『一人で調整屋に来て』
そんなメールがみたまから送られてきたのは、ほむらが授業を終え、中学校を後にした時だった。
『何故?』
『魔法少女が救われるって話、聞きたくない?』
ぴたりと指が止まった。
『今から向かうわ』
携帯電話を鞄にしまって、ほむらは駅へと足を向けた。
「暁美さん?」
背後から声を掛けられて、ほむらは振り向くかどうか迷った。その刹那の思考の間に、後ろから追いついてきたマミは二の句を継いだ。
「そっちは駅の方だけれど、これから神浜に行くのかしら?」
「……そうよ」
「グリーフシードの予備もないものね……。私も一緒に行ってもいいかしら?」
それは想定内の言葉だったが、どう切り返そうかとほむらは少し考えた。神浜の中に入ってから撒くことも考えたが、やはりここで同行を断るのがよいと思いなおして、ほむらは顔を上げた。
「いえ、一人で行くわ」
「そう? でも、神浜の魔女は強いし……」
「一人で十分よ。それじゃ」
「あ、ちょっと……」
引き留める声を無視して、ほむらは駅へと歩いて行った。時折後ろを気にしてみたが、マミがついてきている様子はなかった。
調整屋に着くころには太陽は沈みかけで、遠くの空が赤く染まっているのを眺めながら、ほむらは調整屋の扉を開けた。カーテンの向こう側には一人分の影があって、ほむらがその向こう側へと行くと、前と同じようにソファーに座ったみたまが、ほむらの姿を認めてにこりと笑った。
「いらっしゃい、ほむらちゃん」
ゆっくりとみたまは立ち上がると、白手袋をはめなおしながら、大きなステンドグラスの前へと歩いて行った。
「“神浜で、魔法少女が救われる”……。ほむらちゃんは、それをどこで聞いたのかしら」
「……妙な少女から」
「そう。じゃあ、あなたも呼ばれたのね」
「呼ばれた?」
「ええ。マギウスにね」
「マギウス……」
「今の神浜にはね、マギウスの翼っていう、魔法少女の集まりがあるの」
「……」
「魔法少女の救済。それを志すマギウスと、それを手伝う翼になる羽根たち……。ほむらちゃんは、魔法少女のことをよく知ってるわよね」
「……なんで、そのことを」
「言ってなかったわね。わたし、調整した相手の記憶が見えるのよ」
ほむらは瞬時に変身し、流れるように拳銃を抜くと、その銃口を躊躇なくみたまの眉間に向ける。しかしみたまは怯むことなく、笑顔のまま言葉を続けた。
「プライバシーだから、口外することはないわよ。……魔法少女の真実を知ってるかどうかは、別だけど」
「……貴方、どこまで」
「だいたい、全部ね。ソウルジェムのことも、魔女のことも。そのうえで、ほむらちゃん。あなたには伝えないといけないことがあるわ」
「……それが、マギウスっていうの」
「そう。魔法少女の救済。それは、魔女化からの解放」
「そんな、ことが」
「できるかどうかは知らないわ。でも、マギウスの三人は本気でそれを目指してる。そのための手段も、もう出来上がってるわ」
「……それは?」
「ドッペルよ」
みたまが手を叩くと、背後に気配を感じて、ほむらは振り向きざまに銃を構えた。背後にはお揃いの白いローブを着た二人組の少女が、いつの間にか扉を塞ぐように立っていた。
「ドッペル、それは、魔法少女の救済の象徴」
「魔法少女の救済にして、最後の切り札」
「神浜市では、ソウルジェムが濁り切ったとしても、魔女に成ることはないのでございます」
「ドッペルのお陰でね。それを全世界に広げるのが、マギウスの目的」
ローブのフードを外した二人はそっくりな顔立ちをしていて、二人ともに手には笛を持っていた。ほむらが構えた拳銃はみたまに制されて、ほむらはゆっくりその銃口を下ろした。
「こんにちは、イレギュラーな魔法少女さん」
「私達はマギウスの翼。魔法少女の解放を目指すものだよ」
「ねー」
「ねー」
「……そう、貴方達が」
「ええ。魔法少女の救済に興味があるなら、彼女たちの話を聞いてみない?」
ほむらが静かに頷くと、みたまは嬉しそうに口角を上げた。
それからほむらはいくつか質問をした。解放のこと、マギウスのこと、そして、ドッペルのこと。
「……つまり、そのドッペルがある限り、魔法少女は魔女には成らない、ということね」
