「はぁ……」
古明地さとりは地上の道端で見つけた岩に腰掛け、疲労感をため息で現す。
『たまには一緒に地上に行こうよ!』
妹のこいしにそう言われ、背中を無理矢理押されて地上に出て数分経った後、別のことに好奇心が負けた彼女は無意識にどこかへ消えた。
もちろんさとりを置いていったため、普段引きこもりで地上に当てがない彼女は立ち往生するしかなくなった。
ことさら、地底の者がいるべきではない地上ではぐれたのだから、余計に始末が悪い。
地上にいる理由もないため、地霊殿に帰るつもりだが、普段地上に出ることの少ないさとりはここまで妹に手を引かれて適当に歩き回っていたため、その帰路が全く分からない。
必要性を感じずに地形を全く把握してこなかったのが仇となってしまった。
仕方ないとさとりは腰を上げ、博麗神社に行く決意を固める。
そこからであれば地霊殿への道のりもおおよそ記憶している。分からくても巫女に事情を説明して聞けば良いだろう。あとは彼女の機嫌の問題だが、気にしている余裕などない。
「あら。随分と珍しいですね」
少し足が浮きかけたところで背後からの声をかけられた。振り返り、その主を見た途端、少し目を開く。
水色を基調とした和服を身にまとった冥界の白玉楼の主、西行寺幽々子が桃色の髪を風に揺らしながら余裕そうな笑みを浮かべ「こんにちは〜」と言いながら近付いてきた。
「これは、どうも」
敵意があるようには見えないため、さとりも地面に降りて頭を下げる。
旧地獄と冥界。
霊が集うというところでは共通点が多いように見えるが、亡霊と怨霊を対する中で、交流は全くと言って良いほど無い。
地上の者たちから忌み嫌われる妖怪や怨霊が集い、喧騒を繰り広げる地底と静かに輪廻を待つ霊が集う遥か雲の上にある冥界。
物理的に遠過ぎる場所にあるそれぞれの土地の主は出不精という共通点で結ばれており、顔を見合わせるのもいつぶりのことか思い出せないほどである。
「妹の方は稀に聞くけど、姉は本当に珍しいですね」
口でそう言いながら『本当に珍しいわ〜。何しているのかしら〜。異変の前触れ?』と若干失礼なことを言っている幽々子の心の声を聞き、さとりは溜め息を吐く。
「異変を起こすようなことしません」
「あら。何も言ってない……って、あなた、覚妖怪だったわね」
『まぁ、知っていましたけど』と幽々子は扇子で口元を隠しながら笑う。
さとりは彼女を観察するために目を細め、第三の目に力を込める。どうやら特に邪心があるわけでも無い。
人間や妖怪を問わずに嫌われている者が目の前にいるというのに全く気にしていないようだ。
「それで、何の用でわざわざ地上にまで?」
「妹に連れられて」
「……妹はいないようね。お得意の無意識ですか?」
「……はぐれました」
幽々子は同情するように薄っすらを笑みをこぼしている。
だが、ここで長居をする理由はない。
よく地上に出ているお燐からも彼女について報告を受けている。
マイペースで誰でも彼女を推し量ることが出来ないまま流されてしまう。
だが、妹のように全く見えないような存在ではない。
適当に相手をして、早く地霊殿に帰ろう。
そう決めてさとりは口を開く。
「では、私はこれで……」
「ああ、少しお待ちを。せっかく珍しい者同士でお会いしたのですから」
「あなたも用事があるのですから急いだ方が良いのでは?」
「そうね。妖夢にお遣いを頼んじゃったから仕方ないのです」
「はぁ」
記憶を読むに幽々子は人里へ従者を遣わせたは良かったものの、うっかり博麗神社にも急を要する言伝を頼むのを忘れてしまったらしい。
「急を要するには、内容が花見ですか。後日でも良かったのでは?」
「そうですが、花見が明後日なのよ」
白玉楼の花見の日程やどれほどの面子が揃うか確定したため、後日に行われる博麗神社の花見にも参考にしたいと巫女から言われていたらしい。
あの巫女のことだから集客のために白玉楼の花見よりも華があるものにしたいのだろう。
