この日、大一は生島から依頼を受けて店に来ていた。依頼内容は生島が風邪を引いたため、店内の掃除をして欲しいというものであった。背中からはシャドウによって大量の腕が生成されており、それぞれが伸びて作業を行っていた。スポンジを使って皿を洗い、グラスを丁寧にしまい、布巾でテーブルを綺麗に拭いていく。そして本人は床のモップがけをしていた。
『また文句だぜ…アジュカ・ベルゼブブがいなかったとはいえ、あそこまで小言にさらされる筋合いは無いだろう。情報はそれなりに得たのに』
「仕方ない。そう思われたんだから」
シャドウのつぶやきに、とりなすように大一は答える。先日にギガンから得た情報をまとめて上層部に報告したのだが、彼らの評価は手厳しかった。正確な場所、具体的な勢力の把握、ベルディムの目的など欲しがっていた情報の核を得られなかったことが原因であった。これについて、ギガンの解放が間違いだった、未熟であることを自覚しろ等と例によって批判の的になった。
『古い時代の貴族どもめ…そんなに情報が欲しいなら自分たちで尋問すればいいだろうに』
「それで今まで口を割らなかったのだから仕方ない。そもそもギガンの件は、もろもろ俺が引き受けることになったんだから」
『ちっ…今思えば仮釈放の件がとんとん拍子にいけたのは、変な責任を取らずに情報収集できるって踏んでいたからなのかな。利用されるのもコリゴリだ』
ビキビキと血走った目がいつもより飛び出ているように見える。ここまで怒りを露わにすることは珍しくなかったのだが、作業中のコントロールにも影響する時があるので問題であった。戦闘の場合はむしろその苛烈さは武器になるものの、家事などの細かな作業ともなれば一苦労だ。
こんな愚痴を流しながらも作業を続けていくと、生島が奥の階段から降りてきた。マスクをしており、夏場にはそぐわない長袖のシャツを着ていた。
「大一ちゃん、あまり無理しなくていいからね」
「もう終わりますから、大丈夫ですよ。生島さんこそ無理しないでください」
「昨日まで弟の嫁に看病してもらってかなり回復したから大丈夫よ。全快まであと少しってところね。これならロスヴァイセちゃんたちの試合に間に合うわ」
自身の元気をアピールするかのようにぐっと拳を握る。いよいよ数日後に行われる一誠とヴィーザルの試合に、彼もレイヴェルを通してチケットを入手して観戦に行くことになっていた。悪魔の実情を知っているからこそ許されており、すでに差し入れなども考えているほどだ。
間もなく掃除を終えて、用具も片付け始めようとする頃、生島が声をかける。
「これから卵酒を作ろうとしていたの。寝る前の一杯にね。大一ちゃんたちもどう?度数も大したことないし、ゆっくり眠るのにもおすすめよ」
『僕は度数が強い奴の方がいいなぁ』
「シャドウ、失礼なこと言うな。すいません、生島さん。いただきます」
「任せなさいな」
鼻歌を歌いながら、生島は手際よく作っていく。席について数分後、人数分の卵酒が入ったマグカップが配られ、暖房とは違った温かさが感じられた。
生島は一口飲むと、大きく息を吐いて口元を緩める。
「ふぅ…いい感じ。風邪を引いたときにはこれに限るわ。まあ、ロスヴァイセちゃんの気持ちを温める差し入れになるかは微妙でしょうけど」
『差し入れに卵酒って、聞いたことないよ。だいたいなんでお前が心配するんだ』
「私とロスヴァイセちゃんの仲よ。心配は必然なんだから。お見合いの件だって、すっごく思い悩んでいたようだし…」
『あー、まだ聞いていなかったのか。その件は解決したぜ』
「えっ、本当!?ロスヴァイセちゃん、どんな感じだった!?今は大丈夫なの!?」
『まあ、いろいろあったけど大丈夫だよ。な、大一。…大一?』
右肩から伸びたシャドウはマグカップを持ちながら、反応がない宿い主に不思議そうに呼びかける。呼びかけられても大一は何も答えずに、口につけていたマグカップをゆっくりとテーブルに置くと、タイヤの空気がゆっくり抜けるような息を吐いていく。そして間もなく、頭からテーブルに突っ伏してしまった。
ズドンと頭を叩きつけるような音が鳴り、シャドウも生島も目を見開いて驚いた。
『ぬおっ!?大一、大丈夫か!?おい、カマ野郎!飲み物に何を混ぜたんだ!』
