その歴史は深く、古くは十八世紀。
【私立・秀知院学園】
蘭学者の権力増大を恐れた当時の江戸幕府によって開かれた習学所が始まりとされている。戦前から今日に至るまで数多くの貴族士族が入学し、将来の日本を背負う人材が育成・排出されてきた。
そんな彼、彼女らを率いる者が凡人であって良いはずがない。先の学び舎にはそんなエリートたちを統帥する、いわば聖域が存在した。
「……私の
―――だが噂の聖域(生徒会室)は剣呑なる雰囲気に包まれていた。
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生徒会室は剣呑なる雰囲気に包まれていた。放課後の鐘が鳴り、まだ人も少なく静かな頃だった。
とはいっても……現在生徒会には男女一組しか人間がいない訳で、このただならぬ気配を帯びた空間が完成してしまったのは、必然的に二人の内どちらかに原因があったからと言えるだろう。
「それで、私の下着を見たいと……貴方はそうおっしゃるのですね?」
室内の温度がぐっと氷点下まで冷え込んだような気がした。それは “彼女” から注がれる、つき刺さるような鋭い視線がおそらくその一端を担っていた。
一方、男の姿勢はいわゆる土下座の状態であり、
ふと顔を少しでも上げてしまえば、こちらは繊細なる乙女の領域を覗くこととなるに違いない。
誰もが羨む理想の境地に最も近づいた男だが……。
否、それはしない。決してしなかった。
「はぁ……藪から棒に何を言い出すかと思えば、一体どうしたのです?」
困惑と冷え切った表情を半々に重ねながらこちらを覗きこむ少女。彼女の名は『四宮かぐや』 ……大財閥と称される四宮グループ直系の、いわゆる令嬢である。
「熱はありませんか? でしたら特別、私が保健室に連れて差し上げても構いません」
そんな四宮かぐやは艶やかなる脚を曲げ、互いの瞳を同じ高さに合わせつつも結び合わせてくる。
警戒心をにじませながらも心配そうにこちらを真摯に気遣うその様子からは、ある種の母性を感じ取ることができるだろう。溺れたら一生抜け出せないタイプの、絡めとるような魔性の魅惑だ。
「ええ、今日はもう休んで頂いて結構ですよ」
彼女が無意識に行ってしまうその行為こそが、人を罪たらしめるかぐやの名を冠した証明であり、四宮という人の上に君臨する血の呪いであろう。
「貴方には少し仕事を任せ過ぎていたようですね」
“あなた” 呼びとは、
彼女との今まで少なからず “下の名前” で呼び合っていた程度の関係性が……、友情の形こそ人それぞれであるが二人の間にも確かに積み重なっていたはずの信頼が……、儚くも一つ崩れ落ちていったことを表す、哀れな響きでもあった。少し距離を取られてしまう。
「は、はい⁈ よく聞き取れませんでしたが…」
だが己が身に染み渡るのは背徳的な後悔だけで、
元凶となった己自身の本性は未だ健在であった。
「……正気ですか?」
大和撫子の太ももを目の端に置いてまで、守り続けたのはある男の意志である。
これを果たすために自分は生きていたのだと世界に向かって宣言しようではないか。
「それで……この私の下着を見たいと?」
四宮かぐや【副会長】に、
―――嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい。
□■□■□
放課後になったばかりで人少ない生徒会室。
そこには一組の男女が存在していた。
土下座する男と、若干の表情を浮かべる少女。
一方は真剣な眼差しで、他方は冷蔑の瞳を。
渦中の当人である四宮かぐやは困惑していた。
どうすればこの友人を救えるかと心から悩んでいた。
――頼む。
――おパンツを見せてくれ。
何を言っているのか理解できなかった。
いいや、したくなかった。
中等部の頃より付き合いのある唯一といってよいほどの男友達が、まさか脳をヤられてしまったなんて受け入れたくなかったのだ。当然だろう。
――これは、本気だ。
「何をもって本気なのでしょうか?(正論)」
とはいえ疑問より先に結論があるとすれば私の友人は気が狂ったということだ。親しき中にも礼儀あり。友人に友人の下着を見たいと言ってしまう、それは欲に負けてしまった雄そのものだった。
だが幸か不幸か、四宮家令嬢という立場で教育を受けてきたかぐやには……分かる。
暴漢から身を守る術としての知識と照らし合わせても、今の彼は正気であった。この清らかな身体に目がくらんで襲う寸前ですという様子でもなかったのだ。
何より彼は、土下座をしていた。
だからこそどうして……?
