東方喜怒哀楽譚   作:北極星

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喜【ただ愛しいだけ】

 太陽の光が地上に照り付ける夏真っ只中。

 その日の博麗神社は稀に見る大盛況だった。

 多くの人間や妖怪が集い、あちらこちらで歓声を上げている。

 もちろん、気紛れで商才に乏しい当代の巫女である博麗霊夢が上手い企画を打ち立てたわけではない。

 この場で大きなライブイベントが行われていたためである。

 外の世界で合同ライブと呼ばれる企画は外の世界で生きている宇佐見菫子が発案し、賽銭と場所代確保のチャンスと見た霊夢も賛同して実施された。

 幻想郷で音楽を奏でる者、踊る者が一同に集い、代わる代わる演目をこなしていく。

 結果としてそれぞれの推しが集うライブに人間、妖怪問わずに多くの者が集い、盛り上がった。

 その熱気は来場者だけでなく、普段と違う環境でのライブを行った演者にも伝わっていた。

 

「今日もライブ大成功だったね〜」

 

 あてがわれた控え場所。プリズムリバー三姉妹の次女、メルランが高いテンションのまま椅子に腰掛ける。

 

「そうだね〜皆楽しそうだったし」

 

 三女のリリカが気怠げにメルランの左隣に置かれた椅子に腰掛けながら賛同する。

 ライブを終えた満足感だけでなく、姉妹の中で一番に頭の切れる彼女の脳内では、何が受けたのかがフラッシュバックされ、次にどう活かすのかが映されているのだろう。

 今回の合同ライブのコンセプトは誰かが優勝するというような形ではなく、出演者皆でライブを作り、観客を楽しませるというものだった。

 普段のメンバーだけでなく、色々とコラボをしたりと大変さもあったが、終わってみれば普段と違う盛り上がりをみせたことで良いと思えるものが出来上がった。

 

「さて、これから先のことも考えていく打ち合わせがてら、四人で飲みに行かない?」

「夜雀の屋台でも行く?」

「でも、ミスティアも響子とライブ出てたよ?」

「仕込みを事前にしてあるからライブ終わり次第、屋台を出すって言ってたよ」

「うーん。でも、たまには別の所を開拓しない?」

 

 メルランとリリカがこれからの打ち上げについて話を盛り上げている最中、控室にいる残りの二人、長女のルナサと堀川雷鼓は黙々と自身が使っていた楽器の手入れや服装の乱れを戻している。

 騒霊、付喪神であるため、楽器の手入れは必要ないが、いつからか自然と習慣になっている。

 その後も二人は論争を繰り広げ、最終的に屋台を巡ってこれといったものが無ければ、最終的にミスティアの店に行くことになった。

 

「姉さんは?」

「ええ。行くわ」

 

 ルナサが穏やかな口調で答える。

 三人の視線が回答していない雷鼓に集まる。だが、彼女は気にせずに素早く立ち上がり、外に足を向ける。

 

「悪いけど、先に帰るわ」

「え〜最近どうしたのー?」

 

 メルランが口を尖らせ、雷鼓を引き止める。

 四人はよくライブ本番だけでなく、打ち合わせやリハーサルで共に行動することが多く、散々なまでに合奏をした後に打ち上げとして飲みや食事に行く。

 だが、雷鼓はここのところ演奏中や話している時に不機嫌になることが多く、終わった後の付き合いも減っていた。

 

「ごめんね。ちょっと野暮用で」

「前もそうだったよ〜?」

 

 メルランがさっさと立ち上がる雷鼓の前に立ち塞がり、首を傾げる。

 

「うん、本当にごめんね。急ぐから」

 

 取り付く島もなく、メルランを避けて出て行ってしまった。

 足音が消えるまで残された三人は何も言えないまま出て行った所を見るしかなかった。

 

「どうしたのかしらね?」

「恋人とか?」

「まっさかー。太鼓が恋人の雷鼓がー?」

「人は見かけによらないって言うし、雷鼓ならもしかするとってことも」

 

 足音が消えた途端、メルランとリリカが誤解を招かれるような噂話に花を咲かせる。

 天狗がいればここからとんでもない飛ばし記事が出来上がるだろう。

 

「姉さんはどう思う?」

「え? そうね……」

 