「そんな変なことするわけないでしょう!大一ちゃん、どうしたの!?気分悪い?」
『…いやちょっと待った。もしかして…』
シャドウが生島に呼びかけて静かにさせると、大一の口から奇妙な音が聞こえる。それが寝息であると気づくのに時間はかからなかった。
『…まさか酔って眠ってしまったのか?』
「うそでしょう…。アルコールは火にかけてしっかり飛ばしたわよ。そりゃ、ちょっとくらいは残っているかもしれないけど」
『大一が父親と酒を酌み交わすことになる日は来ないかもな』
シャドウと生島の見立ては正しかった。ほんのわずかに感じられる程度のアルコールが残っていた卵酒を飲み、大一はすっかり眠り込んでしまった。たった一口であったが、彼にとっては致命的なほど身体に合わなかったようだ。
呆れた様子でシャドウは触手を伸ばしていき、ポケットからスマホを取り出して操作する。
「何をやっているの?」
『迎えを呼んでいる。さすがにひとりじゃ帰れないだろうし…これで良し。来るまで待たせてもらうよ』
「ええ。それは構わないわよ」
唐突のことに妙な空気感が蔓延するかと思われたが、互いに卵酒をぐいっと飲む(シャドウの場合は黒い部分に入れるだけといった様子だが)とその口は饒舌さを取り戻した。
「しかし大一ちゃんがこんなにお酒弱いなんて思わなかったわ」
『これで酔うなんてな…いや、日頃の疲れもあったかもしれない。ここ最近はちょっと忙しかったし』
「お仕事、大変そうだものね」
うんうんと頷く生島に対して、シャドウは渋い感情が芽生えていく。大変という言葉で片付けていいものか、そんな思いを主張したかった。自身の相棒の苦労を何度も目の当たりにしてきた身としては当然の反応ではあったが、同時に別ベクトルでもやもやした感覚がシャドウに行きわたった。
それについて疑問を感じつつ言葉をぐっと飲み込むと、冷静に話を展開していく。
『仕事はもちろんだが、いろいろあったんだ。それこそさっきの見合いの件だが、相手の説得をしたのは大一なんだ』
「そうだったの…あれ?でも相手って神様よね。どんな説得したの?」
『なんつーかな…相手は戦うことを望んでいた。いやそんな危ない相手というわけじゃない。こっちの覚悟を試しているような感じだった。それでも壮絶だったけど』
あの戦いはシャドウにとって今まで経験した中でも、トップクラスに凄まじかった。神相手の攻撃は嵐のごとく激しく、機転の利かせ方や動きのコントロールなど、あの短時間の戦いで衝撃を受けた点を数え上げたらキリがないだろう。神との格の違いをたしかに感じたのであった。それを改めて自覚すると、先ほどのもやもやした感覚がより強く己を覆っていた。
「もう…話し合いじゃダメだったの?」
『それで済んだら、僕らが出張ることもなかったさ』
卵酒の残りを一気に煽る。神器であるシャドウに食事はいらないが、酒は持ち主と舌を共有しなくても風味を感じられるため好んでいた。
それを飲んでも、いまいち気分が晴れない。ほとんどアルコールが飛んでいるからとも思ったが、もっと強い酒でも変わらないような気であった。先ほどから芽生えたもやもやした感情が振り払えない。いや本当に先ほど芽生えたものだろうか。ずっと理解していながらも目を向けてこなかった、それでいて馴染み深い感情は気分の良いものでなかった。
するとシャドウの前に琥珀色の液体が注がれたショットグラスが置かれた。
「はい、シャドウちゃん」
『なんだよ、頼んでないぞ』
「作った卵酒が1杯分しか残っていないの。だから私の一杯に付き合ってもらうことでのおごり」
『よくわからないな。貰えるなら貰うが…』
「どうぞ。でもそんな怖い目をしていたらお酒の味も半分になっちゃうわよ」
『この目はもともとだ!』
「そうかしら。クワって力が入っているように見えるわよ。それに神様と戦っていうのに、いつものように自慢しないじゃない」
『そんな下らないこと…!』
血走った目をさらにしかめるが、言葉を詰まらせていた。この指摘が正しいことはシャドウ自身がよく理解していた。
ヴィーザルと戦った際に痛感した激しい実力差はきっかけでしかなかった。相手の強さを知るほどに、その神が一誠やリアス達を認めていること自体に一種の絶望すら感じたほどだ。彼らは強い。大一の過去を知り、共に戦うことで、その強さや才能が本物であることは不本意ながらも実感した。いずれ超えると決心した相手は、遥かに遠い存在であった。
