それから、数日が経った。見滝原の街からはすっかり魔女の気配が消え、ほむらたち魔法少女は生きるために神浜市へと出向いていくのが日常となっていた。ほむらは終業のチャイムと同時に鞄を手にして席から立ち上がり、まっすぐに教室の出口へと歩いた。
「よっ、転校生。今ちょっといい?」
それが背中から聞きなれた声で呼び止められたものだから、ほむらはひとつ溜息を吐きながらゆっくりと振り向くと、何度も見た顔の少女が笑顔を浮かべながらこちらを見ていたから、それでほむらはもう一つ溜息を吐いた。
「むっ、なんだよその反応はー。せっかく遊びに誘ってやろうと思ったのに」
わざとらしく頬を膨らませてみせたのは、クラスメイトの美樹さやか。明るさと行動力が取り柄だが、思い込みが激しい上にあまり頭のいい方ではないから、魔法少女として上手くいったことを見たことがなかったし、ほむら個人としてもあまり得意なタイプではなかったから、彼女が鹿目まどかの親友であるというただ一点がなければ、魔法少女になろうが魔女に成ろうがあまり気にしたくはなかった。
「そう。今日は用事があるから」
「あんた、いつもそうだよね。授業終わったらすぐ帰ってさ」
「そうね」
それだけ言って、ほむらは踵を返した。
『魔法少女、なんでしょ、あんた』
頭の中に直接予想外の声が響いて、ほむらは一瞬びくりとした。ちらりと後ろを見やると、視界の端にキュゥべえが居るのが見えたから、それで契約していない美樹さやかがテレパシーを使ってきたのだと理解できた。
『マミさんから聞いたよ。あんたも街を守る正義の魔法少女なんだって』
『巴マミ、余計なことを……』
『あたしとまどかにも素質があるみたいなんだよね。よかったらさ、話聞かせてくれない?』
『わ、わたしも、ほむらちゃんの話聞いてみたい!』
数瞬の沈黙。ほむらはグリーフシードを取りに神浜市へ向かうことでこの二人を無視してしまうこともできたが、しかし少し考えると、あの巴マミが彼女たちに魔法少女の本当の姿を話すことはできないし、それに感化されて正義の味方ごっこのつもりで軽率に魔法少女になられても、結局困るのは自分なのだとわかっていたし、なによりまどかに魔法少女の怖さを教えて遠ざけることにも繋がるのだから、決して無駄ではないのだろう。
「……好きにしなさい」
「よっしゃ、決まり!」
嬉しそうなさやかの声を耳障りに感じながら、ほむらは鬱陶しく絡みついてくる髪を手で払った。
「それで、何を聞きたいの?」
ショッピングモール内のフードコートは、平日だからかそこまで混んではいなかった。対面のソファーに行儀よく座るまどかとさやかの少し緊張しているような顔を見て、ほむらはすぐにでもこの場から立ち去りたくなった。
「えーっと……」
まどかは困ったようにさやかを見やったから、さやかはひとつ咳ばらいをして口を開く。
「マミさんから魔法少女の事は聞いてて。キュゥべえから魔法少女にならないかって聞かれてるんだよね。だから、色んな魔法少女の人から話を聞いてみないかってことになってさ」
それで、あなたが選ばれたわけなのです。びしっと指で差されても、ほむらは一切の感情を出すことなく、無言でコーヒーを啜っていた。しばらくの無言があり、しなしなと元気を失ったさやかの指が膝の上に戻った頃、ほむらはコーヒーを机の上に置いて、短く息を吐いた。
「……巴マミから何を聞いてるかは知らないけれど、魔法少女っていうのは、そんなに綺麗なものじゃない」
「え?」
「街を守る正義の味方、なんて。そんな御伽話みたいな存在じゃないのよ」