 ルナサは突然話題を振られ、目を丸くした後、おとがいに手を当てる。

 もちろん、雷鼓に浮ついた話があると思っていない。

 手のかかる妹たちをどうやってこの話題から別の方向に向けさせるかを考えている。

 下手に真正面からこの話題を止めようと言ったところで、二人がはいそうですかと頷くとは思えない。むしろ「そんなこと言って姉さんも気になっているんでしょ〜」とからかわれるのが目に見えている。

 その一方で彼女のことが心配なのも確か。

 意を決して、小さく息を吐くと好奇心を剥き出しにした目をしている二人の妹に冷たい視線をぶつける。

 

「やっぱり、ちょっと雷鼓のこと見てくるわ」

 

 その回答に二人の妹は目を丸くする。数秒の間があった後、メルランが口を開いた。

 

「姉さん、まさかこっそりと」

「そんなことをするように見える」

 

 さらに冷徹な目を向けるとさすがの彼女も口を噤み、体を小さくする。

 

「そういうことだから、二人とも、悪いけど今日はパスで」

 

 これ以上言うことはあるまいと結論を伝える。

 有無を言わせない雰囲気をまとったまま外に出る。

 博麗神社の境内ではライブ終わりの熱気が収まらないまま、至る所で屋台の行列や場所を確保して宴会を始める者など正に収集がつかない状況になっている。

 肝心の博麗の巫女は宴会や屋台を回って酒を飲んだり、賽銭をねだったりと周囲のことを全く見ていない。

 ルナサはそのような者たちを避けるように博麗神社の裏手に出ると雷鼓を探すべく飛んだ。

 辺りを見回すが、気配はすでに消えている。

 かなり急いで去ったのだろう。

 

「急いでいるといえば」

 

 ルナサは心当たりのある場所へ向かいながら思案を始める。

 雷鼓がライブ終わりにすぐ帰るようになった頃から彼女の音楽のテンポが早くなる、いわゆる走ることが増えた。

 リリカが注意した時には少し戸惑ったように笑って謝っていたが、思い返すとどこか心ここにあらずという表情だったように感じる。

 彼女はそのまま幻想郷の空に浮かぶ逆さの城、輝針城の近くにある雷鼓の住処へと向かった。

 普段は互いの住処ではなく、どこかの広場などで合奏をするので、久しぶりの来訪となる。

 案の定、彼女が周囲に誰もいないか確認して、扉を閉めたのを目撃する。気付かれないように静かに地上に降りると忍び足で窓から部屋を覗き込む。

 運の良いことにあたりの部屋だったようで、悲壮感漂う雷鼓の姿が見える。部屋に入っても落ち着かない様子で辺りを見回している。

 そして、おもむろに部屋の隅に置いてある大きな和太鼓の前に立つ。

 見たことが無いが、単独で演奏をする時に使うものなのだろうかと推測していると彼女が半身ぐらいの大きさはある和太鼓を軽々と持ち上げた。

 驚いているのもつかの間、その太鼓を気が済むまで床や壁に投げつけ始めた。 

 彼女の住処は幸い、頑丈に作られているため、穴が空いても外気や床穴に困るようなこともないようだ。

 ルナサは外からでも聞こえる声を上げて、とんでもないことをしている彼女を見て、最初に信じられないと目を見開き、口を手で塞いだ。

 だが、自身の目的を思い起こし、徐々に自身の中で落ち着くようにと言い聞かせる。

 今起きている状況を観察し、部屋内の全てを見れるくらいに冷静さを取り戻した。

 身勝手ながら頑丈な家だと感心していたが、よく見ると雷鼓も床に叩きつけているだけで、その反動で壁に当たっている。

 その床や壁もあちこちにすでに傷が付いている。ルナサはずいぶんと同じことをやっていたのだと思いつつ、玄関へと向かう。

 そして再度、躊躇った。

 自身が入ることで雷鼓はどのような反応を見せ、応対をするだろうか。

 二度とプリズムリバーウィズHで活動することはできなくなるかもしれない。

 だが、止めなければ雷鼓も彼女の家も大変なことになってしまう。

 意を決して深呼吸をすると一気に部屋の扉を開いた。

 

「邪魔するわね」

「……えっ、ルナサ!?」

 

