Alter Record   作:遠名 彬

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#6

 ふわりと、風が舞った。それまで淀んでいた結界の空気が、一気に動き出した。さらさらとした砂粒が足元から沸き起こると、それらは風に乗せられて舞い上がり、一気に砂嵐へと変わっていく。その隙間から見える四つ足の異形は鞄のような真四角の頭を持ち、虎柄模様の尻尾を震わせていて、上に跨った少女がゆっくりとこちらを振り向いて、薄く笑っていた。

「これが、ドッペル……」

 ほむらの呟きは、砂塵の風音の中に消えていった。

 

 終業のチャイムと共に生徒たちは席から立ち上がり、思い思いに動き始める。それはほむらも例外ではなく、今日も誰とも話すことなく手早く荷物を纏め、一直線に教室から外へ出て行った。

「やあ、ほむら。君は今日も神浜へ向かうのかい?」

 日中はまどかに付きまとっていたキュゥべえが、ほむらの目の前にひらりと現れた。ほむらはそれを一瞥したのち、何事もなかったかのように再び歩き出した。

「無視とはね。聞いたよ、君も八雲みたまに調整とやらを受けたのだろう? 巴マミのソウルジェムを調べさせてもらったけれど、確かに以前と比べて魔力の流れがより効率的になっていたね。あのみたまが他人の役に立つようなことをしているのは意外だけれど、本人が魔女と戦えない分、他の魔法少女が使命を果たす手伝いをしているのなら、それは僕にとっても喜ばしい事だよ。惜しむらくはその施術方法を、僕らが伝聞でしか認識できないことだけれどね。ところでほむら、君は精力的に神浜市に通っているようだけど、他に何か特別な事象が起こっていたりしないのかい? 神浜市に魔女が集まっている現状は把握しているけれど、それがどのように、何のために引き起こされているかは、僕には皆目見当がつかないんだ。他の街では魔女の減少に伴って魔法少女が使命を果たせずに困っているし、できれば早急に解決したい問題なんだよ。……ん? あれは……」

 キュゥべえの立て板に水が流れるがごとき一人語りを聞き流していると、ちょうど校門を出たあたりで、その弁舌が急停止したので、ほむらもキュゥべえと同じ方を見た。そこには見慣れない制服を着た少女が一人、まっすぐにほむらの方を見て立っていた。彼女はキュゥべえとほむらの顔を交互に見た後、おもむろに近づいてきたから、ほむらは緩んでいた気を張り詰めた。

「……あなたが、暁美ほむらさん」

 そしてその少女が自分の名前を呼ぶのだから、ほむらは一気に警戒を強めた。彼女の左手中指に嵌った指輪を見ずとも、彼女が魔法少女であることはほむらには分かった。

「私は、保澄雫。マギウスの翼、その羽根の一人。暁美ほむらさん、あなたに伝えるべきことがあるの」

 雫の名前に聞き覚えはなかった。けれどマギウスという名前には、ほむらとキュゥべえは共に反応せざるを得なかった。

「マギウスの翼……。神浜市の中で活動している、怪しげな魔法少女グループだって聞いているよ」

「……その翼の羽根が、私に何の用かしら」

「あなたが前に話していた、マギウスとの面会の件。みふゆさんから許可が下りたから、今からついてきてほしい」

 そう言って背を向けたから、ほむらはキュゥべえと顔を見合わせた。少し歩いて路地に曲がっていった雫の後を追いかけていくと、人目に付かない裏路地で、雫は魔法少女へと変身していたから、ほむらもまたいつでも変身できるように身構えたが、雫はその手に持ったチャクラムをほむらとは反対方向に構えたから、戦う気はないのだとわかってほむらは力を少し抜いた。

「彼女の魔法は、空間縫合。離れた空間を繋ぐ事ができる……。なるほどね、神浜市から迎えに来るのに、これほど適した人材はいないよ」

 魔女の結界を開くときのように雫が何もない場所を切り裂くと、その軌跡に沿って空間が裂けた。見滝原の路地裏に、異なる場所の景色が現れた。そこから流れてくる空気の流れでほむらの長い髪が揺れたから、それを左手で払った。

