東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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第二部
1話


 まだ、午前6時を時計の短針がさす。そんな早朝から、このカフェにはコーヒーの香りが漂っていた。こぽこぽとコーヒーケトルが沸く音がして、その横で一人のメイドがてきぱきと動いている。ちなみにコーヒーケトルとは長いやかんのようなものである。

 そんなカフェのカウンターでレミリア・スカーレットは口に付けたコーヒーカップを、ゆっくりと離して、音を立てないようにカウンターの上に置いた。彼女は今飲んだコーヒーに不快感を覚えながら、カウンターの向こうでカップを拭いている、メイドを見る。

 

「どうなされました? お嬢様」

「……このコーヒー、何を入れたのかしら?」

「甘いのがよいかと思いましたので、蜂蜜を少々」

「………………………斬新ね」

「ありがとうございますわ」

「褒めてはいないわ……」

 

 咲夜は主人の柔らかい抗議にも動じることなく、きゅっきゅと今日一日で使うカップを拭いては、並べていく。天井からつるされた照明からの、柔らかな光がカップを光らせている。傍らに置いたラジオからはクラシックが流れている。

 レミリアはそんなメイドには、一つため息をついただけで、それ以上には追及も叱責もしない。ただ、幻想郷で変なお茶を出されることが多かったことから、こっちに来ても変わらないことに呆れるだけだった。しかし、咲夜がこちらに来てから煎れはじめたコーヒーは「たまにレミリアにも美味しくつくる」ので、朝の時間の小さな楽しみになっていた。

 そんなことを楽しみにでもしなければ、レミリアは退屈だった。幻想郷でもそうではあったが、こちらでは平日は知り合いのほとんどが仕事に行っており、いない。妹もいるのはいるが、このごろは「ポケモン」だか「妖怪ウォッチ」だとかよくわからない単語を言うだけで、たまに外出するときは何故か倉庫に行くといいながら出ていく。どうにも漫画等が置いていると、あとでレミリアは聞いた。

 

「退屈ね……咲夜」

「あら。でしたら、お嬢様。もう一杯いかがですか?」

「もう、今日のコーヒーはいいわ。あとで紅茶をいれて頂戴……。それにしても、あなたはこちらの世界でも変わらないわね」

「お嬢様は変わられましたね」

「……?……」

 

 レミリアははてと首をかしげる。変わっているつもりはないのだが、咲夜は変わっていると言う。強いてあげるとするなら多少コーヒーを飲むようになったことくらいだろうか、それでも甘目のものしか飲み干せないし飲みたくもない。

 レミリアは熱いコーヒーを飲んだからか、ブラウスを指でつまんで引く。少し肩からまわしているサスペンダーが伸びて、下に穿いた黒の半ズボンが上へ引き上げられる。レミリアは椅子の上で腰を少しだけ動かして、ブラウスを引いたことで、ゆがんだ首元のミニネクタイをなおす。動いた時に彼女の履いたブーツがカウンターに当たって音を立てる。

 

「……咲夜、変ったって何がかしら?」

「いえ、お嬢様はお嬢様でしたわ。私の、早とちりでした」

 

 咲夜はふふと小さく笑い、最後のカップを置く。コーヒーケトルからはゆるやかに蒸気が立ち上っている。彼女はそれに満足するようにうなずくと、最初から用意していたコーヒーサーバーとペーパーに引いておいたコーヒー豆を並べていく。この朝早い時間から、準備万端なのは、この十六夜咲夜がいつごろから起きて、それを為したのかを表している。

 

「なにをしているの? 咲夜。まだ、コーヒーをいれても、お客なんていないわよ」

「ひどいですわ、お嬢様。あそこにいらっしゃるではないですか」

 

 そう口を動かしつつも、手はコーヒーを淹れる用意をするメイド。彼女がスプーンに取った豆は深い黒さを持ったもので、それは苦味が強いことを思わせる。メイドはコーヒーサーバーの口にキレイに折り目をつけたペーパーをはめて、そこに豆を入れる。そして彼女は、コーヒーケトルを布巾で熱さから手を守りながら取る。

 だが、レミリアはそんな優雅な咲夜の動作よりも、後ろにいる「お客」に眼がいっていた。少し離れたテーブルに一人の黒いショートボブの女性が座って、かたかたとノートパソコンを死にそうな顔で打っている。ノートパソコンにはUSBがささっていた。

 

「ぁあ。もう6時を過ぎてる……まにあわないぃ」

 

