時は、戦が絶えぬ戦国時代。
この時世の中、尾張*1と美濃*2を治める戦国大名・湊友希那は、とある城の櫓に登り、戦国の世に似合わぬ笑みを見せていた。
「燐子、貴女に出会えてよかった」
彼女が眼下に広がる城下街から目を逸らすと、そこでは家臣である白金燐子が赤面していた。
「そ、そんな……! 私なんかが、そのようなお言葉……、もったいないです」
恐れ多さに耐えかねた燐子は、顔を隠すように縮こまる。 それを見て、友希那は彼女の手を無理やり引き、自身の側に立たせた。
「遠慮することはないわ。この眼下に広がる静かな景色は、貴女なしでは作れなかった」
「そうですか……? 私、大して敵を討ち取ってもいませんし……」
燐子は、また縮こまった。 それを見た友希那は、少し不機嫌そうな様を見せた。
「燐子、私と約束して。もう、自分を卑下しないと。私は、貴女の強さが、目の前で朽ちていくのを見たくないの」
「私の……強さ……?」
「自分自身を堂々と持っているじゃない。だからこそ、周りがせかせかと戦に明け暮れる中でも静かに、かつ悠々と歩けるのよ」
「人は、それを臆病と呼びます……」
他家に仕えていた頃、燐子は周りから臆病者と呼ばれていた。決して将としての才能がないわけでないのに、積極的に武功を立てようとしなかったからである。
だが、友希那は、それを能ある鷹は爪を隠すと賞した。
「貴女は既に自分を持っているから大功に飢えず、落ち着いていられるのよ。普通の武士は、自分自身に、どこか満たされない不安を覚える。だから、命を賭けた分の悪い勝負に挑むの。かく言う私もその一人よ」
ある時、友希那はふと自身が掲げていた野望がいかに空っぽであるのか気が付いてしまった。
まず、頂点を目指すために何をすればいいのかがわからない。戦に勝ち続ければいいという訳でないのは、なんとなく分かっていたのだが。
さらに、頂点を取ったところで何をすればいいのだろうか。 頂点というガワだけは大層立派に掲げても、中身なんてロクになかった。
そうとなれば、野望は目指すべき高みから、自身の胸の内を蝕む魔物に姿を変えるのは必然だ。 友希那が言うに、美濃侵攻とは、その魔物から逃れるための戦であったという。 この時のことを振り返り、彼女は当時の自分を『うつけ』と自虐した。 国の繁栄より、いち早く自分の不安を紛らわすことを優先したことが、余りにも愚かであったと思うからだ。 しかし、自嘲し続ける友希那を見て、燐子は我慢ならなかった。
「友希那様は、うつけなんかじゃないです……! 湊家に仕えて日が浅い私が、友希那様を語るなんておこがましいかもしれません。でも……、貴女ほど私を野望へ導いてくれる人を、他に知らないです」
そう言った途端、燐子は慌てて自分の口をふさいだ。 新参の分際で、全てを分かったような偉そうな口を叩いてしまったと自分を責めた。
ところが、当の友希那は微笑していた。
「燐子のおかげよ。初めて出会った日に聞いた、貴女の野望を聞いて私は、確かな頂点への一歩を踏み出せたの」
野望なんて大層なことを語った記憶なんか、燐子は持っていなかった。
少なくとも、湊家に仕官した時にはない。あの時の発言といえば、「最近勢いがある大名だから」という月並な仕官の動機と、和歌や茶道が書物を読むことが趣味であり、鉄砲や裁縫が得意であると喋っただけ。
と、思ったが、よくよく思い出せば、最後の方に少しだけ自身の理想を語っていた。
「もしかして、『乱世を終わらせて、戦がなくて平和な……、天下泰平の世を築く』って言ったことでしょうか……? あんなの、野望と言わず戯言と言ってください」
「戯言の割には、堂々としていたわ。『自分を持っている』っていうのは、そういうところよ」
