東方喜怒哀楽譚   作:北極星

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怒【定めの檻】

「今日はどのようなことで?」

 

 空が茜色に染まり、妖怪の活動が活発化する危険を顧みず、稗田阿求は八意永琳の診察を受けに永遠亭を訪れていた。

 そろそろ今日の営業を閉めようとしていたであろう夕方の突然の来訪にも気にせずに彼女は患者ならと快く通してくれた。

 

「寿命を延ばせるか伺いたく」

「はい?」

 

 永琳の呆れた声が診察室に響く。

 窓を打ちつける秋のやや肌寒い風と声が外に漏れないよう、壁を厚くしているため、多少語気を強めても外には聞こえない。

 

「貴方に出来るかどうかは分かりませんが」

 

 永琳が正気を疑うような目を向けてきたため、低い声で阿求は応える。 

 ここまで彼女は藤原妹紅の助けを借りお忍びで、妖怪が活発になりにくい新月の日を見定めるという事前準備を万全に永遠亭に向かった。

 阿求が主を務める稗田家は人里に体調を診てもらうためのお抱え医者がいる。にもかかわらず、こうしてわざわざ永遠亭を訪ねてきて、聞かされたとんでもない発言に、正気なのかと永琳が彼女の目をじっと見つめてくる。

 阿求も少しでも目を逸らせば邪心ありは見なされるだろうと本気であることを示すため、真っ直ぐに見返す。数秒の後、気持ちが伝わったのか「理由を伺っても」と目つきが元の患者に対する穏やかなものになる。

 

「長生きしてみたいと思いたくなった……では、説明不足でしょうか?」

「友人のことを憂いているのであれば、正直に言ってもらえると助かります」

 

 永琳は数秒の間隔も空けずに回答してきた。 

 さすがに元々、月の住民であったと思われる人物である。技術だけでなく、その明晰な頭脳は羨ましい。

 

「一時の友情に揺り動かされるほど、私もやわではない。と申し上げたいですが、少しだけ普通の人としての欲が出てしまいました。それこそ、覆い隠せないほどに」

 

 阿求は御阿礼の子として幻想郷の妖怪についてまとめた書物「幻想郷縁起」を編纂するという役目を務めている。そして、そのための知識を蓄えるため、御阿礼の子は千年以上前から転生を繰り返している。

 その代償として普通の人間よりも短命であるという宿命がある。

 永琳は定められた宿命に抗うほどの思いに駆られたのであれば、それ相応のものがあると身構えていたようだが、拍子抜けしたように椅子にもたれかかった。

 

「貴方の身にある運命を聞いたことはあるわ。短命である代わりに転生を繰り返し、幻想郷の資料を編纂し続ける。と」

「はい」

「それに抗うのは、幻想郷の貴方の立場を揺るがし、周囲を敵に回すことになる。違うかしら?」

 

 紛うことなき正論を受けるが、阿求は窮せずに切り返す。

 

「たとえ、幻想郷全体が私に襲いかかろうとも、できるだけ長くの時間をともに過ごしたいと思う相手ができたとすれば、抗いたくなるものです。あなたもお分かりでしょう?」

 

 永琳の表情は一見、何も変わっていないように見えたが、一瞬阿求から見て左の眉毛が数ミリ動いたのを見逃さなかった。

 伊達に幻想郷を調べてはいない。

 彼女と屋敷の奥にいるであろう姫との何らかのやんごとなき関係があることをすでに把握している。

 永琳は肩をすくめ、小さく溜め息を吐く。

 

「……分かりました。問題は人間であるあなたに対して、それなりの薬を調合できるかどうかです。そのためには色々と検査をしなければなりませんが、よろしいですか?」

 

 阿求は表情が緩むのを堪えるように力強く頷く。

 

「準備が必要です。整い次第、使いを出しますので、またこちらまで来ていただけますか?」

「分かりました。いつ頃になりますか?」

「それも分かりません。長らくこちらで多くの者を見てきましたが、あなたのような方は初めてなので」

 

