春。
穏やかな陽気が地上を包む季節になり、冬を耐えた木々や花が景色に彩りを与える。人は活発に仕事に励み、春告精があちこちで飛び回る。
その中で寺院は四季折々の雰囲気を境内に見せながらも変わらぬ荘厳たる威容を持ち、水が滴る音さえ高らかに響くほどに静かで、訪れる者の心を嫌でも清く穏やかにさせる。
それがいわゆるごく一般的な普通の寺院である。
「はぁ!」
「おりゃあ!」
幻想郷にある唯一の寺、命蓮寺の境内に空を飛ぶ二人が繰り出す弾幕と肉弾戦によって気合いの入った声が響き渡る。同時に空気が歪むほどの衝撃波に周囲の木々に止まっていた鳥が驚いて飛び立ってしまった。
戦いはさらに一時間ほど続く。
その間、弱気な妖精や妖怪が木の陰から恐々とその様子を探り、天狗がシャッターをここぞとばかりに切りまくり、上機嫌で事の顛末を今か今かと待っている。
「そろそろ疲れてきたのでは?」
「まだまだ。これぐらいでっ!」
汗一つかいていない余裕の表情で相手を気遣う聖白蓮の言葉を遮り、霧雨魔理沙は一旦、地面に着いて息を整えるとすぐさま空に舞い、弾幕を放ちながら距離を詰める。
その意気や良しと白蓮も迎え撃つ。
星の弾幕が交差すると思えば、息を合わせたように二人はそれを止めて、接近して拳で打ち合う。
結果、始まってから二時間程経ち、さすがに音を上げた魔理沙が境内の真ん中に大の字に倒れ込んだ。
「駄目だぁ……全っ然ものにならねぇ……」
「ふふ、なかなか厳しいものでしょう?」
隣に白蓮がしゃがみ込み、余裕ある表情で先程まで戦っていた彼女を労う。
身体強化の術に特化した大魔法使いと職業として魔法使いをしている人間では体力差があるのは致し方ない。
それを知りつつも命蓮寺で鍛錬をしてもらっているのは、ひとえに白蓮の懐の深さと魔理沙の努力家の一面が上手くぶつかったためである。
身体強化の魔法を教えてほしい。
命蓮寺にやってきた魔理沙は白蓮に頼み込んだ。
たまたま他の者たちが外出しており、寺には白蓮と毘沙門天代理として本堂にいた寅丸星しかいなかったため、真正面から飛び込んできた。
がめつさがある魔理沙は他の場所なら迷惑がられるだろうが、彼女のことを高く評価している白蓮は誰にも言わないという条件も熱意も全て受け入れ、時間を見つけては修行をさせている。
「ですが、前にも言ったように、この魔法は私が長い年月をかけて会得したものです。それこそ、人の寿命ではとても……」
「寿命ねぇ……」
申し訳無さそうにする白蓮をよそに魔理沙は青空を見上げ、溜め息を吐く。
魔法使いを称しているが、中身はただの人間である。このままでいれば、後数十年で寿命を迎えるだろう。
いざとなれば都会派ぶっている腐れ縁の魔法使いのように本当の魔法使いになることも出来る。
だが、幻想郷の人間が妖怪になることは大罪である。生来、幻想郷の人間として生きてきた彼女が妖怪になれば博麗の巫女が黙っていないだろう。
その一方で、魔理沙はすでに人里での暮らしを捨て、妖怪と渡り歩くというただの人間からすれば薄気味悪い存在にもなっている。
たとえ妖怪になったとしても、誰も咎めることは無いかもしれない。
「霊夢か……」
思案にふけっていると当代の博麗の巫女の顔が思い浮かぶ。
いがみ合い、時には協力し合う腐れ縁ははたしてどちらを選ぶのか。
「どうかしましたか?」
白蓮が顔を覗き込んでくる。頭で浮かべていた人物が不意に口に出てしまっていた。考えていたことをいくら慈悲深い彼女にとて言えるわけもない。
適当に誤魔化そうと思考を巡らせる。
「いや、霊夢がこの修行をやったらどうなるかなって」
「彼女が修行をですか? あまり考えにくいですが、貴方同様に寿命が尽きるまでの会得は難しいかと」
「やっぱりか……あいつは天才だから何でもやっちまいそうだからな」
思った以上に脱線してしまう内容になってしまった。
霊夢は数多くの異変を解決するため、多種多様な妖怪を退治し、幻想郷の平穏を守っている。
だが、彼女は努力を一切しない。行ったとしても数日で飽きるというような形でまともに長続きした試しが無い。だが一方で、あれが真面目に修行をするとどれだけの存在になってしまうのかとも思う。