「そ、そんなに……私の話に想いとかこもってました……? 私、全然意識していなかったんですけど……」
「とても強い想いを感じたわ。私も、天下泰平を目指そうと思えるくらいには」
友希那の思いがけない発言を聞いた燐子は、どこか今までの困ったような表情を一変させた。
「天下泰平なんて、やはり戯言です……。でも……、いつかは誰かがやらなければならないことだと思います……。もしも……叶うのであれば……私は少しでも多くの人を天下泰平に導きたい……!」
真っ直ぐな燐子の視線は、儚げな顔の中でひと際力強く見えた。
友希那は、ようやく彼女の素顔を見れたと喜んだ。
「燐子に誓うわ。この乱世の頂点を取り、天下泰平の世を築くと。きっと、茨の道は避けられないと思うけれども、必ず果たして見せる。このくらいの無謀を果たさないと、貴女ほどの大器の主君は務まらないわ」
迷いなく差し伸べられた友希那の右手を見て、燐子は確信した。
長い事、燻ぶらせ続けてきた自身の野望を託せるのは、この人しかいないと。
「はい……。この、白金燐子……、命を懸けて頂点への道を共に歩むと……誓います……」
燐子は、友希那の右手を握ると、深く頷いた。
あの約束から、十年近い年月が経った。尾張と美濃を治める一大名に過ぎなかった湊家は、数々の戦や苦難を乗り越え、日の本一の大大名にまで成長した。
友希那の本拠地・安土城は、目が眩むほど豪華絢爛であり、「私が頂点だ」と言わんばかりの存在感を放っている。 だが、燐子は今までの覇業の結晶ともいえる安土城が、どうも好きになれなかった。
今も、彼女は浮かない表情で、所用を済ませるためにこの城の廊下を歩いている。
「湊家の覇業は……どれだけの血と涙でできているんだろう……」
彼女も、この時世が乱世である以上、何をするにしても犠牲はつきものであるということは理解している。
だが、それにしても近頃の友希那は、恐怖をあたりにまき散らしてばかりだ。
敵対大名を滅ぼした時は、その一族郎党や家臣を草の根をかき分けて探し出しては処刑した。
ある時は、一揆に参加した民を老若男女問わず、見せしめのように狩りつくした。
また、恐怖の矛先は身内にも向いたことさえある。
友希那は少し前に、何十年も湊家に尽くしてきた何の落ち度もない老臣数名を「頂点に狂い咲く覚悟がない」と、言って追放したのだ。
(これが本当に天下泰平を目指している人の所業なのかな……?)
そう思った時、運悪く燐子は友希那と鉢合わせてしまった。
「あら、燐子じゃない。随分と曇った表情をしているけど……。どうしたのかしら?」
「あ……いや……」
燐子はとっさに友希那から目を逸らし、表情を取り繕った。
しかし、それは逆効果であったようだ。
「今、何か誤魔化したわね? あなた、何か隠し事でもあるのかしら?」
友希那は燐子を睨んだ。
ここは素直になった方が良いと、燐子は思った。
「私……、この頃思うのです……。私達は……天下泰平を謳う割には恨みを買いすぎたと……」
「それは、どいうことかしら?」
友希那の視線は鋭さ増し、燐子にブスリと突き刺さった。 おかげで胸の内が破裂したのか、燐子は溜め込んでいた本心をぶちかました。
「友希那様は……不必要な殺生をしすぎていると言っているのです……! 私と『天下泰平の世を築く』と約束したこと覚えていますか……!? 」
「この私が約束を忘れているというの?」
「はい」
燐子が即答した瞬間、彼女は友希那に突き飛ばされて倒れこんだ。
「忘れているわけないじゃない! 貴女と出会ってからの戦は、全て貴女との約束のためよ!」
友希那は、燐子の喉元に刀を突きつける。
その瞬間、燐子は友希那の暴論に呆れた。
(この人は……、無益な殺戮の先に天下泰平があると本当に信じているの……?)