自分も来るにもかかわらず、その点は抜け目がない。
「なるほど」
「あなたもどうです?」
「遠慮します」
顔を覗き込まれたが、興味がないと即答する。
さとりはサードアイによって人妖問わず、心の明暗関係なく全てを知ることが出来る。それ故に多くの者から忌み嫌われ、警戒される。
そのような彼女が宴にいれば高揚すべき宴の雰囲気は一気に冷めてしまうだろう。
これは宴を楽しみにしている地上の人間や妖怪のためである。
「つれないですね〜」
「分かっていたなら何故聞いたのですか?」
「会話は大切ですよ」
不快極まりない。
まるで言葉での会話が出来ない者だと嫌味を言われているとしか思えない発言にさとりの心情に燻っていた火種が徐々に燃えてきた。
「あなたこそ、外にあまり出ないのに会話が大切とは言われたくありません」
「あなたほど会話が嫌いというわけではないので」
「それは、否めないですね」
さとりは正直に答える。心を読める彼女は嘘を付くことの大変さとその後のデメリットをよく知っている。
故に嘘をつかずに言うべきことをはっきりと伝えることにしている。それが彼女を会話の際に他者より有利にさせている理由の一つでもある。
だが、今は心中でも現実でも弄ばれ、全身の肌がむずかゆい感覚に襲われている。
『あなたは今まで主導権を握るのが常でしょうからね』
分かっていて心中でからかってくるのも苛立たしい。
誇りが高いさとりにとってこれ以上の屈辱は許しがたいものである。
だが、幽々子がのほほんとした雰囲気の裏に妖怪の賢者さえも翻弄する頭脳を持っていることも知っている。
さとりも地霊殿を取りまとめる者として頭脳明晰であることは自負しているが、これ以上やり合うと初心を忘れてしまいそうになるため、すぐに選択肢を一択にしぼった。
「非常に不快です。では……」
幽々子を睨み、話は終わりだと振り返る。
「所詮、自分の誇りが高いだけなのかしら」
「何ですって?」
さとりは幽々子の強い口調で発せられた言葉に一瞬普段の冷静さを失ってしまい、再び幽々子の方へ振り返る。
眉間のしわを深くなり、唇を震えているのが自身でも分かる。
「あなたは平然とそのようなことを言うとは思いませんでした」
「あなたは嘘を付くことの難しさと危険性をよく知っているはずよね」
「だからといって、はっきりと口にされるとは思いません」
「自分に嘘が付けない。さすが覚りね」
「執念深い亡霊に言われたくはありません」
「そうよ〜だから冥界の主をやっているの」
「知っています」
どこまで行っても弄ばれ続けている。心を読んで、何か言い返したいが『さて、次はどうするの?』とこちらを見下すような思念が聞こえてくる。
物腰の柔らかい彼女から棘のある言葉を得るとは思わなかった。
さとりは敵意をむき出しにした溜め息を吐くと無言で礼をしてまた振り返る。
「あ、そうだわ。お花見だけど」
「お断りします」
背中から聞こえた声に即答する。
何を好んで大勢が集う宴会に嫌われ者が行かなければならないのか。そもそも、ここまで不機嫌にさせておいて何を言うのだろう。
「も〜せっかちねぇ。あなただけで白玉楼に来ない? ってお誘いよ」
足を止め、幽々子の方を振り返る。心を読むが、嘘ではなく、本当らしい。
『どれだけ嫌われても旧地獄の管理者であり続けるあなたと、亡霊なのに冥界の主として居続けられる私。どこか似てない? 普段関われないからこそ、良い機会だし』
心で彼女らしくない、直接的な説得を受ける。
さとりにも良心がある。それを巧みに操る幽々子は本当に策士である。
先程までの弄び、下に見るような言動全てがここまで導くための布石だったのだ。それは分かっている。分かっているが、久々に飢えたような感覚が心を衝動的に動かす。
嘘を付くことが出来ないさとりにとって幽々子の甘言は乾きを満たす清水のように魅惑的であった。たとえ、その中にある毒があろうとも構わずに入り込むようなほどに。