左手を机に置く。その中指には、薄紫色の宝石が嵌った指輪が、控えめな輝きを放っている。まどかとさやかはそれを興味深そうに眺めては、マミさんのとは色が違うね、なんて話をしていた。
「私たち魔法少女は、願いを叶えてもらう対価に、その人生の全てを捧げた者よ。このソウルジェムは、私の魂そのもの。見知らぬ誰かを救うためとか、そんなことに時間を割いている余裕はないの」
そう言って手を翻すと、二人の視線は指輪に吸い込まれたまま上下した。ほむらはそのまま手を机の下にしまうと、少し残念そうな目がほむらと合った。
「でも、マミさんは、悪い魔女から皆を守る正義の味方だって」
「そう思ってるのは巴マミくらいのものよ。普通の魔法少女はね、自分が生きるのだけで精一杯で、そんなことを考えている余裕なんてどこにもない。私たちは魔女を倒さなければ生きていけないから、魔女を倒している。それだけの事よ」
「魔女を倒さないと、生きていけない……?」
「ほむら、君はどこまで自分の事を知っているんだい?」
どこからともなくひょいと机の上に飛び乗ってきたキュゥべえが、ほむらの目を見ていた。
「キュゥべえ、何をしに来たのかしら」
「君たちがなにやら興味深い話をしているようだったからね」
顔を洗うように前足を使いながら、キュゥべえは机の真ん中を占領していた。まどかがその胴体を両手でかかえて膝の上に乗せるまで、それほど時間はかからなかった。
「私は、自分の目的を果たすために魔法少女になったの。その人生全てを捧げる覚悟が、あなたたちにある?」
「人生全てを捧げる、覚悟……」
「なんだよ、それ。じゃあ、あんたはもう魔法少女として、一生そのままでいるつもりなの?」
「一生……。ええ、そうね。私は死ぬまで魔法少女よ。間違いなく、ね。それは巴マミも同じことよ」
椅子を引いて席を立つと、ほむらはくせのついた長い髪を払った。
「一度そいつと契約してしまえば、もう後には戻れない。そういうものなのよ、魔法少女って」
「ちょっとまって、ほむらちゃん!」
立ち上がったまどかの声でほむらは一瞬硬直したが、すぐに平静を取り戻して、何かしら、とだけ言った。その冷たい眼差しにまどかはひやりとしたが、胸の中にいるキュゥべえの質感のお陰で、怯まずに二の句を継げた。
「それじゃあ、ほむらちゃんは、一体何を願ったの?」
逃げるようにその場を後にしたほむらは、今日もまた神浜市行きの電車に揺られていた。日の沈んだ後の電車は乗客もいなかった。ほむらは誰も座っていない長椅子の真ん中に、ひとりぽつんと座っていた。神浜まではもう少し時間がかかる。ぼうっと外の真っ黒な暗闇を眺めていると、光で反射した自分の顔が見えて、ほむらは視線を落とした。僅かな振動を感じて、それが携帯電話の震えなのだと気付いて、周囲に人がいないことを確認した後に、緑色の受話ボタンを押した。
「何の用?」
液晶に表示されていた名前は、巴マミだった。
「いえ、用というか……。鹿目さんと美樹さんと、話したのでしょう? 二人から暁美さんの様子が変だったって聞いて、それで」
「……そう」
ぎりり、と衝撃を受けて、ほむらは自分が奥歯を噛みしめていることに気付いた。少し力を抜いて、鋭く息を吐いた。
「貴方に心配されるようなことは何もないわ」
赤色の終了ボタンを押して強制的に電話を切ってから、ほむらはひとつ深呼吸をした。まどかに願いを聞かれたあの瞬間、冷静さを保ったままその場を去れた自分の事を褒めてやりたい気分でもあったのだが、二人からそのことを巴マミに報告されるほどに動揺が表に出ていたのだ。ほむらは携帯電話を鞄にしまう時、自分の掌が汗ばんでいるのに気付いた。自分の願いについて考える度、いつかのまどかが、倒れたまどかが、そして、魔法少女として散っていったまどかの背中が、いつまでも鮮明なままその目に映り込み、冷静に努めようとする自分の心を揺さぶってくるのだから、ほむらは目を閉じて深く何度も深呼吸をして、自分の決意を反芻するのだ。