 雷鼓は声に一呼吸置いて慌てて振り返り、自身の姿を認めて目を丸くした。

 想像通りの反応に苦笑いに近い表情を浮かべながら扉を閉める。

 

「悪いわね。勝手に入って」

「どうしてここに? 飲みに行ったんじゃ」

 

 怒りの目を向けてくる。

 見られたくないところを見られたため、当然だろう。

 しかし、ルナサはどうしても聞かなければならない。そう自身の中で直感が働き、本能のままに口を開く。

 

「心配だったから、少し先に出てきたのよ」

 

 問答無用で部屋へと入る。

 そして、荒れた周りを見て、鋭い目つきで雷鼓を見る。

 

「どうしてここまでのことをしたの?」

「ルナサには関係ないわ。それにちょっとした衝動よ。余韻ってやつ」

 

 早口で立て続けに言葉を繰り出す様に苦笑いを浮かべ、首を横に振るしかない。

 

「だったら、どうして床や壁に古い傷も付いているの? 悪いけど、たまたまできたとは思えないからね」

 

 ルナサはしゃがんで床の古い傷跡に手を当てながら問う。

 鋭い眼光は妹二人と違い、冷静沈着な彼女が誰かに向けると非常に冷徹さを感じられる。

 当人はそのつもりなど無いが、雷鼓もその目を見て、逃げられないと諦めて、俯く。

 ルナサはその肩にそっと手を置いた。

 

「無理にとは言わないわ。どうしてこんなことをしているの?」

 

 待っていても仕方ないと今度は努めて穏やかな口調で、それでも心配していると言い聞かせるように尋ねる。

 再び沈黙が数分続き、ようやく雷鼓は唇を震わせながら言葉を発した。

 

「怖くて……」

 

 絞り出すような小さな声。普段、皆を引っ張る姐さん体質の彼女から想像できない。身震いする様は知らない所に連れてこられた猫のようだ。

 

「怖い?」

 

 注意深く部屋を見渡すが、何か怪奇なことが起きているように思えない。

 

「やっぱり、聞こえないのね?」

 

 今度は耳をすますが、特に気になるような音も聞こえない。

 

「何が聞こえるの?」

「声」

 

 もう一度、耳をすませるが、どこからも誰かの声など聞こえない。

 普段なら空耳だと相手にしないところだが、ここしばらくの彼女の様子だとそうもいかない。

 

「詳しく教えてくれない?」

 

 雷鼓は弱々しく頷くとそばにある椅子へと促してくる。

 座ると一呼吸置いて、口を開いた。

 

「最近、頭に声が響くの」

「声? 誰の?」

「私が、この体になる時に奪った人の声」

 

 雷鼓の言葉で彼女が幻想郷の一員になった日のことを思い出す。

 小人族の末裔と天邪鬼が結託して下剋上を企てた異変は幻想郷の権威をひっくり返すという賢者たちにとって看過できないものだった。

 結局、いつも通り妖怪退治屋の人間たちの手によって解決されたが、その一方で力の弱い妖怪は改めてその存在が認識されるという妖怪たちにとって喜ばしい結果をもたらした。

 その一つに楽器の付喪神が実体を持ち、幻想郷に住み着くことが可能になった。

 しかし、それは彼女たちが人の命と夢を奪うという負の面もあった。

 あくまでも外の世界の人間であったため、幻想郷の中で大事に取り扱われることもなく日が過ぎた。

 そして、付喪神たちも自身の糧となった人間のことなど忘れてただただ演奏を楽しみ、幻想郷の人間や妖怪たちから喝采を浴び続けた。

 雷鼓も依代であった和太鼓を切り離し、その奏者を得た時は実体となれた喜びから浮かれていた。

 だが、執念深さでは人の方が勝っていたらしい。

 徐々に聞こえるようになった雷鼓を羨む声。

 最初はただの空耳だと思い、相手にしなかった。さらに正体が分かった時でもただの怨念であり、人のものなど恐れるに足らずと無視し続けた。

 しかし、その声は今日に至るまで大きくなり続け、遂には気になりすぎてライブ中に音が拾えなくなってしまう時もあった。

 さらに徐々に実体までもが見えるようになってきたという。

 

「実体?」

「幻覚なんだろうけど、どうしてもはっきりと見えてしまうの」

「それは常に?」

「ううん。ふとした時、って感じ」

 

