ミラーワールドの崩壊による現実世界との混合。突如としてミラーモンスターに襲われる人々にとって地獄であり、襲っているミラーモンスターにとっても消滅の危機にある地獄。
だが、突然出来た地獄の中で適正出来るものも存在する。
『ウッヘウッヘ』
『ウッヘウッヘ』
『ウッヘウッヘ』
『ウッヘウッヘ』
群れ為すシアゴーストたちは阿鼻叫喚の中でも他のミラーモンスターたちとは異なり冷静に狩りを行っていた。逃げ惑う人間には種子を打ち込み、種子の中から溢れ出した白い糸により内側から縛り、自身が吐く糸と結び付け、引き寄せてから群れで喰らう。
狩りや戦いに負け、消滅の苦しみでのたうち回るミラーモンスターには四方から糸を吐いて身動きを取れなくし、集団で襲って糧にする。
動きに統率があり、行動に焦りによる粗が無い。シアゴーストたちは淡々と獲物を捕食し続けている。
シアゴーストは多くのミラーモンスターの中でも下から数えた方が早いぐらい弱い。その弱さを数で補っているが、同じく群れで行動するメガゼールたちと比べても遥かに格下である。
だが、そんなシアゴーストにも他のミラーモンスターとは大きく異なる特徴が三つ存在する。
一つは現実世界への強い耐性。シアゴーストは通常のミラーモンスターよりも長時間現実世界で活動出来る。
特殊な状況でないと発揮出来ない能力だが、今はそれが遺憾なく発揮されている。
通常のミラーモンスターは消滅していく体を補う為に人を捕食する。しかし、人から得られるエネルギーは限られており、消滅と吊り合うには大量の人間を喰らう必要がある。だが、一度に摂取出来る人間の数は決まっており、大量に喰らうには時間が掛かり過ぎ、結果として間に合わない。
もっと効率的に補うとしたらミラーモンスターを倒し、その内にあるエネルギーを喰らうことである。これならば質の高いエネルギーを摂ることが出来るが、この方法にも問題があった。
相手がミラーモンスター故に返り討ちに遭う可能性が出て来る。仮に勝ったとしても無傷では済まず場合によっては動けない程の重傷を負うこともある。ミラーモンスターにとってリスクの大きな方法なのだ。
生きるか死ぬかの局面。そのどちらかを選択しなければならない。だが、現実世界に於いて耐性を持つシアゴーストにとっては何の問題も無かった。
好きなだけ人間を食べ、好きなだけミラーモンスターを喰う。今、この瞬間はシアゴーストたちにとって絶頂期である。
が、その絶頂期を銃声が水を差す。側頭部や額を撃ち抜かれたシアゴーストが倒れていく。
空から二丁拳銃を構えたバットオルフェノクが降り立ち、目に見える範囲のシアゴーストたちを蹴散らしていく。
一見すると冷静にシアゴーストを排除しているようだが、内心バットオルフェノクは非常に焦っていた。
澤田と別行動となり指示通りに妨害してくるミラーモンスターを駆除していたのだが、どういう訳か突如として青い雪──恐らくはフォトンブラッドの残滓が降り出し、無差別に人々を灰に変えていったかと思えば、凄まじい地震が生じた後、ミラーモンスターがあちこちに大量発生する事態が起こった。
大量発生の前兆と思われる揺れ。立っていられない程の激しい揺れだったにもかかわらず建物の倒壊などは起こってなく、何故かガラス窓などの鏡面があるものだけが破損していた。
どうすればいいのか村上に何度か連絡を入れたが繋がらない。バットオルフェノクは最悪の展開を予想してしまったが、それを確認する術は無かった。
今やれることは当初の予定通りにミラーモンスターを駆除すること。最悪の事態が起こっているかもしれないが、与えられた指令に集中することでそこから目を逸らす。
群れるシアゴーストたちに浴びせられる弾丸。確実に倒している筈だのだが、減る様子が見えない。気付けば新たなシアゴーストたちの群れが現われ、合流する。
キリが無い。終わりが見えない。湧き続けるシアゴーストたちを前にバットオルフェノクの胸中にゆっくりと、だが確実に絶望が広がっていく。
そして、その絶望を後押しする更なる脅威がバットオルフェノクへ襲い掛かろうとしていた。
