「未来を変えたいなら、神浜市に来て。そこで魔法少女は救われるから」
止まった時の中に現れた少女を見て、ほむらは思わず動きを止めて、左腕の盾を見直した。眼前の魔女とその手下たちは灰色になって固まり、撃ち出した銃弾の飛んでいるさまをじっくりと観察できるような状況の中で、その少女だけは色鮮やかなまま、両の掌を合わせてにこりと微笑みながら、ほむらのことを真っすぐに見つめていた。
「……どういうこと?」
「未来を変えたいなら、神浜市に来て。そこで魔法少女は救われるから」
機械のように同じ台詞を発するその少女は、ほむらよりも幾分か幼く見えた。妙に輪郭がはっきりしないその姿は、何度目かの瞬きの間に、ふっと消失した。少女が立っていた場所には、何もなかった。ただ時間の止まった世界が広がるばかりで、そこにほむら以外の誰かがいた形跡はどこにもなく、蜃気楼か幻覚かのように、少女はすっかり消えてしまっていた。
「今のは……?」
もう一度魔女を正視するが、巨大な鳥籠に捕らわれているような魔女や、その周囲を取り巻く筋肉質な手下たちは静止した時間の中で固まったままで、魔女の力による幻覚の類ではないだろうと思わざるを得なかった。そう考えると、いまほむらが目前にした儚げな少女の姿が一体何だったのか、それを説明できるものはどこにもなかった。
「神浜市……」
聞き覚えのある地名を反芻した。繰り返す時間の中で、何度も耳にしたことのある地名だった。見滝原市からは電車で数駅の距離にあるその場所は、再開発と移住の促進によって、急激に発展を遂げている新興都市である。これまでは神浜市に赴く用事が一切なかったために足を踏み入れたことが無かったが、その名前だけは頻繁に耳にするものだったから、必要なこと以外には何の興味もないほむらも、刷り込まれているように覚えていたのだった。
魔女を倒した後、ほむらは部屋へと帰り、すぐにコンピューターを起動した。検索エンジンに神浜市と打ち込むと、ずらりと神浜市に関する情報が表示される。新興都市。歴史ある街。再開発問題。東西の経済格差。そして、少女の行方不明事件。一通り検索を終えたほむらが顔を上げると、窓際に白い影が座っているのが見えた。
「……キュゥべえ、何しに来たの」
「暁美ほむら、君は神浜市に興味があるのかい?」
単刀直入にそう聞かれて、ほむらは疑いの目線を強くした。
「それがあなたに何の関係があるのかしら」
「実は僕たちも神浜市の現状には興味があってね」
「現状に? 直接行けばいいだけの話でしょう」
「そうもいかないんだよね。原因は不明だけど、僕は神浜市には入れないんだ」
「入れない?」
それは単純な驚きだった。暁美ほむらの知るインキュベーターは人間をはるかに超える頭脳と技術力を有する存在であり、そのキュゥべえが理解できない事象によって阻まれている、という事態が、既にほむらの想像できる範囲を優に超えていた。
「正確には、内部で活動できない、という事なんだけど。僕が神浜市に足を踏み入れると、その瞬間に気を失ってしまって、中を観測することができないんだ」
そう説明するキュゥべえは本当に困っているような雰囲気に見えて、ほむらは眉間にしわを寄せた。魔法少女が救われる、という言葉の意味は分からなかったが、キュゥべえが弾かれるその街で何か尋常ならざる事態が起こっていることだけは、とてもよく理解する事が出来た。
「そう。それは私には何の関係もない事だわ」
「もし神浜市に行くことがあれば、そこで何が起こっているか、わかる範囲でいいから僕にも教えてほしいんだ」
「お断りするわ」
「そうかい」
キュゥべえを拒否するのは、何かキュゥべえに知られたくない事を行っている可能性が高い。ほむらはキュゥべえを冷たく退けながら、再びあの少女について考えを巡らせた。その姿を見て協力は得られなそうだと感じて、キュゥべえは静かにほむらの家を後にした。