 眼の下にクマを作って、射命丸文は起動したエクセルに何かを打ち込んでいる。彼女は黒のスーツを椅子に掛けて、白いブラウスにパンツルックをしている。傍らには食べかけのサンドイッチが置かれている。

 文はバッグからファイルを取り出して、それを見ながらエクセルに打ち込んでいく。何を書いているのかは、レミリアにわからない。それでもその必死そうな姿に、多少の哀れみを覚えた。

 咲夜はコーヒーケトルを天高く上げて、お湯の弧を描いて、サーバーにそそぐ。それだけ高くからのお湯を入れているというのに、一切こぼれることはない。それはもはや、熟練の技だといっていいだろう。ただし、レミリアは文を見ているし、文はパソコンの画面を見ているので、誰も見てはいない。

 レミリアは咲夜を振り返った。その時にはもう、咲夜もコーヒーケトルを下ろしていた。だから、レミリアは咲夜のやっていたことに全く気が付くことができなかったのだ。だからこそ、それを不満に思うことも、疑問を浮かべることもできない。

 咲夜はサーバーに入った黒い液体を少しだけ、小さなカップにとって飲む。口の中で味わい、頷いてからレミリア用のカップへ、コーヒーを注いでから砂糖を入れ、クリームを入れてからかき混ぜる。

 

「どうぞ、お嬢様」

「……」

 

 レミリアの前に、湯気を立てて一杯のコーヒーが置かれる。クリームが入っているから、色の変わったその液体が入った、カップをレミリアは警戒しながら手に取る。今度は何を入れられているのかと、彼女は思ったのだ。だが、一口含んで、甘さが心地よく口の中に広がっていく。つまり「あたり」らしい。咲夜の場合は、意図的に「はずれ」を作るので、それが嬉しいのかどうかと言われれば微妙ではあるのだが。

 レミリアは音を立てずに飲む。クリームが多少は、温度を下げているのか、ちょうどよい温度になっている。そのあたりも、目の前のメイドは考えて行ったのだろう。

 咲夜はレミリアの「蜂蜜入れコーヒー」を片付けて、また別のカップにコーヒーを淹れる。今度は砂糖もクリームも入れない。もちろんそれはレミリア用の物ではない。彼女は、トレーにそのコーヒーを置いてから、文の元へ行く。

 レミリアは紅い眼を動かして、咲夜の動きを見ている。

 

「……うう、電車の時間が」

 

 泣きそうな声で文は起動させたエクセルにカタカタと打ち込んでいる。咲夜が後ろから覗き込むと、何かの企画提案書らしい。だが、彼女にはそんなことはどうでもいい。

 咲夜はぼそりという。

 

「もう……7時30分ね」

「ぃっ!!??」

 

 文は慌てて後ろを振り返った。壁に掛けられた時計を見て、まだ6時30分にもなっていないことを確認して、ふうと安堵する。その横に、咲夜がコーヒーを置いた。

 

「毎朝大変そうね」

 口調が少し崩れる。レミリアの対する時とは少々違う。

「……まあ、幻想郷でもやっていたことを、こっちでもできるのだから贅沢かもしれないのだけれど」

 

 言いながら咲夜は文にコーヒーカップを渡す。文はなにか言おうとした前に、咲夜に「コーヒーカップを持たされている」ことに気が付いた。今の会話も、そのためのカモフラージュなのだろう。ただ、渡されただけでは彼女の横で冷えていくだけだったカップが、文の手の中で湯気を立てている。

 文は、はあと息を吐いて言う。人間にしてやられた気はするが、不快感はない。あの禿上司に比べれば。

 

「ありがとうございます」

 

 文は、それだけを言ってコーヒーに口を付ける。苦い。肩が少しだけ震える程度に濃い。だが、それで頭が冴えていくのを感じた。口の中の苦味と頭の中の爽快感が、合わさって眼が覚める。

 文は口を離して、ほのかに香るコーヒーの香りに心を落ち着かせる。少し余裕のある笑みを浮かべて、咲夜に言う。

 

「こんど、この店の取材でもしたほうがいいですかね?」

「どうぞ、ご自由に」

 

 咲夜はそれだけを言って、文から離れていく。その白姿は幻想郷と全く変わらないメイド姿で、よく淹れていた紅茶の代わりにコーヒーを淹れることが多くなった。それ以外には変わりのない、彼女。

 文はカップを置いて、食べかけのサンドイッチを口に入れる。それから、パソコンにむきなおって。作業を開始する。指の動きが、少し早くなっている。なぜだが、焦りが消えている。