拳銃を構えるバットオルフェノク。そのとき背後、それも後頭部に刺すような気配──殺気を感じ取ったバットオルフェノクは反射的に前へ跳ぶ。
バットオルフェノクの耳に入る風切り音。それは攻撃を躱したことを表すものであったが、同時に疑問が生じる。
殺気の位置からして攻撃は頭上から来た。頭上に一体何が居るのか。バットオルフェノクは素早く反転して銃口を空へ向け──手から拳銃を放してしまいそうになった。
頭上をゆっくりと滞空する青い群れ。刺々しいメタリックブルーの見た目をしたそのミラーモンスターは、頭部がトンボの全身に似た形状をしており、トンボから人型の体が生えているような見た目をしていた。
頭頂部付近から生えた薄羽を高速で動かし、右へ左へスライドしながら飛び続けるそのミラーモンスターの名はレイドラグーン。
シアゴーストが脱皮することで新たに得た姿であり、これもまたシアゴーストの特異な能力の一つ。ミラーモンスターが進化し、自らを強化するにはサバイブのカードを用いる。だが、シアゴーストたちは例外であり自力で進化することが出来る。
人気の無い場所で自分を抱え込むようにして体を丸めている無数のシアゴーストたち。背中部分に裂け目が出来ると中からレイドラグーンが出て来る。脱皮を終えたレイドラグーンはすぐに頭部から薄羽を展開させ、他の脱皮済みのレイドラグーンたちと一斉に飛翔。新たな群れとなり、上空から獲物を探す。
それが逃げ惑う人々やバットオルフェノクも知らない何処か繰り返されている。
上空で浮遊していたレイドラグーンたちは、群れの中の一体がバットオルフェノクを獲物として狙いをつけたと分かると、一斉に降下を開始。
両手首から生える鎌状の鉤爪を振り上げてバットオルフェノクを引き裂こうとする。頭上から迫る捕食者たちの殺気に呆然としていたバットオルフェノクは正気を取り戻し、肩部から生える弧状の刃で振るわれた鉤爪を受け、衝撃を受け流しながら反撃の銃弾をレイドラグーンへ打ち込む。
レイドラグーンの体に火花が散り、怯むが倒すには至っていない。シアゴーストよりも耐久力が上昇している。
攻撃直後のバットオルフェノクの背中に鋭い痛みが生じ、前のめりになる。すぐさま背後を見る。別のレイドラグーン、しかも十文字槍に似た武器を形態しており、先程の痛みはその槍によるもの。
バットオルフェノクはありったけの銃弾をそのレイドラグーンに放つ。全身に銃弾を浴びせられたレイドラグーンは、濁った鳴き声を上げた後に倒れて爆散した。しかし、倒されたレイドラグーンの後ろにはまだ大量のレイドラグーンが控えている。
それだけはない。前後左右、頭上にもレイドラグーンが数え切れないほど居る。
最早倒すことは不可能と判断し、バットオルフェノクは一方向に銃弾を連射。銃撃により数体のレイドラグーンが倒れ、それに他のレイドラグーンも巻き込まれる。
それによって一方向だけ道が空き、バットオルフェノクはそこ目掛けて駆け出す。道を遮るようにレイドラグーンたちが詰めてくるが、バットオルフェノクはそれらを叩き伏せた後、踏み台にして高く飛翔。そのまま包囲網を抜け出す。
バットオルフェノクは持ち前の技量で辛うじてレイドラグーンの包囲から脱出出来た。だが、バットオルフェノクはレイドラグーンの底を見誤った。
バットオルフェノクに踏み付けられたレイドラグーンが立ち上がる。すると、上体を後ろへ反らし体を身震いさせた後、一際大きな鳴き声を上げる。
レイドラグーンの胸から腹までが裂け、そこから巨大な昆虫型ミラーモンスターが飛び出す。
円盤のように横へ広がる複眼。硬質で分厚い青い羽。下半身は無く、長い尾になっており完全に飛ぶことに特化している。胴体から伸びる腕部の先はリング状になっており、そこの中心には鋭い爪が生えた手が浮いた状態で収まっており、腕部と繋がっていない。
レイドラグーンから更に進化した姿──ハイドラグーン。シアゴーストが一際特異に存在であることを知らしめる姿。二段階の進化をするミラーモンスターは、シアゴースト以外に確認されていない。