「行けたら、行きます」
「ちょっと、それは行かない人が言う台詞よ」
「まぁ、私も予定がありますので」
「仕事のメリハリは大切よ?」
「……あなた、従者に随分と苦労させていると聞きますよ?」
「大丈夫、大丈夫。死なない程度だから」
『まぁ、半分死んでいるのよね』と笑えない冗談を心から聞かされる。口を真一文から動かさないでいると幽々子も空気を察してか、恥ずかしそうに扇子で口元を隠す。
『あまり受けないと思ったけど、もう少し反応が欲しかったわ〜。愛想笑いは生きていく上での処世術の基本なのに』
「あいにく、他者との交わりは避けているので」
「そう」
これまではさらに言葉を重ねようとしてきたが、あっけなく返され、少し拍子抜けしてしまう。
『もう少し面白い回答を期待したのだけど』
さとりは心を読み、幽々子も興が冷めたと知り、別れを告げる好機だと口を開く。
「残念ですが、言葉遊びなら他を当たるのが良いかと」
「あら、お嫌いでした?」
あからさまなおとぼけに思わず溜め息を吐き、首を左右に振ってしまう。
「私は覚り妖怪です。心を読める者に対して、どうしてそのようなことをしようとするのか……」
「だからこそ、よ」
真意を探るが、変わらず『うふふ』と笑い続けているため、声を待つしかない。
「水を手ですくうのと同じことです」
「意味が分かりません」
「全てをくみ取ることは出来ないの。私たちは」
さとりは納得したと溜め息を吐く。
普通の者は彼女ように全ての言葉の意図を読み取り、それを受け止めることはできない。
水が手の隙間から落ちていくように言葉から部分的に意図をくみ取り、善意悪意を悟り、それ相応の対応を取る。
さとりからすれば、それを面白いと思える幽々子を含む多くの人妖の思考が理解できない。
嘘を付けば、その後に自身に巡ってくる災いの危険性は見てきたトラウマを想起するだけで鳥肌が立つ。たとえ、それが遊びだとしても思わぬところで機嫌を損ね、関係を壊してしまうかもしれない。
さとりはそこまで考え、察したと幽々子を見る。
相変わらず、扇子で口元を隠しているため、表情も分からず、心も笑っているだけで読むことができない。
だが、彼女の機嫌が少し悪くなったのだと察し、頭を下げる。
「大変失礼いたしました」
「気付きました?」
「ええ。言葉を重ねようと、心を全て読もうと良い感情を抱かれることは無い。と」
「そういうことをはっきりと言うのも悟り故、かしら?」
「申し訳ございません。長年の習性のようなもので」
幽々子は仕方ないと溜め息を吐く。
さとりも先程よりも感情が晴れやかになっているのを見て、内心安堵する。
「おもてなしはどうしようかしら」
「まだ行くとは」
「最悪、動物を食するのでお構いなく」
「うちのペットに手を出したら承知しませんよ」
「そうじゃないわよ」
幽々子は普段、冥界にいる。この世に未練を持った亡霊を管理しているため、ただ普通の動物のような浅慮な者は相手にしない。
人は妖怪より浅慮だが、ただの動物よりも賢しい。
誰かを連れてくるのは野暮であり、さとり一人で来てほしいという意思を含んでいるのだろう。自身が万が一、間がもたなくなった時に備えて、妖怪化した二匹のうちのどちらかを連れて行こうかと思ったが、幽々子はそれを許さないらしい。
「あなたにはお付きの剣士がいるではありませんか」
「その日は暇を出しますので」
口調は穏やかだが、目が笑っていないところから本気で二人きりになるつもりらしい。
「お気遣いありがとうございます」
「どういたしまして」
「それにしても、先程から急に遠回しな物言いになりましたね」
「あなたの心境に変化を感じたのです」
さとりはそう言われて始めてこれまでの幽々子とのやり取りを思い返す。
最初は努めて穏やかに距離を取ろうとした。
次にはっきりと誘いを断ろうとした。
さらに心に迷いを生じつつも自身の性格を天秤にかけ、曖昧な返答をした。