神浜市へは電車で一本だった。同じ一か月間を何度も繰り返しながら、しかしほむらは一度たりとも電車に乗って市外へと出たことはなかった。電車の心地よい振動に身を任せながらぼうっと車外の風景に視線を彷徨わせていると、何度目かの鉄橋を半ばまで過ぎたあたりで、急に背筋に寒いものが走り、ほむらは思わず顔を顰めた。駅と駅の間、ちょうど神浜市の境界を越えた瞬間だった。ほむらは周囲を見回したが、ほむら以外の乗客は何も感じていないらしく、車内は凪いだままだった。ほむらがすっと立ち上がると、いつのまにかついてきていたらしいキュゥべえが、ぼとりと長い座席の上に落ちた。糸の切れた人形のようにキュゥべえは座席に落ちたままぴくりとも動かなくなっていた。その耳を掴んで持ち上げてみたが、力なくぶらりと垂れ下がったキュゥべえはそれの言う通り意識を失っているようで、ほむらは半分開いた電車の窓からその躯体を外に投げた。目的地の新西駅についたのは、それから数分後の事だった。
電車のドアが開いた瞬間、濃密な魔力が一気にほむらに襲い掛かり、一瞬眩暈を感じたほむらは、ふらつく足でベンチに座りこんだ。ソウルジェムが四方八方に反応を示し、魔女のいない方角を探すのが難しいほどになっていた。しばらくじっとしているとようやく体が慣れてきて、ゆっくり顔を上げると、新しくホームに滑り込んできた電車の扉が開き、そこから数人の人が下りてくるところだった。ちょうど目の前のドアから降りてきた一人の少女に、ほむらは思わず目を奪われた。あまりにも見慣れたその少女は、駅に不慣れなようで周りをきょろきょろと見回していて、しかしその途中でほむらを見つけると、不安そうな顔で小走りに駆け寄ってきた。
「あの、大丈夫ですか?」
その声もあまりにも聞きなれたもので、ほむらは思わず声を上げてしまった。
「あ……その、大丈夫、です」
目の前で屈みこんでこちらを窺っている巴マミとは目を合わせられずに、ほむらはついと視線を逸らした。ちらりと視線を戻すと、マミの視線が椅子に置かれた左手の中指に注がれているのが見えて、しまった、とほむらは背に手を隠した。
「あなたも、魔法少女?」
周りに誰もいないことを確認してから、マミはそう言った。ほむらはそれにゆっくりと頷くことしかできず、それを見て明るくなったマミと目を合わせられずにほむらはまた目を逸らした。
「私、巴マミ。私も魔法少女なの。よろしくね。あなたは……?」
唾を飲んだ。変な汗が頬を伝っていた。
「……暁美ほむらよ」
にこにこの笑顔で手を差し出してくるマミにほむらが応えるのには、数秒を要した。
「……魔女が神浜に集まっている?」
「あら、暁美さんもそれで神浜に来たんじゃないのかしら?」
不思議そうな顔のマミは、アイスティーをストローで飲みながら、顎に手を当てて考える素振りをしていた。ほむらはこの一か月、見滝原のどこで魔女が発生するかを概ね把握していたから、見滝原の魔女が枯れていることに気付くのが遅れていた。しかし神浜の異常な魔女の密度を肌で感じた後の今は、その言葉にしっかりとした説得力を感じる事が出来た。
「最近はもう、グリーフシードを確保するのも一苦労じゃない? 自分たちのところに魔女が少ないのは良い事だけれど、それでこの神浜の人々が大変な目に遭っているのなら、手を貸してあげるのがいいんじゃないかと思って。暁美さんは?」
ブラックコーヒーを口にしていたほむらは、話を振られてひとつ呼吸を整えた。
「……巴さんは、変な子に会ったことは?」
「変な子……?」
「神浜市で、魔法少女が救われる……そんな事を言う、小さな女の子」
「……いえ、知らないわ」
「私はその声を聞いてここに来たの。どういう意味かを知るために……」
「魔法少女が救われる……って、どういう意味かしらね」