 ルナサはおとがいに手を当てる。

 姿も見え始めるということはかなり彼女の心の中に人の怨念が入り込んでいる。だが、どうしても違和感が拭えない。

 さらに雷鼓から情報を得るべく、口を開く。

 

「ずっと聞こえるの?」

「いえ。最近になってひどくなってきてね」

「きっかけは覚えている?」

 

 雷鼓は無言で首を横に振る。

 曰く、ある日の夢の中に突然その人が出てきた。

 前後で何か思い起こすようなことも無かった。

 雷鼓の今を妬み、自身の夢を容赦なく奪ったことに怒り心頭して、怨念によって現れたのだと推測しているようだ。

 

「でも、そしたらどうしてこの太鼓を持って暴れるの?」

 

 ルナサは疑問に思っていたことを口にする。

 ドラムとドラマーを奪ったにもかかわらず、八つ当たりをするのであれば筋に合わない。

 

「こうすると声が少しだけ聞こえなくなるの」

「自分がやっていることで音が誤魔化させるというわけではないのね?」

「私も最初はそう思っていたけど、だんだんと実感してきたの。聞こえてこない時間が増えているし」

「いつもやっているの?」

 

 雷鼓は首を横に振る。

 

「ライブの後が多いわ」

「聞こえやすくなるの?」

 

 今度は頷き、再び黙り込んでしまう。

 だが、そこで後は雷鼓自身のことだと手放すことができない。

 

「その人はどんなことを話してくるの?」

「うーん。羨ましがる感じかしら。良いなとか、どうして自分だったのか、かな」

 

 彼女は内容をあまり聞かず、人間の声自体を恐れている。

 解決できる糸口が少し狭まったが、僅かでも覚えているのはありがたい。

 

「一方的に話しかけられるということ?」

「そうね。実は私も気になって地霊殿の化け猫や白玉楼の主が地上に来た時に相談したけど、そういう存在は感じられないって言われた」

 

 大体がルナサの推測通りだった。

 憑かれていることは確か。だが、自身と彼女では認識が異なっている。

 

「まさか、付喪神が人だったものに憑かれるなんてね」

 

 雷鼓の苦笑いに対してどう答えるべきか分からない。

 その人は確かにドラムを愛していた。そして、彼女は無情にも己が生き抜くために叶えたいと思っていたであろう夢を生を奪うことで潰してしまった。

 

「皮肉よね……って、ルナサに言っても仕方ないか」

 

 幸か不幸か、雷鼓の秘密を最初に知ったのは騒霊であるルナサであった。

 同じような付喪神はいるにはいるが、雷鼓のような特殊な術で生きているのは極めて稀である。

 

「分かるかもしれない」

 

 だが、ルナサにとってどこか懐かしさと共感できる感覚でもあった。

 思いふける彼女に雷鼓の鼻で笑う声が聞こえる。

 

「どうして? あなたは騒霊でしょう?」

「そうよ。でもね、似ているのよ。私たちが忘れてはならない、ここにはいないあの子とあなたが奪った人間が」

「あの子?」

 

 ルナサは頷くと窓から外に視線を移す。

 

「私たちの生みの親。そして、かけがえのない可愛い妹のことよ」

 

 雷鼓が何となく分かったと曖昧に何度か頷いている。

 だが、それが現状とどうつながるのか。おそらく彼女も分かっていないだろう。

 

「彼女が私たちを愛したように私たちも彼女を愛した。だからこそ、私たちは今、この幻想郷で騒霊として生きることができている」

「ずいぶんと慕っていたようね」

「でもね、それは彼女が大切にしていた、愛してくれていたが故。その愛は妖怪のように物事を簡単に切り捨てる存在ではなく、人間であったがために可能だった愛情よ」

 

 雷鼓は話のつながりが見えないと浮かない表情で首を傾げているが、構わずに続ける。

 

「だからね、私たちは彼女をこちら側に呼び込めず、その償いとして天寿を全うさせた。そして、その後に本来消えるはずだった存在の私たちは完全に自我を持っていることに気付いて、決して忘れることのできない後悔をした」

 

 ルナサの脳内に全てを失おうとも自分たち三姉妹のことだけをただ愛し続けていた、愛しくてたまらない妹の姿が思い浮かぶ。

 忘れることなどできるはずがない。それは三姉妹の死を意味しているのと同じだから。

  