本当は、この心情を声にしたかったが、そうしたところでまた踏みにじられるだけだろうからやめた。
代わりに、燐子はゆっくりと、恨めしそうに友希那と視線を合わせた。
すると、その凄みに圧倒されたのか、友希那は刀を鞘にしまい、猫なで声で燐子に語り掛けた。
「相変わらず、貴女は強いわね。そんな怖い目をしなくても大丈夫よ。約束はちゃんと覚えている。私も、あの日みたいに穏やかな日々が好きなの。もし、頂点に狂い咲いたその日には……私と……天守閣に登ってもらえないかしら。そこで……平和で長閑な景色を見ながら、2人きりで話をしたいの」
そのたどたどしさは、さながら愛の告白のようだ
だが、燐子はこの台詞が、自分のご機嫌を取るために取って付けたようなものにしか、聞こえてならなかった。
「わかりました」
深々と頭を下げたのは、失望を悟られないようにするためである。
燐子は、足早にその場を去ろうとした。
すると、友希那に1通の手紙を渡された。
「そういえば、もう1つ燐子に話があるの。本当は使者にこの手紙を持たせて、貴女のところに遣わそうと思ったのだけれども……。今、話すことにするわ」
促されるままに、燐子は手紙を開いた。
「次の敵は……中国地方の大名ですか……」
中国地方といえば、今は同じ湊家臣・広町七深が攻略を担当している。
彼女は、「これくらい普通だよ~」を口癖に一介の農民から一軍団の総司令官にまで駆け上がった、ただならぬ才女だ。
(広町さんに任せておけば、中国地方は大丈夫だろう……)
と、燐子は思いきっていただけに、この命令は意外であった。
「広町さんから、援軍の要請があったの。なんだか、珍しく苦戦しているみたいね。本当は、私が直々に行きたいんだけれども……、あいにく用事があって、京の本能寺に行かなければならないの。だから、燐子、私の代わりに援軍に行ってもらえないかしら?」
「かしこまりました……。帰城し次第、準備に取り掛かります……」
燐子は、頷くと今度こそ友希那の前から去った。
出陣の命令が下って数日後、燐子は生憎の小雨の中、家臣——というよりかは親友の宇田川あこに連れられ、とある神社の前に来ていた。
「ここの神社はね、なんか……古の御霊が宿りし……こう……ドドドーンっていう力が湧き出ているところなんだって! だから、ここにお参りすれば、今度の戦も大勝利間違いなしだよ!」
明日には七深が待つ中国地方に向けて出陣するというのに、あこからは微塵も緊張というものが感じられない。むしろ、燐子と久々に二人だけで出かけられたのがよほど嬉しいのか、燐子がさす傘の下でいつも以上に生き生きとしている。
一方の燐子は、居城を出てからというものの、最低限の相槌以外は喋っていない。
彼女は大人しい性格であるため、元々口数は多い方ではないのだが、先日の命令を受けてからは、その傾向に拍車がかかっている。
その原因は、友希那が目指す頂点が分からなくなっていたことに尽きる。
(私は、戯言を託す人を間違えたのかな……)
だが、そう思うと必ず、彼女は友希那と「頂点を取ろう」と約束した日のことを鮮明に思い出す。
(あの時の、友希那様の綺麗で純粋な笑顔は本物だった……。私の戯言を野望として受け入れてくれる人は……友希那様以外いないだろうな……)
と、思ったが、ふと燐子はそれが誤りであると気が付いた。
(いや、戯言を野望と認めてくれる人はもう1人いる……。ずっと前からすぐ側にいたのに……、なんで、今まで気が付かなかったのかな……。)
それは、腹心のあこのことか。否。確かに、あこは燐子が何をやっても付いてきてくれるだろう。だが、『付いてくる』と『受け入れる』は微妙に意味が違う。
となると、戯言を受け入れてくれる者の正体は、自ずと絞られてくる。
(友希那様が……天下泰平を成し遂げないのであれば……自分を信じるしかない……。いっそ……友希那様の代わりに私が頂点に立って、天下泰平の世を築けば……)
この時、最近の悩みの種の正体が「反逆心」であると、燐子は気が付いた。
しかし、間もなく、燐子がとらわれている友希那の美しい笑みが、全力で抵抗を始めた。
一方、彼女の反逆心も負けじと囁く。
今、京の本能寺に滞在している友希那は、側近兼幼馴染である今井リサらごく僅かな兵しか連れていない。北陸方面に赴いている氷川紗夜や、中国地方にいる七深をはじめ、他の有力家臣は遠方にいる故に、友希那を守れない。友希那を討つなら今である、と。
自分でもどうすることが出来ない修羅場に燐子は狼狽え、ついに、目の前は真っ白になった。
その後、燐子はあこに先導してもらうがままにお参りを済ませた。ようやく我を取り戻したのは、お参りが終わった後、あこにじゃれつかれた時だ。
