まずは日常的な一幕から。
走り込み、錨の素振り、基礎体力を上げるための筋トレ、彼にとっていつものトレーニングメニューだ。他にも模擬戦や仙術の練習なども加わるが、悪魔になってから変わらずに続けているのはこれらのメニューであった。
「それを毎朝やっていると」
「冥界での…仕事が無い時は…そうだな。朝から…呼び出しある時は…珍しいが」
「睡眠時間を削ってまで大変じゃないの?」
「俺はディオーグの…繋がりの悪夢に慣れて…短時間でも…大丈夫なんだよ」
早朝、兵藤家のトレーニングルームにて腹筋を鍛える筋トレを行っている大一の反応に、ゼノヴィアとイリナは感心したように小さく息を吐く。彼のストイックさはアザゼル杯に参加しなくても健在であったようだ。もっとも彼女らもトレーニングルームに身を包み、先ほどから鍛えているのだから、傍目からは大差ないだろうが。
「先輩は良くても、私は不服ですが」
ジャージ姿の小猫はむすっとした表情で発言する。休憩中の彼女はスポーツドリンクを飲むが、その挙動ひとつとってもどことなく乱雑で不満が表されているように見えた。
「どうした小猫?ご機嫌斜めだな」
「聞いてくださいよ、ゼノヴィア先輩、イリナ先輩。大一先輩と特別な関係になれたのに、忙しすぎてあまりゆっくり過ごせないんです。一緒に眠るのもかなり大変で朱乃さんと姉様が口論になるわ、仕事でいないわ…散々です」
先日の死神襲撃の一件から、小猫と大一の関係性は大きく進展した。ただの仲間としてでなく、互いを尊重し恋愛的感情を伴った特別な関係性に。明言するのであれば恋人と言えるだろう。
小猫の方も遠慮なく発言することが増え、同時に惚気を伴った愚痴が吐き出されることも少なくなかった。
後輩の不満に、ゼノヴィアはやれやれと呆れた様子、イリナの方は額に手を当てて失敗したようにため息をつく。そして2人はそれぞれ渦中の人物へと視線を向ける。
「あんなふうに小猫を受け入れておきながら、それはダメだろう」
「お兄さん、私から見てもそういう態度はどうかと思うわ」
「いや別に小猫をないがしろにしているわけじゃ」
主張しようとする大一であったが、言いきる前に小猫が矢継ぎ早に話をかぶせてくる。
「そもそも先輩のベッドじゃ無理があります。なんですか、セミダブルって。イッセー先輩を見習ってくださいよ。リアスお姉様とアーシア先輩が一緒に寝ても大丈夫ですよ」
「なんだったら、私が寝てもいけるはずだぞ」
「お兄さん、そんなサイズのベッドで朱乃さんとくっついていたの!?」
「ベッドのサイズにまで文句言わないでくれよ。去年の夏休みの改装時に勝手に変えられただけだし…」
「しかもキスだってまだ…黒歌姉様にはしたのに…」
「あー、これはダメだな。10割がた先輩が悪いな」
「お兄さん、勇気よ。神はきっと許してくれるわ!」
「あれは黒歌が強引にしたものだって全員が知っているだろう。というか、小猫。頼むからそういう話を人前でやるのは勘弁してくれよ」
もはやマシンガンのごとく文句が出てくる小猫とそれに相槌を打つゼノヴィア、どこか方向性の違う驚きのイリナと3人の勢いを大一は止めることができなかった。零からの助言なども踏まえてようやくハーレムに踏み切ったが、なかなか上手くいかないことを改めて痛感させられる。行っていた筋トレも中断して、彼は困ったように頭を掻くしかできなかった。
もっとも小猫自身、不満を出しつつも本気で気にしているわけではない。仙術の修行やちょっとしたデートも一緒に行う。膝に乗って甘えれば受け入れてくれるし、2人だけの時間もあった。つまるところ不満は一種の戯れであったが、恋愛の主導権を握れることもあり、彼に対してそれを伝えるつもりは毛頭なかった。
「先輩、今夜は私と朱乃さんの3人で一緒に寝てください。狭いとかも無しですよ」
「ごめん。それ以前に呼び出し食らっているから、帰るのは遅くなる」
「…またタイミングが悪い」
甘え込みの戯れではあるが、やはり不満にもなってしまう状況に小猫は露骨にため息をつく。
それに対して大一は身体を起こして座りなおすと、安心させるように左手で軽く彼女の腕に触れた。
「埋め合わせはするよ、白音」
「…先輩、ちょっと安易ですよ。まあ…今回は許します」
トレーニングとは関係ない赤みが顔に差し、蜜で漬けたような空気感が流れる一方で、ゼノヴィアとイリナは考え込みながら自身の意見を言葉にしていた。