 悪びれる様子もなく言ってくれた。だが、悪い気はしない。

 普段、人里ではあれやこれやと気を使わされる阿求にとって遠慮なく応対をしてくれる者の方が珍しく、新鮮な感じを不快に思うほど度量も狭くない。

 

「お手間をかけます」

「いえ、こちらも……失礼。何でもございません」

「ふふっ、はっきりと言っていただいて良いのですよ? 以前、読んだ外の世界の本でも『どんなに簡単な技術でも練習をせずに習得することは出来ない。逆にどんなに難しいものでも、繰り返し練習すれば誰でも身につけることが可能なのである』という薬師の言葉を見ました」

 

 そう言いながら阿求は自身の胸に手を当て、改めて永琳の目を見て、口を開く。

 

「どうぞ、私を練習台にしてください」

 

 永琳は天を仰ぎ、大きく息を吐く。そして、首を横に振りながら視線を再び阿求に合わせてくる。

 彼女は変わらず永琳を見続け、決断に揺らぎがないことを無言で伝える。

 数秒の後、永琳の方が苦笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「そこまで言われて断れば、医者の名折れね……分かりました。稗田阿求。あなたの依頼、必ずや果たしましょう」

「ありがとうございます」

 

 診察室に入ってから初めてこの空気が軽くなったと阿求は感じた。ようやく、永琳も心から願いを聞き入れてくれたのだろう。

 

「このことは内密でお願いいたします」 

「もちろん、承知しております」

 

 その後、永琳によって様々な診察や問診が行われた。

 あれやこれやと行ったため、時間があっという間に過ぎていき、人が外を出歩くには危険な時間帯になっていた。

 それに気が付いた永琳が今日はこの辺りで、と検査を切り上げる。

 次に来ることができる日を聞かれ、おおよそのスケジュールを思い出し、調整を付ける。

 廊下を歩いている途中で、永琳は弟子である兎の名を呼ぼうとしたが、妹紅を護衛として依頼していると丁重に断る。

 だが、苦笑いを浮かべられ、縁側に通される。永琳の指差す先を見ると夕焼けと夜が入り乱れる空に激しい光線が広がっていた。

 噂に聞く不老不死同士の死闘だろう。

 永遠亭の姫と妹紅の関係は当然知っている。大方、待機していたところを姫に因縁を付けられ、それに応じたというところか。

 二人の間では血みどろの争いだろうが、反則弾幕だろうが、外野から見ていると炎と七色の玉のような弾幕が乱れる光景は美しく、この黄昏時も相まってなおさら見惚れてしまう。

 記憶に残しておかねばと阿求の目は紅蓮と多彩な色が織り成す弾幕と夜空へと変わる背景の空模様を視野一杯に落とし込む。

 彼女たちが描く弾幕は人里から遠目で何度か見たこともあったが、永遠亭という間近で見れるとは思いもしなかった。

 二人が死なない者同士であることも幸いし、普通の人間や妖怪同士の弾幕ごっこよりも長く、遠慮がない。本来の弾幕ごっこは美しさを要するが、彼女たちの殺し合いにそのような考えなどない。ただ、殺意しかない争いの中でも自然と映えてくるのは彼女たちがおそらく良い育ちをしてきたことの表れに違いない。

 不意に阿求の思考に一人の少女の姿がよぎる。

 ここにいない親友に見せれば今の自分以上に目を輝かせていただろう。

 帰って自慢してやれば今度一緒に見に行きたいと駄々をこねるかもしれない。

 だが、ここは迷いの竹林。

 夜雀など危険な妖怪もいるのに自己防衛手段を持たない自分たちがどうやってここまで迷わずに行くのか。妹紅が何度も依頼を承諾してくれたとして、ここの姫とどうやって突き合わせるのか。

 懇々と問うてやれば悔しそうに頬を膨らませるだろう。

 それが面白く、そして愛おしくてたまらない。

 再び空へと意識を集中させると弾幕の勢いが少し弱まり、徐々に光が薄れていった。

 

「どうやら終わったようね」

 