今、さとりは目の前の気ままで掴みどころのない亡霊の姫君に対して若干の面白さと親近感を覚えた。
いつもなら相手の心を読み、意のままに翻弄するはずの自分がまるで振り回されることを楽しんでいる。
気付きたくないはずの心情を晒されるのは誰もがトラウマになる。
これまで与え続けたことを自身にされている。
本来ならむせび泣き、歪んだ表情を見せるのだが、どこか心地良く何かに包まれ、温かいような感覚に包まれる。
普段から自身には嘘を付かずにいるからか、もしくは相手が幽々子だからか。
「それで、来るのかしら?」
思考の海から引きずり出される。
幽々子は小首を曲げて早くしてほしいと訴えている。
「まぁ、予定が出来れば遣いを渡します」
断られると思っていたらしく、幽々子はわざとらしく目を丸くしている
来るように誘ったのはそちらだろうと思いつつ、さとりも自身の心境の変化に少し驚いていた。
彼女の穏和な雰囲気に釣られたのか、自身が多忙な日々の中での癒やしを求めていたのか。前者の方が比重があると自覚した時、否定したくなった。
しかし、さとりは嘘を付くことが出来ない。それ故に嘘偽りない本音を彼女にぶつける。
「行きたいですが、いつになるかまだ分かりません」
口を固く真一文字に結び、首を横に振る。
地底は怨霊や地上から追放された者が集う。
それを統べる地霊殿の主であるさとりが不在とするのは非常時に対応するのが難しく、優秀なペットたちも基本的に彼女の指示によって動くことが多いため、なかなかタイミングをはかれない。
「早くにね。桜の寿命は短いのよ」
「まぁ、地霊殿にも桜がありますから」
「本当の桜は綺麗よ?」
怨霊の一件から何度か地上に出ることもあったが、宴会にはほとんど出ないさとりにとって本物の桜は随分、久々に見るような気がする。
少しずつ晴れやかになる心境の変化に心地良さを覚えつつも表情を変えず「楽しみにしています」と答える。
「良かったら、雨の時に来なさいな」
「はい?」
出不精な者が天気の悪い日に外に出る日ほど、億劫なことはない。
分かっていながら指定する理由を尋ねると幽々子は満面の笑みで、口を開いた。
「雨は誰もが外に出たがらない。だからこそ、他者が誰かの家を訪ねることは少ないものよ」
『それ以上は言わずとも分かるはずよね?』
さとりは言葉と心から畳み掛けられ、自然と頷くしかなかった。
白玉楼は冥界にあるが、顕界との結界はかつての異変の時からかなり緩くなっている。地上に住む人妖がいつ現れるか分からない。その中で、さとりのように自他共に多くの者と関わり合うことを嫌う妖怪にとって格好の天気だということだろう。
「お気遣い、ありがとうございます」
「楽しみにしているわ〜妖夢にも伝えないとね」
そう言うと幽々子はゆったりと空へ去って行く。
「博麗神社は、忘れたようですね」
逆方向へ向かう彼女を見て、苦笑いを浮かべる。
話し込んでいるうちに忘れたのだろう。心象が悪くなったわけではないが、違う形で良くない方向へ向かったようだ。
「やはり、私に関わろうとすると、ろくなことにならないわね」
「あなたがそうしているだけでしょう?」
驚いて振り返るといつの間にか幽々子が腕を伸ばせば届くほどの距離に立っていた。
「いつの間に」
「やっぱり、もう少しお話したいと思ってね。なかなか良い機会だから」
「いや、十分に話したと思いますが」
「あなたの心の中で。でしょう?」
さとりの唇が一瞬震える。
覚り妖怪故の定めと自身の性格を一言で指摘されたことに若干の苛立ちと惨めさを覚える。
「確かに、あなたの心の声に反応したのもありました。しかし……」
「私が心であなたに言葉を投げかけていた。それについては申し訳ないと思っているわ」
幽々子はさらに距離を詰めてくる。特に邪な考えを持っているわけでもない。否、今の心は真っ白で何も見ることが出来ない。
「今は、あなたの言葉を聞いてみたいわ。その方が私も楽しい」