「ここから先は神浜市だから、キュゥべえはついてこれないの。ごめんね」

「いいさ。また帰ってくるときに話を聞かせてほしいな」

 二人がその閾を跨ぐと空間の裂け目は急速に閉じていき、見滝原の路地裏に残されたキュゥべえの姿は、すぐに神浜市の路地裏の景色に塗りつぶされていった。

 

「暁美さん。あなたは、ドッペルをその目で見たことがある?」

「……いえ、ないわ」

 道中、雫が思い出したように声をかけてきたから、ほむらは少し驚きながらそう答えた。神浜の街は相変わらず魔女の瘴気に満ちていて、こんな街の中で長い時間を生活している神浜の魔法少女たちの気が知れない、とほむらは感じていた。道の真ん中に立てられた錆びた立ち入り禁止の看板を越えて歩いていくと、都会的だった風景は段々と寂れていき、ついには舗装されていない道を歩き始め、ビルや家は生い茂る木々へと変わっていった。

「そう。なら、合流する前に一度、魔女を討伐していきましょう」

「何故?」

「そうしろ、と言われているから」

 それだけ言って、雫は歩く方向を変えた。ソウルジェムを翳してはいないのにまるで結界の位置が分かっているかのように歩く雫の後をついていくと、ほむらの左手に嵌った魂が敵の気配にざわめきはじめているのがわかって、背筋を這いまわる不快な感覚を押し殺すように拳を握りこんだ。

 結界はすぐに見つかった。溢れるほどに魔女の結界が乱立している神浜市では、とても人通りがあるようには見えない山の中であっても、魔女を探すのに苦労はないようである。雫が開いた結界の入口から見える景色はやはり歪なもので、地面は周囲と変わらないように見えるものの、等間隔に並んだ特徴のない木々の中では、空を覆う暗雲も相まってすぐに方向感覚を失ってしまいそうだった。所々に立てられている案内板のようなものの上には人間の脳味噌が突き刺さっており、意思を持っているかのように案内板自体がぴょこぴょこと歩き回っていた。変身したほむらは盾の中から自動拳銃を取り出すと、結界に漂う気分が悪くなりそうな生臭さに顔を顰めながら、けれどその足取りが重くなる事はなく、ソウルジェムの導きを頼りに、複製されたような木々の間を通り抜けていった。ふと視線を感じて周囲を見回すと、その案内板のうちの一体がほむらの方へと近付いていた。発砲。流れるような動作で自動拳銃を構え、その照準を脳味噌に合わせると同時に躊躇なく引き金を引く。音速を越えて飛翔した金属の弾頭が肉片へと着弾するその瞬間、案内板がぐらりと傾き、直撃コースだったはずの弾丸はわずかに掠るに留まり、その背後に生えていた木に僅かな後を残した。すぐさまほむらは誤差を修正し、ゆらりゆらりと起き上がり小法師のように揺れる手下の地面との設置点を狙い、撃つ。手下は硬質なように見えた棒を素早く伸縮させると、ばねの要領で地面から飛び上がる。案内板に見える枝のように伸びた枝が急速に伸び、空中からほむらの脳天をめがげて襲い掛かった。しかし既にほむらの姿はそこにはなく、伸びた枝が突き刺さった地面より数歩後ろに立ったほむらの拳銃が、空中に浮かんだままの手下の脳味噌を正確に捉えていた。数度の銃声と共に結界の地面に赤い肉片が飛び散り、数秒置いてその案内板はぼろぼろと崩れ去っていった。

「先に行くわよ」

 拳銃を盾にしまいながらほむらは雫の横を通ってより魔力の瘴気が強い方へと歩いていく。雫は少しの間呆気にとられていたものの、すぐに気を取り直してほむらの後へと続いた。

「あなたの魔法、瞬間移動なの?」

「それを話すつもりはないわ」

 ずんずんと奥へと進んでいくと、木々のアーチの中に不自然な扉がぽつんと置かれていた。その扉をほむらがゆっくりと開くと、その奥も同じような並木道が広がっていた。視線の先に、ぽつんと一つ、背負い鞄があった。突き立った棒に引っかかった背負い鞄のような胴体を持った魔女が、静かに立ち尽くしていたのだった。魔女はまだこちらに気付いていないようで、周囲にも脳味噌を持った手下たちはいないようだった。静かに盾に手を入れたほむらを、隣に立っていた雫が右手で遮ったから、ほむらは怪訝な顔で雫を見た。