「その人間も無念だったしょうね。ある意味、あなたにとっては創造主であったのに、それを忘れられて、ただただ喝采を浴びているあなたを見て」

「忘却への、恐れっていうこと?」

「そうよ。だから、忘れることが無いよう……」

 

 雷鼓は机に手を叩き、ルナサの口を閉ざす。

 

「そんなこと、分かっているに決まっているじゃない! それぐらい、私もそうかな? って、試したわ。でもね、駄目なのよ。全然意味が無い。声がはっきりと聞こえるばかりなの」

 

 やはり、彼女は聡い付喪神である。

 頭を抱えている様に、彼女なりの懊悩を繰り返してきたのだと脳内で想像がつく。

 

「でもね……」

「分からないはずよ! 私がどれだけあの声に悩まされているかなんて!」

 

 雷鼓は乱暴に立ち上がり、訳もなく窓がある方へと早足で移動する。数秒の無言の後、大きな溜め息を吐き、外を見ながら口を開く。

 

「言っていなかったけど、たまに夢にも出てくるのよ。そして、頭の奥からも聞こえてくるの。私を、羨む声がはっきりと」

 

 先程も聞いたが、それだけ雷鼓の精神を蝕んでいるのだろう。

 だが、ここで怯んでいればせっかくのチャンスを逃してしまう。

 

「本当にそう? 本当に、羨む声だと言える?」

「そうよ! そうでなければライブを終えて充足感に浸る時に声が聞こえてくるはずがないじゃない」

 

 雷鼓は「結局、あなたも同じことを言うだけじゃない……」と窓にもたれ、悲しげに目を瞑り、首を横に何度も振る。

 地底の火車や白玉楼の主も同意見だったのだろう。

 しかし、ルナサは怯まずに彼女の肩に手を置く。

 自身は二人とは違い、これまで音楽で人間、妖怪を問わずに多くの者たちを盛り上げてきた。

 最初こそ種族の違いとこれまで三姉妹でやってきたことへの自負から抵抗感を抱いたが、彼女がこれまで自分たちを見てきたと言った上での的確な指摘と企画性の高さ、何よりも付喪神故の音楽に対する熱意。それら全てが三姉妹に新たな風を吹かせくれた。

 そして、能力と性格故に他者との交流関係が薄く、壁を作っていたルナサにとって雷鼓はその壁を持ち前のノリの良さで簡単に飛び越えてきた。

 驚きだけでなく、友を得る喜びを与えてくれた彼女を捨てるようなことはできない。

 その思いがルナサを突き動かし、雷鼓の両肩を掴んだ。

 

「良いな。どうして自分が。そこだけの言葉を聞いただけで決め付けていない?」

「そうかもしれない。でもね……」

「そこで逃げないで!」

 

 滅多に発しない大声と肩に爪を喰い込ませ、痛みで反論の余地を与えないようにする。

 雷鼓も驚きと痛みで唇を噛んでいるが、先程より落ち着きを取り戻したのか、目の焦点がきちんとルナサに向けられている。

 

「良いわね? 語りかける声をちゃんと聞いてみなさい。そして、逃げたら駄目」

 

 雷鼓の眉間にしわが寄る。

 覚妖怪で無くとも嫌だと思っているのが分かる。

 しかし、彼女の悩みを根本から救うには全てを知らなければならない。手のひらに乗せた水のように逃げていってしまう。

 ルナサは雷鼓の左右の瞳を狙うようにじっと見つめる。

 頼むから聞き入れてほしいとただただ真っ直ぐに無言のまま。

 そのまま十数秒ほど経った頃に雷鼓から瞳を逸らした。

 ルナサは雷鼓の表情に若干の弱気を感じ、顎を持って、顔をこちらに向けさせる。

 

「全てを聞いて。そして、見定めなさい。立ち向かうべきか、受け入れるべきか。聡いあなたならできるはず」

 

 再び数秒の沈黙が落ちる。

 雷鼓は視線を逸らさずに小さく頷いた。

 

「……分かった。そこまで言うなら、頑張ってみる」

 

 その言葉を聞いて肩から手を離すが、雷鼓は不安を拭えていないと小刻みに震えている。

 再度、安心させるため、両方の頬に手を当てた。

 