「ですが……」
さとりの唇は幽々子の指によって動きを封じられた。母親が子を静かにさせるように膝に手を置き、穏やかな笑みを浮かべている。
「あなただけよ。覚妖怪は」
目をよく見ると笑っていない。
怒りを抱いているわけではなく、真剣に何かを伝えようとしている。
幻想郷にいる覚妖怪は自身ら古明地姉妹以外に確認されていない。そして、妹は忌み嫌われることに追い詰められ、サードアイを閉じた。
未だに理解できないが、彼女なりの考えがあるのだろう。
しかし、それ故に真に覚妖怪と呼ばれるべき存在はさとりのみとなっている。
彼女は嘘の危険性を理解している。含みある言葉遊びは苦手意識が付いてくるものの一つであり、出来れば避けたかった。
しかし、妖怪として自己肯定感も高いさとりにとって相手が覚妖怪と分かって挑戦状を叩きつけてきているにもかかわらず、戦わずに背を向けることはプライドが許さない。
幽々子は全てを知っていて、言葉を投げかけてきている。そして、笑っていない目は本気で白玉楼に来てほしいという念押しに違いない。
そこまでされると本能で動く妖怪とはいえ、比較的理性的なさとりの良心が動かされないはずがない。
「賢しい方と思っていましたが、それ以上に小狡いですね」
「覚妖怪に言われるのであれば、褒め言葉として受け取っておきましょう」
「地底は冥界から遠く、相反するというのに、どうしてそこまでするのです?」
「磁石だと思っていただければ」
さとりはふっと鼻で笑い、幽々子もやや顔を揺らしながら笑みをこぼす。
「さて、何か良い話題はあったかしら」
小首を曲げて本当に心でどうしようか考えている。
先ほどまで自身を巧みに誘導してきた者と思えない。
だが、彼女の心を読んでいると同時に雑音が聞こえてきた。
「あの」
「あら、どうかしました?」
「これ以上、私たちがここにいるのは良くないかと。好奇心につられた者たちが集ってきてしまいます」
周囲に普段、顕界にいるはずのない二人を見ようと好奇心の強い妖精や下級の妖怪たちの気配を感じる。
そろそろ記事に飢えた天狗たちも上空に集うだろう。さとりとしては何を書かれるか分からないため、早く退散したい。
だが、幽々子はそれに首を横に振った。
「大丈夫。私がいるわ」
「はい?」
「あなたの能力故に、仕方ないのは分かるわ。私も同じだし」
彼女の死を操る程度の能力は文字通り、どのような者でも死に導くことができる。そのため、並の人妖は彼女を恐れて近付くことを拒み、彼女の周りには強者と従者しかいない。
実際にはよほどのことがない限り、能力を使わずに掴みどころのない性格ながら、穏やかに他者をもてなす、普通のお嬢様である。
嫌われ者同士、種族を捨て、心置きなく話をしたい。
それが彼女の本音である。
「やはり、小狡いです」
「あなたと私の仲ですから」
「まともに出会ったのは今日が初めてですが」
「今後のことも考えてますから」
最後の発言に対する心の奥底を見たかったが、心中を煩雑な雑音を無意味に繰り出されたため、読み切ることができない。
しかし、さとりは心を読むだけでなく、相手を見て人妖にトラウマを見せてきた。観察眼と洞察力は相応に高いという自負がある。
真意を悟った後、さとりの表情は非常に穏やかになった。
「白玉楼にて、楽しみにしております」
「桜に春を、あなたにうたを」
(あ、うたは歌うのじゃなくて詩の方ですよ)
「え?」
肯定も否定もせずに幽々子は意味深な言葉を発する。
だが「これ以上は教えられません」そう言って去って行った。
「もうしばらく一緒にいたいと言ったのは自分だというのに」
呆れたと肩をすくめる。
やはり、博麗神社への用事は忘れたらしい。
「桜に春を、私に詩を。ですか」
さとりは気恥ずかしさから少し顔を赤くする。
桜は春という季節に恵まれるからこそ、美しく咲く。
詩は言葉に恵まれるからこそ輝く。