「暁美さんは、そこで見てて」

 雫は魔法少女の変身を解かないまま、ソウルジェムを左手の上に出した。それを見たほむらの顔が、一瞬にして驚愕に染まった。

「貴方、その色……」

 濁っていた。本来は透き通っているソウルジェムの中は、真っ黒な穢れが埋め尽くしていた。ソウルジェムが濁り切る時、魔法少女は魔女に成る。それはほむらにとってはもはや常識であり、絶対に避けるべき死そのものであった。しかし雫はそれを意にも介していないような態度のまま、座った目で魔女を見据えていた。

「ドッペル……。マギウスの、解放の象徴」

 呟きと共に、雫の足元からさらさらと砂粒が舞い始める。ソウルジェムに溜まった穢れがぐるぐると蠢きだし、じわじわと宝石から黒い靄が滲み出ていく。それは意思を持っているように這いずりながら、雫の右足あたりに集まっていく。異様な光景を見ていたほむらは、突如吹き荒れた突風に思わず顔を覆った。砂が風に舞い、一気に砂嵐がごとく吹き荒れていた。その砂埃の中で、一人の少女だった雫のシルエットが一気に膨れ上がっていき、四つ足の獣を模した姿へと変わっていく。手提げ鞄のような真四角の頭部には真っ赤な唇があり、虎柄の縞模様が入った長い尻尾を揺らしながら、それは結界に突如として現れた。

「これが、ドッペル……」

 蹄を鳴らす馬のように、獲物を狙う虎のように、それは四つ足をしきりに動かしながら、地面から立ち上る砂を蹴り上げていた。騎馬のごとく上に乗ったままゆっくりとこちらを振り向いた雫の顔を見て、ほむらは言い知れぬ寒気を覚えた。その顔に人間のものとは思えないような薄ら笑いを浮かべたまま、がらんどうの瞳でほむらを見ていた。

「これじゃあ、まるで……」

 ()()は、紛れもなく魔女だった。身を隠すための結界や悪趣味な嗤い声こそ響かなかったものの、悪趣味なコラージュのような姿や気分が悪くなる穢れの瘴気、そして上に乗る雫の狂気的な様子は、ほむらの心に本能的な恐怖を呼び起こすのに十分すぎた。結界の主が霞むほどの存在感を発するそれは、ほむらのことなど興味が無さそうに魔女の方を向いているという事だけが、それを味方だと認識するためのただ一つの状況証拠だった。

 足踏みを続けていたそれは雫の顔が魔女を向いた瞬間、後ろ脚を力強く蹴り出した。風のように、という形容が似合うほどに、それは凄まじいスピードで駆け出した。砂塵を纏いながら走り回るそれを見て、魔女は背負い鞄のような胴体の中からいくつもの水玉模様が入った手のような触手を伸ばし始め、砂の軌跡に向かって攻撃を繰り出した。しかし、魔女の手の速度はそれの走り回る速度には到底追いつかずただ空を切るばかりか、雫が放ったチャクラムが正確に手を切り落とし、魔女はなすすべなく達磨にされていく。砂嵐の中でそれはひび割れた嘶きを上げ、魔女に向かって突撃を始める。舞い上がった砂粒たちが意思を持つかのように魔女へと殺到し、徐々に削られていく魔女の身体にそれは猛然と突き進み、巨大な四つ足で魔女を蹴りぬいた。足先が触れた場所から砂と崩れていく魔女は金切声に似た悲鳴を上げながら、舞い散る砂埃となって消滅していった。

 それは、魔法少女の新たなる力というにはあまりにも歪で、どうしようもなく不快で、しかしこれ以上なく圧倒的なものだった。魔法少女の絶望を糧に魔女を呼び出すその行為は、ほむらにはとても魔法少女の成しえる技ではないように思えて仕方がなかった。これが魔法少女を真に開放するものだというマギウスの言説は、この衝撃の前では全く信用する事が出来ないものだった。

「なんて力なの……」

 崩壊していく結界の中で、ほむらはグリーフシードが地面に落ちるのを、ただ茫然と眺めていることしかできないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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