空っぽ転生ウマ娘は無敵のテイオー様をわからせたい。 作:テイオーのリボンの結び目
意外、だなんてことはなかった。
知っていた。
……いや。知っていた、
『——今、一着でゴールインッ!』
甲高い実況の声は、やたらと耳についた。
それは、別に自身の担当の名前を呼んでいるわけではなかったのに。
「それでは、トレーナーさん。三年間、ありがとうございました」
周りが皆、小さなバッグを肩にかけている中で、大きなスーツケースは目立った。
制服はどこへやら、少し薄手のワンピースは春が訪れたからだったのだろう。
あたしがトレーナーさんの評判にキズをつけてなければよかったんですけど、と。
小さくお辞儀をしながらも
——違う。
それを口にするべきだったのは、絶対に——。
ピ、と。小さく音を立てて改札が開く。
その背中を、ゲートの向こう側へ送り出す。
それは、この三年間で何度も見てきた光景と似ていて。
それでも、普段と違って——俺は、何一つとして声をかけられなかった。
◆ ◆ ◆
「どうかな? 走りやすい?」
「……確かに。いい感じの舗装だ」
コツコツ、と。
靴先で二度打ったアスファルトは真っ平、伝わってきたのは確かな感触。実際、ここ——河川敷に着くまでの数十分ほどでも十分に走りやすさは実感できた。
「そうそうっ、学園が開く前から走っていたい時には持ってこいなのっ!」
ベラトリクスがそう目を輝かせながら口にする。
学園が開く前——まだ、朝焼けがくっきりと映る時間帯だ。
たまたま普段よりも三十分ぐらい早く目が覚めたところで、ちょうど出かけようとしていたベラトリクスと目があって。
オススメのトレーニングコースがあるから、とそそのかされて、結局は一緒に外に出てきてしまった。
普段よりもさらに朝早いだけあって、春先とはいえ何度か身震いしたものだけれど、走っているうちに自然と体は温まった。むしろ、久々にここまでしっかりとランニングをしたものだから、暑すぎるぐらいだ。
「アケノちゃん、スポーツドリンク飲む?」
「持ってるの?」
「もちろんっ、バッチリだよっ!」
むふーと胸を張りながらもベラトリクスは、私に一本のボトルを差し出してくれる。
準備の良さに感心しつつも、軽い会釈とともにそれを受け取り、栓を開け一息に喉奥へと流し込む。
少々濃いめ——市販のものに比べればしょっぱめには感じるものの、疲労からか鈍くなった味覚にはこれぐらいが丁度いい。
「——ご馳走様でした。ありがとう、ベラトリクス」
「ん、お粗末さまでした——って、アケノちゃんっ!?」
あっという間に空になったボトルを、お礼を口にしつつ返した時だった。
何に驚いたのか、少々大袈裟にも見える反応と共に彼女は目を見開いた。
「……どう、したの?」
「ううんっ、アケノちゃん——今、あたしのこと、名前で呼んだっ!?」
「そう……だね」
言われてもみれば、彼女の名前をはっきりと口にしたのはこれが初めてだったかもしれない。
それもただタイミングを逃していただけ、ではあったけれど。
「ううんっ、アケノちゃん、全然あたしのこと名前で呼んでくれなかったから、びっくりしちゃって。……なんだか、嬉しいなって」
そう口にすると、彼女は多少はにかんで見せる。
その笑顔を真正面から受け止めたのは、考えてもみれば初めてだ。
朝も夜も寮にいる時間帯だって大体ズレていたものだったし、以前にその表情を前にした時は妙に胸が騒めいて、結局は目を逸らしてしまったから。
その点、今日は特に距離を感じない。
……というよりも、きっと。
「……テイオーに勝つ、かあ」
ぽつりと口にした言葉はどこか遠いものに思えて。それでも、確かに昨日模擬レースの後で宣言したものだった。