現に彼女は、無理やりやらされた神降ろしの修行を簡単に会得した。
「それに、彼女は既に巫女として十分能力を持っていると思いますよ」
そのような思いをよそに向かわせるように聖の言葉が耳に入る。
「それなんだよ。あいつは全く努力しないくせにどうしてああも強いんだか……」
魔理沙とて人間の味方として妖怪が起こす異変を解決するために十分な実力を持っている。しかし、妖怪退治や弾幕勝負において霊夢に勝ったことは少ない。
そもそも、彼女が博麗の巫女である以上、それ相応の実力があるのは分かっている。それ故に霊夢が何もしないのに強いのが同じ人間として悔しい。
「珍しく弱音ですか?」
「違う。愚痴だ」
「ふふっ、分かりました」
負けず嫌いである魔理沙は白蓮の図星を咄嗟に返す。
先程も思案したように、彼女は博麗の巫女。
そもそも、何の努力もせずにあのように空を飛ぶことができる能力を持っていることさえ、反則的なのだ。
自身はあれだけ努力しているのに、霊夢はまるで人間という種族にとらわれないように強い。
「あ……」
不意に思ったことがある仮説へと線を結び、思わず声が漏れる。
霊夢の能力『空を飛ぶ程度の能力』は聖たちが信仰する仏教でいう
そう『何もの』にもだ。
つまるところ、極地に至れば寿命にさえも縛られることも無くなるのではないか。
彼女は最期まで人間として人間らしく、人間の味方であり続けるだろう。しかし、一歩間違えればそれを踏み外し、恐ろしい妖怪になりかねない。
可能性は低いが、万が一そのようなことが起これば、はたして誰が退治するのだろう。
黒い渦が魔理沙の体内を巡り、気管に込み上げてくるような感覚に襲われる。
「大丈夫ですか? 顔色が優れませんが」
「いや、大丈夫。少し外すな」
聖の心配を制して、魔理沙は厠へと駆け込む。
胃の中から何かが逆流してくるような気分になり、口元を押さえる。便器に向けて何度かえづくと大丈夫と何度も自分に言い聞かせ、二回深呼吸をする。
人間として妖怪を退治している博麗の巫女は、幻想郷の禁忌である里の人間が妖怪になることを防ぐ役目も担っている。現に今も何人かが対象として本人が知らぬ内に霊夢の監視下に置かれている。
しかし、その彼女が一歩間違えれば妖怪へ变化する危険性がある。
何故、一番近くにいたのに気が付かなかったのだろう。
一瞬、自己嫌悪に陥るもその答えは簡単だった。
自身も妖怪に近い存在であり、霊夢の近くに居過ぎたからだ。
人でありながら魔法に魅せられ、いざとなれば本当の魔法使いになれる自分は人でありながら異次元の強さを持ち、これほど人の道を外しているにもかかわらず、対等に接してくる彼女に惹かれた。
(所詮、同類なのかな)
一つ息を大きく吐くと厠から出る。
「大丈夫ですか?」
「……着いて来たのか?」
「いえ。少し遅かったので心配で」
「そうか」と言いつつ、全て見られていたわけではないと安堵する。
「しかし、どこか具合が悪いわけでもなさそうですが。急にいかがしたのです?」
「本当に何でもない。気にするな。じゃあ、また修行頼むな」
帽子を被り直し、そそくさと寺を後にしようとする。
「霊夢のこと、気付いたのですか?」
聖の低い口調にそれが霊夢のことを指しているのだとすぐ悟り、足を止める。
「何で今まで気付かなかったのか、分からないがな」
誤魔化せば通してくれそうだが、今更とぼけて通せるような相手ではないため、素直に気持ちを吐露する。
「そう導いていたのかもしれませんね」
「誰が……って、あいつか」
一番霊夢に目をかけつつ、一定の距離を置いている妖怪を思い浮かべる。
「霊夢はこの幻想郷の秩序を保つ博麗の巫女。人を守り、妖怪を退治する」
白蓮とは相容れない思想だが、それが幻想郷であることも受け入れられないほど、彼女は愚かでもない。
悲しげな表情を浮かべるが、魔理沙に向けられる目は人に何かを問うそれである。
「それが博麗の巫女の役目だからな」