 その言葉に我に返り、斜め後ろに控えていた永琳に振り返る。

 こちらの視線に気付いた彼女は苦笑いを浮かべ、再び視線を空へと移す。その動作を見て、阿求は自分の行動を恥じて詫びを入れる。

 いくら永琳からすれば客とはいえ、これほど待たせていてはただの迷惑この上ない。

 幸い、彼女は貴方のような編纂者であるなら致し方ないと手をかざしてくれた。 

 

「それで、どうします? 良ければ泊まっていただいて構いませんが?」

「いえ、それはさすがに……」

 

 屋敷には遅くなるかもしれないと伝えてあるが、さすがに外泊に変更するとまでは伝えていなかった。

 急遽、変更ということでも良かったが、医療機関である永遠亭となれば要らぬ噂が立つ可能性もある。だが、肝心の護衛は姫様との戦闘で消耗しており、万が一が起きればということもある。

 阿求は先程の護衛の件をこちらから頼むと願うと永琳が「優曇華」と先程口にしかけた妖怪兎がやってきた。

 確か名前を鈴仙・優曇華院・イナバと言ったか、と脳裏の記憶を辿る。

 ふと、彼女の肌色と声色が人里によく来ている薬売りにひどく似ているような気がしたが、気のせいということにしておくべきだろう。

 永遠亭のおかげで人里の薬師たちではどうにもならない病気も治っている者もいるため、家康ここは持ちつ持たれつのままにしておくのが良い。

 特に会話も無く、阿求は鈴仙に人里手前まで送ってもらい、屋敷へと戻る。  

 帰りが遅くなった主人を心配する使用人たちがあれやこれやと問うてきたが、適当にあしらうと自室に戻る。

 用意されていた冷めた夕食をさっさと食べ、机に向かう。

 今日見ることのできた永遠亭の姫様と竹林に住む不老不死の戦いを記録する。すでに見終えたというのに、興奮冷めやらぬ心を落ち着かせながら理性的な文章を書いていく。

 数十分経ち、書きたい分量を書き終えたところで仰向けに倒れ込む。

 時刻はすでに深夜となり、そろそろ寝なければ寝不足になる。

 明日やるべきことを頭の中で整理すると後は寝間着に着替え、布団に入るだけだ。しかし、今日はどうにも心が昂っていて、眠気が来ない。

 あれだけの検査をさせられ、さらに継続する。それだけでなく時折、納得したような表情で頷いていた。

 期待するなというのが無理というもの。

 使命を全うすべき者として生を受けながら、それに少しでも抗いたいという思いを抱かせた。そのような自分を狂わせた存在を放置するなど有り得ない選択だった。

 五年でも十年でも長く共にいたい。

 ただの貸本屋の娘で年がさほど変わらないという間柄からここまで一方的でも想いを抱くようになった彼女の罪は深い。だからこそ、阿求は決心していた。

 この願いが成功しようと失敗しようとその先で、彼女に自身の想いを伝えると。

 たとえ拒否されてもこの先、忌避されることは無いだろう。だからこそ、永遠亭への依頼は胸に秘め、時が来れば伝える。

 いつも不安をかけさせる彼女へのささやかな仕返しをしてやるのだ。

 その時の反応を予想すると自然に笑みがこぼれてしまう。

 

「こんばんわ」

 

 唐突に聞こえた頭上からの声に反射的に起き上がる。

 

「あなたは……」

 

 阿求の表情に嫌悪と畏怖が浮かぶ。

 何の前触れもなくスキマを使い、不法侵入してきた八雲紫は突然の訪問に詫びも入れずに相対する場所に座っていた。

 

「このような夜更けに何用です?」

「少々お話をいたしたくて」

 

 時折、話したりすることがあったが、阿求は紫のことが好きになれない。何を考えているかも分からない飄々とした言動は妖怪たちからも嫌われている。

 だが、幻想郷の賢者であり、一応の客であると使用人を呼び、茶を出させようとするが、当の紫から結構と断られる。

 

