東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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29話

 そこにあるのは灰色の太陽。それは薄い雨雲の上に浮かんだシルエット。

 それが霊烏路空が外の世界に来てから目にした初めての物だった。

 

 感じたのは体の重さ。いつも胸の奥でくすぶっていた莫大で強力なエネルギーを感じることはできない。わずかに降り注ぐ雨に身を濡らしながら、強烈な喪失感に襲われたことを今でも常に思い出し続けている。

 

 彼女の力は自力で得たといえるものでもない。とある気まぐれな神様のきまぐれが重なった結果だった。しかし、一度手に入れた「熱」は彼女の自信と地底を燃え上がらせた。

思い出すのは旧地獄の窯。火焔地獄跡。マグマと熱気が渦巻く、地の底。力を得た彼女の炎は灼熱すらも焼くようなもの。心地よい高揚感に満ちた毎日を路空は楽しんでいた。それを外の世界に来て失うまで。

路空は外の世界の道端で呆然としていたことを覚えている。言ってしまえば本来の自分に戻ったともいえるが、一度得た何かを失うことの辛さを彼女は身をもって学んだ。

 

呆然と光の無い目で、

雨に冷えていく体で、

曇天を見上げる虚しさを、

忘れることができなかった。

 

 

 

 

★☆★

 

 

「ひぃ……ひぃ」

 

 汗だくになりつつ霊烏路空ことお空はベースランニングをさせられていた。頭には野球帽がある。

 場所は丘の上の野球場。とある閻魔率いる少年野球団が練習している場所である。

 野球場のベースを線で結べば宝石の形になるので「ダイヤモンド」と称されることがある。そのベースを走り抜ける練習方法がベースランニングである。なぜ地獄鳥がしているのかはわからない。

 

 ホームベースには綺麗に整列した少年たちと一人の麗しい少女が背筋を伸ばしてお空を見ている。上は野球帽とユニフォーム、下はハーフパンツにアップシューズという動きやすい合理的な格好をした虎ファンで元地蔵。

 閻魔兼野球監督である四季映姫である。彼女は道端で地蔵に「強くなりたい」とお願いしていたお空を連れてきて野球の練習に参加させていた。

 

 三塁ベースをお空が蹴る。やり方は二十分位掛けて映姫が教えている。

 少年たちが「がんばれ!」と新たな野球仲間に声を掛けている。この中には少女もいる。少年スポーツに男女の別はない。「少年」という言葉にも本来男女の別などない。

 お空は黒いシャツが汗で張りついてる。下に穿いたジーンズ生地のハーフパンツから覗く太ももを精一杯動かしながら、本塁へ突入していく。だだだと走り込んで白いホームプレートを踏み込む。

 

「ひぃ、……はあ、はあ」

 

 膝に両手をついてお空は汗をぬぐった。

 強くなりたいとは言ったが、野球がうまくなりたいとは言っていない。山の神様は神様らしく「力」を与えてくれたが、閻魔はベースランニングの技術を与えてくれるらしい。

 

 その閻魔、パンと両手を叩く。

 

「それでは走塁練習はここまでです」

 

 少年たちの方を向いて。

 

「今から十分間の休憩後実戦形式でのバッティング練習を行います。空を見ればわかることですが、とても暑いので各自用意しておいた塩を嘗めること、それに水は喉が渇いているかどうかは別として一口飲んでください。そして休み時間中に練習してはいけません」

 

 長い。少年達はそれでも素直にいい返事をして従う。破ればマンツーマンでの説教である。絶対にその愚は犯さないと彼らは学習している。だから元気よく彼らは休み始めた。彼らの見えないところで微笑した閻魔はくるりお空と振り返る。

 

「お疲れ様です。貴女も休んでください」

「はあ、はあ、あ、あの」

「なんでしょうか」

「な、なんで私はこんなことをしているのでしょうか?」

「……………」

 

 お空の質問に映姫は答えず。こちらへと手招きする。当たり前だが野球グランドにはベンチが二つある。今ここには映姫のチームしかいないから、一塁ベース側は少年たちが思い思いに使っている。ただし散らかせばいろいろと説教なので気を付けている。

