空っぽ転生ウマ娘は無敵のテイオー様をわからせたい。   作:テイオーのリボンの結び目

4 / 5
星へと

——意味ぐらいさ、あった方がいいと思わない?

 

虚ろなものとはずっと遠いところ。

目を背けたくなるぐらい眩しかった光。

それを湛えた瞳を前に、そう問われたことがあった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「——よーい」

 

どこか間伸びした声で観衆の一人が合図を出す。

あくまでも、練習用のコース。その上、模擬戦に過ぎないというのに集まったトレーナーや先輩、同級生で周囲は随分と喧騒に包まれていた。

とはいえ、それも当然と言えば当然だった。

かなり余裕があるのだろうか。若干力の抜けたようなフォームで隣に立つウマ娘——トウカイテイオー。

彼女へ向いている注目度の高さは、ここに入学してからの数週間で十分に理解していた——というよりも、そうあって然るべきなのだ。

彼女はそういう運命と共に、名を貰い受けたのだから。

 

その点、私はどうだろう?

肩に入った力は抜けない。

ストレッチをしても、足は強張ったまま。震えた足先が芝と擦れる度に立つ不快な音は、耳を突く。

私も、ウマ娘として生を受けた。

彼女と同じところ——“競走馬”がいた世界から流れ着いてきたことも変わりない。

 

けれど、決定的に違う。

 

彼女らが、皆が持っている名も、運命も。全てを伴わずに、私は今、ここに立っている。

これはきっと、武者震いなんて大層なものじゃない。

もっと情けのないもの——恐らくは、怯えを孕んだだけの震えだ。

 

「えーっと、アケノさん……だっけ? 大丈夫……?」

「……ん、一応は」

 

こちらを気遣ったらしい声にできた返答は、それぐらいだった。

そして、トウカイテイオーはスタートラインに立つ際にこちらを一瞥して以来、あとはずっと前しか見つめていない。

会話の一つすら、彼女との間に起こることはなかった。

 

「それじゃ、仕切り直してもう一度——」

 

そんな合図に釣られるようにして再び、視線を前に向ける。

 

「よーい、ドンっ!」

 

芝が舞った。

視界を掠めた、わずか一瞬。

合図すらも置き去りにして、靡いた鹿毛。

 

何が起きたのか理解するまでに、少々の時間を要して——私も地を蹴り駆け出した頃には、僅かなものでも、既に差ができていた。

トウカイテイオーは、基本的に差しか先行。

それぐらいの情報は脳に叩き込まれている。

実際、ペース的にはまだ彼女もさほど飛ばしている方ではない。テンポ正しく、僅かな差は保ったまま私の前を行くだけだ。この差を縮めて、今彼女を追い抜くこと——それぐらいであれば、まだ可能だろう。

 

けれど、そうしたところで彼女の瞬発力の前では、最後にまた抜かされる。

持っている情報の差程度で勝てる相手じゃない。

今まで、彼女の背中を見て走ってきたから。そして、つい近頃も一緒に走ることになってしまったから。それは熟知していた。

であれば、まだ差を縮めず広げず、このテンポを維持したまま彼女に張り付いていること。

一番無難な立ち回りはそんなところだろう。

 

ただ彼女について行くように、脚を動かし続ける。

そんな中でペースを乱したのは——未だ、強張ったままの脚だった。

 

一歩、一歩、踏み締めるごとに、僅かに身体が振れる。

 

——違う。

 

まだ、体力を温存しているはずなのに。

背中は、決してまだ遠くない。

跳ぶように走っているせいか、彼女の体だって振れている。

それでも——私のものとは、明らかに違う。

 

近いが故に、些細な違いですら目についた。

振れているとて危うさのない、小慣れたような走り。

 

それに対して、私はどうだろう?