幽々子の言動は遠回しなものも多いが、それだけ言葉遊びに向いている。そして、さとりもまた小説家としての一面を持ち、言葉を必要とする。
今思えば、幽々子の照れ隠しだろう。そうでなければ、彼女があのようにそそくさと去って行った理由が分からない。
「まぁ、足らなければ色を付けましょう」
さとりは幽々子の去って行った方へ頭を下げる。
そして、上空でカメラを構えている天狗にサードアイを向けて、威嚇し、撤退させる。また、遠くの岩陰に隠れていた稗田の御阿礼を見つけると笑顔で近付く素振りを見せて退散させる。
やはり、自分が地上にいるというのは良いものではない。だが、今日の幽々子との邂逅を経て、新しい居場所を得た。
それだけで嬉しい収穫を得た。もしかすると妹のように友を得ることができたのかもしれない。覚妖怪として生を受けた以上、諦めていた希望を気ままな亡霊によって取り戻せる。
確証は無いが、きっと上手くいくだろうという根拠のない確信を持った。
軽い足取りと久々の晴れやかな心持ちで地霊殿へと帰って行った。
「そんなこともあったわねぇ」
「まだ数ヶ月前の話でしょう。何を懐かしんでいるのです」
さとりが睨むが、幽々子は気にすることなく、大量に積まれた団子を頬張っている。
約束通りに桜が見頃の時期に訪れてからさとりは時間を見つけて白玉楼を訪ねていた。
日々の会話やお互いの従者やペットの話など他愛もないことを当事者がいない空間で共有するだけの他愛ない時間である。
だが、かつては時間の無駄と思っていたことがこれほどまでに心を満たし、気分を晴れやかにするとは思ってもいなかった。
そして、何よりも幽々子の奔放さが面白い。心と言葉で全く異なることを思っていたと思えば恐ろしく鋭い指摘を入れてくる。往々にしてそのようなことをする者はタイミングが分かるのだが、彼女にはそれがまるで無い。
それはさとりの自身の妖怪としての異常なまでに高いプライドに傷をつけたが、決して悪い気はしなかった。
それが幽々子であるからか、自身のプライドが以前より交流の幅が広くなっていたからかは分からない。
もっとも、一番に言えるのは彼女との出会いこそが大きいのだが、それは幽々子という自分を手玉に取ろうとする妖怪が相手である以上、とても言えるものではない。
「まったく、忘れているとは思いませんでした」
「物事は一瞬で過去になってしまう。そして、創造神は私たちに忘れるという素敵な力を与えてくれたと思わない?」
「忘れた記憶を想起させる私にそれを言いますか?」
幽々子は詰問を避けるように扇子で口元を隠し、明後日の方を向いてわざとらしく笑う。
心を探りたいが、これ以上追及しても彼女はのらりくらりとかわしてしまい、最後には丸め込まれてしまう。付き合ってしばらく、これまでなら徹底的に問うていたが、敵わないと諦めが付くようになった。
「まぁ、そんなことより秋になったし、秋らしい物を食べましょう」
幽々子は箱から紅葉の形をした茶色い菓子を取り出し、二つ皿に乗せてさとりに渡してくる。
「こちら、紫からもらった外の世界のお菓子でね。その名も……紅葉饅頭」
「そのままじゃないですか」
さとりは呆れつつも皿を受け取り、菓子を頬張る。
普通に美味しい。
半分ほど食べ終えるとすでに淹れられていた茶を飲む。いつものよりやや濃い目に作られているため、やや渋く感じるが、普段なら食べられない甘い菓子を考えれば丁度良い。
「いかが?」
「筆舌に尽くし難いですね」
「良かった。無理を言った甲斐があったわ」
「……親友の能力をずいぶんと無理に使ったようですね」
「悪い気はしないでしょう?」
「それはそうですが、そこまでされると賢者に同情してしまいます」
「あなたを招くからこそこまでしたいの」
「本当に思われているからこそ、返す言葉が無くなりますよ」
そこで会話が途切れ、二人は再びそれぞれの食事を楽しむ。先程よりも心なしか菓子も茶も美味しくなった。それは幽々子も同じであるようで、若干の驚きを抱いているようだ。