だがそんな中でもっとも驚いたのは、相棒である大一の反応であった。あれほど叩きのめされても、折れることなく全力で立ち向かっていく。弟の赤龍帝にも劣らないタフな精神力は想像を上回っていた。超えるべき相手がどれだけ遠かろうと、腐ることなく歩みを止めなかった。彼はとっくに決心をつけていたのだ。それに比べて自分は…。
(頼んだぞ、シャドウ)
別れ際に託されたディオーグの言葉が想起される。付き合いは短いものの、あれほど実力と傲慢に満ちていたはずの龍が託してくれたものは響いており、同時に期待に応えられないもどかしさを感じていた。
同じ意識を持つ神器なのに、どうして赤龍帝や白龍皇のように特別な力がない。どうして神滅具には選ばれず強力な支援が受けられない。抱く嫉妬はすさまじく、それ以上に自分が情けなかった。劣等感を隠すために口を開けば文句ばかり、特異性は心に負担を与えるもので耐性を持つ大一だからなんとか扱えているだけ、考えれば考えるほど無力であることを痛感し、相棒や他の強者を知るほどに情けなくなってくる。
もっとも本音を口にするのは不本意な上に、生島に見透かされるのも癪であったので、何も言わずに酒を一気に飲み干す。
『ふぅ…こんなふうに気にかけられるのは変な感じだ』
「イヤだったらごめんなさいね。けっこうお節介なの。それに去年の今頃もあなたと同じような目をした人がいたから気になっちゃったの。すごく力が入っているんだけど、哀しそうな雰囲気の」
『お前のところの客と同じ扱いかよ…』
「んー、お客とは違うかしらね。とにかくその人もいっぱい抱え込んで悩んでいたわ。それこそ見てるこっちも苦しくなるくらい。しかもその後に人生を左右するほど苦しい経験をしたわ。言葉通り死にかけるほどと聞いているの」
『…そいつ、どうなった?』
「お友達の力を借りながらも、乗り越えたわ。それに成長した。小さくても力強い成長よ。だから私は思うのよね。悩むことは悪くないの。悩んで悩んで悩んで…それでひとつ答えを出すことって素晴らしいことじゃない。それが良いことでも悪いことでも、その人にとっては確かな成長に繋がるのだから。…ちょっと説教臭いけど」
生島の指す人物はシャドウも察しがつく。彼がどれほど苦しんでいたかは、ちょうどその時に憑いていた自身もよく理解していた。己の無力さを嘆き、心が塞ぎこんでいき、負のスパイラルに陥っていく、考えてみれば当時の大一と同じような心境になりかけていた。もっともそのおかげで強化されていたのだが。
『…待てよ。つまりそれって』
シャドウのつぶやきは続くことは無かった。扉近くで急に魔法陣が展開されたかと思うと、転移の光が部屋を満たしてロスヴァイセが現れたからだ。
「失礼します。大一くんの迎えに来ました」
「あら、ロスヴァイセちゃんだったのね。忙しいところ、ごめんなさいね」
「いえ、私の方は大丈夫ですよ。先ほど特訓も終わりましたし、生島さんにも渡したいものがあったので」
ロスヴァイセは持っていた紙袋を手渡す。中には経口補水液や果物ゼリー、大きめのタッパなどが入っていた。
「差し入れです。タッパの方は蒸し鶏のサラダを作ったので、あとで食べてください」
「ダメだわ…生島さん、泣いちゃいそう。次の試合までに絶対に応援に行くからね!」
「ありがとうございます。とても励みになりますよ」
「本当にいい子だわ…!こんなの泣きそうにいぃぃぃぃぃん!!!」
本当に病み上がりなのかを疑いそうになるほど、生島の目から滝のように涙が流れる。涙と鼻水にまみれた強烈な絵面にはロスヴァイセもシャドウもさすがに引き気味となり、早々に視線をいまだに眠り込んでいる大一へと移した。
「ほら、起きてください。お仕事に来て眠っちゃダメですよ。それにしてもどうしてこんなことに?」
「ずず…ぐひんっ…進めた卵酒を飲んで寝ちゃったのよ。しかも一口で」
『お前とは別ベクトルで酒に弱かったってことだ』
「そ、それは関係ないでしょう!」
恥ずかしそうに言いよどみながら、彼女は大一を半ば強引に起こし上げる。女性陣の中では長身であるため、肩を貸すのもそこまで苦ではなかった。
「よいしょっと…それでは失礼します」