 

視界の端で忙しなく動く腕、左右に振れる体——差し迫ったコーナー。

 

「——ッ」

 

半ば投げ出されるようにして、柵から引き剥がされて——大回りに取ってしまった進路。

先ほどまで張り付いていた背中が、遠ざかった瞬間だった。

 

 

——ザッ

 

 

地を蹴る音が、鼓膜を突いた。

 

頬を芝が掠めた、僅か一瞬の間。一度の瞬きですら致命的だった。

 

歓声は最早、耳鳴りにしかならない。

 

ずっと——ずっと、彼女は先を行く。

 

僅か1000m。差し掛かった最終直線。

短いはずなのに、捉えられないぐらい遠くへ。

 

——なんで、走ったんだろう?

 

不意に、そんな疑問が胸中で燻った。

 

意味なんか、持っていない。

さればこそ、このレースにも意味なんかない。

 

彼女に箔が付くだけ。ここまでの実力差を見せられてしまったら、学べることなんてないって——そうとまで、思えてしまう。

 

大口を、叩いてしまった。

自ら、恥の上塗りをする結果になってしまった。

 

入学した時にはもう認識していたはずなのに。私はそれよりもずっと——弱くて。

 

息は既に上がりかけている。

釣られるようにしてかけたスパートじゃ、たかが知れていた。

 

何が、トウカイテイオーに勝ってその表情を歪ませてやる、だ。

今歪んでいるのは、私の表情じゃないのか。

彼女を捉えている瞳は、虚ろじゃないのか。

 

トウカイテイオー——名実ともに定められた運命に沿えば歴史に名を刻むウマ娘。

それでも、空っぽな私でも、彼女に勝てばこの世界では歴史に名を刻めるって。

 

ここにいる意味は、あったんだって。

 

きっと、それを証明したかった。

だからこそ、満たされたような感覚に陥っていたのだろう。

 

 

——今、気付きたくなかったなあ。

 

 

何年もかけて辿り着けなかった答えを、今になって導き出してしまうだなんて。

 

瞬く視界、さらに遠ざかるトウカイテイオー。

揺れない背姿、広がっていく距離。

果てしなく遠いものを前にして。

 

けれど、それよりもずっと鮮烈に映ったのは——そんな眩しい姿ではなかった。

 

「──え」

 

そこに、彼がいた。

コースの外でこちらを見つめる、河瀬の虚ろな瞳がはっきりと瞬いた視界に焼き付いた。

 

何故こんなところにいるのか、と。脳裏を掠める疑問。

だけれど、そんなものを反芻している暇はなかった。

 

そうだ。私はあの虚ろさが——堪らなく嫌いだった。

 

空虚に日々を食い潰すのも、空っぽなまま、走り続けるのも。全部、全部嫌いだ。

だったら、せめて——せめて。

 

振り切らなきゃ。

 

たった一瞬。

残された猶予はそれだけ。

無駄にできるものは、何一つない。

 

——身体を。

 

普段よりも、斜めに。

できるだけ伸ばした脚。

 

「——ッはあ」

 

一息に取り込んだ空気は熱い。

肺を焼くように、私から気力を削ぐように。

 

息苦しさに、思わず足が止まりかける。

 

それでも……止まるなら——落ちるなら。

 

こんなに、虚ろで、真っ暗で——空っぽな場所じゃなくって。

 

もっと、近くがいい。

 

 

今はまだ、眩しすぎても、遠くても——一等星のすぐ側がいいっ!

 

 

「──ああッ!」

 

 

自身を鼓舞させるため、目一杯に顔を歪めてでも発した声。

芝の感触が、足先を包み——次の瞬間だった。

 

跳ぶように。

普段よりも伸ばした足は、無理矢理にでも私を進ませた。

 

その僅か一瞬、近づく彼女の背。靡く鹿毛、揺れるポニーテール。

振り向き様に、普段よりも少し見開かれた青い瞳は私を捉えた。

 

いつもみたいに、光を湛えたまま。

 