「本日は、御阿礼の子であるあなたの言動に不穏なものを感じたのでこちらに参りました」

「何のことでしょう?」

「永遠亭にて、何を話していたのです?」

「ずいぶんと単刀直入ですね」

「大事なことです」

 

 趣味の悪い賢者だ。内心、阿求は毒づく。大方、わざわざ妹紅に依頼をしてまで里から竹林に向かったのを偶然見つけ、永琳とのやり取りを遠くから覗いていたのだろう。

 

「まさか、検査の間も見ていたのですか?」

 

 強く睨むと賢者は扇子を開いて笑う。

 おそらく覗かれていただろう。

 

「さて、本題から逸れる前に、もう一度聞きます。稗田阿求、あなたは今日、永遠亭で何をしていたの?」

 

 嘘は許さないと吊り上がった目で問うてくる。

 だが、阿求とて多くの妖怪と交流してきた身である。自分の心を落ち着かせるように内心、息を吐き、口を開く。

 

「里の薬師では難しいと思った症状の相談を」

「具体的に症状とはどのような?」

「個人的な話ですので控えさせていただきます」

「あら、それで終わり?」

 

 紫は禍々しい妖気を解き、残念そうに眉を潜ませる。

 

「お邪魔しました。これでお暇します」

 

 スキマを開き、本当に去っていった。

 

「なんだったの……」

 

 阿求は首をひねる。問い詰めることもせず、何か長話をしに来たわけでもない。

 色々と真意を考える。だが、あの賢者が元から自分の真意をさらけ出すような真似をしたことなどほとんどない。

 不安と悔しさを抱きつつ、阿求はそのまま布団に潜り込んだ。

 それから数日はいつものように執筆に励み、時間を見ては小説を書いて小鈴の下に持っていくことを繰り返す。

 あの化け狸の頭領や面倒な烏天狗も見かけることなく、落ち着いた日々を過ごせることができた。 

 しばらく経ったある日の昼。

 再び阿求は使用人たちに寺子屋の先生と話し合うと嘘をつき、永遠亭に向かう。

 途中で妹紅と落ち合い、人里を出て竹林へ入る。

 道すがら何匹か兎を見かけ、今夜は兎鍋にでもしようかと思いながら進むと目的の場所まで到着する。

 一旦、妹紅と別れ、遠慮なく扉を開く。

 

「ごめんください……あら、どうも」

「あ、ど、どうも……」

 

 ちょうど、妖怪兎がどこかに出掛けようと草鞋を履いていた。

 阿求の顔を見るなり、少し慌てたように視線を落とし、準備を早めている。大方、普段人里でよく見かけられる白い服をまとい、後は耳を隠すための傘を被れば準備ができる段階の姿を人に見られたことに焦ったのだろう。

 そそくさと立ち上がり、外に出ようとしている彼女に近付き「いつもありがとうございます」と小さい声で言うと垂れ気味だった耳がぴんと立ち、何も言わずに脱兎のごとく外へ出て行った。

 少し悪ふざけがすぎただろうかと思いつつも永琳の下へ向かう。

 外から声をかけると中から「どうぞ」と聞こえたため、戸を開く。

 

「特に体調の変化はない?」

 

 患者用の椅子に腰掛けるとすぐに問診が始まった。

 あれやこれやとつつがなく進み、次に触診に移ると永琳が阿求との距離を詰めた時、外から廊下を走る音が聞こえてきた。

 

「何事でしょう?」

「さぁ、うちの者では無さそうですが」

 

 ここの薬師は頭脳だけでなく、他の感覚にも優れているのかと記憶する。

 念のためにと永琳は阿求を背後に下がらせた。

 足音はこの部屋の前で止まり、同時に勢いよく扉が開かれた。

 

「阿求、大変だ! 人里で騒動が起きた!」

 

 妹紅が息を切らしてやってきた。

 異変ならば自分ではなく、霊夢の下に行けば良いだろう。彼女なら危険がある博麗神社への道中も問題なく進める。

 そもそも、彼女とて異変解決に乗り出したこともあった。

 阿求と永琳の落ち着いた雰囲気を受けて彼女も一つ息を吸うと一気に詳細を話す。

 