 

 文は作業を終わらせて、USBにデータの保存をすると、それを抜いてからスーツの内ポケットに突っ込んだ。ノートパソコンは電源を切って、カバンにしまう。彼女が見ると、レミリアはカウンターで新聞を読み、咲夜はテーブルを拭いている。

 

「牛丼屋で働くのも大変なのね……」

 

 レミリアがなにか、世の中の世知辛さに言及しているのを文は聞きながら、咲夜に勘定をお願いして、店を出る。レミリアとは一度も眼を合わせることも、話すこともなかった。だが、それもいつものことである。

 

「今日は、あの無職はくるのかしら?」

 

 文は後ろで吸血鬼の少女がメイドに聞いていることが、耳に残った。

 

 

 

 オシャレな時間を過ごそうとも、これからの一日を頑張るために文は、駅で買ったリポビダンAを腰に手を付けて一気に飲み干す。タウリンなどが大量に入っている、栄養補助食品を飲むと、なんだか一日分の力が湧く気がする。

「やはりこれですね!」

 文は飲み干した瓶を回収箱に入れて、なんだかあのコーヒーを飲んだ時よりも、元気な顔になった。朝の時間だから、カバンを持ったスーツ姿の人々が文の横を通っていく。彼女もそれに合わせるように、動いて改札の前で財布を出す。

 財布から出したのは電子マネーのカード「Meron」。それを改札に通して、文は駅のプラットフォームに降りる、人込みができているので、文はそれに並んでから、スマートフォンを出してRhineを開く。トークアプリである。

 画面に出るのは、とある少女の名前である。それは「姫海棠はたて」だった。文が何かを打つたびにポーンと音がして、やはり相手からの返信の度に音が出る。

 

 →「今日、飲みに行きましょう。明日から休みですし」既読。

 →「おけ」

 →「はたてのおごりで」既読。

 →「い、いやよ! 文こそ、お金だけはあるでしょう」

 →「高い物じゃなくていいですよ。清い香りのする園で焼き肉に行きましょう」既読

 →「高っ!破産するわよっ!? 私が!」

 →「? 別にいいですよ」既読

 →「よくないわよっ!!」

 →「じゃあ。いつものところで11時でいいですよ、しかたありませね。わがままに付き合わされる身にもなってくださいよ、はたて」既読

 →

 

 

「あっ、既読無視してますねー」

 

 取りあえず文は、できる限りおちょくるために、スタンプを送る。クマがうさぎの耳を引っ掴んで、吊り上げているようなスタンプを押して、スマートフォンをなおした。はたては反応がなくなったように見えても、約束は守る女の子なので、文は特に気にしない。

 ポーンと文のスマートフォンが鳴る。だが、文は反応することはなく、「既読しない無視」を行う。文はメモ帳を取り出して、今日の予定を確認する。

 今から出社して、準備を行い、すぐに出発。それから外回りをいくつかして、昼から最近話題の日本刀系アイドルへの取材を行い、デスクへ帰って資料と記事の編集を行う。文は頭の中で予定を組み立てて、スーツの胸ポケットからペンを出して、何かを書き込む。

 そうこうしているうちに、遠くで電車の音がして、プラットフォームに入ってくる。いつも通り、満杯の車内が見える。文はそれを見て、辟易しながらも電車へ乗り込んだ。

 座れないどころか、つり革すらも持てない。それでも体のバランスが崩れないのは、人が人を支え合っているからだ。

 

「なにが、弱冷房車ですか……また、スーツのクリーニングをしないといけなくなりますね……」

 

 文は電車の壁に書かれた「この車両は弱冷房車です」のステッカーに悪態をついて、この夏の日にぎゅうぎゅう詰めの車内で汗をかく。ただ、運のいいことに今日は壁際だったので、ガラスに手をつくことができた。

 

「快速の止まる駅に行きたいです……ね」

 

 烏天狗はそう言いっている間にも、スマートフォンがポーンと鳴る。おそらくはたてだろうから、とりあえず無視する。会社に着いてから、返信してあげようと彼女は思っているのだ。この状況で不用意にスマートフォンなどを出して、落とそうものなら、眼も当てられない結末になることは明らかである。

 

 だが、まだ射命丸文は気が付いていなかった。今日一日の彼女の行動が、これから奇妙な二日間を作り出してしまうことを。そして、その片鱗はすでに今朝からあったのだ。天狗、吸血鬼、メイドも巻き込んだ小さな事件はすでに始まっている。

 


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