 ベンチ前にはシート上に並べられたヘルメットやバッドなどがある。

 映姫はお空を連れて三塁ベース側のベンチに入った。そこで二人は並んで腰かける。そのまま数十秒黙ったままの二人。だんだんとお空は焦ってきた。何でかは分からない。無言が続けば話さなければという焦燥がある。

 グランドには陽炎が立っている。ゆらゆらと揺らぐ明るい世界。

 映姫たちのいるベンチにはちゃんと屋根が合る。少し暗く感じるくらいしっかりしたものだった。地方のグランドにしては良い造りであろう。

 

「あなたにはあの子達はどう映りますか?」

 

 何を話そうと考えているお空の横でふと映姫はそう言った。お空は「へ?」と顔に書いたように呆けて、首を傾げる。ちょっと考えてよくわからなかったので素直に聞いた。

 

「ど、どういうこと?」

「……あちらの」

 

 映姫は一塁ベースのベンチを見る。そちらのでは子供達がわいわいと談笑している。それぞれがユニフォームを土色に汚しているが、何を話しているのか分からないがなんとなく楽しそうであった。

 

「楽しそうね……地獄の怨霊とは全然違うわ」

 

 お空は思ったことをそのまま言った。分かりやすい思考回路を持っている。映姫は子供達を怨霊と比べる言葉に苦笑しつつ、流し目でお空を見る。その澄んだ瞳を見てお空はちょっと怖気づく。まるで全てを見通すかのようだった。

 お空は「四季映姫・ヤマザナドゥ」を覚えていない。単なる変な野球監督と思っている。ゆえに彼女は相手の「格」ではなく、純粋に映姫の持つ雰囲気に圧されている。この閻魔は静かに桃色の唇を開く。

 

「そう、あなたは少し過去にとらわれ過ぎている」

「え? へ?」

「物事を全て過去に結び付けて、自分のことを不幸に映している。どんな幸福なことがあっても昔からの何かに縛られて拗ねている。それではすべてが灰色に見えるでしょう。」

「な、なにが、いきなり、なに」

「不意に力を得て、不意にそれを失った事。そこに縛られている今をあなたは変える必要がある」

「…………」

 

 お空は一瞬頭の中に何もなくなった。つまり思考が消えた。

 直ぐにむわっとした怒りが胸の奥から湧き出てくる、それが素直に顔に出る。彼女はベンチを立ち、閻魔を指さす。緑の髪の映姫は涼しげな顔で見返している。一塁ベース側で子供達が騒ぐ。

 

「お、お前なんかに何が分かる!」

「…………」

「あの、あの素晴らしいエネルギーが感じられなくなって……そ、それがわかるもんか!」

 

 語彙が少ない。それでもお空は感情の束をぶつけるように映姫に叫んだ。その激情を閻魔は逃げることなく受け止めている。力を失ったこと、それは彼女とて変わらないが自分のことは言わない。

 映姫はゆっくりと立ち上がり。お空の前に立つ。

 

「わかる、ということはとても難しい。人も妖怪も何かを真に理解することはできない。それは自分のことでも同じ」

「……」

「あの子達が楽しそうだと、いいましたね」

 

 映姫は視線を子供達の方に移す。お空もそれお目で追った。

 少し呆然としながら、心配そうな顔の彼らを見ながら閻魔は言う。

 

「あの子達も隣にいる子のことを理解しているわけではないでしょう。それでも共に居たいと思えるものです。それは人の子でも、あなたのような子でも一緒。……彼らにも悩みはあります。ここ以外では一人のものいる」

「っだ、だからなんだってのよ。そんなのことが私になんの関係があるの?」

「私は気の遠くなるほど昔からいろんなものを見てきました。あの子達に限らず。多くの苦悩も喜びもこの目で見てきた」

 

 ふと、思い出すように眼を閉じる映姫。だが、口には出さない。

 彼女が眼をつぶったまま静かに息を吐く、それだけで絵画の様に美しい。数秒くらいの間。それをお空は数倍に感じた。映姫は眼を開けて、それは「やさしい」としか言えないような、不思議な微笑みをお空に向ける。