――おパンツを見せてくれ。
何を言っているのですかこの不調法者は。
ああ彼をどうしましょう……。至急、四宮の力でもって例のお医者様に診て頂ければ解決かしら? あの人ならばきっと目の前のいる愚かな人間を正常に戻せるに違いありません。
そうだ早坂、私の従者に連絡すれば医者に都合を取り付けるようできるはず……。
――かぐや副会長、一生のお願いだ。
――君のおパンツを……見せてくれ。
「…………???」
おっと危ない、かぐやは意識を失い倒れそうになった。
彼の言葉は聞き間違いではない、現実であった。
しかしそう……。
ひとまずは私自身が情報を集めないと、整理をしてみる所から始めないと。もしかすると彼にはどうしようもない(例えば脅されている等)彼なりの事情があるかもしれないのだから。
ではここは友人代表として力になってあげるのが筋というもので、つまり原因人物から事情を聞く他に道はないだろう。
かぐやは意を決して固まった口を開き、
「その一体、貴方の身に何が起きて……
――これは、
ㅤえ、ええ……?(困惑)」
かぐやの口は再び渋く閉じられてしまった。
どう見てもかなりの重症。もう諦めようかしら。
だがやはり、かぐやは気を引き締めることにした。
実のところ、彼女には少し心当たりがあったからだ。彼がこんな奇行に走る理由に。それが尾を引いたからか、かぐやは幼少期より親交のある彼をさっぱり切り捨てるなんてことはしなかった。
……もしかすると最近は彼にばかり生徒会の仕事を任せていたから、今の状況は、彼の行動は、私自身が招いた失敗なのかもしれない…? よく見ると少しだけ彼の顔色も悪いような……。
「ええ、今日はもう休んで頂いて結構ですよ」
そう考えると、
絨毯のひかれた部屋の床に、かぐやは己の左脚を立ててしゃがみ込んだ。それも土下座をしている彼の頭の目の前で。心配そうな顔を浮かべ、慈愛の色を滲ませるその雰囲気はまさに包容力の具現化であった。
「貴方には少し仕事を任せ過ぎていたようですね」
もし彼が今こちらを向こうとすれば、角度的にも、隠されるべき場所が彼にのみちょうど明らかとなってしまうだろう。これは贖罪だった。
いや良いのだ。自分のせいで彼がこうなってしまったのなら、布切れ一枚見せることかぐやにとって苦ではなかった。それよりも、元の彼に戻って欲しいとの気持ちの方が強かった。もちろん多少の抵抗感はあるが、それが今さら何だと言うのだ。今この瞬間、かぐやは聖母の域へと近づいた。
「……ほら、どうかその顔を私に見せて?」
だが一向に、彼はこちらへ向こうとはしない。
あまりにも神聖な餌が置かれているというのに、
貴方の望みは既に目の前にあるというのに、
彼はこちらへ向くことはしなかった。
「いかがなさいましたか?」
もしかして、ここに来て怖気づいたのだろうか。
理由を聞こう。彼を救うチャンスかもしれない。
……かぐやが優しく声をかけたその瞬間、
しかし思わぬ
――そのスカートを自分で捲り上げてから、
「……正気ですか?」
聖母の顔は崩れ、ここに閻魔が誕生した。
□■□■□
目の前の少女は酷く冷たい氷のようだった。
それはまるで、在りし日の彼女を思わせる美しさで、
誰にも心を開かず、孤独に君臨していた赤薔薇の棘。
彼女はこちらが身震いするほどの眼差しと、
和人形のような作り笑みをぎこちなく張り付けていた。
「それで…この私の下着を見たいと?」
四宮かぐや【副会長】はすっくと立ち上がると、
生徒会室内をコツコツと音を鳴らして回りだす。
その様は最後の審判の一頁に創られていても何ら疑問を抱くまい。この断罪を待つ状況で子羊とはきっと自分のことであり、つまり彼女は凄く怒っていた。
断罪とは社会的抹殺のことだろうか、それとも黄泉への強制送還だろうか。だが少なくとも、彼女がこの場において怒りに任せて災害となる性質ではなかったのは確かだ。
「分かりました…いいでしょう」
「貴方を、汝を許しましょう」
どうやら私は許されていた。
しかし――ひっ、と。
首もとには女の冷たい左手が直ぐに添えられた。
その利き手は肌下の頸動脈をくすぐると流れるままに喉元のふくらみを愛おしく撫でる。
「私は来るものを拒みません」
「見たいというのなら、見てもいいでしょう」
「そこにある
で す が 、
「私自ら
首もとから手がするりと離された。
同時に三歩ほどこちらから離れると、彼女は再びそこで振り向いた。潰れた虫を見るような嫌悪の表情を滲ませて、こちらが凍えるような視線を送って。
「……とはいえ、貴方には色々とお世話になっていますからね」
コツコツとした足音は絨毯を無視してなお響き、その余韻が室内を緊張で満たしている。
「これを今までの褒賞として望むなら良い取引なのでしょう」
柔らかな手で触れられた首もとは何故だかじんわりとしていて、
その妙な生暖かさは今から行われる行為への期待と興奮の暗示。
「では……いいですよ?」
甘い声が脳に溶けるように響いてくる。
始めに、かぐやは黒の長いスカートに手をかけた。
秀知院の制服は少女の胸元を控えめに強調している。
浮き上がった輪郭は彫刻美そのものだろう。
次に、かぐやはカーテシーの姿勢を一瞬したかと思えば、ふとこちらを見てから微笑んだ。それは滅多に人に見せない、本物に咲いた至上の華だった。
罪悪感が背筋を通るがどうにか意識しないようにする。ここで引いたら一生後悔すると直感したからだ。
そして――、ようやく最後に。
「………さいてい」
少女は何のためらいもなく己が
○その大地は紅く…赤く…朱く広がっていた。
○○○世界の端では暗黒が支配しており、
○○○○○箱庭を一層と強調させる。
○○○○○○理想郷は瞳と同じ色。
○○○○○○○令嬢四宮かぐや
……意識が遠のいていく。
最後に聞こえたのは、彼女のいつもの口癖。
「お可愛いこと…」
―END―