「ねぇ、りんりん! おみくじやっていかない!?」
「えっ、おみ……、おみくじ……!?」
不意の一撃に驚き、燐子は素っ頓狂な声を出してしまった。
なんとか調子を取り戻すと、あこが少し離れた所の小さな小屋を指さしていた。
「ここのおみくじはよく当たるって、この前に会った商人が言っていたんだ! だから、次の戦の運勢を占おうよ! あこ、ちょっと行ってくるね!」
「あぁ! あこちゃん……、走らないで……! 滑って転んじゃう……!」
傘も指さずに走り去るあこを、燐子は追いかけた。
ようやく追いついた時は、すでにあこはくじを引き終わった後だった。
「うーん……凶かぁ……」
あこが露骨に肩を落としているので、燐子は彼女を励まそうとあれこれ言葉をかけようとした。
しかし、心配とは裏腹にあこはすぐに立ち直った。
「ま、しょせんは占いだからね。悪い運勢なんて、あこの闇の力でドカーーンって吹っ飛ばすよ!」
「う、うん……」
とりあえずは、あこの元気が戻って何よりだ。
燐子がそう思った時、あこは目を輝かせながら彼女に迫ってきた。
「ねぇねぇ! りんりんの次の戦の運勢はどうなの!?」
正直に言えば、燐子はくじ引きに乗り気ではなかった。
なるべくなら見たくない結末を見させられる気がしたからだ。
しかし、あこの無邪気な笑顔を無碍にすることも出来なかった。
「わ、わかった……。ひ、引いてみるね……」
燐子は、渋々、六角のくじ箱の中からくじ棒を引き出した。
書かれていた文字は凶だ。
それを見た途端、燐子は反射的にもう一度くじを引いた。 二度目の結果は、またしても凶だ。
言いようがない恐怖に駆られた燐子は、それから逃れるよう、またもくじを引いた。
しかし、やはり結果は凶だ。
「3回とも凶……。ま、まぁ! 考えようによっては、ここで悪い運勢を使い切ったってことだよ! だから、次の戦だって大丈夫だよ、!」
あこは、大慌てで必死に励ましの言葉をかけてくれた。 しかし、燐子は無言で凶のくじを見つめ続けた。
(次の戦……? あこちゃんは、次の戦っていうけど……次の戦ってどの戦のことを言っているの……?)
命令通りに中国地方に赴くのも、友希那に謀反を起こすのも、今の燐子にとってはどちらも次の戦だ。
神が運勢を告げたのは、どちらの戦のことだろうか。
そう考えれば考えるほど目が回る。
その果てに、燐子はつい本音を漏らしてしまった。
「ねぇ、あこちゃん……。次の戦って……どの戦なの……?」
「えっ……?七深のところに援軍に行って……中国地方の勢力と戦うんじゃ……」
あこは、怪訝そうに首を傾げた。 すると、燐子はおもむろに一句詠んだ。
「時は今 天が下知る 五月かな」
本心を、うっかり神社に奉職する人に聞かれてはまずい。 そこで、彼女は本心を、この小雨の情景に包んだのだ。
「りんりん……?」
あこは、硬直した。
当然の反応であろう。この話の流れで、なぜ燐子が俳句を詠んだのかを理解することは難しい。
だが、燐子はあこのことを信じていた。
(あこちゃんには、私の俳句の技術を全て教えてある……。だから、必ず通じる……)
その目論見通り、間もなくあこはあっと目を見開いた。 彼女が詠んだ句の内、『天が下知る』という句の中には『天下』という文字が含まれている。また、『知る』という言葉には、「支配する」という意味もある。
つまり、燐子の句は「今こそ、天下——即ち頂点を取る」という風に解釈することが出来るのだ。
「りんりん……、本気なの……? だってそれって、友希那様を……」
最近、燐子と友希那の関係がぎくしゃくしていることは、あこも察していた。
だが、この『まさか』の発言には、なんて返事をすればいいのかわかるはずがない 一方の燐子も、目を逸らしたまま黙り込んだ。
やがて、彼女はあこの横を通り過ぎた。
「あこちゃん、帰ろう……。戦の準備をしないと……」
普段なら気にも留めない台詞だが、この時ばかりは『戦』という曖昧な表現が、あこの頭に鮮明に焼き付いた。 翌日、京の都にほど近い燐子の居城から、宇田川あこ以下1万3千人もの軍兵が発った。
彼女達は、白金家の象徴である桔梗を描いた水色の旗の数々を堂々となびかせながら西へ進んだ。
ところが、燐子はまだ、次の戦場を決められていなかった。
と、いうよりは、忠義と反逆の論争にほとほと疲れ果て、何も考えていないというほうが正しい。 その証拠に、馬上の彼女は、人一倍立派な甲冑兜で身を固めているのだが、人一倍生気が無かった。
(謀反なんて、この乱世では日常茶飯事……。なにも躊躇うことはない……!)