ほむらにも、その言葉の真意はよく分からなかったが、しかし魔法少女は最終的に誰も救われないことは、ほむらは重々わかっていることだった。だからこそ、神浜で魔法少女が救われる、という無責任にも聞こえる言葉がどうしても気になったのだった。
「さあ……」
その知らんぷりも、初めてではなかった。
「ところで、神浜の魔女は勝手に狩っていいのかしら……」
「これだけ数がいるんだもの。魔法少女がどれだけいても足りないでしょうし、大丈夫だと思うわ」
少し不安そうにそう言うマミの姿を見て、ほむらは小さく溜息を吐いた。
一緒に魔女退治をしよう、というマミの提案を却下して、ほむらは一人で神浜の街を歩いていた。どこを歩いても魔女の反応だらけで、グリーフシードのために必死に魔女を探していた昔の自分が馬鹿らしくなるほどだった。常に呪いの魔力に中てられていると、ほむらはどうしても気分が悪くなってきてしまって、これならマミと一緒に戦った方がマシだったかもしれない、なんてことを考えていた。足を踏み入れた路地裏は悉く魔女の巣窟になっていて、確かにその中の一体を勝手に倒したところで誰にも迷惑はかからないだろうと思えた。
「貴方、見ない魔法少女ね。どこから来たのかしら」
背後から声を掛けられて、ほむらは反射的に変身し、盾の裏側から拳銃を抜きながら振り向いた。ほむらよりも背の高い大人びた女性が、裏路地の入口に立っていた。
「……神浜の魔法少女」
「ええ、そうよ。貴方も、他所の街から魔女を狩りに来たクチかしら」
「否定はしないわ」
右手の拳銃は仕舞わずに銃口を下げたまま、ほむらは左手で鬱陶しい髪をかいた。
「確かに今の神浜には魔女が溢れているけれど、何の許可もなしに縄張りを侵犯するのは褒められたことじゃないわね」
「……じゃあ、どうするの?」
「今すぐ神浜から去りなさい」
冷たい言葉と共に、その魔法少女は変身した。手元に現れた長い槍を構え、鋭い目でほむらを睨みつけていた。
「……神浜で、魔法少女が救われる」
「何?」
「そんな話を、聞いたことがあるかしら」
眼前の魔法少女は少し呆気にとられたように気が抜けて、それから少し考えるようなそぶりを見せた、ほむらは銃口を上げることなく、左手を自らの盾に沿わせた。
「……いえ。ないわね」
「そう。私は魔女にはそれほど興味はないわ。ただ、その救いの話が気になるだけ」
「魔法少女が、救われる……?」
「知らないのなら、貴方に用はないわ」
盾を正面に構えて、回す。何かに気付いた相手が動き出す間もなく、世界は静かに時を止めた。ほむらは固まった相手の横を悠々と通りすぎて、そのまま裏路地を後にした。
結局その日は目ぼしい収穫もなく、ほむらは電車に揺られながら見滝原市へと帰っていった。すっかり日が落ちて暗くなった道を歩いていると、街灯に照らされた道の真ん中に、白い影がすいと横切った。
「やあ、ほむら。神浜に行ってきたのかい?」
「貴方には関係のないことよ」
「その様子だと、特に収穫はなかったみたいだね。また何か分かったら、僕にも教えてほしいな」
「前も言ったでしょう。嫌よ」
ほむらはそう言い放ちながら、しかし既に静止した時の中で動く謎の少女を見ていたから、何か理解のできない現象を神浜市で目の当たりにした時には、この白い宇宙生物の知能に頼らざるを得ないのだろうという気がしていた。ほむらはキュゥべえの事が嫌いだが、その頭脳には敵わないのだと素直に思っていたし、魔法少女に関する話でキュゥべえよりも詳しい存在はこの宇宙のどこを探しても存在しないだろうということも分かっていた。魔法少女が救われる、というフレーズだけでも、キュゥべえには何か思い当たる事があるのかもしれないが、それを相談するのはまだまだ先の話になるだろうとも、ほむらはぐるぐると考えていた。気が付けばキュゥべえは視界からいなくなっていて、ほむらは一人、誰もいない見滝原の夜道を歩いていった。