「大丈夫。いざとなったら私がいる」

 

 努めて穏やかに、幼子に言い聞かせるような口調で諭す。

 今日はこの後の予定も無いため、いざとなれば一緒にいると尋ねたが、それは断られた。

 

「大丈夫。約束するわ。必ず乗り越えてみせる」

 

 相変わらず、その声を敵意のあるものと捉えていることに変わりは無いが、向き合うことができるのであればひとまず一歩前進したと見て良いだろう。

 ルナサは改めて、明日にまた来ること、ちゃんと話を聞くことを伝えて自身の館へと戻った。

 戻ると何も知らない妹二人から質問攻めをくらったが、全てを冷徹な無言の視線で押し返したのは別の話である。

 

 翌朝、ルナサはこそこそと付いて来ようとしたリリカを反則弾幕で黙らせ、メルランに留守を頼んで雷鼓の下へ向かった。 

 到着するとすぐに戸を叩く。

 耳を傾けるが、返答が無い。

 一瞬、昨日のように部屋を覗いてから入ろうかと思ったが、今日はきちんと了解を得ている。

 ルナサは勢いよく戸を開くと驚愕の表情を浮かべ、心に抱いていた期待がすーっと引いていくのを感じた。

 へたり込む雷鼓と太鼓だけでなく、相棒のドラムも床に投げ出されている昨日以上に荒れた部屋。

 彼女の目の焦点がルナサに無く、上の空になっている。

 肩を揺さぶり、どうしたと三回尋ねるとようやく我に返ってくれた。

 雷鼓は窓を見て時間を把握し、ようやく疲れきった声で「あ、おはよう」と言ってくれる。

 嫌な予感を抱きつつ、水を持ってきて、一杯飲ませる。

 一気に飲み干すと口元を拭い、こちらから尋ねる間もなく、昨晩起きたことをぽつぽつと話し始めた。

 雷鼓がいつも通り羨望の言葉をかける相手に逃げることなく、耳を傾けた。

 衝動にかられそうになる体を押さえ、実体化し始めたドラマーにも目を逸らさなかった。

 ドラマーは逃げない雷鼓に驚くことなく、淡々と語り続けた。

 羨望の言葉を続け、いつもなら限界に達している頃合。その人の口が一旦閉じられる。

 どうしたのだろうと興味本位で顔を上げるとそこにいた者の顔は憎しみも妬みも無い、穏やかな微笑みだった。

 どうして自分だったのか、他にも良いドラマーはいただろう。

 良いな。ますます聞いていて面白くなってきた。

 雷鼓はただ嘆息を漏らすしかできなかった。

そして、最後にドラマーは頭を深々と下げた。

 ありがとう。行き詰まっていた私を救ってくれて。

 そこでドラマーは姿を消した。

 雷鼓はようやく彼が亡霊などの類ではなく、ただ自身の思いを告げたい強い思念のようなものだったと気付いた。

 これまで聞こえていなかった発言は自分がその声を遮り、逃げ続けていたからだ。

 何と愚かなのだろう。

 付喪神を救ったと持て囃されていた自分に反吐が出る。自分の依代の思いにも気付かずにただ自己のことだけを見ていた者がどうしてリーダーなどやっていられるのか。

 

「……それで、夜中にずっと暴れていた?」

 

 雷鼓は追加で入れてきた水を一気に飲み、小さく頷く。

 ルナサは大きく溜め息を吐きながら肩を落とす。

 

「あなたは優し過ぎるのかもしれないわね」

「自分でもそう思う」

 

 妖怪として幻想郷で生きるのであれば、人からの怨念などいくつも身に浴びることになる。今回は自身の依代に関わることだったが、付喪神にとって、それぐらい乗り越えなければならない登竜門だろう。

 うなだれる雷鼓を見て、やはり朝一番に来て良かったと改めて実感する。

 少しでも遅れていれば良心の呵責に苛まれて何をしでかしていたかも分からない。

 

「それで、それから声は聞こえるの?」

「ううん。それから、何だか気分が軽くなったというか……こう、心が軽くなった?」

「抽象的ね。でも、言いたいことは何となく理解したわ」

 