「そう。彼女が彼女たるのであれば、このままであるべきです。魔理沙、貴方も分かるでしょう」
魔理沙は深く、ゆっくりと納得がいかないように頷く。
幻想郷に博麗の巫女は必要不可欠な存在。霊夢がそうである限り、その地位を脅かす存在は全て排除されるべきである。
仏の道を極め、多くの知見を持つ彼女であれば悟ったのはおそらく最近のことではない。それを誰にも言わずに霊夢を見てきたのは彼女にも守るべき者があるからだろう。
命蓮寺にいる妖怪たちは彼女を慕い、彼女もまた彼女たちを心から愛している。
不意に口を滑らせればあの賢者たちがどう出るか分かったものではない。そして、その恐怖は並大抵の者では押し潰されそうな重圧となって襲いかかる。
現に魔理沙は今、それを身を以て知った。
「どちらへ?」
「……霊夢の所だ」
それだけ言うと魔理沙は礼を言って、飛び立った。
だが、真っ直ぐに向かわず、霧の湖に寄り道をする。
妖精たちの馬鹿騒ぎや絡みを入れれば少しは心が晴れるかと思ったが、目的の連中はいなかった。
代わりに楽器の音が聞こえてきた。
近付くと冷静なルナサが珍しく満面の笑みでバイオリンを弾き、雷鼓がそれに合わせている。
楽しそうにしているのは良いが、二人の邪魔をするような気分ではなく、ルナサの妹たちがいない時に演奏をまともに聞くのは得策ではないとその場を後にし、仕方なく博麗神社へ再び進路を戻す。
毎日のように向かう場所だが、いつもの沸き立つような心が逆に締め付けられる感覚に襲われる。
幻想郷の東の外れにある博麗神社。この地を守るありがたい場所だが、土地柄や霊夢の性格ゆえに普通の人が来ることはめったにない。
境内に降りると霊夢の姿が無い。いつも昼過ぎには縁側でお茶を飲んでいるか掃除をしているはずだ。
「あ、魔理沙さん。こんにちは」
「お、あうんか」
後ろから声をかけられ、振り返ると高麗野あうんが立っていた。緑の尻尾が嬉しそうに左右に揺れている。
「霊夢は?」
「霊夢さんなら先程、小鈴さんに連れられて人里に行きましたよ」
「小鈴が?」
「何でも阿求さんとお二人のご依頼だそうです」
あの二人の依頼となれば、里に紛れる妖怪か、誰かが何か騒ぎを起こしたかだろう。
そうかと頷き、勝手に縁側に腰をかけると、あうんは不思議そうに見てくる。
「行かないのですか?」
「あー、ちょっと気が乗らない」
あうんは目を丸くして「どこか悪いのでは?」と心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫だって。本当に気分的な問題だから」
「そうですか。いつもの魔理沙さんなら気分が乗らない時でも霊夢さんに越されてたまるかーって飛んで行くので」
「……本当にお前って人のことをよく見てるな」
「はい! それが私ですから!」
鼻を鳴らして胸を張る。石像だった頃の記憶も残っているようで、魔理沙のこともよく知っているらしい。
「じゃあ、霊夢は夜まで帰ってこないのか」
「そこまでは分からないですが」
申し訳なさそうに彼女の尻尾が垂れる。
「いや、別にお前を責めているわけじゃないんだから。そしたら、明日また来るから、よろしく言っといてくれ」
そう言って、そのまま家に直行した。
一日寝れば、気分も変わると思ったが、心は晴れないままだった。
喉に刺さった骨のように鬱陶しい感情を抱いたまま生きていかなければならないことが嫌だった。しかし、知ってしまったことの対価を考えればそれほどなのかもしれない。
それからも命蓮寺での修行を続けつつ、霊夢が博麗の巫女の役目を終えるまで魔理沙は毎日博麗神社に行くようになった。
時折、思い詰めた表情を見せる時が増え、心配した霊夢が尋ねてもはぐらかして終わり、イライラが募った際に八つ当たりされる。
いつもの日常の繰り返しを続け、いよいよ魔理沙は彼女の能力に隠された恐ろしさを口にすることは無かった。
そして、しばらくの月日が経った後、魔理沙は自身の知的好奇心を押さえられなくなり、決心を固めて人間を捨て、文字通り魔法使いとなった。
魔法使いという立場になった後ろめたさから博麗神社に訪れることがほとんど無くなった。