「お疲れさま。少しだけでもロスヴァイセちゃんと話せてよかったわ。大一ちゃんのことをよろしくね。ついでに介抱してあげたことを、あとでそれとなく伝えれば好感度アップも間違いなしよ!」
『余計なお世話さ。こいつらの関係はちょっと前から進展しているし』
「…それ初耳だわ」
茶化した話し方はシャドウにとって日常茶飯事であったし、仲間や親しい人物の間柄では大して気にも留められていなかった。
しかしこの発言については、生島がピクリと眉を上げて反応する。病み上がりであろうが断片的な情報であろうが、これまでの契約からスルーして話を進めるなどという事は不可能であった。
それをすぐに察知したロスヴァイセも耳を真っ赤に染めながら、逃げるように展開させた魔法陣で転移を始める。
「そ、それじゃ、私たちは失礼します!生島さん、お大事に!」
「ちょっと待って!えっ、どういうこと!?ねえ、ロスヴァイセちゃんと大一ちゃんもしかして…本当に!?」
「あとでちゃんと説明しますから!その…大一くんも起きている時に!」
「絶対よ!じゃないと、興奮で熱が再発するかもしれないわ!いやでも経緯だけでも知っておきたーい!!」
騒がしい別れであったが、大一の方はまるで起きる様子もなく翌日に頭痛と格闘するはめになるのであった。
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冥界の魔王領土に設けられたアザゼル杯の選手村には参加するチーム選手たちの宿舎がある。その一角にて赤銅色の髪をした青年…バルベリスが「赤い龍と白い龍」という本を読みふけっていた。すでに多くの本を読破しておりこの本も同様であったが、気がつけば再びページをめくっていた。
ハーデスが自身を二天龍と戦わせたいと考えていたから興味を抱くのだろうか、そんな想いが巡るもののすぐに振り払った。たしかに戦ってみたい願望はあった。二天龍はかの最強の存在オーフィスによる加護があり、超越者としての力をぶつけるには充分であったからだ。
しかしそれをハーデスの企みで行うとされるのは、腑に落ちない。あくまで自分の意思としたかった。それとも彼を父と考えれば納得できるのだろうか。いや彼はまた別の存在だ。彼自身も否定したのだから、それを考えるだけ無駄というものだ。
クリフォトが冥府に隠していた研究所。そこでリリスと旧悪魔の遺伝子によって超越者として生まれた彼は、家族という存在に想いを馳せていた。人工的に生みだされた自分の家族は誰になるのか。特に父親という存在は気になって仕方がない。己の生まれを確立したいからか、超常的な力を持つことへの期待か、理由などいくらでも挙げられるが、その興味は心を大きく揺さぶるのであった。やはり先日指摘されたように、父探しというものは決行するべきではないだろうか。
「うーん…」
「本当に飽きないね」
考えを巡らした声が漏れ出ていると、翡翠色の髪をした女性…ヴェリネが部屋に入ってくる。10万体も創られた人工悪魔の中でも唯一彼と同様の実力…超越者クラスの存在である彼女は一種の同志とも言えるだろう。
積み上げられていた本のタイトルを見て小さく息を吐く彼女に、バルベリスはふっと笑みを浮かべる。
「俺たちの境遇なら別におかしくないだろう?」
「否定はしないけど、あんたほどのめり込まないかな。いや今はどうでもいいや。それよりも先ほどハーデス様から連絡があったらしいの。数日後の赤龍帝達の試合で───」
「介入するのか?」
不満を隠さずにバルベリスはむすっとしながら問う。ハーデスが自分たちと二天龍を戦わせることを望んでいたのに、このタイミングで邪魔をすることには疑問しかなかった。
彼の苛立ちをすぐに把握したヴェリネは首を横に振って否定する。
「外野の方で動くけど、私たちは一切関わらないようにってお達しよ。試合にも一切介入しないし」
「ハーデス様は何を目論んでいるんだ?」
「私も具体的なことは聞いていないし。ただ失敗作たちが動くって」
「ああ…」
会得したように頷きながら、彼は再び本へと視線を戻す。彼らが動く以上、標的は想像つく。もっともこのタイミングで仕掛ける理由は見当もつかなかったのだが。
そういえば24巻のラストをオリ主視点にしたからバルベリスたちを描写したのは初めてでしたね。