですか」
ふっと寅丸は笑う。どう考えても煽っている。そのくらいは分かるのであるが、それを彼女は「ナズーリンがビーチバレーをやりたがっている」と解釈した。人がいいというより、虎がいい。ここまであからさまに賢将が言うということは裏の裏があり、寅丸には読み切れない。
「いいでしょう。闘いと聞けば逃げるわけにはいきません。河童さん」
「ほえ? ああ、私か」
寅丸の話しかけたのは「何を意味の分からないことをやっているんだ」と顔に書かれたにとりである。ナズーリンはにやりと笑っている。気が付かず、寅丸は宣言する。
「そういうことです。皆さんにも異論はないようですので、午後、勝負といきましょう」
反対するものは誰もいない。
☆☆☆
「それにしても意外でした」
全員が水着に着替えに行く間、寅丸とナズーリンが座敷に座っていた。近くの河童からは「はよ脱げ」という視線が毘沙門天にかかっているが、ちょっと顔を紅くした寅丸は気付かないようにする。
「ナズーリンにもこのようなところがあるのですね」
「……」
寅丸は本当なら「子供の様なところ」がナズーリンにもあると言いたいのだろう。それを言えばヘソを曲げるかもしれないから言えないのである。宣言した手前、寅丸はナズーリンに逃げられてはたまらない。部下の責任は上司の責任であるからだ。
「それでは、これからしばらく時間もあるようですし。ナズーリン。ビーチバレーの練習を少し……」
「何を言っているのですか?」
「え? 二人一組と河童さんたちが……」
「ご主人様。何で、私と組もうとしているのですか?」
「え? それはどういうことでしょうか、ナズーリン」
「二人一組と言われたからには、誰と組んでもいいはずです。特にビーチバレーという物はやったことはありませんが、体格が大きいものが有利です。特に身長が重要なのは自明なこと」
ナズーリンの大きな瞳がぎらぎらとひかり、寅丸をとらえる。
「先ほど私がいったことには何一つ偽りはありません。ここで負ければ我らの名折れです。ご主人様」
「……まさか、本気ですか?」
「戦(いくさ) とは常に最善を尽くすものです」
ナズーリンは自分の体を見る。細い。腕も、足も。体つきも。少なくとも運動能力のアドバンテージはないだろう。だから寅丸のように体格に恵まれた者といれば、足を引っ張りかねないのである。しかし、寅丸も言う。
「そうですね……しかし、ナズーリン。戦とは『武』のみではなく『智』も必要です。あなたは後者を……」
「それはチーム外でもできます。『籌を帷幄の中に運らし勝ちを千里の外に決す』とは人間の言葉ですが、言いえて妙です。私は必要な時にそばにいればいいだけです。ご主人様が表で勝ち上がり、私が裏から支える。それが」
ぎらっとナズーリンが寅丸を見る。
「戦の神の名に恥じぬ戦い方ではないですか!」
熱い。珍しくナズーリンが言を重ねている。そこに寅丸の心も熱くなった。答えてやらなければいけないと思う。彼女は静かに目を閉じて、言う。
「確かに……ナズーリン。私が間違っていたようです。遊びとはいえ、勝負とあれば負けるわけにはいきません。誰か別の者と組みましょう、それでいいですね?」
「はい。流石です。ご主人様」
「ふふ。それでは、さっそく着替えてきます」
寅丸は立ち上がる。それからゆっくりとナズーリンの横を通って、海の家から出ていく。ナズーリンはその姿を目で追いつつ、完全に見えなくなってから。座敷の上で胡坐をかいた。
「全く、無駄に体格がいいだけのご主人様と組んで、無駄に勝ち上がったらどうしてくれるっていうんだ。冗談じゃないよ」
けっと賢将は言って、ポケットから飴を取り出して頬張る。ころころ嘗めつつ、寅丸の前とは打って変わった態度で思案する。ちなみに『籌を帷幄の中に運らし勝ちを千里の外に決す』の『『籌(はかりごと)』 とは計略を示す。『帷幄』とは室内とでもいえばいい。
つまり、ナズーリンはこういったのである
『私は前には出ませんけど、安全なところから口は出すので千里の外でもなんでも勝ちを拾ってきてください。水着で』
そもそも、あの河童の会合も最終的には寅丸が締めていた。つまり責任者がアジテーター(扇動者)であるナズーリンからすると毘沙門天という事になっている。それに彼女は一輪、天子を焚き付けるような発言をしたが「本人には何も言っていない」のだ。ナズーリンの言葉を聞いて、勝手にやる気になったという構図が出来上がっている。
それを全て、この小さな少女が行ったのである。計略というより、謀略と言っていい。
しかし、飴玉をころころと口の中で味わうナズーリンには大いなる野望がある。それは「米」などという矮小な物ではない。労働を免除してもらおうとも思わない。サボればいいのだ。
そう、ナズーリンの頭の中に浮かぶのは
――イチゴのショートケーキ。モンブラン。プリン。チョコレートケーキ。シュークリーム。バニラアイス。ダッツアイス。ゼリー。それに大判焼き、紅葉まんじゅうやら大福、ぜんざい。甘い物もろもろである。
お米とは主食である。つまり「食費」の中心にあるといっていい。もしも「お米」が無料で手に入れば、その余った「食費」の一部は「三時のおやつ」に変わるに違いない。お金は使いようである。ナズーリンはそこまで計算して、謀略を練ったのだ。
謀略というには随分と可愛らしい発想だが、彼女はあくまで冷酷である。一輪やら、寅丸が水着で恥ずかしい思いをしようがなんだろうがどうでもいい。自分はさっさとアパート組か天人と組んで足を引っ張って負け、あとは「寺の誰か」を勝たせればいい。自分が勝つ必要性など微塵もないのである。
彼女の御主人はビーチバレーを「ナズーリンがビーチバレーをやりたがっている」と解釈したが、実際は「ナズーリンは誰かにやらせたがっている」というのが正解である。
これが賢将の壮大な計画の一端である。彼女はこの自由時間の間に、チーム編成を操らなければならない。それはとても辛い仕事だが、甘い物を考えれば智謀の捻りがいもある。
「ふ、ふふ。ふふふふ」
妄想の甘味で幸せそうな顔をしている少女。ちょっと鼻につくか、可愛いと思うかは人それぞれであろう。だが、彼女は自分にも危難が迫っていることは忘れていた。
ナズーリンの座敷を取り囲むように河童達が退路を塞いでいく。そのうちの一人は手にワンピース型の水着を握っている、着るのは河童ではない。そしてここにいるのは、河童とネズミだけである。
ナズーリンは次の手を考えている。不幸、5秒前。