 

「あの子達は今となりにいる子達と一緒にいたいからここにいる。あなたにもいるのではないかしら? それは貴女の言う『エネルギー』よりも大切なのですか。周りを全てよりも優先するほど必要な物だったのですか?」

「なに、言っているの……?」

「あなたには此方に来てから、あなたを気遣ってくれたものが居るでしょう。それに応えることができましたか? 不幸だからと全てを拒絶してはいけません」

 

――げーんきだーせ! おくうー

 などという猫の顔。

――修行すればいいわ!

と謎の誘いをしてくる妹様。

 ――美味しいものでも食べましょう

 こちらにきて主婦らしくなったご主人様。

 

 いままで聞き流してきた言葉が何故かお空の頭に浮かんだ気がした。

 しかし、そこに「どうせ自分なんか」と妙な考えが浮かぶ。自身が喪失した状態で聞く励ましは辛いこともある。事実思い出したことは「灰色」の世界を思い浮かべている。

 

「ゆえにあなたは応えなければいけない」

 

 映姫はお空が何を考えているのかなど知らない。能力もなく「理解」などできない。

 彼女はゆっくりとお空の横を通り、ベンチから一歩外に出る。そこは太陽の降り注ぐ明るいグラウンド。お空のいるのはベンチのひさしの下、暗い影の下。

 お空は映姫を見ている。いつの間にか拳を握っている。それを自分で少し驚く。彼女は一歩前に出る。本来、この地獄烏はお調子者で真面目なのだ。それが今までは悪く作用していた、だから今からを彼女は歩かなければいけない。

 悩んでいようが、悩んでいまいが歩くことになる。単に下を向いているか、上を向いているかの違いだけだった。それだけで顔つきも変わる。特に素直な子ならなおさらである。

 

 お空はベンチから出る。

 急に明るい場所に出たからか、眩しい。彼女は手を彼の前にかざして空を見る。

 そこにあるのは焼けるような太陽。それは青い空に浮かび、世界を照らしている。

 雨雲の上だろうと太陽はそこにある。それを見る者の心が違うだけなのだ。

 

 お空は野球帽のツバを持って深くかぶる。背は高いが腕はしなやか。黒い髪が太陽に光り、風に揺れる。ただポニーテールをしているので大丈夫。

 黒いシャツはちょっと丈が短い。半そでだが、色が悪く熱い。下に穿いたハーフパンツはカーキ色でポケットが付いている。そして胸の谷間には赤い水晶の様なペンダント。それは幻想郷で胸元に有ったものと同じような物をご主人様が用意してくれたのだ。

 光の元に来た霊烏路空はまるで舞台に上がった役者の様。口元はにやつき、本来の素直な彼女がやってきたかの様。

 

「ふ、ふふ」

「……」

 

 目の前の映姫はふうと息を吐く。説教を行ったことが実ったことは実は少ない。そもそも死神の部下すらも結構てきとうしている。一時あまりに部下が仕事をしないせいで一人可愛く花占いに興じたことのある閻魔など彼女くらいだろう。

 

 そして今回も別にうまくいったわけではない。お空はくっくと笑いそれから大声で笑い始めた。

 

「ふっふ。あ、あはは。あーはっはは! そうですね。悩むなんて面白くないです!」

「そんな風には言ってはいませんが」

「ありがとう野球監督さん!」

「本職ではありませんが」

「よーし!! 午後のビーチバレー、勝つぞ~! あなたと組んであげるわ」

「頼んでいませんが」

「私が全員けちょんけちょんにしてあげます! お米を持っていけばさとり様喜ぶなぁ」

 

 きらきらと踊るようにお空はしゃべりだす。映姫はそれを見ながら思う。

 お空は素直である。そもそも謎の神様から力を貰ってから調子に乗ってたこともある。つまり今は映姫の言葉を聞いて一時的に精神が高揚しているに過ぎない。仮にビーチバレーで成果なく負ければ、元に戻る。