一方で、霊夢が彼女を咎めるべく、退治に来ることも無かった。
彼女の情報網から魔理沙のことを知らないはずがない。
本気でやり合うことを待っていたが、待てど暮らせどやってこなかった。
腹をくくり、他の魔法使いと共に博麗神社の宴会に出たこともあった。
だが、彼女は守矢の風祝や紅魔館のメイド、半人半霊など、完全な人間や人間に近い存在を囲い、元から妖怪である存在が絡み酒をしていたため、近付くことさえできなかった。
壁か崖か分からないが、徐々に人間組との絡みも薄くなり、数年経つと完全な隔たりができた。
最初はもどかしさもあったが、自身の魔法に磨きをかけることに比重を置くようになるとアリスやパチュリー、白蓮などの魔法使い以外の人や妖怪と関わりを多く持つ必要性を感じなくなった。
立場上、異変解決もできなくなったため、数ヶ月も家に籠もることも多くなり、いつしか習慣で続けていた寝食もしなくなった。
しかし、長らく親友だった者の最期に立ち会わないほど薄情者ではない。
天狗の新聞から霊夢の死去を知った魔理沙は久々に博麗神社に顔を出した。
家に籠りがちになっていたため、久々に会う懐かしい顔ぶれと話をしたが、親友の死とはかなり心に響くものだったらしく、全く内容が入ってこなかった。
霊夢の死に顔は綺麗だった。老婆になっていたが、若い頃の風貌を残した美しい顔立ちは彼女が苦労をさほどしないまま最期を迎えたことを物語っているようだった。
彼女に向けて一礼すると人妖問わずに霊夢を偲んで飲み食いしている境内を抜け、長い階段の途中に座る。
すでに何年も前に博麗の巫女は変わっているが、霊夢は最期までに神社に居続けた。誰かと結ばれることも無く、本当に自由に生き続けたらしい。
「あら、こんな所で何してるのかしら?」
前触れもなく、隣に長髪の黄色の髪をした女性が現れる。
「紫」
「久しぶりね。ここ数年はこの辺りで見かけなかったけど。やっぱり、霊夢が亡くなれば話は別かしら?」
「当たり前だ。奴は数少ない人間の友達だったんだ」
「貴方は人間を捨てたのにね」
紫は扇子で口元を隠しながら笑みを浮かべる。
元博麗の巫女という重要人物が死んだというのに何とも思っていない目だ。
だが、言い返しても人間で無くなった自分がこのような場所で騒ぐのは良くないと踏み止まる。
「何が言いたい?」
魔理沙は低く怒りを込めた口調で紫を睨む。
「貴方が文字通りの魔法使いになった後、霊夢は寂しそうにしていたわ」
怒りを向けられてもどこ吹く風と明後日の方向を見ながらなおも言葉を続ける。
「守矢の巫女や紅魔館のメイドとは違い、貴方は霊夢が幼い頃から一緒だったからね。彼女は性格が災いしてあまり親友らしい親友もいなかったけど」
「含みのある言い方はよせ。つまり私が霊夢と唯一無二の仲だったと言いたいんだろ?」
「ご明察。まぁ、貴方もそうなってからはなかなか神社に遊びにいかなくなったからね」
確かに人があまり来ない神社に毎日のように顔を出し、近寄り難い博麗の巫女とただの人のように接してきたのは魔理沙ぐらいだろう。早苗や咲夜は自分の仕える勢力があったため、決して親友と言える間柄ではなかった。
しかし、と魔理沙は抗議の目を紫に向ける。
「悪いが、私は今でもあいつのことは親友だと思っている」
「じゃあ、貴方は親友ならどうして霊夢と同じ道を歩まなかったの?」
惹き込まれるような妖艶な笑みを浮かべる紫。
魔理沙は何も言い返せず、悔しそうに口を噤むしかない。
「出来たはずなのに、貴方は一人で人間を辞めて魔法使いとなった。そして、人間でなくなったことを負い目に感じて霊夢から遠ざかった。あれだけ一緒にいた人がいなければ残された人はどう思うのかしら?」
「そ、それは」
「霊夢も所詮は人間だった。誰かに心を許したいと思うこともあった。そして、それは誰か? 言うまでもないわね?」
魔理沙はただ俯くしかない。
人を捨てて一番に思ったのは、一人でいる時間が増えたことである。研究に没頭しても、時間を気にすることなく、自身の思い通りの結果を出すまで徹底的にやり抜ける。