このように、何の前触れもなく妙な自信が湧いてくることもあるにはある。
だが、その発想の恐ろしさに直ぐに体が震えてしまう。 そんなことを何回か繰り返しているうちに、白金軍は小高い丘に差し掛かっていた。
その時、燐子は前髪を撫でるそよ風のなかから、青臭い稲の香りと、民の息吹を感じた気がした。
それにつられ、後ろを振り返ると、ポツンと小さくなった居城を中心に、燐子が治める領地が日の光で輝いていた。
(やっぱり、平和が私は好きだな……)
この領地を友希那から与えられてからというもの、彼女はこの地に天下泰平の野望を詰め込んだ。
燐子は、この自分の領土を愛している。
「この景色を見ていると……、あの約束を交わした日を思い出しますね……、友希那様……」
長閑な眺めに心を奪われた燐子は思わず、追憶の中で生きる友希那に話しかけてしまった。
当然、友希那からの返事はない。 いや、仮に本物がいたとしても、二度とあの時のような返事は帰ってこないだろう。 なぜなら、今の友希那は血と恨みを浴びすぎている。その姿は武将というよりは、地獄の魔王といった方が正しいかもしれない。
燐子がそう思うと、ふと先日の友希那の言葉を思い出した。
(『貴女と出会ってからの戦は、全て貴女との約束のため』か……。逆に考えれば、私と約束を交わさなければ、友希那様は魔王にならずに済んだってことか……。それならば、私は魔王を生み出した責任を取らなければいけない……)
責任とは、約束に呪われ、戦に狂う魔王を討つことに他ならない。これも、あの時の友希那と交わした約束を果たすためである。
(頂点に狂い咲け……)
燐子は、自身を鼓舞した。
その日の深夜、白金軍はとある分かれ道にぶち当たった。 南に続く道に進めば、七深が待つ中国地方。
東に進めば、友希那が滞在している本能寺がある京の都だ。
燐子は、進軍を止めると兵士たちに休息を取らせた。
その間、彼女は馬から降り、松明の明かりが効かない暗闇を凝視していた。
「りんりん……」
あこは、心配そうな声を燐子にかけた。 すると、燐子は重い口を開いた。
「私は……東に行く……」
周囲の雑音にかき消されそうな声であったが、あこは確かにそう聞いた。
だが、それを素直に飲み込めるかどうかは話が別だ。
「あこは……反対だよ……。確かに、今なら友希那様は間違いなく討てると思うよ。でも、謀反なんて起こしたら、りんりんは悪者になっちゃう。紗夜さんも、七深も……他のみんなも、りんりんの頂点を認めてくれないよ……」
それに対し、燐子はまた一句詠んだ。
「私は、友希那様との約束を果たしたい……」
散々思い悩んだ答えにしては短すぎる気もするが、逆に一言一句に魂がしっかりと宿っているようにあこは感じた。
「りんりんがそこまで言うなら、あこの命、預けるよ」
「ありがとう……、あこちゃん」
燐子が頷いたのを見るとあこは今に跨り、叫んだ。
「みんな! 戦だ! 戦の用意をせよ!」
あこの声が、大勢の軍兵の集団をつんざいた。
だが、「戦」であるとは言っても、敵の気配などどこにもない。
たちまち、辺りから戸惑いの声が沸き上がった。
燐子は、それをはねつけるように、喉が潰れそうなほど声を張り上げた。
「敵は……本能寺にあり……!」
その途端、辺りは夜の静寂を取り戻した。
今、本能寺に友希那がいることは、軍の誰しもが知っている。
故に、燐子の発言に皆絶句したのだ。
そんな中、あこは本能寺に至る道の先頭に躍り出た。
「これより、りんりんは頂点に狂い咲く! 手柄は立て放題! 皆のもの、遅れをとるな! あこに続け!」
この時、燐子の中には、悩みの欠片も残っていなかった。 『天下泰平』の念だけが、その胸に宿っていた。
まだ、日も昇らぬ明朝。
本能寺に宿泊していた友希那はふと目を覚ました。
「外が騒がしいわね……。誰かが喧嘩でもしているのかしら?」
と、思い布団から起き上がった時、荒々しくふすまが開き、従者兼幼馴染の今井リサが転がり込んできた。
「友希那……! 謀反だよ……! 軍兵が……、軍兵が敵の周りに……!」
「謀反……。その旗の紋所はわかったかしら?」 「桔梗……」
リサがそう告げた時、友希那は目を見開いた。