ハイドラグーンは脱け殻から出ると一気に加速。一瞬にして亜音速に達する。バットオルフェノクが迫って来る青い影に気付いたときには、腕部から発射された手がバットオルフェノクの体を貫いていた。
バットオルフェノクはその瞬間に自らの死を悟る。だが、それでも足掻くように震える手で引き金を引き、一発だけ銃弾を放った。
発射された銃弾はハイドラグーンの目に当たり、呆気無く弾かれる。二段階の進化を遂げたハイドラグーンの強さはかなりのものであり、それこそ確実に仕留めるにはファイナルベントを使用する必要がある。
最期の反撃も無駄に終わったバットオルフェノク。貫いていたハイドラグーンの手が体から抜ける。
バットオルフェノクは仰向けに倒れ込む。既に足先や指先が崩れ出し、終わりを迎えようとしていた。
見上げた空。広い筈の空が狭く感じる程にひしめき合い、飛び交うレイドラグーンとハイドラグーン。最期に見るのがこのような最悪な光景でバットオルフェノクは苦笑をしてしまう。
これ以上見る価値は無いと思い、バットオルフェノクは崩れ行く手で目を覆う。その仕草は丁度帽子を目深に被り直すような形になった。
だが、同時に相応しいとも思う。
村上はオルフェノクは人間の進化した姿だと言っていた。バットオルフェノクもその言葉を信じた。信じたからこそ村上の為に汚れ仕事もした。しかし、心の片隅では密かに思ってしまう。オルフェノクは所詮は化け物である、と。
化け物がそれに合った最期を遂げる。それだけのこと。
バットオルフェノクは何一つ言葉も残すことなく、そして後悔も無く灰へと還った。
弱肉強食の世界で考えれば強者の位置に当たる筈のバットオルフェノクでさえ僅かな時間しか生存出来ない地獄。
そうなると戦う術を持たない者、失ってしまった者はどうなってしまうのか。
それを克明に記す必要は無い。悲劇と惨劇しかない結末を書き連ねるのは、あまりにも無慈悲。
◇
「こんなことが……!」
神崎士郎の顔には明らかな動揺と驚愕が浮かんでいた。幽鬼を連想させる男であり、感情が希薄な神崎。しかし、それでも眼前に広がる光景と自身に起こったことに衝撃を受けざるを得ない。
地上ではシアゴーストたちが群れとなって徘徊し、その頭上ではレイドラグーンの群れが浮遊し、上から獲物を見定め、上空ではハイドラグーンの大群が飛び回り続けている。
そして、それらの餌食となる人間とミラーモンスター。それは神崎にとって信じ難いことであった。
逃げ惑う人々を更に奈落へと突き落とすのは空から舞い散る劣化フォトンブラッド。人間は勿論のことだが、瀕死のミラーモンスターも劣化フォトンブラッドにより青い炎に包まれて消滅している。
「ミラーワールドが破壊されるなど……!」
信じることが出来ない。しかし、目を逸らしてしまいたい現実が神崎に突き付けられ、どう足掻いても信じるしかない。
「浅倉威……!」
ここには居ない浅倉に対して怨嗟の言葉を吐く。神崎は浅倉を見誤っていた。あの狂気は戦いを加速させるのに必要だったかもしれない。だが、複製とはいえサバイブのカードまで渡したのは失策だった。戦いを加速させ続けていった結果、全てを巻き込んで自滅するとは神崎にとって予想外であり、浅倉の狂気を過小評価していた。
「戦いの果てに待っていたのがこれか……!」
神崎は強く手を握り締めた。その手の中には半分溶けたオーディンのカードデッキが握られている。
その溶けたカードデッキがオーディンとオーガ、サイガの結末を物語る。
結論から言えばあの対決はオーディンの勝利であった。ゴルトフェニックスの力を完全に解放したオーディンに勝てる者など存在しない。
オーガとサイガはオーディンたちの金色の光の中で帝王のベルトごと光の粒子に変換され、跡形も無くなった。
神崎にとって誤算だったのは、オーディンの勝利は手痛い勝利であったということ。オーガとサイガのフォトンブラッドはオーディンに届いており、二人に勝利したオーディンは、その身から青い炎を出し崩れて消滅した。