同じ種族ではなくなったことへの申し訳なさもあるが、自身の研究を最優先にしがちになった。人間の頃以上に自己中心的となり、霊夢のことを気にかけない時もあった。
霊夢の方はどのように感じていたのか。今となっては聞けないが、紫の物言いからするとどこかで自身を待ち続けていたのだろう。
死に目に会うことも出来ずにいたことを今更ながらに申し訳なく思ってきた。
「私たち妖怪は恐れられることで生きていくことが出来るのと似たように、人も人と共に支え合うことで生きていく。一定の人が常に恐れてくれることが私たちにとって糧となる。それはとても独善的なこと」
紫の発言は意味深だが、読み解くと実に的を得ている。
「しかし、人はどうかしら? 人も人といることが当たり前になれば相方がいなくなった時、どうなるか分かるでしょう? 元人間さん?」
魔理沙の歯茎が軋む。だが、言い返そうにも言葉が見つからない。
「怖かったのでしょう。霊夢が人を捨てれば人間たちから何と言われるか。そして」
紫は背後から階段を数段降りて、振り返る。そして、扇子を彼女へ真っ直ぐ向けてきた。
「貴方自身が死ぬことが怖かったのでしょう。長く生きることが出来ない『普通の』人間だったことで、極めていた自分の魔法が途絶えることが」
「止めろ」
「知識を蓄える欲望に抗えない魔法使いの性が出た。そして、死を恐れて霊夢から離れた。違うかしら?」
怒りに任せ、震える手で紫の胸ぐらを掴む。
「黙れ」
血管が浮き出るほどに目を見開くが、紫は相変わらず不敵な笑みを浮かべ続けている。
見下されている。彼女のような大妖怪からすれば、妖怪になりたての魔理沙など下っ端であるのは分かっている。だが、親友であった者を例えにされているのはどうしても我慢ならない。それが図星であるからなおさらである。
「……少し、からかいすぎたかしらね」
溜め息と共に手を引いたのは紫だった。先程の人を見下すような目つきも無くなり、いつもの余裕のある表情に戻る。
「もうこれ以上はよしましょう。貴方に伝えたかったのはこれじゃないのですから」
「なに?」
「本題はこれからです」
魔理沙の眉間の皺がますます深くなる。紫は穏やかな笑みを浮かべるが、如何せん胡散臭く、警戒を解くことができない。
それを察したのか、彼女は苦笑いを浮かべた。
「霊夢だけど、成仏せずに白玉楼にいるわ」
「なに?」
紫の視線が空へと向けられる。
「亡霊として誰かを待っているかのように揺蕩っているのよね。幽々子が聞いても全く話そうとしないらしくてね」
「困っているのか?」
「幽々子がね。貴方なら適任だと思うから」
「行くわね?」と紫はスキマを開く。
この先に通じるのは、冥界にある白玉楼。
そこには十数年以上会っていなかった親友がいる。今まで言えなかったことを洗いざらい口にして、詫びることが出来る。人として生きた彼女を捨てたことへの罪悪感を抱き続けてきた。そして何よりも、彼女の声を聞くことが出来る。
数秒の思案を経て、魔理沙は紫の目を見た。
「断る」
「え?」
紫が目を丸くしている。
「貴方、正気なの?」
「ああ。私は霊夢には会わない」
「……理由を聞いても?」
「私はもう人間ではなく妖怪だ。そして、霊夢はもう死んでいる」
あくまでも自身が目標としてきたのは生きている時の霊夢であり、今の彼女に会うのは孤独と研究を好む魔法使いとしての本分ではない。
「……少し待ってなさい」
紫はスキマの中へと入っていく。
待っている間、博麗神社の鳥居の向こうの様子を伺う。先程までの厳かな雰囲気が徐々に解け、境内には敷物が並び、料理や酒が置かれ始めている。
弔いと思い出話に花を咲かせるのが目的の宴だが、おそらく最後にはいつも通りのどんちゃん騒ぎになり、散々な光景が広がるのだろう。
境内の者たちに悟られないように階段を降りていくと紫は高らかに笑いながら戻ってきた。
「機嫌が直ったようだな」
「ええ。さすがに人の友情は素晴らしいわと思ったところよ」
相変わらず鼻につく言い回しをしてくるが、魔理沙や霊夢を非難しているような口調ではない。