「うーん、キスくらい良いと思うんだがな。私だってイッセーともしたことあるし」
「わ、私だってダーリンと…ただ回数的には後れを取っているというか…」
「悪いんだけど、2人の恋愛の価値観は信じられない時があるからな」
「ちょッ!?お兄さん、それは言いすぎじゃない!?」
「何度もお前らから反応に困る質問を受けたんだぞ。当然の感想だろうに」
「先輩、私たちにも容赦ない時あるな。どう思う、イッセー?」
先ほどの小猫に劣らないほど腑に落ちない表情のゼノヴィアは、同室で筋トレをしていた一誠に問う。先ほどから話に混ざらずに一人で黙々とトレーニングをしていたが、同時にどこか落ち着かない雰囲気があり、荒い呼吸をしながら面食らったような反応をした。
「…え?悪い、聞いてなかった」
「イッセー、それは酷いぞ!私はイリナほどスルーされるのに慣れていないんだ!」
「ちょっとそっちの方が酷くない!?」
「でも珍しいですね。話がまったく耳に入らないほど、何を考えていたんですか?」
「…ロスヴァイセさんの件」
「「「ああ…」」」
一誠の回答に、ゼノヴィア、イリナ、小猫は納得したように頷く。先日、ロスヴァイセにお見合いの場がセッティングされたという連絡があった。彼女の故郷であるアースガルズによるもので、相手は北欧現主神ヴィーザルという内容だけ見れば破格の縁談だ。なんでもオーディンの血筋がひっ迫しているため、優秀な北欧出身の女性が必要とのことだ。
ただこの1件、北欧の方で勝手に進められた話であり、一誠やリアスにはまったく事前報告が無かった。上級悪魔であり自身の眷属にも入っているため、すぐに抗議の文書を出したものの、すでに日時と場所まで設定されているとのことで全く取り合ってもらえなかった。
もちろん婚約を受けるわけではなくお見合いの形だけではあるのだが、一誠のしかめ面には不満がありありと刻まれていた。
「なんつーか…ちょっと腑に落ちないというか…」
「イッセーの気持ちもわかる。こっちからすれば全て事後報告だからな」
「まあ、相手は神様だ。俺らの道理が通じないのも仕方ないだろう」
大一のつぶやきに一誠は非難的な目で兄を見る。
「兄貴は納得できるのかよ?」
「納得するかどうかは関係ないって思うだけだ。すでにロスヴァイセさんのお見合いは決定している。俺らが騒いでも意味ないだろう」
「そうかもしれないけど…」
それで割り切れるのであれば苦労しないだろう。仮にも同じチームで戦い、眷属として活躍している彼女の処遇を勝手に決められる状況に不満を感じる。神の傲慢な面にも少々苛立った。さらに一誠としては兄の真意も気になった。ロスヴァイセの感情がどこに向いているのかはハッキリしないが、大一とは親交深いのを知っている。それなのにこのお見合いについては早々に割り切っているのだろうか。
一誠が言い淀んでいると、大一の左肩から飛び出したシャドウが相変わらず不快さを抱かせる甲高い声で話し始めた。
『ハッ!上級悪魔である赤龍帝様はちょっと自分の思い通りにならないとぐちぐち言うわけだ。そんなガキみたいな理屈とメンタルで、よくもリーダーなんざやってられる』
「またお前は」
「シャドウ、今のは聞き捨てならないぞ」
一誠が反論する前に、大一が静かながらも鋭い声色でシャドウを収める。これにはゼノヴィアたちも固唾を呑んで見守っていた。一誠ですらぎょっとした様子で目を丸くしていた。
「最近、文句が多すぎる。この前だってアジュカ様の前でわざわざ言って…そこまでやる必要はないだろう。一誠に謝りな」
『僕は別に…ただ事実を言っただけだ』
「どこか事実だ。ただの嫉妬だろう」
『…チッ!』
舌打ちだけしてシャドウはすぐに引っ込む。すぐに出てこないことは所有者である大一がよく理解していた。
どうにも居心地の悪い空気の中、大一は頭を掻きながら立ち上がる。
「すまん、一誠。お前も大変なのに」
「あ、いや俺は…」
一誠が答える前に、大一はトレーニングルームを後にする。正直なところ、シャドウの嫌味な態度はいつものことであったが、苛烈になった理由については想像できる余地があった。神器の中でも常軌を逸した力を持つ存在…神滅具が増えることが決まっていた。ギャスパーの神器も認定されるだろうと言われており、今後の世界情勢にも大きく影響するだろう。まだ正式発表されていないとはいえ、シャドウの話はまったく出ておらず神器としてのコンプレックスが刺激されたのだろうと想像することは難しくなかった。
