猫カフェにとあるバンドのポスターが貼ってあった。
「Roselia……??」
「それ、私の所属しているバンドよ」
俺が小さく呟くと、俺の隣で猫を穏やかに撫でながら、友希那は答えた。
「ここ一体では結構有名らしいわよ?」
「俺が音楽に疎いだけさ。今思い返してみればそんな名前を聞いたことがあった気がする。たしか超実力派だったっけか」
「聞いたことはあったのね」
撫でる手を止めてどことなく誇らしげに話した後、先ほどと同じように猫を撫で直す。彼女の膝の上に乗った猫が、その銀色に輝く髪をいじっていた。それをまた彼女が愛おしそうに撫でる。
「今度ライブをやるの。もし良かったら来てみる?」
「そうだな……場所と時間にもよる」
「来週土曜の午後3時から。あそこよ」
スマホを取り出して、地図アプリを見せながら指をさす。その指の先にあるのは中々に大きいライブハウスだった。
「担当は?」
「ボーカルよ。あと作詞作曲も…………そんなに驚かなくても良いじゃない」
はっきり言って彼女が音楽をやっている姿なんて想像できないし、ましてやボーカル。
いつも優しい笑顔で猫を愛でていて、落ち着きを払いつつも饒舌に猫について語り、そして今も口元を綻ばせながら猫を撫でている。少なくとも俺が知っている彼女はそれだけだった。
でもポスターの中の彼女は別人かと思えるぐらい凛としている。
そんな事を直接伝えると、彼女はまた顔を綻ばせた。
「確かにあなたとは猫の話しかしてないもの。驚くのも無理はないわね」
「出会いもここだし、そもそもここ以外で会ったことないし」
「それにしてはよく会うわ」
話しているとふと、彼女は時計を確認した。4時40分をさしている。
「あら……もうこんな時間。行かないと」
「行く? あぁ、もしかして練習のこと?」
「そうよ。来週に迫っているから練習もそろそろ大詰めなの」
彼女は膝の上に乗って寝ていた猫を起こさず小さなクッションの上に置いた。その猫のお気に入りの場所だ。
いつもだと名残惜しそうに二人で店を出ていくのだが、今日は違った。逆に早く行こうとしているようにも見える。
会計を済まして店の外に出る。いつもは店の前で別れるが、今日は彼女が練習場所に向かうため、少しだけ同じ道を通った。別れ際に俺は彼女のライブに行く旨を伝えた。
「ありがとう。同じ猫好きの同士として歓迎するわ」
彼女は一拍おいて、俺の目を真っ直ぐ見据えながら言う。
「私、いや私達は『本気』で音楽をやっている。まさに、全てを賭けて」
言葉のほんの一部に出てきた「本気」の二文字に俺はドキっとした。その鋭い眼光の奥に、溢れんばかりの炎が宿っていた。
「同士って。……ライブ楽しみにしてる。練習頑張れよ」
「えぇ、待ってるわ」
穏やかな顔つきに戻り、見知らぬ施設に入っていく彼女を見送って、俺は再び家路につく。
どんな歌を歌うんだろうか。あの低めの声質だから可愛い系では無いと思う。とりあえず今のイメージからするに、
「猫に対する愛情、かな……」
そんな歌を歌う彼女を軽く想像した俺の呟きは、赤く染まった空へと浮いて溶けていく。だが、彼女が「本気」と言った時に感じた言葉の重みが脳裏から離れなかった。
そして迎えた当日。俺は言われた店の前で立ち往生していた。なぜか。それはとにかく人が多く、入るのにも一苦労しそうなほどだったからだ。あと、こういう雰囲気に慣れてないというのもある。
ライブハウスの中に入って受付を済ます。慣れてないから時間がかかったけど、現在時刻は2時30分。前で見たいから早めに来たが、それでもこの人の集まりよう。この熱気が、「Roselia」がどれほどのものかを物語っているような気がした。
その熱気にあてられて、俺の胸も自然と高鳴っていく。
とにかく早く見てみたい。これほどの人数を熱くさせるほどのライブを。……そして、彼女の歌を。
なんとか観客席の真ん中にたどり着く。しきりに買ったドリンクに口をつけたり、スマホをいじったりとやきもきしながら時間を待っていると、時間ちょうどに明かりが全て消えた。
会場がざわめきつく中、突如スポットライトがステージを照らし、5人の姿を映しだした。
会場のざわめきは消え、全ての観客の注目がRoseliaの5人に集まる。