トン、トン、トン、と。三歩。乱れた歩調と共に、速度が落ちていくのを感じる。

彼女が振り向いたのもまた、たった一瞬の出来事だった。

何事もなかったかのように前を向くと、彼女はまっすぐにゴールを見据えて。

 

もう距離もそう遠くない。

あと一度瞬きをしたら、次の瞬間には彼女はゴールにいるだろう。

 

だから——だから。

 

最後に、もういっぺんだけでいい。

 

彼女の背を。

()()、埋められない距離を。

 

一等星を、瞳に焼き付けた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

 

「——お疲れ様、アケノちゃん。はい、スポーツドリンク」

 

ベラトリクスから差し出されたスポーツドリンクを受け取り、一気に飲み下す。

焼けそうなぐらい熱い喉には十分それは染み渡る。

 

「……おいしい」

 

率直な感想を口にした瞬間だった。

 

「ほんとっ!? これね、あたしがいっつも混ぜてるやつなの。そっか——嬉しいっ!」

 

多少オーバーに見えるリアクションと共に、彼女は満面の笑みを浮かべる。

突っ込むのは——流石に無粋だろう。

それに今は、そんな気力も……。

 

「アケノちゃんっ!?」

「……疲れただけ。気にしないで」

 

安心感ゆえか、強張った足から力が抜け、思わずぺたんと尻餅をついてしまう。

すぐさま目の前に手が差し伸べられて——反射的に掴み、顔を上げた時だった。

 

「——食いついたじゃねぇか」

 

そこにあったのは、無精髭と、相変わらず顰められた顔。その反面、いくらか満更でもないような口調だった。

 

「——大口を叩いたからには、ね」

 

河瀬に対して、軽口で返す。

それが、どうやら彼の琴線には触れたらしかった。

 

「……ま、相応だ。存外、悪い名前でもなかったろ?」

 

軽く口元を緩めたまま、そんなことを口にしたりして。

ほんの少しだけ軽口を叩きあったのも束の間。

彼は、私が立ったのを確認すると、踵を返して去っていこうとする。

 

そして、特にそれ以上追う気はなかった。

 

芝に足跡を残しながらも、遠ざかっていく背中。

それをぼぅっと見つめていた時だった。

 

「——あたし、知ってるよ? アケノちゃん。振り向かせたいトレーナーがいるならね、模擬レースで勝てばいいの」

 

不意に、耳に入ったそんな声。

半ば受け売りではあったけれど。次の瞬間、私は叫んでいた。

 

「——河瀬さんっ! 模擬レース、来週あるから——っ」

 

けれど、それ以上声は続かなかった。

走ったすぐ後だ。絡みついた痰のせいで、思わず咽せてしまう。

 

「……走るんだろ?」

 

そんな声を拾った。

私が頷いていたのを、振り向くことすらしなかった彼が捉えられていたとは思えない。

それでも、振り向かないまま、ただ一度だけ頷いて。それ以上は声を発することすらせず、彼は去っていった。

 

 

「——アケノっ、いいレースだったよっ! でも、今日はボクの勝ちだ」

 

 

彼が去ったすぐ後、観衆の視線をまとわりつかせたまま、トウカイテイオーは近づいてきた。

出された手は、小学校の頃には一度もした覚えのない握手のため——だろうか。

 

『だから、テイオーさんが強いだけって。何度も言ってるでしょ?』

 

レース後、毎度のようにしていた会話が脳裏をよぎる。

……それでも、これは今口にするべき言葉じゃない。

 

「——選抜レース、負けない。テイオーさんの記録、超えてみせるから」

 

()()()が訪れたのなら——私はそれに応えなければ。

 

差し出された手を握る。

仕掛けるタイミングが定まったこと。ターフにこだまする宣言。

 

目を背けたくなるぐらいに眩しかった光を、初めて真っ直ぐ、私は捉えた。

 

それが少し意外だったのかもしれない。彼女は僅かに目を見開いて。

 

それでも、すぐにいつも通りの笑みを取り戻すと——私の手を、強く握り返した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。