「すでに慧音が里で避難をさせている。霊夢のところにも里にいた奴が向かった。問題は騒動の内容だ。火事が起きて四分の一は巻き込まれているらしい。それで……それを起こしたのは小鈴だ」

「えっ……」

「何でも、どこからともなく火を出して家という家を喜々として燃やしているとか」

 

 阿求は声を出せず、唇を震わせることしかできない。

 そのような芸当を小鈴ができるはずがない。

 その先に見える結論付けを信じたくない。それだけは決してあってはならない最悪のシナリオである。

 だが、妹紅はその脆く儚い希望を簡単に踏み潰した。

 

「言いたくないが……間違いなく、小鈴は妖怪化した」

 

 阿求の周りの時間が止まり、頭だけ働いている感覚になる。

 妹紅が最後に発した騒動の首謀者。

 たしかに小鈴は里の人たちとは違う妖怪への価値観を持っている。

 だが、あの子はそのようなことをするはずがない。そうでなければ博麗の巫女が普通の人でありながら自分のようにこちら側に招かないはずがない。

 そもそも、彼女は人として妖怪との取引をすることができる自分の立場に誇りを持っていた。人里の人間が妖怪化することの意味もよく分かっていた。

 だが、妹紅の言っていることが真実だとすれば、この推測は全て事実であり、現在起きている。

 今、刻々と小鈴は人里を危険に晒している。それは幻想郷の維持に関わる問題であり、どれだけの命を償おうとも償えない。

 たとえ、稗田の御阿礼の愛しい人であっても。

 

「阿求!」

 

 妹紅に肩をつかまれ、顔を上げる。

 

「気持ちは分かる。だが、事実だ。間違いなく、小鈴が暴れている」

「本当にそうなの?」

 

 まだ口を開くことのできない阿求の代わりに永琳が尋ねてくれた。

 

「私もこの目で見たわけじゃないが、慧音が間違いないと言っていたらしい。鈴仙ちゃんが慧音に聞いたんだと」

 

 どうやら、あの妖怪兎は人里の異変を見て、急いで戻ってきたらしい。

 

「あの教師がね。だとすれば、かなり確実性の高い情報ね」

「阿求、急いで戻ってくれ。慧音が住民たちを守りながら小鈴を止めているんだ」

 

 信じたくないが、妹紅や慧音が嘘をつくとは思えない。鈴仙も永遠亭という主のお膝元で師匠の客に対して偽りを言うことも無いだろう。

 阿求は最後に力無く頷いた。

 

 人里の騒動は一日で治まった。

 阿求が慧音の代わりに人里の住民たちを避難を誘導し、妹紅と慧音が小鈴の対処に当たった。霊夢も途中で参戦し、彼女の動きを止めた。

 被害にあった家の火を騒ぎを聞きつけた守矢の巫女の奇跡によって雨を降らせて延焼を止めた。

 小鈴は逃亡しようとしたところを人里の外で天狗の文屋に捕らえられ、密かに博麗神社に運ばれた。

 厳戒態勢の中、本殿で霊夢と早苗によって様々な処置を施されている中、阿求はただ縁側で両手を握るしかなかった。

 推測通り小鈴は妖怪化した。霊夢曰く、以前も同じようなことがあったらしい。だが、前回と違い、何故妖怪化したのか根本が分からないため、難しい判断を迫られる可能性もある。

 そう神社の境内で言われてから数時間。

 二人の巫女は全く出てくる気配を見せない。

 

「お願い……」

「そんなにあの子が恋しい?」

 

 目を見開き、左隣を見る。

 スキマから現れた紫がいつの間にか座っていた。

 

「いつからそこに?」

「質問を質問で返すのは良くないわ」

 

 子に言い聞かせるような物言いに、思わず舌打ちしたくなったが堪える。

 

「答えるつもりはありません」

「あら、つれない」

「では、あなたは私の質問には答えてくれるのですよね?」

「……ええ、答えられる範囲では」

 