オーディンが消滅してもカードデッキが残っているのであればまだ戦える。ただし、カードデッキの強度にも限界があり、フォトンブラッドでカードデッキが溶けていくのを見たとき、神崎は咄嗟にカードデッキを握り締めて無理矢理青い炎に握り潰した。
当の昔に肉体を捨てた神崎だからこそ出来たことだが、その特殊な体であってさえフォトンブラッドは猛毒であり、今の神崎の体を内側から焼くように蝕んでいる。
だが、神崎にとってフォトンブラッドが齎す激痛など些細なこと。もっと大きく、もっと激しい苦しみと痛みが彼の心を侵しているからだ。
「優衣……!」
直感的に神崎は感じ取ってしまった。守るべき筈の妹の命の火が潰えていることに。どんな終わりを辿ったのか考えたくもない。
「まだだ……!」
神崎はオーディンのカードデッキを握り締める。溶解で変形した箇所が神崎の掌を貫くが、実体を持たない神崎は血の一滴すら流れない。
「まだ終わらない……!」
神崎の体が煙のように消え始める。現実世界を捨て、ミラーワールドで生きることを選択した神崎は、ミラーモンスターと同じく限られた時間しか現実世界には居られない。ミラーワールドが失われた今、消滅するのは時間の問題であったが神崎にはまだ残された手段があった。
「俺はまだ……優衣に新しい命を与えていない……!」
神崎はカードデッキを掲げ、魂を吐き出すような叫びを上げる。
その叫びは木霊し、声に釣られてハイドラグーンの大群が神崎へ殺到してくる。
青い大群に神崎が呑まれる寸前、ハイドラグーンたちの動きが止まった。空間に固定されたかのように微動だにしない。止まったのはハイドラグーンだけではない。シアゴーストもレイドラグーンも逃げ惑う人々も抗うオルフェノクも全て停止。
音一つ無い静寂の世界。全てが時間ごと止められていた。
神崎は停止した時間の中で動く。目の前の光景に驚くことはない。彼は知っていた。これぐらい出来てしまうことなど。だからこそ、『タイムベント』のカードは生み出された。
神崎はゆっくりと振り返る。目線の先には神崎と同じく停止した時間の中で動くもの──金色の輝きを放ち続けるゴルトフェニックス。この現象を起こしたのもゴルトフェニックスである。
「終われない……終われる筈が無い……もう一度だ」
それは縋るような声であった。神崎はミラーモンスターである筈のゴルトフェニックスに懇願をしている。
ゴルトフェニックスの二色の目が神崎を見下ろす。不思議なことに使役されていたときにはない命を感じさせる輝きがその目にはあった。
時の静止した空間の中でゴルトフェニックスの体に亀裂が生じる。如何に高位な存在であってもミラーモンスター。現実世界では存在出来ない。
──ただし、ゴルトフェニックスとして。
ゴルトフェニックスの全身に亀裂が走り、その身が砕け散る。そして、降臨する。ゴルトフェニックスではない何かが。
それが何かは分からない。白く眩い輝きを発する人型の何かというべきもの。彼がそれを見つけたのは肉体を捨て、ミラーワールドで生きることを決めた後にミラーワールドの深奥で偶然発見した。
どういうべき存在なのか人智を超えた頭脳を持つ神崎ですらその一端を知ることが叶わなかった。
初めて見たときは死を覚悟した。しかし、何故か光は神崎に危害を加えることはしなかった。神崎は捕獲を試み、呆気無く成功。だが、真の課題は捕まえた後にあった。
あまりに力の差があり過ぎる為に神崎では完全に制御することが出来なかったのだ。試行錯誤の末、神崎が行ったのはその光にミラーモンスターという殻を被せ、力を制限させること。これによって誕生したミラーモンスターがゴルトフェニックスである。更にゴルトフェニックスの力を『無限』『疾風』『烈火』の三つに分け、仮面ライダーオーディンという存在を介することでようやく力を完璧に制御することが出来た。
それ故にオーガ、サイガ戦で見せた三つのサバイブの同時解放。力が暴走する危険性を孕んだ、神崎にとっては賭けに等しい行為なのである。
「何度でも……何度でも……優衣が新しい命を得るまで何度でも……!」