やはり互いに想い合っている者と会話をしながらいるということは味覚にも良い影響を与えてくれるらしい。それこそさとり自身の得意分野である心理面の動きであり、認めざるを得ない事実である。
実際に思い返すとこれまで一人で食べることの多かった時よりも今の食事は格段に楽しく感じる。
妹は心を閉ざしてから全くで、ペットたちとは仕事の都合上、時間が一緒になることが少ないため、なかなか誰かと食べることがなかった。
久々ということも相まっているのかもしれない。もう少し時間の動きが遅く進めば良いとも紅魔館のメイドのように時を止められたらと思う。
まさかここまで自分が欲深くなるとは思っていなかった。それもこれも隣にいる亡霊のせいなのであって、決して自分のせいではないと思いつつ、さとりは菓子の最後の一切れを口に入れる。
「うーん、それにしてもまだ彷徨っているのね」
いつの間にか幽々子の興味は外に浮いている亡霊たちに移っている。
それぞれがそれぞれの生を全うしてきたらしい。だが、怨霊であろうと普通の幽霊だろうと正直心が読めなければどれも同じように見える。
おもむろに幽々子は立ち上がると一体で動き回っている幽霊に向かい、尻尾と言って良いのか分からない方を掴み、戻ってくる。
掴まれた幽霊は抜け出そうと大暴れしているが、無駄な抵抗のようだ。
「この子、ずっといるのよね。全く成仏しなくて」
「意志が強い妖怪の幽霊ですか?」
首を捻りながら唸る幽々子に掴まれたままの幽霊はさとりに対して何かを言っているように感じる。
能力を使うとあれこれと騒いでいてかいつまんだ答えが分からない。
「落ち着いてください。幽々子に駄目でも私なら聞くことができますよ」
その言葉を聞いた途端、幽霊の動きがぴたりと止まり、こちらを向いてくる。
さとりは幽霊が何を言おうとしているのか声を聞く。
まず、幽霊は自己紹介をしてきた。聞こえてきた声からどうやら少女だったらしい。
「彼女は本居小鈴という方だと」
「うーん……聞いたことがないわね」
幽々子は首を捻る。
さとりも記憶を探るが、印象には無い。さらに深いところの記憶を探ると驚きの事実が分かった。
「生前はかの稗田阿求と知己であったと」
「あの阿礼の子とですか」
かつて穏やかだった阿求はある時期から突然、表情が険しくなり、人間や妖怪を仕事以外では寄せ付けない冷淡な性格に変わってしまったと聞く。
あのような者と親友となればよほど気の合う者だったのだろう。
さらに心を読んでいくが、なかなか落ち着かないようで言葉にまとまりがない。代わりにさとりはより一層落ち着いて心を読む。
「どうやら自分が発端となった事件で阿求が後悔していることに悔しくて、ここに居続けたそうです」
「そんな事件あったかしら?」
「……どうやら、幻想郷の禁忌に触れるものだったようですね」
なるほどと幽々子は小さく息を吐く。
小鈴という幽霊の記憶にはかなり荒れた人里と逃げ惑う人が想起され、最後に博麗の巫女が震える手でお祓い棒を持ち、頭を叩き割っていた。
「阿求のことは恨んでいない」
さとりが導き出した答えを口にしたのは幽々子だった。驚き、そちらに視線を向けるといつになく真剣な表情で幽霊を見ている。
「阿求は友人として、あなたのために何かをしたのでしょう。だからこそ、あのように自分のせいで堕ちていくのは見ていられない」
問いかけるような目に幽霊は頷くように上下した。
「さすがに、あなたともなれば心が読めずとも分かりますか」
「いえ、聞こえたのよ」
「聞こえた?」
幽々子が自分のように心を読めるようになるはずがない。ならばとさとりは幽霊と幽々子を見比べる。
彼女は死を操ることができるが、幽霊たちとは会話ができなかったはずだ。
その様子をおかしく感じたのか、幽々子が肩を震わせ、扇子で口元を隠している。
「まさか、嘘だったのですか」
「さぁ、どちらだと思う?」