紫はそのまま近付くとその肩に手を置く。
「ようこそ。今ここに霧雨魔理沙が完全にこちら側になったことを祝しましょう」
そう言うとスキマを開いた。
霊夢も同じ思いだったのだ。
彼女はその答えを自身に伝えなかったが、あの機嫌の良さと最後にかけてきた言葉から察することが出来た。
霊夢も魔理沙が人を捨てて魔法使いになったことを寂しく思いつつも、定められたものとして受け入れた。最期まで真の魔法使いとしていられるために邪魔だった自身を案じていないか気にかけていた。
それが未練となり、亡霊となっていたのだ。
そして、魔理沙が白玉楼での再開を拒むことで、未練はたち消え、成仏した。
今頃は常時、貧困に喘いでいたため、三途の川で小野塚小町と長い長い船旅を楽しんでいるのだろう。
「それじゃ、また会いましょう」
「宴に出ないのか?」
「妖怪とはいえ、誰かを偲びたくなるものよ」
表情が曇り、少し口調が低くなる。
何だかんだ言いつつ、霊夢のことを気にかけていたのだろう。
「慕われたいたんだな」
「そうね……だからこそ、あなたには霊夢をこちら側に誘ってほしかったけど」
目を見開き、紫を見る。だが、彼女はそれ以上何も言わずにスキマの奥に入っていった。
親友だった魔理沙だからこそ霊夢を誘い、こちら側で長い時間、弾幕ごっこという遊びに興じることもできた。
誘う選択肢を考えなかったわけではない。だが、はたして霊夢は誘いに乗るだろうか。
それは否だと結論付ける。
そうでなければ白玉楼で魔理沙を待たず、彼女が無理をしてでもこちらに降りて恨みを聞かせてくれただろう。
魔理沙は勝ち誇ったように唇を三日月形に変える。
紫もまだまだだな、と。
現実に意識を戻し、首を伸ばして境内を見ると普段は宴会などに顔を出さないような面子や人里の有力者やこちら側にいる者などがやってきている。
それを見ていると改めて、霊夢がどれだけ人妖に慕われていたか分かる。
自分も筆舌し難い魅力に惹かれたが故に、最期までここまできた。
だが、人も妖怪もいつかその存在を忘れる。
さぼり魔の死神曰く、生命を持つ者は二度死ぬという。
一度目は、肉体的な死。
二度目は、存在や記憶の死。
はたしてここに来ている者たちのどれだけが死ぬまで霊夢のことを覚えているだろう。
もしかすれば、自分も忘れるかもしれない。
ありえないと否定したいが、魔法使いになった者は何よりも自己の研鑽のために知識を欲する。
その過程で邪魔な記憶は捨て、そこに霊夢がいるとしたらどうなるだろう。
魔理沙は一瞬首の後ろに悪寒を感じ、振り返る。
誰もいない。息を吐き、思考を巡らせる。
霊夢を忘れない存在にさせるにはどうすれば良いか。
実に簡単に答えは導き出せた。
魔理沙が自分で霊夢のことを忘れないように幻想郷に楔を打ち込む。彼女に囚われた一種の呪いに近いかもしれない。
だが、大歓迎だ。
振り返っていた姿勢を元に戻し、自然と緩んだ口元が見られないように帽子を深く被る。
「おーい、見つけたぞ、魔理沙ー」
鬼の伊吹萃香が千鳥足で階段を降りてくる。
要件を察した魔理沙はさっさと立ち上がって、箒にまたがる。
「すまないが、今日はもう帰る」
「はー? なに言ってんだ。お前がいるから霊夢の話も盛り上がるんだよ」
「悪い。少し野暮用がな」
さらに追及しようとしてくる萃香を振り切るようにミニ八卦炉に勢いをつかせて空に飛ぶ。
背後から文句が聞こえるが、すでに魔理沙なりの簡単な弔いは済ませた。
博麗の巫女として任務を全うし続けた霊夢と魔法使いとしての知識的欲求の赴くままに行動した自分。
こちら側に導くことが出来たが、幻想郷の掟を守り、最後まで口を開くことが無かった秘匿。
それだけ霊夢個人ではなく、幻想郷を愛する妖怪となったのだ。
それを自覚した魔理沙の心は晴れ、自ずと唇が吊り上がる。
「さて、まずは新たな博麗の巫女の実力を図ろうか」
それが人間として異変解決屋をしてきた、真の魔法使いとして幻想郷に生きる者。そして、博麗霊夢の友として生きてきた自身ができる最高の花向けである。