「そういうことでございます。マギウスのお三方が作り出したドッペルがあれば、もう魔女に成る恐怖とは無縁でいられる……」
「それが、魔法少女の解放。神浜で、魔法少女は救われるんだよ」
息の合った話の後で、天音姉妹は二人揃って顔を合わせた。ほむらはもう三回目にもなるそのやり取りに少し胸焼けを感じてきていた。
「そのマギウスとやらに、会わせてはくれないのかしら?」
「マギウスのお三方は皆多忙なのでございます」
「一応みふゆさんに聞いてみるけど、あまり期待はしないほうがいいよ」
四回目。ほむらは思わず溜息を吐いた。
「……そう。まあいいわ」
ほむらがソファから立ち上がると、向かいに座っていた天音姉妹も揃って立ち上がった。そうして調整屋の薄いカーテンを二人で開くと、にこりと笑ってほむらを見ていた。
「これだけは覚えておいてね。魔法少女を救えるのはマギウスだけ」
「貴方を救えるのも、マギウスだけなのでございます」
「ねー」
「ねー」
耳にこびりついた二人の声を振り払うように、ほむらは調整屋を後にした。外の世界はすっかり日が落ちていて、綺麗な半月が大地を照らしていた。
「……やっぱりここにいたのね、暁美さん」
背後から声を掛けられて、ほむらは勢いよく振り向いた。調整屋の建物の影から、巴マミが姿を現した。
「……何の用」
「なんだか焦っていたみたいだから、何をしに行くか気になって。……よかったら、この後いっしょに魔女退治をしていかない?」
「しつこいわね、相変わらず」
「せっかく同じ街で戦う魔法少女なんだもの。助け合わないと、ね」
ほむらは、マミのこういうところが昔から嫌いだった。しかし、グリーフシードのストックがないのは事実だったし、神浜の魔女はいまだほむら一人では手に余るところがあるのもまた事実であったから、状況を考えるとここはマミの提案に乗っておくのがいいように思えた。
「……仕方ないわね」
ほむらがそう言うと、マミの顔はゆるりと綻ぶのだ。巴マミは来るワルプルギスの夜との戦いで重要な戦力になる。それまでに脱落されては困るというのが、ほむらの本音でもあった。
神浜市に巣食う魔女は強い。ほむらもマミもそのことは十分に分かっていたから、目の前に広がる魔女の結界を見ても、その魔力の強さには何も驚く事はなかった。二人は無言で変身し、魔女の結界への突入準備を整えていた。
ふと、別の魔法少女の魔力を感じた。
がつん、と音がした。目の前に一振りの槍が垂直に落ちてきて、ほむらとマミは一瞬で臨戦態勢になった。
「こいつはアタシの獲物だよ。……マミ」
長い槍の上には、長い髪を一纏めにした少女が立っていた。その鋭い目でマミの事を見ていた。ほむらのことを一瞥すると、佐倉杏子は小さく溜息を吐いた。
「またつるんでんのかよ、懲りないねえ」
「佐倉さん……!」
ほむらは驚いて隣を見た。マミは、今まで聞いたことのない、親愛か、困惑か、どっちにもつかないような声を上げていた。
「あなた、いままで何して……! 私がどれだけあなたのこと心配したと思ってるの!」
急にマミが大声を上げたのを聞いて、地面にひらりと降り立ったばかりの杏子は思わずたじろいで、口にくわえたままのスナック菓子がぽきりと折れた。
「いきなり何の連絡もなしにいなくなって! あなたの教会も立ち入り禁止になってたから、一体何があったのかと……」
「うぜぇ!」
突き刺さった槍を引き抜き、その勢いのまま杏子は槍を振り回した。呆気にとられたまま動かないマミの首元を掴んで、ほむらは後ろに飛びのいた。
「もうあたしに関わるんじゃねえ……。 あんたはそこの黒いのと仲良しごっこでもしてな」
杏子は振り返りながらそう吐き捨てて、結界の中に消えていった。その場に残ったのは、ほむらとマミと、気まずい沈黙だけだった。
「……彼女と、何があったのかは聞かないわ」
重苦しい雰囲気のまま帰路についた二人の中で、ほむらはぽつりとつぶやいた。
「ねえ、暁美さん」
「何かしら」
「この後、時間ある?」
「……ええ、まあ」
「よかった。それなら、このまま私の家に来ない?」
「……仕方ない、わね」
感情の機微に疎いほむらであっても、その誘いには頷くことしかできなかった。