「……心をなるべく読まないで会話を楽しもうと言ったのはどちらです?」
「あいにく、嘘はついていないわ」
幽々子はさとりに近付き、耳元に唇を寄せる。
「亡霊だって何かを知ることで成長するのです」
少々恥じらうような口調で囁かれ、さとりまで少し頬が赤くなってしまう。
それを見た幽々子が堪えきれずに吹き出した。ツボに入ったのか、数十秒笑い続け、その間さとりば悔しそうに脇腹を突き続けた。
しばらくして幽々子は涙を拭きながら「心は読まないでくださいね」と言ってきた。
そう言われると読みたくなってしまうが、巧みに煩雑な声を出されてしまい、全く理解できない。諦めてぬるくなったお茶を飲み、彼女を待つ。
相変わらず綺麗な庭が広がっており、庭師の苦労が思い浮かばれる。ペットたちにもこれだけの苦労はさせられないが、素晴らしいものを見せられると考えてしまう。
もっとも、地底に好んでやってくる者などいないのだが。
「全て見透かされるのはつまらない。前にも似たようなことを言ったでしょう?」
いつの間にか落ち着いた幽々子が扇子でさとりの肩を叩いてくる。
微笑み、髪が穏やかな秋風によってなびく姿は正にお嬢様そのもので、人となりを知っていても思わず息を呑んでしまう。
そして、さとりはその雰囲気に負けて「そう、ですね」と答えてしまった。
「さて、この子が言っていたことですが、我々では手に負えませんね」
「確かに。私たちは彼女が作成した幻想郷縁起で危険度が最も高いですし、私に至っては友好度も最も低くされています」
「可哀想に。これだけ良い方の存在を知らないだなんて」
わざとらしく幽々子は袖を目元に置く。
彼女とてその能力から様々な人間や妖怪に恐れられている存在である。それを受け入れてこのように呑気に暮らしているのだからよほど図太い。
そのことを指摘すれば、あなたには言われたくないと返ってきて言い返せなくなるので言わないでおく。
「二人の時間を邪魔されたくないからですか?」
普段の意趣返しに真っ直ぐな回答をしてみせると幽々子は心底驚いたと心の声も丸裸にしてこちらを見てくる。
さとりの言葉に嘘はない。知っているからこそ、幽々子の表情は少し赤くなり、それを隠すように大袈裟に扇子を仰ぎ始めた。
「そろそろ枝の剪定をしないと」
「切り過ぎないようにしてくださいね。大切な花を失うのは惜しいですから」
「答えは言わない方が面白いのよ?」
「なかなか慣れません」
「ふふ、実にあなたらしい」
互いに自然と笑みがこぼれる。言った言わないが通用しないさとりにとって幽々子との会話は戸惑いこそあったが、今では欠かせない娯楽となっていた。
それこそ、周りを忘れてしまいそうになるほどに。
「あなたには申し訳ございませんが、いつかここや地底に人間たちが来れば話してあげるようにしましょう」
幽々子の言葉で隣であれこれと騒いでいる幽霊の存在を思い出した。彼女が持ち出した話からここまで来たのだが、それこそサードアイで声が聞こえないほどに幽々子に浸ってしまっていた。
小鈴は変わらず何とかできないのかと言っている。しかし、亡霊と覚り妖怪の組み合わせで人里に入れるはずもなく、先程も話したとおりの結果になるだろう。
望みが無くなったと思った小鈴の霊体が項垂れているように見える。
よくここまで否定されても恨み言を一つも言わないでいられるものだ。もしかすると、生前はよほど芯が強かったのか、妖怪のことをさほど恐れていなかったのか。
詮無きことを思いつつ、落ちてきた枯れ葉を持ち上げて意味もなくくるくると回す。
「まぁ、ここでゆっくりと博麗の巫女や白黒のシーフが来るのを待ちましょう」
さとりは穏やかな口調でそう言うと慌てて周囲を周る小鈴の幽霊をよそに枯れ葉を縁側へ静かに置き、わずかに残っていた茶を飲み干す。
隣を見るとすでに幽々子が急須を持って注ぐ準備をしている。
まるでさとりの心を読んだかのように。
これこそ妖怪の楽園である。