わき目も振らず縁側に歩み出てみれば、確かにそこには水色桔梗の旗が所狭しとひしめいていた。
この旗の持ち主を、友希那は1人しか知らない。
「燐子……」
泣くのでも笑うのでも激高するのでもなく、友希那は呆然と一言呟いた。
「友希那! ここは早く逃げよう! いや、友希那だけでも——」
リサが白い寝巻をしつこく引っ張ったので、友希那はそれを振り払った。
「貴女は燐子のことを何もわかっていない。燐子は、一度やると決めたら必ずやる人よ。みすみす私達を逃すようなことしないわ」
「それなら……」
と、リサが言葉を澱ませた時、友希那はここを自らの頂点と定めた。
「是非に及ばず」
要は「仕方がない」という意味なのだが、リサがその真意を知ることはできなかった。
一言だけ口にしてすぐに、友希那は表門の方へと歩いて行ってしまったからだ。恐らく、最後に一花狂い咲かせるつもりなのだろう。そう、リサは解釈した。
「こうなったら、友希那が寂しくないよう、1人でも多く道連れを連れていくことにしますか」
間もなく、リサと友希那は白金軍と鉢合わせた。
リサを含めて味方は、せいぜい百人程度。 それでも、友希那は寝巻のまま槍や弓を用いて、1万3千人もの白金軍を相手に奮戦した。
そんな中、友希那は軍兵の群れの隙間から燐子を見つけた。
彼女の真っ直ぐな視線に、友希那は射貫かれた。
「きっと、今も貴女は私の死の先にある泰平の世を見ているのでしょうね。私は限りなく現れる敵を前に打ちひしがれるうちに、貴女との約束に追われるようになっていた。だから、戦に逃れた。戦で武功という目に見えるものを手に入れた時、頂点に近づいたような錯覚に酔っていたの。貴女は……、私が立つ頂点がまやかしであると見抜いたのよね……」
友希那は、やはり自分は『うつけ』であると自嘲した。 すると、一本の矢が彼女の左肩に突き刺さった。
まるで、燐子からの返事のようだ。
間もなく、燐子の姿は軍兵の群れに紛れると、友希那は振り返ってふすまを開けた。
「リサ、今までご苦労だったわね」
近くで戦うリサにひと声かけると、友希那は奥の部屋ヘ進み、おもむろに燭台を倒した。
彼女は短刀を手にすると、それをもって自ら生涯に幕を下ろした。
まもなく、気高き一輪の花は、余りにもあっけなく燃え尽きた。
友希那の死の僅か11日後、広町七深は電光石火の勢いで中国地方から近畿にやってきた。
七深が掲げた『敵討ち』という旗印の下に集った将兵の数は合わせて4万人ほど。
燐子は、京と大坂の境にあたる山崎の地でそれを迎え撃つことにしたが、せいぜい彼女に従う将兵は1万人程度。
謀反人に従いたい物好きなど、そうそういるはずもないだろう。
勝敗は、火を見るより明らかだ。
それでも、燐子は動じなかった。
「心知らぬ人は何とも言わば謂え 身をも惜しまじ名をも惜しまじ」
敵陣ではためくおびただしい数の桐紋の旗を前に怖気づく、あこ達家臣を前に、燐子は一句詠んだ。
要は、「誰がどう思っても構わない」ということである。
「りんりん……」
あこは、燐子の揺るぎない信念を改めて感じた。
しかし、現実とは非常なものであり、兵数の暴力に圧倒されて白金軍は大敗を喫した。
この戦いで、宇田川あこは燐子のために文字通り命を捨てた。
燐子は、戦場を脱出した後、山中で落ち武者狩りの餌食になったとも、後に上原ひまりが開いた江戸幕府に名前を変えて仕えたともいわれているが、はっきりしたことは分かっていない。
確かなことは、戦国の世に、とある女武将が強かな想いを、頂点で狂い咲かせようとしたこととのみである。
実はこのネタは、「白金がくる」という仮タイトルをつけて温めてありました。史実や逸話を、ストーリーやRoseliaになるべくマッチするよう所々改変しながら、できる限り詰め込んでみました。あと、登場キャラにはモデルがいます。諸々のネタを全部分かったアナタは、相当な戦国オタです。
マイページリンク :https://syosetu.org/user/152526/
代表作:蘭スイッチ https://syosetu.org/novel/287626/
某教育テレビの某スイッチのパロ。バンドリオンリー同人誌イベにサークル参加した時に、無料配布したやつです。