電車のアナウンスが聞こえてきて、それで神浜市に着いたことが分かった。新西駅は神浜市の中でも屈指の大きさを誇るが、既に帰宅ラッシュの時間も過ぎているからか閑散としていて、ほむらのローファーが硬い地面を叩く硬質な音だけが響いていた。複雑な神浜市の土地勘はほむらにはまだなかったから、ソウルジェムの導きに従うまま正面出口から駅を出た。駅前の広場にはぽつりぽつりと人がいたものの、見滝原の数倍の人口を誇ろ巨大都市の主要駅前にしては、それはあまりに寂れていた。
ふと、ほむらは足を止めた。ソウルジェムが指し示す最も近い場所の魔女の結界に近づくにつれて、少し高い少女たちの声が聞こえてきた。そのうちの一つは最近聞いたことのある声で、ほむらは嫌な予感に眉をひそめた。路地を曲がって魔力の強い方へと歩いていくと、その先になにやら話し合っている人の姿が見えた。三人組はほむらに気付いてはいないようだったが、その中の背の高い少女がばつの悪そうな顔で後ろを見やったから、ほむらと目が合った。
「……ん? あ、えーっと……」
「ももこ、誰よアイツ」
「そう! ほむらちゃんだ、また会ったなあ」
人の名前を忘れかけていたのは、前に調整屋で会った十咎ももこだった。今日はその横に二人、魔法少女を侍らせていたのだが、そのうちの一人がこちらを威嚇するかのような鋭い目線を送ってきていたから、また面倒ごとになりそうだ、とほむらは目を閉じて嘆息した。
「えっと、ほむら、ちゃん?」
「ああ、暁美ほむらちゃん。外の魔法少女だよ。で、こっちがかえで。こっちが……」
「レナ。アンタも外から魔女を狩りに来たクチなのね」
ほむらより幾分か背の低いレナと名乗った少女は、背の低いわりに態度が大きかったので、ほむらは目を合わせなかった。
「……ええ」
「悪いなあ、でもこの魔女はアタシたちが先に見つけちゃったからなあ……」
ほんとタイミング悪いんだよなあ、なんて言いながら頭を掻いているももこと、その影に隠れたままのかえで、そして前でほむらを睨みつけているレナ。
「……今回は貴方たちに譲るわ」
「いやいや、そういうわけにもなあ。せっかくこっちまで来て、ボウズってのも大変だろうし」
立ち去ろうとしたほむらを、ももこは肩を持って引き留めた。そうしてしばらく考えた後、そうだ、とレナの方を見た。
「なあレナ、グリーフシード、予備あったよな?」
「え、まあ、あるけど」
「……よし! じゃあこの魔女はほむらちゃんに譲ろう!」
「はぁ!? ももこ、アンタ何言ってんの?」
「だってさあ、神浜の外にはほとんど魔女がいないって聞くだろ? それでグリーフシード探しに慣れないとこまで来て、それで手ぶらで帰れってのは、あんまりじゃんか」
「こっちにも余裕があるわけじゃないでしょ! こんな見ず知らずの奴に譲ってる暇なんて……」
「ちょっとレナちゃん! その言い方は酷いと思うよ」
「あのねえかえで、戦ってるときにソウルジェム一番濁ってるの誰だと思ってるわけ?」
「それは……レナちゃんが突っ込むから……」
「かえでが無駄に魔力を使いすぎなのよ! この間だって」
「はいはい、そこまで! 今はほむらちゃんがいるんだから、喧嘩すんなっての」
二人の喧嘩を手で制して、それからももこがほむらの方へと顔を向けると、
「……あれ?」
そこには、誰もいなかった。