 一瞬の間を置いて、紫は余裕のある笑みを浮かべる。

 たとえ、手のひらの上で踊らされている身であろうと答えてもらわなければならないことがある。

 阿求は姿勢を整え、彼女の目を見る。深淵を覗くようで少しでも気を緩めれば飲み込まれてしまうだろう。

 

「こうなること、あなたなら知っていたはずでは?」

「あの子のことなら何も知りません」

「なら、私が永遠亭に行った時にこのようなことが起きたのです?」

「偶然でしょう」

「なら、何故ここにあなたはいるのです?」

「偶然スキマで騒ぎを見ていました」

「私が永遠亭に行くことを知っておきながら?」

 

 紫はくだらないと言わんばかりに笑みを浮かべながら扇子を扇ぐ。

 証拠を出せと言われて妖怪に出せるようなものなど無く、全てが阿求の推測でしかない。だが、自分の密かな行動を知っているのは八意永琳だけのため、全てを知ることができる能力を持っているのは目の前にいる八雲紫や摩多羅隠岐奈ぐらいしか心当たりがいない。

 隠岐奈はよほどの危機でない限り動かずにいることが多いと記憶している。

 紫も直接手を下すことは少ないが、それでも状況証拠を考えると彼女しか真犯人が思いつかない。

 

「あくまでも白を切るつもりですか? 霊夢に言っても良いのですよ?」

「構いません」

「その発言、認めましたね?」

 

 語るに落ちた。

 心中で勝ち誇るが、紫の表情に変化は無い。彼女の頭の中ではこれを言うことさえも計算の内だったのだろう。

 ならば、彼女がわざわざここにやってきた理由は何だろうか。

 思案を続けているといつの間にか紫が耳元に近付いてきていた。

 

「私は幻想郷の賢者よ。知っているでしょう? 稗田の御阿礼」

「全てはあなたが正義だと?」

「全ては幻想郷のためです。あなたも私も幻想郷をまとめ、そして縛られている」

 

 口を噤むしかなかった。

 紫の気迫に押し負けたわけではない。管理する側にいる者として自覚していたことを言われたからである。

 

「あの子はあなたの使命を危ぶませる。つまるところ、幻想郷にとって火種となった。あなたが彼女に友情以上の思いを抱かなければね」

「それで割りを食うのは力無き人間と?」

 

 紫は笑みを消し、真顔で口を開く。

 

「減った分は足せば良いのよ」

 

 頭を金槌で殴られたような衝撃が走る。

 幻想郷は人と妖怪のバランスによって存在を保たれている。だが、賢者である彼女は人間を捨て駒としか見ていない。

 たしかに繁殖力は人間の方が上でだが、強さで劣る。

 そう思われても結構。だが、小鈴はすでに普通の人間ではなく、こちら側であった。そのような稀有な存在さえも簡単に変えられるというのか。

 怒りに震えながら阿求は彼女の胸ぐらを両手で掴む。

 

「あなたは、私たちをなんだと……!」

「私たち?」

 

 紫は阿求の手をいなすと扇子を彼女へ真っ直ぐ伸ばし、笑みをかき消した。

 

「ただの人間はどのような形であれ、何千、何億という月日は生きることはない。でも、あなたは魂を転生し続ける。それは果たして普通の人間と言えるのかしら?」

 

 血が滲むほど唇を強く噛む。

 人間は本来、生きていた頃の罪を背負い、様々な苦痛を地獄で経て、新たな生を無の状態で受ける。それは人であるという保証も無く、罪が重ければ畜生などに堕ちるとされている。

 だが、稗田の御阿礼はどうだ。

 地獄で罪を償い、何事も無かったかのように僅かな記憶を持って人として再生する。

 その運命は普通の人間ではない異端である。

 そのような生来より特別な存在が好奇心故に、こちら側に連れ込んだ普通の人間と本来交わることなど許されない。

 阿求は乱暴に両手で顔を覆い、前髪を痛くなるぐらい強く掴む。

 