神崎は解き放たれた力に祈るように、願うように言う。様々なものを失ってきた神崎に残された最後のもの。彼が時を繰り返してライダーバトルを行うたった一つだけの理由。
光は何も言わない。光は神崎と初めて出会ったときから何も語らない。時を繰り返し何百、何千年という時を共に過ごしているが言葉を交わしたことは一度もなかった。
神崎は光が超常的な力の塊であり、誰かの願いに反応して動く機械的なものだと思っている。しかし、神崎は大きな勘違いをしている。光にもまた意思があるのだ。
何故、光は神崎に力を貸すのか。理由は二つ。
慈悲と憐憫。
長い時の果てに産み落とされた自分の血と力を引き継ぐ子への慈悲と叶わぬ願いを叶えようとすることへの憐憫。
その光はかつて大いなる闇の一部であった。人間への考えの違いから光は闇と袂を分かち、自分の光を人々に与えた。
光は自身を人間たちに分け与えてこの世から消えたが、力の一部をいつか来る時の為に隠していた。
鏡面の中にあるもう一つの世界。そこに隠された光の写し身。それがこの光の正体。
神崎はカードデッキを掲げた。そして、念じる。時を戻し、やり直すと。
光は神崎の願いを聞き届け、止まった時の中で時間の流れ逆行させる。
全てが進むべき時の流れに逆らい、戻っていく。空を飛び交うレイドラグーンやハイドラグーンは後ろへ進み、地上へ降り、脱ぎ捨てられた皮の中へと戻っていく。
灰に成っていく人々は灰から人の姿へと戻り、ミラーモンスターに喰われた人々はミラーモンスターの口から吐き出されるように戻ってくる。
逆巻く時間の中で光は神崎を見詰めていた。光には過去も未来も見えていた。そして、知っていた。神崎の願いが絶対に叶わないことを。だが、それを告げたとしても神崎が受け入れることはない。
光は神崎に寄り添う。いつの日か神崎が全てを受け入れ、自らの願いを捨て去るときが来る時まで。
光はただ待つ。神崎兄妹に穏やかな最期が訪れる日を。
そして、時は戻り、全てがやり直される。
◇
スマートブレイン本社。二代目社長である村上はいつものように社長としての業務とオルフェノクとしての使命を全うしていた。
「レディ。運転をお願いします」
「はぁい。社長」
甘ったるく媚びるような、それでいて演技のようなスマートレディを声を聞き流しながら村上は次なる予定へ向かう。
ふと、彼は足を止めて横を向く。まるで、そこに誰かが居るかのように。
「どうしました?」
「──いえ。何でもありません」
神崎は時間を戻し、オーガとサイガが開発されないように動いた。二人の帝王の存在は大きな壁になると判断したからだ。
これにより村上とレオを繋げる因果は断たれ、彼らの道が交わることは無くなった。
天と地を司る帝王はもう現れることはない。
◇
東條はぼんやりとした表情のままベンチに座っている。彼の手には今までの自分を変えてくれる力がある。しかし、東條にはそれをどうやって使えばいいのか分からない。
これをどうやって使えば──
「皆、僕のことを好きになってくれるのかな……?」
その小さな呟きは、東條にとって助けを求める声であった。あまりにか細く、誰の耳にも届かない声。もし、その声を拾う者が居るとしたら──
「どうかしましたか?」
「……え?」
急に声を掛けられ、東條は少し怯えたように声の方へ目を向ける。
「何か悩み事ですか? 深刻な顔をしていましたよ?」
「香川……先生?」
「はい。こうやって話すのは初めてでしたね? 東條君」
東條は言葉を失っていた。彼は大学の殆どの人たちと会話をしたことがない。そこに居るのに存在感の無い虚像のようなものだと自分で思っていた。
そんな自分を知っている者が居た。大勢の中から見つけてくれる者が居た。東條はそれだけのことなのに感動してしまう。
「は、はい……」
「さっきも言いましたが何か悩んでいる様子でしたが?」
香川は東條の隣に座り、彼の悩み事を聞こうとする。
「あの、その……」
東條は言い淀む。自分のことを知っていてくれたが、香川がどんな人物なのか東條はまだ知らない。だからこそ慎重に見極める。