息が詰まるような空気感の中、トレーニングルームに残ったメンバーも早々に切り上げてシャワーへと向かうのであった。
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その日の夜、ロスヴァイセは悪魔の仕事で生島純の店に出向き、彼の新メニューの開発に協力していた。コストの管理も含めて勤しんでいたが、なかなか作業が難航し予定時刻が迫ってきたところで、生島の方からギブアップを宣言し寝る前のトークへと移行していた。
「はい、アイスティー。カフェインは入っていないから安心して」
「ありがとうございます」
「甘いお酒を少し入れても美味しいけど…どうかしら?」
「い、いえ、ご厚意だけで充分です」
ロスヴァイセが飲めることを知ってから生島は定期的に勧めるが、仕事中である上に少量のお酒でも暴走することを理解しているため、その都度断り続けていた。
「もちろん無理強いはしないわ。それは私のポリシーに反するもの。しかし来年になれば、大一ちゃんたちも飲める年齢。ぜひウチでやって欲しいところよ。正直、ジュースのようなものを飲んで慣らしていくのは大切だと思うのよね」
「教師である私からはなんとも…」
「それもそうだったわ。うっかり生島ね!」
口に手を当てて笑っているその姿は上品さと豪胆さの矛盾した要素が内在している不思議な姿であった。それが一種の愛嬌にも思えたし、飲み屋として人を惹きつける魅力にも感じられる。
「それにしてもごめんね。ロスヴァイセちゃんも担任やったり、悪魔の大会に出たりで忙しいのにお願いしちゃって」
「気にしないでください。生島さんは私の初めての契約相手でお得意様ですから」
「そう言ってくれると嬉しいわ。なんか大会の方も凄いことになっているらしいじゃない。この前、今後の契約の予定についてレイヴェルちゃんと話しているときに聞いたわよ」
生島の言う通り、アザゼル杯は大きな転換期に入っていた。その口火を切ったのはやはり神であるマハーバリのチームを倒した「ブラックサタン・オブ・ダークネス・ドラゴンキング」だろう。先日、堕天使総督シェムハザからいくつかのアイテムを受け取った後、そのニュースを聞いて急いでスタジアムに向かった際、一誠たちはそのチームメイトに出会った。彼らは自分たちを「超越者」と謳っており、実質的な宣戦布告をしてきたのだ。
さらに多くの期待と嘆願を受けて途中参戦ながらも破格の実力で勝利をもぎ取っていくディハウザー・ベリアル、さらに神器所有者中心で構成されたチームの王であるシューティング・スターは非戦闘タイプであるものの神クラスを倒す戦果を挙げていた。
こういった現実が続いているせいか、神クラスでも辞退するチームが出てきており、まさに今が大会の佳境といっても過言ではないだろう。
もっともロスヴァイセの気持ちはそこに没頭できるような状態ではなかったのだが…。
「ところでロスヴァイセちゃんに訊きたいことがあるのよね」
「なんでしょうか?」
「うーん、いろいろ迷ったけど率直に言わせてもらうわ。大一ちゃんとなにかあった?」
「な、な、なんで…ごほっ…大一くんが出てくるんですか…!?」
想定していなかった問いに、ロスヴァイセは飲んでいたアイスティーにむせて苦しそうに咳き込む。
対して生島の方は狙いをつけたかのように指で円を描きながら話を続けた。
「あら~、ロスヴァイセちゃん。ちょっと甘いんじゃないの?悪魔が闊歩する駒王町で飲み屋をしている生島純、こう見えても観察眼についてはそれなりに自負があるつもりよ。そしてその反応、やっぱり何かあったでしょ」
「べ、別に大一くんとは何もありませんよ!」
「つまりそこ以外で何かあったのね。無理に聞くつもりはないけど、このままじゃ私の父性&母性が暴発しそうなの。要するに…相談に乗るってこと♪」
完全に生島のペースに乗せられたロスヴァイセは、むせた感覚と同時にざわつく感情を抑えるかのように胸をさする。こんなことは今に始まったことではないが、その度に彼には頭が上がらないことを実感した。
同時に自分の中にある感情を少しでも吐き出したい気持であった。もちろんそれを行えば、仲間たちに大なり小なり迷惑をかけるだろう。そういう意味では戦いには関係なく、親しくも受け止めてくれる立場の生島はぴったりの相談相手であった。