「さぁ、稗田阿礼。本居小鈴は人里の人間として犯してはならないことをした。博麗の巫女に退治を依頼なさい」

 

 そう言うと紫の背後にスキマが開き、そこに飲み込まれていった。

 阿求は本殿を見る。

 まだ巫女の二人は出てくる様子がない。

 おそらくもう無理だと分かりつつも小鈴のために手を尽くしてくれている。

 あのような事態に巻き込まれ、稀有な存在とならなければあの二人は躊躇なく小鈴を殺していただろう。

 不意に思い出す。

 そもそも、紫が彼女をこちら側に招いた張本人ではなかったのか。

 だが、紫は自身が退治されることも計算済みだろう。

 今ここであの二人に事実を話したとして小鈴が元に戻るとは思えない。妖力などには素人の阿求でさえ、あの賢者がこしらえたものは強力であると感じされられた。

 もはや、為す術もない。

 天を仰ぐと早く出てきた満月が阿求を嘲笑うように輝きをみせている。

 しかし、行かねばと震える膝を無理矢理起こす。

 自分は人間であり、人里の有力者であり、稗田の御阿礼である。

 本殿の戸を叩くと霊夢が顔を見せる。

 自分がどのような顔をしているのか、自分には分からない。だが、堪えきれない涙と愛する者をこれから失うことへの絶望から酷く醜いものを見せているのだと二人の巫女が向けてくる驚愕と悲壮な表情から分かる。

 

「霊夢、早苗……ごめんなさい」

 

 それ以上何も言えずに俯く阿求に、駄目だと泣き喚く早苗、唇を血が滲むほどに噛む霊夢。

 何を言っているのかもう耳には入らない。

 意を決して頭を下げ、何も言わずに振り向く霊夢の足音とそれを必死に止めようとする早苗の声を聞くしかできなかった。

 

 躊躇いによる時間がかかったものの、最終的に霊夢によって親友は葬られ、博麗神社の裏に埋められた。

 人ならざる者となった以上、家族と同じ墓には入れない。

 それから呆然としたまま霊夢と早苗に人里に送られた。二人の巫女によって屋敷の者たちは阿求を問い詰めるようなことはせず、静かに眠れぬ夜を過ごした。

 翌朝、阿求は一睡もできないまま身支度を整え、博麗神社に向かった。

 そして、昨日のことについて話を聞くために口を開く。

 だが、二人はそもそも何故博麗神社で共に朝を迎えたのかよく覚えていないと平然と言ってきた。

 親友のこと故、多少の苛立ちを覚え、小鈴に起きたことを忘れたのかと咎める。

 

「小鈴? 誰よそれ」

「小鈴さん……えーっと……すみません、分からないです」

 

 返ってきた答えに阿求の思考回路が真っ白になった。

 昨日、あれだけ必死になって助けようとした小鈴を簡単に忘れる。

 霊夢や早苗は人に嘘をつき、すぐに忘れるような薄情な性格ではない。

 嫌な予感を抱き、周囲に潜む危険も忘れて人里に戻った。

 鈴奈庵に向かい、小鈴の両親の許可を経て、彼女の部屋だった屋根裏部屋に入る。

 いつもなら部屋の周りを囲むように置かれた本の山の真ん中にあるはずの布団が無く、代わりに本の山が置かれていた。

 聞けば、店に置けない本がここには積まれているだけだと言う。

 それとなく、子供のことも口にしたが、うちは子宝に恵まれなかったと苦笑された。

 確信を得つつも信じたくない自分の思うがままに聞き込みを続ける。

 だが、人里に紛れた化け狸の頭領や烏天狗に聞いても、知らぬ存ぜぬと首を横に振られ、関わりのある霧雨の魔法使いや紅魔館のメイドさえも真顔で首を傾げられ、挙げ句に「疲れているんじゃないの?」と労られてしまった。

 小鈴の記憶を全て失わせる能力を持っている者に目星をつけ、すぐに寺子屋に駆け込んだ。

 本来、授業中のはずだったそこには慧音以外誰もおらず、入口には急遽だが、今日は休むという旨が書かれた貼り紙があった。

 構わず中に入るとあれこれと整理をしている慧音を問い詰めた。だが、彼女は多くを語らず項垂れるだけだった。

 