 おそらく、雷鼓に取り憑いていたであろうドラマーの思念は消えた。

 おそらく、伸び悩んでいたドラマーは雷鼓に様々なものを奪われたことに対して最初、嫉妬した。しかし、彼女が楽しく演奏を続けている様を見て、自身では成し得なかった境地に立ったことに嬉しくなったのだろう。

 その思念の過程が積み重なり、伝えたい思いが形となって声から実体化まで発展した、いわゆる魂のようなものだった。

 今後、それは雷鼓に思いを無事伝えたことで、彼女と同化されて聞こえなくなるだろう。

 そう伝えても彼女の表情は優れない。

 

「依代にして、それだけの思いがあったのに、聞き取ろうともしなかったのが申し訳ないわ」

 

 問うと雷鼓は頭を抱えてそう答えた。

 呆れるほどに心優しい妖怪である。しかし、呆れも失望もできない。かつての思い出はどれだけの時を経ようとも忘れられない。

 

「でも、もう過ぎたことを悔いても仕方ないわ」 

「そうね……ありがとう、ルナサ。一人だけじゃ、きっと解決できなかったわ」

 

 ルナサは気にしないでと小さく頷く。

 普段、気丈に振る舞い続けていた彼女の弱さを見れたことも嬉しかったとはさすがに言わないでおく。

 

「昨日は言えなかったけどね。私たちの妹は私たちに感謝しながら逝ったの。もちろん、自分が私たちの方になれないのを知っていてね」

 

 最期に三人で握った手の冷たさにどれだけの後悔の念を抱いただろう。

 だが、そうしなければ生きていくことが出来ないと思っていた。そして、彼女が死んだ後、自分たちを知る者はいなくなり、当然のように消滅すると思っていた。

 だが、こうして三人共に騒霊としてこの世に居続けている。

 二人の妹がどう考えているかは聞いたことは無い。

 彼女が死後も思い続けているのではないか。

 話し合わずとも共有されていた。

 

「貴方もその人を思い続けるなら、受け入れて、忘れないようにすれば良い」

 

 精一杯の慈愛を込めたが、雷鼓の反応はどうも鈍い。

 まだ不安に思うところがあるというのか。

 理由を問いたいが、大丈夫と無理矢理笑顔を作って、お茶を淹れると立ち上がる。

 思念は無くなり、受け入れるようにも促した。自分で乗り越える気概を持つようにも言った。

 ルナサはここまでの彼女の会話の反応を思い返す。

 雷鼓は孤高である。だが、ここで彼女の弱さを利用すれば絶好のチャンスではないか。

 そう思うが否や口が開いた。

 

「しばらく助けてあげようかしら?」

 

 雷鼓の足が止まり「え?」と振り返る。

 

「思念は消えてもまた出てくるかもしれない。それが怖いのでしょう? 私は騒霊。一応は霊だから」

 

 後は言わずとも分かると思い、口元を緩ませる。

 雷鼓は膝から痛いだろうと思うぐらい勢いよく崩れ落ち、こちらの目をじっと見つめてくる。

 緊張の糸が切れたから彼女の目から涙が溢れてきている。

 普段の彼女なら気丈に振る舞い。涙を見せないよう、笑顔を見せてくれただろう。

 

「本当に良いの?」

「大丈夫。たとえ、悩みは孤独であっても共有することはできる」

 

 付喪神として確固たる地位を築いていたであろう雷鼓。しかし、自身でも予期せぬところから綻びを見つけられ、一気に付け込まれた。

 優しさは堅牢な砦でなければ、ただの脆い砂上の楼閣。

 揺らがぬ信念を持たなければ、隙間を見破られ、狡猾な者に容易につけ込まれる。

 今の雷鼓はルナサに心情を吐露し、救いを求めることしかできない弱者。

 

「ごめんなさい。こんなことでしか親友を作ることができない私で」

 

 耳元で囁かれているせいか、普段以上に心に響いているはずだ。

 このようなことでしか友人を作ることができない性格と能力を持つルナサにとって弱みを見せた相手ほど獲物となる者はいない。

 

「大丈夫……ありがとう……」

 

 ルナサに依存しているわけではない。自身でそう思っていても傍から見れば彼女がいなければならないように見られるだろう。

 

 雷鼓曰く、翌日からあの声は聞こえなくなったらしい。

 そして、以前のように音楽に熱中し、三姉妹に対して持ち前のリーダーシップで活動を引っ張っていく姿を見ることとなる。

 