紫と黒を基調とした衣装のあちこちに薔薇がちりばめられていた、荘厳なドレスのように思える。
「Roseliaです。まずはメンバー紹介」
瞑っていた目を静かに開くと、彼女は淡々とかつ単純にバンド名を口にした。バンドメンバーの名前と担当が言われていく度に観客は熱をおびた唸りを上げる。
4人の紹介が終わり、最後は彼女の紹介に入る。
「そして我らがリーダー、ボーカルの湊友希那~!」
茶髪のギャルっぽいベーシストが叫ぶと、他の全ての楽器が鳴らされ彼女の周りを彩る。そして観客も楽器と同様に歓声を上げていた。この音の中で当の本人はマイクを握って、よろしくとだけ言って佇んでいた。佇んでいたんじゃない、まるで玉座に座ってそれを見回しているように。
「それじゃあ一曲目、FIRE BIRD」
会場にざわめいていた波が去り、彼女の息を吸う小さな波だけが場を揺らした。俺はこれから始まる彼女の演奏に息を呑んだ。
そして彼女がついに己の音を放った。
優雅でかつ、地に足をつき根を張るようにずっしりとした音だった。
自然と隣を歩くピアノの伴奏とともに歌を紡ぐ彼女に目が離せない。優雅に流れる歌と伴奏が途切れ、彼女は言い放つ。
「潰えぬ夢よ、燃え上がれ!」
瞬間、堰を切ったように音が解き放たれ、Roseliaが会場を支配する。先ほどの歓声を上回るほどの激しい音の叫び。その中心で彼女はマイクを握っていた。
目の奥に宿る炎が全身に回って、彼女は燃え盛っていた。
その小さな口から出る、彼女の決意と、信念と、覚悟を纏った歌声が場を揺らしていた。
前に猫にいじられていた、照明によって赤く染まった銀髪を乱し、愛おしそうに猫を撫でていたその手を握り、振りかざして、彼女は歌う。
そして次の瞬間には天に届かんばかりの高音が光のごとく俺の脳天を貫いて、心に火を灯した。
ライブが終わって皆がライブの感想を言いながら帰る中で、俺はまた店の前で立ち往生していた。
待ち伏せって嫌だよな、と思いつつもライブの感想を直接言わないと気が済まない。それほど気持ちが昂っていた。
約20分、やっぱりと思い直して店を後にしようとしたら、彼女を含む5人が店から顔を出した。
「あら、待ち伏せかしら」
「あ~いや……」
俺が気まずそうに目をそらすと彼女はクスリと微笑んだ。さっきとは全然違う雰囲気を纏っていて、拍子抜けしてしまう。
「冗談よ。それで初めて見た私達のライブはどうだった?」
「そうだな……上手くは言えないんだけど、あの瞬間の友希那は炎だった。誰にも消せないほどの熱を帯びていた」
「そう。ありがとう」
「あの~、友希那? そちらはどちら様で?」
話していたら彼女のバンドメンバーが俺について尋ねてきた。俺は素直に、あそこの猫カフェで知り合ったただの友人だと言おうとしたが、彼女に止められてしまった。
「ちょっとした知り合いよ」
と言ったところで、彼女が俺を他の4人から遠ざけるように俺の腕を引っ張った。
何かやましい事でも話すかのように、目を合わせて小声で俺に話しかける。
「あまり余計なことは言わないでちょうだい。ただのちょっとした知り合いよ。良い?」
「変な事? もしかして猫が好きな隠してるとかそんなこと?」
「まぁ、そんなところよ」
俺は横目で4人を見る。それぞれの頭に疑問符が浮かんでいることを確認して俺は考えるのを止めた。
「あ、うん。分かった。それにしても今日の友希那は凛としててカッコよかったな。いつも猫に顔を喜ばせているところしか知らないから余計に」
「逆よ。私のいつもはこっち。ただ……」
「ただ?」
彼女はためらうように俺から目をそらして、ほんの少し頬を赤く染める。右手で左腕を握りながらたどたどしく答えた。
「猫を見るとつい、顔が緩んじゃうの……だから、そういうことよ。……それじゃあ今日は来てくれてありがとう。また見に来て」
「分か━━」
俺の返事を待つことなく彼女はメンバーの元へ戻っていった。情報量の多さにしばらく呆然としていたが、している内にふと我に返ったので俺は家路につくことにした。
「絶対次も来るよ」
彼女には聞こえないであろうが、俺は至極小さく呟いた。次こそも彼女の、いや、湊友希那の「本気」をこの目で、耳で。