「何も聞いてくれるな……ただ、すまない……」

 

 そう言うと阿求は追い出された。

 悔しそうに語る慧音の唇が震えていたのを見て、心に恐怖が宿っているのだと察した。

 錯乱していた阿求でも彼女の裏にいる者の姿が見えた。思えば昨日が満月であり、慧音の能力が一番に発揮される時に日にちを合わせてきたのだろう。

 なんと緻密に計算された計画だったのか。それに気付かないほどに盲目になっていたことさえも賢者の計画を容易にした。

 

 本居小鈴という人間は幻想郷から消された。

 

 彼女が鈴奈庵にて妖魔本を取り扱い、妖怪と相対することができる存在であることすら誰も知らない。

 悔しさから阿求は屋敷に戻り、ただむせび泣くしかできなかった。

 全ては阿求が自身の宿命に抗い、小鈴と長く共にいたいと思ったからである。彼女に罪は無く、ただ巻き込まれただけに過ぎない。

 自分の思い上がりのせいでその人生を滅茶苦茶にしただけでなく、誰にも悲しまれずに消えていく哀れな存在へと貶めた。

 彼女が怨霊になってもおかしくない状況を作った。

 罪を自覚し、彼女の後を追い、死ねるのであればどれだけ楽だっただろう。だが、妖怪の賢者によって彼女の式が監視役として屋敷の者たちにも知られず密かに自分の行動を見ているに違いない。

 そのことを一通り涙が枯れた後にやってきた九尾の狐の口から直接言われた。

 「命令故、よろしくお頼み申す」と随分機械的な声で。

 そして、永遠亭からの音沙汰も消え、薬を売りに来た兎にも声をかけようとしたが、明らかに距離を置かれるようになった。

 何かの因果を含まれたのか分からない。

 だが、これで阿求は自分が完全に孤独になったのだと理解した。

 これから死ぬまで見えない檻に閉じ込められ、ただ御阿礼の子として使命を果たしていく。

 何と色の無い単調な世界なのだろう。

 たかが一人の親友がいなくなっただけと周囲は言うかもしれない。

 しかし、阿求にとって側にいてくれる人がいることにこそ稀少である。

 改めて自分が完全に孤立したと実感した。

 普通の人にもなれない。

 小鈴の後を追うことも許されない。

 ただ、人と妖怪の存在がいかなるものかを知ってもらうためだけに生きる。

 そこには義理も人情も友情も無い。

 目の前にある真っ白な紙に幻想郷に群がる妖怪たちの実態を、このような檻の中に閉じ込めた憎しみのままに記していくだけの存在となった。

 ふと外に目をやると箒にまたがり、笑顔で自由に空を飛ぶ魔法少女がいる。

 彼女も良家の娘だった。

 だが、もはやこのような檻の中にいる自分と対比することもできない。

 あの自由奔放な博麗の巫女と唯一肩を並べられる存在にいることに嫉妬するだけ。

 

 稗田阿求は今日も幻想郷の人のために「幻想郷縁起」を編纂する。その中に書けない事件を記憶に残したまま。

 それは、阿求の記憶にのみ残される記憶。

 それは、彼女の頭の中だけにいる親友であり、事件の中心にいた人物。

 使用人曰く、最近の彼女は没頭することが増えたらしい。

 しかし、止めようにもまとう怒りを抱いているかのような気迫が周囲を寄せ付けないため、必要以上に声をかけられないようだ。

 さらに妖怪に関する記述を掃除の際に盗み見た時、ずいぶんと辛辣な評価に変わっていたのも印象的らしい。

 特に幻想郷の賢者に対する評価が以前より厳しくなり、記述も偏見しているように感じられる。

 幻想郷に住む者は誰もが購読可能な幻想郷縁起を読み、そう評して首を捻った。

 妖怪は言わずもがな、ここまで異変を解決する人間たちにも過激であったか、と。

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