「いや〜打上げの一杯は最高だねぇい」

「メルラン姉さん飲み過ぎ〜」

「んもーリリカも人のこと言えないでしょ〜?」

 

 意味もなく笑い合う二人の声が騒霊の館の一階にあるリビングに響き渡る。

 ライブ後に夜雀の屋台で飲もうといつも通りメルランが他を誘ったところ、雷鼓も久々に参加すると言った。

 それに気を良くしたメルランとリリカが飲み過ぎて危ういことをし始めたため、屋台から強制退去を命じられてしまった。

 幸い、ルナサと雷鼓が陳謝と音楽の付き合いもあるからと出禁は免れた。

 まだ飲みたいと聞かない二人に嘆息しつつも「雷鼓が一緒だから〜」と聞かないため、仕方なく屋台の残りと人里で買い足したもので二次会を開いている。

 だが、どんちゃんしているのはルナサとリリカだけでルナサと雷鼓は呆れつつ酔いが酷くならないように薄い酒をゆっくりと飲んでいる。

 止める機会を伺うが、すっかり出来上がっている二人はメルランのテンションに影響を受けているであろうリリカによって隙が無い。

 ルナサはもう駄目だと思い、溜め息を吐く。

 

「ちょっと席外すわ」

「私も」

 

 立ち上がると雷鼓も同調して立ち上がる。

 

「えー、どこ行くのー?」

 

 リリカが口を尖らせ、コップを掲げる。

 もっと飲めと言いたいのだろうが、首を横に振る。

 

「別室で酔いを醒ますだけだから」

「右に同じく」

 

 リリカが「はーい、ごゆっくりー」と言って、再びメルランと酒を飲み合う。

 戻ってくる頃には潰れているだろう。

 久しぶりに雷鼓がいるとはいえ、介抱をさせられるまで飲むのは勘弁してほしい。

 二人は階段を上がり、二階のルナサの部屋に入る。

 部屋の真ん中辺りまで歩くとルナサが振り返り、少し両腕を広げる。

 それを合図に胸に向かって雷鼓が躊躇いなく飛び込んできた。

 

「落ち着く?」

「うん……ごめんね。声が聞こえなくなってもこんなことしてもらうなんて」

 

 あれから数十日が経ったが、彼女は未だに依代への恐怖が拭えないらしい。

 以前、白玉楼に顔を出した際、そこの主にそれとなく最近の状況を聞いたが、ノリが良くて活発な亡霊が数日いたらしい。

 その亡霊について興味を持ち、地霊殿の化け猫を通じて話を聞いたところ、ある妖怪にようやく振り向いてもらえたと意味深なことを言っていたと首を捻っていた。

 また、何故か白玉楼にいた地霊殿の主にも雷鼓の状態について聞いた。やはり、トラウマは根本が解決してもすぐに拭えるものではないらしい。

 しばらく一人でいる時間を減らすべきではとアドバイスを受けたルナサは放っておけないと彼女を保護することにした。

 躊躇っていたが、彼女も頼れる者がいないと承諾し、こうして甘えてくるようになった。

 

「良いのよ。別に一人妹が増えたって」

「ちょっとそれは……」

「ふふっ、ふざけすぎたかしら?」

「……いや、この様だと何も言えないわ」

「でしょ?」

「結局、私、騒霊にも憑れちゃったか」

「違うわよ」

 

 雷鼓が首を上げる。

 普段、背の高さから見下される彼女の顔を下から見ることに若干の危うい思考がよぎるが、ぐっと堪え、微笑みを浮かべる。

 

「あなたは私に望んで憑いた」

「そうね……」 

 

 雷鼓は部屋中に響くような溜め息を吐き、再び胸に顔をうずめる。

 

「やっぱり付喪神失格だわ〜」

「……大丈夫よ。これは私たちだけの秘密だから」

 

 そう言って、ルナサは彼女の頭を撫でる。

 これは二人だけの秘密で良い。

 今は姉のように思われているだけで良い。

 姉として培った母性がただ雷鼓を愛しいと思っている間、依代と同化して、憑れる者がいなくなった親友に取り憑いていられる喜びを抱いていたい。

 ただそれだけである。


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