そして、もし、香川が東條の思った通りの人だったのなら──
香川は東條と知り合い、英雄への道を進む。その先に悲劇が待っていることを知らずに。
◇
水色のジャケットを着た茶髪の青年がメモ帳を片手にブツブツと呟きながら歩いている。彼は新人のジャーナリストであり、取材した内容をメモと向き合っている最中であった。
取材内容から良い記事を書こうと悩み、悩み、悩み続け、脳みそを搾るように考えた結果──
「あっ!」
──天啓の如き良い文章が思い付いた。しかし、メモに集中しているあまり前方の注意を怠ってしまい、前から来た男性と接触。
「いてっ」
「うおっ!」
ジャケットの青年はつんのめりながらも踏み止まり、彼と接触した男──不機嫌そうな表情をした青年はぶつかった腕を擦る。
「おい! ちゃんと前を見ろ!」
不機嫌なままぶつかったジャケットの青年に文句を言う。
「あああっ!」
すると、ジャケットの青年はこの世の終わりのように叫んだ。
「飛んだぁぁぁ! 良い文章が思い付いたのにぃぃ!」
先程の接触で閃いたアイディアが何処かへ消えてしまっていた。ジャケットの青年はそのことを嘆く。
「何だ、お前?」
ジャケットの青年の反応に呆れる不機嫌そうな青年。
「なあ!? あんたも一緒に思い出してくれ!」
パニックになり過ぎたのか突拍子もことを言い始める。
「……お前、馬鹿だろ?」
「ばっ!? 初対面の人間に馬鹿はないだろ! 馬鹿は!」
「はぁ……馬鹿馬鹿しい」
怒りもジャケットの青年の発言のせいでどうでもよくなってしまった。さっさと背を向けて去ってしまう。
「何だよ……愛想の無い奴だな」
不機嫌な青年への第一印象を呟きながらメモを片手に唸り、再び文章を思い出そうとする。
そのとき、彼の耳へと飛び込んで来るあの音。ミラーワールドから漏れ出た音が聞こえるということは、ミラーモンスターが獲物、つまり人間を狙っている証。
ジャケットの青年の顔付きが戦士のものへと変わり、走り出す。
ジャケットの青年が走り去って少し経った後、悲鳴が木霊する。その声を聞いた不機嫌な青年は、人々を守る戦士として駆け出す。
彼らは波乱に満ちた物語の駆け抜ける英雄。道が交わることも重なることも無いが、今日も同じ言葉を叫ぶ。
『変身!』
◇
警察の追手を振り切り、人気の無い道を彷徨う浅倉。彼が通る道の傍に重ねられた廃車置き場があった。
その廃車の一つを寝床にして子供のような寝顔を見せるのは北崎。
全ての者たちの人生を狂わせた二人の道が再び交わろうとしていた。
「ちっ!」
浅倉は溜まったストレスと苛立ちから反射的に近くに置かれてあった廃材を蹴り飛ばす。崩れ落ちる廃材の音で北崎は目を覚ました。
「うるさいなぁ……」
気持ち良く寝ていた所を騒音で起こされたことで北崎の気分は最悪の一言。騒音の元凶をすぐさま目で探す。
浅倉の姿はすぐに捉えた。向こうも隠れるつもりはないので当然のことである。
自分の時間を邪魔した相手を許せない北崎は、廃車から降りようとする。
そのときであった。北崎の目の前を何かが横切る。
「あっ……」
北崎は通り過ぎていったものを目で追う。視線の先に居たのは一匹の蝶。青い翅を羽ばたかせ、空へ昇っていく。
何気なくその青い蝶を見詰めていた北崎であったが、先程のことを思い出して浅倉の方へ視線を戻す。そのときには既に浅倉は何処かへ行ってしまっていた。
「……まあいいか」
とりわけ気にするようなことでもなく、北崎は廃車の中で再び眠りにつく。
一度は道が交差し、全てを巻き込む壮絶な殺し合いを果たした凶気の蛇と傲慢な龍。だが、二度とその道が交わることはない。
羽ばたく一匹の蝶により変わる運命。彼らの行く末は誰にも分からない。
時が巻き戻され、重なり合っていた物語は再びそれぞれの物語へと戻った。
あのときの戦いを知る者は存在しない。
あれは夢。一刻の夢。
誰にも語られることのない泡沫の物語。
全ては異形たちの見た夢。
これにて完結となります。
暫く休憩してからまた新しい話を書くつもりです。