 危うい橋の上にお空はいる。

 やれやれと首を振る映姫。気は全く進まない。それにコンビニなどに貼られた破廉恥な尼さんのポスターを見ればわかる通り、妙な思惑がからんでいるのは明白である。しかし、乗りかかった船でもある。

 

「仕方ありません。どうせ午後は熱すぎで野球の練習には向きませんから。海にいきましょう」

「うんうん。私ならやれるでしょう!」

「そう……」

 

 話聞いていないなと映姫はため息を一つ。それはともかく休み時間は終わっている。この後はバッティングを行う。何故かお空も参加して、元気よく三振した。

 最初の話。何故ベースランニングをお空にさせたのか、単純である。身体を動かせば心も動くからだった。その証拠にお空はヘルメットをかぶったまましりもちをついて大声で笑った。

 

★☆★

 

 映姫が海に行くということを告げると子供達のはしゃぎようと言ったらない。全員が口々に歓声をだし、それをお空が両手を組んでコーチで頷いている。彼女は今何しているのかよくわからないが楽しそうなのでよかった。

 海に行くという事は、と何人かは映姫のことをちらりと見て、顔を赤らめたりしている。少年は初心でもあろう。たまにお空を見る者もいる。

 

「それではダウンを行ってからグランド整備を行いましょう。道具類の砂はしっかりと落とすこと。そしてちゃんと来た時よりもごみを拾っていきましょう。一度旅館に戻ってから荷物は部屋に戻して、貴重品は管理して……」

 

 云々。映姫の話をみんなが真面目に聞いているのだが、お空には何がおかしいのかニコニコしている。彼女はたまらなくなったのか。

 

「よーし、海に行くぞー!!」

 

 映姫の話をまるきり無視しつつ、両手を天に突きだす。それに応えて子供達もまた「おー!」と言い出す。閻魔はお空には説教が必要だと思った。

 

 とにもかくにもグラウンド整備を全員で行った。

お空はホースの水を何故か全身に被り。映姫にも飛散させている。それはそれで朗らかな笑いがグランドを包むことにもなった。最後に全員で「グランドへ」挨拶して、旅館に戻っていった。この時映姫は一人一人の顔を見ている。

 脱水症状起こしている子はいないか、怪我している子はいないか等。お地蔵さまよろしく見えない優しさを出す。

 旅館に戻った一行はそれぞれの部屋で着替えるようにした。海の近くに来るのである。水着を用意していない子などいない。大体がスクール水着と言われるものである。余談だが殆ど男の子である。

 映姫も部屋に戻る。エントランスにはお空を置いてきた、おそらく今頃はドラゴンなボールを読んでいるだろう。後々とある妹と意気投合することになる。

 

「まったく……」

 

 映姫の部屋の隅にあるスポーツバック。彼女はそのファスナーを開けて中からビニール袋を出す。そこに入っているのは上下別れたスポーティな水着。黒生地にラインの入っただけのシンプルな物。

 備えというものである。海の近くだから泳ぐこともあるかもしれないと期待、いや映姫に言わせればそういった事態に対応するために用意しておいた。別に楽しみにしてなどいなかった。

 楽しみにしてなどいなかった。

 彼女はそれを手に部屋に備え付けられたお風呂場へ向かう。少し砂を被った野球帽を丁寧に壁に掛け、ユニフォームのボタンを開ける。それをはらりと脱いだ。

 

 ★★★

 

 海の家で他の幻想少女のいないときを狙ってエントリーした時、流石に河童は驚いた。

 まさかここまで大物がやって来るとは思わなかったのだ。一応パートナ―は浜辺で探すように言っておいたが、にとりは

 

「別にいいよ」

 

 とおおらかさを見せた。歴史上「商人」ほど差別しない階級はない。そこに利はあればだいたいのことは許す。逆にそれが問題になることもあるが、この青い髪の河童はけらけらと笑いつつ邪気に微笑む。

 まさかこの河童が一回戦の相手になるとはお空も映姫も、河童本人もわかってはいなかった。

 そういうわけでアイドルが刀をふりまわそうとしているところに映姫はやってきたのだった。

 

 


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