「…お言葉に甘えていいですか?」
「むしろいっぱい甘えて欲しいわね!」
ロスヴァイセは動揺を少しでも軽減するためにゆっくりと息を吐くと、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「えっと…お見合いすることになったんです」
「ひゅ~…ちょっと予想外の内容だったわね。お相手はどなたかしら?」
「私の出身である北欧の主神、ヴィーザル様です」
「神様とお見合い!?すっごいわー!神話みたいじゃないの!それって絶対に玉の輿ね!」
テンション高く反応する生島はグラスの中身を飲み干していく。ロスヴァイセに出したものと違ってがっつりアルコールの入ったものであったが、まるで動じていないように見えた。むしろグラスに新しく液体を注ぐ姿はしゃんとしており、その眼は鋭さを増しているようであった。
「さて、興奮するのはここまでにしておいて…そのお見合いに悩んでいるってことは、ロスヴァイセちゃんとしては不本意なんでしょう」
「私は…正直なところ、よくわからないんです」
このお見合いは強制的に取り付けられたものだ。仲間たちは北欧側に抗議していたし、祖母であるゲンドゥルも神々に言われて仕方なく首を縦に振った節もある。自他含めて煮え切らない感情があるのは間違いなかった。
もちろん形式だけのお見合いであるのだから、相手が神であっても断りを入れる道も残してくれている状況だ。
それなのにどこか引っかかりを抱くのは、自分の気持ちが整理しきれないからであった。その要因には生島が指摘したように大一がいた。
「大一くんは…どう思っているのか…」
このお見合いの報告を聞いても、彼は何も言わなかった。仲間たちのような反応はしなかったし、ただ冷静に見ているように思えた。それが不安であり、どこか悲しさも感じた。むしろ現主である一誠の方が分かってくれていた。
さらに先日、彼はユーグリットを将来の眷属に引き入れることを明かした。実力のある相手を味方に迎えること、それは別におかしいことでは無い。ましてや彼は一誠たちを超えるようなチームを作りたいと思っているのだから。
ただユーグリットには苦い思いがある。思い出してもゾワリと背筋に悪寒が走るような感覚があるし、今後友好的になれる気もしなかった。そんな相手をどうして彼は引き入れたのだろうか。
そういう意味では彼の真意を知ることができれば、もう少し穏やかになれるだろう。
いざ言葉にしようとすると舌が重かったが、この短い言葉ですら生島は想いを汲んでくれていた。
「難しい話ね。しかもお見合いって結婚にも繋がるもの。恋愛と結婚はまた別な考え方も必要だわ。ロスヴァイセちゃんは玉の輿的なのは狙っている節もあったわね」
「うっ…そ、そうですね。そもそも悪魔になったのもお給料とかそういった面を重視していましたし…」
「そういう意味ではこの縁談は相当なもの。お金で言えばイッセーちゃんとかもありかもね。一緒に過ごした時間もあるだろうし」
「で、でも、私はそういうつもりでイッセーくんのチームにいるわけじゃ…」
「はいはい、落ち着きなさいな。私は何も薦めているわけじゃないのよ。最終的な決定はあなた自身とその相手なんだから。私が言いたいのは、どこを重視するかってだけ。そうすれば自ずと答えは決まっていくものよ」
この意見に対して全面的に肯定はできないだろう。恋愛で何を大切にするかを明確にするのは必要だろうが、それで今の自分が納得できる答えを導き出せるとは限らない。恋愛や結婚が理屈で通るなら、どれだけの人間が苦労せずに済むだろうか。もっとも生島の方もそれは理解している上でこの話を振ったという確信があった。
そして不完全ながらも想いを口から出したことで、精神的にわずかな安定をもたらしていた。
すると生島が神妙な面持ちで口を開く。
「…ねえ、ロスヴァイセちゃん。その試合って一般人でも観戦できるかしら?」
「チケットあれば大丈夫でしょうけど…」
「決めたわ。次の試合とやらを絶対に見に行く。ちょっとレイヴェルちゃん辺りに詳しいことを聞いておかなくちゃ」
そう宣言する生島に、ロスヴァイセは目を丸くする。どうも自分と近しい相手の本音が読み切れない状況に、彼女は困りながら手に持っていたグラスのアイスティーをじっと見つめていた。
ということで、ロスヴァイセのお見合いネタはやります。
それにしてもシャドウは性格悪いな…。