大口を叩いてしまった、という後悔の念は多少ある。あそこまでの差をまざまざと見せつけられてしまったのだ。実際に体験した分、その重さはわかる。
だけれど——きっと今は、胸を満たしてくれるものの方がずっと大切だった。
「そっか、アケノちゃんもだ。お互い頑張らなくちゃ、だよね」
私の独り言に、ベラトリクスもまたそう溢す。
——お互い頑張らなくちゃ。
三冠ウマ娘と、選抜レースでテイオーに勝つ——スケールも違うし、見据えている時期も違う。
彼女にとってはずっとずっと先で、私にとってはもう数えられるほどの日数しか残っていないものだ。
それでも、昨日そう決めたから。私は今こうしてベラトリクスに向き合えているのだろう。
「……本当に、ね」
フォームの改善に、スパートをかける場所、未だ足りない相手の分析——弱点は数え切れないぐらいある。
頑張らなきゃいけないことはまだまだ多い。
それでも、今それをはっきりと思い起こせるのなら、一つ一つしっかりとこなしていかなければ。
少なくとも、何一つとしてなかった昨日までよりは、そちらの方がずっと良いに決まっているから。
「それじゃあ、続き、走る?」
「……ん、あ、うん」
物思いに耽るのも、また今度でいい。
もう先を見据えてしまったのなら、今は走るべきだ。
先を行くベラトリクスを追うように、脚に力を込めて——ふと、僅かに靴が軋む感触がしたのを覚えた。
ここに来るまでの間か、昨日のレースの最中か。真っ白だった靴はほんの少し汚れていた。
「アケノちゃん、行くよーっ!?」
それでも、ベラトリクスの靴に比べればまだまだ私の方は白い。
もっと、汚さなきゃ——なんて。少しばかり妙なことを考えながらも、地面を踏み、駆け出す。
随分と朝焼けは遠ざかっていて、空は青く色づこうとしていた。
星をかき消して、日が昇る。
その前に、少しでも多く走っておきたくて。
「ん、今行くっ」
力のこもった靴先で地を打つ。
蹄跡は、こんなところには残せないけれど。
それでも、確かな一歩は朝焼けの下ではっきりと響いた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「——ってぇ……」
僅かに上げた頭は確かな痛みと重さを持って、すぐにベンチへ打ち付けられた。
体を起こす気力すら残っていない中で、かろうじて開いた瞼。
陽は随分と高くまで昇っていた。
容赦なく視界に注がれた眩しさに思わず目を細めると共に逸らして。
だというのに、まだ逃れられなかった。
錆びついて、土に塗れたバッジ。
それでも、それははっきりと日を映す。あまりにも眩しかった。
説教くさいことを、確か昨日は口にしたんだったか。
そのせいで、とびっきりに眩しいものをもう一つ、見せられたんだったか。
そこだけしか記憶に残っていない辺り、昨日も酒を飲んでいたらしい。
自分の説教で自分がダメージを受ける、だなんて。ほとんど自爆みたいなものだ。
とはいえ、休職届は出した。蓄えもまだある。今やらなきゃいけないことはなかったはずで。
「……いや、選抜レースがあるか」
耳にこびりついた言葉は、正確に紡がれた。
はっきりと約束した覚えはなくても、それだけは確かに覚えている。
いつかは定かでなかったけれど、とにかく体だけは起こそうとした。
その瞬間だった。
「……っ」
全身から力が抜けた。
カラン、と。俺の胸からバッジが転がり落ちていく。
拾えない。手を伸ばそうとしても、ちっとも言うことを聞かない。
それどころか、今は何も——。
あんなに眩しかった陽ですら遠い。
思考がまとまらない。
ベンチに体を伏せたまま、意識を保つことも難しくて——頭痛の中で、手放そうとした時だった。
「——河瀬さんっ!?」
耳にこびりついていた声と、二人分の足音。
それを聞いた。